no music,no life!

2019年2月10日 (日)

ククルクク・パロマ

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Posada del Solのランチタイムのラストオーダーは2時半で、いつもわたしが行くのがたいてい2時過ぎだからかな。お客が来なければもうそろそろ閉めようかという時間だからか、店に入ると音楽がかかってないことが多い。昨日も無音で、食事をはじめてしばらくしたらシェフが思い出したようにオーディオのスイッチを入れて、一瞬にぎやかな音楽が流れたと思ったら、何を思ったのかいったん止めて、でも次に流れてきたのもやっぱり大勢の男女が広場で踊っているようなにぎやかな音楽だった。それを聞いてたら聞き覚えのあるメロディーで、思わず「ククルクク・パロマだ!」といったら、シェフがキッチンの窓からこちらを覗いて、「知ってる?」と訊くから、「カエターノ・ヴェローゾが歌ってるので知ってる」と答えた。それがあまりにカエタノの歌うククルクク・パロマと違って明るくにぎやかなのに可笑しくなった。息子がここで『べサメ・ムーチョ』のフュージョン・アレンジみたいな変なのを聞いて、それが頭から離れなくなったと言っていたけど、これか。でも、ククルクル・パロマはもともとメキシコの民族舞踏曲だというから、昨日聞いたのが本家本元らしい。それは明るくにぎやかなサンバが意外にもシリアスで悲しい歌詞を明るく歌ってるのと似た感じかもしれない。
それで今朝の遅い朝ごはんの時間はこれが聴きたくなってかけた。
カエターノ・ヴェローゾの、『シネマ・カエターノ』。
息子はわたしが持ってるカエタノのCDの中でもこれが1番好きだという。
だからこのCDも死ぬほど聴いた。
そして13曲めの『ククルクク・パロマ』になって、「泣ける・・・」といったらそのとたん、ほんとに涙があふれてきて泣いてしまったのには自分でもびっくりした。(涙を拭き拭きホットサンドを食べた。)
悲恋の果てに死んで一羽の鳩になってしまった哀れな男の物語。
カエタノが「ククルクク」と歌うと、それはほんとに死んだ男の鳩の鳴き声みたいで、悲しく、切ない。わたしはこれをウォン・カーウァイの映画『ブエノスアイレス』の中で初めて聴いた。
ウォン・カーウァイの映画っていうのも、まるで自分の個人的な体験みたいにいつまでも自分の中のほの暗い場所に残っていて、ときどきまたそこに行ってみたいような、もう2度と行きたくないような複雑な気持ちにさせられるのがすごいけど、このアルバムはタイトルが示す通り、カエターノ・ヴェローゾの作った曲、またいつもライブで歌っているレパートリーの曲の中から、とくにシネマ、映画に通ずるものや映画に縁の深い曲にスポットを当てて選曲されている。日本人のセレクトによるオリジナル・アルバムで、ミルトン・ナシメントのベスト・アルバムもそうだけれどこれもほんとうにセンスが良くて、日本人の感覚ってやっぱりすごくいいんだと思うし、それに日本人はブラジル音楽がほんとうに好きなんだと思う。何より歌詞カードと訳詞のついたライナーが入っているのも曲を理解するうえでありがたい。
このアルバムにおけるカエタノは、闘うレジスタンスであり、両性具有の天使(あるいは悪魔)みたいでもあるし、真冬の夜空に浮かぶ鋭いナイフのような三日月みたいでもあるし、包容力を持った美しい女神のようでも、また頼りない思春期の少年のようでもあって、光のあたる角度によって色を変えるプリズムのように、すべての要素を持っている。そしてそれはいまではほかの誰にも感じられなくなったデモーニッシュな魅力でもある。
わたしが知る限り、ブラジルで最も美しい声をしていて、なおかつ最も歌がうまいのはカエターノ・ヴェローゾだと思う。
アルバム16曲中、11曲までがカエタノのオリジナルで、12曲めからアンリ・サルヴァドール、トマス・メンデス、シモン・ディアス、アストル・ピアソラとカバー曲がつづき、ラスト『イタプアン』でカエタノの曲に戻ってくるだのけれど、この最後のイタプアンがまた春を思わせる長閑で素敵な曲なのだ。高校生のとき古典の時間に杜甫の『絶句』を読んで、老後は漢詩の研究をしようと決めたわたし。そのなかにあった『今春みすみすまた過ぐ』という言葉はいまくらいの時期になるとかならず頭にのぼってくるほど、春はわたしが一年で最もむなしさを感じる季節で、暖かいんだか寒いんだかわからない、晴れてるんだか曇ってるんだかわからないどっちつかずのところも最も苦手な季節ではあるのだけれど、この歌にはそんな春のもっともきれいなところが集約されているように思う。
カエタノの歌声はまるで春のお花畑の上をふわふわと飛ぶ蝶のよう。
『そしてふたりは結婚してしあわせに暮らしました。でもそのしあわせは長くはつづきませんでした』みたいな、淡く儚い空気も含んで。
カエタノの歌うどの曲も限りなく映像的で、聴いているうちに様々な映像が浮かんでくるけど、それこそがこの『シネマ・カエターノ』のもくろむところ。
突き放した男前の訳詞がめちゃめちゃかっこよく、深くてロマンティックで、やっぱり国安真奈さんです。わたしはこのひとに惚れてしまいそう。

