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2020年9月 8日 (火)

復活のばら

2009easter-rose
そのひとの名は『復活のばら』。
忘れないようにここに書いておこう。
もしわたしが現実にうちのめされそうになったら彼女のことを思い出そう。
ここから脱出する方法はいくらでもあるって思おう。
わくわくを生きよう。

台風一過の今日。
風はまだつよい。
熱い陽射しの下で無心に植物の手入れをして、徹底的にベランダを掃除していたら、乾いた熱いコンクリートの上に汗が落ちた。この瞬間のプレゼンス。
わたしのちいさなベランダガーデンは隅々まで浄化され、わたしは身体の芯から汗をかいてデトックスした。
それからバスルームに飛びこんでシャワーを浴びた。
窓から入る晩夏の陽射しにきらきら輝く水滴・・・・・・。
今日は父が亡くなって2回めの命日で母の誕生日でマリアさまの誕生日だ。
ハレルヤ!

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2020年9月 3日 (木)

今日の空

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今日も朝から雷が鳴ったり激しく降ったりやんだり晴れたりと、目まぐるしく天気が変わる一日だった。たったそれだけのことで人間は振り回される。まったくもって計画通りに物事がはこばない。
いったい、わたしは何をやってるのかなあ、、、と思わないではないけど、いまさら焦ったところでどうなるわけでもなし。思うようにならないときはしかたがない。

夕方、晴れてきれいな空。
いつも夏から秋にかけては雲がきれいで、空ばかり見ている。

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2020年8月28日 (金)

向日葵のある食卓

2008a-table-with-sunflowers

このあいだ石田ゆり子さんのインスタグラムから雅姫のに飛んだら、キッチンにたくさん向日葵がいけてあって、それがとても絵画的ないけかたで、素敵だなと思った。
美しい日常を生きる、美しいひとたちの自然な記録。
それってまさしくパトリス・ジュリアンのいう『生活はアート』だなって思う。
彼が東京で活躍してた時代。それに憧れてた時代。
その頃といまではもうあまりに何もかもが違って見えるけど、ほんとうにそうなんだろうか。この世界にタイムラインは無数にあるっていうよ?
8月も今日入れてあと4日。
向日葵のある食卓。
魔法の水にいけてあるからきっと長持ちしてくれると思う。

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2020年8月27日 (木)

8月最後の向日葵

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昨夜は夜遅くなってからものすごい音で雷が轟きはじめ、窓に稲光がピカピカしてこわかった。
夜のあいだにずいぶん降ったみたいだ。
朝起きるころには台風一過みたいな青空に雲がもくもくしていて、典型的な夏空。
そしてモーレツな蒸し暑さ!
今日は一日、雲の様子がすごかったけど、それを撮る間もなく午後遅くなって郵便局に郵便物を出しにいって、支払いをすませて通帳記入をして数字を見たら思いのほかたくさん引き落とされていて、うわっと思った。25日のペイデイにお給料が振り込まれなくなって今月でもう1年たつのに、たいていの支払いはその直後に行われるということをときどき忘れちゃっていて、はっとする。それできっと、ちょっと落ちちゃったんだろうね。フーガ珈琲でコロンビア・スプレモを200買って、家に帰って珈琲を入れて娘と飲んで、ふつうにしてたつもりだったんだけれど、うちの家族は大なり小なりHSPなひとたちで人の感情に敏感だ。
夕方、コンピュータの前で黙々と求人検索しているわたしに、マスクをしてトートバッグを肩からさげた娘が「ちょっと散歩してくる」といって出て行った。
200827sky-02
すぐ横の窓から見える空には半月よりすこし太った月が浮かんでいて、それからしばらくしたときだ。
雲行きがあやしくなってきたな、と思ってベランダに出たら、雨がぱたぱた降ってきた。
まずい、またゲリラ豪雨になるかもしれないぞ。
もうそこらへんにいるかもしれない娘に傘でも持っていくか、と思ったけれど、そういうときって、およそちゃんと出会えたことがないのだ。
あきらめて家にいたら間もなく玄関のドアがあく音が聞こえて、娘が帰ってきた。
なんと手にひまわりの花束を持って。
たいして雨には降られなかったみたいだけど、頭からシャワーを浴びたみたいに汗をかいて。
国分寺まで、花を買いに行ったらしい。
そういえばこのあいだから向日葵がほしいっていってたもんな。
さすが娘、よくわかってる。
いまの時期いちばん大切なのは、自分自身や、自分のまわりの人を気持ちよくさせることなんだ。
いやあ、8月最後の向日葵。すごくきれい。
花をいけるたび、「ほんのわずかでもいいから部屋に花を飾ってください」と家が懇願したという、ホ・オポノポノの話を思いだしてしまう。
向日葵を置いたら食卓がひときわ明るくなった。
部屋も喜んでるね。
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2020年8月15日 (土)

