日々のあれこれ

2017年2月18日 (土)

抹茶碗

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何故か知らないけど昔から二月はいろいろ大変なことが重なる月で、今年もやっぱりいろいろあって、気になりながら電話できないままでいたら先週むこうから電話がかかってきた。
わたしと誕生日がおなじ、あやこさん。
うちの個電はナンバー・ディスプレイだからすぐに誰だかわかって、電話に出るなり「わあ。あやこさん、元気?」といったら、「元気よ。あなたこそ元気?」といつもの声が返ってきてうれしくなった。
でも実をいうと一月は元気じゃなくて、夫のインフルエンザが移ってひと月寝ていたのよ、という。インフルエンザなんて一体どこからもらってきたの、と訊くと、あのひともプールに行ってるから、もしかしたらプールでもらってきたのかもねえ、と。
それであなたはいくつになったの、というから、わたしが歳をいうと、いままで若い若いと思ってたけど、あなたももうそんな歳になったのねえ。わたしなんか今年でもう82よ! わたし、ついに去年、お茶やめたのよ。言ったっけ。去年、表彰されたこと。そのとき紋付き着て行って、それでお終い。と、滔々としゃべる。
そのときの写真を見せてよ、といったら、いやだ。オバケみたいだから、あんなの人に見せられるようなもんじゃない、という。

それより去年、夫が叙勲されてね、皇居に招ばれて行ったときに色留袖を着て行ったんだけど、そのとき夫と庭を歩いてるところをカメラマンが写真に撮ってくれてね、それがいままで撮ったなかでいちばん自然だったからそれを遺影にすることにしたのよ。わたし、もう遺影だってちゃんと用意してあるんだから。と、相変わらずサバサバした勢いのある話し方。
叙勲なんて滅多にあることじゃないから、旦那さまは何で勲章をもらったの? と訊けば、知らない、とそっけなくいう。
まんまとお茶を濁された。
さすが、お茶の先生だけに。

それで、これまでつづけたお茶を辞めるにあたって家に大量にあるお道具を処分しなけりゃならないのだけど、わたし馬鹿だからお茶碗ひとつにしても買ったときのレシートを箱の中に一緒に入れてあってね、うっかりそんなもの見た日にゃ「ああ、こんなお茶碗ひとつ買うにもこんなにお金出して買ったんだ」とか思ったら、捨てられないのよ。生徒さんたちにはお茶碗2個ずつあげたんだけどね、というから、関係のないわたしがたいへん図々しいことをいうようだけど、もし処分してしまうのだったらわたしにも何かひとついただけませんか? といってみたら、あやこさんますます勢いよく、ぜんぜん図々しくなんかないわよ! あたりまえよ! じゃあ、それもこんど何か選んで持って行くわね、といった。
わたしが、殊勝な感じで、ありがとう、大事にします、といったら、大事になんかしなくていいのよ! どうせ練習用でたいしたものじゃないんだから、といって、あやこさんは、わたしは今週はまた行けないから、じゃあ来週の土曜日、プールの後にね! と言って電話が切れた。

思えばなんの血のつながりもない、ただおなじスイミングクラブのおなじレーンで泳いでいて、たまたま誕生日がおなじだったというだけの、自分の親ほども年の離れた人とこんなふうに親子みたいに、あるいは友達のように話せるっていうのも不思議なことだと思う。そして男でも女でも年齢に関係なく、そういう相手がわたしにとっては一番ありがたい。自分のままでいられて、ありのままをうけとめてもらえる。
昔、銭湯でのことを『裸のつきあい』といったけれど、いい歳の女がすっぴんで、スタイルが良くても悪くても水着を着て自分の身体を曝け出し、下手な泳ぎでカッコ悪いところやみっともないところを互いに見せあっているプールはある意味、裸のつきあいなんだと思う。
大人になってそういう場を持てたことはほんとによかったと思う。
あやこさんはもうスクールには来ていないけど、相変わらず下のジムでヨガをやりバランスボール体操をやり、フリーの時間にプールでけっこうたくさん泳いでいる。
この真冬に。82歳になったいまでも。
素晴らしいとしかいいようがない。

今日わたしがジャグジーも早々に着替えて下に降りて行くと、あやこさんはもう来ていてテーブルの前で座っていた。
抹茶碗の入った箱とチョコレートの入った紙袋を持って。
わたしは『かまわぬ』で買った巾着と豆源のお菓子を持って行った。
あけてみて、とあやこさんがさしだした箱は、吉祥寺にある茶道具の店『池上』のものだという。楽かと思っていたけど開けたら楽茶碗ではなかった。グレーの、これは美濃焼、だろうか。

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これはいちばん気に入っていて、よくお稽古で使った茶碗だという。
これくらいたっぷりしているとお茶を点てやすい、ということ。
そんなことをいいつつ茶碗を持っていたあやこさん、わたしがお茶のことを何も知らないと思ってか、あなた、こっちが前だからね! といってわたしの前に置いて見せた。さらに、お茶を点てるんじゃなくても、茶碗飾りにしてもいいのよ、と。
わたしが「茶碗飾り???」という顔をしてたら、なんだったら漬けもの入れてもいいのよ! だって。
やれやれ、すみません。なんにも知らなくて。
『茶の湯』というと、ずいぶん前に見た利休の映画を思い出す。
ものすごーく地味だけど、それこそ滋味あふれる興味深い映画だった。
一杯の茶に、一人の稀有な人間の生き方が美学が、そして時代や政治の力学、人間関係までもが詰まった時代劇。一杯の茶が、いまでいうところのパワー・ドリンクであった時代の話。
でも『Art of Tea』といったらもちろん、わたしにとってはさんざん聴き古したマイケル・フランクスのアルバムですけど(笑)

