アートのある場所

2018年7月 6日 (金)

時を経て立ち現れた二つの物語/Narratives

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今日は朝から雨で、仕事が終わる夕方頃にはすっかり面倒になってしまったのだけれど、今日はそれを押して出かけた。藤本さんの発語のきっかけが知りたくて。
出かけた先は国立の room103。
ここは古道具 LET 'EM INが運営するギャラリー・イベントスペースだそうだ。
ここを使っていま行われているのは、詩人・藤本徹さんと映像作家・波田野修平さんの企画による二人展、『Narratives』。
わたしが narrative という言葉を知ったのは、詩人の谷川俊太郎と医師の徳永進の往復書簡集『詩と死をむすぶもの』の中でだった。nrrative-based medicine、物語に基づいた医療。あの本もすごくいい本だった。
わたしが room103 の前で写真を撮っていると、後からやって来た女性が店先に自転車を停めて中に入っていった。それにつづいてわたしも中に入ると、部屋の中は暗く、ナレーションの声が響いていた。手前のガラスのショーケースの上に、撮られた被写体のオブジェクトごとに『建物』とか『動物』のように種類分けされたリバーサルフィルムの黄色い箱が並び、下の段には日記やスケッチの紙片、封書の手紙や葉書が無造作に置かれていた。どこの誰が撮ったとも知れぬ大量のポジフィルム、名も知らぬ誰かが一心に書いた日記やスケッチや手紙・・・・・・。これらはすべてLET 'EM INが仕入れた古道具の中からみつかったという。みつけたのがLET 'EM INじゃなければ、とっくに廃棄されてたかもしれない。LET 'EM INを通じて遺品を渡されたのが詩人と映像作家じゃなければ、こんな展示はなかっただろう。ある意味、数奇なめぐりあわせともいえる。
すべてはここからはじまった。
物語のはじまり。

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藤本さんの詩の書きだしはトンボだった。
空想の中のトンボ?
壁に貼られた紙片に印刷された活字を、1枚1枚右から端に読んでいく。
部屋の中に響くナレーションの声が大きくて、最初なかなか集中できなかった。
白い紙の中の活字が藤本さんの声になるまで集中した。
先に入って詩を読んでいた女性が読み終わってあっさり出て行ってしまってからも時間をかけて読んだ。読んでいくうちに自分の感情が高揚していくのがわかった。そして最後まで読んで、すごい、これって大作だよ! しかもとても力のある熱い詩だ! と思った。
それで、行く前はよけいなことは喋らず、こそっと行ってこそっと帰ってこようと思っていたのに、誰かに話しかけたくなって思わず近くにいた波田野さんに「これってすごい大作ですね」と言ってしまった。すると波田野さんも、「そう、藤本くん本人も手ごたえを感じたみたいですよ」というから、「これだけのもの書けたらきっと手ごたえなんてものじゃないと思うな。たしかなものを書き終えた歓び。自分だったらきっと感動してハイになっちゃう。」
物書きだって詩人だって、ゆで卵を温めるように自分の中で温めていたものが、いざ筆をおろしたら最初の書き出しからは予想もできないほど、あるいは自分でも予期しない深いところまで降りて書けてしまったら、その歓びったらない。その瞬間のためだけに生きてるんじゃないかと思えるほどだ。きっとこの詩を書き終わったときの藤本さんもそうだったんじゃないかと思う。
壁一面に貼られた詩はたった一度しか読んでないから何連だったかも覚えてないけれど、長い長い詩。最初それはどこか遠巻きに飛んできたトンボに感情移入することからはじまり、だんだん、どこまでが藤本さんの言葉でどれが古い紙片からの写しなのかわからないほど渾然一体となっていって、しだいに古き佳き時代の文人のような(たとえば夏目漱石のような。もっというと夏目漱石の草枕のような)絵描きの姿が肉体と声をともなって鮮やかに浮かび上がり、同時にそれはいまを生きる藤本さんの姿、息遣いとぴたりと重なって、ふたりの人物が一体となることで時空を超えてこの現代に血の通った物語、熱い詩として結実した。これはもうフィクションとかノンフィクションとか関係ない。
正直言ってわたしは最後まで読んで驚いた。
藤本さん、この詩で才能が開花したなって。
これはもう『青葱を切る』をこえたよって。
そこからは延々、波田野さんと話しこんでしまった。
いつもあまりよく知らない人と喋りすぎるときまって家に帰ってから後悔するわたしだけれど、「今日はこんな天気のせいか誰も来なくて、今日は1人も来ないかと思ってたからいいんです」と波田野さんはいい、その言葉でわたしは気が楽になった。

