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2019年1月 7日 (月)

七草粥

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前にもこれとほぼおなじような写真を撮ったことがある。
毎年この時期になると春の七草を摘んでパック詰めしているひとたちがいるんだなあと思って、ちょっとその姿を想像してみたりする。
うちの父は不動産屋だったからいつも七草まで休みで、ふだんは仕事が忙しくて夕飯にもほとんどいないような父が暮れからお正月にかけては毎日家にいて大掃除を手伝ったり、大きな伸し餅を包丁で切り分けたりしているのを見るのは子どもながらに面白かった。母は父方の家ではお正月にお雑煮を作るのは男のならわしと祖父から聞いたと言っていたけど、一度でも父がお雑煮を作ったことがあったのかなかったのか、作ったことがあるとしてどんなお雑煮だったのか、すっかり忘れてしまった。母はいつだって怒りんぼうの小言幸兵衛さんだったから、父が家にいるのは年じゅう叱られてばかりいる子どもとしては味方がいるようで心強く、松の内明けともなると、ああ、また学校かあ、というのと、ああ、また家に帰るとおかあさんしかいないのかあ、というので、ちょっと憂鬱だった。うちでは7日に七草粥など食べなかったけれど。せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。春の七草はごろがいいから言えるけれど、秋の七草はわたし言えません。
そんな今日7日の朝ごはんは七草粥にお漬物、娘が買ってきた苺に3年番茶。
1月5日は苺の日だというけれど、風水的には苺にははじまりの気があって、物事のはじまりのタイミングで食べるといいそうだ。いつもは珈琲のことばっかり考えてるわたしだけれど、朝いちばんに三年番茶を沸かすと、立ちのぼる香りはきりっとして大気を浄化してくれるようで、背筋もしゃんとするようで、好き。

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我が家の新月の花はベランダから摘んできたボレロ。
冬のボレロは外側の花びらがグリーンがかって、内側はアプリコットピンクになってきれい。天気のいい冬の朝は部屋じゅうに虹が飛ぶ。

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2019年1月 3日 (木)

Winter Sky **

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お正月をやらない我が家は元旦と昨日の朝お雑煮を食べた以外は通常通りです。
今朝の朝ごはんはクリームチーズ入りかぼちゃのサラダにレタスとラディッシュのスプラウトを添えて。それに、はちみつバタートーストに珈琲。
いつもとちがうのは食事をして家事を終えたら自由時間になることで、今日も娘と一緒に元旦とおなじコースを歩いた。緑道を歩いて隣の駅まで。駅前の365日24時間やってるスーパー・マーケットで食材を買って帰る。ただそれだけなんだけど、往復1時間弱程度で散歩するにはちょうどいい。今日は駅前のパン屋さんもひらいてて、明日の朝のパンも買ってきた。
緑道は文字通り、緑があるのはいいけれど、それ以外は何もないから見飽きた景色ばかりでつまらない。それにくらべて鎌倉は毎日散歩する場所に事欠かない、どこをどう歩いても楽しそうな町だった。特に歩いて海まで行けるのはなんて素敵なんだろう。
師走のいっとき、北風が吹き荒れて急激に寒くなったときがあって、年末年始は寒波がくるといわれていたけど、蓋をあけたら毎日穏やかな晴天がつづいていてありがたい。けど今日は、風もなく思いのほか暖かかった元旦とくらべたら風もあって、外はだいぶ寒かった。北風が吹くたび、抜けるような青空に枯れ葉が引きちぎられるように舞ってうつくしかった。いつもこういう冬空を見るとスピッツの『あまりに青い空の下/もう二度と君を離さない』っていう『けもの道』の歌詞を思いだすんだけど、帰り道のまんなかでひしと抱き合ってベタベタしている(邪魔な)若いカップルがいて、二人の横を非常に現実的な話をあかるく快活にしながら通り過ぎて200メートルあたり行ったところで娘が「さっきくっついてる人いたね?」というから、懐かしの佐良直美の歌を歌ったら「何それ」っていう。「大昔に流行った『世界はふたりのために』っていう歌謡曲。まさしくこうゆう世界。ある種トランスだね。この冷たい北風ももろともせず、他人の視線もまったく目に入らない。Love is blind。でもそれよか健やかな我々はお腹がすいたね」といって北風に追われるように帰り道を急いだ。
休日もあと3日。
これからいよいよ本格的な寒さが来るのかなあ。

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2019年1月 1日 (火)

