モノローグ

2016年5月21日 (土)

人生の謎

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明日は満月だから、朝おきてから2時間しゃかりきに掃除して、それで時間がなくなってキッチンでRのことを考えながらサラダを作りはじめたらなぜか自然と『Golden Slumbers』を口ずさんでいて、『Golden slumbers fill your eyes/Smiles awake you when you rise/Sleep,pretty darling,do not cry/And I will sing a lullaby』って、いま起きたばかりなのにね。それから『アビー・ロード』のB面の流れでそのまま『Boy, you're gonna carry that weight/Carry that weight, a long time』と歌って、あ、それでか、と思った。

授業の予習をするために入った昼間のハイテックなカフェ・バーで、テーブルにランチ(いまでも覚えてる、焼いたマフィンに大きなフランクフルトソーセージ、フライドポテトとサラダが載ったアメリカンなランチプレート!)を持って来た店員の男の人が、いったん厨房に下がったと思ったらすぐまた出てきて、わたしの前の椅子を引きながら「ここに座っていい?」というから、頭を『?マーク』でいっぱいにしながら「どうぞ」といったら質問攻めにされた。
それがすべてのはじまりだった。

ひととおり質問に答えて、これじゃなんだかまるでお見合いみたいだねとわたしがいったら、Rはオレはロックバンドでドラムを叩いてるんだ、こんどここでみんなで集まるから君も来ないか、といった。バンドのメンバーを紹介するよ。
みんなカッコイイぜ。
そのときR21。わたしは20。
21という若さですでにRにはフィアンセがいた。それがTちゃんだ。
あのときはまさか、RともTちゃんともこんなに長いつきあいになるとは思わなかったし、ましてそのあとRから紹介されたバンドのメンバーの1人と結婚することになるなんて、ぜんぜん思いもしなかった。人生はわからない。

そんなだから、非常事態が起きたとき、多少躊躇はしたけど真っ先にRに(SOSの)電話をして、「わたしが結婚した責任の一端はあなたにもあるんですからね」なんていってしまったのもある意味しかたがないというものだ。
Rは「そうだな。わかった」といった。
変なひとだ。

Rもわたしも唯一無二の相手と結婚したはずだった。たぶん。
わたしの結婚はダメになったけどRは無事円満につづいてる。(たぶん)
でも、わたしは男と女ってなんだろう、夫婦っていったいなんだろう、と思う。
わたしにとってはどちらも謎でしかない。
ただ、男の謎の一端についてわかったことがあるとしたら、ときどき一家の長とか、世帯主とか、家族って重いよ、ってこと。
やってみてわかった。

そして多くの謎に包まれた去った人のブラックボックスについてはわたしにはもはや解きようもないけど、Rの謎はいつか解かれて愛する人に分かち合われ、ハッピー・エンディングを迎えることができるんだろうか。
友達として、そうなることを望むけど、いずれにしてもみんな我慢してないでもっと自分に正直になったほうがいいね。
自分がどうしたいのかはっきり言ったほうがいいよ。
傷ついて免疫力の落ちた細胞が病になる前に。

それで、いっときの感情にまかせて人に何かをいったりするのはよくないとは思うんだけど、いつか、わたしが抱える謎についてあなたと話す日はくるんだろうか。
それともそんな機会はついぞくることなく、終わりを迎えるんだろうか。
R、どう思う?

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2016年3月20日 (日)

Tちゃん。

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ときどき、ほんとにときどき思い出して無性に会いたくなる年上の古い友達がいて、いつかは、近所に住む若い女の子(といっても二児の母)のきらきらした笑顔に昔の彼女の笑顔が重なって、思わず電話したら彼女は昔と変わらないどこか甘さのある声で「そうきちは元気だった?」といった。
わたしは「うん、相変わらずいろいろあるけど、でも元気だよ」といって、ひとしきり話して、「近々、会おう」といいながら、会わないまま、また数年が過ぎた。
頭のどこかにあって、こちらから連絡さえすれば以前と変わりなく話せるそんな友達とは、会ってなくても関係が切れたわけではないのだろうと思うけど、でも必要があって、どうしても会いたいと思う人とは会ってるだろうことを思うと、そういう古い友達は時の形見みたいなものなのかもしれない、とも思う。
現実には、もう彼女の生活の中にわたしはいないし、わたしの日常の中にも彼女はいない。現実的に見たら、互いにもう必要のない人なのだと思う。