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帰り際に、Amleteronでやったイベントのときのものだという藤本さんの詩の入ったポケットと波田野州平さんの『半分くらいは本当の話』という冊子を買い、波田野さんの作った映像作品を見た。古道具の中にあった大量のポジフィルムから波田野さんの視点によって選ばれ、紡ぎだされた物語。これもとても面白かった。
見ているとさもありなん、というか、話の流れが自然だから、ふつうにこういうことがあってもおかしくないと思いつつ、まるで本当にあったことのように観終わってしまうんだけど、でも実際は無機質な(あまり感情のこもっていない)ただの記録写真のようなフィルムからこれを作るのは最初とても苦労したそう。でも逆にいえばそこにこそ波田野さんの視点があるわけで、視覚映像ということでここではよりいっそう(虚構の)物語を創作する、あるいは事実とは違うことを捏造する、ということが意図的に試みられていて、同時にいかようにも事実を変幻させ歪めてしまえる『作る』ということへの疑問も投げかけられている。もっというと、事実といわれていること自体にも、現実にあった時間と人の記憶との間に激しくズレがあるんじゃないかということが示唆されていて、見終わったあと不思議な感覚に捉われた。それは、『そもそも人が何かを思いだすということ自体がフィクションを作っているのとおなじなんじゃないか』という、波田野さんの考えにそのまま通じていると思う。
他人の撮ったフィルムの間に挿入された波田野さんの美しい映像。
音の入れ方も効果的で印象に残った。
映像を見終わった後もまたまたたくさん話した。
なかなか本人を前にしては訊きずらい、「映画監督って映画撮ってないときはどうしてるんですか?」「いったい生活は成り立つんですか?」なんて素人の素朴な疑問から、映画『トレイル』を観たときのわたしの率直な感想、今日の映像を見て感じた波田野さんの可能性、波田野さんからはあの映画の成り立ち、今回のイベントでの詩人と映像作家の視点や思考回路の違い、今後したいことの話、などなどいろいろ・・・・・・。
外は来たときより土砂降りになっていて、それだけ誰も来なかったってことだ。
場をおなじくしたのは2回めだけれど、はじめて話した波田野さんはとても人の話をよく聴く、よく聴いて感じて話す、とても真摯で誠実な人だった。
どんな質問にも率直に答えてくれた。
正直で嘘のない人は大好きです。

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誰が遺したともしれない過去の遺物を前に、まったく違う視点で紡がれた映像と、詩の物語。そのふたつの「違う視点」こそが人の想像、興味をかきたてるいい展示だった。
欲をいえば、ここで発表された書き下ろしの藤本さんの詩と、波田野さんが自分の映像につけたナレーションの文章が載った、この会場に来た人だけが手にできる冊子みたいなものがあったらよかったなと思う。まあ、単純にわたしがほしい、そのくらいふたりの言葉がよかった、ってことなんだけど。
それぞれの活動はもちろん、今後のコラボレーションもたのしみなおふたりです。
Narratives@room103はあさって日曜日まで。

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2018年6月 8日 (金)

カージーの”あたらしい旅”

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夏がいいのは夜7時でもまだ明るいところ。
また夏が来たんだな、って思う。
三彩さんに「たのしみにしててください」っていわれたのはいつだったかなあ?
カージーさんの個展の葉書をもらって、ギャラリーみずのそらに行ってきた。
まず『あたらしい旅』っていう、タイトルが好き。
見た瞬間、オリジナルラブの『夢を見る人』って歌を思いだした。
下の子を自転車の後ろに乗せて、保育園に送り届けるまでがいつも戦争だった。
泣きそうな朝も、あの歌を歌いながら自転車を漕ぐと元気になれた。
わたしのあたらしい物語もいますぐはじまりそうで・・・・・・
壁に掛けられた今回の個展のタイトル。
これ何語?

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みずのそらは広いから、あの空間をカージーの作品がどう埋めるのか想像がつかなかったのだけれど、行ってみたらそこは出航を待つたくさんの船でいっぱいの港になっていました。

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木や金属の廃材をリサイクルして作った船は、一見シンプルなようでいて完成度が高い。それは描きこみすぎない絵みたいでもあるし、音数の少ない、完成された音楽のようでもある。それはフォルムを捉えるカージーさんの感覚の鋭さを感じさせる。
そして、カージーさんの作品は、静謐。
繊細にしてポエティック。
繊細だけどエッジがきいていて存在感がある。
一見ラフなようでいて、質感まできっちり作りこまれている。
だから、いつまで見ていても飽きない。
カージーさんはそんなに絵は描けないっていうんだけど、作品とその価格が書かれたこんなスケッチを見ても味がある。

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そしてカージーさんの作品を見ていていつも思うのは、カージーさんはいかにたくさんの仲間に囲まれて賑やかにわいわいやることがあっても、自分独りの静かな時間をとても大切にしている人なんだろうなあ、ということ。
それが作品にもよく出ていて、よけいなことはあんまり喋らないカージーさんのように作品も寡黙なんだけど、静かに物語を内包していて、じっと見ているとそれがじわじわと空間に滲み出てくるようで、わたしもそれにじわじわ共振した。

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個展がはじまった最初の週末はカフェでイベントもあったりしてきっとたくさんの人(仲間たち)で賑わっていたんだろと思うけど、平日の夕方のギャラリーにはスタッフ以外だれもいなくて、この空間を満たしているものにどっぷり浸かるには、わたしはむしろこのほうがいいなと思った。

