日々のあれこれ

2017年10月17日 (火)

さよなら、コーヒーミル。

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あたりまえのことだけど、なんにでも終わりがくるね。
このところ電動コーヒーミルの調子が悪くて、なかなか電源が入らなかったり、入ってもモーターが変な音を立ててプロペラが回らなかったりして、とくに1杯分の少量の豆だとかかりが悪く、昨日はやっと挽けたものの持ってる部分が熱くなってモーターが焦げつくような匂いがして、ちょっとこわかった。今朝も最初に家を出る息子の珈琲をいれようとして1杯分の豆を入れたらかからない。多ければ挽くかと思ってさらにメジャースプーン山盛り2杯入れて電源を押したけど、モーターが空回りしてるみたいな唸り音がするだけで、ぜんぜん回らなかった。あきらめてコンセントを抜いたら、コードの穴からうっすら煙が出てきて、ついに終了。こんな電動ミルなんて安いもんだし、たかが機械といったらそうなんだけど、もう25年以上も毎日使ってきたことを思うとそうドライにもなれなくて、朝からなんだかさみしい気持ちになった。
「コーヒーミルがついに壊れた!」
みんなより遅く起きてきた娘にいったら、「えー、ついに~」という。
「埋葬したいね」と娘がいうから、「たしかにそんな気持ちだね」とこたえた。
だってこのコーヒーミルくんはこれまでほんとうによく働いてくれた。
1日2回から3回。あの働き者の洗濯機より働き者だ。
本体に不釣り合いなデカくて不格好なコンセントが付いているのは、最初に電源が入らなくなったときに元家族だったひとに直してもらったから。
あのひとは電気工事が得意な器用な人だった。
そんなこともあってなおさら愛着を持って使ってきたのかもしれない。
男でも女でも、電気仕事ができたり大工仕事ができたりクルマの運転がうまかったりする人に憧れる。自分ができるようになったらいいのかもしれないけれど、なんでもできて他人を必要としない人になりたくないから、いつまでもできないままにしておく。そのほうがきっとやってくれる人がでてくる気がするし(絵のときみたいに)、大体においてそんなことはじめから自分にできるような気がしないしね。

それで今朝ついに電動ミルが壊れたので、今日は滅多に出てこない手動のミルをだした。何年か前の母の日に、息子に買ってもらった燦然と輝く我が家の家宝のプジョーのミル!
でもまだ2回くらいしか使ったことなくて、挽き目の調整がちゃんとできていないのだった・・・・・・。食卓でわたしが「あれ? おっかしいな」といいながらガリガリやってるのを横目に、「ぼく今日、珈琲いらないから。お湯のむ」と、息子はさっさと食卓を立って行った。
・・・・・・ですよね。

で、次にわたしがすべきことは洗濯機や炊飯窯と同じくらい必需品である電動ミルを新しく買うことなんだけど、それは前に超オタクともいうべき人たちの研究サイトをつぶさに読んで比較してあるから、たとえサルがやっても常に同じ挽き目で挽けてノン・ストレスな電動ミルがどれなのかはよくわかっている。でもそれはいまのわたしには高価で贅沢すぎるから、とうぶん買うのは無理だろうなあー!
となると、あとは勢い安いののどんぐりの背比べで大差はないのです。
どれだけくらべたところで帯に短し、襷に長し。
そんな廉価な電動ミルの中でも、このフィリップスの電動ミルはよくできたヤツだった。機能はいたってシンプル。
珈琲豆を入れたらスイッチを押しながら本体を振って挽き目を自分の勘で調節するだけ。挽けたら蓋を押さえてひっくり返して本体をトントン!とたたいて本体中央を回しながらコードを仕舞い、蓋をはずしてペーパーをセットしたドリッパーにバサッと入れる。蓋に残った粉を木の小さいヘラでこそぎ落とし、ティッシュペーパーできれいにふき取って終わり。もう何十年もやってるから一連の動作は流れるがごとし。
フィリップスはもう十数年も前に電動ミルを作るのをやめちゃったらしいし、この単純な機能がいま現行のほかの一流メーカーの電動ミルにはないって、どういうことでしょうね? いろいろ余計な機能は付いているのに、この、するするっとコードが巻ける機能がないというのは?
いったいメーカーは何を考えて製品を作っているのか。
テクノロジーは日進月歩で進化しているというけど、こんなアナログなところで後退してるとはね。よくわかりません。
でも、しかたがないからAmazonで○リタのあれを買うしかないんだろうなあ・・・・・・

フィリップスのコーヒーミルくん、ありがとう。
いままで君はほんとうによく働いてくれました。
おつかれさま!
そして、今度こそ、さよなら!

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2017年10月10日 (火)

ささやかな主婦の日常

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晴れたら晴れたで朝からやることが多くて思わずため息がでてしまう。
つまり、まだ体力が完全に戻ってないっていうこと。
昔、食の好みが違う旦那とふたりの娘のために毎朝それぞれ和洋別の朝食をつくっては自分は珈琲1杯しか飲んでなかった親友が、「トイレ掃除をして、きれいになったトイレに一番最初に入るがささやかな主婦のたのしみ」といっていて、「それじゃあまりにもささやかすぎるぜ!」といったことがあったけど、同時にそういう彼女だったらどんなことがあっても絶対に離婚なんかしないだろうと思っていた。
その彼女がいろいろあった末についに離婚して、わたしはそれまでの価値観が崩壊するのと同時に、そうか、相手のあることにおいてこの世に絶対なんてものは存在しないんだ、と悟るに至った。そして『花様年華』のヒロインが映画の中で言った言葉を思いだして、ちょっとだけ溜飲が下がる思いがした。ずいぶんと長いこと自分を責めていたから。

トイレ掃除をしながらふとそんなことを思い出す朝。
主婦が数日掃除をしてないだけでたちまち家の中はきたなくなる。
晴れた朝、ふきんをまとめて洗って鍋で消毒して干した。
すっきり。
ささやかな主婦の満足。

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2017年10月 5日 (木)

来たものをうけとる

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思うに、いつもふつうにやっていることができないときっていうのは、すでに疲労が蓄積しているときなんだと思う。そして、ひとたび病気になると、それがたかが風邪くらいのことであっても、それまでふつうにできたことが全然できなくなってしまう。もうだるくておっくうでつらくて。