でも時折り、何かの拍子にふいに彼女が笑いながら話してるみたいなあの独特の甘い声で「そうきち、元気だった?」と話しかけてくるから、わたしはやっぱり彼女のことを思いださずにはいられない。
わたしは記憶力がよすぎるのがいけないんだと思う。
思い出の中では、彼女はまだ若く、わたしはもっと若い。
まだ何も失ってなくて、ハッピーエンドにはまだまだ先のストーリーがありそうな気がして。
素敵な音楽も演出もないけど、ありのままでじゅうぶんな記憶をつぎはぎしてショートムヴィーのように頭に流してる。
彼女もわたしもしあわせになれるはずだった。
いや、この言い方はちがうな。

ただもう彼女が愛した人はもうとうに空の上に行ってしまったし、彼女もわたしも互いに欠けた器の中で、でもそれを無理に埋めようとするんじゃなくて欠けもまた一興と思えるようになるまで、時に自分を笑い飛ばし、挫けず生き生きと元気に生きてきた。
彼女が昔と変わらないのは、しっかり者の癖に茶目っ気のあるとぼけた性格かな。
明るい声と笑顔。
どれだけ苦労してきたんだろうと思うのに。

そうやってわたしが勝手に重ねる互いの時間において、時の形見にならない見えない細い糸はたしかに繋がっているんだろう。
(時間はずっとつづいてるから。)

今日あたり彼女に電話してみよう。
そして十数年ぶりに会おう。
こんどこそきっと。

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2013年9月 2日 (月)

5年前の自分

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先日、個展に伺って5年ぶりに再会した彩さんからコメント欄にメッセージを

いただいて、「5年のあいだにすっかりきれいになられて名乗られなければ

気づかないところでした」といわれて、ぼんやり驚いてしまった。

自分からするとつい年齢のことに思いが及んでしまうから、5年前といったら

当然いまより5歳若いわけで、そのぶんいまより多少は何もかもよかったん

じゃないかと思うのに。

それで逆に、5年前の自分ってどうだったんだろうと考えて、ああ、もしかし

たらそのころって、あることが原因でひどく自己評価を落としていたころだっ

たかもしれない、と思った。

たとえば肩幅が小さくて窮屈な服を着ていたり、肩に痛みがあったりしたら

動きに制限ができて美しい泳ぎができないのとおなじように、いつも何かに

縛られたり緊張したり、人から否定されたり、こころに痛みがあったりしたら

やっぱりそれは見た目にも影を落とすことになるだろう。

もし本当に5年前よりいまの私のほうがいいとしたら、あのころより私は過

去の痛みや苦しみから解放されたのかもしれないな。そして、そういったも

のさえいまの自分をつくる要素になったのだとしたら、そのおおもとの原因

になった(私にとってはあまりありがたくない)できごとにさえ、何かしら意味

があるのかもしれない。

と、そんなことを息子にいったら、そこには諦めもあるけどね、とぐっさりやら

れた。いつだってこの人は鋭い。鋭すぎるくらいだ。それって生きていくうえ

ではあんまりいいことではないかもしれない。

で、もちろん、息子のいうとおりではある。

でも、自分ひとりじゃどうにもならない、相手のあることについては、諦めも

必要だと思うようになった。この年になって。たぶん、経験的に。

そして人からの評価ということでは、このあいだライブの休憩のときに話して

いて、「人から評価されるときというのは、かならずしも自分が一生懸命やっ

ているときとは一致しない」といった竹内直さんの言葉を思い出す。その言葉

を聞きながら、直さんもすごく客観的で冷静な人だなと思った。人から褒めら

たからって簡単に木に登ったりしない。そういう部分では自分と同じタイプの

人だと思った。そのとき聞いた「生きていたいから」という言葉。続けざまに男

友達の口からもでてきてちょっと驚いた。それを私なりに補足するなら、それ

はただ漫然と生きるのではなく、いま一瞬をヴィヴィッドに生きていたいから、

ということになるんだろう。

あるときから私は仕事でも恋愛でも日常的な人づきあいでも、自分の波動が

濁るようなことはしない、と決めてそうしてきたけれど、もし5年前よりいまが

いいとしたら、それがよかったのかもしれない、と思う。

それにはどうしたって夏目漱石いうところの非人情というのが必要で、それ

は私の場合、しばしば他人より自分に向けられる。

でもこの先もしあわせに生きていくためには、自分に非人情なところを持ち

ながら、憂鬱にならず、現実的になりすぎずに、夢を見続けることだと思う

のだけれど、それには高度な技術が必要そうだ。

それを身につけるのが大人になるっていうことなのかな。

写真は今日の私と今日の空。


─ こころは雲のようにかたちを変える ─


昔くるしかったこの歌詞も、いまではあたりまえのことと思えるよ。



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2013年5月16日 (木)