朝のイマジネーション

2008morning-scenery
わたしは Honami さんのように毎日早起きはできないけれど、
朝起きると彼女の朝のルーティンのように家じゅうの窓という窓を開け放す。
8月になってやっと晴れた朝、玄関のドアをあけてふっと見たら、
目の前の書の額に南の青空が映っていてはっとした。
風に揺れて玄関のティンカーベルのチャイムが鳴る。
そんなことにも感謝の気持ちが湧いてくる。
今朝もこうして青空とともに在るということに。
そしてしばし、あの青空の下に海があることを想像をして、それにひたる。
昔から海の近くに住むのはわたしの夢だ。
つくづくあのとき父は房総に土地を買っておくべきだった。

今日の朝の桃は、黄金桃。
その名の通り黄金色の果実。
シャングリラ。
濃厚な甘さ。
Honami さんって誰だ、と思った方は YouTube で検索してください。
2008ougonntou

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2020年8月14日 (金)

夏のひかり

2008summer-light

気づけば今年も毎朝、汗だくになって起きる暑い夏がやってきた。
わたしだってそれが好きなわけじゃないけど、夏好きだから文句はいわない。
とくべつ夏好きじゃない娘ですら、雨つづきよりはいいという。
それくらい今年の梅雨は長すぎた。

わたしが夏の何が好きかっていうと、ひかりだ。
夏のひかり。
それに代えられるものなんて何もない。
わたしが最も「生きてるって感じ!」を味わえるもの。
それでいて限りなく幻想的なもの。

陽射しが強ければ強いほど影はくっきりしてる。
夏は死と隣り合わせの季節だ。
波音と、空を行く眠たいような飛行機の音、子どもの無邪気なはしゃぎ声の陰にも
それは潜んでいて、あれだけ何度も高波にのまれてもみくちゃにされたのに
よくここまで生き延びたもんだ。

失ったものは地面から空の彼方までいっぱいあるけど、
夏のひかりに代えられるものなんて何もない。

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2020年8月 8日 (土)

マトリックス

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今朝プールに行く前、遅い朝ごはんを食べながらさっき見たばかりの夢の話をしていたとき、「ちょっと前に見た夢なんだけど・・・」といって娘が話しだした夢の話が面白かった。

そこは植物の枝葉が絡みあった、まるで藤棚のようなものが無限につづいている下で、たくさんの人に混じって自分もサルのように雲梯をしている。そこは地面からはそう遠くないはずなのに、見下ろすとまるで雲の上から下を見ているようで、地面は遠すぎて霞んで見えない。つまり、うっかり手を離しでもしたら空中に放り出されて地面に叩きつけられるってわけだ。それでみんなあんな必死の形相で雲梯をしているんだ。でも枝はゴツゴツしていてつかみにくいし、あまりに人が多すぎて、ぶつからないようにするだけでも至難の業だ。それにみんなの激しい息遣いも必死の形相も恐すぎる。だんだんぶら下がってる手がきつくなってきて、いっそもう手を離したほうがラクなんじゃないかと思ったときついに、ぱっと手が離れた。
「あっ! 落ちる!」と思った瞬間に目が覚めたそうだ。

それを聞いたわたしは、「それってまるでマトリックスじゃん!」といった。
なんてわかりやすいメタファー。
けっきょくのところ、生活に追われて(お金のためだけに働く)人間なんて、みんなそんなもんなんじゃないかって気がする。
この場合、「いっそ手を離したほうがラクかもしれない」ってのがヒントかな。

今日も気温は30度越えで暑い!
写真はプール帰りに撮った近所の藤棚。
藤の実爆弾があちこちにぶらさがってる。

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2020年8月 5日 (水)

