アートのある場所

2018年10月 7日 (日)

秋のうつくしい日に

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秋のうつくしい日に上野の美術館に行った。
上野も父に縁の深いところだ。
父は絵を見るのが好きだった。
うちの子供たちが小さかった頃には彼らを連れて行ってもくれたし、80過ぎてごくごくゆっくりとしか歩けないようになってからも時々ひとりで行っていた。
父があの歩けない足で、たいした所持金も持たずひとりで上野や浅草をうろうろ歩きまわっている姿を思うと、いったいどんな思いで、と思わずにはいられないけど、でも父からしたら誰かと一緒に行くより、ひとり気ままに歩くほうが誰に気を遣うことなく、よっぽど気が楽だったのかもしれない。
そして子供の頃の父は絵がうまかった。
小学生のとき遠足で出かけた横浜で描いた船の絵は、区の公民館だかどこだかにずっと飾られていたそうだ。父から聞いたところによればかなりの趣味人だったという祖父に、もうちょっと先見の明でもあれば、父の人生はまったくちがうものになっていたかもしれない。少なくとも父は不動産屋なんかになるよりは、小学校の算数の先生になるほうがよっぽど似合っていたと思う。でももしそういう人生だったなら、いまこれを書いているわたしももちろん存在しないわけで、そう思えばわたしの結婚同様、すべてはプログラム通り、それでよかった、ってことなんだろうか。

映画館に行くにしても上野まで絵を見に行くにしても、父はあらかじめ何をやっているか調べて行くような人じゃないから、わざわざ美術館の前まで行っても何も見たいものがないと、辺りを散歩だけして帰って来るようなときもあった。そうしていつだったか、「美術館の中には入らなかったんだけど、ちょうど美術館の入り口の前あたりで、男女5人くらいでアコーディオンを弾いて歌ったり踊ったりしている人たちがいてね、しばらくそれをひとりで立ったまま見てたんだけど、けっこう面白かったよ」というようなことがあって、絵を見たり音楽を聴いたりして、面白い、楽しい、というのも、長い人生のなかでは大切な要素だと思う。平凡でささやかな人生を送る人にとって日常はあまりにも単調すぎるし、それは年老いたらなおさらだと思うから。まだわずかでも好奇心があって、絵を見に行きたい、映画に行きたい、植物園に行きたいといろいろ思って実際に動けるうちが人生花だと思う。

娘と東京都美術館に行くのは『ポンピドゥー・センター傑作展』以来。
つまりもう2年ぶり。
自分でもびっくりしたけど、月日の経つのはほんとうに早い。
今回のレオナール・フジタは、とくべつ好きな画家というわけではなかった。
その絵と人となりについてはNHKの日曜美術館で見て知った程度だったし、そのとき何かすごく心を動かされたというわけでもない。ただ、フランス人にも愛されたという、ベビーパウダーを混ぜてつくったといわれる乳白色の裸婦の絵が見たかったのと、猫を抱いた自画像が好きだった、ということくらいだろうか。
超高齢社会のここ日本では、平日週末祝祭日関係なく常に美術館は混んでいるといってよいけど、会期が終わりに近づいているせいか、この日もとっても混んでいた。あの音声ガイダンスというやつ、利用してる人にとっては便利なものかもしれないけれど、説明が終わるまで絵の前から頑として動こうとしないのは、ほかの人にとっては迷惑でしかない。そうじゃなくたって数分おきに監視員が絵の前で立ち止まるなと言いつづけているなかにあってはなおさらのこと。まったくもって感興がそがれる。日本の絵を見る環境ときたら。
折しも親子そろって間抜けなわたしたちは、上野に着くなり眼鏡を忘れてきたことに気づき、もう今日は絵の横に付いてるテキストは読まずに、好きな絵だけすっ飛ばして見よう、ということになっていた。で、それで正解だったみたいだ。あの人だかりじゃ、順番にじっくり見てたら何時間かかるかわからない。
まず最初に東京美術学校(いまの芸大)時代に描いた1枚の絵が目に留まった。
着物を着た女が描かれた、ちょっと日本画風の油絵。
ふつうにとてもうまい、画力のある絵だった。
その後に飾られた、すでに乳白色の下地を使った細い顔、細長い身体をした女たちの絵はちっともいいと思わなかった。みんな泣いてるみたいな貧相な顔をして、全面のっぺりした地味な色遣いで平面的、ちょっとそれはマンガチックでもあって、ヨーロッパの女を描いたようには見えなかった。(でもちょっとモディリアーニの描く女っぽくもある。)そういう絵がしばらくつづいたせいで、フジタは女の顔に興味がないのかと思ってしまったくらいだ。乳白色の絵でよかったのはこれまでにも見たことのある有名な絵、猫と裸婦を描いた『タピスリーの裸婦』とか、『私の夢』とか『夢』とか。でもそれにしたって人物より猫のほうがよっぽど生き生きとリアルに存在感たっぷりに描けていて、全体として見たとき、フジタはもしかして人より動物のほうが好きだったんじゃないかと思ったりした。でもそれが覆されたのが南米ブラジルからメキシコを旅したときに描かれたという一群の絵で、そこには意志のある鋭い眼差しをした有色の人たちが顔の皺までくっきりと、その精神性まで透けて見えそうなほど力強く、リアルに描かれていて、それまでの絵とはまったく別の迫力があった。絵によってこの画力の差はいったいなんなのだろうと思ったけれど、たぶんそういうことではなくて、フジタという人は描きたいモチーフによっていくらでも好きに画風を変えて描くことができるほど画力があったということなんだろう。同様に、昔から憧れていたという沖縄で描いた女の絵、それから日本人を描いた絵も顔の表情から細部にいたるまでしっかり描けていてとてもよかった。でも人気のあるのはもっぱら乳白色の絵のほうで、 南米の絵の前はガラガラなの。おもしろいよね、こういうの。
そしてもうラスト近くだったろうか。
やっぱりよかったのは今回ポスターにもなっている『カフェにて』と、タッチが似てるからほぼ同時期に描かれたのかと思う、『フルール河岸 ノートルダム大聖堂』が、いかにもパリっぽいアンニュイな色遣いでとてもよかった。このあたりになると老成の境地か。
それと、最後の妻となった君代と日本で暮らした頃に描かれた、四谷左衛門町の日本家屋で和服でくつろぐ自画像がとてもいい絵で、ちゃぶ台の上に散らばった枝豆の殻まで細かく描かれたその絵の中のフジタはどう見たって生粋の日本人であり、そこには日本人としての藤田のアイデンティティーがつまびらかにされていて、最初に書いたようにわたしはレオナール・フジタについてそう詳しいわけではないのだけれど、ポスターのキャッチにもなっている『私は世界に日本人として生きたいと願う』といった藤田が、なぜ洗礼名のレオナール・フジタとしてフランスの土にならねばならなかったかをつよく思わせられた。
大規模な回顧展というだけあって作品点数も多く、駆け足の鑑賞だったけれど2時間はかかったろうか。会場があれだけ混んでいればミュージアムショップもまたしかりで、レジの前にできた長蛇の列を見てふたりともすっかり意欲をなくして、ほとんど何も見ずに出てきた。とくにほしいものもなさそうだったし。

