好きな器いろいろ

2015年10月26日 (月)

今日のスペシャルおやつ♡

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今日のスペシャルおやつは昨日、仕事帰りに伊勢丹のノワ・ドゥ・ブールで買ってきた焼きたてフィナンシェ。
昨日は久しぶりにスーツなんか着てエッジの効いた場所にいたせいで緊張したのと、休日の渋谷の喧騒と狂乱にすっかり疲れ果てちゃって、珈琲のことばかり考えながらしばし呆然とデパートの地下を歩くこと十数分。目の前にあまりにもたくさんのものがあるとどれにしていいか決められなくなっちゃう子供よろしく一瞬もう何も買わずに出てきそうになったけれど、台の上に山のように積まれたフィナンシェとカヌレはやっぱり魅惑的で、プレーンとヘーゼルナッツと買ってきた。

家に帰ったのはもう夕飯前の時間だったけど、とりあえず珈琲をいれて息子とコーヒータイム。昨日はプレーンを食べた。これ前にも買ってきたことあるけど、「めちゃくちゃおいしい!」と息子。
焼きたては表面がカリっとしてて、かじると口に広がる濃厚な焦がしバターの味。
アーモンドプードルが入った生地の絶妙な食感。
やっぱり発酵バターっておいしいんだよ、下手な生クリームたっぷりのケーキよりよっぽどおいしいね、と話した。
疲れてるときの甘いものって、どうしてこんなに効くんでしょう。
そして珈琲。
日曜日だからこれ! といっていれた、いただきもののディモンシュの珈琲が、また焼き菓子にぴったりなんだな。
でも、昨日は疲れてて新しいカップを出すどころじゃなかったから今日あらためて。
2日めのヘーゼルナッツのフィナンシェはオーブンで少し温めて、ハンドドリップも適温で昨日より丁寧にゆっくりいれたら、さらにおいしくなった。
濃いけれど苦くなく、まろやかで飲みやすい。
酸味の少ない私好みの珈琲でした。
ほんとに焼き菓子にあう。

そして今日初めておろしたのは吉川裕子さんの『らくがきカップ&ソーサー』。
先月、渋谷のirodoriyaさんで行われた裕子さんの個展でさんざん迷って買ってきた器で、珈琲は備前でしか飲まないと決めてる私がなぜかカップ&ソーサーなんかを選び、しかもめずらしくピンク。
実は直前までこれとはぜんぜん違う渋~い色の還元焼成のお皿とライオンの置きものに決めて、レジに持って行く直前で急きょ、やっぱりあれにしよう!と、このカップにしてきたのでした。なぜなんだろう。
わからないけど、これからどんどん寒くなってお日さまの少ない季節になるから、あかるい色がテーブルに欲しかったのかな。

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裕子さんのつくる陶芸作品の魅力は手びねりの、手びねりだけでしかつくれないゆらぎのあるやわらかな形ももちろんではあるのだけれど、フリーハンドで自由に描かれた楽しい線と、彼女が選ぶあかるい色。それはまるで子供が使うクレヨンみたいな発色で、こんがり焼けた焼き肌にとてもあう。
そこには日本的ウェットさはまるで感じられなくて、やっぱり裕子さんがしばらく住んで陶芸を学んできたという、イタリアの太陽とか乾いた空気とか建物の壁のテクスチャーなんかがきっと反映されてるんだろうなと思うのです。

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月と星。
私がこのカップ&ソーサーに惹かれたもうひとつの理由は、ソーサーがレモンみたいなリーフみたいな形をしていて、ジノリの器みたいにソーサーの端が上にコンパクトに上がっているとこ。これだとソーサーごと手のひらにのせたときにもしっくりくるんですよね。
ソーサーはソーサーでお菓子をのせて使ってもいい。

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あっ、それから、これもあったかもしれないな。『caffe』と『felice』の文字。
felice の文字を見たとき思わず、イヴァン・リンスの『A GENT MERECE SER FELIZ』が頭に流れてきちゃったんですよね(^-^)
どこまでオメデタイ頭をしてるんでしょうか。
おいしい珈琲としあわせなカフェタイム。
(ときどき、おいしいお菓子)。
これって私の人生では間違いなく必需品です。
そうそう、フィナンシェ好きの方はノワ・ドゥ・ブールの焼きたてフィナンシェ、ぜひぜひお試しください。絶品です!

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2015年6月 2日 (火)

Bizen et Canelé

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昔、というか、long, long time ago,

『赤い風船と女の子。よく似合う』ってCMがあったけど、

備前とカヌレってよく似合う。

私からするとこのふたつは同族みたいなもん?

きっと岡山の伊部では備前で珈琲を出す喫茶店がたくさんあると思うけど

『備前とカヌレ』を定番メニューにくわえてみてはいかがでしょう。

お洒落で観光客にウケそうじゃない?

だめかな?

