season colors

2017年3月16日 (木)

申し送り

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土曜日、妹は午前中仕事をしてから家を出るので、歩くのが遅い父を連れてじゃ気が急くだろうと、一足早くわたしが父を連れて出ることにした。
妹とはすでにそういう話になっていたけど、父には直接顔を合わせてそう言わないことにはわかってもらえない気がしたから夕方、申し送りのために実家に行った。
いつもカギのかかってない玄関のドアをあけて「こんにちは!」というと、父はわたしが来ることを知らなかったのか、ちょっと意外そうな顔をして、それからうれしそうに笑った。
父が笑うとほっとする。
眠ってる小さなこどもの姿は天使みたいだけど、にこにこしている年寄りも天使みたいだといつも思う。両者はたぶん、そう遠くないところにいる。

土曜から留守にするからどうしようか迷ったけれど、明日からお彼岸だしと花を買ってきて正解だった。
母の仏壇の花はすっかり萎れて干からびていた。
以前、仏壇の花を買ってくるのは父の役割で、父はそれを楽しみのひとつにしているからと妹に聞いていた。でも最近は父のボケが進んで、いくら言ってもおなじものばかり買ってきてしまうことからどうやらおこずかいを減らされたらしく、それに週3日デイサービスに通っていることもあって、前ほど花を買えなくなったらしい。
花を活け替えて、近所の和菓子屋で買ってきた打ち菓子もお供えしてお線香をあげた。

父はいつものように大きな音でテレビをつけていてうるさかったけれど、それに負けないような声ではっきりとゆっくりと土曜日のことを説明する。
父はわたしの顔を見ながらしっかり聞いていたからそれでわかってくれたかと思ったら、わたしが話し終わると「じゃあ、土曜日はここから3人で行くんだね?」と平然とした顔で訊く。
いや、だからそうじゃなくってさ、と言いながら、こんどは近くにあった紙に大きく字を書きながら説明したら、ようやくわかってくれたようだった。
それをカレンダーの18日のところに貼る。
そしていつものように父は、おとうさんはこれまでいろいろなところに行ったけど、四国にも東北にも北海道にも行ったけど、それに奈良にも沖縄にも行ったけど、京都にだけはまだ行ったことがないからさ、と話しはじめた。
「泊まるのは一泊でしょ?」というから、「2泊だよ!」といったら「へえ」と驚く。
これもきっと妹が何度も話したのだと思うけど。
しまいにはまたいいかげん聞き飽きたいつもの話になって、むかしの嫌なこと、最後に勤めた不動産屋の社長がどれだけケチで嫌な男だったかを顔をしかめて感情こめて話しはじめたから、「おとうさん、しつっこい。それにいつまでも恨みがましい。せっかく滅多に行けない京都にみんなして行くんだから、もっと楽しい話しようよ。まさか京都に行ってまでそんなつまらない話、しないでね。楽しい話ならいいけど」とわたしが言うと、父は「それはそうだ。京都に行ってまでそんな話はしない」と、妙にまじめくさった顔で言う。
でもやっぱり、行ったらはじまるんだろうなあ、いつものが。
それが病気というものだからしかたがないけど、父がいつものをはじめたらさっさと話を逸らしてしまうことにしよう。とにかく少しでも長く楽しい時間の中にいられるように。

数年前、肝臓がんのオペの後だったか、父は冥途の土産に京都に行きたいと言った。自分でそう言ったこともいまでは忘れてしまったみたいだけれど、これが家族一緒に行ける最後の遠出になることは間違いないだろう。
万一、またあるならあるでそれはいいけど。
帰りもまた母の仏壇にお線香をあげてしっかり拝む。
仏壇の奥で母はいつもの顔で笑っている。
帰りは近所の氏神さまにもお参りして帰った。

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2017年3月11日 (土)

Spring ephemeral **

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春の曖昧で淡い色とか光の粒子とか微かに粟立つ感情とか懐かしい君の瞳の虹彩とか長いお別れとか戻らない日々とか冷たい指先とか闇の領分を占める甘く濃密な沈丁花の香りとか・・・・・・
そんなもののすべて。

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2017年3月 6日 (月)