あやこさんからこれまでにも何度か聞いたことがあるけど、生徒ならともかく、お茶の教授ともなるとそれこそふつうの人が持っていないような季節ごとのお道具がたーくさんあって、しかも教授職の人にしか必要ないからそうそう譲ることも売ることもできないのだという。でも目利きが選んだ古いものともなれば現代ではもう作れないような意匠を凝らした高価なものもあって、そんなのますます捨てるに捨てられないだろうな、と思う。そういうの、二束三文じゃなくて、少なくとも心情的にだけでも手放す人の気持ちにかなったリサイクルの方法がないものだろうかと考えてしまう。

ともあれ、今年も無事に誕生日を祝えてよかった。
最近よく思い浮かぶ言葉に、以前人から言われた「すべてのはじまったことにはいつか終わりがくる」という言葉があるのだけれど、いまのところは、これがいつまでつづくかなんていうのは考えないことにしようと思う。

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2016年10月 5日 (水)

薬大臣

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風邪ももういいかげん治りかけだと思うのだけれど、最後に咳だけが残ってなかなかすっきりしない。咳がつづいているせいでなかなか体力が戻らなくて疲れやすい。そう思っていたら先日、電話でわたしの声を聞いてびっくしりた医者の友人が薬を送ってくれて、それがさっき届いた。
ほんとうにありがたいかぎりだけど、またしても抗生物質。
それに痰切りに鼻水に咳止め、それぞれの薬と胃薬に漢方薬。
食間に飲むものや吸引剤や夜寝る前だけに飲む薬もあって、もう山ほど・・・・・・
これ以外に毎日飲んでるサプリメントがあるから、お腹いっぱい食べたら食後に飲みきれなくなりそう。

昔、枕もとに置いたお盆の上に、三種の神器ならぬ医者からもらった薬あれこれに正露丸に目薬にアンメルツに湿布薬など、思いつく限りのものを一式載せていたおばあちゃんのことを生前、母はよく『薬大臣』と呼んでいたけれど、これじゃまさに薬大臣だ。
抗生物質は風邪の菌をやっつけてくれる代わりに善玉菌も殺してしまう。
風邪が完全に治ったらこんどはデトックスして腸内環境を整えることをしないとね。
テーブル上には昨日ビタミンC補給のために買ってきたミカンも転がってて。
ビタミンCといえば、20代のころテレビでどこかの博士が自らやってる健康法として『ビタミンC大量摂取法』というのを紹介してて、ビタミンCを日常的に大量摂取しているとガンにならない、というので、ガンになりたくなかった自分も真似してやってみた。
薬局で大きなボトルに入った安い『アスコルビン原末』というのを買ってきて、添付の小さなスプーンで白色の微粉末を掬って水に溶かして飲むんだけど、とにかく酸っぱい。
でも毎日やってたらある日、母がわたしの顔をまじまじと見て、「最近どうしてそんなに色が白くなったの?」と訊くから、「ビタミンC大量摂取法をやってるからじゃないかな」といったら母までやりはじめてしまった、ということがあった。酸っぱいし、ときどきお腹にくるからあまり長くは続かなかったけど、ずっとやりつづけていたらほんとうにガンにならなかったのだろうか。
どうなんだろう、と思う。

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2016年9月27日 (火)

病は気から

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人間、たかが風邪をひいたくらいでも、具合が最高潮に悪くなって薬を飲んでもうただ寝てるしかなくなると、ずいぶん自分を非力に頼りなく感じるものだと思う。
病は気からっていうけど、今月は病の気と副交感神経優位の気と踏んだり蹴ったりの気がいっぺんに押しよせちゃったみたいだ。

昨日の朝、起きたら声が出なくなっていた。
日曜日にもうだいじょうぶだと思って動きまわったのがまずかったらしい。
でも昨日は仕事の相手と話さなきゃならないことがあったので電話でちょっと長く話したら、そのあと咳が止まらなくなって、夕方また電車に乗って診察終了時間ぎりぎりセーフで耳鼻科に駆け込んだ。
このあいだとは違う抗生物質と胃薬と咳の頓服を出してもらって、駅前の薬局で薬を待っていたら名前が呼ばれて、処方された3つの薬のうちひとつの在庫がないからこれから問屋に発注して数日かかるという。びっくりして、もしかしてそれは咳止めですか、と訊くと、そうです、というので、それは困る、咳がひどいので無理してここまで来たのに、その薬がないんじゃ話にならない、と伝えると、若い薬剤師は困った顔をして、ほかの薬局に問い合わせてみます、という。薬剤師が近所の薬局に電話してすぐに薬はあったものの、それからその薬局の地図をプリントアウトするまでにずいぶんと時間がかかり。コンピュータの画面をじっとにらんで固まっていた薬剤師がやっと地図を印刷して渡してくれながら「それでだいじょうぶですか?」と訊くので、だいじょうぶも何も、取りに行かなきゃならないならしかたがないじゃないですか、といつになくきつい調子でいってしまう。そして薬局を出るとパタパタと雨だ。ほんとにツイてない。このあいだ渋谷のタリーズコーヒーで待ち合わせたとき、うっかり白いシャツにアイスコーヒーをこぼしてしまって「やれやれ! 踏んだり蹴ったりだ!」と嘆いたTちゃんの声が聞こえてくるようだった。目指す薬局はバス停にして2つ先くらいにあって、ふだんなら歩いて行くところをバスに乗って行った。そこは妹の働くクリニック近くの見るからに年季の入った院外調剤薬局で、老練な薬剤師(まるで童話に出てくる世話焼きのアヒルのお母さんみたいな)のおばさんがにこやかに対応してくれた。
わたしの好きな耳鼻科の先生はとてもいいお医者さんなのだけれど、処方する薬の中には現在ではあまり一般的ではない古い薬も含まれているようで、常時在庫してない薬局もあるかもしれない、とのこと。でもこの咳止めの頓服はすごく効くそうです、というので、ほっとして薬局を出た。帰りは降ってなかったから駅まで歩いたけれど、この間雨に降られなかっただけでも神さまのおはからいと思う。電車に乗って最寄りの駅に着いたら見事に土砂降りだった。駅前で安いビニール傘を買って夕飯の買いものに行き、文字通り着ているものからバッグから靴までずぶ濡れになって帰った。なんとも素敵な日*

