アートのある場所

2020年11月 7日 (土)

わからないままにしておく

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知樹さんから個展の案内が届いた。
毎年恒例になった陶芸家の三彩さんとのコラボ展。
知樹さんは毎回、個展のタイトルのつけかたがうまいけど、こんどの『わからないままにしておく』っていうのもすごくいいタイトルだな、と思う。『わからない』ということと『すでに知っている』ということは別次元のことで、スピリチュアルの世界でいうと(って、わざわざいうまでもないんだけど自分の中では)『わからない』ことを『わからないと認める(うけいれる)』ってことはとても大事で、すべてはそこからはじまる。そして、『わからないこと』をすべて『わかる』ようにしなくてもいいんだということ。
『わかった』って思うことって時にひどく薄っぺらで、『わからない』ことの可能性と自由さと、その深遠さにくらべたら「それがわかったからって何なの?」ってくらいどうでもいいことだったりする。その『なんなの?』くらいのことでわたしたちは傷ついたり、一喜一憂しすぎる。いい歳になってわたしはようやく最近、そういうことが腑に落ちた。

この世に生きててわたしたちって実はわからないことだらけだ。
何をサインに赤ちゃんが生まれてくるのかも知らない。
松の実がどうやって成るのかも知らない。
わからないことを知りたいと思うのも愛だし、わからないこと(知らなくていいこと)をそのままにしておこうというのも愛だと思う。
知樹さんの描く絵もなんだかわからないけど、愛がいっぱいだからわからないままにしておく。

古民家ギャラリーには今年も知樹さんの絵が描かれた皿やマグカップや鳥のオブジェが賑やかにたくさん並ぶことでしょう。
いまからたのしみです ♡

渡邊知樹 個展『わからないままにしておく』は
阿佐ヶ谷 CONTEXT-S にて、11月17日~23日まで。

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2020年9月26日 (土)

『永遠のソールライター展』を観に行ってきた。

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今日は滅多にないことプールを休んで雨のなか渋谷Bunkamura に出かけた。
来週の月曜で会期が終了する『永遠のソールライター展』をどうしても見たくて、安いチケットを手に入れて。
Bunkamura に行くときは、よっぽど急いでないかぎり、京王井の頭線に乗って神泉から行く。行きは電車もそんなに混んでないし、何よりわたしは京王井の頭線から見える景色が好きなのだ。都心に近いのになんとなく長閑な感じがして、晴れた日は線路沿いが明るく見え、いつかこの沿線に住めないかなとか思っている。神泉から Bunkamura までの道も静かで、こじんまりしたいい感じの食べ物屋が増えて、以前よりずっと浄化された感じだ。どこの街を歩いていても滅多に好きな建物を見ないけど、松濤通りにはシックでクラシカルな雰囲気のマンションもある。もうずいぶん前からわたしはいま自分が住んでいる町に飽き飽きしていて、どこかに引っ越したいけど、でもいざどこに行きたいか考えると住みたい町のイメージが湧かなくて、あるとき、雨が似合う町ならいいんじゃないかとひらめいた。つまり、雨の日に美しい町なら、晴れた日はもっと素敵なんじゃないかって。渋谷に住みたいと思ったことは一度もないし、また住めるわけもないけど、ここ松濤あたりは雨も似合う街だと思う。

そして『雨』といったら、ソール・ライターだ。
ソール・ライターのことは3年前、やっぱりここBunkamuraミュージアムで行われた大回顧展の案内を見て初めて知った。そのときいくつか目にした写真にとても惹かれ、「これは絶対に行こう!」と思っていたのに、忙しさにまぎれてうっかり行きそびれてしまったのだ。今回どうしても行かねばならないと思ったのは、『1950年代からニューヨークで第一線のファッション・カメラマンとして活躍しながら、58歳になった年、自らのスタジオを閉鎖し、世間から姿を消したソール・ライター。写真界でソール・ライターが再び脚光を浴びるきっかけとなったのが、2006年にドイツのシュタイデル社によって出版された作品集でした。時に、ソール・ライター83歳。』と、こんな文章を読んだからでもある。58歳のとき、いったい彼に何があったのだろうか。でもそれはいまの自分にもすごくフィットする感覚だし、『これからは自分の書きたいことだけ書く』といって60くらいのとき新宿の小さな編集室をたたんでとっとと八丈島に隠遁してしまったボス(わたしの昔の職場のボス)にも通じる。60を前にして、ソール・ライターもはっきり自分の人生のタイムラインを変えようとしたのではあるまいか。

いうまでもないことだけど、今年は何が面倒かって、どこに行ってもコロナでいろいろ手順が必要なことだ。
絵を観るのもあらかじめネットで観覧予約が必要だし、ミュージアムの前にいったら予約した画面をスマートフォンに提示してチェックしてもらわなきゃならない。それからコンピュータの画面の前に立って検温、チケットを切ってもらって手をアルコール消毒して列に並ぶ・・・・・・。行くほうも手間だけれど迎えるほうの手間もたくさんあって人件費はかかるし、それに入場制限があるのだから通常通りの興行収入は見込めないだろう。やれやれ、大変なこった。
そうやって入場してみると、中は思いのほか混んでいた。
例によって「展示はどこから見てもかまわないので順番にこだわらずに空いているところからご覧ください」といわれる。それで最初のご挨拶から写真の横にあるテキストをじっくり読むのなんかはあきらめて、人だかりの少ないところから飛び飛びに見ていくことにしたけれど、やっぱりできれば主催者の意図通りに見てきたいものだ。こういう日本の展覧会事情ってどうにかならないものだろうかと毎回思う。そんなだから、ここに引用するテキストの言葉もざっと見た曖昧な記憶によるものであまり正確じゃない、ということをあらかじめ書いておく。

まず最初にインパクトを感じたのは、非常に敬虔で厳格なユダヤ教の聖職者の家庭に生まれたというソール・ライターが、『自身の育った家庭には優しさという概念がなかった』といっていることだ。『優しさがなかった』といっているのではない。『優しさの概念がなかった』といっているのだ。それってどういうことだろう? 
優しさの概念すらない家庭って、ある意味すごくないですか?
そして次に目に入ってきた写真、ソール・ライターの妹と母が映っているモノクロの写真の、母親の顔を見たとき、「ああ、どこの家もまったく問題を抱えてない家ってないなあ」と瞬時に思った。
ユダヤ教の高名なラビであった父親の敷いたレールのまま神学校に通っていたソールは学校では優秀な成績を収めていたものの、厳しい戒律や倫理観に縛られた生活が窮屈に感じられるようになって、しだいに絵を描くことに喜びを見出してゆく。家族ではひとりだけ変わり者だったソールを、唯一理解してくれたのは二歳下の妹でデビー(デボラ)だった。優しさの概念すらない厳しいだけで温かみのない家庭にあって、デビーの存在はどれだけソールにとって救いだったろう。ソールの初期の写真のモデルとなったデビーは、その写真の中で内向的でありながらユーモアも感じられる、繊細で美しい面影を見せている。その写真を見ると明らかに彼女の中にも純粋な創造性と自由への希求が感じられ、家庭の中で変わり者だったのはけしてソールばかりではなかったことが伺える。彼女にとってもクリエイティブな兄ソールの存在は面白かっただろうし救いだったにちがいない。かなしいのは、愛のない家庭がたどり着く末路といえばあまりにもぴったりだけど、そんなデビーが20代で精神障害を患い、82で生涯を閉じるときまで(つまり人生の大半を)ずっと施設で暮らしたということだ。そこには兄がいなくなったことも深く関係しているだろう。