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2019年1月22日 (火)

満月のイヴァン

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ずーっとまったく音楽を聴きたくなかったんだ。なぜだかわかんない。
でも昨日の夜、珈琲をいれようとしてふいにイヴァン・リンスが聴きたくなった。
「デーシャ、デーシャ」って叫んでる、彼がまだとても若かったころの、古いやつ。
それで手を止めてCDラックをガサガサやって『モード・リーヴリ』を引っぱりだしてかけた。海に浮かんだ青ざめたイヴァンの顔が、なんだかキリスト様みたいなジャケットの。そして久しぶりに聴いたらこれがめちゃくちゃいいんだ。
昨日は夕暮れにウォーキングをするために外に出たら、通りの向こう、空の低いところに建物に挟まっちゃったみたいな感じでまるい、オレンジ色の大きな月が見えて、娘が「こんな大きな月みたことない!」って言ったほどだったんだけど、そんな満月の夜にドハマり。
まだイヴァンの声が若く青臭く吠えてて暑苦しいくらいワイルドで、でもすごく繊細でナイーブで、透き通るようなフレーズのひとつひとつが震えるほど切なく、うつくしくて、、、綺羅星のような名曲ぞろい。特に『エッサ・マレー』はメロディーがすごくキャッチーでキラー・チューンだと思ったな。わたしの好きなサンバ。(と思ったら、好きで数枚アルバムも持ってるアルトゥール・ヴェロカイのアレンジだった。)
若いっていいよなあ。若いってそれだけですげーよ。でも自分が若かったころはどれだけ大人にそういわれてもピンとこなかったんだけど。なんて思った。
イヴァンの持つ豊かな和声、情熱、ロマンティシズム、優しさとデリケートさ、それにタフさ、激しい自由への希求、サンバのスピリット、どこまでも愛にあふれたしあわせな音楽。いつかマリコが「イヴァンの音楽にはそうちゃんのほしいものがぜんぶ詰まってるね」といっていたけどほんとにそう。
そして例によって「ああ、ブラジルに行きたい!」と声に出してつぶやいた。
いつかサムタイムで会った旅の天使にもしもう一度会うチャンスがあったなら、そのときは迷わずいうんだ。わたしと一緒にブラジルに行かないかって。旅費はなんとか貯める。そのときまでにポルトガル語もちょっとはなんとかする。好きな歌のひとつくらいは鼻歌で歌えるくらいになっておくって。
彼はきっと相当な歳だから、もうそんなに猶予はないかもしれない。それにまた出逢えるとも限らない。でも彼の外見から彼が旅の天使だってわかる人はそうはいないだろう。彼はわずかな荷物でパリでもニューヨークでもどこへでも1人で行ってしまう。旅の女神がしばしば悪戯心をおこして彼の行く手に罠をしかけても、彼は困惑しつつも臆することなく、なんとか困難を脱して生き延びてきた。旅慣れないわたしにとって彼はまさに旅の天使みたいなもの。またいつか会えるといいな。それまでにわたしももうすこしタフになっておく。
そぉーんなことをひっさびさに思って血が熱くなるイヴァンの音楽!
このCD、ケース開けたらめずらしく国内盤だったんだけど、いつものことながら国安真奈さんの歌詞の対訳も素晴らしい。
(Amazonの回し者じゃないけどね、ただいま廉価で販売中!)