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2013年11月12日 (火)

兼用できないもの

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7年間専業主婦だった私がとつぜん仕事を探しはじめたのは、ある約束のため

だった。2週間以内に仕事を見つけると約束してしまったのだ。私も重い荷物を

はんぶん背負うために。

働くといってもまだ下の子どもが2歳半だったから遠くに働きに行けるはずもなく

働き場所は近所で見つけるしかなかった。とはいえ私が住んでいる市は企業が

少ないせいで税金が高いくらいだから、そうそう仕事があるはずもなかった。

だから近所を自転車で走っていて、電信柱に貼りつけられたその求人募集の

チラシを見つけたときには驚いた。そこには『A編集室』とあった。

A編集室? まさか、こんなところにそんな仕事場があるなんて。

それはできるだけ自分が興味を持てる仕事、できれば言葉の周辺にある仕事

に就ければと思っていた私には格好の求人だった。

さっそくチラシに書かれた電話番号に連絡して面接に伺うと、そこはふつうの

民家の一軒家で、私は執筆者であるAさんの書斎兼仕事場のような部屋で面

接を受けた。彼はいかにも物書きらしいちょっと変わったところのある面白い

人だったけれど、私はどちらかというとそういうちょっと変わった人に好かれる

傾向にあるからすぐにそこで働くことになった。

かくして約束通り2週間以内に仕事を見つけた私だけれど、もう片方の約束が

守られることはなかった。ついに。人生って無常だ。

これから寒くなろうという季節に専業主婦だった私はいきなり小さな子どもとと

もにポンと放り出されてしまったのだった。でも、とにかく働かなくちゃならない。

いまでもよく憶えているけれど、あさ自転車に乗ってその家の前まで行って生

け垣の横に自転車をとめると、チャイムを鳴らさずに2階に上がる。仕事場は

廊下をはさんでAさんの書斎の向かいに側にあって、木の引き戸をがらがらっ

と開けると、Aさんの長年のアシスタントらしい男性の机が西向きにひとつあっ

て、南の窓際に向かって3つか4つ机が並び、その一番端が私の席だった。

A編集室というのは辞書を編纂している編集室で、すでに何冊かの辞書を世

に送り出していたAさんが執筆した原稿のゲラの校正がアシスタント以下その

部屋でのアルバイトの仕事だった。たしかふつうの原稿が2校か3校するとこ

ろを辞書の場合は6校か7校はしなくてはならない。延々と続くスタティックで

単調な仕事。辞書だからもちろん、間違いはご法度だ。ゆえに仕事場にはい

つもピンと張りつめた空気があって、かろうじてアシスタントの男性が机の上

で鳴らすラジオの音はあったけれど、それ以外はひたすら鉛筆を走らせるさら

さらという音と紙をめくる音がするだけで、うっかりため息をつくのも、お昼前

にお腹がぐぅと鳴るのもはばかられるような、私には息が詰まるくらい静かな

仕事場だった。

部屋の入り口から近いところには東向きに置かれた小さなテーブルがあって、

上にはお茶筒と急須に湯の入ったポット、インスタントコーヒーや紅茶のティー

バックやスティックシュガーやミルク、それにみんなのマグカップや湯飲みなん

かが置かれていて、とくに決められた休憩時間はなく、疲れたときや一段落し

て一息いれたいときに各人そこで自由に飲みたいものを作って飲んでいいよ

うになっていた。でも、そうはいってもまだ入ったばかりで勝手もわからず緊張

している新参者には休憩のタイミングすらつかめず、息を詰めて仕事をしてい

る私を見かねて先輩の女性が私の分までお茶をいれて持ってきてくれるよう

なことがよくあった。

そんな最初のころ、もうすぐ日も暮れようというころになってAさんが白いビニ

ール袋をさげて部屋に入ってきた。Aさんは外出から帰って来たところのようで

小腹が空いちゃって、そこでお団子を買ってきたからみんなで食べようという。

そこでA氏が自らみんなにお茶をいれてくれたのだけれど、私に「あなたの湯

飲みはどれ?」と聞くから「このマグカップです」というと、「マグカップ? いけ

ないねえ」という。日本茶だろうがコーヒーだろうがマグカップひとつでなんでも

飲むのは無粋でいけない、というのだ。私は自分の家ならともかく仕事場だか

らいいと思っていたのだけれど、A氏さん「ちゃんと湯飲みを持ってきなさい」

というので、いうとおりに翌日持って行った。

そのとき、Aさんのそういうところ、いかにも文学者っぽいなあ、と思った。

そしてそういう人って好きだ。食器なんか100均でいいという人、私はだめ。

日本人の日常生活は和洋折衷どころかものすごく多様だから、必要以上に

物を増やさないためには兼用で使えるものは兼用したほうが合理的だけど、

でも兼用できないものってある。たとえば日本茶の急須。

実をいうと我が家にはずっとその急須がなかった。

娘に備前の土瓶を割られてしまってから、ずっと。

貧乏暇なしの生活だとなかなか器にまで趣向を凝らす余裕がないのと、とにか