そして今朝起きてわたしの顔を見るなり子供たちふたりは「今日はもう寝てるしかないね」といった。息子は今日は外で食べて来るから夕飯はいらないよ、といって出かけた。
そうして、こんこんと眠ってるときはいいけれど半覚醒のとき思いだすのは古いことばかりで、咳止めの頓服を見ていたら小さいときのかかりつけ医を思いだした。
東京下町で生まれて小学校にあがる1年前までをいま住んでいる辺りですごし、中野区に引っ越したばかりのときにパインのひとかけが原因で死に損なったときにM先生とは出会った。それ以来、虚弱体質だったわたしは何度、母におぶわれてM医院に連れて行かれたことか。見るからに重病でもない限り、先生はいつも目尻を下げてにこにこと迎えてくれた。ふつうの家みたいな引き戸をガラガラと開けて玄関で靴を脱ぎ、一段高くなった診察室に入るとそこは静かな板間の部屋で、診察が終わると先生はかならず薬は錠剤がいいか粉薬がいいかとわたしに訊いた。うんと小さいころは苦くてまずい粉薬を飲むのに苦労して、母がいつもオブラートに、まるできな粉と砂糖を混ぜるみたいに粉薬と砂糖(白砂糖だ!)を混ぜたのを包んでくれたのを飲んでいたけれど、一人で医者に行けるようになったころにはもう薬を飲むのにもすっかり慣れていて、わたしは「どっちでもいいです」といった。
すると毎度、身長と体重を計られて、何やら計算していたかと思うと乳鉢に薬を入れてごりごりやったのを薬包紙に置いて、器用に折りたたんだのを渡してくれた。青い紙のは頓服。
いまとなるとそんなことも懐かしい。
子供ながらに先生の一連のその作業を見ているのはなかなか面白かった。
もちろん、面白いと思えるのは熱に浮かされてないときだけだけれども。
先生は小児科医だったけれど、大人になってからも具合が悪くなると時々行った。小さいときから診てもらっているからなんでもよくわかってくれていて、行くと診察しないでもすぐに薬を出してくれるのがありがたかった。
二十歳も過ぎて行ったとき、わたしがお酒も煙草もやらないというと、それじゃ人生の楽しみの半分もないねえ、と笑いながらいうので、いったいあなたはどういう医者なんだ! と思ったり、さらにその後になると、新宿副都心の職場近くで先生が着物姿の女性と一緒のところにばったり遭遇し、「今日のことは内密に」なんて耳打ちされたことももう遠い昔のことだ。
そして自分が子供を産んで杉並区からここに引っ越したばかりのときに近所の医者のことを何も知らなくて、M先生に電話してこの辺で往診してくれるお医者さんをご存知じゃないですか、と訊いたら、医師会がちがうからそちらのことは自分にはわからないし、それに早苗ちゃん、いまはもう往診してくれる医者なんていないよ、と笑われて、小さいときに散々往診してもらったわたしとしてはハタと目が覚める思いだった。
もう時代がちがうのだ。
M医院とM先生のことを思いだすとき、診察室も先生そのものも限りなく昭和的だったな、と思う。病気になって痛い思い、苦しい思いをいっぱいしたのに、M先生のいる診察室はあたたかで、いつも先生の顔を見るともうだいじょうぶだって安心した。
もう数年前のことになるけれど、父とちょっと遠くのスーパーマーケットに行くのに着いて行って、ものすごく久しぶりにM医院の前を通りかかったら、もう医院の看板は降ろされていた。当然だ。M先生は父より年上だろうから。
でも、もしいまでもご健在でいらっしゃるなら、当時はほんとうにお世話になりましたとご挨拶にでも行きたいところだ。
いま、わたしがわざわざ具合の悪いときに電車に乗ってでもN医院に行くのは、そんな古き佳き昭和の匂いが残っているからかもしれない。