母が亡くなったときは自分の生活がまだいろいろ大変だったこともあってかなり引きずった。親友には「3年くらいかかるよ」といわれて、実際そのくらいかかったように思う。
父の場合は母より20年も長く生きたから、母とくらべたらずいぶん一緒にいる時間を持てたし、また年齢からいったら『天寿まっとう』といって十分な歳だと思う。だから母のときとはちがうけれど、でもこんな秋のうつくしい日、かつて一緒に歩いた上野公園を歩いているとやっぱりいろいろ思いだされて、いっつも父のことを考えているわけじゃないのだけれど、日常のあちこちでふいにわたしは時々、かなしい。

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2018年7月 6日 (金)

時を経て立ち現れた二つの物語/Narratives

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今日は朝から雨で、仕事が終わる頃にはすっかり面倒になってしまったのだけれど、今日はそれを押して夕方から出かけた。藤本さんの発語のきっかけが知りたくて。
出かけた先は国立の room103。
ここは古道具 LET 'EM INが運営するギャラリー・イベントスペースだそうだ。
ここを使っていま行われているのは、詩人・藤本徹さんと映像作家・波田野修平さんの企画による二人展、『Narratives』。
わたしが narrative という言葉を知ったのは、詩人の谷川俊太郎と医師の徳永進の往復書簡集『詩と死をむすぶもの』の中でだった。nrrative-based medicine、物語に基づいた医療。あの本もすごくいい本だった。
わたしが room103 の前で写真を撮っていると、後からやって来た女性が店先に自転車を停めて中に入っていった。そのあとにつづいてわたしも中に入ると、部屋の中は暗く、ナレーションの声が響いていた。手前のガラスのショウケースの上に、被写体のオブジェクトごとに『建物』とか『動物』のように種類分けされたリバーサルフィルムの黄色い箱が並び、下の段には日記やスケッチの紙片、封書の手紙や葉書などが無造作に置かれている。どこの誰が撮ったとも知れぬ大量のポジフィルム、名も知らぬ誰かが一心に書いた日記やスケッチや手紙・・・・・・。これらはすべてLET 'EM INが仕入れた古道具の中からみつかったのだという。みつけたのがLET 'EM INじゃなければ、とっくに廃棄されてたかもしれないし、LET 'EM INのオーナーを通じて遺品を託されたのが詩人と映像作家じゃなければ、こんな展示はなかっただろう。だからこれはある意味、数奇なめぐりあわせともいえる。
すべてはここからはじまった。
物語のはじまり。