友達に絵が2枚売れたことを機に、ついにソールは父親の大反対を押し切って家出同然に家を出る。23歳のとき。
ニューヨークに行ったのは画家を目指してのことだった。
着いたばかりのころは寝るところもなく、セントラルパークのベンチで夜をすごすようなこともあったそうだ。
12歳のとき母親にねだって『デトローラ』というトイカメラを買ってもらったくらいのソールだから、そのころも写真は好きでずっと撮りつづけていたんだろう。あるとき美術学校に通う友達から「絵だけで食ってくのは難しいけど、写真ならなんとかなるかもしれないよ」と写真を撮ることを勧められ、その友人のひとり(ウイリアム・ユージン・スミス)から古いライカ(!)を譲り受けて、本格的に写真を撮りはじめることになる。芸は身を助く、というけれど、ほんとに何が仕事になるかわからない。何より、好き、ってことがいちばんなんだと思う。
それから独自の表現をつかむまでにはもちろん、数々の人との出会いや技術の研鑽があったにせよ、ラッキーだったと思うのは、もともとソール・ライターの写真に関心を持っていたヘンリー・ウルフが『ハーパース・バザー』の編集長に就任してからはほぼ毎号ソールの写真を起用してくれたことだ。それにより彼は一流のファッション・フォトグラファーとして活躍することになっただけではなく、仕事を通じてその後40年もの生涯を共にすることになる、若き美しきモデルのソームズ・バントリーと出逢った。彼女もまたニューヨークでモデルをしながら画家を目指している女性だった。共に『絵』という、大きな共通項を持つふたりの関係は友達、恋人、同志、家族、といろんな呼び名で呼ぶことができると思うけれど、端的にいってふたりはほんとうの意味でのソウルメイトだったんだと思う。

さて、タイムラインの話。
58歳にして突然、写真家としての第一線から退き、スタジオをたたんでみんなの前から姿を消したソール・ライターはいったいどこに行ったのか。『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』や『エウクァイア』など一流のファッション誌のグラビアを飾った美しいモデルと、それらの写真を撮ったニューヨーク5番街に豪華なスタジオを持つ気鋭の写真家。成功したふたりのことだからきっと都心から離れた風光明媚な瀟洒な家で優雅にすごしたのかと思いきや、まったくそうではなかった。ソールはピッツバーグの実家から初めてニューヨークに出てきて移り住んだのとおなじ街、イースト・ビレッジの長年住み慣れたアパートでその生涯をすごしたそうだ。後からおなじアパートに引っ越してきたソームズとともに。そして驚いたことにリタイアした後のふたりの所持金はほとんどゼロに近かったという。ほんとうにお金に困るとソールは大事にしていた絵画のコレクションを売っていたらしく、それは「ソームズは納得いかなかったと思う」と、どこかに書いてあるのをみつけた。それがどんなことかはこの一年、断捨離と称して不要な物も大事にしてきた物もことごとく売っぱらってきたわたしにはよくわかる。おかげですっかり物欲がなくなってよかった。

そうしてふたりはお金に困っても働くことはせずに、北向きのアパートのやわらかい陽の当たる窓辺で毎日絵を描き、写真を撮って暮らした。そこにはかつての華々しさはない代わりに、ほんとうの暮らしがあった。資本主義や物質主義の消費社会とは遠く離れ、地位や名声、富といったものに背を向けた、ただ創造のためだけの暮らし。その日々の中でソールは長年住み慣れた近所の街や、身近な愛するひとたちといった、誰のためでもない自分のためだけの写真、自分の撮りたい写真を撮りつづけた。それは、『成功のためにすべて犠牲にする人もいるけれど、私はそうはしなかった。私を愛してくれる人、私が愛する人がいるかということのほうが、私にとって大事だ』という彼の言葉にもよく表されていると思う。
また、もともと近くの教会の牧師がアーティストのために建てたという、いまでは築100年以上というイーストビレッジのアパートがもうほんとうに細部に至るまで、まるごと美術品みたいに雰囲気のある素敵な部屋で、そこで撮ったソールとソームズの写真を見ても、彼らがどれだけその部屋で濃密な時間を過ごしたかがよくわかる。
まごうかたなき愛の暮らし。
物理的にはずっと同じところにいながらにしてまさしくソール・ライターはタイムラインを変えたのだ。ほんとうに自分が望むタイムラインに。
それを彼はこんなふうにいっている。
『神秘的なことは馴染み深い場所で起こる。なにも世界の裏側まで行く必要はないのだ。』と。

モノクロの写真やカラー写真、ずっと描きつづけていた絵などの展示の中にひときわ心惹かれるものがあって、それは1977年1月1日にソームズがソールから贈られたという、25×20cmの和紙に描かれた水墨画のような20点の連作で、インクの濃淡で描かれた抽象画。なんとも愛らしい作品で、最後に『ソームズへ。愛をこめて』とサインがあって、それを見た瞬間、「ほんとに愛がいっぱいだなあ!」と思わずちいさく声にだしていってしまった。横のテキストには『それはまるで、水墨による20篇の散文詩でした。』とあったけれど、こんなのをもらったらどんな高価な贈り物をもらうよりうれしいだろう!