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2018年9月10日 (月)

死と浄化、メタモルフォーゼン、4つの最後の歌

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朝食を食べながら、おとといの父の最期の様子があまりに物凄かったことから、ふと思いだして急にこれが聴きたくなってCDラックの奥から引っぱりだした。
リヒャルト・シュトラウスの『死と浄化/メタモルフォーゼン/4つの最後の歌』。
死期の迫った老人が、ひとり孤独のうちに死と対峙し、死と抗って必死に闘った末についに死神に負け、諦めて死をうけいれ、自らをゆだねてゆく過程が静かに、激しく、うつくしく描かれた交響詩。
死神との手に汗握るような激しい闘いの後にやってくる安らかさと透明な光は、カラヤン率いるベルリンフィルの艶やかで美しい弦の響きあいまって官能的ですらある。199 ・・・・・・ 、何年だろう、もう忘れてしまった、夏の夜に、わたしはこれを毎晩大音量でかけながら、夜遅くひとりで夕飯を食べた。百貨店のインショップで働いていたころ。ふだんはまだ子供が小さいことを理由に朝番しか入れなかったわたしは夏休みに実家に子供ふたりを預けると、夜遅くまでいつも以上に働いた。一緒に働くスタッフのためでもあったし、少しでも多く給料をとるためだった。くたくたになって夜遅く帰ってひとりでとる夕飯はどうでもよく、たいていは蕎麦をゆでて食べた。ざる蕎麦とシュトラウス。ぜんぜん合わない。
でも、それがその年の夏のわたしのリアルだった。
シュトラウスのこの交響詩に美を見いだしていたからといって、わたしが死の幻想に引きずられていたというわけではなかった。むしろ、死に自分を預けてゆく安らぎを傍観しながら、精一杯『生きているって感じ』をわたしは味わっていたんだと思う。
そういう、いまの自分を愛すること。イコール、肯定すること。
誰に何をいわれたって負けずにいまを生きること。
なぜ大音量で聴くかといったら、この曲がピアニシモからフォルテシモまで、実にダイナミックレンジが大きすぎるくらい大きいせいで、どんな小さな音も聴き洩らさないようにボリュームを上げて聴いていると、フォルテになった瞬間、飛び上がりそうになるくらいデカイ音になる。よくまあ、一軒家に住んでいて近所の住民から文句がこなかったと思う。
そして、わたしがどうしてもBOSEのウェストボローを欲しかった理由も実はそこにあって、それはクラシック音楽のどんな小さな音から大きな音までも再現できる、という謳い文句にあった。最近じゃこの相棒も死にかけで、1日に1枚、CDをかけてくれるかくれないかだけど、およそ離れる気がしない。
だから今日ももちろん大音量で聴いた。
十数年ぶりに聴いたカラヤンのシュトラウスはやっぱり凄かった。
素晴らしかった。
聴きだしたら否も応もなく堰を切ったように涙があふれてきて泣いた。
そうしたらCDを聴き終るころ息子も泣いた顔して部屋から出てきて、いったい血のつながりってどこまで・・・・・・、と思うけれど、そういう自分とよく似た人間がこの世にいるってことこそがしあわせなのかもしれない。
今日このCDを聴いたらあの夜の父の様子とあまりに酷似していて、弱冠25歳の若さでこの『死と浄化』を書いたという、シュトラウスの老成ぶりにあらためて驚かされた。

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2018年8月11日 (土)