珈琲豆とクッキー

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遅くなったお昼のパンを買いに行こうと外に出ると、ポツポツと雨が降り出したけれど

かまわず自転車に乗って府中街道脇を走って、ついでにコクテル堂まで行った。

おととい納品したばかりというアトリエ・コナフェさんのクッキーと、今月は早々になくな

りそうな珈琲豆を買いに。私にとって土居珈琲さんの珈琲豆に勝るものはいまのとこ

ろないけれど、珈琲なしではいられないんだからこの際、背に腹は代えられない。

コクテル堂はコトリ花店のある道をまっすぐ行ったところの左手にある。

木曜は定休日のコトリ花店の前を通ったら、表のkusukusuさんの看板にかかるように

ピエール・ド・ロンサールが、コトリ花店の脇のアーチにはつるジュリアらしき淡いバラ

の花が見えて、あたらめていまは5月のバラの季節なんだな、と思う。

コクテル堂で私がコーヒー・リストをしげしげと眺めて考えていたら、コクテル堂の人に

珈琲の好みを聞かれて、『Old5』というブレンドをすすめられた。オールド5なんて、な

んだかちょっとJAZZの曲名になりそうな。

配送センターの直売所で買った珈琲豆は、お店で買うより安かった。

帰りも雨がパラつくなかを家に帰って、買ってきた珈琲豆を冷蔵庫にしまい、土居珈琲

の今月最後の豆(ニカラグア リモンショ農園)を挽いて珈琲をいれながら、あれから

ひと月、と思った。

このひと月、珈琲をいれるたびにボスのことを考えずにはいられなかった。

島では珈琲豆を宝物のように大事に冷蔵庫にしまっていたボス。

暮れ近くに私が送った1キロの珈琲豆を、ボスはちゃんと飲めたんだろうか。

その珈琲豆が届いたお礼の電話をもらったとき、電動ミルはどこで買えるだろうかと

聞かれて、また買って送るよ! といったら、早苗にそんなにお金遣わせるわけには

いかないから自分で買うからいい、といってきかなかったけど、そんなの無視してさっ

さと買って送るんだった。そしたらすぐに珈琲豆を挽くのも楽になって、少しでも長く家

で珈琲を楽しめたろうに。そして最後の最期に悲願かなって弘前に帰って岩木山を眺

められたなら、ボスはもうそれで本望だったろうか。

珈琲をいれながらボスのことを思い出していると次々とそんなことが脈絡なく頭に浮か

んで相変わらず私はちっとも頭がまとまらないんだ。

このあいだ電話をとりながらミミズみたいな文字で書いたメモは整理もせずに電話台

に置いたまま。電話しなきゃならないところもあるのにできないまま時間だけが過ぎ

る。そうやってボスについて書いておかなきゃならないこともあるのに、私はまだ書く

気にさえならないんだ。


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2013年4月21日 (日)

早起きした朝の

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先週に引き続き、娘のアルバイトが朝7時半入りだったために今日も6時起き。