でも、そんな無駄をそぎ落とした、ある意味、禅僧のようなシンプルライフも困窮するまでになったらどうだろう?
いくら対等のアーティスト同士といったって、ある年齢から女性は否応なく自分の若さや美しさが日に日に失われてゆくのをシビアに感じているのだ。後半の展示のテキストの中にあった『ときどきソームズは恐ろしい狂気に見舞われ、そうなるとわたしとて、とても正気の沙汰ではいられなくなり、ふたりは支え合うように寄り添ってよたよたと歩いた。ときにそれは家族だけではなく、身近な友人たちの笑いをさそった』というような言葉。たしかにそれを絵として思い浮かべりゃユーモラスだけど、そこまでいったら周りとてもう笑えないだろう、とわたしは思う。
晩年になって運よく再び見出されて脚光を浴びたソールだけれど、残念ながらずっと人生を共にしたソームズがそれを見ることはなかった。
ふたりの間に何があったかはわからない。
でも、ソームズは2002年のあるときバケツを蹴って(絵を想像したらわかるよね?)帰らぬ人になってしまったというから、妹のデビーのことにしても人生っていうのはなんて過酷なんだろうと思う。もしソールが自分の撮った写真をすこしでも人に見せていたらそうはならなかったんじゃないかと思ったりするけれども、ソールには尊敬する偉大な父に認めてもらえなかった自分は取るに足りない人間だという、強いネガティブビリーフが一生を通じてあったようだ。親からの決めつけ、刷り込みっていうのも実に罪深いものだ。

肝心な写真について。
まずいちばんに思ったのはソール・ライターのユニークさ。
ふつうの写真家ならボツにするか撮り直すんじゃないかと思うような、撮りたい対象が障害物にさえぎられた写真が多く見られたこと。ともすると目指す対象より手前のボケた障害物のほうが圧倒的に写真全体を占めてるようなものも多くて、鉄道の鉄柵越しに下を見下ろしたり、店の大きなオーニングの下から遠景を撮ったり、ドア越しや窓越しに撮った写真だったり。被写体にまっすぐに向き合うんじゃなくて、あくまで道端の傍観者として覗き見するような、隠し撮りしてるような写真たち。でも見ているうちにそれらが撮り手の存在感を消して、そこにある一見しては見えないストーリーを浮き上がらせているんだということがわかってくる。どこにでもありそうな光景がストーリーに変わる瞬間。個人的には、カメラを構えたソールが建物の窓に映ったり店の鏡に映ったり、自分の好きな人と多重露出して撮った複雑な写真をセルフポートレイトとしているのがいいと思った。鏡はわたしもたまに使うけど、これいただきって。
仕事であったファッション・フォトについてはきちんとモデルを正面から撮ったかっちりした構図のものが多かったけれど、でもそこにもただのファッション・グラビアを超えて写真を芸術にまで高めようというソールの強い気概みたいなものを感じた。こんな写真が雑誌のグラビアで見られた昔はなんて贅沢だったんだろうと思う。
そしてモノクロもいいけれど、カラーのソールといわれるだけあって、やっぱりカラー写真が圧倒的によかった。
瞬時に捉えたその色の配分、発色の美しさ。
それはソール・ライターが写真家である前に絵描きだったからだろうと思う。
窓ガラスについた雨粒や蒸気のつくるテクスチャ。
雨や雪が見慣れた風景を一瞬にして非日常の絵に変えるのを、彼が胸躍らせて撮っていたのが目に浮かぶようだ。
それはもしかしたら絵で描いたら凡庸に(あるいは冗長に)なってしまうかもしれない、写真ならではの表現。

それからスニペット。
ソールは小さく焼いた、あるいは手で四角くちぎった小さなモノクロ写真を『スニペット』と呼んで、ひそかな自分だけのたのしみとして愛着をもって集めていた。身近な愛するひとたちの写真。ときに読みかけの本に挟んで栞にしたり。
それを見ると彼がどういう瞬間にシャッターを切るのか、女性の何に(どこに)惹かれるのかが丸わかりでおもしろかった。
まるでハートの奥の秘密の部屋に入ったみたいで。
それで思い出したのはいまとちがって昔は紙焼きのサイズもいろいろあったこと。
自分の赤ちゃんのころのアルバムを見てもいろんなサイズの写真が貼られてる。
わたしも若いころ、小さなモノクロ写真が好きであえて小さく焼いてもらった男友達の写真をずっと定期入れの中に入れいたりしたから、その感覚はよくわかる。

いつも自分が好きになるものにはなぜか共通項があっておもしろいけど、ソールとソームズは画家ボナールが好きだったらしい。ふたりが描く絵はどことなくボナールを思わせて、それもよかった。絵描きを目指すくらいだから当然といえば当然なんだけどソールは絵もとてもうまくて、世間から忘れられた存在であることに心地よさを感じていたとはいえ、どうしてこんなひとがあえて極貧生活をしなけりゃならなかったんだろうと思う。人間っていうのはつくづく不思議だ。
ボナールとおなじようにソールとソームズもこよなく猫を愛した。
八割れのアリスと縞猫のピーチーズ、茶トラのパトナムと黒猫のジェス。
ソール亡き後に残ったのがレモン。みんなかわいい名前。
それで長年、猫を飼いたいと思っているわたしたちも次の仕事が決まったらついに猫を飼うことに決めたのだ。
つまり猫と一緒にタイムラインを乗り換えようってわけ(???)
名前はヴァレリーにする予定。
ピアニストのヴァレリー・アファナシエフからとった名前だよ。
きっとふだんは略して「ばーちゃん」って呼ぶことになりそう。
ここに書いとけばきっとかなうだろう。

エントランスを出たところで娘が「ソールは脚フェチだね」っていった。
そうそう! 適度にやわらかそうな筋肉がついたまっすぐの脚だったらマネキンの脚でも撮る、みたいなね。
ソームズも素晴らしい脚をしたカッコイイひとだった。
ほんとにもったいない。

いろいろな思いでミュージアムを後にすると外はまだ雨が降っていて、傘をさしたまま思わず撮ったのが下の写真。
雨の松濤。

ちなみにソール・ライターの部屋が見たい方はここで、
わたしが惹かれた抽象画が見たい方はここで見られます。
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2020年3月23日 (月)

知樹さんのピンク

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今日は朝から三月のライオンがヒステリックに吠えまくってるからいったんは行くのやめたんだけど、遅いお昼のパン買いに外に出たらあまりに陽射しが暖かくて、光がきらきらしてて、急きょ気が変わってバタバタでかけた。吉祥寺のお洋服屋さん『シロ.』で20日からはじまった絵描きの知樹さんの新たなファッションブランド『Pe_』の初個展を見に。
何を隠そう、20代の頃は超洋服好きだったわたし。
いまでも思い出すMちゃんの言葉。
「そうきちさんは洋服ばっか買ってるってSちゃんが言ってた」
ぎゃぼーーーん!!
母にもどれだけそう言われましたっけ、、、か。
当時はまわりもみんなそんな感じだったし、なんたって苦労無しのおうちの子だったから。いまとなっては、あいすみません、って感じです。
でも、そんなこともいまや、おお~昔の話。
断捨離中ということもあっていまはすっかり『買うと買わないじゃ買わないのわたし』になってるから、お洋服かあ~、という感じだったのだけど、でもDMに『超待つ!』と書かれたらそりゃ行かないわけにはいかないよね? (いまのわたしに「超待つ!」と言ってくれる奇特な人がいるだろうか。いや、いない。)
それにシロ.さんのHPの特設ページで見たピンクはなかなかいいピンクで素敵だったのです。
・・・・・・と、初めて行くシロ.さんのあるビルの2階に上がったら、ドアの向こうに見えるピンクの人が渡邉知樹画伯です。

