日常のなかの詩/詩のある日常

2018年9月12日 (水)

さようなら

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さようなら


わたしの肝臓さんよ さようならだ

腎臓さん膵臓さんともお別れだ

わたしはこれから死ぬところだが

かたわらに誰もいないから

君らに挨拶する

長きにわたって私のために働いてくれたが

これでもう君らは自由だ

どこへなりと立ち去るがいい

君らと別れて私もすっかり身軽になる

魂だけのすっぴんだ

心臓さんよ どきどきはらはら迷惑かけたな

脳髄さんよ よしないことを考えさせた

目耳口にもちんちんさんにも苦労をかけた

みんなみんな悪く思うな

君らあっての私だったのだから

とは言うものの君ら抜きの未来は明るい

もう私は私に未練がないから

迷わず私を忘れて

泥にとけよう空に消えよう

言葉なきものたちの仲間になろう

 

( 谷川俊太郎 『さようなら』 / 『死と詩をむすぶもの』より )

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おとといプリントした遺影を届けに実家に行ったとき、妹と棺に何を入れるかという話になって、家に帰ってから「あなたたちも何か入れたいものがあったら用意しておいてね」とふたりの子供にいうと、娘は即座に「わたしは手紙を入れる!」といって、わたしも「いいね、それ。おかあさんもそうする」といったのだった。
葬儀の前日だから早く寝たいと思ったのにけっきょく昨日も一日バタバタして、寝る前になってからやっと手紙を書きだしたのだけれど、いつもだったら書いちゃ破り書いちゃ破りしてなかなか書き終わらないわたしが、昨日は一度も書き直すことなく一気に書きあげることができた。つまり、なんにも考えずに書けたってことだ。頭を使わずに、こころから出てくるままに書いた手紙。だからもう二度とおなじようには書けないし、たった一度限りの手紙。
父へのありがとうの手紙。
いつもそんなふうに書けたらわたしの言葉はもっと人に伝わるだろうか。
どうだろう? わからない。
最後に今年1月に亡くなったJさんからもらったマリアさまのメダイを入れた。
父の亡くなった8日は母の誕生日というだけではなく、マリアさまの誕生日だと友達に教えてもらったから。

自宅で納棺、ということで、祖父のときのことを思いだしていた。
でも、あの家はなんたって大きかったし、祖父はまだ若かったから、おなじようにまだ若い娘や息子や、その連れ合いや、たくさんの孫たちや親戚に囲まれて納棺の儀は賑やかだった。わたしはまだ中学生で、紺の制服を着ての出席だった。
今朝、納棺に集まったのはたったの6人。
でも、それでも狭い部屋では身の置き場もないようだった。
やっと冷たくて重たいドライアイスから解放された父の棺には、いつも愛用していた帽子、妹がハワイで買ってきた帽子、うちの息子が誕生日に贈った夏の帽子、それに滅多に着ない上等のスーツに、父が寝たきりになってからわたしが買った竹布のタオルケット、シルバーパスや地図や都内のバスの路線が載った観光ブックや好きだった煙草やお菓子や細々したものなどが入れられ、瞬く間に全身花で埋められて最期にみんなの手によって静かに蓋が閉じられた。
娘とわたしは手紙と、父が少し元気になったらこれで嚥下訓練をしてもらおうと買ったおもちゃの笛と紙風船を入れた。
あたりまえかもしれないけれど、棺の中の父の顔からはもう、どんな表情も読みとれなかった。というより、それはもういつもの父の顔ではなかった。
空は雲が切れて晴れ間が広がっているのに、霊柩車のフィルムのかかった窓から見える景色はモノクロームで、それは時間の感覚をおかしくさせるようだった。

火葬場で遠くから来た叔母と従妹と落ちあい、炉の前で棺が少しずらされて、みんなで最期のお別れをした。お世話になったケアマネージャーの男性がここまで来てくれたのにはちょっとびっくりした。
小さかったころは、業火で焼かれるということ自体がこわかった。暗くてじめじめした地中に入れられ、重たい石で閉じこめられるのもすごく嫌だった。
でも今日、炉の前でゴーという炎の音を聞いても、子供のころにはじめて感じたあの激しい感情にふたたび襲われることはもうなかった。もうとっくに父が今生におけるすべての苦しみから解放されたのを知っていたから。

そしてほどなく収骨の時間がやってきて、経験するたびいつも思うけど、収骨ってなんてシュールなんだろう。これをやるのって日本だけなんだろうか?
係員の人が慇懃丁寧に箸で骨をつまんでひとつひとつ説明してくれるのを聞きながら、みんな子供のように驚いたり、明るい声を出したり・・・・・・。しばし死の哀しみから離れて、単純に観察者の顔になる。骨を骨壺に詰めながら係員の男性はおもむろに骨壺に書かれた年齢を確認したあと、白い手袋をした手で骨壺の3分の2くらいのところを指さし、「このくらいの年齢の方になるとふつうこのくらいまでしかお骨が残らないものなんですが、これだけ残るということは、ずいぶん身体のしっかりした方だったんですね」と物柔らかな口調でいった。それを聞いて妹もわたしも、父はもともと小柄な上に骨粗鬆で転んだらいつ、どこの骨でも簡単に折れる、と医者から注意されていたから、すごく意外だ、という反応したのだけれど、でもそれだっていまになって思えば数日前、「きっとおじいちゃんの骨は少ないだろうね」という息子にわたしは、「いや、あの時代の人はいまの人とちがって骨がしっかりしてるから、意外と多いんじゃないかな」と答えていたのだった。
で、実際に太くてしっかりした父の骨を見ていたら、父はほんとうはもっと長生きできた人なんじゃないか、という思いが一瞬、頭をよぎった。少なくともあと2年、父が見たかった東京オリンピックの年くらいまでは。もっとも、父が自分の健康にもっとコンシャスな生き方をしていれば、の話だけれど。

葬儀屋さんが提供するごく一般的な葬儀というのはお金は莫大にかかれど至れり尽くせりにできていて、案内されるままベルトコンベアーに乗っているように整然と粛々と物事が進んでいくものだけれど、それを選ばなかった我々は至極手作り感満載の、つまり段取りの悪さが露呈してしまう一日となった。それでもそれを払拭してくれたのはそのあと会食したレストランで、そこではごく親しい身内だけで誰に気を遣うこともなく、おいしい料理を食べ、それぞれ飲みたいものを飲み、みんな歳が歳だから苦くて重たい話もあったけれど、それもこの家系の色というのか、なかなか諧謔に富んでいて、口々にいいたいことをいいあって楽しくすごした。何よりあのモーツァルト狂の叔父が「またみんなで集まってこういう会をしようよ」といってくれたのはよかった。変な言い方だけど、父がここにいたらどんなに喜んでくれただろうと思う。(そう思っただけで涙が出る。)つくづく今日の会食はお金を払うに値する時間だった。葬儀屋さんのコースにパックされた食事じゃ、こうはいくまい。