SUMMER LOVE ♡

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いつもの土曜日。
今日から夏休みに突入。
海外のバカンスとちがって日本のお盆休みなんてあっという間に終わっちゃうんだけど、でも洗い終わった洗濯物をカゴに入れてたら自然と『朝日のあたる道』を口笛で吹いていた。as time goes by ・・・・・・
それで、オリジナルラブの『SUMMER LOVE』。
うちのBOSEのアンプ(超ロートルのWestBorough)は1日にたった1枚しかCDをかけてくれないうえに好き嫌いがとっても激しくて、1枚もかけてくれないこともよくあるんだけどなぜか(なぜか)オリジナルラブだけはスッとかけてくれる。もうこれはBOSEくんも田島貴男が好きとしか思えない。
『SUMMER LOVE』はジャケットからしてサマー・ラブにあふれてて、夏好き海好きにはたまらない、夏必須アルバム。ライナーに使われた写真、アート・ディレクションも素晴らしい。
そして、いつ聴いても思うのは、田島貴男の歌のうまさはもちろん、このひとのコーラスの入れかた、日本語の母音の音符の乗せかたのうまさは最高としかいいようがないってこと。
1995年の8月に東芝EMIからリリースされた、いまから23年前のアルバム。
田島貴男の癖のあるいまの発声、歌いかたとちがって、すごく若くてナイーブで儚さの漂う『Without You』は、いま聴いても胸キュン。イントロから曲間、フェイドアウトにまで入れられた波の音がいやがうえにも誘うから・・・・・・
海に行きたい。

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2018年4月22日 (日)

キラッキラの愛の歌 ♡

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ベランダで洗濯物を干していた娘が「今日は本物の半袖日和だよ!」といった。
もう夏だ。
石井ゆかり風にいうと、キラッキラの愛の日。
それでわたしがものすっごくひさしぶりに聴きたくなったのはイヴァン・リンス!!!
わたしが1年でいちばん好きなのは夏に向かう新緑の美しい、ちょうどいまのころで、この時期聴くのにぴったりなのがこのイヴァン・リンスのアルバム、『ジョビニアンド』。
文字通りイヴァン・リンスがアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたアルバムで、かけた瞬間、1曲めからアーリー・サマー・ブリーズが部屋の中を駆け抜けていくよう。
このアルバム、イヴァン自身によるライナーノーツもとてもいい。
彼の人柄が文章から滲んでくるようなライナーノーツ。
(以下、ライナーより一部抜粋。)

 たぶん(いや、確かにと言った方がいいだろう)、ロサンゼルスに住んでいた僕は、ブラジルが、僕のリオが懐かしかったのだろう。そんな時、一番素敵な微笑みをくれるのはメストリ(トム)だった。そしてその後、彼が逝ってしまうと、後にはぽっかりと大きな穴が残された。まるで誰かが、僕の居間から家具を全部運び出してしまったかのような、そんな感じだった。彼については、多くの素晴らしい作品が作られた(ガル、ジョイス、ホーザ、ジョビン=モレレンバウン、シェジアッキ他多数)。さもありなん、なぜなら、彼は世界のブラジルそのものなんだから。もっとも美しいものの一つだから。そして、永遠であるものの一つだから。
 よって、僕も、今ひとりのメストリ、メネスカルの手に導かれ、トムにインスパイアサレタプロジェクトを立ち上げることにした。僕の自作と、僕の曲とも言える彼の曲(そして、彼がいつかレコーディングするだろうシナトラの曲)を収めて。自惚れたものに見えるかもしれない。けど、それは違う。これは、ただの愛の告白だ。彼への。リオへの。ブラジルへの。世界を止める。それは決して革命なんかじゃない。革命は、もっと若い世代に譲りたい。ここには美しいブラジル音楽しかない。それを僕は絶やさずにいたいのだ。心地よく。

『メストリ』とは、ポルトガル語でマスター、マエストロの意。
つづく、イヴァンに『今ひとりのメストリ』といわれたホベルト・メネスカルのライナーでは、メネスカルはイヴァンのことを『音楽の井戸』のような人物、と評している。
まさしく音楽の井戸、そしてそれは愛の井戸でもある。
『キラッキラの愛の歌』といってわたしがすぐに思い浮かべるのは、イヴァン・リンス、マイケル・ジャクソン、スティヴィー・ワンダー、ポール・マッカートニー、フレディー・マーキュリー、かな。
ちょっと古い?
古くたっていいんだ。
彼らの歌は時の流れに色褪せない輝きで、あっという間にわたしをしあわせにしてくれるから。

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JOBINIANDO / IVAN LINS(ジョビニアンド/イヴァン・リンス)

1.ヴィヴォ・ソニャンド(夢を見ながら)~ トリスチ(悲しみ)
  VIVO SONHANDO~TRISTE (Antonio Carlos Jobim)

2.アカゾ(偶然の出来事)
  ACASO(Ivan Lins ・ Abel Silvia)