く何にせよ好きなものがピンポイントしかないものだから、なかなか好きな急須

を見つけられずにいた。気に入らないものを買うくらいなら少々不便でも無くて

いいってタイプだから、ずっと、それこそなんでもいれちゃうこのポットで日本茶

もいれていたのだった。

でもここへきて、こう寒くなって熱いお茶がおいしくなってくるとなんだかそれも

味気なくなってきて、本気で急須を探しに探して、やっと見つけたのがこれ。

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境 道一(さかい・みちかず)さんの急須。

一見備前のように見えるけれど、この赤っぽい色は備前じゃなくて南蛮焼きだ

ろうなあと思ったらその通り、南蛮焼き締めだった。でも、作家の境道一さんの

経歴を見たら岡山の備前陶芸センターで学んだあと備前焼作家に師事したと

あるから、備前ぽいのもなるほどだった。

備前は遠赤外線効果で中に入れたものをなんでもおいしくしてくれるから、で

きればまた備前の急須がほしいと思っていたけれど、これがなかなかどうして

好みのものがない。今回はひとつ見つけて最後までそれと迷ったけれど、これ

にしてよかった。その備前のはかたちはよかったけれど緋襷でうちには明るす

ぎたから。

このどこかの遺跡から堀り出してきたみたいな渋い急須はうちにぴったりだ。

ぴったりなものって、初めて置いた瞬間から違和感なくなじんで、まるで昔から

ったみたいにしっくりする。

そして、さっそくお湯を沸かしてお茶をいれてびっくり。

いつもの三年番茶がまるでいつものお茶じゃないみたいにおいしい。

磁気のポットでいれたお茶とは大違い。

急須ひとつでこんなにもお茶の味が変わるんだなあ、やっぱり器って大事だな

あ、とあらため思ったしだい。急須にお湯を注ぐときの音もとてもよくて、これ

ってまさしく冬の音だ、と懐かしく思った

やっぱり兼用できないものってあるのだ。

A編集室の話に戻ると、そこでの校正の仕事は長くは続かなかった。

私にはまったく向いてない仕事だったうえに、そのころ精神的にズタボロ状態

だったには例文としてあげられていた短歌や俳句がどうやってもただの記

としての文字にはならなくて、感情を揺さぶられては人知れず涙・涙でミス

してばかりだったのと、辞書の出版が遅れに遅れてコストばかりかかったせい

で私の仕事は自宅での出来高制にしてください、とアシスタントにいわれたと

ころで辞めるこにした。辞めるとき、「ぼくは君いいと思うんだけど、どうやら

彼には気に入られなかったみたいだね」とAさんはいった。そりゃそうだ。ミス

ばかりしてりゃ。

そんなわけで、A編集室での仕事は数ヶ月で終わりとなってしまったけれど、

こではたぶん、生涯の友とるであろう大事なひとと出会ったから、やっぱ

最初から私はそこで働くことになっていたんだと思う

私が辞めてから何年後のことだったろうか。

そこで働いていた女性から電話があって、Aさんが亡くなられたことを知った。

まだ50代だったと思う。

学生のころからとても優秀で将来を嘱望された方だったようだけれど、どんなに

優秀な人でも、それまでどんなに健康だった人でも、またどんなミッションを抱

ていようとも、人は死ぬときには死ぬ、と最近、よく思う。

共有した時間の長さに関係なく、人のこころに何かを残していく人というのがい

て、Aさんもそんな人だった。たった数ヶ月働いただけの私がいまこのような回

想録を書こうとは、ゆめゆめAさんも思うまい。

あのとき私が校正に携わった原稿は後に『必携季語秀句用字用例辞典』とし

無事に出版されたようだ。

そんなことを思いだしながら熱いお茶を飲む晩秋の日。

いただいたおいしい栗蒸し羊羹と。

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ちなみにこの急須、わざわざさんで買いました。

なぜショップ名が『わざわざ』なんだろうと思ったら、長野の山のてっぺんに

お店があって「こんなところまでわざわざどうも」って意味だったんですね。

このわざわざさん、まるで宮崎駿の映画に出てきそうな素敵な薪釜を持ってい

て、ホームページの写真も出てくる素敵な素敵な女性が毎日、抱えるほど大き

なカンパーニュを焼いているのです。それがとってもおいしそうなのだけれど、

少し前、彼女はiPhoneで撮りためた映像を編集したという『みまきカンパーニュ

ができるまでの全行程』というムービーをYouTubeにアップされたということで、

ブログには「世界中の人にみて欲しい」とあって、そのきっぱりした明るさに私

は惚れてしまいました。

彼女の焼く、おいしそうなパンもいつか買ってみたい。



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2011年11月17日 (木)

江間廣 作陶展

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陶芸家の江間廣さんから、気持ちのいいいポストカードが届いた。