ビールに紹興酒を飲んで酩酊気味の妹と帰りのバスの中で別れ、家にたどり着くと、深い深い疲れがどっと襲ってきた。いつもとおなじ自分の家の中が、なんだかいつもと全然ちがって見えた。少なくとももう、ここに父が来ることはない。
そう思ったところで疲れすぎているせいかなんの感情も湧かなかったけれど、父がいなくなったさびしさとかなしさは、これから時間の経過とともに繰り返し、繰り返し、波のようにどんどんやってくるのだと思う。

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孫さんの本日のスペシャルな一品、ぷりぷり海老の揚げ春巻き。

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2018年5月22日 (火)

詩とか、歌とか。

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日曜日の午後遅く、ふいにかかってきた電話は静かな湖面に手を入れて引っかきまわすようなものだった。その時間までお昼も食べずに仕事をしていたわたしは、ちょうどこれから遅いお昼の買いものにいこうとしているところだったから、タイミングも悪かった。わたしはただ彼女の要求に対してほんのちょっと時間をくれといいたかっただけなのだけれど、どこでカチっときたのか彼女はだんだん感情的になり、あろうことか2年前の暮れの嫌な出来事まで引っぱりだして蒸し返した。あれだって自分のなかでは無理やり封印して乗り越えたことだった。なぜなら、そのころ彼女は肉体的なハンデを負っていたし、その夜はひどく酔っぱらってもいたから。自分が寛容になって水に流すしかないと思ったのだった。
相手が感情的になるとわたしの頭は一気に合理的になり、自分はどうしたらいいかだけ聞いて電話を切った。その日のうちにいわれたことはやったけど、釈然としない思いだけが残った。何より彼女からいわれた言葉はわたしの鳩尾に重たく残った。ちょうど先日、彼女とわたしは生まれ育ちも性格もちがうけど、合う合わないにかかわらずもうソウルメイトなんだろうなあ、としみじみ思ったところだったからなおさらがっかりした。
いつも人は些細なことで大切な相手と擦れ違ってしまう。
でも精神世界においては人から裏切られるのも利用されるのも雑な扱いをされるのもぜんぶ自分のせいと決まっているのだ。やれやれ!
それで今日も冴えない気分で娘と遅いランチをしたあと苦し紛れに詩を書いた。
最初のフレーズがふいに空から降ってきて、きっとまた書きだしたら数行で書けなくなるんだろうなあ、と思っていたら一気に最後まで書けて、書きあがったら鬱屈していた気持ちは歓びに変わった。
物書きの性。
けっきょくわたしは書くことでしか解消されないんだなあ、と思った。
書き終ったらこんどはいま頭にあったイメージを絵に描きたくなって、いつものように、どんな絵を描きたいか、構図もタッチも頭にははっきりあるのだけれどわたしにはそれを描く力量もなければそんなことをしている時間もないから、方眼ノートに鉛筆でパーッと描き殴ったのを破いて娘に渡し、「こんな絵を描いてくれない?」といってバタバタと家を出た。今週も実家に夕飯ヘルパーに行くために。
娘がその絵を描いてくれるかどうかはわからない。
描いてくれたらわたしはここにアップするだろうか?
わたしの意趣がわかる相手が見たらきっとわたしを嫌いになるだろう。
でも嫌われたら嫌われたでかまわないという気持ちがどこかにあって、それがそのまま詩にでている。

日曜の電話のあと、襖をぴっちり閉めてやっぱり仕事をしていた息子が部屋から出てきて、「おかあさんもさ、ふだんピース・オブ・マインドがミッションとかいってるならもういいかげん、そうできない相手とつきあうのはやめたら?」といった。
息子のいうことは正しい。
いつもわたしにいちばん厳しいのは2人の子供だ。
それで、そういう厳しい人間が近くにいるのはいいことだと思う。
自分に対して歯に衣着せずに厳しいことをいってくれる人が近くにいないと、いくつになっても我儘で甘えた大人子供みたいな人間になってしまうから。
転んだ後に読み直した足立幸子さんの本にも書いてあった。
『愛』とは厳しいものだと。
そこに『情』がつくからだめなんだと。
日本って、情に棹さして流されてばっかの国だもんなあ!

日が長くなって明るいうちに実家に行くと、父はもう夕飯(といっても、お昼の残り)を食べ終わっていて、もう何もいらない、という。だったら天気もいいからバスに乗って阿佐ヶ谷にでも散歩に行こうか、それとも近所の喫茶店であんみつでも食べない? あるいは父がよく行くスーパーマーケットで好きなお菓子でも買うとか、といろいろいってみるのだけれど、けっきょくぜんぶ却下されるのだった。それで今日は夕飯の支度もなーんにもしないで、もう百万遍も聞いた父のいつもの山手線の話を延々聞いて、噛みあわない会話をし、7時半になってNHKの『歌謡コンサート』を見た。今夜は東京特集で、オープニングからわたしの好きな『東京ラプソディー』で、昭和30年代から80年代の東京の街の映像と、その時代時代に流行った歌を取り上げていてすごくよかった。歌謡曲が好きか嫌いかということは置いとくとして、日本の昔の歌謡曲ってほんとによくできていて、母音がしっかり音符に乗ってて情感がある。歌ってて気持ちいい。「昔っていい歌いっぱいあったし、昔の歌手のほうがうまかったよねえ」といいながら見た。父も懐かしい懐かしいといいながら、最近にしてはめずらしく楽しそうな顔をして、ときどき自分も一緒に歌ったりしながら見ていた。けっきょく番組が終わるまで見た。すごくひさしぶりに父の笑顔を見た気がする。よかった。これぞまさしく音楽セラピー!