あたらしい年、あたらしいひかり。

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2019年が明けた。
日の出は午前6時50分過ぎ。
最初は灰色の雲の層の中にあってなかなか顔をださなかっただ太陽だけど、ひとたび顔をだして昇りはじめたらぐんぐん大きくなって、その光のパワーたるや ・・・
ふつうに夜が明けて朝日が昇る、あたりまえのようでありながらただそれだけのことが何よりありがたい、あたらしい一年のはじまり。
去年にひきつづき今年も自分の身体に向きあう年になるだろう。
正しい姿勢と動きを身につけ、身体を機能させること。
身体が整えばおのずと頭やこころもよくなるだろう。
やわらかい身体に、やわらかなこころ。
毎日つづけるウォークマットと足の指ひねり瞑想。
それからできるだけ毎日30分以上歩くこと。
歩くことは身体のためだけじゃなく頭をクリアーにしてくれるから。
そして今年こそ朝方にシフトできるだろうか???
・・・・・・ でも、どれも気負わない。
気負うとろくなことないから。
2019年は自分を創造し直す年だそうだ。
古い価値観や習慣を手放して、あたらしい自分を築くこと。
何かを取捨選択するにも損得を計算したり頭で考えるのじゃなく、自分を信じて直観のまま決断して実行すること。
それは言うほど簡単じゃない。
それにはできるだけ自分をクリアーにしておかないと。
元旦。
とくべつなことは何もしないけど、毎年かわりばえのしないお雑煮をつくった。
かわりばえのしないことの8割くらいにしあわせの種が隠れてると思って。

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2018年12月29日 (土)

穴八幡宮へ

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実家が一陽来復のお札を貼るようになったのはいつからだろう。
母がいるときからだったからもうずいぶん前からだ。
そして、わたしが世帯主になったころかな。
我が家の経済事情を案じてか、暮れになるといつも父がうちの分まで買って来てくれるようになった。一陽来復のお札をお祭りする機会は3回あって、冬至、大晦日、節分の午前O時ぴったりに恵方に向けて、反対の柱か壁のできるだけ高いところに剥がれないようにしっかり貼りつける。お正月2日に実家に行くと、ちゃんと貼ったか父によく訊かれたものだ。
晩年の父とは何度も穴八幡宮に行ったけれど、わたしはとりたててお札がほしいわけではなかった。暮れの寒い時期に年寄りをひとりで出かけさせるのがしのびなかったというののもあるし、お札にかこつけて散歩がてら父とでかけて、しばらく時間を共有したり、帰りに何か温かいものでも食べて帰ろうというくらいのことだった。
たいてい行きはバスで行って、帰りはゆっくり歩いて帰ってくる。
駅から穴八幡まで、歩くとけっこうあるから、いま思えば父もずいぶん歩けた時期があったんだなと思う。一昨年は帰りに父が途中でバテて、帰りもバスに乗ったような気がする。去年はもう行けなかった。そして今年、ここに来れば父に会えるような気がした。変な言いかただけど。

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今年は仕事が休みの娘を誘って出かけた。
風はすごくつめたかったけど晴れていたから行きも帰りも歩いて行った。
わたしたちは歩くのがとても早くて、これくらいの往復歩くのはなんてことなかった。
これまではずっといっこうに進まない父と一緒だったから、今日はいつもの半分くらいの時間に感じた。前に父と行って寒い北風のなか長蛇の列を延々並んだことがあったから今日もそうなるかと思ったけれど、境内に入ると意外にもぜんぜん混んでなくて、並ばずにあっさりお札を買うことができた。今年は妹の分と、ふたつ。
それから八幡宮さまをお参りして、さらに金運がよくなるように境内の布袋さまもお参りして、布袋さんのまるまるしたほっぺたやおでこやおなかやふっくらした手を撫でて、これで来年の金運はばっちしだ! といって神社を出た。

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思えば数年ぶりに一陽来復をお祭りしなかったせいだからかなんだか、今年はひたすらお金がでていくいっぽうのプアな年だった。けして欲張るつもりはないけど、来年はもうすこし余裕のある年になることを金銀融通の神さまにお願いしたい。
でも何はともあれ、今年もこうしてここに来られただけで感謝・感謝なのです。
ここに来るまでのあいだにとってもおいしい鯛焼き屋さんがあって、行きはそこに寄って鯛焼きを食べた。いままで知らなかったけど店には2階にゆっくりできるイート・イン・スペースがあって、娘が「暑い」といって思わずコートを脱いだほど暖かなのだった。いいとこ見つけた。また行こう。
鳴門鯛焼本舗の鯛焼きは薄めの皮がパリッと芳ばしく焼けてて、たっぷり入った自然な甘みの小豆がなんともおいしい。これ、焼き立てを父にも食べさせたかったなと思う。もっともここの急な階段は父には無理だろうけど。
ここではコーヒーほか飲みものをオーダーして食べることもできるらしい。
鯛焼きとコーヒー、どら焼きとコーヒーって意外とあうから。
鯛焼きを食べさせるためだけにしつらえたとは思えない、古民家風の空間がなんとも贅沢でした。

