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2019年4月20日 (土)

美しい町

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このところずっと、市議会議員・市長選で走り回っている選挙カーの声が朝から晩までかまびすしい。候補者の名前をただただ大声で連呼して懇願することが票につながるとは思えないのに、この旧態依然のデモンストレーションはいったいなんとかならないものだろうか。
特に朝、キッチンで静かに珈琲をいれる時間はわたしにとっては小さな瞑想のようなものなのに、突然ちかくで大きな声を出されると集中力が途切れてしまう。
近くにはいまこうしている間も死の床で苦しんでいる人がいるというのに。
その喧噪も今日で終わりだと思うと、それだけがうれしい。

そんなことを思いながらプールに行こうと外に出たら、つつじの鮮やかな色が目に飛び込んできた。
もう初夏だ。つつじの季節だ。
つつじといって思い出すのは、根津神社だ。それから飛鳥山だ。
かつて飛鳥山の近くには父方の叔母が住んでいて、満開のつつじでいっぱいの飛鳥山公園で遊んだ記憶がある。
それから父方の祖父の家でのこと。
わたしが顔にブツブツができて、カサカサになってかゆいといったら、おじいちゃんはわたしの顔を見て、「それはハタケだ」といった。
そして「ハタケ」には白つつじの花を揉んでその汁をつけるといいといって、わたしに庭にあった白つつじの花をとってこさせて、それを自分の手のひらで揉んだのを顔につけてくれた。つつじの汁は一瞬沁みて、でも数日して気がづいたら、かゆかったところはほんとうに治っていて子供ながらに驚いた。その日のできごとのおかげで、白つつじの匂いは強烈にわたしの脳に刻まれれしまった。
遠い日の記憶。
祖父は植物好きのやさしい人だった。

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選挙が近づいてからは一気にうるさくなってしまったけれど、この四月は週に1回プールに行くたびに目に入る花が違って、その変遷する景色が美しかった。そして花たちの色はいずれすべて緑に埋め尽くされる。それもまた美しい。初夏から夏へ向かうころは、一年でいちばん好きな季節だ。いま住んでるところがいいのは緑が多いところだけ、とわたしはいつもいっているけれど、でもそれって意外と大きなことなのかもしれない、と時々思う。こんなところに長く住んでいたら緑のない殺伐とした都心にはとても住めないと思うから。
うちの娘は、市長になる人は緑を大切にするひとがいいね、という。
簡単に木を切ったりしない人。
『美しい町』をつくっていこうという意識のある人。
この町は緑があるところは美しい。
でも住民の住む家は色も形もまちまちで調和がなく、駅前はごちゃごちゃしていて
でも、そんなことを重きに置いている人がいないことはこれまで市がやってきたことを見てもわかる。
何十年とかけて育った立派な木を無残にも根こそぎ伐採したと思ったら、そのそばからまたちまちまと新しい木を植樹するような無駄なことを年中やっているから。
この町の、緑のあるところは美しい。
でも住民の住む家は色も形もまちまちで調和がなく、駅前はごちゃごちゃしていて品がなく、町のあちこちではゴミの不法投棄が目立つ。日本もそろそろ欧米のように国あげて行政あげて自国の景観や美観に意識を置いた街づくりをするべきなんじゃないかと思う。いま日本各地で日本人が手放した風光明媚な土地を次々買っているのは中国人だという。この町にも移民の波がやってきているけれど、このままどんどん移民が増えれば街も町もきっともっとカオスになる。

人間の目ってよくできていて、自分の見たいように見る。
だから写真に切り取られた風景は現実であって虚構。
この町もすっかり桜が終わって、いま満開なのは八重桜。
そして咲きはじめたばかりのハナミズキ。
四月もあと10日で終わり。

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2019年3月16日 (土)

