season colors

2020年5月10日 (日)

五月のありふれた日曜の。

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またジャングルになってきたベランダ。
大気は妙に生あったかい。
去年おととしと、2年続きで梅雨にそれほど熱帯夜に悩まされなかった記憶があるけれど、今年はどうだろう。
昨日、用があって久しぶりに息子に電話をしたら、「5月に大型連休がある意味がわかった」というから何かと思えば、「あれはどこかに遊びに行くためのものじゃない。休むためのものだ」って。自粛下にもかかわらず連休中もほぼ出勤していたという息子は久しぶりに顔が熱いくらいにボコボコになってしまって皮膚科に行きたい、という。わたしはわたしで昨日の朝起きたときから左耳と頭の左半分がもわもわしていて、突発性難聴になるときの前兆みたいで嫌だなあ、と思っていたところ。このところ気圧の変動も激しいし、息子もわたしも常にコンピュータの前にいる生活で慢性的な運動不足に上半身のコリかたまりがあるから、ふたりとも自律神経の乱れからきたものだろうと思う。
自粛、自粛といったって、家で静かに休んでいる人がどれだけいようか。
むしろなんらかの糧を求めて、自宅でしゃかりきに働いてる人のほうが多いんじゃないかと思う。
いつもにもましてストレスフルな危うい五月。
いつもと変わらないのは自然だけだ。
花が咲きはじめたローズゼラニウム。
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朝は相変わらずサラダ。
グリーンリーフとパプリカとトマト、それにナッツをかけて。
砕いたナッツを野菜と一緒に食べるとすごくおいしい。
森の住人になった気分。
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午後、 買い物に行った娘が帰ってきて、「これからパフェをつくるよ!」って。
うちはパフェグラスなんて洒落たものはないから、ウォーターグラスで。
でも中身は自家製いちごジャムで作ったいちごみるくアイスと、いちごと生クリームがたっぷり入ってて、どこかのパーラーの2000円もするストロベリーパフェより全然おいしい!
これはパフェ好きの息子にも食べさせたい。
家族が集まって、おいしいものを食べながら他愛もないことも深いこともわいわいしゃべる。
ただそれだけのことが貴重だったなと、つくづく思うこの頃。
今日は12日間も入院していた友達が退院する日(コロナではない)。
彼女の7匹の猫はさぞかしニャーニャーいって出迎えるだろう。
夜は娘と餃子を包む。
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2020年4月27日 (月)