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そして今日はお昼を食べる時間がなかったから帰りはベトナムの女の子に教えてもらったベトバルに行こうと思ったけれど、ちょうどランチタイム後のやってない時間だったからこのあいだみつけたお洒落なカフェで早めの夕飯を食べて帰ることにした。ちょうど今日は息子が夕飯いらないのをいいことに。
このカフェ、omotenashamoji (おもてなしゃもじ)というのだそうです。
自分の選んだ店に入ったとたん、一緒に行った友達に「そうきちが好きそうな店」といわれることがあるのだけれど、ここもそんな感じ。
まず店の雰囲気がいい、そして店員さんの感じがいい、でもってちゃんとしたごはんが食べられる店。それだけのことなんだけど意外となかなかない。
ここの店主なのかな、いらっしゃいませ! と第一声を発した男の人の笑顔がすごく感じよかった。お料理を運んできた女性も。
その omotenashamoji さんの、『しゃもじプレート』。
このハンドメイドの木のプレートにのってでてくる時点でもうわたし好みです。

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大根の葉ののったごはんに豚肉の生姜焼きにキャベツ、ほうれんそうのおひたしに三つ葉ののった餡かけ豆腐、大根おろしを添えただし巻き玉子、大根としめじのお味噌汁にひじきの煮物と、お出汁のジュレに入れたプチトマト。
味は昔の自分のようにふつうにお砂糖もお醤油も使ってる気持ち濃いめの味の和食。いまのわたしにはあと1割か2割薄味のほうがよかったけれど、よくいうとごはんが進む味でした。店内は明るくて広めの空間で、店の中にいるとここが高田馬場とは思えないほど。眠たくなるような退屈な、いかにも『ザ・女性JAZZヴォーカル』というような音楽がかかってるほかはよかった。
お腹いっぱいになって店をでると外はもう真っ暗で、通りの向こうに父が好きだった早稲田松竹が見えた。横断歩道を渡って入り口のドアの窓ガラスから中を覗いてみると、そこには思いがけなくレトロで上品な空間がひろがっていて、一度もここへ父と一緒に映画を観に来なかったことが悔やまれた。いつもそうだけれど、身近な大切な人が亡くなって思うのは自分の至らなさと身勝手さと狭量さばかりだ。なんでもっとあの人に時間と気持ちとお金を割けなかったのか、という。そう思って自分を責めてばかりでもしょうがないから、去年、奇跡的に京都に行けただけでもよかったかと思ってみるけど、あれだって実は遅かった。遅すぎた。ほんとうは父がもっと若くて元気で、自分の足で歩けて難なくなんでも食べることができて、あれが見たい、あそこに行きたいという気持ちがあるときに連れて行くべきだったのだ。なんとしても。だからもし、いまこれを見てくれている人にいま書いた条件を満たす親御さんがいて行きたいと望んでいるところがあるとしたら、そう遠からぬときにぜひ実現してほしいなと思う。それはきっと後々まで楽しかった記憶として親御さんのなかに残るだろうし、人のためにつかう気持ちや時間やお金は人のためじゃない、自分自身のためだから。
今日も早稲田松竹のショーウィンドーには父におあつらえ向きの古い邦画の2本立てのポスターが貼ってあって、父だったらぜったい観るだろうなと思った。
2本立てで一般1300円、学生1100円、シニア900円、安い!
ほんとに来りゃよかったよ。
娘に、いいのやってたらこんど観に来よう、といってその場を離れた。
父には会えたか。
会えたような気がする。
少なくともあちこちで父の面影が浮かんだ。
今年の一陽来復にはとくべつにご利益がありそうな気がする。
帰りに妹の部屋まで行って、ドアノブにお菓子とお札の入った袋をさげて帰った。

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2018年12月26日 (水)