小さい子供がいる家庭というのは良くも悪くもいつも賑やかで、親はとても苦労して子供を育てるのだけれど、そんな時代もあっという間に過ぎてしまう。
いまは子供のいない夫婦が多い時代で、いくつになっても夢を追いかけてるような、いつも自分をファーストプライオリティーに置いてるような、そんな自由さには羨ましくなるときもあるけど。
「でもやっぱり子供はいたほうがいいよね」
といったら、Tちゃんは、「金はかかるけどね」と笑った。
彼には素敵な大学生の娘さんが二人いる。
たとえ、いくらお金や手間や時間がかかったとしても、彼らの未来の可能性ははかりしれないほど素敵だ。
それにつけても親はいつでも元気じゃないといけない。
病の気とはさっさとオサラバしないとね。

今日は友達から「1週間もブログ更新されてないしで、ちょっと心配してます」とメールがきた。もはやこのブログも安否確認用か? とも思うけど、気にしてくれる人がいるだけありがたいってこと。
明日の夜はほんとは『大人のデッサン教室』というのに行くのをすごく楽しみにしていたのだけれど、けっきょくキャンセルするしかなかった。
紫織さんの個展も見に行けなかったし。
あさっての夜は上町63だけど、下手するとそれも駄目かもなあ・・・。

ともすると気持ちまで不安定になりそうななか、今日の夕方の空には癒された。
じきに散々だった9月も終わり。

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2016年9月 5日 (月)

夏風邪秋風

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夏風邪って、いったんかかるとなかなか治らないみたいだ。
息子が夏風邪をひいて早やもう2週間。
そのうち寝込んだのは3日間。
自分はうつらないと思っていたのに、あろうことかうつってしまった。
でも風邪の発端はAmazonマーケットプレイスで買った古本だった。
見た目はきれいな本だったのだけれど、アルコール消毒でもしたのか、ページをひらくとなんだか古い波動みたいなヘンな刺激臭がして、それでもひらいたページに書いてあることが面白かったのでしばらく読みつづけていたら、だんだん目がチカチカ鼻がツンツン喉がヒリヒリしてきて、これはやばい! と思った。
息子は朝うがいをしていて、失敗してむせたのがきっかけで喉がイガイガしだしたという。ほんとに風邪って、何がきっかけになるかわからない。

そして、わたしが風邪になったくらいでも家の中には違った潮流が生まれる。
ふだん安保先生の本を読んでいて、すべての病気の症状は意味があって生まれたこと、およそ『抗』と名のつく薬は対症療法に過ぎない、そもそも風邪に効く特効薬なんてないんだから医者に行っても無駄、というわたしと、自然治癒力にまかせると僕みたいに2週間も治らないから早く医者に行ったほうがいい、という息子と、(自分でやったこともないのに)煮小豆を食べれば? という、とぼけた娘。

ことによると週末プールに行って泳いだらすっきり治っちゃうんじゃないかと思っていたら、それですぐに悪化することはなかったものの、少々具合が悪くてもほとんどいつもとおなじように動いてるものだから昨日の夕方あたりからついにきた。
それで昨夜の夕飯は栄養つけて少しでも早く治そうと、超奮発してうなぎ(といってもスーパーのだけど)としじみ汁にしたのに、それでもよくならなかった。
今朝起きたら絶不調。
喉の痛みと咳とくしゃみ、涙ぽろぽろ鼻水ダーダー。
まったく風邪ってうつくしくない。
おまけに頭は重くて、ぼおっとする。
仕事をしててもまったく使いものにならない。
息子があんまりうるさいので夕方ついに決心して、竹布のマスクして帽子かぶって晩夏のひまわりにみたいにうなだれて電車に乗って耳鼻科に行った。
経験的に風邪のときには内科にかかってただ薬を出してもらうより、耳鼻科に行って処置をしてもらうほうがいいと知っているのだけれど残念なことに近所にはいい耳鼻科がない。下手な医者にかかると返って落ちこんだりして悪くなるから、少々面倒でも医者選びは大切です。
行くまではヘナヘナしそうなほど蒸し暑くて、具合が悪いときに医者に診てもらうのも一苦労、と思ったけれど、でもいつもの耳鼻科に着いたらホッとした。
この西山先生という方は天性の医者だと思うのです。
まず、いつ行ってもゆったり構えていらっしゃる。
診察室の椅子に座って、先生のやさしいお顔を見たら、なんだかそれだけで良くなってしまうような気がしました。
まず患者であるわたしの顔を見て問診し、脈をとって診察してから喉を見て、鼻の奥を内視鏡で見たあと薬を注入し、処方箋を書いてもらって、吸入をして終わり。
わたしが、息子の夏風邪がうつってしまって・・・、というと、夏風邪というか、秋風邪というか、まぁ、風邪だね。悪い病気ってわけじゃないし、ただの風邪だから3日、ないしは最低1日か2日抗生物質を飲めばきっとよくなりますよ。薬は症状が良くなったらもう飲まなくてもいい。余ったらとっておいてください、と。
実は家から遠いことを理由に薬をすこし多く出してもらったのです。
抗生物質と総合感冒薬と胃の薬を1週間分。
まだ完全に治りきっていない息子にも飲ませたら一気に解決するかと思って。
帰りの電車は混んでいて、つり革の前に立って車窓から見た空と雲がきれいだったなあ・・・・・・
もう夏の営業が終わって、ひとっこひとりいなくなった屋外プールの水に映る空。微熱があって頭がぼおっとしてると、目に映るこの現実世界もどこかファンタジーです。