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月とか星とか植物とか、船とか飛行船とかスウィート・ホームとか・・・・・・
ロマンディックなカージー・ワールド。

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そしてこれもいつも思うことだけど、カージーは植物をあしらうのがとてもうまい!
それはけして華美じゃない。それはもう枯れた葉っぱだったりドライになった木の実だったりするんだけど、すごく自然に作品と一体化してて、で、そこには対象に対する慈しみのこころを感じる。

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それでね、欲しいと思ったものを迷わず買えるほどわたしはお金持ちじゃないけど、わたしが今日、最初っから欲しかったのはこれ。
この飛行船。

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3、という数字に惹かれます。
なぜならわたしの家族は3人家族で、3人でずっとひとつおなじ舟に乗ってきたから。そしてそれはいつかは終わる形態だから。
これをリヴィングの天井から吊るしたところを想像して頭の中で遊びました。
このカタカタと、ひらひらとまわる銀の手作りのプロペラも好き。

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ギャラリーにはずっとピアノが流れてて、それがこの空間と、時折りカタカタまわる銀のプロペラにあまりにぴったりで、「いま流れてる音楽なんですか?」とスタッフの女の子に訊くと、「これです。カージーさんにこれかけてって渡されたんです」といって見せてくれた。

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ドイツのピアニスト、ヘニング・シュミートのソロ・アルバム『シェーネヴァイデ』。
おお、『雨と休日』で売ってそうなCDだね。さすがカージー!
自分の世界観をよくわかってる!
なんて思わずいったのでした。
このアルバム、家に帰ってさっそく探して買っちゃった。
カージーさんの個展は今週末で終わってしまうけど、6月の雨のあいだはきっとこのCDをちょくちょくかけているだろうなと思う。そして、みずのそらのこの空間を満たしていた景色と音楽、カタカタと音もなくまわっていた銀のプロペラのことを頭に思い浮かべると思う。
いい個展でした。
カージーさん、ありがとう。

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2018年5月 6日 (日)

物思いの箱

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ゴールデンウィーク最後の今日は、等々力の『巣巣』さんに行った。
今日まで展示されている、やまぐちめぐみさんの絵を見るために。
ここへは前からいちど来たかったのだけれど、家からは遠くてなかなか来る機会がなかった。乗り継ぎだけで1時間半かかる。
目黒の駅前からバスに乗って20分。
そこは駅前の喧騒とは打って変わった静かな住宅街だった。
休日の郊外の眠たいような午後。
ドアの前まで行くと、「不在にしていてすみません。近くに出かけて、すぐに戻ってきます。よかったら中をご覧になっていてください」というような小さな張り紙がしてあって、うちの息子は最近できたコンビニエンス・ストアは性悪説でできている、といっているけど、ここは限りなく性善説でやってる店なんだな、と可笑しくなった。

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広くて明るい店内。
そこに家具と布物と雑貨と植物、書籍や作家の作品などが並べてあって、壁にはたくさんのやまぐちめぐみさんの絵。
雑然とはしていないけど片づきすぎてもなく、適度な生活感があって、その匙加減が絶妙。はじめて来たのにすぐ場になじんでしまうようなリラックス感がある。わたしが昔はたらいていたインテリアショップの社長は美的に散らかすことを真骨頂とするひとだったけど、ここの店主もそういった意味できっと上級者なんだと思う。

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絵の飾り方もとっても素敵で、それはめぐみさんの絵にあっていて、彼女の絵のことをよくわかっている方なんだということがわかった。どの場所で見ためぐみさんの絵より、今日ここで見たのがいちばんあってていいと思う。
帰って来た店主にそういったら、「まるで、めぐみさんの部屋で絵を見ているみたいです」といわれます、ってことだった。
わたしは行ったことないけど、好きで集めたかわいいものでいっぱいだった、そしてそれがそのまま作品制作の場だった、めぐみさんの部屋。

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中でもわたしが足を止めたのはこの絵。
めぐみさん、こんな絵も描いてたんだ、と思った。

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これから婚礼をあげようとしているような若いカップルの横にネズミのメイドと召使がいて、しあわせを祝福しているかのような花と蝶ちょと鳥。手前にはふたりの象徴みたいな白いスワン。左肩に、船の舳先についてるセイレーンみたいなミューズが描かれているのがこの絵のいちばんいいところで、これはきっと吉兆であり、ふたりの行く末を見守る守護天使でもあるんだろうな。この写真じゃよくわからないかもしれないけれど細かい部分までしっかり描いてあって、すごくイマジネーティブないい絵だと思った。それと、うまく撮れなかったけど、これなんかもめぐみさんらしい。