作陶展のご案内。

もう長いこと個展にも行ってないのに、まだ自分のアドレスがリストから削除されてな

かったんだなあ、と思う。

江間さんの器を初めて見たのは、まだ『ギャラリーせい』が古民家だった頃のこと。

手にとった小鉢のあまりのかわいさに、手放せなくなって2つ買った。

すだちを2つに割ってのせたらちょうどいいくらいの、小さな小さな器。

備前作家の手間からいったら高いものじゃなかった。

そのとき江間さんはギャラリーにはいらっしゃらなかったけれど、私がギャラリーを出

たのと入れ替わりに戻ったらしく、小雨の降るなか私の後から追いかけてきて、お礼

を言いながら名刺を渡してくださったのをおぼえてる。なんて素朴で実直そうなひとだ

ろう、というのがその印象だった。

私が思う江間さんの器の好きなところは、とにかくその焼きいろがあったかくて、おい

しそうなところ。焼き菓子を作る人だったらきっとわかってくれると思うけど、ほんとに

焼き菓子みたいにうまそうな色なんです。それはこのポストカードの写真でもわかって

もらえるかもしれないけれど、左の白いのなんて、まるでホットミルクにシナモンを振り

かけたみたいじゃないですか? 

そして使う土にもよるけれど、そのフォルムはやわらかく、肌はとてもなめらか。

手にとって見たら驚くほど、とても繊細で丁寧な手作業をされる方です。

私がいつかお対で欲しいと思って見ていたのは、満月のような鮮やかで深い焼きいろ

がついた、まるっこちいかたちの湯のみ。いまでも作ってらっしゃるかなあ ・・・・・・

久しぶりに行ってみようかと裏を見たら、今回の個展は黒田陶苑ではなくて横浜そご

うでした。このためだけに行くのは私はちょっと遠いのだけれど、お近くで興味のある

方はぜひ行ってみてください。いわゆる大家といわれる伝統作家が作った鑑賞するた

めの備前じゃなくて、日常になじむ、あたたかい器としての備前。

手にとって眺めてるだけでもしあわせな気持ちになります。

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2010年12月12日 (日)

せいさんの思い出

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まったくもって私は上顧客などではなかったからそんなに足しげく通ったわけではないけれど、せいさんの思い出はいろいろある。それも、わたしにとってはとびきりのが。
せいさんは、たまにやって来てはそれほど高い買い物をするわけでもないわたしを大事に
してくれた。・・・・・・ というより、ブランド物のバッグを腕にさげて連れだって賑やかにお喋りしながら店に入って来る、見るからにお金持ちそうなマダムたちより、休日の午後、あるいは仕事帰りの閉店間際に、こっそりひとりでやって来るわたしの方を好いてくれていた感がある。私を気に入ってくれるくらいだから、せいさんもけっこうな変わり者なのかもしれない。とても個性的な人だった。
いつも短く切った髪に、ほぼすっぴん。
シンプルだけど上質な服を着て、ときどきすごくインパクトのあるアクセサリーをしてらした。それがまたとっても似合うのだ。
個性的でインパクトがあるアクセサリーであればあるほど似合う人っていうのがいるけれど、せいさんもそういう人だった。
つまり、『無難』なんていう言葉とは対極にある人。

いまでもときどき思い出すのは、せいさんの店(ギャラリーせい)がまだ骨董通りの奥の古民家にあったときのこと。
わたしがまだ店に行きはじめて3回めか4回めのときのことだ。
せいさんは店を訪ねるときまっていつも備前の器でおいしいお茶をいれてくださるので、仕事帰りにお茶菓子を買って出かけた。さいわい店には誰もお客がいなくて、せいさんは岡山から届いたばかりの荷物をほどいているところだった。私が手土産を差しだすと、せいさんはとても喜んでくれて、まだ閉店にはもう少し時間があったのに、さっさと看板を下げて早仕舞いにしてしまった。それから二人でお茶をした。

ここが南青山とはとても思えない、静かな薄暗い古民家の中で木の椅子に座って、作家ものの高台のない、まるっこい備前の器にいれられたお茶は、たいてい玄米茶とか番茶とか、素朴なお茶が多かったけど、家で飲むのとはちがって不思議なほどおいしかった。
不思議な顔をしてお茶をのむわたしを見ながらせいさんは、大きな備前のピッチャーを指さして、「店に来るとまずこれに水をいっぱい入れておくのよ。そうすると半日か一日たった頃には、水がすごくおいしくなってるの」と言った。

