no music,no life!

2019年4月16日 (火)

清水翠×田中信正@ドルフィー

1904dolfie04

昨日のライブ写真。
JAZZバーの中は暗いし、暗いとわたしの相棒のAF速度は一気に遅くなるし、またみどりちゃんはよく動くしで、撮った写真のほとんどはブレてて、これはもう相棒のスペックを上げるしかなさそうだけど、その中でかろうじて写ってた数枚から。
ドルフィーに行くのは去年、みどりちゃんが乗木(奏一)さんとやったライブ以来で、それがまだ記憶にあたらしかったから昨日はおなじピアノでも鳴らす人によってこんなに音が違うんだ、というのを体感した日でもあった。ピアノに気負いなく向かうと、自然に美しい映像が浮かび上がり流れだす乗木さんのピアノと、あふれる創意がドラマティックに変幻してゆく万華鏡のような信正さんのピアノと。まったくちがうけどどちらも素晴らしいピアノ。そして演る相手によって様々なストーリーを引きだして魅せて聴かせてくれるみどりちゃん。
ごく個人的な覚書として、わかるかぎりで昨日のセットリストを書き出してみると、、、


1st
 1.四月になれば彼女は
 2.Moon Over Bourbon Street
 3.What A Little Moonlight Can Do
 4.So In Love
 5.Hyper Ballad
 6.Nearness Of You
 7.Waltz For Debby
 8.夢のつづきをしないかい?

1904dolfie02

2nd
 1.エスターテ
 2.Always And Forever
 3.Morning
 4.All The Things You Are
 5.オブリヴィオン
 6.マーシー・ストリート
 7.The First Time Ever I Saw Your Face
 8.Come Together
 アンコール:悲しき口笛

1904dolfie03

・・・とこんな感じで、いろんなジャンル、いろんなタイプの曲があるなかで、ひとつ言えることはみどりちゃんは「こわいほど美しい」とか「狂おしいほど愛しい」とか「幸福のさなかに消えてなくなりたい」とか、そういうちょっとオーバードーズ的な曲に惹かれる傾向があって、昨日はビョークの『ハイパー・バラード』なんかがそれにあたるんじゃないかと思うけど、そういう曲が彼女の持ってる資質にぴたっとハマると見事なできになる。かくいうわたしも若いころは多分にその傾向があったからそういう嗜好もわからないじゃないけど、いまはシンプルに「しあわせになりたい」と思うわたしです。
昨日はめずらしく日本語の曲が2曲入っていて、ファーストのラストにやった『夢のつづきをしないかい?』はなんと、みどりちゃんが若かりしころに書いたオリジナルだそうです。ちょっとびっくり。これは男の人が自分の恋人(あるいは婚約者)にあてて贈ったラブソングになっていて、外国語ならともかく、日本語で大真面目にこんな歌を歌われるとわたしなんかちょっと気恥ずかしくなってしまう、というか、ツンデレつっぱりのみどりちゃんにもこんな素直で健全な時代があったんだなあ~と、感慨深くなりました。ボコッ!( 👊 ← 殴られた音。)

昨日、個人的によかったのはアストル・ピアソラの『オブリヴィオン』とロバータ・フラッグの『The First Time Ever I Saw Your Face』、それからアンコールでやった美空ひばりの『悲しき口笛』がすごくよかった。
もちろんメロディーはそらで歌えるくらいなんだけど、ああ、この歌の歌詞ってこんなだったかと、しみじみ。
母国語の歌っていうのはほんとうにココロに沁みるんだけど、その分しんみり、さみしくなっちゃいましたねえ・・・
それで夜、横浜にライブを聴きに行って残念なのは、さみしくなっても誰かと話す時間もなく余韻に浸る暇もなく、即帰ってこなくちゃならないところで、昨夜もわたしはライブが終わるなりとっととJAZZバーを後にしたのでした。
ドルフィーを出てすぐの橋の上から見た桜木町の灯り。
ときどきね、もういっそのこと横浜方面に引っ越そうかと思うこともあるんだけど、どうもここはわたしの居場所じゃないみたいなんだよなあ・・・

1904sakuragicyou

『桜木町』というだけあって川沿いは桜並木がずっとつづいていて、まだ散らずに残っている桜がちらほら。
ちょっと前まではきっと桜満開の見事な景色だったんでしょう。
前回、Mr.ハイブリッジさんに教えてもらったように、昨日もこの大岡川沿いを馬車道まで歩いて帰った。
この次ドルフィーに行くときは行きも馬車道からにしよう。
最近、深夜の往復4時間が疲れるようになってきたわたしです。
基本つかうのは階段、エスカレーターもじっと乗ってることなくスイスイ上ってくわたしなんだけど、やっぱ年ですかね。