朝の桃

2008hakuhou

雨の多かった年の桃はあんまりおいしくない、って前に八百屋のおじさんから聞いたことがあったから、今年の桃はどうかな、と思いながらこのあいだおそるおそる買ってみたのだけれど、蓋を開けたらなんてことはない。ここ数年でいちばんくらいおいしい。いまのところ3回買ったけどハズレ無し。

梅雨明けとともに一気に暑くなったいま、わたしがいちばんおいしいと感じるのは桃だ。
このあいだ娘がひとくち食べて「若返るような味だね」といったけど、まさにそんな感じ。
しみるようなおいしさ。
それで、桃から生まれた桃太郎の話もあるくらいだし、ほんとに若返ったらいいのにねぇ、なんて願望がさく裂したのであった。
長雨でいま野菜がすごく高騰していて、びっくりすることに萎れたような小さなレタスがひとたま380円もする。この桃はスーパーの前に出店を開いてる八百屋さんの昨日のお買い得品で、ひとやま6個で780円の白鳳。きめ細やかな硬めの果肉がずっしり重たくて、追熟させると、とろけるような甘さ。いま高いレタスを買うくらいだったら、いっそ桃を買ったほうがいいんじゃないかとわたしは思う。
桃だっていいのは安くはないけど、でも朝たべる桃の、この目の覚めるような瑞々しさといったら!
失業してたってわたしは桃が食べたい。
できることなら出回っているあいだじゅう、毎日のように食べたい。
もっというなら桃源郷で暮らしたい。
こんなわたしを見て「桃くらい、おとうさんが買ってあげる」といってた父はいまごろ天国できっと笑ってるね。

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2020年5月10日 (日)

五月のありふれた日曜の。

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またジャングルになってきたベランダ。
大気は妙に生あったかい。
去年おととしと、2年続きで梅雨にそれほど熱帯夜に悩まされなかった記憶があるけれど、今年はどうだろう。
昨日、用があって久しぶりに息子に電話をしたら、「5月に大型連休がある意味がわかった」というから何かと思えば、「あれはどこかに遊びに行くためのものじゃない。休むためのものだ」って。自粛下にもかかわらず連休中もほぼ出勤していたという息子は久しぶりに顔が熱いくらいにボコボコになってしまって皮膚科に行きたい、という。わたしはわたしで昨日の朝起きたときから左耳と頭の左半分がもわもわしていて、突発性難聴になるときの前兆みたいで嫌だなあ、と思っていたところ。このところ気圧の変動も激しいし、息子もわたしも常にコンピュータの前にいる生活で慢性的な運動不足に上半身のコリかたまりがあるから、ふたりとも自律神経の乱れからきたものだろうと思う。
自粛、自粛といったって、家で静かに休んでいる人がどれだけいようか。
むしろなんらかの糧を求めて、自宅でしゃかりきに働いてる人のほうが多いんじゃないかと思う。
いつもにもましてストレスフルな危うい五月。
いつもと変わらないのは自然だけだ。
花が咲きはじめたローズゼラニウム。
20rose-geranium
朝は相変わらずサラダ。
グリーンリーフとパプリカとトマト、それにナッツをかけて。
砕いたナッツを野菜と一緒に食べるとすごくおいしい。
森の住人になった気分。
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午後、 買い物に行った娘が帰ってきて、「これからパフェをつくるよ!」って。
うちはパフェグラスなんて洒落たものはないから、ウォーターグラスで。
でも中身は自家製いちごジャムで作ったいちごみるくアイスと、いちごと生クリームがたっぷり入ってて、どこかのパーラーの2000円もするストロベリーパフェより全然おいしい!
これはパフェ好きの息子にも食べさせたい。
家族が集まって、おいしいものを食べながら他愛もないことも深いこともわいわいしゃべる。
ただそれだけのことが貴重だったなと、つくづく思うこの頃。
今日は12日間も入院していた友達が退院する日(コロナではない)。
彼女の7匹の猫はさぞかしニャーニャーいって出迎えるだろう。
夜は娘と餃子を包む。
20ichigo-parfait

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2020年4月27日 (月)