そう、せいさんのところでいただくものは、お茶であれ珈琲であれ、なんでもおいしかった。
もちろん、水が入っているボトルやピッチャーも備前なら、ポットや急須も備前。汲み出しや珈琲カップもぜんぶ備前だ。それで、わたしもすっかり備前の魅力にやられてしまった。
(今でもそう変わらないけれど)当時のわたしにとって器を買う、しかも備前を買う、なんていうのは値段の多寡にかかわらず、とても贅沢なことではあったけれど、それ以上にあの店でせいさんとすごすわずかな時間は、わたしにとってはとてもとても贅沢なものだった。
そして不思議だったのは、お茶の味以上になんで私なんかにそんなによくしてくれるのか、ということだった。
そして、その日以来、せいさんを訪ねるのに手土産を持って行くのはいつものことになった。二人ともクドウのケーキが大好きだったから、たまにはクドウのケーキ、なんてこともあったけれど、せいさんは駄菓子みたいな素朴なお茶菓子も好きだったから、たいていはそんなもの。それこそ、せいさんは値段の多寡にかかわらず、いつだってわたしが持って行ったものを喜んでくれた。

そして、わたしのなかで最も記憶に残っているのは、ある朝のことだ。
いつものように子供は学校、わたしは通勤前の戦争みたいにあわただしい時間に珈琲をいれていて、うっかり陶器の白いドリッパーを倒してしまった。
そのときカン! という乾いた音がして、あたりに熱い珈琲と粉が飛び散っただけでなく、あろうことか、せいさんのところで買ったばかりの超お気に入りの小林修二さんの珈琲カップにヒットして見事に取っ手が取れてしまったのだ。しかも安物のドリッパーは壊れることもなく。そのときのわたしのショックたるや・・・・・・。
なんどもいうけれど、これはお金の多寡じゃない。
手作りの器っていうのは世界でただひとつのものなのだ。
それが壊れてしまったら、もう代わりはない。

なんたって通勤前の忙しい時間のことだから、くよくよ考えてる間もなくさっさと片づけて家を出たけれど、電車の中でも会社に着いて、頭から離れないのは壊れた備前の珈琲カップのこと。それでついに我慢できずに仕事中、ギャラリーせいが開くころに会社から電話をしてしまった。た。せいさんが自著の『家じゅう 備前』の中で、チップした備前を直す方法を書いていたことを思い出して、なんとかわたしも自分で直せないかと思ったのだ。それと、同じ作家の同じ形のカップがまだ残ってるかどうか ・・・・・・

とつぜん電話したにもかかわらず、せいさんはわたしがわたしがどれだけショックかわかってくださって、とにかく(壊れたのを)持ってらっしゃい、と言ってくださった。それから、同じ形のカップはまだあるから、それも見て行って、と。

電話した翌日だったか翌々日だったかもう憶えてないけれど、仕事帰りにせいさんの店に行って壊れたカップを見せると、せいさんは「まあ! ほんとにきれいに取っ手だけが取れてるわねえ」と言った。「もしかして、ちゃんとくっついてなかったのかしら」と言うので、いや、そんなことはないと思います、と言った。すると、せいさんは「直るかどうかわからないけどやってみるわね」と言ったので、私はなんだか面食らってしまった。
え? せいさんが直してくれるんですか?!
とびっくりしていたら、せいさんはそれを紙に包んで横に置き、今度はそれと同じカップをいくつかカウンターの上に出して見せてくれた。
私が珈琲を飲むのは毎日のことだし、そのときすでに私は備前以外では珈琲が飲めなくなっていたから、備前の珈琲カップは必需品だ。私は同じカップがまだあったことに心底ほっとして、その中からひとつを選んだ。
ちょっとペルシャ猫みたいな焼き色のやつ。

それで、その器を自宅使いで包んでもらって、お金を払おうとしたときだ。
「いらない」と、せいさんは言った。
はあ? いらない、って???!
「これは壊れたのの交換だから、代金はいりません」
せいさんは決然と言った。
人に有無を言わせぬ強さだった。

それで私はまたまた心底びっくりしちゃったのでした。
いったい、いまどき南青山でこんな商売をしている店がどこにありますか?
絶対に無い! 
デパートの(クレーム処理係の)お客様相談室ならいざ知らず ・・・・・・
それでわたしはあんまり申し訳ないので、エイヤってな気持ちでカップをもうひとつ選んで買って、ペアになったカップを大事に大事に抱えて、ものすごくハッピーな気分で家に帰ったのでした。
たぶん、季節はいまくらいの時期だったと思う。
もう、寒くなりかけたころの骨董通りの夜。
あのときの街の灯りの感じまで憶えてる。
それが、わたしとせいさんとのとびっきりの思い出だ。

そして、なぜいまそんな古いことを持ちだしたのかというと、つい数日前、何を思ったのか息子が突然、わたしにお金をくれたのだ。去年の誕生日のプレゼントだと言って・・・・・・
もうじき年が明ければすぐに次の誕生日が来るのに、今年のでもなく、来年のでもなく、去年の、ですか??? と思っていたら、「いつか壊れちゃった備前のかわりに、これで好きなの買ってください」みたいなことを言う。
これは前にブログにも書いたと思うけれど、いつだったか一年のあいだにまとめて何個も備前を割られてしまったことがあって、それで私はあまりにがっくりしてしまって備前からも、せいさんの店からも、すっかり疎遠になってしまったのだけれど、これもいつのことだったか、息子が「そんなに好きなら、こんどの誕生日にプレゼントするよ」と言ったことがあった。それからいったいどれだけ経ったかわからないけれど、それをいまくれたものらしい。