ついに来た花粉症

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空は灰いろ。
でも冬の澄んだグレーじゃなくて、黄味がかったちょっと薄汚れたみたいな春特有の濁った灰いろ。
見るからに花粉がいっぱい飛んでそうな。
先月末あたりから息子の花粉症がひどくなってきて、くしゃみ・鼻水・頭痛・肌荒れ。
わたしも滅多にできない赤いブツブツが頬にポツポツできて、外から帰ってくると喉の奥ががイガイガする。昨夜は布団に入ってから咳がでた。
それで今朝は珈琲をやめて、先日友達にもらったハーブティーをいれた。
エキナセアレモン。
とくべつハーブティーが好きなわけじゃないけど、これはレモンの風味で飲みやすい。ほのかな苦みが春の身体に効きそうで。
吉次さんのコップはクリスタル製で、ちょうど持つところが分厚いから温かいハーブティーを入れても手が熱くならないのがいい。

このごろやたらと近所でカラスの鳴き声がうるさいと思ったら、見上げた樹の枝にカラスの巣がふたつもできているのを発見。
春だって風もつよいし冷たい雨も降るのに、カラスたちは冬のあいだも一晩中こんなところで寝てたのかな、と思う。

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2017年3月 3日 (金)

ひなまつり

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毎年、一月は行く、二月は逃げるでバタバタと過ぎて、はっと気がつくともう三月で、いつもぎりぎりになってお雛さまを飾るのだけど、今年はちゃんと二月のうちに飾りました。直前に三彩さんの一輪挿しを手に入れたのもよかった。意識が和の花である桃の花にフォーカスされて。

今年の室礼はトラネコボンボンさんの絵とのコラボレーションで和様折衷。
でもトラネコボンボンさんの絵が持つ調和の保たれた静けさが不思議と日本の古い人形ともしっくりきて、自分としてはとても気に入っています。
自分が美しいと思えばもうなんでもありです。

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母がわたしの娘のために親友に頼んで作ってもらったこの木目込み人形は肌が内側から発光するように白くて、いつも写真に撮るのに難義するのだけれど、今年はこの絵のおかげで構図的には決まりました。露出を変えると、くっきりしたコントラストの中に絵に施されたわずかな金彩が生えて美しい。

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人形というものがおしなべて苦手なわたしですが、このお雛さまはほんとうに好きです。制作者である母の親友はいまでもご健在であられるのかどうか、気になるところでもあって、まだお元気でいらっしゃるなら気持ちを伝えたいところですが。
そして、いまは亡き木彫り作家のあらいみえこさんの『桜の花雛』。

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いつ見ても楚々として清らかで、色っぽい。
こんなちいさな木片なのに、この表現力。
彫った人のエッセンスが凝縮された世界。
木目込み人形は娘のだからお嫁に行くとき持って行ってもらうけど、この桜の花雛はわたしのです。わたしにはこんなちいさいのでちょうどいい。
でも来年あたり硝子のお雛さまを買うかもしれない。
ほしいのをみつけてあるんです。
それからこれも・・・・・・

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まだSNSなんてものがなくてブログ全盛だったころに仲良くなかったangelseedさんのくるみの豆雛。
割ったくるみの殻の片割れに乗るほどのちいさな豆雛の作りの細かさ。
なんと手先の器用なことか。

そして今回お雛さまにいい感じで花を添えてくれたのは陶芸家・駒ヶ嶺三彩さんの梅のかたちの一輪挿し。
まるで鉄みたいに見える硬質の陶器で、娘曰く「神社にあるのみたい」だそうだけれど、ある種それも頷けるような普遍的な日本的な趣きを持った精巧なつくりの一輪挿しです。

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和の花があうのはもちろんだけど、道端のたんぽぽや、洋花を一輪さしても意外と絵になるんじゃないかと思う。

子どもの頃から母親に『西洋かぶれ』といわれつづけて、いまでもフランス窓のある家に住みたいとか思うわたしですけど、和の持つ静かな世界観も、様式美も、それを彩る和花も好きです。
子どもがいなかったらこれほどじゃなかったかもしれないけれど、四季のある日本に生まれて、季節ごとに意味のある色彩豊かな行事をこれからも味わって、たのしんでいきたいと思うのです。