河津桜、満開。

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人間の身体ってほんとうに精密に精妙にできてると思う。
だから逆にいうと指1本ケガしたくらいでも不自由でたまらない。
昨日の朝、ちょっと爪のまわりが赤く腫れて痛いな、くらいだった右手の親指が、夜には耐えがたい痛さになって、たまりかねて夜寝る前にヒマシ油湿布をして寝たのだけれど、指全体がズキズキ傷んでなかなか寝つけなかった。
ヒマシ油のおかげで朝には痛みこそ治まったけれど、右手の親指はウィンナーみたいに腫れてて曲がらない。
わからないのは、なぜ突然こうなったかということ。
一昨日の夜、遅くに帰ってきた息子にパスタを作っているとき、ゆであがったパスタをザルにあげるとき一瞬、親指にお湯をかけてしまったのはたしかだけれど、そのとき火傷したのだったらすぐに水ぶくれになるとか腫れるとかしたと思うのに、まる一日経ってからこうなるとは。

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去年の夏、あれだけひどい腱鞘炎をやった自分としてはなんとなく気になるし、解せない。で、最近うちでブームなのは、わけのわからない症状に見舞われたときに、「これってサイキックアタック?」と半分ジョークでいうこと。
もちろん。そんなことジョークで言っていいことじゃないのはわかってるけど、みんな自分でわかってないだけでけっこうサイキックアタックにあってるらしい。特に、自分を客観的に見れない人が抱く『好意』という名の執着心ほどこわいものはない、と思う今日このごろ。

それで、たしかケガをした指によって意味がちがうんだったよなあ、と思って調べてみたら、親指は祖先とのつながりを意味し、また自分自身でもあるという。
身体のどの部分に通ずるかというと、親指は、鼻やのど、器官や肺などの呼吸器系、とあって、妙に納得してしまった。ちょうど数日前から自分自身の意識について思いめぐらしていたところだったし、去年の春からドライノーズがちっとも治らず、ここのところは首のある部分が気になって、相変わらず呼吸の浅いのも気になってたから。

さらに読み進むと、『薬指を意識すると自然と上虚下実の状態になり、体のバランスが調整されて、全ての動きがスムーズになる』という記述をみつけて、おお、これはいつも整体の先生からいわれてるやつだ、と思い、今日のプールは薬指を意識して泳いでみることにした。そhれが功を奏したかどうかはわからないけど、クロールでやったドリルではひさしぶりに、「ああ、手の伸ばし方とスイッチのタイミングはこれだった」というのがわかって、やっとすこし肩を壊す前の泳ぎを思い出せたかな、というところ。
まあ、いつものことだけどあきらめずに、かといって惰性にならずに意識的につづけてたらいまよりなんとかなるでしょう。

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このあいだ寒緋桜が満開だった水道道路は、いまは河津桜が満開。
この緑道には桜だけでも寒緋桜、河津桜、小彼岸桜、大島桜、里桜と何種類もあって、それらが順番を間違えることなく次々に咲くのを見てると、植物のほうが人間よりずっと正確、と思う。
人も咲くべきときがきたら間違いなく咲けるのだとしたらどんなにいいかしらね?
こうやって満開の桜の写真を見ているうちに思わず『集合意識と個』に思いがおよんでしまうわたしは、かなりやられてるのだろうか。

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じき彼岸。
満月に向けて充溢したエネルギーが分水嶺を越えて弾けて、光となって空に舞い上がる春は、FANTの季節。

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2019年3月13日 (水)

春は黄色から

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今日、毎月月1で行っている仕事のミーティングに行ってTakakoさんから花をもらった。先月、誕生日だったからって。そうしたら先月、わたしも彼女におなじことしょうとしてたことを思い出してはっとした。
先月は事情があってミーティングをキャンセルせざるを得なかったんだけど・・・。
おなじ2月生まれのわたしたち。
今日も会っているあいだじゅう次から次へと話が弾んで、彼女と別れて電車に乗って携帯で時間を見たら、もう5時過ぎてることに驚いた。会ってから4時間も経っていたなんて。
それで今日は、お昼を食べそびれたからお腹ペコペコになって家に帰って、バタバタと洗濯物をとりこみ、娘が自分のお弁当作るついでに作ってもらったおにぎりを食べるより先に花をいけた。

そうしたら、「この花をあげたかったんです」と言った彼女の言葉通り、黄色いスイトピーがひらひら蝶ちょみたいにきれいで、この花がテーブルにあるあいだはきっと彼女のことをよく思い出すんだろうなあ、と思った。
花をもらうって、そういうことだから。
だから、みんな好きなひとにはもっと花をあげたらいいと思う。