どうやら私はこの時間で固定らしいというからまいっちゃうな、と思うけれど、いままで

泳いだ翌日は疲れて起きれないと思っていたけど眠くてもからだの調子が悪くなくて

ちょっと無理すれば起きれるものならそれでもいいかと思ったり。

本人は起きなくてもいいよというものの、まだ暗いなか起きてまともに朝食も食べずに

1人で出かけていくことを考えるとそうもいかない。

娘を送り出したあと、昨日までほぼ毎朝のように使っていたアロマオイルがなくなった

のであたらしく作る。昨日まで使っていたイランイラン、マンダリン、ベルガモット、パチ

ュリもよかったけれどずっと使っていてちょっと飽きたし季節も夏に向かっているので

こんどはゼラニウム、ローズマリー、パイン、レモンにする。これはkiyokaさんのアロ

マセラピー・ワーク・ショップで教えてもらったレシピ。ゼラニウムがなかったのでローズ

ゼラニウム、パインがなかったのでファーニードルで代用してみたら、これがすごくいい

香り。すっきり系だけどほのかに甘くて。

いつものようにウォークマットを踏んでからオイルをつけて脚をマッサージしながら、

そういえば昔、ボスは私の近所に引っ越して来たいようなことをいっていたけど、近所

に住んで私のように週1回でもプールで泳いでいたらいまでもずっと健康でいられたん

じゃないかな、でもいくらここが東京の田舎といっても島よりはずっと家賃が高いから

それを維持するには経済生活を成り立てるのが必須だ、好きなことだけ、じゃなくて

そのうち3割でも仕事として書くことはできなかったんだろうか、などなど、いまさら考

えてもしょうがないことを考える。朝早く起きたら起きたで、朝からいろいろ考える。

人の人生は日々の選択肢から成り立っていて、それが自ずと潜在意識の望んだこと

ならどんな終わり方であれ、それがその人の行きかたなのだろうけど、人はしばしば

よく間違う生きものだから。ボスの場合、いつのころからか世間の人に対して固くここ

ろを閉ざしてしまったのがいけなかった気がする。

ハートをひらくこと。

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2013年3月24日 (日)

Petit Point

Sputnik

あなたは一見、脆弱そうに見えて実はとっても強い人だからこんなことは思わないか

もしれないけれど、私はときどき何もかもが嫌になってしまう。いままで自分がこの目

で見て信じてきたものがまったく意味のない俗っぽいもののようにさえ見えて、なんだ

かひどくばかばかしく白けた気分で、自分の目さえ節穴だったように思えて。

おなじ1人の人間から時を経てなんども傷つけられる。

当の本人の厚顔無恥ともいえる有頂天をよそに。

そんなことで傷つく弱い自分も嫌。

そんなとき見た速水御舟の『名樹散椿』は凄かったな。

子どものころから『西洋かぶれ』と呼ばれた私が日本画にあんなに打たれることって

滅多にない。

それからまた編み物をはじめて、なんていうことなしに近くにいた娘に「スプートニクの

恋人を貸して」といったら、今朝、私の机の上に置いてあった。

それを開いてびっくりした。そして懐かしかった。

いつか吉次さんにもらった桜の花が栞にしてあったから。

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この何気ない鉛筆の線書きを見ても、まんなかのいろんな色のてんてんを見ても吉次

さんのピュアさがわかる。

これをもらったときもたしか私はちょっと元気がなかったんだと思う。

たぶん、疲れた顔をしてた私に吉次さんはこの花を渡して「ほら、花が咲くんだよ! 

春はすぐに来るよ!」といってくれたのだった。

そのことを思いだしたらまた光がキラキラしだしたみたいだった。

小さな不意打ち。

こういうのってささやかだけど日々の小さな救いじゃないかな。

そして人のこころにそんな魔法がかけられる人こそ真のクリエイターだと思う。

なんだかまた吉次さんに会いたくなった。

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2010年7月31日 (土)

白い土曜日

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海を見たいと思った。

朝早く起きて身支度をすませたら、テーブルにお昼代だけ置いて1人で家を出る。

梅雨のさなか、バラクライングリッシュガーデンに向かう車内で、友人が教えてくれた

海が見える美術館。

携帯の電源は切って、しばらく家のことも仕事のことも考えない。

・・・ 思えばこの15年間、そんなことすらしたことなかったな。

いつも1人で出かけるときは、掃除やら食事の支度やら、出かける直前まで家事に

追われて、ときには途中で疲れ果てて「行こう!」というテンションが切れてしまって

あきらめてしまうこともしばしば。夜のJAZZライヴなんかは3回に2回はそれだ。

なんて不自由なんだか。

でも、ふだんはそれでもその不自由さをしあわせなことと思って、毎日いたって機嫌よ

くにこにこと家事に仕事にキリのない仕事をやっている私なのだが、ひとたびそれを蹴

散らされるような出来事が起きてしまうと、軽くなったはずの肩が一気にどーんと重く

なってしまう。昨日、つまらないことで息子が切れた。

ひどい暴言に物への八つ当たり。物へ八つ当たりするのは私に直接暴力をふるえ

ないからなのだそうだが、中・高生の思春期の男子ならともかく、21でそれだともう

これは一生直らないのではないかと思ってしまう。父親譲りの癇癪持ちの性格は、

もうどうすることもできないのか。やりきれないなぁ・・・

こんなとき、近所に親友がいたときにはちょこっとエスケイプすることもできたけれど、

いまはそれもない。


だから、海を見たいと思った。

朝早く起きて身支度をすませたら1人で家を出る。

でも、昨日寝たのがすごく遅かったせいで今日起きたのはもう昼前だった。

空はどんより曇り空で、今にも降り出しそう。

今日は行かなくてよかったのかもしれない。

どうせ行くなら、青い空と水平線が見たいもの。

スイミングのない土曜日。第5週めの土曜日。

いつもの夏ならプールバッグ自転車の前かごに入れて市民プールに行くところだけど

それも今は工事中。

洗濯機には(雨が降ってきちゃったから)洗濯途中の洗濯物が入ったまま。

シャワーを浴びてパックをする。白い仮面の顔のまま足踏みマットを踏む。

またもや左の首と肩がイタイ。ちょっと頭痛。

山の上の冷たい水のように鮮烈でリリカルなピアノが聴きたいと思うけれど、家には

思いつく聴きたい音源なし。

さて。そろそろ遅くなったランチを作らなきゃ。

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2009年1月19日 (月)