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『トンボの記』。
藤本さんの詩の書きだしはトンボだった。
空想の中のトンボ?
壁に貼られた紙片に印刷された活字を、1枚1枚右から端まで読んでいく。
部屋の中に響くナレーションの声が大きくて、最初なかなか集中できなかったけど、白い紙の中の活字が藤本さんの声になるまで集中した。
先に入って詩を読んでいた女性が読み終わってあっさり出て行ってしまって後も、ひとり時間をかけて読んだ。読んでいくうちに自分の感情がじわじわと高揚していくのがわかった。そして最後まで読んで、「すごい、これって大作だよ! しかもとても力のある熱い詩だ!」 と思った。
それで、行く前は今日はよけいなことは喋らずに、こそっと行ってこそっと帰ってこようと思っていたのに、急に誰かに話しかけたくなって、思わず近くにいた波田野さんに「これってすごい大作ですね」と言ってしまった。すると波田野さんも、「そう、藤本くん本人も手ごたえを感じたみたいですよ」というから、「これだけのもの書けたらきっと手ごたえなんてものじゃないと思うな。たしかなものを書き終えたという歓び。自分だったらきっと感動してハイになっちゃう。」
物書きだって詩人だって、ゆで卵を温めるように時間をかけて自分の中で温めていたものが、いざ筆をおろしたら最初の書き出しからは予想もできないほど、あるいは自分でも予期しない深いところまで降りていって書くことができてしまった、その歓びったらない。それはその瞬間のためだけに自分は生きてるんじゃないかと思えるほど。この詩を書き終わったときの藤本さんもそうだったんじゃないかと思う。
壁一面に貼られた詩はたった一度しか読んでないから、それが何連だったかのかも覚えてないけど、長い詩。最初、それはどこか遠巻きに飛んできたトンボに感情移入することからはじまり、だんだん、どこまでが藤本さんの言葉で、どれが古い紙片からの写しなのかわからないほど渾然一体となっていって、しだいに古き佳き時代の文人のような(たとえば夏目漱石のような。もっというと夏目漱石の草枕のような)絵描きの姿が、リアルな肉体と声をともなって鮮やかに浮かび上がり、同時にそれは、いまを生きる藤本さんの姿、息遣いとぴたりと重なって、ふたりの人物が一体となることで時空を超えて、この現代に血の通った物語、熱い詩として結実した。これはもうフィクションとかノンフィクションとか関係ない。
正直言ってわたしは最後まで読んで驚いた。
藤本さん、この詩で才能が開花したなって。
これはもう『青葱を切る』を超えたよ、って。
そこからは延々、波田野さんと話しこんでしまった。
いつもあまりよく知らない人と喋りすぎるときまって家に帰ってから後悔するわたしだけれど、「こんな天気のせいか誰も来なくて、今日は1人も来ないかと思っていたからいいんです」と波田野さんはいい、その言葉でわたしは気が楽になった。

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帰り際に、Amleteronでやったイベントのときのものだという藤本さんの詩の入ったポケットと波田野州平さんの『半分くらいは本当の話』という冊子を買い、波田野さんの作った映像作品を見た。古道具の中にあった大量のポジフィルムから、波田野さんの視点によって選ばれ、紡ぎだされた物語。これもとても面白かった。
見ていると、さもありなん、というか、話の流れがごく自然だから、ふつうにこういうことがあってもおかしくないと思いつつ、まるで本当にあったことのように観終わってしまうんだけど、でも実際のところは無機質な(あまり感情のこもっていない)ただの記録写真のようなフィルムからこれを作りだすのは最初とても苦労したそうだ。でも逆にいえば、そこにこそ波田野さん独自のの視点があるわけで、視覚映像ということでここではよりいっそう(虚構の)物語を創作する、あるいは事実とは違うことを捏造する、ということが意図的に試みられていて、同時にいかようにも事実を変幻させ歪めてしまえる『作る』ということへの疑問も投げかけられていて、そこがとても興味深かった。もっというと、『事実』といわれていること自体にも、実は現実にあった事と物と時間と人の記憶の間に激しくズレがあるんじゃないかというようなことが示唆されていて、見終わったあと不思議な感覚に捉われた。それは、『そもそも人が何かを思いだすということ自体がフィクションを作っているのとおんなじなんじゃないか』という、波田野さんの考えをそのまま反映していると思う。
他人の撮ったフィルムの間に挿入された、波田野さんの美しい映像。
音の入れ方もとても効果的で印象に残った。
はじめて出会ったのが夏だったからかもしれないけれど、藤本さんも波田野さんも、ともに夏を感じさせる人だ。

映像を見終わった後もまたまたたくさん話した。
なかなか本人を前にしては訊きずらい(ふつうはきっと訊かない)、「映画監督って映画を撮ってないときはどうしてるんですか?」「いったいそれで生活は成り立つんですか?」なんて素人の素朴な疑問から、映画『トレイル』を観たときのわたしの率直な感想や、今日の映像を見て感じた波田野さんの可能性、波田野さんからはあの映画の成り立ち、今回のイベントでの詩人と映像作家の視点や思考回路の違い、今後したいことの話、などなどいろいろ・・・・・・。
外は来たときより土砂降りになっていて、それだけ今日は誰も来なかったってことだ。場をおなじくしたのは2回めだけれど、はじめて話した波田野さんはとても人の話をよく聴く、よく聴いて感じて話す、とても真摯で誠実な人だった。
どんな質問にも率直に答えてくれた。
正直で嘘のない人は大好きです。

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誰が遺したともしれない過去の遺物を前に、まったく違う視点で紡がれた映像と、詩の物語。そのふたつの「違う視点」こそが人の想像、興味をかきたてるいい展示だった。
欲をいえば、ここで発表された書き下ろしの藤本さんの詩と、波田野さんが自分の映像につけたナレーションの文章が載った、この会場に来た人だけが手にできる冊子のようなものがあったらもっとよかったなと思う。まあ、それだけおふたりの作品がよかった(単純に自分が欲しい)ってことなんだけど。
それぞれの活動はもちろん、今後のコラボレーションもたのしみなおふたりです。
Narratives@room103はあさって日曜日まで。

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2018年6月 8日 (金)

カージーの”あたらしい旅”

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夏がいいのは夜7時でもまだ明るいところ。
また夏が来たんだな、って思う。
三彩さんに「たのしみにしててください」っていわれたのはいつだったかなあ?
カージーさんの個展の葉書をもらって、ギャラリーみずのそらに行ってきた。
まず『あたらしい旅』っていう、タイトルが好き。
見た瞬間、オリジナルラブの『夢を見る人』って歌を思いだした。
下の子を自転車の後ろに乗せて、保育園に送り届けるまでがいつも戦争だった。
泣きそうな朝も、あの歌を歌いながら自転車を漕ぐと元気になれた。
わたしのあたらしい物語もいますぐはじまりそうで・・・・・・
壁に掛けられた今回の個展のタイトル。
これ何語?