ラナンキュラス・ラブ♡

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昨日、暗くなりかけてから散歩に行ってくる、とでかけた娘がしばらくして帰って来て、今日クリスマスだから、といって渡してくれたラナンキュラス。
風邪ひかないようにって、ニュージーランド産のマヌカハニーと、ドロップと。
それでわたしは北風のなか、しあわせな気持ちで元気に買いものに行きました。
町はもうすっかりクリスマスムードじゃなくなっていたけど。
昨日は硬い小さな蕾だったのが今日はこんなにきれいにふわふわとひらいて、いちばん驚いてるのは買ってきたひと。
そう、誰にだってこんな時間はあるよ。
最初は想像できなくてもね。
ラナンキュラス見てるとなんか、しあわせだなあ ・・・・・・

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2018年12月16日 (日)

百箇日

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父の死から今日で百日め。
3ヶ月と少しと思うと、まだそんなものかと思うけれど、1年の3分の1近くが過ぎたと思うと、もうそんなに経ったかと思う。人間の感覚はかように曖昧で、捉え難い。
でもさすがに100日も経つと、父がいなくなったことを忘れて無意識に父に何か言ったり、しようとしたりして、はっと気づいて動揺することもなくなった。
そうやって不在感はだんだん薄れていくのだと思う。
母のときとおなじように。

百箇日の今日は法要はしない代わりにお墓参りに行った。
最初はひとりで行くつもりだったけれど妹も一緒に行くというのでふたりで行った。
今朝起きたときは冬の陽が燦々と射しこんできて、(自分のことを)さすが晴れ女! と思った。父の口癖だった「今日は天気が良くてよかったな」という声が聞こえるようだった。でもそれも束の間、すぐに部屋の中が暗くなってきて、外に出たら雨がぽつぽつ降りだした。部屋に傘を取りに帰ったせいで、待ち合わせ時間にちょっと遅れてしまった。けっきょく、降ったのは駅まで行く間だけで、そのあとは使わなくてすんだのだけれど・・・・・・
冬のボーナスの時期だからか、今日もアウトレットパーク行きのバスは満杯で、でも師走の墓地はお墓参りの人も少なく、とても静かで、妹とふたり墓石を洗い、花瓶をきれいにして花をいけ、いつもはただの水を入れる湯呑に今日は持参した熱いお茶を注いだ。死ぬ前の数日はお茶どころか水さえ飲めずに苦しんだ父だから。
墓前にちょうどうまい具合にふたつ並んだ大きさの違う備前の湯呑を見たら、ああ、わたしはここにこうして置くためにこれを買ったのかと、不思議な気持ちになった。それから友達が送ってくれたいい匂いのするお線香をあげて、しばし拝んでおしまい。お墓参りって、いつも意外とあっけない。
父は母のお墓参りに来るといつもお線香をあげたあとけっこう長く拝んでいたけれど、あれは何を拝んでいたのか。そして帰り際にお墓に向かって帽子を取って、「あの世で元気で!」とか「あの世で楽しんで!」と妙なことを言った。不思議なAB型の父。認知症と診断された父がほんとうにボケていたのかボケていなかったのかさえ、いまではもうよくわからない。
ただボケていたにせよ、今年、父から教えてもらったことはたくさんある。
その学んだことを活かしてわたしは生きる。

お墓参りをした帰りは妹と遅めのランチを食べて、家に寄ってもらった。
わたしの唯一の同僚が送ってくれたお供えを持って帰ってもらうために。
京都、音衛門のゆずと栗のケーキ。
彼女がわたしの同僚なのもあとわずかだ。
すべては移ろってゆく。
今日は雨が降らなくてよかった。

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2018年12月14日 (金)

モミの木の匂い

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20代のころ通っていたのは原宿のブルードア・サッシュという美容院。
サブロオさんが長い髪の女の子に上手なブラシのかけ方をレクチャーしているのを鏡越しに見ながら髪を切ってもらったり。
いつも青いドアをあけるとき、緊張してドキドキした。
もう、大昔のこと。
いま住んでいるこの住宅は階段ごとにドアの色が茶色とブルーに塗り分けられていて、うちのドアはブルー。
ブルーでよかったなと思う。
シックなチョコレート色ならまだしも、黄土色みたいな茶色は地味すぎるもの。
クリスマスのためにひさしぶりに今年は自分でリースかスワッグを作ろうと思っていたのに気づけばそんな時間もなくなっていて、ふと見かけた軽井沢のお花屋さんにオーダーした。それが今朝届いて、娘にドアを拭いてもらってさっそく飾った。
モミの木のいい匂い。
我が家は喪中で来年お正月はできないから、冬のあいだじゅうこれを飾る。
目にも鮮やかなシーズン・カラー。
クリスマスまであと10日!
今日は冷たい北風が吹き荒れる、寒い寒い日だった。