帰りの電車でブローティガンの『東京日記』の青い表紙をひらいたら、このあいだアムレテロンさんで買ったときはなぜこれを選んだのかわからなかったけど今日にまさしくシンクロニシティで、それはブローティガンがはじめて日本に来た1976年の5月から1ヵ月半、東京に滞在して書いた日記形式の詩集だった。
子供のころ、大好きだったエドワード叔父さんを第二次世界大戦で失って、以来、家族が誇りにしていたその大切な叔父を殺した日本人を人間以下のサルだと思って憎みつづけていた少年ブローティガンがなぜ大人になって日本に来ることになったか。それが前書きを読むだけでわかるこの本を、日本がおかしな方向にいきはじめたいま読むのは意味があることだと思う。前書きの終わりのほうには『作品の質にはむらがあるが、あえて全部を活字にした。これは日本でのぼくの気分と感情をしるした日記であり、生活の質はむらのあることがよくあるからだ』なんて文章もあって、そのとおりだと思った。
どうやらわたしのスロートチャクラの詰まりも解消されたみたいだし、わたしもむらがあっても気にせず出しつづけるとしよう。鳥が運んだ種みたいなものが何になるかはわからなくても、飽きずに諦めずに水をやり、光にあてよう。

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2018年1月 5日 (金)

冬の時計

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ミルクを温めるのはむずかしい
青いガスの火にかけて
ほんのすこしのあいだ新聞を読んだり
考えごとをしていたりすると
たちまち吹きこぼれてしまう

そのときのぼくの狼狽と舌打ちには
いつも
「時間を見たぞ」
「時間に見られてしまったな」
という感覚がまざっている

ミルクがふくれるときの音って
じつに気持ちが悪い
と思いながら急いでガスの栓をひねったときはもう遅い
時間は
ゆうゆうと吹きこぼれながら
バカという
ぼくも思わずかっとして
チクショウといい返す

今日の石鹸はいいにおいだった
なるほど
きのうのヒステリー
あしたの惨劇
みんな予定どおりというわけか
冬の時計が
もうじき夕方の六時を打つ

( 北村太郎 詩集『ピアノ線の夢』から『冬の時計』)

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朝、牛乳配達屋が玄関のポストに瓶に入った牛乳を届ける音が聞えるり、寝まき姿の母が出て行って、玄関前の板の間に立ったまま紙の栓をあけ、唇に白い液体を滲ませるように飲んでいた姿をいまでもなぜだかとてもリアルに、鮮明に憶えている。
それは暖かい季節のことじゃなくて、寒々しい冬の朝のこと。
母の姿を見上げるわたしは身震いしそうだった。
たぶん、わたしの4歳前の記憶。

わたし自身はあまり牛乳というものが好きじゃなくて、小学校の給食で毎日出される牛乳を飲むのはとても苦痛だった。とくに真夏の生ぬるい牛乳。低学年のころはふるい木造校舎だったから、木の床に誰かがこぼした牛乳の匂いを嗅ぐのもほんとに嫌だった。
そんなだから、大人になってからもとくに積極的に飲むことはなくて、最初の子供を産んだとき、家庭訪問に来た保健婦さんに、産後のカルシウム補給のために牛乳を毎日飲むように強くいわれたときは心底げんなりした。成人が1日に飲まなきゃならない牛乳の量は厚生労働省で決められてるって。そのときから日本の厚生労働省の決めたことなんておよそ信用できないと思っている。

それでも牛乳がすごく嫌いかというとそういうわけでもなくて、子供のころは苺にお砂糖と牛乳をかけたのを食べてたし、それどころかときにはごはんに牛乳をかけて食べたりしていた。いまとなってはそんなのもすごーく昭和な風景だと思うけど。
そんなわたしが唯一、牛乳を飲みたいと思うときがあって、それはあんぱんとカステラを食べるとき。
あんぱんと牛乳、カステラと牛乳。
なんて黄金の組み合わせなんだろう! と思う。
今日は雪でも降りそうな寒い日で、でもやっぱり仕事をしてたらお昼を食べそこねちゃって、体温がみるみる下がってますます寒くなってきて、キッチンに置いたかごには、このあいだデパートの地下のスーパーマーケットで買ってきた切り落としのカステラが一袋。
それで寒いなか『特濃』という牛乳を買ってきて、さすがに冷たいまま飲む気にはなれないからホットミルクにしてカステラと一緒に食べることにした。娘とふたりの、おやつみたいな遅いお昼。ミルクパンからもうもうと湯気のたつ牛乳をふたつのカップに注ぎ分けて、ホットミルクなんて二十年ぶりくらいに飲んだけど、なんだか目が覚めるくらいおいしくてびっくりした。
外は時折り鋭く鳥の声が響く以外はとても静かで、部屋の中は暗く、今日はたぶん、Jさんが煙になって大気に消える日で、灰色の空からはいまにも大粒の雨が降ってきそうで、ミルクを飲みながら子供のころからどうして、お通夜とかお葬式の日ってこういう寒くて暗い日が多いんだろう、と考えた。
ホットミルクがひときわおいしい、寒い寒い、さみしい日。

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2016年10月10日 (月)

青葱を切る

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気温がいちだんと下がって大気がひんやりした朝、藤本さんから詩集が届いた。
藤本さんに初めて会ったとき感じた清冽で静かな印象そのままに、美しい本。

 青葱を切る

このタイトルを見たとき、日常的に料理をする実に藤本さんらしいタイトルだな、と思った。
すぐにもひらいて読みたかったけど、今日はでかける予定があったから、あとできちんとこの本だけの時間をつくって読もう、と思って机の上に置いてから、あ、待てよ、電車の中で読もう、と思ってB5の和紙のレターペーパーを何枚か貼り合わせてブックカバーを作ってくるんだ。持ち歩いても汚れないように。
電車の中で詩集なんか読むのか、と思うかもしれないけれど、昔からわたしはそこを『幻想の箱』と呼んでいた。フルタイムではたらく勤め人のわたしにはそれくらいしか時間がなかった、ともいえるけれど、街っ子の性か、雑多な人の中でむしろ独りぼんやりできる自分がいた。
あまりにも混んでて本も読めないとき、つり革につかまって車窓に流れる外の景色を見ていると、ふいに言葉が降りてきたりして、ああ、わたしはまだだいじょうぶ、と安心したりもした。といって、その言葉を追いつづけることもできないまますぐに降りる駅について、怒涛のように現実の時間に押し出され、微かな言葉の気配のようなものはあっという間に虚空に掻き消されてしまうのだけれど・・・・・・
でもそれが、そんなに混んでない午後の電車なら、それはまさしく幻想の箱だ。
詩集は一気に読むものじゃないから、書き手の息づかいのままに言葉を音にしては止まり、音にしては止まりして、ときどき膝の上に本をひらいたまま窓の外をぼんやり眺めて、水面に投じられた小石が静かに波紋を広げてゆくように、自分のなかに広がるイマジネーションに浸るのが好き。