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みずのそらは広いから、あの空間をカージーの作品がどう埋めるのか想像がつかなかったのだけれど、行ってみたらそこは出航を待つたくさんの船でいっぱいの港になっていました。

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木や金属の廃材をリサイクルして作った船は、一見シンプルなようでいて完成度が高い。それは描きこみすぎない絵みたいでもあるし、音数の少ない、完成された音楽のようでもある。それはフォルムを捉えるカージーさんの感覚の鋭さを感じさせる。
そして、カージーさんの作品は、静謐。
繊細にしてポエティック。
繊細だけどエッジがきいていて存在感がある。
一見ラフなようでいて、質感まできっちり作りこまれている。
だから、いつまで見ていても飽きない。
カージーさんはそんなに絵は描けないっていうんだけど、作品とその価格が書かれたこんなスケッチを見ても味がある。

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そしてカージーさんの作品を見ていていつも思うのは、カージーさんはいかにたくさんの仲間に囲まれて賑やかにわいわいやることがあっても、自分独りの静かな時間をとても大切にしている人なんだろうなあ、ということ。
それが作品にもよく出ていて、よけいなことはあんまり喋らないカージーさんのように作品も寡黙なんだけど、静かに物語を内包していて、じっと見ているとそれがじわじわと空間に滲み出てくるようで、わたしもそれにじわじわ共振した。

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個展がはじまった最初の週末はカフェでイベントもあったりしてきっとたくさんの人(仲間たち)で賑わっていたんだろと思うけど、平日の夕方のギャラリーにはスタッフ以外だれもいなくて、この空間を満たしているものにどっぷり浸かるには、わたしはむしろこのほうがいいなと思った。

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月とか星とか植物とか、船とか飛行船とかスウィート・ホームとか・・・・・・
ロマンディックなカージー・ワールド。

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そしてこれもいつも思うことだけど、カージーは植物をあしらうのがとてもうまい!
それはけして華美じゃない。それはもう枯れた葉っぱだったりドライになった木の実だったりするんだけど、すごく自然に作品と一体化してて、で、そこには対象に対する慈しみのこころを感じる。

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それでね、欲しいと思ったものを迷わず買えるほどわたしはお金持ちじゃないけど、わたしが今日、最初っから欲しかったのはこれ。
この飛行船。

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3、という数字に惹かれます。
なぜならわたしの家族は3人家族で、3人でずっとひとつおなじ舟に乗ってきたから。そしてそれはいつかは終わる形態だから。
これをリヴィングの天井から吊るしたところを想像して頭の中で遊びました。
このカタカタと、ひらひらとまわる銀の手作りのプロペラも好き。

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ギャラリーにはずっとピアノが流れてて、それがこの空間と、時折りカタカタまわる銀のプロペラにあまりにぴったりで、「いま流れてる音楽なんですか?」とスタッフの女の子に訊くと、「これです。カージーさんにこれかけてって渡されたんです」といって見せてくれた。

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ドイツのピアニスト、ヘニング・シュミートのソロ・アルバム『シェーネヴァイデ』。
おお、『雨と休日』で売ってそうなCDだね。さすがカージー!
自分の世界観をよくわかってる!
なんて思わずいったのでした。
このアルバム、家に帰ってさっそく探して買っちゃった。
カージーさんの個展は今週末で終わってしまうけど、6月の雨のあいだはきっとこのCDをちょくちょくかけているだろうなと思う。そして、みずのそらのこの空間を満たしていた景色と音楽、カタカタと音もなくまわっていた銀のプロペラのことを頭に思い浮かべると思う。
いい個展でした。
カージーさん、ありがとう。

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2018年5月 6日 (日)

物思いの箱

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ゴールデンウィーク最後の今日は、等々力の『巣巣』さんに行った。
今日まで展示されている、やまぐちめぐみさんの絵を見るために。
ここへは前からいちど来たかったのだけれど、家からは遠くてなかなか来る機会がなかった。乗り継ぎだけで1時間半かかる。
目黒の駅前からバスに乗って20分。
そこは駅前の喧騒とは打って変わった静かな住宅街だった。
休日の郊外の眠たいような午後。
ドアの前まで行くと、「不在にしていてすみません。近くに出かけて、すぐに戻ってきます。よかったら中をご覧になっていてください」というような小さな張り紙がしてあって、うちの息子は最近できたコンビニエンス・ストアは性悪説でできている、といっているけど、ここは限りなく性善説でやってる店なんだな、と可笑しくなった。

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広くて明るい店内。
そこに家具と布物と雑貨と植物、書籍や作家の作品などが並べてあって、壁にはたくさんのやまぐちめぐみさんの絵。
雑然とはしていないけど片づきすぎてもなく、適度な生活感があって、その匙加減が絶妙。はじめて来たのにすぐ場になじんでしまうようなリラックス感がある。わたしが昔はたらいていたインテリアショップの社長は美的に散らかすことを真骨頂とするひとだったけど、ここの店主もそういった意味できっと上級者なんだと思う。