Hard rain、もしくは何番めかのマイルストーン。

20my-metasequoia

夢の中でわたしは娘の小さいときらしき4歳くらいの女の子といて、夜で、縦に民家が並ぶ脇の土の道を、その子は自分の家めがけてぴんこぴんこ飛び跳ねるように駆けてゆき、わたしはそのうしろを歩いているのだけれど、手前の家の前を通り過ぎるとき、家の中から親の怒鳴り声と子供の泣き声がして、(またか、、、)と嫌な気持ちになる。けれども玄関から家にあがるべき娘はなぜか、かつてトイレだった記憶のある、いまは物置みたいな部屋に入ってふざけていて、わたしはその部屋が嫌いなので思わず娘に「早くここを出て家の中に入りなさい!」とすこしきつく言ってしまう。それで娘が部屋にあがり、自分も玄関に入って後ろ手にドアを閉めようとすると、いま泣いていたはずの隣の女の子が開いたドアから中に入ろうとしていて、もう時間も時間だし、わたしはその子がなんだかちょっとこわくもあり、「もう今日は入っちゃだめ。明日遊ぼう。また明日ね!」といってドアを閉めてしまう。そして家にあがって部屋の中を見ると、さっきまで4歳くらいの女の子だったはずの子どもは何故かちいさなアライグマになっていて、まるでゴムマリのように丸くなって床に自分の身体を打ちつけてはびょんびょん跳ねている。そんなにしたら身体が痛くなるでしょう、というくらいに。それでわたしは、さっき自分がちょっときつい言い方をしてしまったからこの子はこんなことをしているのか、と思って、「ごめんね」というつもりでやさしく抱きあげると、アライグマはそのちいさな手を差しだして、「握って」という。そのピンク色のちいさな温かい手を握りながら、手を握っても何も、こんなにしっかり抱きとめてるでしょう、と思ったところで目が覚めた。
そして目をあけてオートマチックに「ああ、わたし、あの家、いやだった」と思ったそのときだ。
瞬時に二十数年前にSから言われた言葉が頭によみがえって、その一瞬でわたしは彼の気持ちを理解した。そして自然と「それは悪かったわね。ごめんなさい」という言葉が口をついて出た。
でも、その後になって次々やってきたのはこの二十数年、何度となく繰り返してきた様々な葛藤だ。
こんな感情がまだ自分の中に残っていたなんて・・・。
『暗闇に目を凝らすのは悪いことじゃない』と書いた直後にこれか。
ブロックって、そう簡単にはなくならないものらしい。
さらにそのあとで、自分が長いこと暗いトンネルの中を2人のちいさな子供の手をひいて歩いてきたことを思い出した。
これまでこんなふうに思い出したこともないくらい、しみじみと。リアルに。
そして、つくづくこれまでよくひとりでやってきたよなあ、と思った。あの状況でよくがんにもならず、うつにもならず、自分で自分をあやめることもせずに。人間って人のやっていることはいくらでも認められるのに、自分のやってることってなかなか認められないものだ。でもいまさらになって無性に、誰がねぎらってくれなくても自分で自分をねぎらいたい気持ちになって、はじめて自分を心からねぎらった。さっき「手を握って」と言ったアライグマは子どもの化身なんかじゃなくて、もしかしたら自分だったのかもしれない。もちろん、いつもわたしたちを見守ってくれ、ぎりぎりのところで助けてくれる目に見えない力が常にあったことは知っている。だから厳密には自分はひとりではなかったことも・・・。つまり、今日こういう感情がでてきたのはそれがついに今日、消えて無くなるためだ。
おめでとう、わたし。
ありがとう。

いつも娘のつくるてるてる坊主はとても効くから、分厚い雲の合間からおひさまが見えたときには今日は天気予報が変わって晴れるのかと思ったけれど、けっきょく家を出るころには雲行きが怪しくなってビニール傘を持って出た。
娘ときたらよりにもよってSTAY HOME期間中にセッションの予約を入れちゃうなんて、と思うけれど、人それぞれ、タイミングってものがあるからしかたない。娘を現地まで送って途中、荻窪で買い物して最寄り駅に降り立つころには、さっきまで小振りだった雨は思いっきりバケツをひっくり返したような土砂降りになった。瞬く間に膝から下がびしょ濡れ。行きは行きで自分がついていながら頭がぜんぜん働かなくて、乗り換えを間違えて約束の時間を遅刻することになったし、帰りはこれだ。今日はつくづくこんな日ってことか、と思ったけれど、まあ、そんな日もある。わたしたちはゆっくりだけど確実に進化してる。
それに転生を繰り返すなかでの人間の一生なんて、大きな書棚にたくさん並んでいる1冊の本に過ぎないのだ。
ゆっくり、よく味わうこと。
200427downpour

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