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2018年4月19日 (木)

Starting over *

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晴れ女のわたしにしてはめずらしい、雨のミーティング。
雨の目黒。
今日も寒い。
昨日、夜遅くひどくカタイ表情で帰ってきた息子は今朝になって「熱が出た。いま測ったら37度五分」という。解熱鎮痛剤を飲む?と訊いたら「飲まない」というので、ハーブティーにレスキューレメディーを垂らして飲ませる。飲んでも飲まなくてもいいからいちおう解熱鎮痛剤とレスキューレメディーを携行することをすすめたけれど、それも断られた。いつもは体調が悪いと比較的すぐに出勤するのをやめて自宅作業にする人が熱があっても行くというのだから、出勤しなきゃならない理由があるんだろう。
わたしはといえば、ついこのあいだまで左手親指が痛くて不自由だったのが、こんどは肘が痛みだした。とくにぶつけたわけでもないのに肘から先を上げたり下げたりするたびに痛い。うちの家系にリウマチの人はいないはずだけど、これだけあちこち関節が痛くなるとリウマチの可能性も疑われてきてちょっと不安になる。
プロのお掃除屋さんのT氏によれば、いまのわたしはそうとう疲れているらしい。
それはいまハードワークをしているからというわけではない。
たぶん、これまで生きてきたことの、人生の疲れ。
見る人が見ればわかる。
スイミングクラブのおばさま方にはいつも「あなたは昔とちっとも変らない」といわれるけれど、そんなことあるわけないと思ってた。
水瓶座は人から褒められても舞い上がったりしないタイプ。
わたしは自分が変わったことをじゅうぶんに知っている。
だって、昔なら寿命だったくらいは生きたんだもの。
もう、とうに死んでしまった友達もいる。
そして、それはこれからどんどん増える。
「死」はこれまでよりもっと身近なものになる。
これからの時間を、生きていることの不思議を解き明かすことに使うのか、相変わらず少しでも収入を上げることに使うのかはわたし次第。アグレッシブな血を内包するわたしとしてはふたつ同時進行でいきたいところだけど・・・・・・。
目黒に着いたときはザーザー降りだったけど、ミーティングが終って外に出るころにはやんで晴れはじめた。おなかがすいて向かった先は、このあいだ偶然みつけた、アント・ミミ。
このあいだも気になった、「壁にかかった肖像画は誰ですか?」と訊いたら、ジョン・レノンを育てたミミおばさんだって。ビートルズの本は昔さんざん読んだからきっと忘れちゃっただけかもしれないけれど、はじめてミミおばさんの顔をちゃんと見た気がしたな。同時に即座に「Mama don't go!Daddy come home」と歌うジョンの絶叫が聞えてくるようだった。
いまごろ空の上でジョンはどうしてるだろう。
きっとピース・オブ・マインドにちがいないけど。
こことちがってそこは修行の場じゃないから。
それともふたたび地上に生まれ変わって?

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最初に小鉢とお漬けものの小さなお皿が出てきて、メインディッシュに玄米ごはんにお味噌汁、アフターにプチデザートと珈琲。それで1080円。
わたしが好きなカフェはどことなくみんな雰囲気が似てる。

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2018年4月14日 (土)

ローズマリーとラヴェンダー

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休日だけどふつうに起きて、窓あけ放して掃除して、玄関掃いてドアを拭いてセージを焚いて花をいけた。さこうゆうこさんのコロンとしたヒヤシンスポットに、ベランダからとってきたローズマリーとラヴェンダー。
いい匂い。
ばらが咲くまであとすこし。

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2018年4月13日 (金)

ジャーマンカモミールの花が咲いた *

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ちょっと大きくなってきたラムちゃん。(ラムズイヤー)

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2018年4月 8日 (日)