Hard rain、もしくは何番めかのマイルストーン。

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夢の中でわたしは娘の小さいときらしき4歳くらいの女の子といて、夜で、縦に民家が並ぶ脇の土の道を、その子は自分の家めがけてぴんこぴんこ飛び跳ねるように駆けてゆき、わたしはそのうしろを歩いているのだけれど、手前の家の前を通り過ぎるとき、家の中から親の怒鳴り声と子供の泣き声がして、(またか、、、)と嫌な気持ちになる。けれども玄関から家にあがるべき娘はなぜか、かつてトイレだった記憶のある、いまは物置みたいな部屋に入ってふざけていて、わたしはその部屋が嫌いなので思わず娘に「早くここを出て家の中に入りなさい!」とすこしきつく言ってしまう。それで娘が部屋にあがり、自分も玄関に入って後ろ手にドアを閉めようとすると、いま泣いていたはずの隣の女の子が開いたドアから中に入ろうとしていて、もう時間も時間だし、わたしはその子がなんだかちょっとこわくもあり、「もう今日は入っちゃだめ。明日遊ぼう。また明日ね!」といってドアを閉めてしまう。そして家にあがって部屋の中を見ると、さっきまで4歳くらいの女の子だったはずの子どもは何故かちいさなアライグマになっていて、まるでゴムマリのように丸くなって床に自分の身体を打ちつけてはびょんびょん跳ねている。そんなにしたら身体が痛くなるでしょう、というくらいに。それでわたしは、さっき自分がちょっときつい言い方をしてしまったからこの子はこんなことをしているのか、と思って、「ごめんね」というつもりでやさしく抱きあげると、アライグマはそのちいさな手を差しだして、「握って」という。そのピンク色のちいさな温かい手を握りながら、手を握っても何も、こんなにしっかり抱きとめてるでしょう、と思ったところで目が覚めた。
そして目をあけてオートマチックに「ああ、わたし、あの家、いやだった」と思ったそのときだ。
瞬時に二十数年前にSから言われた言葉が頭によみがえって、その一瞬でわたしは彼の気持ちを理解した。そして自然と「それは悪かったわね。ごめんなさい」という言葉が口をついて出た。
でも、その後になって次々やってきたのはこの二十数年、何度となく繰り返してきた様々な葛藤だ。
こんな感情がまだ自分の中に残っていたなんて・・・。
『暗闇に目を凝らすのは悪いことじゃない』と書いた直後にこれか。
ブロックって、そう簡単にはなくならないものらしい。
さらにそのあとで、自分が長いこと暗いトンネルの中を2人のちいさな子供の手をひいて歩いてきたことを思い出した。
これまでこんなふうに思い出したこともないくらい、しみじみと。リアルに。
そして、つくづくこれまでよくひとりでやってきたよなあ、と思った。あの状況でよくがんにもならず、うつにもならず、自分で自分をあやめることもせずに。人間って人のやっていることはいくらでも認められるのに、自分のやってることってなかなか認められないものだ。でもいまさらになって無性に、誰がねぎらってくれなくても自分で自分をねぎらいたい気持ちになって、はじめて自分を心からねぎらった。さっき「手を握って」と言ったアライグマは子どもの化身なんかじゃなくて、もしかしたら自分だったのかもしれない。もちろん、いつもわたしたちを見守ってくれ、ぎりぎりのところで助けてくれる目に見えない力が常にあったことは知っている。だから厳密には自分はひとりではなかったことも・・・。つまり、今日こういう感情がでてきたのはそれがついに今日、消えて無くなるためだ。
おめでとう、わたし。
ありがとう。

いつも娘のつくるてるてる坊主はとても効くから、分厚い雲の合間からおひさまが見えたときには今日は天気予報が変わって晴れるのかと思ったけれど、けっきょく家を出るころには雲行きが怪しくなってビニール傘を持って出た。
娘ときたらよりにもよってSTAY HOME期間中にセッションの予約を入れちゃうなんて、と思うけれど、人それぞれ、タイミングってものがあるからしかたない。娘を現地まで送って途中、荻窪で買い物して最寄り駅に降り立つころには、さっきまで小振りだった雨は思いっきりバケツをひっくり返したような土砂降りになった。瞬く間に膝から下がびしょ濡れ。行きは行きで自分がついていながら頭がぜんぜん働かなくて、乗り換えを間違えて約束の時間を遅刻することになったし、帰りはこれだ。今日はつくづくこんな日ってことか、と思ったけれど、まあ、そんな日もある。わたしたちはゆっくりだけど確実に進化してる。
それに転生を繰り返すなかでの人間の一生なんて、大きな書棚にたくさん並んでいる1冊の本に過ぎないのだ。
ゆっくり、よく味わうこと。
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2020年3月23日 (月)

さくら、満開。

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昨日は薄着ででかけたのに、ちょっと動くと汗をかくくらいの陽気だった。
日中の最高気温、なんと26度!
春を通り越していきなり初夏の陽気。
桜も一気に満開。
今年は桜が咲いても新宿御苑には人もまばらってことだけど、昨日駅に行く途中、マンション併設の公園の中を歩いたら、桜の樹の下でお花見をしている家族がぽつりぽつり。斜めから夕暮れ前の安らぎに満ちた美しい光があたりを照らしていて、桜の下では誰もがしあわせそうで、思わずわたしも立ち止まって桜を撮った。もう夕方近かったからわたしの相棒(カメラ)じゃこのていどの画像にしかならないけれど、見ている光景は濱田英明さんが撮る写真、みたいな。
昨日は夜になっても暖かいままだった。
と思えば、今日の気温は昨日の半分だ。
で、3月もあと8日で終わりだってさ。