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めぐみさんの絵を見ると、いつもすごく魚座的な絵だなって思う。
めぐみさんの絵のよさを言葉で説明するのは難しいけど、ちょっとシャガールみたいでもあるし、アンリ・ルソーにもちょっと似てる。
めぐみさんの絵は、「ここにこれがあるのはおかしい」と大人が頭で考えて描くような絵とはちがって、子どもが「ここにこんなお城があったらいいな」「いつかこんな町に住みたい」と、想像にどっぷり浸って思いつくまま描いたような絵で、だから子どものころ絵が好きでそんなふうに描いたことがある人には心覚えがあるし、懐かしい感覚を呼び覚ます。こういう絵はすっかり大人になってしまったひとにはきっと描けない絵だと思う。だから、インナーチャイルドの絵ともいえる。そして、めぐみさんの絵を見ていると何故かいつもぼんやりしてしまう。それはめぐみさんがいなくなってしまったからではなくて、生きているころからそうだった。描きこみ過ぎない画面の余白の感情のようなものに、こちらの感情が吸いこまれてしまうせいかもしれない。めぐみさんはもういないけどその作品は見る者をぼんやりさせ、物思いに耽らせる。それこそが『作品を遺す』ということだろう。
いや、でももしかしたら彼女は今日も巣巣にいたかもしれないぞ。
そんな気もする。
(番外編:トイレに入ったらここにもめぐみさんがいた。)

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知ってる方も多いと思うけど、この展示はめぐみさんの作品集が出版されたことを記念してのものだった。ほんとはわたしは巣巣さんに行った帰りにアムレテロンさんに寄って予約していた作品集をうけとるつもりだったのだけれど、出がけにちょっとアクシデントがあって家を出るのが遅くなり、今日は行けなくなってしまった。おまけに夕方から大雨になるという予報だったから、雨が降ると髪がめちゃくちゃになってしまうくせっ毛のわたしはなんとなく意気上がらず、何を着て行こうか考えたあげく面倒になって家にいたまま出てきてしまったのだけど、巣巣に着くなり、そして店主と顔をあわすなりわたしはそのことを激しく後悔した。とくにやまぐちめぐみさんの展示にこれはなかったな、って。
めぐみさんは晩年、病気が悪化して思うように出歩けなかったこともあるけれど、外出の前は明日何を着て行こうって、そわそわ、わくわくするかわいいひとだった。で、そういうのって、いくつになっても大事だと思う。自分の気持ちのためにも。自分と接する誰かの気持ちのためにも。
そんなことを思いながら巣巣を出ると、天気予報通り、空はだんだん不穏な感じになってきて、最初の雨粒がポツっと頬に落ちてきた。帰りのバスに乗って駅に向かうあいだも、風にわさわさ揺れる街路樹と夕暮れの街並みを眺めながら、平凡なしあわせを捨ててなんのあてもなく東京に出てきて、それまでとはまったく人生を生き、アーティストになった彼女のことをずっと考えていた。

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2018年4月17日 (火)

Blue Landscape@NADiff modern

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ナディッフで18日までやってる知樹さんの個展を見た。
知樹さんの、いくつあってもほしくなる鳥。
ひとつとしておなじものがないから。

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絵はわたしは見たことあるのがほとんどだったけど、場所が変わるとまた見え方が変わって面白い。はじめて見たとき、これはまるでわたしが好きな鉱物みたいだなと思った、『わたしの海』

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ポップなプロフィール。

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ノートに変なメッセージを残した母に「あなたも何か書きなさい」といわれて何故か左手でメッセージを書く娘。いま気づいたけど頭の上にレインボー。

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ナディッフ・モダン、いい本屋。
店員さんも来るお客さんもセレクトされた本や雑貨も、かかってる音楽もセンスいい。今日は誰かはわからないけど、ノーブルな声でジェームス・テイラーの『Don't Let Me Be Lonely Tonight』をジャジーに歌う若い日本の女性ヴォーカリストのCDがかかってて、これ翠ちゃんが歌うとすっごくいいんだよ、と娘と話した。そうしたらめちゃくちゃ聴きたくなってしまった。
ほしい本を3冊みつけました。
40歳過ぎのオジサン、サンテグジュペリが20年下の女に入れあげて書いたというデッサン付きのラブレターと、没後20年にして新たに発見されたという詩稿からなる須賀敦子の詩集、それから酒井駒子の『森のノート』。
Amazonでもきっと買えるだろうけど、またここに来て買いたいな。

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2018年4月 8日 (日)

どうにもならなかったこと

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うっかり忘れて見逃すところだった。
ちゃんとDMをもらっていたのに。
この間はグループ展だったけど、今回は個展だから見逃すわけにはいかない。
ぎりぎり最終日に滑りこんだタンバリンギャラリー。
渡邊知樹展『どうにもならなかったこと』
ドアをあけたら知樹さんとなっちゃんがいて、知樹さんに「なかなか来ないからいつ来るかってはらはらするじゃないですか~」といわれてしまった。半分冗談でもそんなふうにいってくれるのっていいよね?