四月の朝

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湿度がなくて気温低めの爽やかな朝。
わたしのベランダも日に日にばらがぐんぐん伸びてきて、だいぶいい感じになってきました。
去年は一年じゅう葉っぱしかなかったラヴェンダー。
2年めの今年はきれいに咲いた。
それから、ようやく大きくなってきたわたしのホワイトセージ。
セージって虫がつかないと聞いたのに、去年は白い葉の裏に同化するように白い綿毛みたいな虫がいっぱいついて、一時は枯れるかと思った。セージは湿度にも弱いから、そんな状態で夏越しできるか心配だった。それが徐々に調子を取り戻してきたのは秋になって気温が下がってきたころから。冬になっていくにしたがってほかの植物がだんだん休眠に向かうなか、セージは逆にどんどん元気になっていった。湿度さえなければ気温が低いのいっこうに平気らしい。植物も四季を通して一年つきあって、はじめてその性質がわかってくるなあ、と思う。ホワイトセージは生活の木ハーブ園でも滅多に入荷しないめずらしいハーブで、高温多湿の日本で育てるにはちょっと難易度の高い植物。
これを買ったのはシャレでクリスタルをスマッジングするためのホワイトセージを自家製できたらいいと思ってのことだったのだけれど、やっとそれが現実的になってきた。今日明日にも伸びたところを刈って天日干ししてみよう。

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それから春の陽射しの中で気持ちよさそうに咲いている綿毛みたいなセルリア。
プリティピンク。

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晴れてさえいればいつも日当たりのいいベランダがあって、洗いたての洗濯物を気持ちよく干せる。そんなささやかなこともたしかなしあわせだと思う。
日々に感謝。

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2018年4月 7日 (土)

柳は緑、花は紅

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わたしの部屋の窓から見える景色も変わりました。
つい先日まで視線の先をぐるりと桜のピンクが彩っていたのが、もうすっかりなくなって、いまは新緑の最初の、ごく淡い瑞々しい緑がうつくしい季節です。
でも、そう思って眺めていたら西の方角にまだ散らずに残っている桜をみつけて、今日はプール帰りにそこまで行ってみようと思った。
そうして、プールに行こうと家を出て、最初に目に入ったのは八重桜。
そう、いまは八重桜と花水木の季節でもある。

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そしてプール帰り、窓から見えた桜の下に行ったら、それは大きな山桜だった。

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上から見てると薄紅の雲みたいに見えたけど、近くに寄ると樹が大きすぎてこんなにまばらで、うしろの緑と渾然一体になって、それはそれで絵画的なうつくしさ。自然ってどこまでも偉大なペインターです。

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それから、咲き終わった枝垂れ梅の葉のなんという瑞々しさ!
わたしはむしろこの緑のカーテンのほうが好きなくらいだ。

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わたしが何度も角度を変えて写真を撮ってたら、自転車で通りかかった知らないおばさんが、「きれいに撮れた?」と話しかけてきた。「咲き終わったこの緑だけのもきれいよね」というから、「ええ、この緑がとってもきれいです」とわたしもいった。
東京の街からはだいぶ減ってしまったけれど、芽吹いたばかりの柳の木を見るのも好き。そして思わず頭のなかで呟くんだ。「柳は緑、花は紅」って。
自然はいつもあるがままでうつくしい。

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2018年4月 6日 (金)