1904sakuragicyou01

| | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

本日ライブにつき♪

19hello-kitty

何かを見ると誰かのことを思い出すって、そういうものがあるって、いいことだなって思う。BossはスヌーピーのTシャツ、おばあちゃんはビワ、母は黄色いフリージア。
わたしだったらなんだろうな?
先日キッチン・ガーデンから送られてきたメルマガを見るなり「あ、これいい!」と思わずポチっとしちゃったこれ、このキティちゃんを見てすぐにあるミュージシャンの名前が思い浮かんだ人は、かなりのJAZZ通です。
そう、知る人ぞ知るキティちゃんマニアの孤高の天才ピアニスト、田中信正さん。
本日、我らがみどり姫とデュオ・ライブです。@ドルフィー。
一日遅れのバースデーだってさー

それで横浜へは、いつもは渋谷経由か所沢経由で行くんだけど、今日は花屋に寄って中央線で神田経由で行くことにした。
神田経由?
殺人ラッシュでもみくちゃにされないといいけど。

で、今日の空!
いま目に映るこの青い空と白い雲はこの瞬間にしか存在しなくて、1秒後にはもう変わってる。
それとおなじように、今日聴ける音は今日だけのもの。
いつだって一期一会です。

190414sky

| | コメント (0)

2019年4月14日 (日)

4.14はみどりちゃんの誕生日

19fraise-milhooille

ケーキっていつも食べたいってわけじゃないんだけど、たまーに食べたくなる。
今日がそれで、息子がこのあいだわたしのとっておきのチョコを食べちゃったかわりに、ねえねえとお金を出させて息子のゴチで買ってきた.
ムッシュMの苺のミルフィーユと、この週末限定スペシャルの、苺のエクレア。
この苺のミルフィーユがね、もういつ食べてもめちゃめちゃおいしいんです。
こんがり焼けたパイと生クリームとフレッシュな苺のコラボレーションが絶妙。

それで今日はみどりちゃん(清水翠)の誕生日なので、みんなで勝手にお祝いして食べました。
本人が近所にでも住んでれば「お茶でもしようぜ」ってなところなのだけれど(だが酒になる可能性大)、遠くに住んでちゃしょうがない。
で、みどりちゃんがいくつになるのかはあたくしも知りません。
正確な年齢も知らなければ住所も知らない。
だからバースデーカードも送れないけど、そんなものいらない、ってひとなのだからそれもしょうがない。

でもせっかくのお祝いだから、初めてこのカップを使うことにした。
新譜リリースのお祝いに贈った、大倉陶園のブルーローズ。
アルバム・タイトルを聞いた瞬間、これしか頭に浮かばなかったのです。
自分にも記念にひとつ買ってしまった。

19blue-rose

大倉陶園のカップ買うなんて20年ぶりかなあ。
わたしにとって人生ふたつめの大倉陶園。
詩人が詩集を自費出版するのとおなじように、JAZZミュージシャンが新譜をリリースすることもそうそうあることじゃないから特別です。
このブルーローズはラッピングもとても素敵で、自分の好きなものを贈ったからといって喜ばれるとはかぎらないけど、わたしはきっとおばあさんになっても忘れないでしょう。

18blue-rose01_1

いつぞやどこかのメーカーが「青いばらをつくるのに成功した!」と発表して騒がれたときがあったけど、公表された写真を見たら、それはとっても美しいと思えるようなばらじゃなかった。まるで青ざめた貴婦人みたいで。
昔から青いばらをつくるのに成功したら億万長者になれる、といわれているように、『青いばら』は幻。そして、その意味するところは『奇跡』。だから、みどりちゃんが自分の新譜のタイトルを『Blue Rose』にしたのも、長年念願だった馬場さんとのこのデュオ・アルバムが完成したこと自体、まさに奇跡、だったからなのかもしれない。(なーんてね。どうでしょう? 本人に訊いたわけじゃないからわからない。)
でも、音にはめちゃめちゃこだわりがあって、何から何まで自分でやらないと気がすまないみどりちゃんです。
そんな『Blue Rose』、各所で好評みたいです。

・・・というわけでいまさらながら、(こうゆう写真を載せるとどっちを宣伝してるかわからないけど)清水翠のニューアルバム『Blue Rose』、絶賛発売ちう!
(Amazonでも買えます!)