昨日の朝起きると、喉が焼けるように痛かった。
今週は月曜に父のところに行けなかったから、おととい野菜カレーをたくさん作って半分持って行こうと思っていたのだけれど、作ってる途中でなんだか異常に疲れてきて、おまけに思っていたより手間も時間もかかって、「もう今日は行けないや」とあきらめてしまった。行ったり行かなかったりじゃ向こうとしてもちっともアテにならないよなあ、と思いながら。
それでやっとカレーができあがって外も暗くなったころ、ここ数日ずっとガスレンジの電池がチカチカしていたことを思いだしてスーパーに単1電池を買いに行き、ついでに重いのにボルヴィックの1.5リットルを2本買って帰った。なんだか妙に口の中が渇いて。
そして夕飯を食べるころになって喉の痛みに気がついたのだった。
喉の奥を見ようと、鏡の前で口をあけたら舌の裏には口内炎。
喉の奥は真っ赤。
おとといの夜、お風呂の順番を待つ間についうっかりうたた寝しちゃったのがよくなかったらしい。意識の端で「寒いなあ」と思いながらうとうとしていのだ。
今週は金・土と仕事で人と会う約束が入っていたから、これはまずいと思って、そこからはできるだけのことをした。薬箱から去年のちょうどいまごろ処方された抗生物質を探し出して、寝る前には整形で出された消炎湿布剤を首に貼ってシルクの巻きもの、竹布のおやすみソックスを履いて、竹布のマスクの裏にはユーカリとペパーミントを垂らして、それをして寝た。
それでなんとか一晩寝たら何もなかったことにならないかと期待したのだけれど、翌日の起きたら焼けるような喉の痛みだ。
こうなるともうとても起きていられるような感じじゃないし、医者に行く気力もない。おまけに外はいきなり寒い。
こうなったらもう寝てるしかない。
それで丸一日、寝たり起きたりしていた。
風邪で寝こむのなんていつぶりだろう?
そして夕方、誰もいなかったから自分でバスルームの掃除をしてあたらしいお湯を溜め、溶かしたヒマラヤソルトを入れて、さあ、お風呂に入ってすっきりしよう、と思って一応熱を測ってみたら、37.8分まで上がっていた。どうりでなんだか寒気がするわけだ。
そこでハタと、これでお風呂に入っていいものかと思いあぐねてしまって、インターネットで検索したら、最初にヒットしたサイトでなんとおなじみの顔が出てきたのには笑ってしまった。


 風邪で熱があるときの入浴はOK?

こんなところで自分たちがやっていることが使われてるとは。
でも、これを見た時点ですでに食欲は全然ないし、関節痛もあったし、ひどくだるかったのでお風呂に入るのはあきらめて、夕飯食べたら早々に寝ることにした。
そして不思議なのは、病気になるといくら寝ても寝ても寝られること。
昼間あれだけ眠ったのに、枕に頭をつけると吸いこまれるように眠ってしまう。
ふだんはまわりの音とか光に敏感でなかなか寝つけないほうなのに、もうそんなのもおかまいなしでひたすら眠る。
きっともう眠ることでしか復活できないことを身体が知ってるんだと思うし、そこまで疲れていた、ってことなんだろう。
そしてこれまた不思議なことに、身体がちょっと復活してくるといきおい眠りつづけてはいられなくなる。眠ることにもいいかげん飽きてきて、変な時間にパッと目が覚めたりして。そのとき頭がハッキリしていればかなり復活してきたってことだと思う。
今朝は早朝にパッと目が覚めて、ああ、もうだいじょうぶだ、と思った。
昨日はほんとうに死ぬほどつらかったから、心底「たすかった」と思った。
鏡に映る自分はまだひどい顔をしていたけれど、起きてきた息子に「よく1日でそこまで持ち直したね!」といわれた。昨日は、「そのぶんじゃ金曜出かけるのはとても無理だね」といわれていたのだ。
でもたった一日半寝ていただけで背中といい、お尻といい、脚といい、どこもかしこも痛くて、そこで気づくのは『寝たきり老人もラクじゃない!』ってこと。
ほんとうに『一生寝たきりにならずに寿命をまっとうする』っていうのは現代人の課題だと思うし、高齢者ってほんとに毎日生きてるだけでも難義なことだと思うから、お年寄りにはもっと配慮してあげないといけないと思ったのでした。わたしの年でふつうの風邪くらいでこれだけつらいんだから、年寄りが風邪ひいたりしたらヘタしたら命とりだと。
あれだけ好きな珈琲もまったく飲まなかったし、飲みたいとも思わなかった。
実際、飲んでも口の中がおかしいから全然おいしいと思えない。
甘いものもしかり。
つまり、究極にいうと身体の具合が悪いときでも食べたり飲んだりできるものがほんとうに身体にいいものといえるんじゃないかな。
梅干しの入ったおにぎりと味噌汁とか、塩かけたおかゆと梅干しとか。

思えば、宇宙マッサージに行ったあの日、すでに自分はずいぶん疲れていたように思う。雨ばかりの冷夏で意気上がらなかった8月に次いで、9月はいろいろヘヴィなことがつづいた月だったから。そして誰でも宇宙マッサージみたいなものをうけた後には、例えば『劇的に身体が軽くなった』とか、『奇跡的に状況が改善した』みたいな『いいもの』しか期待・想像しないのだろうと思うけど(わたしもまたしかり)、実際のところは『その人にとっていまいちばん必要なもの』が来る、ということにすぎなくて、わたしにいま必要だったのがこの『風邪をひいて寝こむ』ということだったのだろうと思う。
風邪は身体の大掃除、だから。
そう思って、甘んじてしっかとうけとめました。

写真は昨日、仕事帰りに息子が買って来てくれたのど飴。
「おいしいのじゃなくて効きそうなヤツをと思ってさ」とのこと。
でもこれおいしかったです。

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2017年3月 9日 (木)

作戦会議

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昨日、夜のファミリーレストランで妹と京都行きのプランを練った。
このあいだの休日、たかだかA4の紙1枚、二泊三日のプランを作るのに、逐一細々したことを調べていたら丸一日かかってしまった。
健常者と行く旅ならアウトラインだけ決めてあとは臨機応変でいこう、ということもできるけれど、85歳で歩行に障害のある高齢者と行くとなると、いちいち何から何まで調べていかないとならないのがほんとに大変。
しかも行き先は春の京都。
それも三月の連休。
坂も多ければ人も多い。
お金もかかる。
電話したタクシー会社の受付けの女性には「混む時期ですから、できるだけ予約は早くしてください」と、さっそくいわれてしまった。
こころなし関東とはちがうテンションの低い不愛想な声。

先日、京都生まれで両親がいまは滋賀に住んでる友達から、いまの京都は一年中いつ行ってもすごく混んでるから、もっと静かなところに行くことを勧めるよ、といわれたけれど、それが父の希望なのだからしかたがない。
京都をさんざん歩きまわったことがあるだけに最初は想像するだけでもげんなりしたけど、でもいざプランを立てはじめたらだんだん気分が乗ってきた。