春の嵐

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ひとつ年をとるごとに、それまでなったこともないようなものになるようになりました。
今年はドライノーズに、母指CM関節症。
このあいだから鼻が痛くて、鼻の中に何かできものでもできたんだろうと思っていたら、そのうち鼻がカサカサ・カピカピしてきて、ついに鼻の中が切れて鼻血まで出てきて・・・。もしや、と思って調べたらやっぱりそうだった。
ドライノーズなんてのも、なってみるとけっこうツライものですね。
ここのところ珈琲をすこし控えて、鼻の中をひまし油で保湿してる。
『母指CM関節症』のほうは、ちょうど足の外反母趾の手バージョンみたいな感じ。
左手親指の下の骨が変形して飛び出してきていて、何か持ったり、どうかした拍子にイタタタタタ・・・となる。小麦粉をこねたり大きな荷物を梱包したりカタイ瓶の蓋をひねったりしたときに手がおかしくなることはこれまでもあったから、もともと指の関節は強いほうじゃないと思ってたけれど、主に手の使い過ぎでなるらしい。痛みが酷かったときは毎晩湿布を貼って寝ていたけれど、いまは小康状態で、いつ整形に行こうかタイミングをはかりながら日々騙し騙し使っている状態。わたしの歳でこれだから、父の歳ともなればそりゃあ毎年不具合も出てくるだろうと思う。
今日、父の87歳の誕生日。
母が亡くなって18年。
もう父の口癖でもあるけれど、父はほんとうに長生きした。
いっぽうで友達もみんな亡くなっていなくなり、もう話し相手もいない、食べたいものもない、好きなクルマもないから行きたいところにも行けない、お金もないで、生きる楽しみが何もなくなった、という。そういう父に、「楽しみは自分でつくるものだよ」といってみたところで、幼少のころから不遇な家庭環境で育ち、でも戦中戦後を逞しく生き抜き、ひたすら働くだけで自分にささやかな贅沢をすることさえ許さなかった人には無理な話だろうな、と思う。
誕生日の今日も父はデイサービスに行っているし、わたしは今日は趣味の講座と仕事のミーティングがあるから実家には行けない。
こんなとき困るのは、誕生日のお祝いをいいたくても電話もできないこと。
耳が遠い父は電話が鳴ってもわからないから。
おまけに朝は晴れてたのに、なんだか急に雲行きが怪しくなって風もでてきた。
今日は夜から出かけなきゃならないというのに。
おととい夕飯ヘルパーに行ったとき、TVの天気予報でいってたけれど、そのとおりの天気になるのかな。
春の嵐。

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2018年4月 4日 (水)

紅白咲き分け梅

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昔、まりちゃんが住んでた部屋の近くの紅白咲き分け梅。
野川の原っぱにもこんもり大きな木で咲いてた。
遠くから見ると、まるでピンクと白の綿あめみたいで、近くに寄るとポンポン咲きのかわいい花で、昔は桃なのかと思ってたけど、『源平咲き分け梅』っていうらしい。
昔、この花の前で写真を撮ってもらった。
あたらしい中学の制服を着た娘と。
撮ったのは息子。
フジのインスタントカメラで。
もうずっと昔のこと。

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2018年4月 1日 (日)

桜とつくしんぼ

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彼女とはいつも桜の季節に会う。
会うのはいつも1年に1度か2度だから、近況だけでもお互い話すことはいっぱいあって、午前中に待ち合わせたのに瞬く間に夕方になる。あっという間の半日。
だから会った後はすぐにでもまた会おうと言いあうのだけれど、気づくといつの間にかまた桜の季節になっている。
我々の世代は下の世代とちがって個で行動することを快とする人が多いし、それに自分の親がこの年だったときにくらべると我々はそれよりずっと忙しい生活をしていような気がする。貧乏暇なし。
今年も日に日に過ぎていくカレンダーを頭の隅で気にしながら彼女に連絡するタイミングをはかっていた。気になるのは野川の桜もだけど、つくし!
今年は一気に初夏みたいな陽気になっちゃったから、もう見られないかもしれないなあ。
そんなことを思っていたら、ふいに彼女からメールがきた。ソメイヨシノはあっという間に終わっちゃったけど、野川の枝垂れ桜はずっとチェックしていたの、って。
それで今年もここに来られた。
野川の桜もだいぶ傷んで、かつては両側から覆いかぶさるようにして咲いていた、いちめんピンクの春霞、とはいかなくなって、ずいぶんさびしい感じにはなってしまったけど、それでもこのピンクと緑のコントラストの景色は変わらず。
暖かな陽射しの下で、水の中にせっせと嘴を突っこんではエサを漁っていたカモ。
こんなのを見てると日常の雑事を忘れて、なんだかの~んびりします。

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それから今年もあった。つくし!
相変わらず春ともなると彼女は犬もいないのにこの辺を歩いたり走ったりしながら、毎朝チェックしていたらしい。
なぜ春になるとつくしが見たくなるのか、つくしを見るとこんなにうれしくなるのかわからないけど、同い年で小さいときさんざん原っぱで遊んだ昭和の子供の我ら。
いつか、『つくし』なんてものも日本人の頭からすっかり忘れ去られて、ただ教科書に載ってるだけの過去の遺物になるかもしれないな。そんな日もそう遠くはない気がするよ。