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知樹さんの新作は、前回のにじ画廊『鳥の形を借りて線を引く』のときともまたちがう。線から面へ。そんな単純なことともちがうし、おなじブルーベースなんだけど何かがちがう。しばらく見ていたら、ああ春の色になったんだ、と思った。前回はもっとカタくて緊張感のある冬の色だった。それで、絵描きのこころとからだがちゃんと季節と連動して色にも表れるんだ、ってことを体感して、とても感慨深かった。
それと、絵でも音楽でもそうだし、いまさらこんなこというまでもないのだけれど、やっぱりウェブや印刷物で見る絵と実際に見る絵ってまったくちがうね。
たとえばこの絵、ウェブで見たときは(わたしは)ちっともいいと思わなかったんだ。
でも、ちょうどこの絵の前に置かれたテーブルについてしばらく眺めていたら、なんだかとても好きになってしまった。わたしの拙い写真じゃ、やっぱり見てる人には全然わからないかもしれないんだけれど・・・・・・
この絵のタイトルは『Letters』と名づけられたシリーズの中の『ずっと伝えたかったこと』。わたしには画面まんなか下の記号みたいのが漢字の『不』に見えて、今回の個展のタイトルにかけた暗喩なのかなとも思ったけれどどうなんだろう。

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この個展には今年のペペペ日めくりカレンダーにメッセージを書いてくれた吉本ばななさんも来てくださったそうで、「すっごくよかった」ってツイートしてるのをわたしも見た。そのばななさんが気に入ったという鳥の三部作。

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わたしが気に入ったのはさっき書いた『Letters』のシリーズ。
ギャラリーの絵の写真はわたしの相棒(カメラ)の最も不得意とするところみたいで、全然うまく撮れてないんですけれども・・・。
タイトル左、『子供たち』、右、『空の記憶』。

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もう1点の『Letters』は、『庭』。
これもよかったな。

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見るといつも思うけど、知樹さんの絵は清潔感があって、感覚的に汚れてない。
表層的でも薄っぺらでもない、でも清らかな光とともにそこにあって、その放たれたエネルギーを感じるから、家に連れ帰ってその空間の中にいたいと思うんだよね。
何が描かれてるかわからないから、ぼーっと眺めるのにとてもいいよ。
本来景色ってそういうものじゃない。
そこに秘められた意味や謎なんてわからなくても。
それでこころが解放される。
きっと、そんなふうに思う人はわたしだけじゃないはず。

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ギリシャにあるような海辺の真っ白い四角い家で、壁に好きな絵を飾って、壁にあいたまるい穴から海と空を眺めて暮らす。そんな生活を夢のように思う。
生きてるとどうにもならないことっていくらでもあるけど、それが白い紙の上でこんなふうに変幻するなら、それはもうそれで夢なんじゃないかって思いました。
上の絵は『空の展開図』。
下は、アラスカから来たという背の高い外国の男の人とブロークンで話す知樹さん。相変わらずコスチュームは豹。(あれ、トラだっけ?)
今年の今後の知樹さんの展示も楽しみです。

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2018年2月18日 (日)

鳥の形を借りて線を引く@にじ画廊

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知樹さんの個展の初日に行ったとき、知樹さんの右目が赤く充血してて、あ、また朝まで描いてたな、と思った。
知樹さんはいつもそうだ。
リアルタイムに、いまこの瞬間でてくるものを大切にしてるから、いつも直前まで描いてるし、個展のあいだもずっと描きつづける。会期中は毎日在廊して来てくれた人と話し、家に帰って明け方まで描く。仮眠をとって、またギャラリーに向かう。だから個展のあいだはずっと睡眠不足。なんて気力があるんだろう!と思うし、よくそんなにとめどなく創意があふれてくるものだと感心してしまう。構図やバランスなんかはすでに知樹さんの中に定着した感覚としてあるんだろう、何も考えずに大きな白い紙に向かうと次々でてくる、躊躇なく手が動くってすごいこと。
だからギャラリーにはいつも描いたばかりの絵が並ぶ。
2回めに行ったときは階段を上がる途中で左の目の中に入ってきた色とかたちに「あっ!」と思った。娘もおなじように思ったみたい。そういう人間の一瞬の感覚っていうのもすごいと思う。

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この日は奥さんのなっちゃんも来ていて、それから知樹さんのおかあさん、スワンさんも現れて、壁を見るなり「あ、絵が変わってる!」というあたり、さすが。もう何度も来ているらしい。チョコホリックの息子のためにゴディバのチョコレートを買ってくるなんて、なんてやさしいおかあさんなんでしょう。知樹さん、しあわせ!
それでスワンさんから知樹さんの幼少のころの話など聞きつつふたりで母の会をやってたら、そこに前に個展を観に行ったことのあるフォトグラファー、山口明宏さんもやってきて、しばしみんなで親子にまつわるぶっちゃけトークがはじまり・・・・・・
わたしは滅多に聞けないよその息子の本音が聞けて面白かった。
知樹さんも大きいと思ってたけどスワンさんも背が高くて大きくて、井の頭公園の池に浮かんでるでっかいスワンを思いだした。まさしくあんな感じ。足バタバタごんごん進む。
そこで撮った知樹さんとスワンさんのツーショット。
やっぱり親子、雰囲気が似てます。