18blue-rose_1

| | コメント (0)

2019年4月 4日 (木)

朝のジョアン

Era-e-carioca

元号があたらしく変わったね。
「令和」だって。
なんだかあんまりピンとこないな。
LとかR、もとい、ラ行の発音で思いつく言葉って外来語ばかりで、日本人にはあまり馴染みがないんじゃないかって気がする。
わたしなんて「レイワ」と聞いたとたん、すぐ頭に思い浮かんだのはエリック・クラプトンの「レイラ」だ。
ジャリラリラリラーン! ではじまる、あれね。
で、そんなことを思いながらおとといの朝Yahoo! をひらいたら、石原慎太郎さんの記事が目に入って、やっぱり「ピンとこない」と言ってた。
石原慎太郎というと、氏が都知事になったとき、「あいつが都知事になるなんて東京ももう終わりだな! とことん嫌になったから俺は東京を捨てる!」といって、とっとと八丈島に隠遁してしまったボス(*詩人・若かりし頃のわたしの上司)のことを、これまたすぐに思い出すけど、その記事に書いてあった石原慎太郎の言葉がすごくよかった。

出典の万葉集自体はすばらしいが、いまどきそんな古典を誰も読まない。読みもせずに若い人をはじめ多くの人がいま漢字の意味や万葉集についてネットで検索している最中だろうが、そんなことで得られるものは限られてるし、そんなものは教養にはならない。ほんとうの意味を知りたければ本を読んでほしい。「今」というのは歴史の続きにあるのだから、歴史を知らないと先見性が持てない。「平成」はその名の意味するところと違って動乱も多く、日本が災害列島だということを思い知らされた時代だった。東日本大震災で東北があれだけの被害に遭い、未曽有の危機にあったこの国が一体感を失わなかったのは、天皇陛下がクタクタになりながらも何度も何度も東北に行ったからだ。いろんな記者が美智子さまのことを「世界で一番素晴らしく、一番優雅な皇后だ」と言っている。皇后さまの努力で今の陛下があった。現在、皇室は週刊誌やテレビダネになって卑近なものにされつつある。このままでは天皇を核とした一体感は薄れていくだろう。元号が変わったから日本も変わるなんて幻想を持ってはいけない。歴史を背景に今の時代を考えないといけないのに、皆が歴史を知らない。これからの日本には大きな「選択」と「覚悟」が求められる。そこには先見性がないといけない。政治家は自分で考えなきゃいけない。政治家も人も個性が大事で、個性を育てるのは、感性。そのためには趣味を持ってほしい。趣味を持てば、うまくなろうと工夫をし、頭が刺激されるから発想力が出てくる。何かに夢中に、耽溺することで考える力がついてくる。皆がそうなれば、これからの日本も変わることができるかもしれない。いまの日本に必要なのはそこじゃないかな。云々・・・。

ここにあることの中にも最近わたしが読んだこととシンクロすることがいくつかあるのだけれど、日本というのはやっぱり天皇を核として成り立っている国らしい。つまり、波動的にも。だから当然のことながら天皇が変わればこの日本の波動も変わってしまう。それを古来からある方法で読み解いて流れを知り、その流れにうまく乗れるように準備しようとしている人たちもいるんだなと知った。
そして石原さんの言葉で最もいいと思ったのは最後の数行。
わたしもいつもそう思ってきたし、いまもそう思ってる。
趣味に耽溺する人はいつだってそういう自分をちっぽけで取るに足りないと思っちゃうんだけどね。
たしかに石原さんは政治家としてはどうかと思うけど、ひとりの人間として見たときにはすごくユニークで面白い。少なくとも退屈な優等生なんかとは全然ちがう。(相変わらず舌鋒鋭くて、これで86だよ。すげーぜ!)
うちなんかTVがあったころ、MXテレビでやってた対談番組を面白がってよく見てたものでした。

最初の「令和」に話を戻すと、若い人には思いのほかウケがいいみたいだ。
うちの息子も「かなり気に入ってる」って。
辞書を編纂する言語学者によると、「ラ行」の元号はこれまでなかったし、サウンド的にとても新鮮、とあって、サウンド的に新鮮というのは、それはいいよね、とわたしも思った。音って、とてもエモーショナルなものであるのと同時に、直観的で本質的なものだから。