そうして今日、休日なのに意外と混んだ電車に乗って、つり革につかまったまま詩集をパラパラっとやったらすぐにいくつかの言葉が目に飛びこんできて、それだけで、ああっ! 詩って恥ずかしいな、と思った。言葉って恥ずかしい。
それから席が空いて、電車のシートに座ってこんどは落ち着いて詩集をひらいた。
そして最初の詩を読んで、この人ってすごくリズム感のいい人だな、と思った。
息が合う、ということだと思うけど、どんなにすごい賞を獲った新進気鋭の詩人の詩でも、そこが自分とまったく合わないと、自分のなかに入ってこないし、チューンしないから。藤本さんはわたしより遥かに年下の方だから、もう自分なんかとはかけ離れた感覚の言葉を綴る人かと思いきや、そんなことは全然なくて、むしろそれは自分になじむものだった。

最初の詩は、瞬く間に過ぎてしまう『春』という、一見のどかで優しげな季節の、明るくて空虚な、誕生あるいは開花に向かって一気に充溢していく生命のエネルギーの中で主体が感じている落ち着かない、くるしい感じをよく描いていて、その前のめりな勢いがこの詩集のスタートにぴったりだと思った。この詩を最初にもってきたところがまず素晴らしい!
それから数編、春の詩がつづいて、そう、この詩集は春ではじまるんだな。
藤本さんのなかで激しくいろんことが動きはじめたのが春だったのかもしれない。
数年前の。

『ミチルの夏』まで読んで本を閉じた。
後半の、言葉の臨場感が凄かった。
女言葉で書かれた一見ライトヴァースのこの詩のなかには、母親の死に直面した若い女の子のリアルな感覚が見事に描かれていて、それは自分の経験したことともちょっと重なって、いったい藤本さんてなんなのかな、と思った。
つまり、近くにいたらぜんぶ見透かされそうな。
それから隣に座っていた娘に「藤本さんの詩、すごくいいよ」といった。
よかったね、と娘が笑顔でいった。

詩集に添えられた、本のタイトル文字そのままの細い字で書かれた手紙には、『月並みな言い方ですが、あとはひとりでも多くの方のところに届き、そのひとりひとりの方の中で詩が育っていって欲しいと思います』と書かれていた。
自分の書いた詩が他人の中で育つ、なんて自分では考えたこともなかったけれど、たしかにそういうこともあるかもしれないなと思う。
ときどき何かの風景を前にして、自分の言葉じゃない、自分がこよなく愛する詩人の言葉の断片がふいに頭に浮かぶことがあって、それは繰り返しその詩を読んだことでいつの間にかそれが自分の血となり肉となったからだと思っていたけど、それもまた詩が育った結果といえるなら。

藤本さんは中央線沿線に住む30代の詩人さんで、藤本さんのまわりには彼を支援するたくさんのご友人、たくさんのクリエイターたちがいるから、文字通りこの詩集はたくさんのひとたちの元へと運ばれるだろう。
そういう人の中には今回はじめて詩の本を手にした、という人もいるかもしれなくて、この詩集の中にあった『種』ではないけれど、人のこころを詩に導く最初の種となるかもしれない。

滅多に好きなものがない、お世辞は全然いえないわたしがいいと思った詩集です。
気になった方はぜひ手にとってみてください。

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藤本 徹 第一詩集 『青葱を切る』 

 装幀 清岡秀哉
 装画 西 淑
 印刷 繁栄舎印刷

 お取扱い店

 ●高円寺 Amleteron

 ●西荻窪 服と雑貨 イト

 ●吉祥寺 食堂・音楽室 アルマカン

お取扱店は徐々に増えていくんだろうなと思います。
11月には阿佐ヶ谷CONTEXT-s(ing企画)で出版記念展もされるそうです。

藤本さんのメールアドレス oldblindcat99@gmail.com に直接ご連絡すれば
送料込み1800円で送ってくださるそうです。

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2015年10月 7日 (水)

秋猫記

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 秋猫記


頭を下げ肩をゆすってゆっくり這い

立ち止まって繊細に尻をふる


ねらったとかげに跳びつき

ピンクの歯茎にくわえ髭をぴんと張って


得意げに座敷に上がり口から放して

片方の前肢でしつこくいたぶる


昼はひとみが細いから

なにしろこの世はめまぐるしい?


ミルクを手まえ巻きの舌で飲み

ゆっくり戻って死体をたしかめる


夏の庭に動くものすべてが

おまえの敵だった花ござ下のミイラ


不安な夕ぐれから隠れたつもりだろうが

ふようの葉のしたに耳が見えてるぞ


じきに虫たちがおまえの犠牲になろうが

冷えたこまかい雨だって降ってくる


用心しろよ濡れたおまえはみじめだ

遠出から帰って明るい電灯の下で


ていねいにからだを舐めまわしたって

なかなか暖かくならないんだミャオと低く鳴いたって・・・


マフラーみたいに丸くなって目をだるそうにひらくと

大きな黒いひとみになっていて


また閉じて咽喉であるじに慄えるごあいさつか

猫満つどき一度起きて大あくび


からだを伸ばし足を突っぱり

畳で爪をといで少し考えこみ


雨戸をあけてやると顎を闇へ・・・

thy fearful symmetry  は不定で一定だな


(思潮社 現代詩文庫61 北村太郎詩集 未刊詩篇より『秋猫記』

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私が毎日その道を通らなくなってしまったということもあるかもしれないけれど