最寄りの駅に着くと外は秋風どころか蒸し器の中にいるみたいで、文字通りへろへろになって、まったくのノー・アイディアでスーパーマーケットの中をうろうろして夕飯の買いものをして帰った。
わたしがふだん健康オタクなのは、働く主婦が病気をしても仕事はいつもどおりあって、ただ自分がツライだけだからです。
そしてこの場合、薬のいいところは、ふだんまったく薬を飲まない人が飲むと実によく効いて、本人の意思に関わらず『万事休す』になること。
つまり、人間ってよほどこういういことにでもならない限り、万事休すにはならないってことだよね。ふぅ。やれやれ。

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2016年8月11日 (木)

父の孤独、野良猫の孤独

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今年ショックだったのは一つ年上のRが「オレには友達はいない」といったことだ。
昔、あんなに陽気でいつもたくさんの友達に囲まれて豪放磊落にしていたRちゃんがそんなことをいうとは、思ってもみなかった。
同時にそれじゃあ、わたしはなんなの、と思わないでもなかったけれど、Rのいう友達とはたぶん、日常的に常に近しい距離にいて、日々のつまんない思いや時には真面目な考えを屈託なく話したり、共有できる相手のことなのだと思う。
そういう相手がいまのRにはいないということなのだ。
もっともそれより何年か前には親友のMが「仕事をするようになってからほんとの友達はできなくなった」というのを聞いた。それもかなり意外だった。いつも仕事で華やかに日本と海外を行き来しながら日本と海外、どちらにも友達がいて、常に複数の男友達と親密な関係を結んでいる多忙な彼女からはとうてい似つかわしくない言葉だったから。
くだらないことをいうのはやめよう。一見どんなに華やにしていたって、そんなことは本人の内面とはぜんぜん関係ないってことだ。
ああ、そうだ。それにもっといえば、しきりに自分の移住計画にわたしを乗せようとしているIさんにもこのあいだ、「そうきちだって近くにすぐ会える友達なんかいないんでしょ」といわれたっけ。わたしもずいぶん落ちたもんだと思う。
これまでわたしは友達なんか、どこにいてもいくらでもできると思っていたけど、実際のところは年をとるごとに人はだんだん孤独になっていくんだろうか。

ボケたわたしの父は人と顔さえあわせれば、「おとうさんの友達はみんな死んじゃった。電話もかかってこない」というけれど、そのたびにわたしはいう。
「あのね、おとうさん。おとうさんは85で誰からも電話がかかってこないっていうけど、わたしなんかまだこの年で、友達はみんな生きてるけど、電話なんて誰からもかかってこないわよ。いまはもう、そういう時代なのよ」
そうだ。いまはそういう時代なんだと思う。
別のMちゃんなんか、メールしてもしても返事がこないから電話でそういったら、「ラインしか見てないよ!」とぶっきらぼうにいわれて、それで終わりだ。まったく嫌な時代だ。それでもほかに連絡のしようがないからたまにこちらから電話をすると、まだろくろく話してもないうちに「子機の充電が切れる」といわれて突然ブツッと電話が切れ、そのままかかってもこない。でも考えてみたら(考えてみなくてもか)「ラインしか見てない」といわれた時点でもうすでに終わってる関係なのかもしれない。
友達だと思ってこちらがいくら大事にしたところで、自分もおなじように大事にされるとは限らないのが人間関係。いいかげん、あきらめたほうがいいのかもね。

今日は父とお昼をするのに、ここ数日にしては気温が下がって過ごしやすいから、たまには気分転換に外で食事でもするのはどうかと思った。
とはいえ日中は暑いから、また父に「行かない」といわれるかなと思いながら電話すると、思いがけなく父は「いいよ」という。
実家近くの中杉通りのバス停で待ち合わせて阿佐ヶ谷に行った。
何せ父は足が痛くて歩けない人だから、こちらはのんびり商店街を歩きながら、雰囲気のいい店でもみつけたらそこに入ろうと思っていたら、父は「行くところは決まってるんだ」という。たまに一人で池袋の新文芸坐に映画を見に行った帰りに寄るチェーン店が阿佐ヶ谷にもあって、そこに行く、というのだ。
どこかと思えばなんてことはない、日高屋だった。
人がせっかく何かおいしいものでもごちそうしようと思ってるのになあ、といいながら店に入った。父は前に食べておいしかったというゴマだれ冷やしつけ麺を頼み、わたしは冷やし中華を頼んだ。そこでわたしが麺の多さ以上にまいったのが、店内にかかっているBGM。
それらはすべてブザーみたいな音のコンピュータ・ミュージックで、キーボードはもちろん、ギターの音もすべて少しズレたような無機質な電子音でできていて、わずか数曲のおなじ曲がずっとループしてかかっている。それを聞きながら、やたらと麺ばかり多い冷やし中華を食べていたらだんだん気分が悪くなってきて、わたしだったらこんな職場ではとうてい働けないな、と思った。こんなおかしな音を聞きつづけていたら間違いなく脳みそも自律神経もおかしくなる。人間の耳って、他の臓器にくらべても死の最後まで機能しているとても深遠で精妙な器官なのに、こういうのはほんとうにいけない。
昨日の夜、上町63でいい音を聴いた直後だからよけいそう思うのかもしれないけれど。と思って、あたりを見渡しても誰ひとりBGMを気にしている風な人はいなかった。たいてい男1人でお腹をすかせてやってきて、あまり言葉の通じない中国人に無機質にオーダーし、無機質な音楽の中で無機質な器に盛られたたいしておいしくもない中華そばを無機質に食べている無機質な顔の人たちがいるだけだった。
どこを切っても金太郎飴みたいにおなじ顔をした駅ビルやチェーン店、どこに行っても老人だらけの超高齢化社会と貧困か。やれやれ! 落ちる。