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絵の飾り方もとっても素敵で、それはめぐみさんの絵にあっていて、彼女の絵のことをよくわかっている方なんだということがわかった。どの場所で見ためぐみさんの絵より、今日ここで見たのがいちばんあってていいと思う。
帰って来た店主にそういったら、「まるで、めぐみさんの部屋で絵を見ているみたいです」といわれます、ってことだった。
わたしは行ったことないけど、好きで集めたかわいいものでいっぱいだった、そしてそれがそのまま作品制作の場だった、めぐみさんの部屋。

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中でもわたしが足を止めたのはこの絵。
めぐみさん、こんな絵も描いてたんだ、と思った。

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これから婚礼をあげようとしているような若いカップルの横にネズミのメイドと召使がいて、しあわせを祝福しているかのような花と蝶ちょと鳥。手前にはふたりの象徴みたいな白いスワン。左肩に、船の舳先についてるセイレーンみたいなミューズが描かれているのがこの絵のいちばんいいところで、これはきっと吉兆であり、ふたりの行く末を見守る守護天使でもあるんだろうな。この写真じゃよくわからないかもしれないけれど細かい部分までしっかり描いてあって、すごくイマジネーティブないい絵だと思った。それと、うまく撮れなかったけど、これなんかもめぐみさんらしい。

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めぐみさんの絵を見ると、いつもすごく魚座的な絵だなって思う。
めぐみさんの絵のよさを言葉で説明するのは難しいけど、ちょっとシャガールみたいでもあるし、アンリ・ルソーにもちょっと似てる。
めぐみさんの絵は、「ここにこれがあるのはおかしい」と大人が頭で考えて描くような絵とはちがって、子どもが「ここにこんなお城があったらいいな」「いつかこんな町に住みたい」と、想像にどっぷり浸って思いつくまま描いたような絵で、だから子どものころ絵が好きでそんなふうに描いたことがある人には心覚えがあるし、懐かしい感覚を呼び覚ます。こういう絵はすっかり大人になってしまったひとにはきっと描けない絵だと思う。だから、インナーチャイルドの絵ともいえる。そして、めぐみさんの絵を見ていると何故かいつもぼんやりしてしまう。それはめぐみさんがいなくなってしまったからではなくて、生きているころからそうだった。描きこみ過ぎない画面の余白の感情のようなものに、こちらの感情が吸いこまれてしまうせいかもしれない。めぐみさんはもういないけどその作品は見る者をぼんやりさせ、物思いに耽らせる。それこそが『作品を遺す』ということだろう。
いや、でももしかしたら彼女は今日も巣巣にいたかもしれないぞ。
そんな気もする。
(番外編:トイレに入ったらここにもめぐみさんがいた。)

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知ってる方も多いと思うけど、この展示はめぐみさんの作品集が出版されたことを記念してのものだった。ほんとはわたしは巣巣さんに行った帰りにアムレテロンさんに寄って予約していた作品集をうけとるつもりだったのだけれど、出がけにちょっとアクシデントがあって家を出るのが遅くなり、今日は行けなくなってしまった。おまけに夕方から大雨になるという予報だったから、雨が降ると髪がめちゃくちゃになってしまうくせっ毛のわたしはなんとなく意気上がらず、何を着て行こうか考えたあげく面倒になって家にいたまま出てきてしまったのだけど、巣巣に着くなり、そして店主と顔をあわすなりわたしはそのことを激しく後悔した。とくにやまぐちめぐみさんの展示にこれはなかったな、って。
めぐみさんは晩年、病気が悪化して思うように出歩けなかったこともあるけれど、外出の前は明日何を着て行こうって、そわそわ、わくわくするかわいいひとだった。で、そういうのって、いくつになっても大事だと思う。自分の気持ちのためにも。自分と接する誰かの気持ちのためにも。
そんなことを思いながら巣巣を出ると、天気予報通り、空はだんだん不穏な感じになってきて、最初の雨粒がポツっと頬に落ちてきた。帰りのバスに乗って駅に向かうあいだも、風にわさわさ揺れる街路樹と夕暮れの街並みを眺めながら、平凡なしあわせを捨ててなんのあてもなく東京に出てきて、それまでとはまったく人生を生き、アーティストになった彼女のことをずっと考えていた。

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2018年4月17日 (火)

Blue Landscape@NADiff modern

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ナディッフで18日までやってる知樹さんの個展を見た。
知樹さんの、いくつあってもほしくなる鳥。
ひとつとしておなじものがないから。

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絵はわたしは見たことあるのがほとんどだったけど、場所が変わるとまた見え方が変わって面白い。はじめて見たとき、これはまるでわたしが好きな鉱物みたいだなと思った、『わたしの海』

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ポップなプロフィール。

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ノートに変なメッセージを残した母に「あなたも何か書きなさい」といわれて何故か左手でメッセージを書く娘。いま気づいたけど頭の上にレインボー。

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ナディッフ・モダン、いい本屋。
店員さんも来るお客さんもセレクトされた本や雑貨も、かかってる音楽もセンスいい。今日は誰かはわからないけど、ノーブルな声でジェームス・テイラーの『Don't Let Me Be Lonely Tonight』をジャジーに歌う若い日本の女性ヴォーカリストのCDがかかってて、これ翠ちゃんが歌うとすっごくいいんだよ、と娘と話した。そうしたらめちゃくちゃ聴きたくなってしまった。
ほしい本を3冊みつけました。
40歳過ぎのオジサン、サンテグジュペリが20年下の女に入れあげて書いたというデッサン付きのラブレターと、没後20年にして新たに発見されたという詩稿からなる須賀敦子の詩集、それから酒井駒子の『森のノート』。
Amazonでもきっと買えるだろうけど、またここに来て買いたいな。