もう部屋はすっかり暗かったから、ギリギリ撮れた花の写真。
黄色とオレンジのビタミンカラー。
でもベランダから見た空は、もう夕方6時になろうというのにこの明るさ。
ずいぶん日が長くなりました。

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2019年2月23日 (土)

Towards the end of the world

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今日のプール。
いつもはほとんどビリで更衣室を出るわたしだけど、今日はジャグジーにも入らずに急いでロビーに降りて行った。 今年もあやこさんと待ち合わせしていたから。
今年でもう何年になるか、贈りあう品物の中身なんかには関係なく、ただ誕生日がおなじだという、それだけの縁でこの日を大切にしてきた。お互いの誕生日を祝うために会うからって、おいしいランチを食べにどこかに行くというわけでもない。今年は下のロビーは改装されて以来、会員がゆっくりできる場所がなくなったからって、近くのイオンの中にできたイート・イン・スペースに行こう、とあやこさんがいう。
それでスイミングクラブの前から2人分の重たいプールバッグを前かごにのせた自転車を押し押し、「ゆっくりしか歩けない」というあやこさんの歩調にあわせて府中街道沿いのストレートロードを歩く。今日は風がとても強くて、風が吹くたび舞い上げられた花粉まじりの黄色っぽい埃が顔に直撃してくるからたまったものじゃない。そんなだからなおさらわたしの自転車の荷台につかまって歩くあやこさんの足取りは重たく、話しながら歩いていることもあって息があがってしまう。強い向かい風のなか歩くのはわたしにとってさえしんどかった。それにだいぶ暖かくなってきたとはいえまだ2月のこんな風の強い日に、84歳の人が家からバスと歩きでわざわざスポーツクラブにヨガをやりに来るのはすごいと思うけど、さすがに彼女もだいぶ衰えた。まっすぐの細い道がやっとひらけるあたりに来ると、あやこさんが立ち止まって「ちょっと休む」といった。いいよ、とわたしは言った。いいですよ、でも、そうしましょう、でもなく、いいよ。
いつからだろう?
あやこさんとは最初からそういう会話だった気がする。
きっぷのいい、サバサバした山形女と東京っ子。
親子ほども年のちがう女友達。

ようやくイオンに着いて、駐輪してから窓際のカウンターの隅っこにふたり並んでプレゼントを交換した。今年はお互いにお菓子だった。あやこさんはわたしがムッシュMで買ったきれいな化粧箱に入った焼き菓子のコフレを喜んでくれて、「うれしい。ほんとうにありがとう」と何度もいった。それからあやこさんが持ってきたお菓子と、それぞれが持ってたお茶とミネラルウォーターで茶飲み話をした。そう長い時間ではない。
あやこさんはわたしの父が死んだことをとても残念がった。
だって、自分たちの歳と近いから、と。
そして、最近はどこに行くにも一緒に行く相手がいなくなった、とこぼした。
ちょっと前までは一緒にでかけて面白い友達がいたのだけれど、その人も最近はめっきりボケておかしくなってしまって、何度待ち合わせしても約束した時間に来ないから嫌になってしまったのだという。わたしはあやこさんと一緒に樹木希林がお茶の先生を演じた映画を観に行きたいと思っていながら誘う間もなく過ぎてしまったけれど、それには1人で行ったというからさすがとしかいいようがない。あの映画を観てあやこさんは「おんなじだなあ」と思ったそうだ。不文律のなかでのみ理解して、深くは追及しなかったけれど・・・・・・
いくつか年上の旦那さんも去年の暮れから体調を崩していまも調子が良くないらしく、食べると気持ち悪いっていうからかわいそうだ、という。
帰り際に今日の夕飯に何を作るかの話になって、あやこさんが今夜は里芋をふかして、皮をむいたところに庭から取ってきて作ったゆず味噌をかけて食べる、といったので、それはおいしそうだなあ、といったら、その自家製のゆず味噌がほんとにおいしくて、何にかけてもいいんだそうで、作って今日あなたに持ってくるんだったね、と心底言うので、それを聞きながらわたしは、もらわなくてもそう言ってくれるだけでありがたいなあ、と思った。
それからまた、風の強いなか帽子を飛ばされそうになりながらバス停まで歩いて、バスが来るまでのあいだ話した。わたしが「もうすこし暖かくなったらまたランチにでもいこうよ」といったら、「そういうことは早くしたほうがいいよ。明日死ぬかもしれないから」とあやこさんがいった。あやこさんはいつもそういう言い方をするのが好きだ。明日の約束をするのに、「生きてたら行くから」という言い方をする。わたしは、オーライ、という感じ。それでいて、そういう人に限って100歳まで生きるんじゃないの、と内心思っている。
でもわからない。
変な鳥のように両手をバタバタさせながら、まるでわたしを励ますみたいに「おとうさん、もう死なないかもしれないよ」と笑いながら言ってた父も死んじゃったから。