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2020年3月20日 (金)

つくし。春分の日。

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昨日の夕方、自転車をだそうとしてはっとした。
足もとにつくしが生えてるのをみつけて。
よくよくあたりを観察してみたらあちこちに生えてて、なんだ灯台下暗しだなって思った。それでうれしくなって娘に言ったんだけど、うちの娘はつくしをみつけたからって喜んだりはしない。つまり、わたしはきわめて昭和的、昭和の人、ってことだよね。わざわざ言うまでもなく。昨日はもう暗くなりかけてたから写真を撮るのはあきらめたけど、今日は忘れずに撮った。
今日は春分。
今日も陽射しがあったかい。
夕方にはひさしぶりに息子が泊りがけでやってくる。
夜は焼肉パーティー。
お肉は昨日のうちに買っておいたから今日は野菜を買いに行こうと思ったら、近くの通りで向こうからやってくる息子に遭遇した。
よく野良猫が、こちらの姿を確認するなり遠くから駆け寄ってくるのを見て、いったいどこから見てたんだろうって感心するけど、自分の子供って遠くからでもけっこうわかるもんだな。わたしの目は前ほど見えないし、かなり遠くにいたのに、姿の輪郭が見えた瞬間、あ、来た! ってわかった。息子はわたしが近くまで行くまでわからなかったみたい。
そして、うちの息子ときたら、わたしが家に帰って食材を冷蔵庫にしまわないうちから一気に喋りまくるんだ。それで何時間もぶっつづけに喋りまくったあげく、きまって「ああ、、、疲れた」っていう。それももう、いつものこと。
でも、わたしはやっぱりどこまでも勘がいいな!
思ってたことはほとんど当たってた。
息子はすっかり元気になった。よかった。
職場が遠くなってしばらくはまたそうとう大変そうだけれど・・・。
まるでジェットコースターのような人生。
それぞれ違う星から飛んできて、ひととき同じテーマで学んでいる我ら3人家族。
そしてわたしから生まれた最もよきもの、子供。
今日は一足お先に一山超えた人がお土産を買ってきた。
ムッシュMのキャラメルコーヒーティラミスだって。
もっちろん、わたしはカフェインレスコーヒー。

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2020年1月 1日 (水)

元旦の食卓

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おととしに次いで去年がわたしにとってどれくらいしんどい年だったかというのはこのブログのほったらかしぶりからも推察できようかと思うけれど、暮れはしんどかった1年の疲れがどーっときちゃって、そんななか断捨離に掃除にお金の収支計算なんかやってたらお正月の準備なんかなぁーんにもする気がなくなって、生まれてはじめておせちなんか買ってしまった。なんと Amazon で!
これもきわめて当世流かと思うけれど、ちょうどAmazonギフト券がそれくらい残ってたのと、京都のおばんざい屋さんが作るなかなかにおいしそうなおせちでデパートなんかで買うよりずっとリーズナブルだったのと、直前でディスカウントされてた上にポイントがたくさん付いてて、これなら暮れの混雑したスーパーであれこれ買うよりずっと安いかも、と思ったのでした。
果たして大掃除の最中にクール宅急便でカチンコチンで届いた三段重のおせち。
二晩冷蔵庫で保存、自然解凍したのを今朝ひろげてみたら、さすがプロの料理人の作るおせちって、まあ、見事ですね。
素人のわたしがどう頑張ったところでこうはいかないだろうなあ、と感心しごく。
でもいっぽうで、実家の狭いキッチンの奥から「海老の鬼殻焼きができたわよ~」と母の華やかな声がした、あれこそが我が家のお正月だったなあー、なんても懐かしく思うのです。
そんなわけで、昨日帰ってきた息子とひさしぶりに家族3人で囲む遅い朝の食卓。
自分で作った代わり映えのしないお雑煮の向こうに見える、お正月の景色。

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2020.01.01

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あたらしい年に着る、あたらしい服はないけど、あたらしいソックスを履いた。
クリスマスに娘からもらったファルケのソックス。
すんごいフカフカで、サイコーの履き心地。
これでMBT履いたら月まで歩いて行けるんじゃないか、っていうくらい。
さすが高いだけある!
今日は6時半に起きたけど、雲が多くてここからは初日の出は見えそうにない。
聴いているのは昨日届いたばかりのビル・エヴァンスの『From Left to Right』。
あけましておめでとうございます!