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知樹さんがエライなと思うのは、仲間内で話しててもギャラリーに誰か入ってくると、さっとそばに行って「来てくれてありがとう」とお礼をいい、話のきっかけに今日、何を見て来てくれたのか訊くこと。展示を見に行っても作品の前で仲間内で固まってずっと話してて、作品がよく見れなかったりアウェイに感じてしまったりすることも多いから、そうやって観に来てくれた人への配慮ができるのはとてもいいことだと思う。どう言ったところで作品と人、両方あってのことだから。
知樹さんはわたしのことを「ぼくのガチなファンですね」というけれど、絵にしろ音楽にしろ好きなものがピンポイントでしか存在しないんだから、ガチなファンにもなろうってもんです。

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絵みたいな知樹さん書き文字。
「どのような空を以って自由とするか/どのような檻を以って叫びとするか/問いかけている時/鳥は素直に飛ぶ」

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知樹さんはこの個展の後も、3/3から渋谷Bunkamura地下 NADiff modernで『Blue landscape』、4/14から鎌倉Wonder Kitchenでの『GOOD BIRDS』、4/3からタンバリンギャラリーで『渡邉知樹展(仮 )』、札幌Context-sでの『はじめてのように』、阿佐ヶ谷Context-s ing企画の『渡邉知樹個展(仮 )』と個展がずっとつづく。
ガチな(とか、ふだんは使わないけどこういう言葉)ファンのわたしとしてはどれもとっても楽しみだけど、身体を壊さないようにしてほしいなと思います。そしてせっせと500円玉貯金に勤しみます smile
ペペペ日めくりカレンダー風にいうとこの日は、『宝物をみつけた日』。

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2018年2月 5日 (月)

星座のプレート☆

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昨日、帰ったら下のポストに届いてた。
去年、CONTEXT-s でやったカージーさんの個展でオーダーした星座のプレート。
角をなめらかにしたマットな真鍮にポツポツ刻まれた星たち。
手作りの封筒も宛名書きの字も、添えられた短い手紙の言葉も実にカージーさんらしいんだけど、それは単に素朴とかシンプルともどこか違ってて、ちょっと謎も秘めててそこがカージーさんの不思議な魅力かな。
星座のプレート、首からかけたらちょっとチェーンが長すぎて、どうしよう、と思った。
何か別のチェーンをみつけて、それに付け替えてもらおうかな。
とりあえず、神聖幾何学のステンドグラスやサンキャッチャーのかかった窓辺に一緒にかけてみた。
いまは、みずがめ座の時間。

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2018年1月28日 (日)

知樹さんから絵葉書とどいた。

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昨日は息子に夕飯の買いものを頼んで、とくに何かあてがあったわけじゃないのだけれど、帰りに郵便ポストも見てきてね、と頼んだ。
そしたら買いものから帰ってきた息子が「渡邊さんから葉書がきてたよ」といいながら部屋に入ってきたから、「ああ、個展の案内ね」といったら、「2枚ある」って。
「2枚?」といいながら見てみたら、1枚は個展のDM。
もう1枚は年賀状だった。
あいっかわらず変なわんこの年賀状。
このわんこ、人間みたいな顔して、目に青い焔が燃えてるみたいにも見えるし、目の中に『人』って書いてあるみたいにも見えるし。それに娘にいわせれば青いタワーが目に映ってるみたいでもあるし・・・・・・、妙なオーラがある。
葉書には『今さらの年賀状で申し訳ない』ってあるけど、もう年賀状を出さなくなって20年以上にもなるわたしとしては毎年はなからもらえるわけないと思ってるから、こんなふうにいつになっても送ってくれる人がいるだけでもありがたいってもんです。わたしもささっと絵が描けたら、『ぼくは顔をケガして』っていう細いペンで描いた、目のまわりが赤かったり青かったり黒かったり黄色かったりする自画像を描いて送り返したいところだったけど、真剣に何かをはじめるとまだすぐに疲れちゃいそうだからあきらめた。
いつかも知樹さんはこんなふうに絵葉書を送ってくれた。
シベリア鉄道に乗ったときに描いたロシアの女の子の似顔絵で、ちょうどわたしは生れて初めて買った知樹さんの絵が壁に掛かった日でめちゃめちゃうれしかった。あのとき壁に絵を掛けてくれた友達がもういないなんてなんだか泣きそうだ。
もう1枚の個展のDMに描かれた絵のタイトルは『Blue landscape』。
ちょうど雪の降った後のいまの東京の景色みたい。
今年最初の知樹さんの個展『鳥のかたちを借りて線を引く』は、吉祥寺のにじ画廊で2月8日からはじまる。
たのしみだなあ!
目下いちばんのわたしのたのしみです。
そうして、神さまはちょっと元気のないわたしにも目先のたのしみを用意してくれる。それでわたしはいつだって神さまに守られてると思うのです。

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渡邉知樹展 “鳥の形を借りて線を引く”

2018年2月8日(木)~20日(火)

※14日(水)は休廊

水彩画、鳥オブジェの展示

どのような空を以って自由とするか

どのような檻を以って叫びとするか

問いかけている時

鳥は素直に飛ぶ

吉祥寺 にじ画廊にて

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2017年12月 6日 (水)