最近パンダに会うことが少なくなった。前はいついかなるときでも(たとえ夜遅

くであっても)どこからか私をみつけてはニャーといいながら勢いよく飛んでき

たのに。あんまり長いこと見かけないから、このあいだなんかはついにパンダ

も人の飼い猫になったか、とも思ったけれど、どうやらそういうわけでもないら

しい。それにパンダに限らず、かつては路上にも近くの公園にもあれほどたく

さんいた猫をぱったり見なくなったということは、人の手が入ったということだろ

うか。私の住んでいる市はとってもプアで猫どころか人間にさえ手厚くないから

『地域猫』なんてしゃれたものがあるわけもなく、手が入ったはイコール追い払

われたか保健所に連れて行かれたかを意味する。あるいはこのあいだあたり

長いことかけて夏のあいだに生い茂った草の刈りこみと樹木の伐採をしていた

から、もしかすると猫が嫌がるものを地面に撒いた可能性もある。いずれにし

ても猫がいなくなったのにはなんらかの理由があるだろう。すっかり草が刈られ

て、もう猫が隠れるところもなくなって、猫のほうからどこかに行ったのだろうか。

それに直近でパンダに会ったのは2回とも昼間だった。

昼より夜のほうが人目につかず安全にエサにありつけることをよく知っているの

は猫のほうで、エサをねだって出てくるのはたいてい夜で、昼間はどちらかとい

うと余裕で遊び半分で声をかけてくることが多かったのに、そのパンダを涼しく

なりはじめたころから夜に見かけなくなった。

もしかしたら昼間は自由に出入りさせてもらって、気温が下がる夜は暖かい家

の中にいるのだろうか、なんて、こちらの希望的観測で考えてみたるするけど

実際のところはパンダも年をとってきて、吹きっさらしのところにいるのがツラク

なったからどこか風の当たらないところにでも隠れているのかもしれない。

ここ数日で一気に気温が下がり大気が冷えてきたので気になって、買いものに

出たついでに植え込みの中を覗きながら歩いていたら、白いものが見えニャ、

と小さな声が聞こえた。前だったらすぐ出てくるところがなかなか出てこない。

やっと出てきたと思ったら以前のように愛嬌をふりまくわけでも、くるっと回って

みせるでもなく、なんだかうらめしそうな顔をしている。

春の頃はまだふっくらしていて元気で、好奇心旺盛なところを見せていたけど

前より毛艶も悪くなって、痩せて、妙にさめた表情をしていて、なんだか急激

に年をとったように見える。年老いた人間がひと夏ひと冬越すのが年々大変

なように、のら猫にとっても夏を越すのは大変だったのだろう。特に今年は異

常気象で雨ばかり降って湿度が高かったから。

昼間はカリカリをポケットに入れてないので話をしながらカメラを向けていたら

なんだまたそんなことか、といわんばかりにそっぽを向かれてしまった。

夜出てきてもまた会えないのだろうしと家まで戻ってカリカリをやると、のその

そやってきて食べていたけど、あとで見たら残していた。最近、食も細くなった

ようだし、いったいどうしたものかなあ ・・・・・・

詩人の北村太郎は大の猫好きで、飼い猫のほかに準飼い猫もいろいろいた

らしく、猫のことを書いた詩も多い。それらを読むとじっつによく猫を観察して

いて、よっぽど猫が好きだったんだなあ、と思うのと同時に季節の情趣もよく

でていて、いつもぼんやりしてしまう。つまり北村太郎がのら猫に自分の行く

末を投影していたのは間違いなく、でもそれって自分もおなじか、と思う。

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2015年7月16日 (木)

小さなあまりにも小さな

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小さなあまりにも小さな


小さなあまりにも小さな

ことにかまけて

昆虫針でとめられた一羽の蝶のように

僕は身動きひとつできない

僕のまわりを

すべては無声映画のように流れてゆく


両国の川開き

徳球北京に死す

砂川の強制測量開始

台風二二号北進

すべては

無言で流れ去るばかりだ


自己嫌悪と無力感を

さりげなく微笑でつつみ

けさも小さなユリの手を引いて

僕は家を出る

冬も間近い木漏れ日の道

その道のうえを


初夏には紋白蝶がとんでいたっけ

「オトーチャマ イヌよ」

「あの犬可愛いね」

歩いているうちに

歩いていることだけが僕のすべてになる

小さなユリと手をつないで


(黒田三郎 詩集『小さなユリと』より、『小さなあまりにも小さな』 )

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昨日も夕方までコンピュータの前で汗をかきながら仕事して、夕方シャワーを