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2019年8月24日 (土)

終わらない夏

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夏の太陽が気持ちいい。
そう思えるくらい気温が下がった。
昨日までの耐えがたい湿度と蒸し暑さはどこかにいってしまい、今日、町を吹く風は乾いている。
わたしはこの乾いた季節が大好きで、このくらいの時期になると永遠の夏の中に閉じ込められていたいと思う。
エンドレス・サマー。
いつか美術館の中でボナールの絵の前から離れられなくなってしまったのも、夏のひかりに魅了されたからだった。
今日プールから帰ってバスタオルを洗濯機に放りこむと、すぐさま相棒(X30)を連れて外に出た。
連日の暑さでもうてっきり枯れてしまったかと思ったけれど、向日葵は待っていてくれた。
わたしを。

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わたしの背よりはるかに大きな向日葵は、夏のエナジーをたっぷり蓄熱したあったかいハートで
やさしくわたしを見下ろしてくれたんだ。
蝉はまだ一心に鳴いてる。
一心という意味では、人間なんか到底かなわない一心さで。
それは命を生ききるとはどういうことかをわたしにわからせてくれる。
わたしのハックルベリーフレンドがもう背中を向けようとしているのはわかっているけど、、、
でも、いまはまだ夏だ。
どう考えてもね。

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2019年5月21日 (火)

Heavy rain Tuesday

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昨日の夜から激しく降り始めた雨は朝になってもやむどころか激しさを増すばかり。
おまけに今日は風もつよくて暴風雨だ。
時折り、まるでホースの口をつまんで放水してるみたいに鋭く雨が窓ガラスを洗ってゆく。
毎日通勤してた頃はこんな朝は心底ゆううつだったなあ!
それでもいつもどおりの速足で駅に急ぎながら、階段やホームでは細心の注意を払ってたもんだ、、、
と、そんなことを思い出してたら後ろで「いい天気だな」と雨男がいった。
玄関で靴を履きながら、「(会社に)行くのもめんどくせー」とつぶやく。
「その気持ちわかるよ」とわたしは雨男の肩に手をおいた。
「ひどい雨だし、今日も気をつけてね」
毎朝、母親が玄関でいうことなんていつも同じだ。
でもね、それがあるのとないのとではやっぱり全然ちがうと思うんだよ。
ちかいうち雨男はそれがない生活をはじめる。
朝起きても朝ごはんもでてこないし、珈琲の匂いもしない。
シャワーを浴びて出てきても、洗いたてのきれいなタオルがいつもかかってるとはかぎらない。仕事からくたくたに疲れて帰ってきても温かいごはんは待ってないし、それどころか部屋の中は真っ暗だ。(そしてたぶん散らかってる。)
君はいまよりもっとできることを増やさないとならないし、何よりタフにならないといけない。
でもどんなに狭くてもそこは自分だけの城で、君はその城の王だ。
心底落ち着ける自分だけの nest をつくらないとね。

こんな暴風雨になるなら昨日のうちにばらを避難させておくんだった。
今日の風でだいぶ枝が折られたみたいだ。
ああ、それから、
ハハのわたしももっとタフになろうと思います。

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2019年5月 6日 (月)

ひつじのミミがいっぱい!