わたしが子どもを連れて京都に行ったのはもう17年も前のこと。
母が亡くなった年の春、三月の終わりのことだ。
退院して元気になったら家族みんなで京都に桜を見に行こう、といっていた約束も叶わず早々に母が逝ってしまい、落ち込むわたしをみかねてボスが連れて行ってくれたのだった。
とはいえボスとは京都に着いた日に市内を散歩して蕎麦屋で昼飯を食べ、ボスが若い頃よく行ったという東郷青児ゆかりのレトロな喫茶店『ソワレ』で珈琲を飲んだくらいで、あとは完全に別行動。せっかく京都まで一緒に行ったのに、「昔、京都に住んでて俺は何でも知ってるから今さら神社仏閣めぐりなんてしない。自分たちだけで行ってきなさい」というボスと別れて、二日めも三日めも我々はハンドブック片手にバスと電車を乗り継いで朝から日が暮れるまで京都じゅうを歩き回った。もう詳細は忘れてしまったけど、一日めはたしか清水周辺のお寺というお寺を廻り、二日めはいちばん遠くの大覚寺からスタートして嵐山周辺をくまなく歩き、最後に広隆寺で弥勒菩薩を観た。
子どもは8歳と12歳。とくに下の子はまだ小さかったのに、よくもまあ、あんなに日がな一日、文句も言わずに歩いたと思う。
最後の日は、いま一緒に仕事をしている当時大阪に住んでいた友達ほか二人と南禅寺で落ち合って、銀閣寺近くのうどん屋で食事をしたのも、いまとなっては懐かしい思い出。でも、それさえもう記憶があやふやで、そのときたしかにボスもいたはずなのに、一緒に食事をしたのかどうかもはっきりしない。偏屈でプライドが高くて見栄っ張りなボスは、京都駅まで車で送るという親切な友達の申し出を断って、自分ひとりでさっさとバス乗り場に消えてしまったのだった。ボスのことを思い出すとき、いつもさみしげな後ろ姿がこころに影を落とす。
それももう遥か昔のこと。

今回の京都行き当日は、仕事を半日で上がらせてもらった妹にあわせて新幹線に乗れるのが午後だから、京都に着くのはもう夕方。
最初は二日とも観光タクシーを使う予定でいたけど、妹といろいろ話した結果、マックス一日動ける翌日は車椅子をトランクに積んだ観光タクシーを利用し、ちょっと遠出することにして、最終日の帰る日は、ホテルに荷物を預けて新幹線に乗る時間まで自力でのんびり近場を見て回ることにした。
どのみちリッチな大名旅行じゃないし、まったく知らない土地で電車に乗ったりバスに乗ったりするのも、少々難義なことではあっても父にはそれも楽しいんじゃないかということで。

せっかく滅多にないこと京都に行くなら、自分ならほんとはやっぱり清水ははずせないし平安神宮にも行きたい、南禅寺もいい、それに圓光寺にも行きたかったなあ、といったら、それまで自分としては今回とくに行きたいところはない、とクールにいってた妹が、ミーハーだけどわたしは都路里で抹茶パフェを食べるのはあきらめた、といい、でもイノダコーヒには行ってみたい、あ、ソワレも、といいだし、それならわたしはフルーツホソカワに行きたい、とわたしがいって二人で笑った。
もう帰ろうというころに妹が「これ買った?」と雑誌『OZ magazine』を差し出して、「いや、買ってない」といってわたしがきれいなグラビア写真眺めながら、「こんなの見て夢が広がったところできっとどこにも行けないんだよねえー」といったら、どうせジーサンは夕飯食べたら疲れて寝ちゃうだろうから、お姉さんはその後ひとりでどこかに行ってきたら? というので、だったらジーサンが寝た後タクシーひらって二人でどこかに行こうよ、といった。
宿泊先のホテルは三条近くにあってなかなか便利なところなのだ。
小町通りが近いし、祇園にも行ける。
でも夜出かけよう、なんて思うのもいまのうちのことで、実際は自分たちも疲れ果てて寝ちゃうかもしれないんだけど。
はてさて。どうなりますことやら。

もし、いまわたしに自由になるお金と時間があるなら、一番行きたいのはパリです。
ポンピドゥー・センターでサイ・トゥオンブリーが見たい。
ものすごく!

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2017年3月 2日 (木)

エクストラな休日に

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遠方から訪ねてくる人あって、当初彼女はわたしがいつも行ってる花屋に行きたいとの希望だったのだけれど、あいにく彼女が東京に滞在する期間と花屋が滅多にないこと連休をとった日がぴったり重なってしまって、昨日は滅多にないことわたしもお休みをとって一日彼女につきあった。
いつもの花屋の代わりになりそうなところと思って頭に浮かんだのは、前から一度行ってみたいと思っていたふたつの花屋。
どちらにしようか迷って、でも夕方には武道館に行くという相手のことを考えたら土地勘のあるこっちを選んだ。
南青山にある、ル・ベスベ。

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ル・ベスベというとすぐに思い浮かぶのはいつも『アンドプレミアム(&Premium)』という雑誌の表紙と巻頭ページを飾っていた美しい花の写真。
いったいこんなナチュラルで素敵なブーケをつくるのはどんな方だろうと思ったし、雑誌に紹介されていた店の佇まいにもとても惹かれた。そして3年前にル・ベスベの店主でフラワーデザイナーの高橋郁代さんが急逝されてしまってからは、後に遺されたお店がどうなったかも気になっていた。
一度行ってみたいと思っていた気持ちがこんなかたちで実現するなんて。

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できれば主のいるときに来たかったけれど、でも主亡きいまもお店はちゃんと存続していて、今日も近所のマダムと思しき女性が熱心にお花を選んでいました。
あいにく今日は先が長いから花を買うことはできなかったけれど、いつかまた訪れてみたい。
でもやっぱり花を買うためだけにここに来るのはちょっと遠いかな。
骨董通りを抜けて高架下の地下道を渡った向こう。
表参道からは徒歩12、3分てところ。
でも、もしル・ベスベのブーケを贈られることがあったら?
それはもうほんとに素敵でしょうね!
夢にだけ見ておこう。
それにもし自分の夢が叶ったら、腕に抱えられるだけの花束を自分のためにつくってもらってもいいし!

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はじめて行くところってたいてい実際より遠く感じられるものだけど、骨董通りを端から端まで往復したらけっこう疲れてお腹もすいて、次に向かったのはイタリアンレストランHATKE。

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平日で、もう1時を回っていたのにけっこう混んでいてちょっぴり待たされた。
待っているあいだに出て行く人たちを見ていたら、名前はすぐに出てこないけどテレビをまったく見ないわたしでも芸能人とわかる人たちが何組か・・・・・・
立地の割には静かだしリーズナブルでお食事もおいしいので南青山で友達とごはんのときは選択肢のうちのひとつにしているのだけれど、いつの間にかここは芸能人御用達のお店になったのかな。
ここに来るとかならずオーダーする平日50食限定のハタケ・ランチ。

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一見いつもおんなじように見えるけどもちろんそんなことはなくて、毎回その季節の旬のオーガニック野菜を中心に作られたアンティパストの10種盛りプレートはいつ食べてもおいしい。
それに今日はとっても濃厚でおいしかったポタージュスープとフォカッチャ、アンチョビの隠し味が利いた海老と小松菜のショートパスタ、ドリンクと小さなドルチェがついて1350円はやっぱり安いと思うな。