浴びて夕飯の買いものに行った。途中、ネットのニュースで安保法案の強行

採決を知ったけれど息子も私もどちらも口をひらかずにいた。夜半過ぎから

降りだした雨はどんどんひどくなり、窓をたたく激しい雨音を聞きながら今夜

Yも国会前のデモに行っただろうか、夜遅く雨に降りこめられてなければいい

けれど、と思った。Yにももう長く会ってないから彼女がいま何をしてるかもわ

からない。思いだすのはもう何年も前のこと。まだ小泉政権だったころだ。

久しぶりに会った彼女は難民問題を扱うマイナーだけどけっこうラディカルな

雑誌に署名原稿を書いていて、小泉政権下でこの国がいかに右傾化してい

るかを説き、自分もこんなことしてたらいつか捕まるかもしれない、というので

私は「まさか。戦時中でもあるまいし」といったのだけれど、それがまさかとば

かりもいえない時代になってきたぞ、と思ったのだった。

なかなか眠れず悩ましくも激しい雨は一晩中つづき、大雨・洪水の警戒警報

を知らせる携帯のアラートは朝まで何度も鳴りつづけた。雨は朝になっても

やむことなく、視界がけぶって見えるほどだった。3.11以降、よほどじゃない

くらい昼間は電気をつけないダイニングルームは真っ暗。太陽が出てないぶ

ん、気温は下がったのだろうが湿度がものすごくて蒸し暑い。昨日の今日で

当然のことながらどこもかしこも賑わしく、情報があぶくのように出つづけてい

る。昔は人の頭の中は世に出て発言しているわずかの人についてしかわから

なかった。いまだってインターネットに出てこない人の頭の中はわからない。

インターネットによって新たな表現のチャンネルができ、誰でも自分の考えを

いえるようになったのはいいことだけれど、でも一方で嫌なのは、3.11以降

常にどこかで誰かがつまらない小競り合いをしていること。つながる人・つな

がらない人、何かをいう人・いわない人、デモに行く人・行かない人、etc,etc。

そこでいつも誰かの動向を見ながら他人を攻撃している人や、自分に劣等感

やうしろめたさを感じている人がいること。今回も右とか左とかいいあってる

けど、安倍首相のやっていることはほんとうの意味での右じゃないんだから

それに反対したところで左ってことにもならないじゃん、と私は思う。領海を侵

犯してサンゴを盗み、海の生態系にダメージ負わせる他国船はなんとかした

い、敗戦国として耐え難きを耐えてきたところもいっぱいある、でもだからとい

って今回の自衛隊の海外派兵を伏線とした安保法案には賛成できない。

安倍さんが何をどういおうといま世界では、日本が戦後70年たって『戦争し

ない(できない)国』から『戦争をする国』になったと報じられているのだから。

パワー・ポリティクスというのだそうだけれど、それを最大限に使って国益を

上げることだけが果たしてほんとうに国や国民のためになることなのか、と

思うし、現実には右を向いても左を見ても、この国をまっとうな方向に牽引で

きる強いリーダーはいないしで、現実には右にも左にもなれない、というのが

ほんとうのところなんじゃないだろうか。

そんななか、たとえアメリカとの最初の安全保障条約からの流れをまったく

知らない若い人であっても、ごくシンプルに「戦争はぜったい嫌だ!」「表現

の自由を奪われたくない!」という気持ちだけで国会前に駆けつけた人が

多くいたのは価値あることだと思う。たとえそれで何かがどうなるけでなくて

も、また次回の選挙の投票率向上につながるのなら、なおさら。

ここ数日来いろんな人の考えを読んでいろんなことを考えれば考えるほど

いま何をするのが最も有効なことなのかわからなくなって頭がぐるぐるした。

今日も夕方、買いものに出ようとしたら息子が突然「なんだか今日も苦しい

一日だったね」というから、それが今日の湿度90%の天候をさすのかメンタ

ルをさすのかわからなかったけど、まあ、どっちもなんだろうなと思った。

それでつい「ネトウヨというのはいつごろからいるんだろう?」と聞いてしま

い、それがもとでまたしても喧々諤々の議論になった。最終的にはちゃん

と話し合えてわかりあうことができ、お互い同じようなところにいたんだとい

うのがわかったからよかったけれど、こと政治の話はたいへん疲れる。

面と向かって家族とでさえこれだから、顔の見えないインターネット上で他

人とキーボードを連打しあって議論、なんてものをする気はまったくない。

ぐるぐるする頭を開放しに外に出ると、上がったかと思った雨はまだ時折り

ぱらぱら降ってきて、相変わらず風が凄かった。

風の強い日、木陰のベンチに座って目をつぶっているとまるで海にいるみ

たいな気がするそこは昔、息子がまだ赤ちゃんだったころによく行った場

所で、風で荒れ狂う樹木を見ていたら、このまえ読んだばかりのこの詩の

ことを思いだした。

この詩と昨日にはいくつか共通するキーワードがある。

とりあえず昨日、2015年7月15日のことは記憶に刻んでおこうと思った。

夜、この詩についてのいい文章をみつけた。

自分がこの詩を読んで思うこととはすこし違うところもあるけれど、奇しくも

今日、蟹座の新月にはふさわしい詩ではないかと思う。


 黒田三郎詩集 現代詩文庫を読む


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2015年6月30日 (火)

ぽえむぱろうるに行ってきた。

15poem_parouru

6月もついに最後ということで、今日も仕事が終わるなり家を出て、娘と一緒

に池袋リブロに行ってきた。閉店だからということなのか、夕暮れ時の書店は

中も外も人でいっぱい。なかには閉店を告げる看板の前でiPhoneかざして写

真を撮る人や、書店の中で一眼レフでフラッシュ焚いて写真撮りまくる人やら

で終わり感が漂ってる。

でも2階の特設コーナーの『ぽえむぱろうる』はそうでもなかった。

JAZZと同様(って一緒にしていいかわからないけど)、詩のニーズは少ない

からだと思う。(潜在的ニーズは別として。)

壁には詩人の写真や直筆原稿が飾ってあったり、本の大きさも違えば様々に

意匠の異なる非日常の本が静かに並んでいて、ああ、こんなだったっけ、と思

った。そこはもちろん、昔の(本物の)『ぽえむぱろうる』とはちがうし即席感はあ

ったけど、でもこの空間はやっぱりすごく懐かしいものだった。マスにもアドにも

興味が薄い人間にとって、これほど居心地のいい場所ってない。それほど広く

はない静かな、閉ざされた空間に、非日常の色彩豊かで濃密な言葉がぎゅっ

と詰まっている感じ。そういう雰囲気、空気感。

15poem_parouru_01

近くに椅子でもあってもっとくつろげたら、こりゃ、いつまででもいられるな、と

思った。思潮社がプロデュースしているコーナーながら、思潮社以外の本や

怪しげな(?)リトルプレス、希少な手製の私家版まで置いてある懐の深さ。

これぞ、ぽえむぱろうる。

前日まではそれほど興味もなかったらしく、「私は行かない」といいながらも

けっきょくついてきた娘は、リトルプレスが置いてある場所でさっそく1冊の

本を手にとって、まるで部数限定でつくられたお手製本のような本をぱらぱ

らっとやるなり値段も見ずに即座に「うわ! これいい! 私これ買う!」と

いったので、いつもはさんざん迷ってやめる人がめっずらしいな、と思った。

それからどれくらいそこにいただろう。

気づくと娘はいつのまにかアート本のコーナーに行ってしまっていたけど、

2人して何冊も本をまとめ買いして、重い荷物を持って雨の降りそうな空の

下を帰ってきたのでした。

そして家に帰ってから娘が即買いした本を見せてもらったらこれがもうほん

とうに素敵で、まいりました。

 中山直子(なちお)絵本『トラネコボンボン』 CAT 

まず猫のシッポ(リボン)で本を巻く仕様が手作り感があってかわいらしい。

これは生地を切って作ったものだから1冊1冊みんな違う。

15toraneko_bonbon

モノクロームのドローイングにわずかに使われた赤。

コラージュの技法がすごく素敵で、そこに添えられた短い言葉もとてもいい。

15toraneko_bonbon_01

最後のページまで読んでいったら、そこに私がいつもばらに感じていることと

おなじことが書いてあって共感するとともに、じわじわと感動 ・・・・・・

これはもう猫好きへの最高のプレゼントだ! と思って私も買うことに。

15toraneko_bonbon_02

それで、初めてこの本の出版元である書肆サイコロさんというのを知ったのだ

けれど、デザイン事務所併設のショップが高円寺にあるようで、西荻にしても

高円寺にしても、中央線ってなかなか奥深いです。

15toraneko_bonbon_03

娘が買ったこのブルーノ・ムナーリの本も装幀がすごくきれい。

アートの人だけにやっぱり装幀のうつくしさに惹かれるらしい。

15bruno_munari

私はといえば、詩壇に彗星のごとく現れた天才少女と名高い文月悠光や最

果タヒの詩集も手にとってみたものの、ぜんぜん入ってこなくて、けっきょく

どこかの庫から出てきたような見慣れた『新選現代詩文庫』数冊に、以前

『珈琲とエクレア』の静かな飾り気のない文章に好感を持った橋口幸子の

『いちべついらい  田村和子さんのこと』と、黒田三郎の復刻版・詩集『小さ

なユリと』の夏葉社の本を2冊買って、けっきょく荒地周辺の詩人の本ばか

り買って帰ってきた。

でも、夏葉社さんのこの2冊の本はとてもよさそうです。 

 いちべついらい  田村和子さんのこと 橋口 幸子

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 詩集 小さなユリと 黒田三郎

15kuroda_saburo

ただ家に帰って自分の本棚を見てうっかりしたなと思ったのは、持ってる本

を買っちゃったこと。新選現代詩文庫の新選鮎川信夫詩集。庫出し半額だ

ったからいいようなものの、もし欲しい人がいたら(メールでコンタクトしてく

だされば)さしあげます。今日び鮎川信夫の詩集を読む人がこのブログの

読者にいるのかどうかわからないけど。

そして、うっかりしたといえば、今日で閉店かと思っていたリブロは正しくは

7月20日が閉店日で、よって『ぽえむぱろうる』も20日までやってます。

28日には谷川俊太郎のゲリラ朗読なんてのもあったみたいだし、閉店まで

にもう1回くらいそんなことがないかなと思ったり。私もこんどは休日にひと

りでのーんびり行ってこようかなあ、なんて思っています。

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2015年6月25日 (木)