カージーのひそやかであたたかな世界

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半年に1度のペースで開催しているセミナーの集客がはじまって以来ずっといそがしくて、今回は行けないかと思った。
今日までやっているカージーさんの個展、『満月に手が届きそう』。
去年、おなじここCONTEXT-sで、カージーさんの作品をはじめて見たのは7月。
あのときは新月で、今回は満月。
カージーさんの北欧チックなイラストが、白い紙に金と銀のバージョンで印刷された繊細なテクスチャーのフライヤーもかわいかった。
頭の隅でずっと気にしながらすごしていたら、本日わたしの住んでる住宅が受水槽の清掃のため、終日断水になるという。それなら家にいても仕事にならないと、午前中めいっぱい仕事して、午後から出かけることにした。
すっかり冬景色のCONTEXTーs。
窓の向こうに見えるはカージーさん。

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前にも書いたけど、カージーさんの本業は鍛冶屋だそうです。
ほかにも家具製作やお店の内装など、いろいろなお仕事をされているみたい。
そんな仕事の傍ら、趣味で作った空き缶をバーナーで焼いて切り取ったアクセサリーやキャンドルホルダーなんかが友人を介して話題になって、たちまち全国で引っぱりだこの作家さんに。主に金属を中心に、廃材や身近な素材を使っていろいろな作品をつくっているそうです。イラストを描いたり、Tシャツのデザインなども。

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ここからはmore than wards で、言葉少なめにダダダダっといきます。
ふるい古民家に射す、清潔な冬のひかりとカージーの繊細な作品が織りなす風景。

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ギャラリーの中には熱心に作品を見ている先客のかわいらしい女の子と三彩さんとカージーさんがいるだけで、きっとすごいファンなのだと思う、その女の子がいくつも作品を買って「ありがとうございました」と笑顔を残して帰ってしまうと、店内はめっきり静かになった。その時間が自分が帰る直前までつづいた。わたしにはなんだかそれがありがたかったな。静かなのが好き。ここに人があふれてると、わたしはどうしていいかわからなくなってしまう。3人で、何を話すともなくポツポツ話した。この個展のあいだじゅう、ずっと天気がよかったけれど、今日も典型的な冬の青空で、外は寒かったけれど部屋の中はアラジンのストーブであったかくて、みんな頬がポッと上気していた。

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カージーさんは作品だけじゃなくて、植物の使いかたもとってもうまい。
どこにいても身近にあるもので自分だけの世界観を創りあげてしまう。
自分の持ち味、作品がイメージするところをよくわかっててそれをビジュアルにできるひと。
わたしが思わず、サンクチュアリみたい! といって撮った写真。

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こんなふうに、何気なくメニューボードが置かれた机の上を見ても。
とても自然で。

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そして、カージーさん自身、とても静かなひとです。
静かに話し、静かにひとの話を聴くひと。
わたしも静かにゆっくり作品を見て、最初に見たテーブルの上にあった、注文を受けてから作るという真鍮の星座ペンダントがついたネックレスをオーダーすることにしました。
後から届くというのも、なんだかカージ-さんからの手紙みたいでいいなと思って。
そしたら、このペンダントをオーダーした人は冬の人ばかりだって。
それも水瓶座の人が多いって。
星座共通の好みとかあるのかな。

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今年で2回めとなるカージーさんの個展。
「また来年もやるの?」と三彩さんに訊いたら、「それがカージーはやりたくないっていうのよ!」っていう。カージーさんの話を聞くと、カージーさんはほんとはもともと同じところで2回はやらないのだそうです。いつもあたらしい場で、あたらしい人と出逢いたいのだって。それを聞いて「へえ」と思った。それって悪くないな、って。
いつも決まった自分のお気に入りの仲間たちとなあなあでイベントをする人が多いなか、そういうのってやるほうは楽しくて心地よくてラクチンだろうと思うけど、それが毎年のルーチンワークみたいになってしまうと行く方としては行く前から中身が想像できちゃって新鮮じゃないし、そういう人たちの作る場って、外から入っていくとアウェイに感じてしまったりする。
カージーさんは明るくて面白い人だし、どこに行っても人気者でいつも賑やかに人に囲まれているのだろうけど、でも同時に孤独の匂いもして、いつも自分のなかにひとり静かに火を見つめる時間を持っているような、そんな気がした。
賑やかに人に囲まれている時間と、自分ひとりの時間。
さみしげな感じと、ひとりの時間を楽しめる孤独に強そうなところと。
それをどちらも大事にしているからどこにでも1人で出かけて行って瞬く間に自分の居場所、自分の世界をつくり、でもその場はあたたかく誰にでもオープンにひらかれている・・・・・・
もちろん、そんなのはカージーさんをよく知る人には全然ちがうといわれるかもしれない。あくまでわたしの感じたことにすぎないけれど。

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いつかまた、ここでもここじゃなくてもいいけど、カージーさんの作品に出合えたらいいなと思う。でもその前に、水瓶座のペンダントが届くのがたのしみです。