そしてここに来てはじめてちゃんと話すことができたHさん。
東京に来る直前まで縫っていたという、着物をリメイクしたガウンを着てらした。
すごく好奇心旺盛、チャレンジ精神旺盛でエネルギッシュな方でした。
今回数年ぶりに来たという東京での滞在期間も毎日スケジュールがぎっしり。
わたしにはとうていそんなのはもう無理だなと思いました。
お正月に二泊三日でパリに行った友達が、毎日二食でひたすら美術館にだけ通っていたと言っていたけれど、わたしもそんなのがいいなと思います。

ここでランチタイムのあいだお喋りして、食後は1階にあるニコライ・バーグマンのフラワーショップを眺めた。今日2軒めの花屋。
ここでnicolai bergmann というロゴの入ったリボンのかかった黒い箱が届いて、あけたら宝石箱みたいなフラワーボックスだったらどんなに素敵でしょう、という話をして楽しんだ。
夢は大事ね。
好き嫌いはあるかもしれないけど、とてもスタイリッシュな花屋。

ラストは九段下近くということで神楽坂に移動。
かもめブックスにも大洋レコードにも行ってみたかったけどもうそんな時間はなかったので紀の善へ。
今日はどこに行ってもはじめての方と一緒だからよかったものの、わたしってじっつにワンパターンだなと思います。
食べるものまで決まってますもん。
紀の善ときたらクリームあんみつです。
彼女はここではくるみ汁粉を食べてた。
それもおいしそうだった。

イレギュラーな休日の一日。
はたして彼女は楽しめたのかどうか・・・・・・。
けっこうたくさん歩いたのに疲れも見せず、今日のメインイベントである武道館に向かって行きました。

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2017年2月18日 (土)

抹茶碗

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何故か知らないけど昔から二月はいろいろ大変なことが重なる月で、今年もやっぱりいろいろあって、気になりながら電話できないままでいたら先週むこうから電話がかかってきた。
わたしと誕生日がおなじ、あやこさん。
うちの個電はナンバー・ディスプレイだからすぐに誰だかわかって、電話に出るなり「わあ。あやこさん、元気?」といったら、「元気よ。あなたこそ元気?」といつもの声が返ってきてうれしくなった。
でも実をいうと一月は元気じゃなくて、夫のインフルエンザが移ってひと月寝ていたのよ、という。インフルエンザなんて一体どこからもらってきたの、と訊くと、あのひともプールに行ってるから、もしかしたらプールでもらってきたのかもねえ、と。
それであなたはいくつになったの、というから、わたしが歳をいうと、いままで若い若いと思ってたけど、あなたももうそんな歳になったのねえ。わたしなんか今年でもう82よ! わたし、ついに去年、お茶やめたのよ。言ったっけ。去年、表彰されたこと。そのとき紋付き着て行って、それでお終い。と、滔々としゃべる。
そのときの写真を見せてよ、といったら、いやだ。オバケみたいだから、あんなの人に見せられるようなもんじゃない、という。

それより去年、夫が叙勲されてね、皇居に招ばれて行ったときに色留袖を着て行ったんだけど、そのとき夫と庭を歩いてるところをカメラマンが写真に撮ってくれてね、それがいままで撮ったなかでいちばん自然だったからそれを遺影にすることにしたのよ。わたし、もう遺影だってちゃんと用意してあるんだから。と、相変わらずサバサバした勢いのある話し方。
叙勲なんて滅多にあることじゃないから、旦那さまは何で勲章をもらったの? と訊けば、知らない、とそっけなくいう。
まんまとお茶を濁された。
さすが、お茶の先生だけに。

それで、これまでつづけたお茶を辞めるにあたって家に大量にあるお道具を処分しなけりゃならないのだけど、わたし馬鹿だからお茶碗ひとつにしても買ったときのレシートを箱の中に一緒に入れてあってね、うっかりそんなもの見た日にゃ「ああ、こんなお茶碗ひとつ買うにもこんなにお金出して買ったんだ」とか思ったら、捨てられないのよ。生徒さんたちにはお茶碗2個ずつあげたんだけどね、というから、関係のないわたしがたいへん図々しいことをいうようだけど、もし処分してしまうのだったらわたしにも何かひとついただけませんか? といってみたら、あやこさんますます勢いよく、ぜんぜん図々しくなんかないわよ! あたりまえよ! じゃあ、それもこんど何か選んで持って行くわね、といった。
わたしが、殊勝な感じで、ありがとう、大事にします、といったら、大事になんかしなくていいのよ! どうせ練習用でたいしたものじゃないんだから、といって、あやこさんは、わたしは今週はまた行けないから、じゃあ来週の土曜日、プールの後にね! と言って電話が切れた。

思えばなんの血のつながりもない、ただおなじスイミングクラブのおなじレーンで泳いでいて、たまたま誕生日がおなじだったというだけの、自分の親ほども年の離れた人とこんなふうに親子みたいに、あるいは友達のように話せるっていうのも不思議なことだと思う。そして男でも女でも年齢に関係なく、そういう相手がわたしにとっては一番ありがたい。自分のままでいられて、ありのままをうけとめてもらえる。
昔、銭湯でのことを『裸のつきあい』といったけれど、いい歳の女がすっぴんで、スタイルが良くても悪くても水着を着て自分の身体を曝け出し、下手な泳ぎでカッコ悪いところやみっともないところを互いに見せあっているプールはある意味、裸のつきあいなんだと思う。
大人になってそういう場を持てたことはほんとによかったと思う。
あやこさんはもうスクールには来ていないけど、相変わらず下のジムでヨガをやりバランスボール体操をやり、フリーの時間にプールでけっこうたくさん泳いでいる。
この真冬に。82歳になったいまでも。
素晴らしいとしかいいようがない。

今日わたしがジャグジーも早々に着替えて下に降りて行くと、あやこさんはもう来ていてテーブルの前で座っていた。
抹茶碗の入った箱とチョコレートの入った紙袋を持って。
わたしは『かまわぬ』で買った巾着と豆源のお菓子を持って行った。
あけてみて、とあやこさんがさしだした箱は、吉祥寺にある茶道具の店『池上』のものだという。楽かと思っていたけど開けたら楽茶碗ではなかった。グレーの、これは美濃焼、だろうか。