FALL

15tamra_ryuichi

FALL


落ちる

水の音 木の葉

葉は土に 土の色に

やがては帰って行くだろう 鰯雲の

旅人はコートのえりをたてて

ぼくらの戸口を通りすぎる


「時が過ぎるのではない

人が過ぎるのだ」


ぼくらの人生では

日は夜に

ぼくらの魂もまた夕焼けにふるえながら

地平線に落ちて行くべきなのに


落ちる 人と鳥と小動物たちは

眠りの世界に


( 青土社刊 田村隆一詩集『新年の手紙』より、『FALL』)

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昨日、FALLさんで詩集をみつけたのはこれが最初だった。

陶器などが置かれた棚にこのページを開いたかたちで立てかけてあって、

思わず手に取って奥にいた店主に「あのう、店の名前はここからとったん

ですか?」と訊いたのだった。店主は即座に「違います」といった。「それは

友達が教えてくれて、有名な詩人さんみたいなんですけど」というので、私

は田村隆一を知らないなんて、きっと若いんだな、と思いながら「田村隆一

は超有名ですよ。教科書にも載ってる」といった。実際、私が田村隆一の詩

を読んだのは小学校の教科書だったと思う。『見えない木』という詩だ。

衝撃だった。いちめんの銀世界に見た小動物たちの見えないリズムの詩。

たたみかけるような最後の8行がいまでも印象的な詩。

つづけて店主が、もう何十回となく人に聞かれてるんですけど、といったの

で、私も「なぜFALLってつけたんですか?」と聞くと、「秋が好きなんです」と

彼は静かにこたえた。なるほど。あなたにぴったりです、と私は思った。

それで「この本は買ってもいいんでしょうか」と聞いたら「はい、開き癖がつい

てますけど」というので、「ぜんぜん問題ありません」といって買ってきた。

いまこうやってあらためて『FALL』という詩を打ってみると別段どうってことの

ない詩だし、どこかしら北村太郎と似たところもあって私にはちょっとそれが

引っかかるのだけれど、昔の詩集のよさは装幀にもあって、最初のページを

開くとタイトルからのイメージなんだろう、こんなふうにクラシカルな封筒が張

り付けてあって、こんなところも洒落ている。

15tamra_ryuichi_02

例によって奥付を見ると、装丁はなんとかの池田満寿夫。

なんとも贅沢ですね。

15tamra_ryuichi_01

本文の紙の質と文字の大きさのバランス、フォントの感じもいい。

本からは独特な古い本の、でも香を焚いたようないい匂いがする。

昭和48年発行だから詩人50歳のときで、酒好き女好きでダンディーで知ら

れた詩人がまだまだ血気盛んだったころじゃないかと思はれる。これはまた

ゆっくり時間のある夜にでも読んでみたいと思う。

そして昨日、FALLさんの『港の人ショーケース』で手に取って買ってきたのは

詩集ではなくて歌集だった。

 やがて秋茄子へと到る  堂園昌彦

こちらはまだ若い、20代の新鋭の第一歌集。

そして、この本の装幀がまたとびきりうつくしい。

第48回造本装幀コンクール日本印刷産業連合会会長賞受賞だそうです。

15douzono_masahiko

ショーケースには港の人選りすぐりの35冊が並べられていて、それを紹介

する、ひとつひとつ手製の丁寧なつくりのリーフレットと、詩の一行が印刷さ

れた栞まで作って置かれていて、この出版社の真摯な姿勢を感じさせるも

のだった。できることなら私はこんな会社で働きたい。由比ガ浜に引っ越す

のもいいかも、とここで勝手なことをつぶやいてもしかたがないけれど、でも

FALLの店主に、好きな一行が書かれた栞を持って行っていいですよ、とい

われてよくよく眺めてみたものの、詩の言葉はちっとも入ってこなかったんだ

よなあ。これってなんなんだろう ・・・・・・

15minato_no_hito

歌集のほうはまだパラパラっとやっただけだけど、フレッシュでハッとする言

葉が詰まってる。俳句とか短歌って潔くよく短いのがいい。切り取られた果実

の断片みたいで。

こちらもふとしたときに空で暗唱してしまうくらい読みたい。

どちらにしても昨日のFALLさんはいい出会いでした。

夏時間のいいところは仕事が終わったあと出かけても明るいうちに着ける

とこです。私がこよなく愛するのは夏の光です。

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2015年6月19日 (金)