父はといえば、咀嚼力が無いのに必要以上にたくさん口に食べものを詰めこんで、まだ口にたくさん物が入ってるうちからひっきりなしに喋るから、そのたびに注意をしないとならない。食べ方がきれいじゃない父との食事はいつもストレスだけど、いつか妹が「いくらいっても直らないのはどうしてかしらね?」といったことがある。
どうしてかわからない? とわたしはいった。
想像してみてよ。
父は子どものときに実の母親が亡くなって、父親と弟と妹の4人暮らしになり、間もなく意地悪な子連れの継母がやってきて、おなじ食卓を囲みながら自分の血のつながった子どもには食べさることはしても、自分と血のつながらない子どもにはろくろくまともに食べさせなかったから、父は自分の目の前に食べものがあるうちに急いで口に詰め込まなきゃならなくて、それがいつの間にか習慣になっちゃったのよ。つまり、野良猫みたいなもんよ。悲しいかな、それが父の育ちというやつで、それが骨の髄まで浸みこんじゃってるんだから、大人になってから人からいくらいわれたところで、もう自分でも直せないのよ、と。
それって考えたら痛ましいことじゃない。
おまけにいまの父はアルツハイマーなのだ。

そして、そうは思ったところで父と食事をして不快な気持ちになるのはいたしかたのないことで、だからそれにつきあえるのはもう妹とわたし、せいぜいたまにうちの子どもくらいだろうと思っている。それでも父がまだいいのは、食事が終れば誰にいわれなくても積極的に自分から歯を磨きに行くことだ。
お盆だからというわけではないけれど、帰りは父と一緒に帰って母の仏壇にお線香をあげた。冷たいお茶を出して座る間もなく、例によって父の波乱万丈のヒストリー語りがはじまる。小学校6年のとき母が亡くなり、母が亡くなる前からすでに大東亜戦争がはじまっていて、数学が得意だった父は「これからは商業の時代だ」という父の言い分に従って商業高校に進んだものの、学校に行っても勉強どころじゃなく毎日軍事訓練で、槍持って「エイ! ヤア!」なんてことばかりやらされて嫌になったので自分から学校をやめた話。それから今日に至るまでの延々つづきがあって話はまた元に戻り、自分はこの歳までほんとうによく生きた。おとうさんの友達はみんな死んでしまった、だ。
ただ、今日はいつもとは少し違った。
「でも、友達がみんな死んじゃったからって、おとうさんはさみしいと思ってるわけじゃない。おとうさんはひとりでも平気だ。ひとりでどこにでも行ける。というのは、母親が死んでから、父親は母親とはまったく性格の違う人だったから、おとうさんは子どものころからどこへ行くのもひとりで行っていたからだ。それでいまも浅草でも池袋でもひとりで行けるんだ」
という続きがあった。
それもなんだかかなしい話だ。
父が池袋や浅草の人混みの中をひとりでたどたどしく歩いている姿を想像して、父の眼の中に何がどう映っているかを考えただけでも呆然とする。
そしていつか、行った先でついに帰れなくなる日が来るんじゃないかと心配になる。

そして、もうひとつ。
父は以前、暇つぶしによく近所の老人が集まる碁会所のようなところに行っていたのだけれど、いつからかまったく話を聞かなくなってしまったと思っていたら、それはなんと3.11をきっかけに行くのをきっぱりやめたのだという。
3.11と碁会所と、いったいなんのつながりがあるのかわたしには全然ピンとこなくて、父にいろいろと聞いた結果、父のいう、わけのわからないことから推測するに、あのときテレビでたくさんの人が津波で流されて死んだり、家ごと流されたりするのを見て、いつしか自分の戦争体験とも重なり、こんな年寄りになって働けなくなって収入もなくなった自分が、のんきにお金遣って碁会所なんかに行ってる場合じゃない、と思ったらしい。
娘ふたりからしたら、ひとりも友達がいなくなった父が退屈を持て余して家でただボケていくよりは、碁会所にでも行って多少なりとも人と関わって楽しく頭を使ってくれたほうがいいようなものなのなんだけど。
どこまでも貧乏性な人だ。
そしてその父の貧乏性に拍車をかけたのが3.11だったとは。
なんだかやりきれなくなるなあ ・・・・・・

気持ちが落ちるのと同時に父のいつ終わるともしれない話を聞いていたら抗いがたく睡魔が襲ってきたので、「それじゃあ、また来るから」といって帰ってきた。
電車の中では眠っていたけど、駅を降りるなり過去の記憶もいまの思いもまた一気に頭に押しよせてきて、自分がどこの次元にいるのかわからなくなりそうだった。
そして家の近くまできて、塀の上を向こうに歩いてゆく野良猫の姿をみつけて思わず立ち止まった。傾きはじめた夏の光の中で、その後ろ姿があまりに孤独で。老いぼれで。

 わたしはひとりですがべつにさみしくなんかありません。
 母親と別れてからずっとひとりで生きてきましたから。
 ただすこしおなかがすいているだけです。

野良猫っていうのも実にたいした生きものだと思う。
年老いた野良猫の気持ちがほんとうにわかるのは、年老いたひとりぽっちの老人とホームレスくらいなんじゃないだろうか。
一年じゅう毛皮を着て着の身着のまま、なんとか外見を保っていられるのは猫のほうが上として、病気をしたりケガをしたら命とりなのは野良猫もひとりぼっちの老人も一緒か。