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これはいちばん気に入っていて、よくお稽古で使った茶碗だという。
これくらいたっぷりしているとお茶を点てやすい、ということ。
そんなことをいいつつ茶碗を持っていたあやこさん、わたしがお茶のことを何も知らないと思ってか、あなた、こっちが前だからね! といってわたしの前に置いて見せた。さらに、お茶を点てるんじゃなくても、茶碗飾りにしてもいいのよ、と。
わたしが「茶碗飾り???」という顔をしてたら、なんだったら漬けもの入れてもいいのよ! だって。
やれやれ、すみません。なんにも知らなくて。
『茶の湯』というと、ずいぶん前に見た利休の映画を思い出す。
ものすごーく地味だけど、それこそ滋味あふれる興味深い映画だった。
一杯の茶に、一人の稀有な人間の生き方が美学が、そして時代や政治の力学、人間関係までもが詰まった時代劇。一杯の茶が、いまでいうところのパワー・ドリンクであった時代の話。
でも『Art of Tea』といったらもちろん、わたしにとってはさんざん聴き古したマイケル・フランクスのアルバムですけど(笑)

あやこさんからこれまでにも何度か聞いたことがあるけど、生徒ならともかく、お茶の教授ともなるとそれこそふつうの人が持っていないような季節ごとのお道具がたーくさんあって、しかも教授職の人にしか必要ないからそうそう譲ることも売ることもできないのだという。でも目利きが選んだ古いものともなれば現代ではもう作れないような意匠を凝らした高価なものもあって、そんなのますます捨てるに捨てられないだろうな、と思う。そういうの、二束三文じゃなくて、少なくとも心情的にだけでも手放す人の気持ちにかなったリサイクルの方法がないものだろうかと考えてしまう。

ともあれ、今年も無事に誕生日を祝えてよかった。
最近よく思い浮かぶ言葉に、以前人から言われた「すべてのはじまったことにはいつか終わりがくる」という言葉があるのだけれど、いまのところは、これがいつまでつづくかなんていうのは考えないことにしようと思う。

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2016年10月 5日 (水)

薬大臣

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風邪ももういいかげん治りかけだと思うのだけれど、最後に咳だけが残ってなかなかすっきりしない。咳がつづいているせいでなかなか体力が戻らなくて疲れやすい。そう思っていたら先日、電話でわたしの声を聞いてびっくしりた医者の友人が薬を送ってくれて、それがさっき届いた。
ほんとうにありがたいかぎりだけど、またしても抗生物質。
それに痰切りに鼻水に咳止め、それぞれの薬と胃薬に漢方薬。
食間に飲むものや吸引剤や夜寝る前だけに飲む薬もあって、もう山ほど・・・・・・
これ以外に毎日飲んでるサプリメントがあるから、お腹いっぱい食べたら食後に飲みきれなくなりそう。

昔、枕もとに置いたお盆の上に、三種の神器ならぬ医者からもらった薬あれこれに正露丸に目薬にアンメルツに湿布薬など、思いつく限りのものを一式載せていたおばあちゃんのことを生前、母はよく『薬大臣』と呼んでいたけれど、これじゃまさに薬大臣だ。
抗生物質は風邪の菌をやっつけてくれる代わりに善玉菌も殺してしまう。
風邪が完全に治ったらこんどはデトックスして腸内環境を整えることをしないとね。
テーブル上には昨日ビタミンC補給のために買ってきたミカンも転がってて。
ビタミンCといえば、20代のころテレビでどこかの博士が自らやってる健康法として『ビタミンC大量摂取法』というのを紹介してて、ビタミンCを日常的に大量摂取しているとガンにならない、というので、ガンになりたくなかった自分も真似してやってみた。
薬局で大きなボトルに入った安い『アスコルビン原末』というのを買ってきて、添付の小さなスプーンで白色の微粉末を掬って水に溶かして飲むんだけど、とにかく酸っぱい。
でも毎日やってたらある日、母がわたしの顔をまじまじと見て、「最近どうしてそんなに色が白くなったの?」と訊くから、「ビタミンC大量摂取法をやってるからじゃないかな」といったら母までやりはじめてしまった、ということがあった。酸っぱいし、ときどきお腹にくるからあまり長くは続かなかったけど、ずっとやりつづけていたらほんとうにガンにならなかったのだろうか。
どうなんだろう、と思う。

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2016年9月27日 (火)

病は気から

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人間、たかが風邪をひいたくらいでも、具合が最高潮に悪くなって薬を飲んでもうただ寝てるしかなくなると、ずいぶん自分を非力に頼りなく感じるものだと思う。
病は気からっていうけど、今月は病の気と副交感神経優位の気と踏んだり蹴ったりの気がいっぺんに押しよせちゃったみたいだ。

昨日の朝、起きたら声が出なくなっていた。
日曜日にもうだいじょうぶだと思って動きまわったのがまずかったらしい。
でも昨日は仕事の相手と話さなきゃならないことがあったので電話でちょっと長く話したら、そのあと咳が止まらなくなって、夕方また電車に乗って診察終了時間ぎりぎりセーフで耳鼻科に駆け込んだ。
このあいだとは違う抗生物質と胃薬と咳の頓服を出してもらって、駅前の薬局で薬を待っていたら名前が呼ばれて、処方された3つの薬のうちひとつの在庫がないからこれから問屋に発注して数日かかるという。びっくりして、もしかしてそれは咳止めですか、と訊くと、そうです、というので、それは困る、咳がひどいので無理してここまで来たのに、その薬がないんじゃ話にならない、と伝えると、若い薬剤師は困った顔をして、ほかの薬局に問い合わせてみます、という。薬剤師が近所の薬局に電話してすぐに薬はあったものの、それからその薬局の地図をプリントアウトするまでにずいぶんと時間がかかり。コンピュータの画面をじっとにらんで固まっていた薬剤師がやっと地図を印刷して渡してくれながら「それでだいじょうぶですか?」と訊くので、だいじょうぶも何も、取りに行かなきゃならないならしかたがないじゃないですか、といつになくきつい調子でいってしまう。そして薬局を出るとパタパタと雨だ。ほんとにツイてない。このあいだ渋谷のタリーズコーヒーで待ち合わせたとき、うっかり白いシャツにアイスコーヒーをこぼしてしまって「やれやれ! 踏んだり蹴ったりだ!」と嘆いたTちゃんの声が聞こえてくるようだった。目指す薬局はバス停にして2つ先くらいにあって、ふだんなら歩いて行くところをバスに乗って行った。そこは妹の働くクリニック近くの見るからに年季の入った院外調剤薬局で、老練な薬剤師(まるで童話に出てくる世話焼きのアヒルのお母さんみたいな)のおばさんがにこやかに対応してくれた。
わたしの好きな耳鼻科の先生はとてもいいお医者さんなのだけれど、処方する薬の中には現在ではあまり一般的ではない古い薬も含まれているようで、常時在庫してない薬局もあるかもしれない、とのこと。でもこの咳止めの頓服はすごく効くそうです、というので、ほっとして薬局を出た。帰りは降ってなかったから駅まで歩いたけれど、この間雨に降られなかっただけでも神さまのおはからいと思う。電車に乗って最寄りの駅に着いたら見事に土砂降りだった。駅前で安いビニール傘を買って夕飯の買いものに行き、文字通り着ているものからバッグから靴までずぶ濡れになって帰った。なんとも素敵な日*