一瞬、まじ?!と言って喜んだものの、でもまあ、息子もまだ定職を見つけたわけじゃなし。こんなのもらえない、と思って「ありがとう! でも、これはいいよ。気持ちだけもらっとく」と言って返そうとすれば、息子は息子で「一度あげたものは返されても困る」と頑として言うじゃないですか。
男っていうのは小さくても大きくても言うことは同じなのね。
それならほんとにもらったお金で備前を買いに行こう! 
と思ったら、こんどはないのだ。せいさんの店が。
電話をしたら、もうこの電話番号は使われていません、と自動音声が言う。
そして、このブログにもリンクしていた『ギャラリーせい』のホームページも、いつのまにか
Not Foundになっていた。
それで、ものすごくショックで、ぼーんやりしてしまったこの週末。

夕飯を食べながら食卓でここに書いたようなせいさんの思い出を話していたら、「つまり、もうそういう商売ができる時代じゃないってことだね」と息子が言った。
たしかにそうだ。
でもあの当時だって、いまほど不況ではなかったにしろ、すでにそういう時代ではなかったと思う。そして、わたしがいま何を考えているかというと、宝物っていうのはいつだって失ってしまってから、それがどんなに大事だったかはっきりわかるっていうことだ。
売り手には売り手の、買い手には買い手の都合もあれば事情もあるのだけれど、宝物である以上、大事にしなきゃならない。
たとえば自分が宝物と思うミュージシャンがいたら、そう思う間だけでもずっとそのミュージシャンを支援しなきゃならない。支援というのは、好きである以上、できる限りライブに行ったり、CDを買ったり、あなたがどんなに素晴らしいミュージシャンであるかというのを口に出して伝えることだ。(少なくとも私にとっては。)
自分にできる支援なんてタカが知れてる。なんて、この際言ってはいけない。
そして、それは人でも店でもおなじだと思う。

そしてもうひとつ思うのは、人の心の中に宝物の思い出を刻める人っていいなあ、ということ。
わたしは今日ここにせいさんのことを書きながら、いろんなことを思いだしてうっとりしてしまった。そして、ギャラリーせいであんな時間をもう二度とすごすことができないことをさみしく思う。でも、良くも悪くも誰が見てくれているかわからないのがブログだから、またなんらかの情報が入ってきて、せいさんや、せいさんの選んだ備前に再び出逢えるかもしれない。それを願って今日は終りにしよう。

さて。上の写真は、最後のひとつになってしまった小林修二さんのカップと長方皿。
今日は米粉とアーモンドプードルを使ったチョコチップ・クッキーを焼いた。
できあがったクッキーはおいしかったけど、バターが多かったのか粉が少なかったのか、生地がやわらかすぎて型抜きするのに苦労した。それで最初はクマさんだったのが途中からウサギの型になってしまったわけ。
私のお菓子作りの難点は、家に粉を量るキッチン・スケールが無いこと。
デジタル・キッチンスケールなんて安いのいくらでもありそうなのに、それがわたしにはなかなか買えません。変なとこ貧乏性というかなんなのか。自分でもよくわかりません、この性格。
材料を正確に量るのがお菓子作りの基本なのにね。
下の本は、それまでなかった斬新な備前の使い方とセンスで、かつて一世を風靡したせいさんの『家じゅう備前』。
この本もいったいどれだけ眺めたことか。(ため息)

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2010年4月25日 (日)

久しぶりに備前を買った。

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おととしのことになるか、もっと前のことかもう忘れてしまったけれど、1年のあいだに