バスが来て、乗り込んだあやこさんはこちらを向いて座席に座ると、バスが動きだしてからもわたしに向かっていつまでも手を振った。
やわらかい西日の逆光のなかで、微笑しながらいつまでも手を振るあやこさんの顔はやさしく、とてもきれいで、若いころはいったいどれだけきれいなひとだったんだか、と思った。そして、こうしているあいだも全ては終わりに向かっているんだ、と思った。最近、仕事をしていても誰かと会っていても音楽を聴いていても、いつも頭の端にそれがあるような気がする。そして、その世界の終わりを起点として、そこから生きている間に自分に何ができるか、大切なひとたちに何をしてあげられるかをじっと観じている。
そんなことがずっと頭にあるせいもあって、誕生月の二月はあたらしいことをふたつはじめた。ひとつは語学学習。もうひとつは自分の人生をハンドルするためのビジネスの勉強。もともとやること多かったのに、さらにやることが増えて忙しくなった。
だから面倒な人間関係のもつれなんかに巻き込まれている暇はないし、ほんとに行きたいと思うところにしか行けない。いつまでも変わらない人にかかわっているような時間もない。

深夜、バスタブのお湯に浸かってぼおっとしてたら、写真ですら見たことのない若かりし20代のころとおぼしきナース姿のあやこさんが目の前に現れて、そのあかるく、生き生き闊達とした美しさに、しばし見惚れた。

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2019年2月12日 (火)

春の粒子 ***

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わたしはヒヤシンスのことなんてすっかり頭になかったのです。
去年はもうそれどころじゃなかったから。
でも去年、まだ父が生きていたころ、引っ越しのための片づけをしていた妹から、家にある花瓶をいるものといらないものに分けてくれないかなあ、といわれて出かけて行って、テーブルいっぱいに載った大小さまざまな花瓶を見たら、そのなかにヒヤシンスの水栽培用のポットがふたつあった。それを見ながら妹いわく、これまでヒヤシンスの水栽培をやりたいやりたいと思いながらなかなかポットを買えないでいたら、家にあったんだよねえ、と。
わたしは、へえ、そんなことがしたかったのか、と妹がそんなこと言うのがすごく意外だった。でも、いまはそう思っていてもその時期になったらきっと忘れちゃうんだろうなあ、と思って、自分ち用の球根を買うときについでに買っておこうと思ったのでした。ところが父が秋を迎える前にああいうことになって、バタバタ時が過ぎ、一陽来復のお札をもらって届けるついでに駅前の花屋で球根を買おうと思ったら、もうどこにもないのです。店員の女の子に訊いたら笑顔で、もう終わりました、今年は入りません、という。
そうか、しまった。水栽培は12月からはじめるんだもんなあ。
それでもまだどこかに残ってるかもしれないと、小さな花屋をみつけるたびに見るんだけれどやっぱりない。それからネットで探し回った。
やっとみつけて、高い送料払って白、ピンク、ブルーと3色のヒヤシンスを2個づつ買って、いざ届いたのを見たら、水栽培もできるとはいいつつ水栽培用にはかなり小さい球根でがっかり。でも気を取り直してそれを1球づつ小さな紙袋に入れて球根に真冬を疑似体験させるため冷蔵庫で保管すること2週間。
やっと先月ポットにセットしたのでした。
3球買ったうち、そのままポットに置けたのはひとつだけ。
あとは穴が大きすぎて落ちちゃうので、苦肉の策でワイヤーで台座を作って載せた。そしてさらに家の中でいちばん暗くて寒い玄関に置いておくこと18日間。
だいぶ根っこが伸びてきたので今朝、日の当たるところに出した。
緑の芽が、鳥のくちばしみたいにつやっつや!
ちょっと暖かな日に当たっていただけですぐに葉がひらいてきて、生きてるんだなあ、と思う。何せはじめたのが遅いからちゃんと咲いてくれるかどうかわからないけど、こうやって机の上に緑があるだけでもいい。
ちなみにこのあいだ妹に「ヒヤシンスの根っこ、出てきたね!」とメールしたら、「それがヒヤシンスはいっこうに根が出ず、根元にカビが・・・。どうやら失敗したみたい」というので、ガーン!
あたしゃ、あなたが思い出させてくれなかったらきっと今年はやらなかったよ、と思って、「せっかくだからうちの芽が出たの、ひとつあげるよ、さこうゆうこさんのポットごと」と言ってみるも、「せっかく根が出てきたのをいただかなくてもけっこうですよ。うちに来て花が咲かなかったり、元気がなくなったりすると困るので」と返事が返ってきて、うはー、どこまでネガティブなんだあ、しかも「けっこう」ゆわなくても、と思った次第。姉としては「やった! さんきゅ!」と言われたほうがずっとハッピーだったんですけど。こういう、小さなことから大きなことまで、姉妹のあいだにある感情の溝って一生埋まらんものなのかな、と思ったりして。妹のヒヤシンスも3球のうちひとつくらいはちゃんと根が出て咲いてくれないかなあ、と願うばかり。
2月、もうじき半ばのいま、気温は底で真冬なんだけど、陽射しの中にはすでに小さな春の粒子が含まれていて、まさに早春だなって思うのです。