 汚れた野良猫にも いつしか優しくなるユニバース

最近聴いて、ふっと解けるような気持ちになった草野マサムネの歌詞のフレーズ。
そうだといいよねえ、というのと、そういう瞬間ってほんとにあるよねえ、というのと。

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2016年7月 2日 (土)

江古田ヴィエイユさんのパン♡

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そして夕方、CDを送ったヴォーカリストの貴子さんから、彼女の旦那さまが作ったパンが届いた!
江古田ヴィエイユさんのパン。

モロッコぱん、メロンのパン、バジルのパン、しあわせなパン、だそうです。
それにこの黄緑色のはルバーブのジャムかな?
やったー!
どうもありがとう!
ごちそうさまです! delicious

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2016年5月27日 (金)

居心地のいい部屋

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35過ぎまで(いやもっとかな)、ときどき本屋に行っては雑誌を眺め、トレンドチェックをせずにはいられないわたしだったけど、最近はそういうこともかなりどうでもよくなって、滅多に雑誌も買わなくなりました。
だいいち、ひとりで喫茶店とかカフェに行くこと自体なくなって、ゆっくり雑誌を眺めていられる時間がないからです。

最近たまに本屋に行くのは、もっぱら気分転換と仕事で書く記事のネタ探しかな。
今日買ったこの本も、どうしてもほしい健康関連の記事が載ってたからなんだけど、もうひとつ、『パリ、日本、居心地のいい部屋』という表題となった巻頭ページに私の大好きなデュフィーの絵(『ゲルマ袋小路のアトリエ』)みたいな写真が載っていたからです。つまり、開け放った窓からパリの美しい街並みが見えるアパルトマンの一室の写真。

伊勢英子の『ルリユールおじさん』や『旅する絵描きーパリからの手紙』にも描かれていたけど、パリの街なかにあって緑あふれるバルコニーやテラス、向かいに立つ美しい建物の窓や屋根が見える窓のある部屋って、ものすごく憧れです。
南仏プロヴァンスの石の家もいいけど、私はやっぱり町っ子だから、すぐに階下に降りて外に出たらおいしいバゲットが買えるパン屋があったり、おいしい珈琲の匂いをあたりにふりまくカフェがあったりする街のほうがいい。
わたしがいいと思った写真の部屋があるのはパリの9区辺りで、ムーラン・ルージュの近くらしいです。
といって、「パリに行くのも大阪に行くのも一緒」というくらい年じゅうパリに行ってる友達と違って、一度もパリに行ったことのないわたしにはそれがどのあたりなのか見当もつかないけれど、どちらも大きな窓があって、窓の向こうに素敵な景色が広がる、解放感があって光と風が入る素敵な部屋です。
こんな部屋に住めたらどんなにいいだろう!
それこそ人生が180度変わってしまうだろうし、いい恋のひとつ、もとい、いい短編小説のひとつも書けそうってなもんです。

いつだったか、ずいぶん前のことになるけれど、タリーズコーヒーで仕事仲間の男2人とプレゼンのあとミーティングをしていて、仕事の話の後で雑談になり、どういうわけか料理の話になって、うちでごはんを食べたことのある友人が「彼女のつくるごはんはうまいよ」といったら、もう片方のニュージーランド人のHさんが「だったらこんど家に招待してくださいよ」といい、わたしが何も考えずに「いいよ!」といいかけたらすかさず友人が「その前に彼女を素敵なキッチンが付いた部屋に住めるようにしてあげなくっちゃ」といったことがあった。
わたしも笑いながら、「ではぜひそうなるようにお願いしまーす」といったのだけど、そういいながら(そうか。つまりいまのわたしの部屋には人を招べないってことね)と思ったのだった。
息子によれば、地方の人ほど公営住宅を嫌う傾向にあるそうだ。
まあ、どうでもいいけどね。

そんなわけでシャビーな公営住宅住まいのわたしにはパリのアパルトマンなんて望むべくもないけれど、でも今日はめずらしく息子も娘もアルバイトでいなくて、仕事を終えたあと簡単に掃除して買いものに行って滅多にないこと雑誌を買って帰ってきて、パパッと夕飯の下ごしらえをしたあと自分のためだけに珈琲をいれて、雑誌を眺める時間ができた。
息子が帰って来るまで、わずか1時間足らずのことだったけど、窓の外はこの季節特有の青い色に暮れていて、窓からは心地よい風が入り、テーブルの真ん中には房咲きのイングリッシュローズとフレンチローズのまんまるのブーケみたいなばらがあって、部屋の中には好きな音楽が流れていて・・・・・・
ふと気づいたら、これはこれで居心地のいい空間なのでした。
要するに、人それぞれ、与えられた環境のなかで自分なりの居心地の良さをつくっていくのがクリエイティブなことなんじゃないかと思います。
そういう意味では一戸建てのマイホーム、高層公団住宅、賃貸マンションetc、と住環境はそれぞれ違っても、わたしの友人はみんなクリエイティブです。

下の写真は、先日「ばらが咲いたから見に来て!」といわれて遊びに行った友人宅のテラスで気持ちよさそうに寝ていた常連さん猫。

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あいにく、ばらはまだ3分咲き程度であまり咲いていなかったのだけれど、娘ともどもこの猫に会えたのがよかった。
猫ほど自分にとって居心地のいい場所を知ってる生きものもないので、ここは猫にとってもよっぽど居心地のいい家なんだねー、と話したのでした。