そして今朝、わたしの古い相棒(BOSEくん)が昨日どうやってもかけれくれずにイジェクトしてもくれなくなったCDを起きてすぐにかけたら、シャワーを浴びてバスルームから出てきた息子が「朝のジョアンはいいよね」と言ったから、わたしは「へえ、そうか」と思った。わたしゃてっきり、「休日でもないのに朝から気が抜けるぜ」とか言われるかと思ってたんだけどさ。
で、「このジョアン・ドナートの曲。やっぱ名曲だよ!」と言ったのでした。
このアルバム、『彼女はカリオカ』におけるジョアン・ジルベルトの『O SAPO』(カエル)は、風のように吹き抜けてゆく、軽くて速いリズム。でも、ジョアン・ドナートのはマサイが裸足で大地を踏みしめるようなグラウンディング感があって、裏のリズムも打っててもうちょっと複雑で、味わい深い。
どっちもいいんだけど、ジョアン・ドナートのほうは、土で焼いた小さなカップを手に、「これは温かいのみものを入れるとほのかに土のにおいがしてとてもおいしいんです」と言ったメキシコ人の感覚にも似てるような気がする。その感覚、わたしは備前が好きだからよくわかるのだけど、「土のにおいがしていい」なんていうのは白人の感性にはないものなんじゃないかな? ・・・・・・わかんないけど。
どうでしょう?

でも・・・・・・、まあね。
晴れて暖かそうに見えるけど実際は寒くて日が翳りやすい、物憂い春のいまの時期には、「自分」ってものがありすぎるほどあるのに繊細で傷つきやすい人たちのこんな音楽が、とても似合います。

| | コメント (0)

2019年2月10日 (日)

ククルクク・パロマ

19caetano_veloso

Posada del Solのランチタイムのラストオーダーは2時半で、いつもわたしが行くのがたいてい2時過ぎだからかな。お客が来なければもうそろそろ閉めようかという時間だからか、店に入ると音楽がかかってないことが多い。昨日も無音で、食事をはじめてしばらくしたらシェフが思い出したようにオーディオのスイッチを入れて、一瞬にぎやかな音楽が流れたと思ったら、何を思ったのかいったん止めて、でも次に流れてきたのもやっぱり大勢の男女が広場で踊っているようなにぎやかな音楽だった。それを聞いてたら聞き覚えのあるメロディーで、思わず「ククルクク・パロマだ!」といったら、シェフがキッチンの窓からこちらを覗いて、「知ってる?」と訊くから、「カエターノ・ヴェローゾが歌ってるので知ってる」と答えた。それがあまりにカエタノの歌うククルクク・パロマと違って明るくにぎやかなのに可笑しくなった。息子がここで『べサメ・ムーチョ』のフュージョン・アレンジみたいな変なのを聞いて、それが頭から離れなくなったと言っていたけど、これか。でも、ククルクル・パロマはもともとメキシコの民族舞踏曲だというから、昨日聞いたのが本家本元らしい。それは明るくにぎやかなサンバが意外にもシリアスで悲しい歌詞を明るく歌ってるのと似た感じかもしれない。
それで今朝の遅い朝ごはんの時間はこれが聴きたくなってかけた。
カエターノ・ヴェローゾの、『シネマ・カエターノ』。
息子はわたしが持ってるカエタノのCDの中でもこれが1番好きだという。
だからこのCDも死ぬほど聴いた。
そして13曲めの『ククルクク・パロマ』になって、「泣ける・・・」といったらそのとたん、ほんとに涙があふれてきて泣いてしまったのには自分でもびっくりした。(涙を拭き拭きホットサンドを食べた。)
悲恋の果てに死んで一羽の鳩になってしまった哀れな男の物語。
カエタノが「ククルクク」と歌うと、それはほんとに死んだ男の鳩の鳴き声みたいで、悲しく、切ない。わたしはこれをウォン・カーウァイの映画『ブエノスアイレス』の中で初めて聴いた。
ウォン・カーウァイの映画っていうのも、まるで自分の個人的な体験みたいにいつまでも自分の中のほの暗い場所に残っていて、ときどきまたそこに行ってみたいような、もう2度と行きたくないような複雑な気持ちにさせられるのがすごいけど、このアルバムはタイトルが示す通り、カエターノ・ヴェローゾの作った曲、またいつもライブで歌っているレパートリーの曲の中から、とくにシネマ、映画に通ずるものや映画に縁の深い曲にスポットを当てて選曲されている。日本人のセレクトによるオリジナル・アルバムで、ミルトン・ナシメントのベスト・アルバムもそうだけれどこれもほんとうにセンスが良くて、日本人の感覚ってやっぱりすごくいいんだと思うし、それに日本人はブラジル音楽がほんとうに好きなんだと思う。何より歌詞カードと訳詞のついたライナーが入っているのも曲を理解するうえでありがたい。
このアルバムにおけるカエタノは、闘うレジスタンスであり、両性具有の天使(あるいは悪魔)みたいでもあるし、真冬の夜空に浮かぶ鋭いナイフのような三日月みたいでもあるし、包容力を持った美しい女神のようでも、また頼りない思春期の少年のようでもあって、光のあたる角度によって色を変えるプリズムのように、すべての要素を持っている。そしてそれはいまではほかの誰にも感じられなくなったデモーニッシュな魅力でもある。
わたしが知る限り、ブラジルで最も美しい声をしていて、なおかつ最も歌がうまいのはカエターノ・ヴェローゾだと思う。
アルバム16曲中、11曲までがカエタノのオリジナルで、12曲めからアンリ・サルヴァドール、トマス・メンデス、シモン・ディアス、アストル・ピアソラとカバー曲がつづき、ラスト『イタプアン』でカエタノの曲に戻ってくるだのけれど、この最後のイタプアンがまた春を思わせる長閑で素敵な曲なのだ。高校生のとき古典の時間に杜甫の『絶句』を読んで、老後は漢詩の研究をしようと決めたわたし。そのなかにあった『今春みすみすまた過ぐ』という言葉はいまくらいの時期になるとかならず頭にのぼってくるほど、春はわたしが一年で最もむなしさを感じる季節で、暖かいんだか寒いんだかわからない、晴れてるんだか曇ってるんだかわからないどっちつかずのところも最も苦手な季節ではあるのだけれど、この歌にはそんな春のもっともきれいなところが集約されているように思う。
カエタノの歌声はまるで春のお花畑の上をふわふわと飛ぶ蝶のよう。
『そしてふたりは結婚してしあわせに暮らしました。でもそのしあわせは長くはつづきませんでした』みたいな、淡く儚い空気も含んで。
カエタノの歌うどの曲も限りなく映像的で、聴いているうちに様々な映像が浮かんでくるけど、それこそがこの『シネマ・カエターノ』のもくろむところ。
突き放した男前の訳詞がめちゃめちゃかっこよく、深くてロマンティックで、やっぱり国安真奈さんです。わたしはこのひとに惚れてしまいそう。