3.イヌーチル・パイサジェン(無意味な風景)
  INUTIL PAISAGEM(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

4.ソベラーナ・ホーザ
  SOBERANA ROSA(Ivan Lins ・ Chico Cesar - Vitor Martins)

5.サンバ・ド・アヴィアオン(ジェット機のサンバ)
  SAMBA DO AVIAO(Antonio Carlos Jobim)

6.ボニータ
  BONITA.(Antonio Carlos Jobim - Ray Gilbert)

7.ヒオ・ヂ・マイオ
  RIO DE MAIO (Antonio Carlos Jobim)

8.エスチ・セウ・オリャール(まなざし)~ プロメッサス
  ESTE SEU OLHAR ~ PROMESSAS (Antonio Carlos Jobim)

9.タイム・アフター・タイム
  TIME AFTER TIME(Jule Styne - Sammy Cahn)

10.カミーニョス・クルサードス(十字架)
    CAMINHOS CRUZADOS (Antonio Carlos Jobim)

11.エウ・セイ・キ・ヴォヴ・チ・アマール(あなたを愛してしまう)
     EU SEI QUE VOU TE AMAR(Vinicius de Moraes - Tom Jobin)

12.ヂンヂ
   DINDI(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

13.ジョビニアンド
   JOBINIANDO(Ivan Lins - Martinho da Vila)

14.シー・ウォークス・ディス・アース
   (ソベラーナ・ホーザ英語バージョン・リミックス)
   SHE WALKS THIS EARTH

15.ヂンヂ(英語バージョン)

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2018年2月25日 (日)

すばらしき世界

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『すばらしき世界』というと、いまはもうTVを見てないわたしの頭にもすぐ缶コーヒーのBOSSのCMが浮かぶけど、ほんとはそんなにハイブローに皮肉たっぷりじゃなくて、もっと素直に『What a wonderful world!』といえたらどんなにいいだろう。

ベッチ・カルバーリョの歌は、汗と、涙と、笑顔の先にひろがる虹のような世界。
サンバはボサノヴァなんかよりもっとずっと切実で、ブラジル庶民のこころに根ざした音楽。聴いているだけで涙があふれ、自然にからだが動きだす。アフリカンルーツのわたしたちのDNAに直接つながる音楽だと思う。わたしはこんなにいいと思うのに、なぜベッチの歌のよさを多くの人と共有できないのか全然わからない。
ベッチ・カルバーリョをわたしに教えてくれたSさんも、単純に計算してもう70を越えたのかと思うと、時の流れの早さにくらくらするけど、もう彼に二度と会うことはなくても、彼がわたしにスペシャルセレクトのベッチのCDをくれたことは、いまとなっても眼識が高かったと思う。あれからずっとわたしはベッチの歌を愛しているし、折あるごとにそこから生きる力をもらっているから。
サンバの母。
太陽のおかあさん。

でもこのアルバムのタイトル『MUNDO MELHOR』をポルトガル語の辞書で調べてみると、『すばらしき世界』ではなくて、『より良き世界』。
ああ、それでか。最初見たとき何かと思ったけど、この上を向いた矢印。
きっと音楽でより良き世界を目指そうっていう、いかにもベッチらしい、と思ったら、ライナーによればそうではなくて、諍いの後に、よりマシな関係を築いていこうとしみじみ諭す歌ですって。なるほど、今日聴くのにぴったりってわけだ。

このアルバムは長いこと入手困難だったけど、おととし期間限定盤の『ブラジル・コレクション1000』というのが発売されて、なんと1000円という廉価で買えるようになった。ブラジル盤じゃタイトルの意味もわからないけど、ちゃんとライナー・ノーツも付いている。
ブラジル音楽好きなら聴かなきゃ損。
ベッチ・カルバーリョ、1976年の出世作。

< 収録曲 >

1. 去りし愛へのサンバ Antes Ele do que Eu 

2. あなたが望むなら Se Voce Quiser 

3. 陽気になろう Quero Alegria 

4. 丘にもどって Volta pro Morro 

5. 沈黙のバラ As Rosas Nao Falam 

6. 我が友カルヴァキーニョ Cavaquinho Camarada 

7. あなたとどこまでも Te Segura

8. こんな暮らし Salario Minimo 

9. 心の楯 Meu Escudo 

10. すべては音楽 Divina E a Musica 

11. 幸せへの道 Com a Vida que Pediste a Deus 

12.すばらしき世界 Mundo Melhor

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2018年1月12日 (金)