心模様

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人は迷っているときには間違いをおかしやすいものだけれど

問題なのは

迷っている最中は自分が迷っているなんてことにさえ気づかずに

そのときの自分の選択を(ベストとまでは思わないまでも)不可避だと

思ってしまうことで、たった数年前に自分がしたことを、いまの自分

いまの思考回路に照らして、どうしても理解つかないというときになって初めて

あのとき自分は何かに迷っていたんだ、と気づく。

時すでに遅しで、過ぎ去った時間は消せやしないし

『過去があるから今の私がある』なんて常套句じゃ追いつかないほどに

虚ろになってゆく自分を感じながら、同時に

心がこんなわずかな時間にも変容してしまうのを知るんだ。

だから人の心変わりを責めるつもりもないけれど

自分の迷いの全ての根源がどこにあるのかは知ってる。

けっきょくのところ、十数年もかかって

私はまだ完全に自己修復できてないってわけなんだ。

・・・ そんな思いにとらわれていたこの週末。


100年に1ミリ、という気の遠くなるような時間をかけて結晶する水晶には

地殻の急激な変動などでできたクラックや折れた部分を自己修復したり

再結晶化させたりした跡が残る石があって、セルフヒールド、なんて呼ばれる。

セルフヒールドの入ったファーデン水晶って、私にはすごい魅惑。


いつか、夜中に、ブラウザいっぱいに並ぶ明るい曇り空のような青い石を眺めていて

どうしてもひとつの石から離れられなくなって

初めて買ったセレスタイト。

なんだか妙に嬉しくて、そんなことが話せる友人に

「私が買った石はこれだよ!」とメールすると

それを見てくれた友人から

「あの石見たけれど、あなたにそっくりな石だと思った」と言われて

石に似てるなんて言われたのはそれが初めてだったから、なんだか

不思議な気分だったけれど

好きな石だったから嬉しくもあり

以来それはもうひとつの自分になった。


天上の青、という意味で天青石と呼ばれるその石は

人を癒す石みたいだけれどとても脆くて

いつのまにか私の石はエッジが擦れて傷んでしまったけれど

いたるところに虹を内包して美しい。


そして最近、ちっちゃなセレスタイトのハートを手にいれた。

冬の陽に透かすとクラックがいっぱい入っていて

これもまた自分にそっくりじゃないか、と思う。

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2008年5月20日 (火)

台風のさなかに

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一晩中続いた雨と風は、朝になってもまだすごかった。

朝方、バラの枝がものすごい強風で窓ガラスに叩きつけられる物音

を聞きながら、いったいどれだけの惨状になっていることかとまだ雨

の降るベランダに出てみると、そこは散ったバラの花びらだらけ。

ちょうど開こうとしていた私の好きな一季咲きのバラも、無残に散って

しまっていた。

でも、悪いことばかりじゃなかった。

拭いても拭いてもウドンコの膜が張っているようで固く開かなかった

バラの蕾が、激しいシャワーのような雨できれいに洗われて、雨の中

いっせいに咲いている。

台風も、雨も、雷も、全て浄化。

特に昨夜は満ちようとする月のパワーがあたりに満ちていたから。

咲きたいと思ってついた蕾なら、たとえ雨の中で咲いても満願成就だ

ろう。

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今朝また宅配業者から電話があった。

ついに諦めて送り返してもらうことにした。

今日、久しぶりに、長い、苦しい手紙を書いた。

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2008年2月20日 (水)

犬の人生

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ボールを投げられたら嬉々として駆けていってキャッチせずにはいら

れない犬のように、私は言葉というボールを投げられたらキャッチせ

ずにはいられない犬・・・

そう書いたら勘のいいMあたりは、私がまた何かに捕まったってわか

るだろうな。


数年おきにやってくる不思議なオファー。

いつも思うことだけれど、人は縁あって人と知り合うんだね。

最近、そんなことに気づかされっぱなし。

まったく面白い人生だよな。

退屈しないよ。

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