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2018年4月 8日 (日)

どうにもならなかったこと

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うっかり忘れて見逃すところだった。
ちゃんとDMをもらっていたのに。
この間はグループ展だったけど、今回は個展だから見逃すわけにはいかない。
ぎりぎり最終日に滑りこんだタンバリンギャラリー。
渡邊知樹展『どうにもならなかったこと』
ドアをあけたら知樹さんとなっちゃんがいて、知樹さんに「なかなか来ないからいつ来るかってはらはらするじゃないですか~」といわれてしまった。半分冗談でもそんなふうにいってくれるのっていいよね?

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知樹さんの新作は、前回のにじ画廊『鳥の形を借りて線を引く』のときともまたちがう。線から面へ。そんな単純なことともちがうし、おなじブルーベースなんだけど何かがちがう。しばらく見ていたら、ああ春の色になったんだ、と思った。前回はもっとカタくて緊張感のある冬の色だった。それで、絵描きのこころとからだがちゃんと季節と連動して色にも表れるんだ、ってことを体感して、とても感慨深かった。
それと、絵でも音楽でもそうだし、いまさらこんなこというまでもないのだけれど、やっぱりウェブや印刷物で見る絵と実際に見る絵ってまったくちがうね。
たとえばこの絵、ウェブで見たときは(わたしは)ちっともいいと思わなかったんだ。
でも、ちょうどこの絵の前に置かれたテーブルについてしばらく眺めていたら、なんだかとても好きになってしまった。わたしの拙い写真じゃ、やっぱり見てる人には全然わからないかもしれないんだけれど・・・・・・
この絵のタイトルは『Letters』と名づけられたシリーズの中の『ずっと伝えたかったこと』。わたしには画面まんなか下の記号みたいのが漢字の『不』に見えて、今回の個展のタイトルにかけた暗喩なのかなとも思ったけれどどうなんだろう。

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この個展には今年のペペペ日めくりカレンダーにメッセージを書いてくれた吉本ばななさんも来てくださったそうで、「すっごくよかった」ってツイートしてるのをわたしも見た。そのばななさんが気に入ったという鳥の三部作。

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わたしが気に入ったのはさっき書いた『Letters』のシリーズ。
ギャラリーの絵の写真はわたしの相棒(カメラ)の最も不得意とするところみたいで、全然うまく撮れてないんですけれども・・・。
タイトル左、『子供たち』、右、『空の記憶』。

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もう1点の『Letters』は、『庭』。
これもよかったな。

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見るといつも思うけど、知樹さんの絵は清潔感があって、感覚的に汚れてない。
表層的でも薄っぺらでもない、でも清らかな光とともにそこにあって、その放たれたエネルギーを感じるから、家に連れ帰ってその空間の中にいたいと思うんだよね。
何が描かれてるかわからないから、ぼーっと眺めるのにとてもいいよ。
本来景色ってそういうものじゃない。
そこに秘められた意味や謎なんてわからなくても。
それでこころが解放される。
きっと、そんなふうに思う人はわたしだけじゃないはず。

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ギリシャにあるような海辺の真っ白い四角い家で、壁に好きな絵を飾って、壁にあいたまるい穴から海と空を眺めて暮らす。そんな生活を夢のように思う。
生きてるとどうにもならないことっていくらでもあるけど、それが白い紙の上でこんなふうに変幻するなら、それはもうそれで夢なんじゃないかって思いました。
上の絵は『空の展開図』。
下は、アラスカから来たという背の高い外国の男の人とブロークンで話す知樹さん。相変わらずコスチュームは豹。(あれ、トラだっけ?)
今年の今後の知樹さんの展示も楽しみです。

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2018年2月18日 (日)

鳥の形を借りて線を引く@にじ画廊

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知樹さんの個展の初日に行ったとき、知樹さんの右目が赤く充血してて、あ、また朝まで描いてたな、と思った。
知樹さんはいつもそうだ。
リアルタイムに、いまこの瞬間でてくるものを大切にしてるから、いつも直前まで描いてるし、個展のあいだもずっと描きつづける。会期中は毎日在廊して来てくれた人と話し、家に帰って明け方まで描く。仮眠をとって、またギャラリーに向かう。だから個展のあいだはずっと睡眠不足。なんて気力があるんだろう!と思うし、よくそんなにとめどなく創意があふれてくるものだと感心してしまう。構図やバランスなんかはすでに知樹さんの中に定着した感覚としてあるんだろう、何も考えずに大きな白い紙に向かうと次々でてくる、躊躇なく手が動くってすごいこと。
だからギャラリーにはいつも描いたばかりの絵が並ぶ。
2回めに行ったときは階段を上がる途中で左の目の中に入ってきた色とかたちに「あっ!」と思った。娘もおなじように思ったみたい。そういう人間の一瞬の感覚っていうのもすごいと思う。