そして今朝起きてわたしの顔を見るなり子供たちふたりは「今日はもう寝てるしかないね」といった。息子は今日は外で食べて来るから夕飯はいらないよ、といって出かけた。
そうして、こんこんと眠ってるときはいいけれど半覚醒のとき思いだすのは古いことばかりで、咳止めの頓服を見ていたら小さいときのかかりつけ医を思いだした。
東京下町で生まれて小学校にあがる1年前までをいま住んでいる辺りですごし、中野区に引っ越したばかりのときにパインのひとかけが原因で死に損なったときにM先生とは出会った。それ以来、虚弱体質だったわたしは何度、母におぶわれてM医院に連れて行かれたことか。見るからに重病でもない限り、先生はいつも目尻を下げてにこにこと迎えてくれた。ふつうの家みたいな引き戸をガラガラと開けて玄関で靴を脱ぎ、一段高くなった診察室に入るとそこは静かな板間の部屋で、診察が終わると先生はかならず薬は錠剤がいいか粉薬がいいかとわたしに訊いた。うんと小さいころは苦くてまずい粉薬を飲むのに苦労して、母がいつもオブラートに、まるできな粉と砂糖を混ぜるみたいに粉薬と砂糖(白砂糖だ!)を混ぜたのを包んでくれたのを飲んでいたけれど、一人で医者に行けるようになったころにはもう薬を飲むのにもすっかり慣れていて、わたしは「どっちでもいいです」といった。
すると毎度、身長と体重を計られて、何やら計算していたかと思うと乳鉢に薬を入れてごりごりやったのを薬包紙に置いて、器用に折りたたんだのを渡してくれた。青い紙のは頓服。
いまとなるとそんなことも懐かしい。
子供ながらに先生の一連のその作業を見ているのはなかなか面白かった。
もちろん、面白いと思えるのは熱に浮かされてないときだけだけれども。
先生は小児科医だったけれど、大人になってからも具合が悪くなると時々行った。小さいときから診てもらっているからなんでもよくわかってくれていて、行くと診察しないでもすぐに薬を出してくれるのがありがたかった。
二十歳も過ぎて行ったとき、わたしがお酒も煙草もやらないというと、それじゃ人生の楽しみの半分もないねえ、と笑いながらいうので、いったいあなたはどういう医者なんだ! と思ったり、さらにその後になると、新宿副都心の職場近くで先生が着物姿の女性と一緒のところにばったり遭遇し、「今日のことは内密に」なんて耳打ちされたことももう遠い昔のことだ。
そして自分が子供を産んで杉並区からここに引っ越したばかりのときに近所の医者のことを何も知らなくて、M先生に電話してこの辺で往診してくれるお医者さんをご存知じゃないですか、と訊いたら、医師会がちがうからそちらのことは自分にはわからないし、それに早苗ちゃん、いまはもう往診してくれる医者なんていないよ、と笑われて、小さいときに散々往診してもらったわたしとしてはハタと目が覚める思いだった。
もう時代がちがうのだ。
M医院とM先生のことを思いだすとき、診察室も先生そのものも限りなく昭和的だったな、と思う。病気になって痛い思い、苦しい思いをいっぱいしたのに、M先生のいる診察室はあたたかで、いつも先生の顔を見るともうだいじょうぶだって安心した。
もう数年前のことになるけれど、父とちょっと遠くのスーパーマーケットに行くのに着いて行って、ものすごく久しぶりにM医院の前を通りかかったら、もう医院の看板は降ろされていた。当然だ。M先生は父より年上だろうから。
でも、もしいまでもご健在でいらっしゃるなら、当時はほんとうにお世話になりましたとご挨拶にでも行きたいところだ。
いま、わたしがわざわざ具合の悪いときに電車に乗ってでもN医院に行くのは、そんな古き佳き昭和の匂いが残っているからかもしれない。

小さい子供がいる家庭というのは良くも悪くもいつも賑やかで、親はとても苦労して子供を育てるのだけれど、そんな時代もあっという間に過ぎてしまう。
いまは子供のいない夫婦が多い時代で、いくつになっても夢を追いかけてるような、いつも自分をファーストプライオリティーに置いてるような、そんな自由さには羨ましくなるときもあるけど。
「でもやっぱり子供はいたほうがいいよね」
といったら、Tちゃんは、「金はかかるけどね」と笑った。
彼には素敵な大学生の娘さんが二人いる。
たとえ、いくらお金や手間や時間がかかったとしても、彼らの未来の可能性ははかりしれないほど素敵だ。
それにつけても親はいつでも元気じゃないといけない。
病の気とはさっさとオサラバしないとね。

今日は友達から「1週間もブログ更新されてないしで、ちょっと心配してます」とメールがきた。もはやこのブログも安否確認用か? とも思うけど、気にしてくれる人がいるだけありがたいってこと。
明日の夜はほんとは『大人のデッサン教室』というのに行くのをすごく楽しみにしていたのだけれど、けっきょくキャンセルするしかなかった。
紫織さんの個展も見に行けなかったし。
あさっての夜は上町63だけど、下手するとそれも駄目かもなあ・・・。

ともすると気持ちまで不安定になりそうななか、今日の夕方の空には癒された。
じきに散々だった9月も終わり。

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2016年9月 5日 (月)

夏風邪秋風

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夏風邪って、いったんかかるとなかなか治らないみたいだ。
息子が夏風邪をひいて早やもう2週間。
そのうち寝込んだのは3日間。
自分はうつらないと思っていたのに、あろうことかうつってしまった。
でも風邪の発端はAmazonマーケットプレイスで買った古本だった。
見た目はきれいな本だったのだけれど、アルコール消毒でもしたのか、ページをひらくとなんだか古い波動みたいなヘンな刺激臭がして、それでもひらいたページに書いてあることが面白かったのでしばらく読みつづけていたら、だんだん目がチカチカ鼻がツンツン喉がヒリヒリしてきて、これはやばい! と思った。
息子は朝うがいをしていて、失敗してむせたのがきっかけで喉がイガイガしだしたという。ほんとに風邪って、何がきっかけになるかわからない。

そして、わたしが風邪になったくらいでも家の中には違った潮流が生まれる。
ふだん安保先生の本を読んでいて、すべての病気の症状は意味があって生まれたこと、およそ『抗』と名のつく薬は対症療法に過ぎない、そもそも風邪に効く特効薬なんてないんだから医者に行っても無駄、というわたしと、自然治癒力にまかせると僕みたいに2週間も治らないから早く医者に行ったほうがいい、という息子と、(自分でやったこともないのに)煮小豆を食べれば? という、とぼけた娘。