DOMINGO

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去年の12月といい今月といい、どうして同じ日に予定がいくつも重なっちゃうのかな。今日は直さんと翠さんのライヴ、それに『ボサノヴァの詩を読む講座』がブッキングしてた。それで今日に関しては当然のごとく翠さんのライヴに行くことを予定していたのだけれど、昨日カフェイリブロスから今月のテーマが送られてきて、それを見た瞬間、心が躍った。
なんと今月のテーマは、カエターノ・ヴェローソの『ドミンゴ』。
送られてきた楽譜は『コラソン・バガボンド』。
(いつも翠さんの歌で聴いてるコラソン・バガボンド!)
講師はなんといっても日本で最も美しくポルトガル語を日本語に訳すといわれる福嶋伸洋先生。となったら、もう行かないって手はないでしょう。
即決してしまいました。(ごめんよ、翠ちゃん。)

でも何に限らず、即決してしまうときって正しいんだと思います。
それこそ宇宙タイミング。
今年も心のままに動きたいです。
気をつかわずに愛をつかって。

さて、このドミンゴ。
講座では隣の方にうっかりうろ覚えで間違って教えてしまったけど、1967年、カエターノ・ヴェローソ25歳、ガル・コスタ22歳のときのアルバムで、ふたりにとっては初のLPアルバム。時代的にはブラジルに軍事政権が敷かれて3年、ビートルズが『サージェント・ペパーズ・・・』をリリースする半年ほど前のことだそうです。
ブラジル音楽って国内盤が出てないものも多いのだけど、これはライナーも訳詩も付いていて、このライナー・ノーツがまたとってもいいんです。すごくエッジの効いた文章。これを読むだけで1967年がボサノヴァにとってどういう年だったかがわかる。カエターノのデビューアルバムにしてボサノヴァ最期の時代。

そして今日、講座に行って先生のアナライズを聞きながら歌詞を追っていて驚いたのは、4回めにしてはじめてのときよりも活字(言葉)が音に変換されるようになってきたこと。べつだん、家で勉強したわけでもないのにね。
だから音楽で語学を学ぶのってやっぱりいいんだと思います。とっかかりとしては。
あらためてひとつづつ言葉を追って読み解いていったカエタノの歌世界は、音楽そのものから受ける印象よりずっと憂鬱で、ある意味いまの気分にぴったりで、なんだかすごくしみじみした。
講座のなかで先生の弾くギターで『コラソン・バガボンド』と『アヴァランダード』をみんなで歌って、最後に先生が「家でも練習してみてください」とおっしゃってたけど、『コラソン・バガボンド』は練習してみようかな。さんざん聴いてメロはほぼ完ぺきに頭に入ってるし、そのうち鼻歌くらいだったらポルトガル語で歌えるようになるかもしれない。

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2018年1月 6日 (土)

今年最初の1枚!

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今年一等最初に、満を持して聴くのはこれ!
去年の暮れに上町63で買った直さんの新譜、『BALLADS』。
めずらしく上町63で会ったヒカルさんによれば「バラードっていっても直さんのことだからふつうの落ち着いたバラードじゃなくて、いろいろ変わってて面白いよ」ってことでわたしも「ああ、なるほど。わかるわかる」っていったのだけど、実際に聴いてみたら全然そんなんじゃなかった。これはもう、まさしく円熟の境地というべく、全編、直さんのロマンティシズムが炸裂!の、バラード・アルバム。
いつもの直さんらしい、しっかり地に足のついた、たっぷりしたフレージング、包みこまれるような温かな音色、自然と歌の世界観に引きずりこまれてしまうストーリー・テリング、掠れた、聴こえない音の色っぽい余韻・・・・・・
ちょっとミーハーなことをいってしまうと、男の人がプロボースするときこのアルバムがかかっていたら、思わず女の人も「Yes」と言ってしまうんじゃないかというような。
めちゃめちゃよかったです。