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2018年12月 4日 (火)

冬の花たち

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今朝ベランダに出て何気なくハーブに触っててびっくりした。
手の先に何か黒いものが見えて。
よく見たらサルビア・ディスコロールに花がついてたんでした。
滅多なことじゃ花をつけない、サルビア・ディスコロール。
黒い花ってあまりないからびっくりします。
カラスの羽みたいな、濃い紫のような黒い花。

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そして、ついにひらきはじめたセルリア。

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わたしのベランダの冬の花たち。
今日は昨日の天気予報では雨のはずだったけど、天気予報がはずれて、晴れてよかった。

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2018年11月 8日 (木)

りんごのお便り **

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先週、りんごの樹のオーナーをやってる友達に、「今年はいつ収穫に行くの? わたし、一度りんご園でりんごがたくさん生ってるとこ見たいんだよね」といったら、「来週行くよ。なんだったら一緒に行く?」といわれて、まじで急きょ会社に休日届け出して行っちゃおうかと思ったけれど、いかんせん急すぎるし、いきなり彼らの間にわたしが飛び入りしていいもんかな、というのもあったから、今年はパスして来年は一緒に行かせてもらうことにした。
それで、長野が11月頭ってことは青森は11月末くらいだから、そろそろ来るころかなあと思っていたら、やっぱり来ました、青森の長谷川りんご園さんから今年もりんごのお便りが。家族、親類総出で一年間、丹精込めて作ったりんご。今年のりんごも蜜がたっぷり入ったおいしいりんごだそうです。完熟で収穫して、採れたてを届けてくれます。たのしみ 
で、一年ほんとに早いです。
これからまた数ヶ月、アオムシのように毎日りんごばかり食べて暮らす冬がくるんだと思うと・・・・・・
そう思っていたら新月の今日、別のところからりんごのお便りが届きました。
そう、りんごの木のオーナーをやってる友達夫婦から。
収穫したての大きくて真っ赤なりんごとともに。
彼らのりんごの品種は、陽光。
ほんとに大きくて真っ赤でピカピカのきれいなりんごです。
姫りんごみたいな、おっきなサクランボみたいなかわいいミニりんごも入ってて。
「今年は初の雨の中の収穫となって大変だったけど、終わってみれば楽しかったなあーっていう感じでした!」というメッセージ付き。
しかも、いつもの年より大量に採れたそうです。
もう、そう聞いただけで自分も行きたくなってしまいます。
夢はユーリさんの白樺かごいっぱいにりんごを収穫して、りんごの樹の下で写真撮って来ることかな。で、りんごの樹の下で、っていえばすぐ思い浮かぶのはマイケル・フランクスの『Underneath The Apple Tree』ってかわいい曲で、ママライオンとぼく、つまりいってみればこれはアダムとイブの歌で、マイケル・フランクスののんびりした歌いっぷりの割にはけっこう色っぽい歌なんだよね。タイガー・イン・ザ・レインってアルバムに入ってる。
それを口笛で吹きながらさっそく剝いたりんご!
あたりまえだけど、りんごは採れたてがいちばんです。
ジューシーで香り高いうちにいただきましょう。
立冬過ぎて暖かな11月の午後。
今年もりんごの季節のはじまりです。

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2018年11月 3日 (土)

赤のエネルギー ☆

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赤って間違いなくパワーのある色だと思う。
冬になると赤が着たくなる。
20代の頃はピンクハウスの赤が大好きで、ピンクハウスの真っ赤なコートを着てた。ピンクハウスといってもシンプルなステンカラーのコート。
30代の終わりにはバーバリーの真っ赤なPコートを着た。
そう、バレンタインにあわせて。
赤って人を元気にする色です。
昨日ひさしぶりに会った友達は、最近ツイてないことが多かったからって、今日は最初から赤にしようと決めて来たって、赤い器を買った。
吉川裕子さんのポップでキュートで温かな器。
そのあと入ったカフェの店先で、わたしは思わず真っ赤なラディッシュを買って、「それ、葉っぱも食べれますよ!」といってた店員さんの言葉を思いだして今朝、シンプルなカブのサラダに。

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イブピアッチェもゆっくりひらきはじめた。
ばらの迷宮。
赤いラビリンス。

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