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2017年11月11日 (土)

北風に乗って

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風がめぐって、2回めの季節。
めぐみさんが亡くなってもう2年だなんて、月日が過ぎるのはなんて早いんだろう。
晴れて風がつよく、西高東低の典型的な冬の午後、北風に飛ばされるように『やまぐちめぐみ作品展』を観に行った。
外苑前、タンバリンギャラリー。

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タンバリンギャラリーは、都会の中にあって海を感じる場所。
まばゆいばかりに真っ白なギャラリーの中に一歩足を踏み入れると、硝子窓の向こうに海が見えるんじゃないかと、いつもしばし戸の前に佇んで、ぼぉっとしてしまう。
白いコッパンにデッキシューズ、白とネイビーのボーダーTシャツ。
Marina del Rey。
そんな言葉が似合いそうな。
同時にここはこれまで、著作でしか知らない永井宏さんの気配を濃厚に感じる場所でもあったけれど、ひさしぶりに訪れたそこは何かが薄れて、いつかはここもなくなってしまうんだということをおぼろげに感じさせた。さみしい気分。

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それとは別に中は明るくて、いつものめぐみさんの色。懐かしさに包まれる。
個展のときにはいつも戸口のちかくに貼ってある、彼女のプロフィールと小さなモノクロの写真を毎回じっと見てしまう。
写真の中のめぐみさんは、茶目っ気と気難しさとアンニュイな雰囲気を纏った大人っぽいひとで、それはわたしが会っためぐみさんとも感じが違う。できれば元気なころのめぐみさんに会ってみたかったと思う。

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もう何度も書いているかもしれないけれど、めぐみさんの絵のよさはその色彩感覚の素晴らしさ。大胆な構図と、バランスのよさ。シンプルなモチーフに深みを与える、背景の複雑な塗り重ねのうまさ。そこから詩が生まれ、歌が生まれ、物語がはじまるような・・・・・・
繊細なようであってすごく感覚的にラフに描いたような、あまり描きこみすぎないよさ。見たことのない風景が醸しだすノスタルジー。絵の前に立つ人をぼんやりさせてしまう絵。

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何もしてないのに背骨が折れてしまうというような過酷な病状にあって、よくこれだけの、現実からかけ離れたファンタジーを自分の中に持ちつづけ、表現しつづけてこられたと思う。それはほんとうにすごいことだ。それで思いだすのはいつか(まだTVがあったころ)、チャンネルを変えてるときに耳に入ってきた、『アボリジニの絵が人に訴えかける強さを持っているのは、それだけ絵というものが彼らにとって切実だったからです。』というような言葉。めぐみさんにとっても絵を描くということは、日々の(表現という以上に)切実な糧だったのだと思う。

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絵は2年前の作品展のときよりずっと少なかった。
あのときほとんど売れてしまったから。
それでもこうやって有志たちが苦労して作品展をひらいてくれる。
誰かに遺言を遺したわけでも、後のことを託したというわけでもないのにこうやって友人たちが作品展をひらき、めぐみさんを偲ぶ場をつくってくれる。
それって、ほんとうにすごいことです。
ほんとうの意味で、愛ある個展。
そんな作品展は、絵の点数こそ少なかったけれど、懐かしい彼女の世界に浸るには十分だった。
そして2年経って絵の見え方も変わった。
これまではどの絵を見ても彼女のさみしさみたいなものを感じて心に澱が残るようだったのが、いまはどの絵からもしあわせな、あたたかい光を感じる。
それはこの2年の間にすべてが許し、許されたからだと思う。
やっと自由になっためぐみさん。

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めぐみさんは家族の縁は薄かったように思うけれど、友人にはとても恵まれた。
そして、その絵はたくさんの人たちに愛されている。
やっぱり一度の人生で全てを得ることはできないのかな?
それで何度でも生まれてくる。
昔にくらべて人の生まれ変わりのスピードはものすごく速くなっているというのを聞いたのは、もう20年も前のことだから、いまはもっと早くなっているだろう。もしかしたら、生きている間にまためぐみさんに会えるかもしれない。
こんど生まれ変わったら、めぐみさんは何になるだろう。
こんどは最初から絵描きになることを選ぶかな。
何を選んでも、こんどは健康な身体とこころを持って生まれてこれますように。
わたしは・・・・・・
ここまでの人生でひとりで子供を育てる苦悩もかなしみもやりきれなさも、もちろん喜びも、十分に味わったし、まだまだ先は長いから、この次は子供のいない、結婚もしない、自由な身を生きるのもいいかもしれないな。
そんなことを帰りの電車の中で思った。

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春に生まれて晩夏に亡くなっためぐみさん。
そのめぐみさんの待望の作品集が、来年の春ついに出版されるそうです。
タンバリンギャラリーでも予約することはできたけど、わたしはいくつか用があって高円寺のアムレテロンさんで予約することにしました。
めぐみさんの絵はとっても魚座的な世界で、めぐみさんに春は似合うと思う。
来年の春、作品集を手にする日がたのしみです。

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