サックスのリーダー・アルバムで『バラード』といったらもう言わずと知れたコルトレーンの『バラード』。わたしも何度聴いたかしれない。こういうことをいうといちばん叱られちゃいそうなのは直さんだけど、でもわたしの中では直さんはとうにコルトレーンを超えました。
コルトレーンと直さん、何がちがうか。って、直さんのほうがしあわせな音をしてるんだよね。人をしあわせにする音。いつもライブに行って直さんの音を聴くと、満たされて、ああ、今日もよかった、明日もがんばろう、って、笑顔になって帰れる。そういうLOVEな音がここにもいっぱい詰まってる。
それからピアノがめちゃめちゃよかった!
ジャケットの裏もライナーも見ずにCDかけて聴きだして、すぐに「このピアノ誰、誰!」って、息子もわたしも。
ピアノは市川秀男さん。
何がよいって、美しい音色も、無駄のないソロも、直さんのたっぷりとしたフレージングに寄り添うようなバッキングもみんなよいのだけれど、すべてにおいてちょうどよい、そのバランス感覚が素晴らしかったです。
そして「ちょうどよい」といえば、ベースもドラムも、このアルバムで聴けるすべてがちょうどよい。不自然に突出したところが何もない、すべてが調和した美しいJAZZの新たなスタンダード・アルバムが誕生したといえるんじゃないだろうか。
選曲も、いつもサムタイムで聴いてるいい曲ばかり。
全編捨て曲無し!
この1枚で今年も幸先のいいスタートが切れました。
今年も1年、いい音楽とともに

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2017年12月24日 (日)

クリスマスの贈りもの *

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あたらしい年のはじめに何を聴くか何を見るかっていうのはわたしにとってはけっこう大事なことで、ちょっと大げさにいうとその1年のムードを決めてしまうようなところがある。それで来年、2018年の最初に聴く音源はこれにしようと決めていたのだけれど、我慢しきれずにいま聴きはじめた。


 CAETANO VELOSO e JOS・ MIGUEL WISNIK /  ONQOT

 

カエターノ・ヴェローゾとゼー・ミゲル・ヴィズニキが世界的に知られたダンス・カンパニー『グルーポ・コルポ』のために共作で書き下ろしたという、ダンス演劇のサウンドトラック。
昔っからカエタノは大好きだけど、ゼー・ミゲル・ヴィズニキは今年わたしが最も心掴まれた音楽家のひとり。
もうずーっと長く大洋レコードのお気に入りにブックマークしておきながら完売で買えないままだったのを、このあいだ再販されてるのをみつけてコンピュータのスピーカーから流していたら、それを自分の部屋で聴いた息子が即座に気に入って、わたしへのクリスマスプレゼントに買ってくれた。
だから今日これを聴くのもそれほど悪くないと思う。

今朝起きたとき、空は雪でも降りそうな天気だった。
そのときはこれを聴く感じじゃなかったけれど、さっきから陽が射して明るくなってきて、俄かにこれを聴く気分になった。

アマゾンの精霊たちの息吹き。
たおやかな人間たちのいとなみ。
それらを包みこむ広大な宇宙のエナジー。
自然と人間がどこまでも調和したうつくしい世界。

Merry Christmas

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2017年12月14日 (木)

麗しのリッキー・リー ♡

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朝ごはんを食べながら先日会ったティモケさんのことを考えてたら、頭のなかに『ラッキー・ガイ』が流れだして、とってもひさしぶりにリッキー・リー・ジョーンズが聴きたくなって、『パイレーツ』をかけた。
長い髪をしてた若いころ、男の人から「パッと見、小林麻美に似てる」なんていわれた。あくまでパッと見の話。
その小林麻美さんが「わたしの宝物」といっていたのが、リッキー・リーのデビュー・アルバム。ずいぶん後になって、それを知った。発売当初、わたしのまわりの男の子たちにはウケが悪かったけど、つまりそれは彼らのほうがわたしより子供だったってこと。(たぶん。)

いま聴いてもドキドキしちゃうグルーヴ。
この歳になって聴くからこそ、沁みる歌詞。
歌の世界には歌うことの細かいテクニックとかいろいろあるけど、そんなことより何より、これだけ自在に思いきり歌える歌手って、この現代にはそういない。
つまりそれだけ自分の言葉で言いたいことがあるってことよ。
それだけ。
本来、音楽は不良たちのものだった。
いつだって。

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