ことによると週末プールに行って泳いだらすっきり治っちゃうんじゃないかと思っていたら、それですぐに悪化することはなかったものの、少々具合が悪くてもほとんどいつもとおなじように動いてるものだから昨日の夕方あたりからついにきた。
それで昨夜の夕飯は栄養つけて少しでも早く治そうと、超奮発してうなぎ(といってもスーパーのだけど)としじみ汁にしたのに、それでもよくならなかった。
今朝起きたら絶不調。
喉の痛みと咳とくしゃみ、涙ぽろぽろ鼻水ダーダー。
まったく風邪ってうつくしくない。
おまけに頭は重くて、ぼおっとする。
仕事をしててもまったく使いものにならない。
息子があんまりうるさいので夕方ついに決心して、竹布のマスクして帽子かぶって晩夏のひまわりにみたいにうなだれて電車に乗って耳鼻科に行った。
経験的に風邪のときには内科にかかってただ薬を出してもらうより、耳鼻科に行って処置をしてもらうほうがいいと知っているのだけれど残念なことに近所にはいい耳鼻科がない。下手な医者にかかると返って落ちこんだりして悪くなるから、少々面倒でも医者選びは大切です。
行くまではヘナヘナしそうなほど蒸し暑くて、具合が悪いときに医者に診てもらうのも一苦労、と思ったけれど、でもいつもの耳鼻科に着いたらホッとした。
この西山先生という方は天性の医者だと思うのです。
まず、いつ行ってもゆったり構えていらっしゃる。
診察室の椅子に座って、先生のやさしいお顔を見たら、なんだかそれだけで良くなってしまうような気がしました。
まず患者であるわたしの顔を見て問診し、脈をとって診察してから喉を見て、鼻の奥を内視鏡で見たあと薬を注入し、処方箋を書いてもらって、吸入をして終わり。
わたしが、息子の夏風邪がうつってしまって・・・、というと、夏風邪というか、秋風邪というか、まぁ、風邪だね。悪い病気ってわけじゃないし、ただの風邪だから3日、ないしは最低1日か2日抗生物質を飲めばきっとよくなりますよ。薬は症状が良くなったらもう飲まなくてもいい。余ったらとっておいてください、と。
実は家から遠いことを理由に薬をすこし多く出してもらったのです。
抗生物質と総合感冒薬と胃の薬を1週間分。
まだ完全に治りきっていない息子にも飲ませたら一気に解決するかと思って。
帰りの電車は混んでいて、つり革の前に立って車窓から見た空と雲がきれいだったなあ・・・・・・
もう夏の営業が終わって、ひとっこひとりいなくなった屋外プールの水に映る空。微熱があって頭がぼおっとしてると、目に映るこの現実世界もどこかファンタジーです。

最寄りの駅に着くと外は秋風どころか蒸し器の中にいるみたいで、文字通りへろへろになって、まったくのノー・アイディアでスーパーマーケットの中をうろうろして夕飯の買いものをして帰った。
わたしがふだん健康オタクなのは、働く主婦が病気をしても仕事はいつもどおりあって、ただ自分がツライだけだからです。
そしてこの場合、薬のいいところは、ふだんまったく薬を飲まない人が飲むと実によく効いて、本人の意思に関わらず『万事休す』になること。
つまり、人間ってよほどこういういことにでもならない限り、万事休すにはならないってことだよね。ふぅ。やれやれ。

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2016年8月11日 (木)

父の孤独、野良猫の孤独

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今年ショックだったのは一つ年上のRが「オレには友達はいない」といったことだ。
昔、あんなに陽気でいつもたくさんの友達に囲まれて豪放磊落にしていたRちゃんがそんなことをいうとは、思ってもみなかった。
同時にそれじゃあ、わたしはなんなの、と思わないでもなかったけれど、Rのいう友達とはたぶん、日常的に常に近しい距離にいて、日々のつまんない思いや時には真面目な考えを屈託なく話したり、共有できる相手のことなのだと思う。
そういう相手がいまのRにはいないということなのだ。
もっともそれより何年か前には親友のMが「仕事をするようになってからほんとの友達はできなくなった」というのを聞いた。それもかなり意外だった。いつも仕事で華やかに日本と海外を行き来しながら日本と海外、どちらにも友達がいて、常に複数の男友達と親密な関係を結んでいる多忙な彼女からはとうてい似つかわしくない言葉だったから。
くだらないことをいうのはやめよう。一見どんなに華やにしていたって、そんなことは本人の内面とはぜんぜん関係ないってことだ。
ああ、そうだ。それにもっといえば、しきりに自分の移住計画にわたしを乗せようとしているIさんにもこのあいだ、「そうきちだって近くにすぐ会える友達なんかいないんでしょ」といわれたっけ。わたしもずいぶん落ちたもんだと思う。
これまでわたしは友達なんか、どこにいてもいくらでもできると思っていたけど、実際のところは年をとるごとに人はだんだん孤独になっていくんだろうか。

ボケたわたしの父は人と顔さえあわせれば、「おとうさんの友達はみんな死んじゃった。電話もかかってこない」というけれど、そのたびにわたしはいう。
「あのね、おとうさん。おとうさんは85で誰からも電話がかかってこないっていうけど、わたしなんかまだこの年で、友達はみんな生きてるけど、電話なんて誰からもかかってこないわよ。いまはもう、そういう時代なのよ」
そうだ。いまはそういう時代なんだと思う。
別のMちゃんなんか、メールしてもしても返事がこないから電話でそういったら、「ラインしか見てないよ!」とぶっきらぼうにいわれて、それで終わりだ。まったく嫌な時代だ。それでもほかに連絡のしようがないからたまにこちらから電話をすると、まだろくろく話してもないうちに「子機の充電が切れる」といわれて突然ブツッと電話が切れ、そのままかかってもこない。でも考えてみたら(考えてみなくてもか)「ラインしか見てない」といわれた時点でもうすでに終わってる関係なのかもしれない。
友達だと思ってこちらがいくら大事にしたところで、自分もおなじように大事にされるとは限らないのが人間関係。いいかげん、あきらめたほうがいいのかもね。