大事にしていた備前のカップを3個も割られてしまったことがあって(おまけに極めつ

けは自分で備前の急須を割ってしまって)、すっかり意気消沈してしまい、やっぱり我

が家で備前の常使いをするのはまだ無理だったと諦めてしまった。備前を買っていた

頃だっておよそ余裕ならざる身ではあったのだけれど、そうこうしているうちに何やら

備前どころか器を買う気持ちの余裕すらなくなり、見ることさえしなくなって、久しい。

その間にも何度か『ギャラリー せい』のせいさんからは個展の案内の素敵なポスト

カードが届いてはいたのだけれど、行けば、そして手にとって触ってしまったら好きな

だけに何も買わずに帰ってくるなんてできないから、せいさんのことも備前のことも気

になりながら、自分を律して行かずにいた。そして何度かスルーした後の星正幸さん

のとき個展のとき、そのおおらかな色と造形に惹かれて、今度こそ行こうと思ったもの

の、残念ながらけっきょく仕事が入って行けなくなってしまった。

そんなこんなで、ついにせいさんから個展の案内がくることもなくなった。

そういえばどうしてらっしゃるだろう、とインターネットで検索したら、そういう勘って妙に

働くもので、どこかの方がブログでせいさんのことをお書きになっていた。日本橋高島

屋で星さんの個展をやってらしたというので、エッと思って開催日を見たら、あろうこと

か、ちょうどそれを見ていた日が最終日だった。お元気で、相変わらず備前な日々を

過ごしてらっしゃるのはよかったけれど、それにしてもなぜデパートで個展を? という

疑問が残り、それからぼーっと備前の検索なんか始めてしまったからいけない。

もう夜中だというのに、あっという間に数時間が経過。備前のショップは少ないながら

もそれなりにあるものの、好きな器となるとなかなかない。そりゃそうだ。備前ならなん

だっていいってわけじゃない。私はせいさんが選んでくる備前が好きだったんだもの。

6ページくらいまで見て、もうやめて寝ようと思ったとき、あるサイトで目が止まった。

ギャラリーせいでも見ていた駒形九磨さんの器があったのだ。しかも信じられないほど

安い! またもやそこでも十数ページ分ある器をためすつがえす眺めること数時間。

こうなるともうアホです。

そして久々に買ってしまったのがこの器。

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焼酎杯とあったので、先日、備前で大ぶりの焼酎杯を探していると言っていた友人に

いいかもと思ったけれど、私にはこれはどう見ても焼酎杯には見えません。

駒形さんは酒飲みだし、私は下戸だけど、やっぱり見えない。

私の感覚、というか好みで言うと、焼酎杯はもっと黒くてゴツゴツ角ばっていて、ワイ

ルドなのがいい。この器はとっても優しい風情なので。

裏から見たとこ。 緋襷のしましまがいい。

駒形さんらしい自然練り込み土を紐状にして形を作り、ろくろで成形したあと削って

仕上げるという手の込んだ丁寧なつくり。

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そして生地のアップ。こうなるともうアート。美しいです。

無釉の肌あい。

いつか『フェティッシュな備前』なんてタイトルで本を出してみたい。

などと、つい思ってしまう瞬間です。

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器とか、花とかを撮っていると、私はものを凝視する癖があるんだなあ、と思う。

それから小ぶりの面取り湯のみふたつ。

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ふたつ並べたらこんなに大きさが違いました。

このふたつは今年1月に窯から出したばかりの新作だそう。

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私は珈琲でもお茶でもたっぷり飲みたいのでほんとはもっと大きいほうがいいのだけ

れど、でもこれ備前どころか作家ものの器とも思えない価格で買ったので、文句は言

えません。特に備前がどんな風に作られるか、その気の遠くなるような時間のかかる

作業を知っていれば、なおさら。

備前のいいところは中に入れた飲み物なんでもおいしくなるところ。

いま、これを書いている間もこの湯のみで玄米茶を飲んでいるのだけれど、うひゃー

というくらいにおいしいです。

そして、もうひとつは使えば使うほど手になじみ、いい色になってゆくこと。

買ったばかりのときはどこかよそよそしく、気どったシールポイントのシャム猫みたい

だったこの珈琲カップも、毎日使っていまやとってもいい色になりました。

棚にずっと飾ってあったために割られずにすんだ、小林秀二さんの貴重な最後のカ

ップ。いつかまた、せいさんのところで片われを探したいです。

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そうそう、今年に入って、このカップじゃやっぱり小さいから、割られてしまった私の超

ご愛用の小林さんのトールサイズのカップがまた欲しいと言っていたら、息子が誕生

日に買ってくれると言ったのでした。でも、もう2ヶ月も過ぎたのにいっこうにその気配

なしです。でも、かといって忘れたわけでもないらしい。

ま、あまり期待せずに、でもうっすら頭の端に置いといて、その日が来たらにこにこ・

いそいそ、せいさんのところへ探しに行こうと思います。

(しっかし、仕事でひどくストレスが溜まってくるとつい甘いものが欲しくなったり、いつ

もは我慢している買いものに走ったりしちゃうのは、女の性なんでしょうか。いや、私

は全然そんなことない! というストイックなひとに私もなりたい。う~~ん・・・、でも、

それもちょっと味気ないかなあ? ・・・ ブツブツ ・・・ )

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2008年7月21日 (月)

海の日のお皿

Kuwahara_tetsuo_04_2

今日は海の日。

子どもが夏休みに入ったとたんに梅雨も明けて、いよいよ夏本番だ。

・・・・・・ というわけで海を連想させるお皿。

一見するとどこが海なのかわからないかもしれないけれど、こんな風

に貝の刻印が6箇所押してあるのです。

Kuwahara_tetsuo_05

まるで白浜に打ち上げられた貝のようじゃありませんか?