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この日は奥さんのなっちゃんも来ていて、それから知樹さんのおかあさん、スワンさんも現れて、壁を見るなり「あ、絵が変わってる!」というあたり、さすが。もう何度も来ているらしい。チョコホリックの息子のためにゴディバのチョコレートを買ってくるなんて、なんてやさしいおかあさんなんでしょう。知樹さん、しあわせ!
それでスワンさんから知樹さんの幼少のころの話など聞きつつふたりで母の会をやってたら、そこに前に個展を観に行ったことのあるフォトグラファー、山口明宏さんもやってきて、しばしみんなで親子にまつわるぶっちゃけトークがはじまり・・・・・・
わたしは滅多に聞けないよその息子の本音が聞けて面白かった。
知樹さんも大きいと思ってたけどスワンさんも背が高くて大きくて、井の頭公園の池に浮かんでるでっかいスワンを思いだした。まさしくあんな感じ。足バタバタごんごん進む。
そこで撮った知樹さんとスワンさんのツーショット。
やっぱり親子、雰囲気が似てます。

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知樹さんがエライなと思うのは、仲間内で話しててもギャラリーに誰か入ってくると、さっとそばに行って「来てくれてありがとう」とお礼をいい、話のきっかけに今日、何を見て来てくれたのか訊くこと。展示を見に行っても作品の前で仲間内で固まってずっと話してて、作品がよく見れなかったりアウェイに感じてしまったりすることも多いから、そうやって観に来てくれた人への配慮ができるのはとてもいいことだと思う。どう言ったところで作品と人、両方あってのことだから。
知樹さんはわたしのことを「ぼくのガチなファンですね」というけれど、絵にしろ音楽にしろ好きなものがピンポイントでしか存在しないんだから、ガチなファンにもなろうってもんです。

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絵みたいな知樹さん書き文字。
「どのような空を以って自由とするか/どのような檻を以って叫びとするか/問いかけている時/鳥は素直に飛ぶ」

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知樹さんはこの個展の後も、3/3から渋谷Bunkamura地下 NADiff modernで『Blue landscape』、4/14から鎌倉Wonder Kitchenでの『GOOD BIRDS』、4/3からタンバリンギャラリーで『渡邉知樹展(仮 )』、札幌Context-sでの『はじめてのように』、阿佐ヶ谷Context-s ing企画の『渡邉知樹個展(仮 )』と個展がずっとつづく。
ガチな(とか、ふだんは使わないけどこういう言葉)ファンのわたしとしてはどれもとっても楽しみだけど、身体を壊さないようにしてほしいなと思います。そしてせっせと500円玉貯金に勤しみます smile
ペペペ日めくりカレンダー風にいうとこの日は、『宝物をみつけた日』。

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2018年2月 5日 (月)

星座のプレート☆

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昨日、帰ったら下のポストに届いてた。
去年、CONTEXT-s でやったカージーさんの個展でオーダーした星座のプレート。
角をなめらかにしたマットな真鍮にポツポツ刻まれた星たち。
手作りの封筒も宛名書きの字も、添えられた短い手紙の言葉も実にカージーさんらしいんだけど、それは単に素朴とかシンプルともどこか違ってて、ちょっと謎も秘めててそこがカージーさんの不思議な魅力かな。
星座のプレート、首からかけたらちょっとチェーンが長すぎて、どうしよう、と思った。
何か別のチェーンをみつけて、それに付け替えてもらおうかな。
とりあえず、神聖幾何学のステンドグラスやサンキャッチャーのかかった窓辺に一緒にかけてみた。
いまは、みずがめ座の時間。

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2018年1月28日 (日)

知樹さんから絵葉書とどいた。

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昨日は息子に夕飯の買いものを頼んで、とくに何かあてがあったわけじゃないのだけれど、帰りに郵便ポストも見てきてね、と頼んだ。
そしたら買いものから帰ってきた息子が「渡邊さんから葉書がきてたよ」といいながら部屋に入ってきたから、「ああ、個展の案内ね」といったら、「2枚ある」って。
「2枚?」といいながら見てみたら、1枚は個展のDM。
もう1枚は年賀状だった。
あいっかわらず変なわんこの年賀状。
このわんこ、人間みたいな顔して、目に青い焔が燃えてるみたいにも見えるし、目の中に『人』って書いてあるみたいにも見えるし。それに娘にいわせれば青いタワーが目に映ってるみたいでもあるし・・・・・・、妙なオーラがある。
葉書には『今さらの年賀状で申し訳ない』ってあるけど、もう年賀状を出さなくなって20年以上にもなるわたしとしては毎年はなからもらえるわけないと思ってるから、こんなふうにいつになっても送ってくれる人がいるだけでもありがたいってもんです。わたしもささっと絵が描けたら、『ぼくは顔をケガして』っていう細いペンで描いた、目のまわりが赤かったり青かったり黒かったり黄色かったりする自画像を描いて送り返したいところだったけど、真剣に何かをはじめるとまだすぐに疲れちゃいそうだからあきらめた。
いつかも知樹さんはこんなふうに絵葉書を送ってくれた。
シベリア鉄道に乗ったときに描いたロシアの女の子の似顔絵で、ちょうどわたしは生れて初めて買った知樹さんの絵が壁に掛かった日でめちゃめちゃうれしかった。あのとき壁に絵を掛けてくれた友達がもういないなんてなんだか泣きそうだ。
もう1枚の個展のDMに描かれた絵のタイトルは『Blue landscape』。
ちょうど雪の降った後のいまの東京の景色みたい。
今年最初の知樹さんの個展『鳥のかたちを借りて線を引く』は、吉祥寺のにじ画廊で2月8日からはじまる。
たのしみだなあ!
目下いちばんのわたしのたのしみです。
そうして、神さまはちょっと元気のないわたしにも目先のたのしみを用意してくれる。それでわたしはいつだって神さまに守られてると思うのです。