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2019年2月 4日 (月)

春が舞い降りた日

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立春の今日は一気に気温が上がって、日中の最高気温なんと19度!
朝ベランダに出たときはほんとに暖かくて、まるで春が舞い降りたようだと思ったのも束の間、午後には風がでてきて、夕方出かけるころには北風が吹き荒れ、すっかり寒くなっていた。これだからいまの陽気は油断ならない。
毎年立春の日は明治神宮にお参りに行くことになっているのだけれど、父が亡くなってまだ半年経ってないということで今年はやめて、家からそう遠くない梅照寺へ。ちょうど自分の誕生日に目のオペを受ける友達がいて、お守りをもらいに行った。
ここは眼病治癒、目の神さまとして有名なお寺。

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ここには前にもおなじ目的で来たことがある。
あのときは父が一緒だった。
いまよりもうちょっと春が進んだころで、お寺の境内には梅が咲きはじめていた。
人間も動物も植物も冬を越すのが大変なのだと思うけど、冬のあいだ寒さに縮こまってあまり身体を動かすことなく暮らしていた父は驚くほど歩けなくなっていて、ここまで歩いて来るのも一苦労だった。そして日中は陽射しが暖かかったからまだよかったものの、帰るころにはやっぱり風が強くなってすっかり寒くなり、おまけに帰りにジェラートを食べたりしたのがよくなかったのか、駅に着くなり父はおなかの調子が悪いと言い出して、しばらく駅のトイレの前で待たされることになったのだった。自分が寒いのと早く帰りたいのと父が心配なのとで複雑な気持ちで夕暮れの駅のホームに立っていたことを、ここまで来るあいだに思い出した。人間、何気なく歩いてても自然とこういう記憶が再生されてしまうんだから、やっぱり次々クリーニングしなきゃならないんだと思う。
今日は超近眼の娘と来た。

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ここのお寺はお参りのときに真言を唱えなきゃいけないらしくて、お賽銭箱の横の柱に真言を書いた紙が張り付けてあるのだけれど、いつも一発で覚えられなくて困る。でも友達のオペの成功と眼病平癒と、娘の近眼がよくなるように祈った。
そしていつもお参りはあっという間に終わってしまって、ほんのわずかの間ぼうっと立ってあたりを見回していたら、そのわずかな間にも近所の人たち(子供から大人まで)が次々とやってきてはお参りをしていくあたり、ここは地元のひとたちに愛されているお寺みたいです。
来た道とは違う、この鳥居を出て中野方面に向かう商店街がいろんなお店があってなかなか楽しいのだけれど、今日は時間がないので回れ右して帰った。
今度こそオペが無事に終わったら、またお礼参りに来よう。
そしてあのジェラート屋にも行って記憶をあたらしく上書きするんだ。
夜は娘の3日遅れのバースデー・パーティ。