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2017年2月25日 (土)

寒緋桜と河津桜 *

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このあいだ日の暮れに娘と散歩していたら、春の蒼い夜に遠目にもぼおっと灯るように紅く見えて、いつの間にか桜が咲きはじめていたのに気づいた。
早咲きの寒緋桜と河津桜。
今年は年明け早々2ヶ月つづきでストレスつづきだったから、桜のことなんてすっかり頭から抜けてしまっていた。
誰が見ていなくたって季節が廻れば咲く時を知る花のたしかさ。
それは不安定で不確かな人間とはまるでちがう。

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遊歩道に植えられた何本もの桜のなかで、毎年この2本だけがまだ寒いうちに先頭を切って咲く。遠目にはもうほとんど赤みたいに見える濃い色の寒緋桜。
この樹が満開になるといつも様々な鳥が飛んできて蜜を吸う。
それから、寒緋桜ほど濃くはないけど、ソメイヨシノにくらべたらやっぱりずっとピンクの色が濃い河津桜。
花色が濃いせいでこんな曇天でも背景に沈まずになんとか撮れる。
毎年訪れる、プール帰りのわずかな花見時間。

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今日は近所の花屋に寄って桃の花を買って帰った。
このあたりでは昔からあるこの花屋の年配の店主が素晴らしくて、彼女はいつもとくべつに穏やかな空気をまとっていて、人と話すとき、お金をうけとるとき、かならず人の目を見てやさしく微笑しながらうけこたえをする。そのものやわらかな雰囲気はほかの人には滅多に感じないもので、それは「こんなふうに年をとれるなら年をとるのも悪くない」とわたしに思わせるようなものだ。
電車の中でよく見かける若くてきれいだけれど仏頂面をしたぞんざいな態度の女と、年はとっても品があって笑顔がやさしい素敵な女となら、わたしなら間違いなく後者のほうがいい。それがグッドエイジングってこと。ヨーロッパではもうとっくにエイジド、といって、年を重ねた女の美しさに注目が高まっているのに、この国はいつまで『若いことが全て』でいくのかしらねえ、まったく幼稚だよ、と息子と話す。
花屋の店主は花を買うといつも一言添えてくれるのだけど、今日は「もし、これからとても乾いたお部屋に入られるのなら、枝についた硬いつぼみに霧吹きをかけてからいけられると、硬いつぼみもふっくらしてきますよ」だった。
そのとおりにしてみたら、紫色に青ざめて縮こまったみたいだった硬いつぼみがふわっとしてきてピンクがのってきた。
素晴らしい。

まだ20代のはじめのころ、「いつか、髪が真っ白になったらピンクを着るの。そのときまでピンクは着ないでとっておく」といったYちゃんは今頃どうしてるかな。

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2017年2月24日 (金)

2017.02.24.AM 06:40.Morning sky.

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日の出がだいぶ早くなってきた。
今朝の日の出は6時18分、ちょうどわたしが布団からやっと抜けだしたころらしい。
でも、ベランダに出るとあいにく空は分厚い雲に覆われていて、太陽はどこにも見えない。見上げると空の高いところに幾層もの雲が重なりあっていて、微妙にちがう色の雲が織りなす空が美しかった。
写真は朝6時40分の空。
自分の目で見る空の美しさの半分も撮れてない。
それからアマテラスオオミカミをして、窓を開け放ってひたすら掃除。
26日の日食新月に向けて。

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2017年2月23日 (木)

鳥は何を?