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アトリエ兼ショップだというここは、小さいけど明るくて気持ちのよい空間でした。
ふだんはきっとシンプルでシックなお店なんだろうと思うけど、いまはどこもかしこもピンク、ピンク。ピンクでいっぱい!
でもわたし、過去に何度かピンク・ブームがあってピンクの服ばかり買ってたことがあるくらいで、赤と同様、ピンクって嫌いじゃない。特に今回のは知樹さんのいうピンクをつくるのに苦労した、ってだけあって、すんごくいいピンクなんでした。

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でも自分がいいと思うときってたいていそうなように、まだ会期3日めだというのにこの服の少なさ!
なっちゃん(知樹さんの奥さん)が一点一点丁寧に刺繍をほどこしたお洋服なんて、残り3点しかないのでした。
30着以上作った一点ものお洋服が3日めで3着しか残ってないって、すごいと思う。
残っていたその3着のお洋服(リネンやコットンのシャツやプルオーバー)からも魅力が感じられて、自分の好きな絵の服が欲しいと思ったらやっぱり初日いちばんに来ないとだめだな、思った次第。
で、今日なんたって1番いいのを着てたのが知樹さん!

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相変わらずの知樹さんですけど、中に着たシャツにご注目。
シンプルな白いリネンのシャツに青い糸でエンジェルというかスピリットが3人、それぞれエレメントの付いた棒を持ってて、一番下のスピリットはばらを持ってる。これとってもよかったです。
奥さんのなっちゃんいわく、もともと知樹さんが着るために刺繍をはじめたんだけど、着てるのを見た友達からいいねいいねと言われるうちに、それじゃあ作品にしようかということになったのだって。
それも誰よりも知樹さんの絵を知ってるなっちゃんだからできること。
愛だよね。
今日もなっちゃんは奥のアトリエでひたすらチクチクチクチクやってました。
知樹さんの履いてるピンクのパンツ、とっても履きやすそうで、わたしもサイズがあるうち試着だけでもしてみようかなあ、と思ったけど、なんたって目の前の知樹さんが1番似合うのと、知樹さんとお揃いってのもなーと思ってCD買って帰ってきました。
いちど見て感じもわかったし、シロ.さんのつくる服の感触もとってもよかったから次回、またおなじような展示のときにはぜひとも初日に行きたいと思います。
そして家に帰ってさっそく知樹さんのCDを聴きながら娘作タコスの夕飯。
この『光の雨』っていう知樹さんのCD、個展のときにはたいていバックにかかってるから何度も聴いてるんだけど、あらためて家で全曲通して聴いたらいつも個展会場で聴くよりずっとよかった。わたしの耳がBOSEのアンプの音をこよなく愛してるからってのもあるだろうけど、個展会場のようなある種無機質な空間より、もっと生活に根ざした空間のほうが知樹さんの音にはあってるからかもしれない。すごく日本的な和声を持っている人。
ライナーに書かれた知樹さんの文章もよかった。
知樹さんがどういう人間で、このピアノCDがどういう経緯で生まれたかがわかる文章という以上に、頭に景色が浮かんで。
知樹さんはわたしよりずっと年下だけど、ほんとにものすごくたくさんのいろんな経験をしてる人だと思う。それにたぶん、すごくマイペースで、自分が嫌なことなんてほとんどしてこなかっただろう。そういう意味で、すごく本質的。それは体験するためにこの地球に降りてきたエクサピーコとしてはすごく上等だってことだ。くらべてもしょうがないけどわたしなんかより、ずっと。
個人的には一点物のお洋服が買えなくても、このCDのためだけに行ってもいいと思います。
さて、知樹さんのアートなお皿に載った今夜のタコス。
ポサダデルソルのセルヒオさんがつくるタコスはいつだって最高だけど、家で手作りの素朴なタコスが食べられるっていうのも最高です ♪

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知樹さんのファッションブランド『Pe_』の初個展は3月29日、日曜日まで。
シロ.さんの木曜(26日)定休日を除いて、あと6日です。
残り少ない一点もののお洋服ですが、なっちゃんが毎日チクチク縫っているので、運が良ければできたてほやほやを手に入れられるかも!
仲良しご夫婦でやってらっしゃるシロ.さんも素敵だし、井の頭公園のお花見方々、ぜひお出かけください。

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2020年3月13日 (金)

グヮタラパニャンガの扉 ♡

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今日は国分寺くるみギャラリーで今日から開催の吉川裕子さんの陶展に行ってきた。
ひさしぶりに会う友達と現地集合で落ち合って。
くるみギャラリーは行き慣れたギャラリーではあるものの、世の中は新型コロナウィルスで一変してしまい、今回に限っては迎える方も行く方もなんだか慣れないマスク姿でふだんとは趣を異にしていたかなあ・・・・・・
それでもお客さんが来てくれないんじゃないかという裕子さんの心配をよそに、今日の初日めがけてやってきたかなりのファンとおぼしき女性たちや、わざわざ遠くからやってきてババ―っと大人買いしてゆく方もいて作品は見る間に売れてゆき、開場数時間でギャラリー内はものの見事に品薄状態に。
「わたしは今回は見るだけにする」という友達をよそに、去年からずっと断捨離中のわたしはどうしようかなあ、、、と思ったけれど、よ~くよく眺めた末、小さなお皿を2枚選びました。
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裕子さんのお皿は眺めて楽しいだけじゃない、使い勝手もすごくよくて毎日のように使ってしまうから、けして無駄になることはない。
それに、ほんとのこというと今日は最初から買うつもりで来たんでした。
ちいさくて不思議な、グヮタラパニャンガの扉がほしくて。
買ったお皿を包んでもらっているあいだ、差し出された箱の中に入っていたいろんな色や形の扉の中から、わたしが選んだのはこれ。

どうでしょう?
ちょっと想像してみて。
この扉にあう家の外壁は、木なのか石なのかレンガなのか・・・・・・
ちいさくてもそうゆうイマジネーションが湧く作品を創れるってほんとに素敵です。
それにこれは『どこでもドア』でもあるんだ。
好きな次元に行くための、ね。

個展の帰りは友達とちかくのカフェで遅いお昼をして娘にお土産買って帰りました。
コロナで帰省できなくなった実家の母を心配する友達。
自分たちの行く末を考えあぐねているわたし。
実に頼りないわたしたち。
その頼りないわたしたちが力強く目指すべきどこか。
そして一見みんな独りに見えて、実はみんな繋がっているという事実。

家に帰ってさっそくあたらしいお皿で娘とお茶をしました。
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2020年3月 7日 (土)

グヮタラパニャンガへのとびら

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プールのない土曜日。
スイミングクラブのみんなもきっとくさってるだろうな。
毎日泳いでるようなおばさま方なんて特にすることもなくて。
今年はなんて閉塞感のある春だろう。
そんなところへ届いた吉川裕子さんの個展の案内。
カラフルなDMの裏をひっくり返して、
いつもながらのおおらかなでっかい字で書かれた宛名を見たら、
なんかそれだけで笑えて元気になっちゃった。
個展のタイトルがまた可笑しくて、
『グヮタラパニャンガへのとびら』だって。
グヮタラパニャンガって何?