| | コメント (0)

2019年1月22日 (火)

満月のイヴァン

19ivan_lins

ずーっとまったく音楽を聴きたくなかったんだ。なぜだかわかんない。
でも昨日の夜、珈琲をいれようとしてふいにイヴァン・リンスが聴きたくなった。
「デーシャ、デーシャ」って叫んでる、彼がまだとても若かったころの、古いやつ。
それで手を止めてCDラックをガサガサやって『モード・リーヴリ』を引っぱりだしてかけた。海に浮かんだ青ざめたイヴァンの顔が、なんだかキリスト様みたいなジャケットの。そして久しぶりに聴いたらこれがめちゃくちゃいいんだ。
昨日は夕暮れにウォーキングをするために外に出たら、通りの向こう、空の低いところに建物に挟まっちゃったみたいな感じでまるい、オレンジ色の大きな月が見えて、娘が「こんな大きな月みたことない!」って言ったほどだったんだけど、そんな満月の夜にドハマり。
まだイヴァンの声が若く青臭く吠えてて暑苦しいくらいワイルドで、でもすごく繊細でナイーブで、透き通るようなフレーズのひとつひとつが震えるほど切なく、うつくしくて、、、綺羅星のような名曲ぞろい。特に『エッサ・マレー』はメロディーがすごくキャッチーでキラー・チューンだと思ったな。わたしの好きなサンバ。(と思ったら、好きで数枚アルバムも持ってるアルトゥール・ヴェロカイのアレンジだった。)
若いっていいよなあ。若いってそれだけですげーよ。でも自分が若かったころはどれだけ大人にそういわれてもピンとこなかったんだけど。なんて思った。
イヴァンの持つ豊かな和声、情熱、ロマンティシズム、優しさとデリケートさ、それにタフさ、激しい自由への希求、サンバのスピリット、どこまでも愛にあふれたしあわせな音楽。いつかマリコが「イヴァンの音楽にはそうちゃんのほしいものがぜんぶ詰まってるね」といっていたけどほんとにそう。
そして例によって「ああ、ブラジルに行きたい!」と声に出してつぶやいた。
いつかサムタイムで会った旅の天使にもしもう一度会うチャンスがあったなら、そのときは迷わずいうんだ。わたしと一緒にブラジルに行かないかって。旅費はなんとか貯める。そのときまでにポルトガル語もちょっとはなんとかする。好きな歌のひとつくらいは鼻歌で歌えるくらいになっておくって。
彼はきっと相当な歳だから、もうそんなに猶予はないかもしれない。それにまた出逢えるとも限らない。でも彼の外見から彼が旅の天使だってわかる人はそうはいないだろう。彼はわずかな荷物でパリでもニューヨークでもどこへでも1人で行ってしまう。旅の女神がしばしば悪戯心をおこして彼の行く手に罠をしかけても、彼は困惑しつつも臆することなく、なんとか困難を脱して生き延びてきた。旅慣れないわたしにとって彼はまさに旅の天使みたいなもの。またいつか会えるといいな。それまでにわたしももうすこしタフになっておく。
そぉーんなことをひっさびさに思って血が熱くなるイヴァンの音楽!
このCD、ケース開けたらめずらしく国内盤だったんだけど、いつものことながら国安真奈さんの歌詞の対訳も素晴らしい。
(Amazonの回し者じゃないけどね、ただいま廉価で販売中!)