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青文字の花

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朝、青文字がひらいてきました。
くちゃくちゃにたたまれた和紙をひろげたような、どこか苺の花にも似た花。
立春の今日、朝から暖かな陽射し。

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2019年2月 3日 (日)

青文字とネコヤナギ、角りわこさんの花入れ

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ときどき、ほんとに滅多にないことだけど、何かを見た瞬間、わっとこころが踊って、目が釘付けになって、離れなくなってしまうことがある。そのころ毎朝のように見ていたわざわざさんのブログに角りわこさんの『白釉銀彩花入れ』がアップされたときがそれだった。
そのころとくに花入れがほしかったわけでもないのに。
それは、なんていうんだろう・・・・・・。
『花入れ』なんていう日常の器を超えた凛とした存在感があって、花が何も入ってなくても絵になって、絵画に描かれるような・・・・・・。まさしくアートだと思った。
どっしりしていながら銀彩に施された線描が軽やかに繊細で、黒土の透けるマットな白釉に、銀いろが鈍く光っているところがなんとも素敵で、一発で「これほしい!」と思った。
でも、この花入れにはいくつか形違いって、大きさ違いのバリエーションがあり、おまけにそれはわたしには少々高価でもあって、どれにしようか迷っているあいだに、例によってひとつ、またひとつと売れていった。そしてついにわたしがこれにしよう、と決めてカートに入れたとき、それはたしかにまだあったのだけれど、マイページにログインしようとしたら何故か何回やってもパスワードが入らなくて、やっと入ったと思ったときにはもうすでに売り切れていた。いつもだったらそんなとき、もともとわたしには高価だったんだし、とあきらめるところを、なぜかそのときはあきらめきれなくて、ダメもとでわざわざさんにメールを送ったら、しばらくしてわざわざさんの旦那さんと思われる方から、とても丁寧な返事が返ってきた。なんと作家さんに問い合わせてくださったら、形状は違うけれど手元に残っている白釉銀彩花入れの最後の数点をサイトに入荷してくれることになったというのだ。そして翌日には画像付きのメールが送られてきて、その中から選んだひとつを無事に送っていただけたというわけ。その間のメールのやりとりが実に実直かつ誠実で、これは朝倉摂さんにも感じたことだけど、わざわざさんがあんなに自由に(やんちゃに)羽ばたけるのもこの実直な旦那さんあってのことなんだなあ、と妙に感心してしまったのでした。
そして、この花入れを手に入れた後だったか、どこかで読んだ水上勉(この作家は母が好きだった)の文章の中にあった、『形も色も独自で一見して洋風な線描画も陶のもつ東洋の地風を滲みでていて、まことの味が深い』という一文にも共感した。そう、わたしはまったくの和風より、洋風なのが好きなんだ、と。
それからすぐにこのとくべつな花入れに最初に何をいけようかと考えて、バンクシャとスモークツリーを買ってみたけど、なんだかピンとこなかった。渋くてかっこよくはあるけどこれじゃない。もっとさりげなく日本の景色になじむもので、もっと瑞々しいもの。
この花入れを買ったのはおととしの6月だから、もちろんこれまでに何度も出番はあったのだけれど、これまででいちばんピンときたのがこれだった。
おととい娘の誕生日に花を買ってラッピングしてもらうあいだに目についたこれ。
「これもください」といってカウンターに持って行って、「これはなんの枝ですか?」と訊いたら、店員さん、「青文字です」って。
黒文字は知ってるけど、青文字ってのがあるんだ。
・・・・・・・ というわけで、青文字とネコヤナギ。

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どうでしょう? 
わたしはとても気に入りました。
ネコヤナギの銀いろのふわふわが花入れの銀彩とよくあって、青文字の瑞々しさもイメージ通りです。この緑の粒粒したのはみんなつぼみだったらしくて、暖かい部屋に生けたらすぐにほころびはじめました。