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最近は早起きするためにできるだけ早く寝るようにしているのだけれど、昨夜はいろいろあって寝たのは2時だった。
朝、目覚ましのアラームが鳴って30分も過ぎてからやっとのことで起き、カーテンをあけてふと見たら、お隣のベランダのフェンスにヒヨドリ。
そおっと足音を偲ばせて近寄ってカメラを構えたけど、いつもなら人の気配ですぐに飛び立ってしまうのに、このヒヨ、何やら前方をじぃっと見つめたまま物思いにでも耽っているかのようにぼおっとしている。
部屋にカメラを置きに行って、それからいつものようにアマテラスオオミカミをして終わってもいなくならない。
今朝は飛蚊症もいちだんとひどくて、頭も重かったからそれからソルフェジオチューナー528を鳴らして身体の調整を試み、ベランダの死にそうなバラにも聞かせ、ヒヨドリにも聞かせてみたら、周波数を察知したのか、それまでじっと前を見ていたヒヨドリがしきりに首を傾げはじめた。
すると前方から仲間が飛来してきて、ヒヨドリは嘴を大きくあけて鋭く2回鳴いた。
いったいその小さな身体のどこにそんな大きな声が隠れていたの、ってくらいに。
わたしが七田眞の右脳開発に興味を持ったのは、右脳がひらかれると猫や犬や鳥や植物の言っていることがわかって、会話できるようになるということだった。
そんなことが日常的にできたらいいだろうな。
そんなことができたらわたしは人と会話するより彼らと話すことを選ぶんじゃないだろうか。ときどき、もうとうぶん誰とも会いたくないし、誰とも口をきかずに黙っていたい、と思うときがある。
いつだって口は災いの元だから。

日の暮れに疲れ果ててコンピュータの前から離れて、宇宙人みたいな歯科医から最近また『1日20分以上ゆっくり歩くこと』というあらたなミッションをもらった娘と散歩に出かけた。ちょっと先にある中央公園までゆっくり歩きはじめたら、ふいにまた風が強くなってきて、またしても春の嵐の様相。
春独特の青い夜空に裸木の細い枝が繊細に揺れてうつくしく、夜の林の中を轟々たる風の音を聞きながら髪をなぶられるままに「ああ、タンゴが聴きたい」と思った。
いつも書いているけど春はタンゴ。
あの鮮烈にして優雅な破壊力。
家に帰ってフェデリコ・ヴァジェホスのソロ・アルバムを聴いた。
ブエノスアイレス午前零時、ミロンガ・アズール、アディオス・ノニーノ、天使のミロンガ・・・・・・
馬鹿みたいに指で机を叩きながら頭を振って。

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2017年2月21日 (火)

3月のライオン来たる。

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昨夜はおっそろしい風だった。
去年の春はめずらしく強風が吹かなかったと思ったら、今年は2月のうちにもう3月のライオンがやって来たのかな。
それにしても激しい風の音って、どうしてあんなにも人の神経を逆撫でするんだろう。恐怖映画では問題の夜はいつも暴風雨。
外ではその風に負けじと猫たちが「ニャアアアアーーーオ、アアアアーオ、ウワァーアアアーオ!!!」と叫びまくっていてうるさいくらいだった。やっぱり風の日は猫も血が騒ぐのかな?
春が穏やかで平和なのってよく晴れた日の日だまりくらいで、春はいつもどこか不穏で不安定で、ちょっとグロテスク。
わたしにとって春ってそういう季節。
う、う、う、生まれる~~! ・・・・・・ みたいな。
何が生まれるかはわからない。

本日、母の祥月命日。
あの日は西高東低のよく晴れた朝で、空が虚しくなるほど青くてきれいだった。
きっと死ぬまで今日の空を忘れないだろうと思ったけれど、きっと死ぬまで忘れないんだろう。
あれから17年。
父も年をとったし、わたしも妹も年をとった。
去年の前半は他人の家族や自分の家族、友人のことなんかでずっと死について考えていたけど、今年は終いについて考えている。
生きている間は生と死のコントラストははっきりしているけれど、だんだん年をとるごとにそれも曖昧になっていって、いつか自然に消え入るように向こうにいけたらいいね。願わくはディック・ブルーナさんみたいに。

仕事を終えたら今日はお墓参りに行くつもりだったけど午後になってあきらめた。
今日も風がとても強くて。

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2017年2月17日 (金)