DMにはこんなふうに書いてある。
 新しい扉を開ける時は
 いつだって
 ドキドキなんだ
 グヮタラパニャンガへようこそ
・・・だって。

こりゃ行かなくちゃね。
わたしも新しい扉をひらいたばかりだ。
この先何が起こるかなんて、だーれも知らない。

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2020年1月 8日 (水)

知樹さんから年賀状とどいた。

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年賀状をださなくなってもう20年あまりになるから、わたしに年賀状をくれる人もそんなにはもういないのだけれど、今日、知樹さんから年賀状が届いた。ちょっとシュールなネズミのハガキ。
知樹さんからは個展の案内のほかにこんなふうに、ときどき旅先からだったり、暑中見舞いや年賀状が送られてきて、1枚1枚手描きのポストカードを見るとやっぱりうれしいし、知樹さんはいまの世の中ではちょっとめずらしいくらい人間関係を大切にしてる人だな、と思う。
わたしもささっと絵が描けたらすぐに返信するのだけれど、頭に描きたい絵はあってもぜーんぜん思うようにならないのだから、いつも思うだけで終わってしまう。つくづく、思うように絵が描けるって特別な才能だなって思う。
わたしは知樹さんの、有機的にはみだしてゆく色の面の中に精妙に描かれた繊細な線が絶妙にマッチした、一見さらっと描いた風で筆を置く完璧なタイミング(宇宙タイミング)がわかるような絵が大好きなのだけれど、今年もその進化系の絵が見られることを望む。
現在失業中で絵を買うどころか先行きすら危ういわたしだけれど、また知樹さんの絵が買えるようにがんばろう!
というか、心底そう思えるような絵に今年もであえることを期待しています!!!

 

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2019年5月 5日 (日)

『五月の虹』を見た。

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わたしがトナカイさんを知ったのはいつだろう?
それは偶然だった。
たしか Twitter で誰かがリツイートしていた写真を見たのがきっかけで、それまで何度も目にしていた『アパートメント』というサイトで、トナカイさんの『地上の夜/この星/の/現在位置』というページを見た。そのトップに載っていた、どこかミステリアスな眼差しをした女性の横顔。それはツイッターで見たばかりの現在の彼女の印象とはずいぶんちがっていて、それで興味を持ったのだと思う。
『地上の夜』はトナカイさんの日常を切り取った写真日記のようなもので、古いものから順を追って見ていったら、わびしい独り住まいのアパートにある日突然ひとりの女の子が現れて、世界が一変したのを感じた。それはまるで以前見た『トニー滝谷』という映画の中で、目の前にひとりの女性が現れたとたん、モノクロだった画面がカラーに変わるのにも似ていた。
あくまで『地上の夜』という世界の中で見てのことだけれど、とつぜん現れたその女の子はトナカイさんの部屋で(まるでもとからいたみたいに)猫のごとき自然さで眠り、目覚め、歯を磨き、見慣れたアパートの部屋の景色を空気からしてやわらかく変えていた。
そして、その後でトナカイさんの『魂について』という文章を読んだ。
そこには『35年間。僕が今まで目にしたあらゆるもののなかでいちばんうつくしいと感じたのは、妻の魂だ。 』と書いてあった。
人が興味を持って何かを追っていくとき、そこには知りたいものの答えみたいなものがあるはずだと思うけれど、そこにはすべてが書いてあるわけじゃなかった。でも、すべてが書かれていないことをわたしはむしろ好ましく思った。なんでも書けばいいってもんじゃない。書かれてないことがあることで、トナカイさんがどれだけ妻の魂を大事にしているかわかったから。
そこにあったのは物語だった。
トナカイさんという人が内包している固有の物語。
いつだってきっかけは些細なことかもしれないけれど、人がほんとうに何かに惹かれてゆくのは物理的なものを超えた物語のほうではないかと思う。