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こんなふうに、春の小川で遊ぶ子どもたちの光景も。

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年が同じだから自分たちの子供の年も親の年も、そしてその時々抱えている問題もほぼ一緒で、今日会った瞬間から我々が話していたのは、80越えたお互いの親のこと。つくづくいまの日本って超高齢社会で、いまやどこの家でも大なり小なり年老いた親のことが問題になってるらしい。。
長生きし過ぎるようになったことの弊害。
自分たちのいまこの時点のちゃんとした頭では、生きてる限り、自分の足で立って歩けて、自力で食べて排泄でき、最低限身の回りのことくらいできなければ生きている価値もなければ、楽しみもない、と思うけれども、自分たちだって先のことはかわからない。せいぜい、いまのうちにできる努力をするしかない。

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人間、ずーっとあったものがなくなったり、変わったりしてはじめてわかることってあるけど、これまで30年近くずっと二世帯住宅の上と下で暮らしてきたお姑さんが先日、狭窄脊椎症の手術と術後のリハビリで3ヶ月くらい下の部屋にいないときがあって、その間、彼女は実に伸び伸びとした自由な気持ちになったそうだ。それで、自分としてはこれまでだって我慢してやってきたつもりは全然なかったのに、やっぱり下を気にしながらストレス感じながら生きてきたんだということに気づいたらしい。
産科の母親学級で彼女と知り合ったのはお互い27のときだった。
いまでも思いだすのは、子どもが生まれて当初の予定より早く義理のご両親との同居がはじまったころ、建ったばかりの素敵な二世帯住宅に子どもを連れて遊びに行くと、彼女が夫の親と一緒に暮らしてて一番嫌なのは、赤ちゃんが泣くと「あらあら、また泣かして!」と姑がどかどか2階まで上がってくることだ、と言ったこと。
わたしが泣かせてるわけじゃないのに、と。
それから30年近く、姑はたまに1泊か2泊で出かけることはあったけど3ヶ月もいなかったのはそれがはじめてだという。
30年でたった1回!
主婦というもの、ほんとにひとりで自由にできる時間がない。
これまで経済的にも精神的にも苦労してきた自分とちがって、やさしくて穏やかな旦那さまのもと、専業主婦として何不自由なく豊かに平穏に暮らしてきたと思っていた彼女だけれど、この30年のあいだ彼女はわたしがしてこなかった苦労をしたんだな、と思った。
人生、いろいろ。
先日仕事仲間に会ったら、このあいだ友達のJAZZミュージシャンの結婚披露宴に招ばれて行った会場で、新婦の師匠であるサックスプレイヤーがスピーチで「結婚は、我慢です」と言った瞬間、まわりにいた数人の女性たちが思わずハンカチで涙を拭ったのをわたしは見逃さなかった、と言っていたけど、ほんとにそうね。我慢と忍耐。今生は学びと修行の場でしかないというからそれもしかたがないかと思うけど。
同い年の友人の目下の心配はお姑さんがまったく歩けなくなることだという。
お互い根が明るいし常に興味のあることもあるから楽しい話題も尽きないけれど、確実に昔とはちがう重たいものを抱えてるなあ・・・・・・。
ふだん家で日がな一日ほとんど誰とも喋らずに仕事してるから、彼女と別れるころにはすっかり声がハスキーヴォイスになってしまった。
上着なしでも暑いくらいだった日。
春の野川で。

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2018年3月31日 (土)