春一番 ***

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ベランダでは一年中ラフィアの帽子をかぶってる。
これ以上紫外線にやられてシミ・ソバカスを増やしたくないから。
でも今日は春一番が吹いて外はすごい強風だから、頭がボーボーになるのが嫌でマチュアーハの帽子をかぶって、「ほら! もう夏だよ!」なんて息子にいっている。
まだ2月なのに。
でも昔っから2月も半ばを過ぎると綿の入った通称『相撲コート』の下はいきおい半袖のアロハだったりして、わたしが2月から夏だ夏だと騒ぐのはいまにはじまったことじゃないか、と思う。それに実際、最近の異常気象ときたら、ついこのあいだまでストーブつけて寒い寒いといってたと思ったらもうクーラーつけて暑い暑いか、と思うほど季節の廻りかたも気温の寒暖差も激しいから、冬が終わった途端もう夏だというのもあながち極端ではないのかも。

外にでると大気はむわん、と暖かい。
最高気温21度の今日ばかりは2月で薄着でもちっとも寒くない。
お昼の買いものに行ったついでに和菓子屋に寄って、桜餅と道明寺と花見饅頭のどれにしようか散々迷って店のおばさんに笑われた。
家に帰ると即座に目がチカチカして鼻の奥がムズムズして思わず、くしゃみ!
さっそく花粉をお見舞いされた。

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2017年2月11日 (土)

押し花、パルマすみれと月食満月 *

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いつだったか深夜のJAZZバーで、わたしが子どもだったころは子どもの小学校の入学祝に百科事典を送るのがブームだった、という話をしたら、そこにいたわたしより一世代上の男性たちから、たしかにそうだった、百科事典なんてのもいまじゃあんまり見かけなくなったけど、懐かしいね、という反応が返ってきた。
でも彼らは一様に、分厚い百科事典を親にねだって一冊買ってもらうのがやっとで、わたしが10巻以上揃った百科事典を本棚にずらっと並べていたというと、そりゃずいぶんお金持ちの家だね、なんていうのだった。
でも、わたしの家はお金持ちでもなんでもなくて、ただ単に母は6人きょうだいのいちばん上の長女で、下はぜんぶ弟で、わたしにとっては叔父であるその弟たちがみんな社会人になってバリバリ働きはじめたころに最初の子ども(祖母にとっては初孫)であるわたしが生まれたから、小学校の入学祝いが豪華だったというだけの話なんである。
そして、それはまったくもってわたしには猫に小判のようなしろものであった。
わたしが熱心に見たのは植物図鑑と動物図鑑と人体図鑑くらいで、あとはほとんど開いてもみなかったんじゃなかろうか。
なかでも一番よく眺めたのは植物図鑑で、巻末にある五十音順の索引を、頭からぜんぶ暗記しようと試みたくらいだった。わたしは母に『鉄砲玉』と呼ばれるとおり、いったん家を出たら一日原っぱで遊んでいるような子どもだったからである。外で自分が目にする植物の名前がぜんぶわかるようになりたかった。
そのころ仲の良かった友達というのも、クラスのみんなから『ハカセ』と呼ばれる植物と生きものにやたらと詳しい、いまでいうところの眼鏡男子だった。
そんなわけで、あの立派な百科事典がその後どういう末路をたどったかはいまとなってはまったく記憶にないけれど、開いても見ない事典の多くは、よく押し花をつくるのに使用された。原っぱでとってきた、子どもの自分としてはめずらしい、きれいな植物を残しておくために。
押し花なんて地味だけど、いまでもなかなかかわいらしい趣味だと思う。

誕生日に娘にもらった花がだめになってきたので、そんな昔を思い出して今日ひさしぶりに押し花をつくることにした。
わたしの愛用品、和紙のレターペーパーで絞りのラナンキュラスを丁寧に挟んで、親友マリコにもらった分厚い『辞林』に挟んでさらにその上に本を積み上げた。
最初はどれくらい置いた後にひろげてみるんだったっけ?
挟んだ紙はその都度とりかえるんだったよね?
きれいにできたら紙に貼って、コラージュでもつくってみようか。
そんなイマジネーションにひたるのが好き。
いつでもひとり遊びは好き。

先週行けなかったから今日、2週間ぶりのプール。
帰りにパンダ目で花屋に寄って、予約していたパルマすみれをうけとった。
明日までコトリ花店ではこの時期恒例の『すみれの花の砂糖ずけ』というイベントをやっています。

本日、月食満月。
ここからわたしはひたすら断捨離です。
物理的にも、精神的にも。

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