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そして、こんな枝ものをいけただけで部屋の空気ががらりと変わったのに驚きました。つまり生きたエネルギーが部屋に放たれたということ。
角りわこさんの花入れに使われているのは本物の銀だから、ほっておくと黒くなってくるのです。その経年したいぶし銀もいい、とわざわざさんはいうんだけれど、わたしは銀いろに光ってるのが好きだから、今回もよく磨いてから使いました。
その花入れに花をいけたらとくべつな時間に流れができた。

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わたしたちみんな、旅の途中。

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2019年2月 2日 (土)

2月の食卓 ***

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食卓に花がある。
それだけでいつもとちがう朝。
「人間は花だけじゃ生きられないんですから」って、昔よく母にいわれた。若かったころ、小さな花の一束がほしくて男の人についてっちゃった女の子を知ってる。すごくバカだけど、それってある意味、詩だなと思う。結婚したてのころ、これからは食卓に花を絶やさないようにしようと思ったわたしは実に浅はかでした。友達のマリコは、まだ小さかった娘に「ママ、花買って」といわれるたびに「そんなにお花ばっかり買ってられません。うちは女優さんのおうちじゃないんだから」といってた。はい、ごもっともです。でも、1年でいちばんおひさまの光が少ない2月は食卓に花を絶やさないようにしたいって、毎年思う。
といって、なぜか自分の誕生月はきまっていつもプアなんですけど。

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2019年2月 1日 (金)

2月、とくべつな時間のはじまり

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今年もとくべつな時間がはじまった。
今日、娘の誕生日。
でも今日は息子の帰りが遅いから、バースデ・パーティは数日後の夜にやることになった。それでバースデー・ケーキくらい今日買いに行こうと思ったら、息子が「えーっ?!」っていうので、それもおあずけ。当日になんにもしないのはかわいそうだから、ランチにでかけた。ポサーダ・デル・ソルへ。近所にお気に入りのレストランがあるっていい。
でも店に行くといつになくシェフの元気がなくて、なんでかと思ったらこの東京の2月の寒さのせいらしい。メキシコは寒いときってないの? と訊いたら、ある、って。最近は雪の降るところもあるらしい。でも、こんな寒さじゃないって。東京っ子のわたしからしたら、今年は寒いって言ってもかなり暖冬だと思うけどなあ、雪もまだたいして降らないし。と思うけど、そりゃメキシコ人にとってツライのは当たり前だ。生粋の東京っ子の友達なんか言ってる。東京に住めればどこにでも住める、って。夏は死ぬほど蒸し暑いし、冬だってむちゃくちゃ寒い。でも東京、桜が咲くころまでまだまだ寒いよ、といったら、でも、この寒さとは違うって。
秋山さんは、そうきちには悪いけど俺のカレンダーから2月を無くしてほしいっていってたし、っこのマスターはまだ風邪が治らないっていうし、よっぽどこの2月の寒さがこたえるだなあ、と思った。わたしはどうかといったら、2月生まれだから寒さには強いし冬が苦手なわけでもない。わたしが冬が嫌いだなんてどうして言えたんだろう。むしろわたしが1番苦手なのは春で、ただわたしは冬より夏のほうが好きなだけ。すこしでも長く夏のひかりの中にいたいだけだ。だからこの太陽の住処も好き。
さて、サラダとビーフのスープにつづいて出てきた今日の日替わりランチは、トルティーヤのサンドにメキシカンライスでした。

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サルサソースのかかったトルティーヤの中身はチキン。わたしの好きな豆のペーストも入ってる。娘曰く、これって、中華でいうと餃子とチャーハンみたいな感じじゃない? 炭水化物ばっかりで、って、なるほど。たしかにそうかもしれない。でもいいんじゃなかろうか、おいしければ。そしてラストの黒砂糖とシナモンの入ったメキシカンコーヒーに娘はトルティージャ(メキシコ風クリームブリュレ)、わたしはチーズケーキをいただいた。
いつもこのメキシカンコーヒーを飲むとホッとするのです。
珈琲としてはかなり薄いんだけどあったまる。
(で、もっと大きなカップでいっぱい飲みたいと思う。)

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それから花を買いに行った。
小さなバースデ・ブーケ。
今日、娘が、わたしが初めて子供を産んだ歳になりました。
時のたつのって、あっという間です。
でもまだまだいろいろあるし、人生は長い。
幻の蝶を追いかけて、それで人生終われるならそれでいいと思うわたしです。

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