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そうしてトナカイさんの Twitter をときどき見るようになって、つくづく感心してしまったことがひとつある。
トナカイさんがツイートする日常的な何気ないつぶやき。
それはたいてい、愛する妻のことがほとんどなのだけれど、それをまるで自分のことのように喜び、祝福し、時に嘆いたり心配したり、心底うらやましがったりする人たちがたくさんいるということ。
一歩外に出ればうんざりするような現実しかないこんな時代にあって、人間というのは潜在的には清らかでうつくしいもの、やさしさや純粋さ、穏やかでピースフルなもの、もうどこかレトロな感じすらする平凡な家庭のしあわせや『純愛』と呼ばれるようなものにこんなにも惹かれ、求めているものなのかと知ったのは正直言って驚きだった。むしろこんな時代だからこそ、ともいえるのかもしれないけれど・・・。
Twitter での言動を見る限り、トナカイさんはとてもシャイそうな人なのに、妻への愛に関しては誰に憚ることなくストレートでオープンだ。何気ない日常を切り取られて公開されている被写体としての妻は妻で、いつも飾ることなく飄々と、淡々として端正でうつくしく、俗世間とは別の次元で生きているかのよう。ともするとそれは『ハレ』と『ケ』でいうなら『ハレ』が2%で、残りの98%が『ケ』であるような現実的な夫婦生活を送っている者からしたらあまりにきれいごとすぎて作りものみたいに見えたっておかしくないのに、それは作りものでもなんでもなく、ちゃんと存在しているということ。(ちゃんと存在している、と思えるのはそれがまぎれもなくトナカイさんにとって切実だからだ。)そういう宝ものみたいなものを何も持っていない人からしたら(それを見せられるのは)かえって自分の孤独を色濃くすることになりはしないかと思ったりもするのだけれど、そういうことではないらしい。もしかしたらそれは、『峠の灯り』みたいなものかもしれない。そこにいつもあるのを見るだけで落ち着く、というような。
そして、潜在的に清らかなもの、うつくしいものに惹かれる人が多ければ多いほど、それはこの時代の光になってゆくのかもしれないなと思うようにもなった。自分がそんなふうに思うくらいだからきっと、SNSでつぶやかれるトナカイさんの短い言葉や時折さしはさまれる写真以上に、もっと読みたい、もっと見たいという気持ちがみんなのなかで高まっていたんだろう。
3月のある日、トナカイさんがこれまで撮りためてきた写真と最近あらたに書きはじめた詩で展示をしようと思う、とつぶやいた。
その資金をクラウドファウンディングで募ることにしました、といったら、なんとスタート直後たった1日で目標額に達してしまい、当初の希望通り東京だけではなく地方を巡回する規模へと拡大され、みるみる最初の目標額の4倍近いお金が集まってしまった。これにもびっくり。時代には常に良い面と悪い面があるのは当然のこととして、これはまさしく良い面といえるだろう。昔はこんなこと考えられなかったもの!
かくいうわたしはプアだったのと、変なとこシャイだから迷っているうちにいいなと思っていたリターンの枠は完売してしまった。
めでたく開催が決まった展示のタイトルは、『五月の虹』。
トナカイさんがこれまで書いた詩の中で「これが一番いい」と奥さんがいった詩のタイトルをそのままつけたという。見た瞬間、すごくいいタイトルだと思ったし、DMのポストカードがこれまた素敵で、「これは行きたい!」と思った。
アパートメントの文章の中にあった「妻は、僕のことを、大きな樹みたいだといいます。その樹の下では、悪いことは起きない。いろんな動物が休みにきて、仲良く話をしている、そういう樹みたいだと言ってくれます。」といわれるトナカイさんがどんなひとなのか、会ってみたい気もしたし。 
そしてあっという間に展示の日はやってきて、10連休もあと2日を残すばかりとなった今日、行ってきました。東京下町の谷中、『トタン』というギャラリーで行われているトナカイさんの写真と詩の展示、『五月の虹』に。

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家にいるときはわからなかったけど今日は暑いくらいの陽気だった。
外を歩きながらリネンのチュニック1枚で出てこなかったことを後悔したくらいだ。
そうして日暮里で降り、懐かしい『夕やけだんだん』を降りて谷中銀座に行くと、そこはもう原宿の竹下通りみたいな混み方だった。『谷根千』といって昔からこの界隈は人気だったけど、いつからここはこんなになったんだろう。
せっかくプリントした地図を忘れてきたせいで道に迷いながら汗をかきかきやっとのことでトタンにたどり着くと、そこはこんなレトロな一軒家だった。一目見れば店名を『トタン』にしたわけも合点がいく。
玄関の硝子戸は開け放しになっていて、玄関には靴がいっぱい。中にも人がいっぱい。出てくる人を待ってから中に入った。
座敷にあがると厨房にはトナカイさんとおぼしき男の人が珈琲をいれていて、脇には今日の店番のきれいな女の子。
6畳くらいの居間は人が5人もいればいる場所がないくらいで、壁際にいくつか写真と詩が展示されていて、主な展示は2階だといわれて階段を上がって2階に行った。2階も8畳あるかないかくらいのスペースで、壁という壁、襖を外した押し入れに写真が飾られ、南の硝子窓には活版印刷の詩がとめられていた。後でトナカイさんに伺ったところによると部屋に入って右側に飾ってあるのがカンボジアで撮った写真で、左側がインドで撮った写真だという。押し入れの奥まった壁にひときわ大きな奥さんの写真と、手前に詩がピン止めしてあって、なんていうかそれが神聖な祭壇みたいに見えた。写真はどれも光が印象的な作品で、淡く、儚さを感じるもの。その中に強く実存を感じさせる瞬間があって、すべてはもう過ぎたことなのに、過去からいまここへと平行時間のエネルギーを放っていた。雨の日だったりするとまた印象が変わるのだろうけど、晴れた日だったせいで窓硝子から入ってくる自然光がやわらかくてよかった。
そしてわたしにとってはひとつのトピックだった。
今年2月のある夜にふと「詩を書こう」と思って初めて詩を書きはじめたトナカイさんだから、それを5月に公開するっていうのはかなり大胆だなあ、と思っていたのだけれど、今日見たら個人的には写真よりよくてびっくりした。いや、びっくり、というのもちがうかな。あの審美眼の鋭そうな奥さんが「すごくいいからもっと書いたほうがいい」と言ったという時点でそれはもうすでにわかっていたようなものだから。
きっと書きはじめたタイミングが今年の2月だったというだけで、トナカイさんの中にはきっと潜在的な溜めがたくさんあったんだろうと思う。それは今日の写真を見てもわかる。それに『詩』という表現形態はトナカイさんに合っていたんだろう。詩は、謎は謎のままであってよいものだから。
2階の展示をひととおり見て、もと来た階段を降りようとくるりと踵を返したら、ぱっと奥さんの写真が目に入ってきて、それは今日見た彼女の写真の中でもっともよく撮れてるいい写真で、その仕掛けに、この展示はどうやったってトナカイさんの愛のかたちなんだな、と思った。
(家に「ただいま」と帰って、奥さんがあんな穏やかな微笑で「おかえり」と出迎えてくれたら、そんなしあわせってないでしょうね。)

1階2階を通して見てもそれほど広い空間じゃなかったし、そんなにたくさんの作品ではないからギャラリーにいた時間はそれほど長くはなかった。ひととおり一巡して、珈琲を1杯いただくくらいの時間。
2階の展示を見ているあいだもずっと珈琲のいい匂いがしていて、ちょうど今朝は滅多にないこと珈琲豆を切らして飲めなかったから、下に降りてゆくなり、写真集と珈琲をお願いした。珈琲をいれてくれたのはトナカイさん。
わたしも友達から「そうきちさんはギャルソンエプロンして珈琲いれてるのが一番似合う」といわれたりするけど、トナカイさんが珈琲をいれてる姿もまるで喫茶店の人みたいに似合ってて、ちょうど台所の窓硝子から差し込む光がいい感じだったので、「トナカイさんの写真を撮ってもいいですか?」と訊いたら、即「いいですよ」という答えが返ってきた。でも「その写真はできればSNSに載せたりしないで、ご自分だけのものとしてくださると助かります」とも言われた。ブログはSNSとはちがうし、家に帰ってコンピュータで見たらなかなよく撮れてるのがあって残念だけど、それはここにはアップしない。いつか何かの機会にプリントしたものを渡せたら、と思う。
トナカイさんのいれてくれた珈琲は濃いけど嫌な苦みも雑味もなく、とてもおいしかった。珈琲をいれるのがうまい人はきっと料理も上手だと思う。
トナカイさんはツイッターで見る言葉以上に気さくで穏やかで近くにいて心地よい人だった。うちではもっぱら娘に「トナカイさんみたいなひとをみつけたほうがいいよ」といってる。(あ、あと詩人の藤本さんみたいな人ね 。)
写真集にトナカイさんが書いてくれたサインを見たらなぜか「ヤッホー!」と書いてあって、それも「やっほう、といったらそうきちさんだよね」と友達にいわれているのでなんだか「HAAAA---」でした。
まだ次々お客さんが来そうだったから邪魔になったらいけないと思って早々に帰ってきたけど、ほんとはもすこしぼんやりしていたかった。
そして帰りの電車の中でもいろんなことを思った。
電車のドアの横に立って流れてゆく休日の夕方の景色を眺めていたら、これまでたくさんのものを失ってきたと思っていたけど、ほんとうはわたしは何も失っていないんじゃないかと思えたのはなんだか不思議でした。
谷中ではいったん通り過ぎてから戻って甘味屋でソフトクリームあんみつでも食べてやろうかと思ったけど、食べずに子供のお土産にパリジェンヌ(シュークリーム)を3つ買って帰った。子供の日だったから。
それがたぶん、いまのわたしのしあわせ。