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渡邉知樹展 “鳥の形を借りて線を引く”

2018年2月8日(木)~20日(火)

※14日(水)は休廊

水彩画、鳥オブジェの展示

どのような空を以って自由とするか

どのような檻を以って叫びとするか

問いかけている時

鳥は素直に飛ぶ

吉祥寺 にじ画廊にて

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2017年12月 6日 (水)

カージーのひそやかであたたかな世界

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半年に1度のペースで開催しているセミナーの集客がはじまって以来ずっといそがしくて、今回は行けないかと思った。
今日までやっているカージーさんの個展、『満月に手が届きそう』。
去年、おなじここCONTEXT-sで、カージーさんの作品をはじめて見たのは7月。
あのときは新月で、今回は満月。
カージーさんの北欧チックなイラストが、白い紙に金と銀のバージョンで印刷された繊細なテクスチャーのフライヤーもかわいかった。
頭の隅でずっと気にしながらすごしていたら、本日わたしの住んでる住宅が受水槽の清掃のため、終日断水になるという。それなら家にいても仕事にならないと、午前中めいっぱい仕事して、午後から出かけることにした。
すっかり冬景色のCONTEXTーs。
窓の向こうに見えるはカージーさん。

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前にも書いたけど、カージーさんの本業は鍛冶屋だそうです。
ほかにも家具製作やお店の内装など、いろいろなお仕事をされているみたい。
そんな仕事の傍ら、趣味で作った空き缶をバーナーで焼いて切り取ったアクセサリーやキャンドルホルダーなんかが友人を介して話題になって、たちまち全国で引っぱりだこの作家さんに。主に金属を中心に、廃材や身近な素材を使っていろいろな作品をつくっているそうです。イラストを描いたり、Tシャツのデザインなども。

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ここからはmore than wards で、言葉少なめにダダダダっといきます。
ふるい古民家に射す、清潔な冬のひかりとカージーの繊細な作品が織りなす風景。

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ギャラリーの中には熱心に作品を見ている先客のかわいらしい女の子と三彩さんとカージーさんがいるだけで、きっとすごいファンなのだと思う、その女の子がいくつも作品を買って「ありがとうございました」と笑顔を残して帰ってしまうと、店内はめっきり静かになった。その時間が自分が帰る直前までつづいた。わたしにはなんだかそれがありがたかったな。静かなのが好き。ここに人があふれてると、わたしはどうしていいかわからなくなってしまう。3人で、何を話すともなくポツポツ話した。この個展のあいだじゅう、ずっと天気がよかったけれど、今日も典型的な冬の青空で、外は寒かったけれど部屋の中はアラジンのストーブであったかくて、みんな頬がポッと上気していた。

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カージーさんは作品だけじゃなくて、植物の使いかたもとってもうまい。
どこにいても身近にあるもので自分だけの世界観を創りあげてしまう。
自分の持ち味、作品がイメージするところをよくわかっててそれをビジュアルにできるひと。
わたしが思わず、サンクチュアリみたい! といって撮った写真。

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こんなふうに、何気なくメニューボードが置かれた机の上を見ても。
とても自然で。

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そして、カージーさん自身、とても静かなひとです。
静かに話し、静かにひとの話を聴くひと。
わたしも静かにゆっくり作品を見て、最初に見たテーブルの上にあった、注文を受けてから作るという真鍮の星座ペンダントがついたネックレスをオーダーすることにしました。
後から届くというのも、なんだかカージ-さんからの手紙みたいでいいなと思って。
そしたら、このペンダントをオーダーした人は冬の人ばかりだって。
それも水瓶座の人が多いって。
星座共通の好みとかあるのかな。

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今年で2回めとなるカージーさんの個展。
「また来年もやるの?」と三彩さんに訊いたら、「それがカージーはやりたくないっていうのよ!」っていう。カージーさんの話を聞くと、カージーさんはほんとはもともと同じところで2回はやらないのだそうです。いつもあたらしい場で、あたらしい人と出逢いたいのだって。それを聞いて「へえ」と思った。それって悪くないな、って。
いつも決まった自分のお気に入りの仲間たちとなあなあでイベントをする人が多いなか、そういうのってやるほうは楽しくて心地よくてラクチンだろうと思うけど、それが毎年のルーチンワークみたいになってしまうと行く方としては行く前から中身が想像できちゃって新鮮じゃないし、そういう人たちの作る場って、外から入っていくとアウェイに感じてしまったりする。
カージーさんは明るくて面白い人だし、どこに行っても人気者でいつも賑やかに人に囲まれているのだろうけど、でも同時に孤独の匂いもして、いつも自分のなかにひとり静かに火を見つめる時間を持っているような、そんな気がした。
賑やかに人に囲まれている時間と、自分ひとりの時間。
さみしげな感じと、ひとりの時間を楽しめる孤独に強そうなところと。
それをどちらも大事にしているからどこにでも1人で出かけて行って瞬く間に自分の居場所、自分の世界をつくり、でもその場はあたたかく誰にでもオープンにひらかれている・・・・・・
もちろん、そんなのはカージーさんをよく知る人には全然ちがうといわれるかもしれない。あくまでわたしの感じたことにすぎないけれど。

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いつかまた、ここでもここじゃなくてもいいけど、カージーさんの作品に出合えたらいいなと思う。でもその前に、水瓶座のペンダントが届くのがたのしみです。

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