| | コメント (0)

2018年9月10日 (月)

死と浄化、メタモルフォーゼン、4つの最後の歌

18richard_strauss

朝食を食べながら、おとといの父の最期の様子があまりに物凄かったことから、ふと思いだして急にこれが聴きたくなってCDラックの奥から引っぱりだした。
リヒャルト・シュトラウスの『死と浄化/メタモルフォーゼン/4つの最後の歌』。
死期の迫った老人が、ひとり孤独のうちに死と対峙し、死と抗って必死に闘った末についに死神に負け、諦めて死をうけいれ、自らをゆだねてゆく過程が静かに、激しく、うつくしく描かれた交響詩。
死神との手に汗握るような激しい闘いの後にやってくる安らかさと透明な光は、カラヤン率いるベルリンフィルの艶やかで美しい弦の響きあいまって官能的ですらある。199 ・・・・・・ 、何年だろう、もう忘れてしまった、夏の夜に、わたしはこれを毎晩大音量でかけながら、夜遅くひとりで夕飯を食べた。百貨店のインショップで働いていたころ。ふだんはまだ子供が小さいことを理由に朝番しか入れなかったわたしは夏休みに実家に子供ふたりを預けると、夜遅くまでいつも以上に働いた。一緒に働くスタッフのためでもあったし、少しでも多く給料をとるためだった。くたくたになって夜遅く帰ってひとりでとる夕飯はどうでもよく、たいていは蕎麦をゆでて食べた。ざる蕎麦とシュトラウス。ぜんぜん合わない。
でも、それがその年の夏のわたしのリアルだった。
シュトラウスのこの交響詩に美を見いだしていたからといって、わたしが死の幻想に引きずられていたというわけではなかった。むしろ、死に自分を預けてゆく安らぎを傍観しながら、精一杯『生きているって感じ』をわたしは味わっていたんだと思う。
そういう、いまの自分を愛すること。イコール、肯定すること。
誰に何をいわれたって負けずにいまを生きること。
なぜ大音量で聴くかといったら、この曲がピアニシモからフォルテシモまで、実にダイナミックレンジが大きすぎるくらい大きいせいで、どんな小さな音も聴き洩らさないようにボリュームを上げて聴いていると、フォルテになった瞬間、飛び上がりそうになるくらいデカイ音になる。よくまあ、一軒家に住んでいて近所の住民から文句がこなかったと思う。
そして、わたしがどうしてもBOSEのウェストボローを欲しかった理由も実はそこにあって、それはクラシック音楽のどんな小さな音から大きな音までも再現できる、という謳い文句にあった。最近じゃこの相棒も死にかけで、1日に1枚、CDをかけてくれるかくれないかだけど、およそ離れる気がしない。
だから今日ももちろん大音量で聴いた。
十数年ぶりに聴いたカラヤンのシュトラウスはやっぱり凄かった。
素晴らしかった。
聴きだしたら否も応もなく堰を切ったように涙があふれてきて泣いた。
そうしたらCDを聴き終るころ息子も泣いた顔して部屋から出てきて、いったい血のつながりってどこまで・・・・・・、と思うけれど、そういう自分とよく似た人間がこの世にいるってことこそがしあわせなのかもしれない。
今日このCDを聴いたらあの夜の父の様子とあまりに酷似していて、弱冠25歳の若さでこの『死と浄化』を書いたという、シュトラウスの老成ぶりにあらためて驚かされた。

| | コメント (0)

2018年8月11日 (土)