今朝のあさイチとか谷川俊太郎とかリブロの閉店とか

15tanikawa_shuntarou

昨夜は久しぶりになかなか寝つけず、どこからか聞こえてくる時計の秒針の

ように正確な雨だれのピッチにあわせて眠ろうかと思ったけれど、そんなこと

したらますます眠れず、ますます雨はひどくなり、けっきょく目覚ましが鳴った

のより大幅に過ぎてから目覚めた。それから起きてコンピュータを立ち上げ

今日の友達の動向を知ろうとTwitterをひらいたら、右の『トレンド』の上から

4番めに『谷川俊太郎』の名前があって、なんでだろう、と追ってみたら、どう

やら今朝のNHKの『あさイチ』に谷川俊太郎が出て、そこで話したのが話題

になっているらしかった。家では今年の3月20日にデジアナ変換サービスが

終了してからまったくテレビを見ない生活をしているから、世間の人が朝から

こんなにテレビを見ているというのが驚きだったし、AKBとか誰がどうしたと

か、日頃どうでもいいようなくだらない情報が溢れかえっているなか80過ぎ

の老詩人の言動にこれほどみんなの注目が集まるというのも意外だった。

さらにTwitterで見た半袖Tシャツの谷川俊太郎が若くて驚いた。大体におい

てTシャツというはデブじゃ似合わないし、かといって年とって痩せ細った身

体にも似合わない。(私はますます痩せて最近、Tシャツが似合わなくなって

きた。)谷川さんはとても小柄な人という印象があるけれど、Tシャツを着た

上半身は背筋がシャンとして、胸板に張りがあって、まるでテニスでもして

いるような立派な身体だった。とても83とは思えない。人間の身体性や老

いと死についての関心が強く、著書も多い詩人だけに、間違いなく自分の

肉体に対してもコンシャスに生きてきたのだな、と感心した。

テレビについては昨日ちょうど「テレビが見れなくなっても誰からも文句が出

ることなく、こんなにあっさりテレビのない生活に移行できるとは思わなかっ

たよ」と話したばかりで、私は基本、テレビがなくてもいいのだけれど、でも

斉田さんの天気予報と『美の巨人たち』と、時たまやるNHKのいい番組は

見たい、といったばかりだった。家ではテレビがあっても朝から見ることは

ないけれど、今朝の谷川俊太郎のプレミアムトークは見たかったな、と思う。

そして谷川俊太郎といえば、今月6月いっぱいで池袋のリブロが閉店する

というので驚いている。いまでこそ(たぶん自分が歳をとったせいで)新宿・

渋谷・池袋はもっとも行きたくない街になってしまったけれど、かつては学校

もアルバイトも池袋だったからほぼ毎日のように通った街だった。西武デパ

ートに糸井重里のコピーの垂れ幕が威勢よく下がり、贅沢な文化の甘い匂

いをまき散らして大いに人々の購買欲をそそっていたころ。まさしく西武が

全盛だったころ。

高校生のとき桜台に住んでた友達と待ち合わせるのはたいてい池袋パルコ

の世界堂の前だったし、いつも待ち合わせ時間に遅れてくる彼女を待つの

は『ぱるこぱろうる』の中だった。そこで私が初めて買った詩集が当時出た

ばかりの北村太郎の『あかつき闇』で、家に帰って母に「あかつきやみなん

て病気みたいで嫌ね」といわれて、ふん、と思ったことまで憶えている。

リブロ、アール・ヴィヴァン、ぽえむぱろうる、大好きだった。

残念ながら私はそんな光景に遭遇したことはないけれど、昔は『ぽえむぱろ

うる』で谷川俊太郎が書きおろしたばかりの詩を朗読、なんてこともあったよ

うだ。なんにしても、いまとは全然ちがう空気を持った時代だった。

西武ハビタで、結婚するよりも前に買ったお鍋がとうとう駄目になりそうなの

を見ても、それなりの歳月が過ぎ去ったんだな、と思う。

ちなみに写真の本は私がリブロで買った最後の、というか、最新の本。

谷川俊太郎の『ぼくはこうやって詩を書いてきた

たまたま友達と待ち合わせた池袋でリブロを覗いたら、この本のサイン本

がずらっと並んでいて、お金がなかったにもかかわらず思わず買ってしま

ったのだった。奥付を見ると2010年となっているから、すでにもう5年前。

なのにまだこの分厚い本を読み終えてないというんだから、やれやれだ。

Twitterではリブロの閉店にあわせて『ぽえむぱろうる』が期間限定で復活

しているというのも話題になっているけれど、私も絶対行かなきゃと思って

いる。6月も終盤になって行きたいところがたくさん出てきて、何かと落ち着

かないこのごろ。

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2015年3月11日 (水)

すてきな人生

150311sky


すてきな人生


みんな、のんきな顔をしているけれど

カラオケでうたったり、ウィンクなんかしていたりするけれど

いずれ地球は、ひびだらけになり

ヒトは消えてしまうのを、とっくに心得ているのだ

滅びない星なんて、ないことを


ヒトの、ぼくたちの

尊厳の根幹を震撼する、いろんなインフォメーションは

朝のあいさつみたいに、さわやかに

肉いろの夜なかにさえ、交わされつづけていて

でも、それが〈意味〉にしかすぎないのは

氷った水のしたの影のように、たしかなのだ


モノをほしがる物欲、のほかに

ココロをほしがる心欲、まで持っているから

ヒトは怪物、なのだ

こうなったら、もう有るにちがいないのは

むなしい無と観念して、矛盾の紫の道を踏み迷うしかない


ほろびるのは、わかっていても

しかし、無でいるわけにはいかないから

難問の野原で懊悩し、もだえ歎き

でも、にっこりしてカードを切ったり

コロッケを、口いっぱい頬ばったりしている


世界の終わりは、きっとくる

そんなこと、大昔からみんな知っているのだ

だが、〈意味〉として知っていたってなんの意味もないかもしれない

或る日、青空の顎が開いて

とつぜん命令形の、かみなりみたいな声が轟いても

ヒトはシラケてしまうだけで、彼はひとりでも

団欒していることができる、へんな生きものなのだ

字引きをつかんだり、シイタケをいためたりして


狩猟、農耕はもちろん

ヒトのすることは、二本の足で立ち始めてから

すべて環境破壊であり、ものごとを考えること自体

ひどく反自然なのだが、だからこそ

ヒトは生きて、怪物にならないわけにはいかない


科学のおかげで、たくさんのヒトが長生きし

たくさんのヒトが死んで、その差し引きをどう考えるか

この土地では、毎年一万人が自動車で死ぬ

十年で十万人、三十年で三十万人

だが、だれも自動車をなくせとはいわず

犬をつれて、夕方の住宅街を散歩したりしている


たくさん殺そう、たくさん生かそうと

反自然の怪物は、はげんできた

どちらか片方、というわけにはいかないようにできているのがおもしろい

そこがきちんとわかっているから、もう気晴らしをして生きるしかない

〈意味〉なんて初めからないのだ、とあきらめて


物欲、心欲はなくなるはずがなく

ヒトの、ぼくたちの怪物性は

いよいよ彩りゆたかになり、矛盾の垣根の

無限につづく道ばたで、あいそよく頭を下げあう

そして、みんななんでも知っていて

たいそう有り難く、静かに息を吐きつづけるのだ


( 北村太郎『すてきな人生』思潮社1993年より、『すてきな人生』 )


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朝、リハビリに行く支度をしていると仕事仲間から電話がきて、短い会話を

したあとキッチンに立っていると思考がぐるぐるして、全身の筋肉にきゅ、と

負荷がかかるのがわかった。家に帰ってからメールに『to be or not to be』

と書いた。息子は息子で、これまで時間をかけてやってきたことが根幹から

揺るがされるようなインフォメーションが朝1で流れてきたとかで、「ネットの

中は阿鼻叫喚だ」、「どっちも正念場だね」なんていう。

阿鼻叫喚、なんて言葉、久しぶりに聞いた。

今日も寒かったけど空は穏やかにすっきりと晴れて、私はますます空しい。

あれから4年、か。

私はやっぱり春は苦手だなあ・・・・・・


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