トナカイさんの『五月の虹』は谷中トタンで12日、日曜まで。
その日トタンに行ったことが後々まで記憶に残る、きっとそんな日になると思います。ぜひ。

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2019年2月24日 (日)

something on the table

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3月1日からだからそろそろ来るかな、と思っていたら、昨日ポストに届いてました。
WATANABE TOMOKI 2019 EXHIBITION。
渡邉知樹さんの今年最初の個展は国立の『黄色い鳥器店』でです。
知樹さんの個展はいつもDMと、そこに書かれた言葉からして素敵なのだけれど、今回は

  なにかを
  なにかのままにしておく

  そういうやさしさが

  花のようなものを描かせる

  色彩は文脈を拒み

  手の届く言葉が見つからなくても

  あなたは“なにか”を秩序付けることなく

  ただそれを見つめるだろう

とあって、これはふだんの知樹さんを知っているとよくわかる感覚だし、自分が最近やってることもこれにちかい感じだな、と思う。
できるだけ頭で考えるのをやめたら身体も楽になったし、頭の中がビジーじゃなくなった。それでいて、いざというときにはちゃんと言葉が降りてくるから、これがいいんだと思う。
音楽にしても絵にしても何にしてもわたしが継続的に足を運んで行こうと思う相手はそんなにはいなくて、それこそ知樹さんは頭で何も考えなくても個展のDMが来たら行こうと思う、数少ない絵描きの1人です。
楽しみだ ---!

  
   渡邉知樹 個展

   2019年3月1日(金) ~ 10日(日) (4日月はお休み)

   黄色い鳥器店

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気温が上がって、一気に茎が伸びて花がひらきはじめたヒヤシンス!

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2018年12月 4日 (火)

冬の花

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親友のMちゃんがまだ近所に住んでいたころ、冬の夜にアポなしで訪ねたら、自転車飛ばしてハアハア息切らしながらやってきたわたしの顔を見たMちゃんに、「そうちゃんは冬の花だね」といわれたことがあった。
冬の花。
わたしが夏が好きなのは、厳寒の二月生まれだからかもしれない。

今年は妹の引っ越しとブッキングしてしまったせいで初日には行けなかったけれど、昨日暗くなるころ娘と連れ立って行って来た。
渡邊知樹個展『冬の花』。
今回でたぶん、4回めとなる陶芸家の駒ヶ嶺三彩さんとのコラボ展。
今年も三彩さんの作ったたーくさんのお皿やコップやタイルに、知樹さんが絵を描いた陶の作品やアクリル画が空間いっぱいに賑やかに並ぶ。
知樹さんの個展のDMは毎回素敵なのだけれど、今回のDMもとてもよかった。
絵も言葉も。(特に言葉が。)

 春であれば過ち
 冬であれば静けさ
 いずれにせよ
 花の言葉


そのまま詩ですね。
昨日はあいにく三彩さんはいなかったけれど、前髪を切ってますますかわいくなった(知樹さんの奥さん)なっちゃんと、相変わらずとぼけた画伯が温かく迎えてくれた。この古民家のギャラリーも、なくなったらさびしい、ある意味HOMEみたいな場所だと思う。
昨日、わたしが選んだ1枚のタイル。

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これにします、といってなっちゃんに渡したら、あ、それ菜摘が「これなんで売れないんだろう。いいのに」って言ってたやつだー、と横から画伯。
そう、なっちゃんとは気に入るものがいつも似てるのです。
家に帰って包みをあけてわたしが見てたら、「でも、なんでこれ裸なんだろう?」と娘。「さあ。ヌードが描きたかったんじゃない? 絵描きだから」と、わたし。ちっとも答えになってないけど、ああ、もしかしたらそんなところにあるのかもね。売れ残ってた理由。日本人って変なとこコンサバだから。
さあ、わたしの人生にはたして猫と暮らす日々はやってくるのでしょうか?
猫好きの神みたいな男の人とセットで、がわたしの理想なんですけど、、、、、、
それこそ神のみぞ知る!

渡邊知輝個展『冬の花』は、阿佐ヶ谷CONTEXT-s で、7日金曜日まで。
時間は12時から7時。
冬の木漏れ日が美しく揺れるギャラリーにお散歩がてら、ぜひお出かけください。

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2018年10月 7日 (日)

秋のうつくしい日に

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秋のうつくしい日に上野の美術館に行った。
上野も父に縁の深いところだ。
父は絵を見るのが好きだった。
うちの子供たちが小さかった頃には彼らを連れて行ってもくれたし、80過ぎてごくごくゆっくりとしか歩けないようになってからも時々ひとりで行っていた。
父があの歩けない足で、たいした所持金も持たずひとりで上野や浅草をうろうろ歩きまわっている姿を思うと、いったいどんな思いで、と思わずにはいられないけど、でも父からしたら誰かと一緒に行くより、ひとり気ままに歩くほうが誰に気を遣うことなく、よっぽど気が楽だったのかもしれない。
そして子供の頃の父は絵がうまかった。
小学生のとき遠足で出かけた横浜で描いた船の絵は、区の公民館だかどこだかにずっと飾られていたそうだ。父から聞いたところによればかなりの趣味人だったという祖父に、もうちょっと先見の明でもあれば、父の人生はまったくちがうものになっていたかもしれない。少なくとも父は不動産屋なんかになるよりは、小学校の算数の先生になるほうがよっぽど似合っていたと思う。でももしそういう人生だったなら、いまこれを書いているわたしももちろん存在しないわけで、そう思えばわたしの結婚同様、すべてはプログラム通り、それでよかった、ってことなんだろうか。