SUMMER LOVE ♡

18summer_love

いつもの土曜日。
今日から夏休みに突入。
海外のバカンスとちがって日本のお盆休みなんてあっという間に終わっちゃうんだけど、でも洗い終わった洗濯物をカゴに入れてたら自然と『朝日のあたる道』を口笛で吹いていた。as time goes by ・・・・・・
それで、オリジナルラブの『SUMMER LOVE』。
うちのBOSEのアンプ(超ロートルのWestBorough)は1日にたった1枚しかCDをかけてくれないうえに好き嫌いがとっても激しくて、1枚もかけてくれないこともよくあるんだけどなぜか(なぜか)オリジナルラブだけはスッとかけてくれる。もうこれはBOSEくんも田島貴男が好きとしか思えない。
『SUMMER LOVE』はジャケットからしてサマー・ラブにあふれてて、夏好き海好きにはたまらない、夏必須アルバム。ライナーに使われた写真、アート・ディレクションも素晴らしい。
そして、いつ聴いても思うのは、田島貴男の歌のうまさはもちろん、このひとのコーラスの入れかた、日本語の母音の音符の乗せかたのうまさは最高としかいいようがないってこと。
1995年の8月に東芝EMIからリリースされた、いまから23年前のアルバム。
田島貴男の癖のあるいまの発声、歌いかたとちがって、すごく若くてナイーブで儚さの漂う『Without You』は、いま聴いても胸キュン。イントロから曲間、フェイドアウトにまで入れられた波の音がいやがうえにも誘うから・・・・・・
海に行きたい。

180811sky

| | コメント (0)

2018年4月22日 (日)

キラッキラの愛の歌 ♡

Ivan_lins_jobniando

ベランダで洗濯物を干していた娘が「今日は本物の半袖日和だよ!」といった。
もう夏だ。
石井ゆかり風にいうと、キラッキラの愛の日。
それでわたしがものすっごくひさしぶりに聴きたくなったのはイヴァン・リンス!!!
わたしが1年でいちばん好きなのは夏に向かう新緑の美しい、ちょうどいまのころで、この時期聴くのにぴったりなのがこのイヴァン・リンスのアルバム、『ジョビニアンド』。
文字通りイヴァン・リンスがアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたアルバムで、かけた瞬間、1曲めからアーリー・サマー・ブリーズが部屋の中を駆け抜けていくよう。
このアルバム、イヴァン自身によるライナーノーツもとてもいい。
彼の人柄が文章から滲んでくるようなライナーノーツ。
(以下、ライナーより一部抜粋。)

 たぶん(いや、確かにと言った方がいいだろう)、ロサンゼルスに住んでいた僕は、ブラジルが、僕のリオが懐かしかったのだろう。そんな時、一番素敵な微笑みをくれるのはメストリ(トム)だった。そしてその後、彼が逝ってしまうと、後にはぽっかりと大きな穴が残された。まるで誰かが、僕の居間から家具を全部運び出してしまったかのような、そんな感じだった。彼については、多くの素晴らしい作品が作られた(ガル、ジョイス、ホーザ、ジョビン=モレレンバウン、シェジアッキ他多数)。さもありなん、なぜなら、彼は世界のブラジルそのものなんだから。もっとも美しいものの一つだから。そして、永遠であるものの一つだから。
 よって、僕も、今ひとりのメストリ、メネスカルの手に導かれ、トムにインスパイアサレタプロジェクトを立ち上げることにした。僕の自作と、僕の曲とも言える彼の曲(そして、彼がいつかレコーディングするだろうシナトラの曲)を収めて。自惚れたものに見えるかもしれない。けど、それは違う。これは、ただの愛の告白だ。彼への。リオへの。ブラジルへの。世界を止める。それは決して革命なんかじゃない。革命は、もっと若い世代に譲りたい。ここには美しいブラジル音楽しかない。それを僕は絶やさずにいたいのだ。心地よく。

『メストリ』とは、ポルトガル語でマスター、マエストロの意。
つづく、イヴァンに『今ひとりのメストリ』といわれたホベルト・メネスカルのライナーでは、メネスカルはイヴァンのことを『音楽の井戸』のような人物、と評している。
まさしく音楽の井戸、そしてそれは愛の井戸でもある。
『キラッキラの愛の歌』といってわたしがすぐに思い浮かべるのは、イヴァン・リンス、マイケル・ジャクソン、スティヴィー・ワンダー、ポール・マッカートニー、フレディー・マーキュリー、かな。
ちょっと古い?
古くたっていいんだ。
彼らの歌は時の流れに色褪せない輝きで、あっという間にわたしをしあわせにしてくれるから。

Ivan_lins_jobniando01

JOBINIANDO / IVAN LINS(ジョビニアンド/イヴァン・リンス)

1.ヴィヴォ・ソニャンド(夢を見ながら)~ トリスチ(悲しみ)
  VIVO SONHANDO~TRISTE (Antonio Carlos Jobim)