今日は父とお昼をするのに、ここ数日にしては気温が下がって過ごしやすいから、たまには気分転換に外で食事でもするのはどうかと思った。
とはいえ日中は暑いから、また父に「行かない」といわれるかなと思いながら電話すると、思いがけなく父は「いいよ」という。
実家近くの中杉通りのバス停で待ち合わせて阿佐ヶ谷に行った。
何せ父は足が痛くて歩けない人だから、こちらはのんびり商店街を歩きながら、雰囲気のいい店でもみつけたらそこに入ろうと思っていたら、父は「行くところは決まってるんだ」という。たまに一人で池袋の新文芸坐に映画を見に行った帰りに寄るチェーン店が阿佐ヶ谷にもあって、そこに行く、というのだ。
どこかと思えばなんてことはない、日高屋だった。
人がせっかく何かおいしいものでもごちそうしようと思ってるのになあ、といいながら店に入った。父は前に食べておいしかったというゴマだれ冷やしつけ麺を頼み、わたしは冷やし中華を頼んだ。そこでわたしが麺の多さ以上にまいったのが、店内にかかっているBGM。
それらはすべてブザーみたいな音のコンピュータ・ミュージックで、キーボードはもちろん、ギターの音もすべて少しズレたような無機質な電子音でできていて、わずか数曲のおなじ曲がずっとループしてかかっている。それを聞きながら、やたらと麺ばかり多い冷やし中華を食べていたらだんだん気分が悪くなってきて、わたしだったらこんな職場ではとうてい働けないな、と思った。こんなおかしな音を聞きつづけていたら間違いなく脳みそも自律神経もおかしくなる。人間の耳って、他の臓器にくらべても死の最後まで機能しているとても深遠で精妙な器官なのに、こういうのはほんとうにいけない。
昨日の夜、上町63でいい音を聴いた直後だからよけいそう思うのかもしれないけれど。と思って、あたりを見渡しても誰ひとりBGMを気にしている風な人はいなかった。たいてい男1人でお腹をすかせてやってきて、あまり言葉の通じない中国人に無機質にオーダーし、無機質な音楽の中で無機質な器に盛られたたいしておいしくもない中華そばを無機質に食べている無機質な顔の人たちがいるだけだった。
どこを切っても金太郎飴みたいにおなじ顔をした駅ビルやチェーン店、どこに行っても老人だらけの超高齢化社会と貧困か。やれやれ! 落ちる。

父はといえば、咀嚼力が無いのに必要以上にたくさん口に食べものを詰めこんで、まだ口にたくさん物が入ってるうちからひっきりなしに喋るから、そのたびに注意をしないとならない。食べ方がきれいじゃない父との食事はいつもストレスだけど、いつか妹が「いくらいっても直らないのはどうしてかしらね?」といったことがある。
どうしてかわからない? とわたしはいった。
想像してみてよ。
父は子どものときに実の母親が亡くなって、父親と弟と妹の4人暮らしになり、間もなく意地悪な子連れの継母がやってきて、おなじ食卓を囲みながら自分の血のつながった子どもには食べさることはしても、自分と血のつながらない子どもにはろくろくまともに食べさせなかったから、父は自分の目の前に食べものがあるうちに急いで口に詰め込まなきゃならなくて、それがいつの間にか習慣になっちゃったのよ。つまり、野良猫みたいなもんよ。悲しいかな、それが父の育ちというやつで、それが骨の髄まで浸みこんじゃってるんだから、大人になってから人からいくらいわれたところで、もう自分でも直せないのよ、と。
それって考えたら痛ましいことじゃない。
おまけにいまの父はアルツハイマーなのだ。

そして、そうは思ったところで父と食事をして不快な気持ちになるのはいたしかたのないことで、だからそれにつきあえるのはもう妹とわたし、せいぜいたまにうちの子どもくらいだろうと思っている。それでも父がまだいいのは、食事が終れば誰にいわれなくても積極的に自分から歯を磨きに行くことだ。
お盆だからというわけではないけれど、帰りは父と一緒に帰って母の仏壇にお線香をあげた。冷たいお茶を出して座る間もなく、例によって父の波乱万丈のヒストリー語りがはじまる。小学校6年のとき母が亡くなり、母が亡くなる前からすでに大東亜戦争がはじまっていて、数学が得意だった父は「これからは商業の時代だ」という父の言い分に従って商業高校に進んだものの、学校に行っても勉強どころじゃなく毎日軍事訓練で、槍持って「エイ! ヤア!」なんてことばかりやらされて嫌になったので自分から学校をやめた話。それから今日に至るまでの延々つづきがあって話はまた元に戻り、自分はこの歳までほんとうによく生きた。おとうさんの友達はみんな死んでしまった、だ。
ただ、今日はいつもとは少し違った。
「でも、友達がみんな死んじゃったからって、おとうさんはさみしいと思ってるわけじゃない。おとうさんはひとりでも平気だ。ひとりでどこにでも行ける。というのは、母親が死んでから、父親は母親とはまったく性格の違う人だったから、おとうさんは子どものころからどこへ行くのもひとりで行っていたからだ。それでいまも浅草でも池袋でもひとりで行けるんだ」
という続きがあった。
それもなんだかかなしい話だ。
父が池袋や浅草の人混みの中をひとりでたどたどしく歩いている姿を想像して、父の眼の中に何がどう映っているかを考えただけでも呆然とする。
そしていつか、行った先でついに帰れなくなる日が来るんじゃないかと心配になる。

そして、もうひとつ。
父は以前、暇つぶしによく近所の老人が集まる碁会所のようなところに行っていたのだけれど、いつからかまったく話を聞かなくなってしまったと思っていたら、それはなんと3.11をきっかけに行くのをきっぱりやめたのだという。
3.11と碁会所と、いったいなんのつながりがあるのかわたしには全然ピンとこなくて、父にいろいろと聞いた結果、父のいう、わけのわからないことから推測するに、あのときテレビでたくさんの人が津波で流されて死んだり、家ごと流されたりするのを見て、いつしか自分の戦争体験とも重なり、こんな年寄りになって働けなくなって収入もなくなった自分が、のんきにお金遣って碁会所なんかに行ってる場合じゃない、と思ったらしい。
娘ふたりからしたら、ひとりも友達がいなくなった父が退屈を持て余して家でただボケていくよりは、碁会所にでも行って多少なりとも人と関わって楽しく頭を使ってくれたほうがいいようなものなのなんだけど。
どこまでも貧乏性な人だ。
そしてその父の貧乏性に拍車をかけたのが3.11だったとは。
なんだかやりきれなくなるなあ ・・・・・・

気持ちが落ちるのと同時に父のいつ終わるともしれない話を聞いていたら抗いがたく睡魔が襲ってきたので、「それじゃあ、また来るから」といって帰ってきた。
電車の中では眠っていたけど、駅を降りるなり過去の記憶もいまの思いもまた一気に頭に押しよせてきて、自分がどこの次元にいるのかわからなくなりそうだった。
そして家の近くまできて、塀の上を向こうに歩いてゆく野良猫の姿をみつけて思わず立ち止まった。傾きはじめた夏の光の中で、その後ろ姿があまりに孤独で。老いぼれで。

 わたしはひとりですがべつにさみしくなんかありません。
 母親と別れてからずっとひとりで生きてきましたから。
 ただすこしおなかがすいているだけです。

野良猫っていうのも実にたいした生きものだと思う。
年老いた野良猫の気持ちがほんとうにわかるのは、年老いたひとりぽっちの老人とホームレスくらいなんじゃないだろうか。
一年じゅう毛皮を着て着の身着のまま、なんとか外見を保っていられるのは猫のほうが上として、病気をしたりケガをしたら命とりなのは野良猫もひとりぼっちの老人も一緒か。

 汚れた野良猫にも いつしか優しくなるユニバース

最近聴いて、ふっと解けるような気持ちになった草野マサムネの歌詞のフレーズ。
そうだといいよねえ、というのと、そういう瞬間ってほんとにあるよねえ、というのと。

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