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緑いっぱいのテラスのある家、素敵です。

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2016年1月31日 (日)

一月が終わる

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一月は行くで二月は逃げるで三月は去る。

今年も一月は行く、だった。

お正月に友達に編みはじめた手袋も編み終わらなかったし、暮れの大掃除

でやりそこねた自分の机の引き出しとCDラックもまだ片づけてないし、お礼

状と手紙の返事も書けなかった。

でも、今年から公私ともに自分に課していたいくつかのことはなんとかやり

おおせたし、昨日、冷蔵庫の大掃除も終わった。から、今月はよしとしよう。

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大事なのは自分ができなかったことばかりを挙げて自分を責めたり落胆した

りすることだけじゃなくて、他人の評価に関係なく、自分でできたことを認める

こと。そして、自分のからだやこころや生活を微調整しながら、少しづつでも

より良く変えていくこと。

今日もコンピュータのディスプレイを眺めながら仕事してたら、突然スカイプが

鳴って、一緒に仕事をしている友人から一月の終わりとしては凄すぎるほどの

グッドニュースが舞い込んだ。

それでなんだかここ数日の気分がぶっ飛んじゃった。

タイムリーにも父のことで最も信頼する医者の言葉を聞くこともできたし、これ

はやっぱり宇宙の愛を信じていくしかないね。

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写真は、今日買いものに行くとき広場で見かけた美人(いや、ビニャン)さん。

美人だけど、人間でいうとかなり気の強そうな美人かな。

若くて俊敏。アグレッシブ。で、ちょっと意地悪そう。

わたしはやっぱり、どこかとぼけたパンダのほうがいいや。

去年の10月だったか、ついに東村山市も地域猫をはじめたとか聞いたけど、

この子の耳が切れてるのはそのせいなのかな。

明日から二月。

野良猫にもホームレスにもおひさまの光と愛を!

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2015年10月22日 (木)

日曜日が待ち遠しい

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ほんの思いつきでちいさなものをあげたら、お返しに珈琲豆をもらった。

カフェ・ヴィヴモンディモンシュのグァテマラ・エル・モリト。

まいったな。そんなつもりじゃなかったのに。

日本人てちゃんとしてるよね。

ときどきちゃんとしすぎてると思うよ。

カフェ・ヴィヴモンディモンシュというと、思いだすのはやっぱり永井宏さん

のこと。友達に、『ロマンティックに生きようと決めた理由』って知ってる? 

と訊かれたあたりからじゃなかったかな。彼女のことが意識の中に入って

きたのは。大阪生まれで、なんのあてもなかったのに直感だけで東京に

来て、カルマとセツと永井さんに出会ったことで彼女の中にもともとあった

創造の種子が芽吹いて枝葉を広げ、花ひらいた。

運命の車輪がどこで回りだすかはわからない。

けっきょく、どこにいても何に出会い、誰に出会うかだと思う。

永井宏さんのことはそれほど詳しくないけれど、読んだ本からも、文章から

も、そしてタンバリン・ギャラリーという空間からも海の匂いがするのがいい

と思う。肩の力が抜けてて、オープンで、楽天的でハッピーな世界。

一度でも海の近くに住みたいと思ったことがある人なら、きっと憧れてしまう

ような。

彼女から聴いた実際の永井さんはかなりはっきりものをいう人で、けっこう

厳しい人でもあったみたいだけど、自分よりはるかに若い人から意見を聴い

たり、また相談をしたり、若い人から学ぼうとする自然な態度が柔軟で素敵

だな、と思う。私も若い多感なときにそんな大人に出会いたかったな、と思う。

Pさん、珈琲豆ありがとう。

小さいから邪魔にならなくていいかと思ったけど、物体に興味のない人に

つまらんブツあげてごめんよ。

ブツは昨日、うけとりました。

珈琲は、ヴィヴモンディモンシュってくらいだから次の日曜日のとっておき

にしようと思います。次の日曜は仕事で出かけなきゃならないけど、金曜、

仕事が終わったらチーズケーキでも焼いて。んー、それとも日曜の仕事帰

りに伊勢丹の地下に寄って何かおいしそうなスウィーツでも買って。

まだ一度も使ってない吉川裕子さんのコーヒーカップもおろしてしまおう。

・・・・・・ というわけで、日曜日が待ち遠しい(^-^)

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2015年10月 2日 (金)

嵐が去って

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昨夜の暴風雨は凄かった。

ひと晩明けた今日は雲はまだ多いけど青空が広がりはじめた。

晴れたから月末までに済ませられなかった支払いに行ったら、予期せぬ

引き落としまであってすっかんぴーになった。人にいうとびっくりされる夏

のあいだのありえない水道代!

それですっかり漂泊の思いなんてものはどこかにすっ飛び、旅どころでは

なくなったから、10月はいま読んでるドナルド・キーンの本の中にも出てく

る芭蕉の『おくのほそ道』でも読んで過ごすか、なんて思っている。現代語

訳付きの原文と、ドナルド・キーン氏の翻訳本と2冊買って。もちろん人は

旅に出なくても現生を生きるだけで旅人なのだといえる。

友達とあんぱん齧りなから番茶飲んで、『孤独』について語りあった夕暮れ。

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