映画館に行くにしても上野まで絵を見に行くにしても、父はあらかじめ何をやっているか調べて行くような人じゃないから、わざわざ美術館の前まで行っても何も見たいものがないと、辺りを散歩だけして帰って来るようなときもあった。そうしていつだったか、「美術館の中には入らなかったんだけど、ちょうど美術館の入り口の前あたりで、男女5人くらいでアコーディオンを弾いて歌ったり踊ったりしている人たちがいてね、しばらくそれをひとりで立ったまま見てたんだけど、けっこう面白かったよ」というようなことがあって、絵を見たり音楽を聴いたりして、面白い、楽しい、というのも、長い人生のなかでは大切な要素だと思う。平凡でささやかな人生を送る人にとって日常はあまりにも単調すぎるし、それは年老いたらなおさらだと思うから。まだわずかでも好奇心があって、絵を見に行きたい、映画に行きたい、植物園に行きたいといろいろ思って実際に動けるうちが人生花だと思う。

娘と東京都美術館に行くのは『ポンピドゥー・センター傑作展』以来。
つまりもう2年ぶり。
自分でもびっくりしたけど、月日の経つのはほんとうに早い。
今回のレオナール・フジタは、とくべつ好きな画家というわけではなかった。
その絵と人となりについてはNHKの日曜美術館で見て知った程度だったし、そのとき何かすごく心を動かされたというわけでもない。ただ、フランス人にも愛されたという、ベビーパウダーを混ぜてつくったといわれる乳白色の裸婦の絵が見たかったのと、猫を抱いた自画像が好きだった、ということくらいだろうか。
超高齢社会のここ日本では、平日週末祝祭日関係なく常に美術館は混んでいるといってよいけど、会期が終わりに近づいているせいか、この日もとっても混んでいた。あの音声ガイダンスというやつ、利用してる人にとっては便利なものかもしれないけれど、説明が終わるまで絵の前から頑として動こうとしないのは、ほかの人にとっては迷惑でしかない。そうじゃなくたって数分おきに監視員が絵の前で立ち止まるなと言いつづけているなかにあってはなおさらのこと。まったくもって感興がそがれる。日本の絵を見る環境ときたら。
折しも親子そろって間抜けなわたしたちは、上野に着くなり眼鏡を忘れてきたことに気づき、もう今日は絵の横に付いてるテキストは読まずに、好きな絵だけすっ飛ばして見よう、ということになっていた。で、それで正解だったみたいだ。あの人だかりじゃ、順番にじっくり見てたら何時間かかるかわからない。
まず最初に東京美術学校(いまの芸大)時代に描いた1枚の絵が目に留まった。
着物を着た女が描かれた、ちょっと日本画風の油絵。
ふつうにとてもうまい、画力のある絵だった。
その後に飾られた、すでに乳白色の下地を使った細い顔、細長い身体をした女たちの絵はちっともいいと思わなかった。みんな泣いてるみたいな貧相な顔をして、全面のっぺりした地味な色遣いで平面的、ちょっとそれはマンガチックでもあって、ヨーロッパの女を描いたようには見えなかった。(でもちょっとモディリアーニの描く女っぽくもある。)そういう絵がしばらくつづいたせいで、フジタは女の顔に興味がないのかと思ってしまったくらいだ。乳白色の絵でよかったのはこれまでにも見たことのある有名な絵、猫と裸婦を描いた『タピスリーの裸婦』とか、『私の夢』とか『夢』とか。でもそれにしたって人物より猫のほうがよっぽど生き生きとリアルに存在感たっぷりに描けていて、全体として見たとき、フジタはもしかして人より動物のほうが好きだったんじゃないかと思ったりした。でもそれが覆されたのが南米ブラジルからメキシコを旅したときに描かれたという一群の絵で、そこには意志のある鋭い眼差しをした有色の人たちが顔の皺までくっきりと、その精神性まで透けて見えそうなほど力強く、リアルに描かれていて、それまでの絵とはまったく別の迫力があった。絵によってこの画力の差はいったいなんなのだろうと思ったけれど、たぶんそういうことではなくて、フジタという人は描きたいモチーフによっていくらでも好きに画風を変えて描くことができるほど画力があったということなんだろう。同様に、昔から憧れていたという沖縄で描いた女の絵、それから日本人を描いた絵も顔の表情から細部にいたるまでしっかり描けていてとてもよかった。でも人気のあるのはもっぱら乳白色の絵のほうで、 南米の絵の前はガラガラなの。おもしろいよね、こういうの。
そしてもうラスト近くだったろうか。
やっぱりよかったのは今回ポスターにもなっている『カフェにて』と、タッチが似てるからほぼ同時期に描かれたのかと思う、『フルール河岸 ノートルダム大聖堂』が、いかにもパリっぽいアンニュイな色遣いでとてもよかった。このあたりになると老成の境地か。
それと、最後の妻となった君代と日本で暮らした頃に描かれた、四谷左衛門町の日本家屋で和服でくつろぐ自画像がとてもいい絵で、ちゃぶ台の上に散らばった枝豆の殻まで細かく描かれたその絵の中のフジタはどう見たって生粋の日本人であり、そこには日本人としての藤田のアイデンティティーがつまびらかにされていて、最初に書いたようにわたしはレオナール・フジタについてそう詳しいわけではないのだけれど、ポスターのキャッチにもなっている『私は世界に日本人として生きたいと願う』といった藤田が、なぜ洗礼名のレオナール・フジタとしてフランスの土にならねばならなかったかをつよく思わせられた。
大規模な回顧展というだけあって作品点数も多く、駆け足の鑑賞だったけれど2時間はかかったろうか。会場があれだけ混んでいればミュージアムショップもまたしかりで、レジの前にできた長蛇の列を見てふたりともすっかり意欲をなくして、ほとんど何も見ずに出てきた。とくにほしいものもなさそうだったし。

母が亡くなったときは自分の生活がまだいろいろ大変だったこともあってかなり引きずった。親友には「3年くらいかかるよ」といわれて、実際そのくらいかかったように思う。
父の場合は母より20年も長く生きたから、母とくらべたらずいぶん一緒にいる時間を持てたし、また年齢からいったら『天寿まっとう』といって十分な歳だと思う。だから母のときとはちがうけれど、でもこんな秋のうつくしい日、かつて一緒に歩いた上野公園を歩いているとやっぱりいろいろ思いだされて、いっつも父のことを考えているわけじゃないのだけれど、日常のあちこちでふいにわたしは時々、かなしい。

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