少し深さがあって麺類にも、ちょっと洒落た丼物、散らし寿司なんか

にも合う繊細な雰囲気の粉引きの器。ただ前にも書いたけれど、桑

原哲夫の粉引きは繊細なだけあってチップしやすいのが難といえば

難。そうとう気を遣って取り扱っていてもいつのまにかチップしてしま

う。磁器と違って土物の、とりわけ信楽の土は柔らかくてチップした断

面が鋭利ではないので、小さいチップなら例外的に使っているけれ

ど。そして本日のお昼は、神戸のマクロビお菓子作りのプロhiehさん

が和風息子さんに作ってあげていたメニューをちょっとだけアレンジし

て、『揚げナスのぶっかけ素麺』

Bukkake

ナスの紫、シシトウの緑、ショウガの黄色、白髪葱の白がなかなか

涼しげなぶっかけ麺になりました。

とはいえ、作っているほうとしては大量のお湯で麺を茹でるのも、揚

げものをするのも暑いのだ。真夏に涼しげなもの、冷たいものを出す

のも大変です。主婦は暑いからって火を使いたくない、食べたくない

なんて言ってられない。みんなよくやってるよなぁ、と思います。

子どもがいる家の主婦には、長い夏休みが始まりました。

そうそう、暑い日が続くので(高齢の)父に電話しなきゃ・電話しなき

ゃ・しなきゃ・・・と思いつつできずにいたら、とうとう向こうからかかっ

てきました。今日、来るらしい。それなら夕飯でも食べていけば? 

と言ったものの、はたして何を作ろう?

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2008年3月27日 (木)

桜のかほり♡

Doumyouji_01

そして、桜といえば桜餅。

私はどちらかというと桜餅より、この道明寺のほうが好きです。

葉っぱごと食べれば口に広がる桜の香り。

日本人に生まれてよかったぁ、と思う一瞬。

器はこの時期、毎年出てくる清水焼きの菓子皿。

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2008年1月14日 (月)

やっぱり猫が好き?

Nekoneko

私は滅多に物を壊すこともないし、物持ちはいたっていいほうなのだ

けれど、子供が生まれて以来ずっと(19年!)使っていたピーター・

ラビットのマグカップにはいささか飽きてしまったし、去年、私のとって

おき中のとっておき、小林修二さんの備前のカップを少々ガサツなと

ころのある娘に3個も(!)チップされてしまったのがあまりにショック

で、自分の分はともあれ、備前を常使いにするのは無理だと諦めて

暮れに新しいボンチャイナのマグカップを買った。

マンハッタナーズの猫マグ。

物を大事に長く使うのは良いことだけれど、新しいものは生活に新し

い気を連れてくる。お財布が持ってる運気は3年で切れるというし、

新年に新しい下着やタオルや歯ブラシを用意するのも、新しい年に

新しい気を呼ぶため。

もともとこのカップ(わたくし全然余裕のない身なれど)、1年に1度

くらい、身内くらいには贈り物をしたいじゃない、とクリスマスに猫好

き・珈琲好きの義理の両親に送ったところ、たいそう喜ばれた。もは

や飼い猫の1匹もいない年寄りだけの侘び住まい、毎日使うカップ

が猫なら少しは楽しかろう、くらいの気持ちだったのだけれど、猫好

きにはそれ以上のものがあったらしく、義理の母は「いろんな顔した

猫がたくさん! これは本当の猫好きじゃなきゃ描けない」なんて言

う。そりゃそーだ。これを描いてるニューヨーク在住の画家の久下貴

史氏は、今は古い教会の僧房で、たくさんの猫に囲まれながら、猫

的かつアーティスティックな暮らしをしているそうです。

なんだか羨ましい限りですね。

それで、さんざん眺めているうちにうちのも欲しくなったので、自宅

用にも買った。これは子供用。

Nekoneko_01

Nekoneko_02

これは私のです。夢見るフェデリコ。私にぴったり♪

Nekoneko_03

このぽてぽて感がなんとも・・・

Nekoneko_04

このマグカップ、かなり大きくて、最近朝食時には(イングリッシュマ

ン・イン・ニューヨークじゃないけれど)紅茶を飲む私たちにはぴったり

だ。大きめのポットにいれた紅茶を注ぎ分けるとちょうど3杯分。

たっぷりと飲む。珈琲は仕事を始めるとき、自席につくときに備前

のカップに入れたのを持ってゆく。

ついでに猫キチのSのも買った。

Sには1年、笑って暮らしてほしいから笑い猫。

Nekoneko_05

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Sが1年、ほんとに笑って暮らせますように!

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2008年1月11日 (金)

鏡開き

Zenzai_01

本日、鏡開きの日。

小豆を煮てぜんざいを作った。

今年、小豆を煮るのはこれで2回目。

このところずっと3月のような暖かい陽気が続いていたけれど、明日

から10度にも満たない真冬日が戻ってくるそうだ。

すっかり温暖化に慣れてしまった私たち。

突然の真冬日復活で、皆さま風邪などひかれませんように。

器は誰のだったか忘れてしまった。

これも粉引きなれどベースは小石の混じった粗い黒土の焼き締め

で、そこに練乳ミルクのような釉薬がかかっている。

ソーサーが付いて和のスイーツにはぴったり。

長いこと、本棚に飾っておいたのを今日初めて使ってみました。

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