2.アカゾ(偶然の出来事)
  ACASO(Ivan Lins ・ Abel Silvia)

3.イヌーチル・パイサジェン(無意味な風景)
  INUTIL PAISAGEM(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

4.ソベラーナ・ホーザ
  SOBERANA ROSA(Ivan Lins ・ Chico Cesar - Vitor Martins)

5.サンバ・ド・アヴィアオン(ジェット機のサンバ)
  SAMBA DO AVIAO(Antonio Carlos Jobim)

6.ボニータ
  BONITA.(Antonio Carlos Jobim - Ray Gilbert)

7.ヒオ・ヂ・マイオ
  RIO DE MAIO (Antonio Carlos Jobim)

8.エスチ・セウ・オリャール(まなざし)~ プロメッサス
  ESTE SEU OLHAR ~ PROMESSAS (Antonio Carlos Jobim)

9.タイム・アフター・タイム
  TIME AFTER TIME(Jule Styne - Sammy Cahn)

10.カミーニョス・クルサードス(十字架)
    CAMINHOS CRUZADOS (Antonio Carlos Jobim)

11.エウ・セイ・キ・ヴォヴ・チ・アマール(あなたを愛してしまう)
     EU SEI QUE VOU TE AMAR(Vinicius de Moraes - Tom Jobin)

12.ヂンヂ
   DINDI(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

13.ジョビニアンド
   JOBINIANDO(Ivan Lins - Martinho da Vila)

14.シー・ウォークス・ディス・アース
   (ソベラーナ・ホーザ英語バージョン・リミックス)
   SHE WALKS THIS EARTH

15.ヂンヂ(英語バージョン)

| | コメント (0)

2018年2月25日 (日)

すばらしき世界

Beth_carvalho

『すばらしき世界』というと、いまはもうTVを見てないわたしの頭にもすぐ缶コーヒーのBOSSのCMが浮かぶけど、ほんとはそんなにハイブローに皮肉たっぷりじゃなくて、もっと素直に『What a wonderful world!』といえたらどんなにいいだろう。

ベッチ・カルバーリョの歌は、汗と、涙と、笑顔の先にひろがる虹のような世界。
サンバはボサノヴァなんかよりもっとずっと切実で、ブラジル庶民のこころに根ざした音楽。聴いているだけで涙があふれ、自然にからだが動きだす。アフリカンルーツのわたしたちのDNAに直接つながる音楽だと思う。わたしはこんなにいいと思うのに、なぜベッチの歌のよさを多くの人と共有できないのか全然わからない。
ベッチ・カルバーリョをわたしに教えてくれたSさんも、単純に計算してもう70を越えたのかと思うと、時の流れの早さにくらくらするけど、もう彼に二度と会うことはなくても、彼がわたしにスペシャルセレクトのベッチのCDをくれたことは、いまとなっても眼識が高かったと思う。あれからずっとわたしはベッチの歌を愛しているし、折あるごとにそこから生きる力をもらっているから。
サンバの母。
太陽のおかあさん。

でもこのアルバムのタイトル『MUNDO MELHOR』をポルトガル語の辞書で調べてみると、『すばらしき世界』ではなくて、『より良き世界』。
ああ、それでか。最初見たとき何かと思ったけど、この上を向いた矢印。
きっと音楽でより良き世界を目指そうっていう、いかにもベッチらしい、と思ったら、ライナーによればそうではなくて、諍いの後に、よりマシな関係を築いていこうとしみじみ諭す歌ですって。なるほど、今日聴くのにぴったりってわけだ。

このアルバムは長いこと入手困難だったけど、おととし期間限定盤の『ブラジル・コレクション1000』というのが発売されて、なんと1000円という廉価で買えるようになった。ブラジル盤じゃタイトルの意味もわからないけど、ちゃんとライナー・ノーツも付いている。
ブラジル音楽好きなら聴かなきゃ損。
ベッチ・カルバーリョ、1976年の出世作。

< 収録曲 >

1. 去りし愛へのサンバ Antes Ele do que Eu 

2. あなたが望むなら Se Voce Quiser 

3. 陽気になろう Quero Alegria 

4. 丘にもどって Volta pro Morro 

5. 沈黙のバラ As Rosas Nao Falam 

6. 我が友カルヴァキーニョ Cavaquinho Camarada 

7. あなたとどこまでも Te Segura

8. こんな暮らし Salario Minimo 

9. 心の楯 Meu Escudo 

10. すべては音楽 Divina E a Musica 

11. 幸せへの道 Com a Vida que Pediste a Deus 

12.すばらしき世界 Mundo Melhor

| | コメント (0)

より以前の記事一覧