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春は三寒四温っていうけど5月になっても晴れたり曇ったり暑かったり寒かったり。
今日も昨日あんなに天気よくて暑かったのがうそみたいに曇ってちょっと肌寒い。
そんなだからひとはこころもからだも揺れやすいけど、わたしの植物たちは元気いっぱいだ。生活の木ハーブガーデンで買ってきたときは、これ育つのかなってくらいちいさかったラムズイヤー。
今年は爆発した。
生活の木で買ったハーブの苗を育ててわかったことは、無農薬で育てられたいい苗は最初ちいさくてもちゃんと育ててれば翌年以降はすごくよくなるってことだ。それで昔、わたしにあれだけ宿根草のよさを語ってた庭師でライターの友達のことを思い出したりして。気づくともう何年も会ってない友達ばかりだけど、彼女もどうしてるかな。とか。
ラムズイヤーはこのふわふわもこのこの見た目と触りごこちがたまらなくかわいくて、ベランダに出るたび触っては癒される日々です。

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2019年4月20日 (土)

美しい町

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このところずっと、市議会議員・市長選で走り回っている選挙カーの声が朝から晩までかまびすしい。候補者の名前をただただ大声で連呼して懇願することが票につながるとは思えないのに、この旧態依然のデモンストレーションはいったいなんとかならないものだろうか。
特に朝、キッチンで静かに珈琲をいれる時間はわたしにとっては小さな瞑想のようなものなのに、突然ちかくで大きな声を出されると集中力が途切れてしまう。
近くにはいまこうしている間も死の床で苦しんでいる人がいるというのに。
その喧噪も今日で終わりだと思うと、それだけがうれしい。

そんなことを思いながらプールに行こうと外に出たら、つつじの鮮やかな色が目に飛び込んできた。
もう初夏だ。つつじの季節だ。
つつじといって思い出すのは、根津神社だ。それから飛鳥山だ。
かつて飛鳥山の近くには父方の叔母が住んでいて、満開のつつじでいっぱいの飛鳥山公園で遊んだ記憶がある。
それから父方の祖父の家でのこと。
わたしが顔にブツブツができて、カサカサになってかゆいといったら、おじいちゃんはわたしの顔を見て、「それはハタケだ」といった。
そして「ハタケ」には白つつじの花を揉んでその汁をつけるといいといって、わたしに庭にあった白つつじの花をとってこさせて、それを自分の手のひらで揉んだのを顔につけてくれた。つつじの汁は一瞬沁みて、でも数日して気づいたら、かゆかったところはほんとうに治っていて、子供ながらに驚いた。その日のできごとのおかげで白つつじの匂いは強烈にわたしの脳に刻まれてしまった。
遠い日の記憶。
祖父は植物好きのやさしい人だった。

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選挙が近づいてからは一気にうるさくなってしまったけれど、この四月は週に1回プールに行くたびに目に入る花が違って、その変遷する景色が美しかった。そして花たちの色はいずれすべて緑に埋め尽くされる。それもまた美しい。初夏から盛夏へと向かうころは、わたしが一年で一番好きな季節だ。いま住んでるところがいいのは緑が多いところだけ、とわたしは常々いっているけれど、でもそれって意外と大きなことなのかもしれないな、と時々思う。こんなところに長く住んでいたら、緑のない殺伐とした都心にはとても住めないと思うから。
うちの娘は、市長になる人は緑を大切にするひとがいいね、という。
簡単に木を切ったりしない人。
『美しい町』をつくっていこうという意識のある人。
でも、そんなことを重きに置いている人がいないことはこれまで市がやってきたことを見てもわかる。
何十年とかけて育った立派な木を無残にも根こそぎ伐採したと思ったら、そのそばからまたチマチマと新しい木を植樹するような無駄なことを年中やっているから。
この町の、緑のあるところは美しい。
でも住民の住む家は色も形もまちまちで調和がなく、駅前はごちゃごちゃしていて品がなく、町のあちこちでゴミの不法投棄が目立つ。日本もいいかげん欧米のように国あげて行政あげて自国の景観や美観に意識を置いた街づくりをするべきなんじゃないかと思う。いま日本各地で日本人が手放した風光明媚な土地を買っているのは中国人だという。この町にも移民の波がやってきているけれど、このままどんどん移民が増えれば街も町もきっともっとカオスになる。

人間の目って実によくできていて自分の見たいように見るから、写真に切り取られた風景は現実であって、すでに虚構。
この町もソメイヨシノがすっかり終わって、いま満開なのは八重桜。
そして咲きはじめたばかりのハナミズキ。
四月もあと10日で終わり。

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