ブルームーン

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夜、天秤座の満月。

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『生活の木』薬香草園で

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駅へ行こうとして近所の桜並木の前まで出たら、おとといいきなり満開になった桜がさらに雲みたいにふくらんで、分水嶺を越えて、あふれて、FANTしてた。
固く握ってた手を離して中空に放たれた花びらたちはどこまでも軽やかに舞い、とても自由で、それはいつ見ても気持ちがいい。
花吹雪・・・・・・。
人の死もそんなふうだったらいいと思う。
Jさんのメールには、「先週の木曜日に『生活の木』に行ってきました。ハーブ園にはまだ植物はあまりありませんでしたが、販売所でいくつかミントを買ってきました。目当てだった日本ハッカはなかったです。とりあえず日本ハッカ北斗を買ってきました。帰りに『あけぼの子どもの森公園』という、ムーミンパークに寄ってきました。人がたくさんいて、若くて健康そうな家族が眩しかったです。」とあって、それを読んだとたん、子ども連れで賑わう春の明るい公園の中でぽつんとひとり、さびしそうにベンチに座ってるJさんの姿が思い浮かんで心が痛んだ。なんで闘病中で心身ともに落ちこんでるようなときにわざわざそんなところへひとりで行くのかな、行くんだったら誘ってくれたらよかったのに、とすごく残念な気持ちになった。
でも、誰かを誘うような気持ちにもなれずにひとりで出かけていったJさんの気持ちはよくわかる。落ちこんで元気のないとき人に会って、迷惑かけたくないと思う気持ち。もう外に向かって元気さを装うことさえできなくなった自分を、人に見られたくないという気持ち。
でも、生きるってことはそれだけで常に誰かに迷惑をかけてるってことだし、それでふつうだと思えたらずいぶん気も楽になるだろう。それに元気がなくて落ちこんでたって、笑わせてくれる相手がいたら人はやっぱり笑ってしまう。それは彼の病気にとっては、とてもよいことだったのに。
そのときのJさんのブログにはハーブ園で見たミモザの木がアップされていて、わたしがその記事を見たときにはもうミモザの季節はとうに終わってた。来年は一緒に見に行けるといいな、と思った。ちょうど去年のいまくらいのこと。
もうJさんはいない。
彼はうまくFANTできただろうか。

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その薬香草園に娘を連れて行った。
わたしがここにはじめて来たのは去年の初夏。
父を連れてのことだった。
高台に造られたこのハーブ園がいいのは、バス停を降りたらすぐ目の前にあること。それから階段のほかに緩やかなスロープの道もあって、うちの父みたいに足腰の弱ったお年寄りでも上に登っていけること。そして生活の木の施設の中はもちろん、ハーブが生えてる季節は外にいても風がそよぐたびハーブのいい匂いがすること。どこにいても清々しく、気持ちがいい。
そのときは白いモッコウバラが満開で、ばらのアーチの下で父の写真を撮った。
今年はかろうじてJさんの見たミモザに会えたけど、もう終わりかけで、ふわふわの綿毛じゃなくなって黄色い金平糖みたいになっていた。

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最近、街に出ると、人の多さと満員電車の混雑のひどさ、どこに行ってもスマフォ中毒のノロノロ歩きとスマフォ見ながらのだらしない食事のしかたに心底げんなりして、疲れて帰ってくる。病気になったJさんは人混みに出るのを嫌ったけれど、いまの東京は病人じゃなくても、東京っ子のわたしでもしんどい街だと思う。
まさに限りなく自我と欲からなるエゴを拡大しつづけた結果。
だからこんなところに来るとほんとうにほっとする。
ここ飯能のハーブ園まで家からは約1時間。
もっと近くだったら、近所に住んでたら、年じゅう来るのにねえ、と娘と話した。
ガーデンからは隣の公園のソメイヨシノが少しと、近隣の民家の枝垂れ桜がちょこっと見えるだけだったけど、ベンチに座って花見まんじゅうを食べた。

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そして帰りにハーブショップで、ダブルフラワーカモミールとジャーマンカモミールの苗をふたつずつ、それから娘が選んだラムズイヤーをひとつ買った。
ここのガーデンで働く人たちは女のひとも男のひともみんな静かで繊細でやさしそうで、わさわさした都会で働くのはとっても無理そうな感じの人が多くて、一年中外で働くガーデンの仕事は楽なはずはないけど、ここはきっとそういう人たちの居場所なんだな、と思った。
わたしもきっとまたここへは来ると思う。
ばらが咲き、ハーブが育つころ。
秋風が立ち、パンパスグラスが揺れるころ。
帰りに小さなハーブの苗をいくつか買って。

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