'2006東京桜散歩

2006年4月23日 (日)

西郷山公園の八重桜

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都会のど真ん中を歩いていて、いきなり大きな公園に出くわしたり、

鬱蒼とした緑が広がったりするのが東京の面白いところだと思う。

東京は世界でも最も人の手のかけられた緑の多い街だそうだ。

旧山手通りを歩いていたら、向かいの変わったレストランの向こう

に、なだらかに広がる丘みたいなのが見えて、あれは何だろう? 

と思って車道を渡って行ってみたら、なんと芝生の広がる公園だっ

た。しかも高台にあって街が一望できる。なかなか素敵だ。

ここが あの 西郷山公園か。公園のなかは、ベンチで休憩中の勤

め人や、犬の散歩をしている人、デート中のカップルなど。

数本ある濃いピンクの八重桜が、ちょうど満開できれいだった。

私が写真を撮っていたら近づいてきた2人連れの若い女の子、

「なに、この桜。全然はかなくな~い。すごく元気! って感じ」

と言ったのが可笑しかった。みんな思うことは同じのようで。

八重桜はおはしょりをした着物姿の元気な女の子。

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2006年4月15日 (土)

八重桜

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一重の桜が大人の女の色香なら、八重桜は無邪気な子供。

小さな女の子のバラ色の頬。

今にもかわいい女の子たちの、くすくす笑いと賑やかなお喋りが

聞こえそうだ。

こんどはもっと青空の下、輝くばかりの君たちの笑顔が見たいな。

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2006年4月14日 (金)

いま満開の桜

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昨日、近所の霊園の中を自転車で走っていて、いま満開の桜にであ

った。私のデジタルカメラのフレームにはとうてい納まりきらないくらい

の大木。桜としてはあまり背が高くなく、横張り型の変わった樹形。

これはなんていう桜だろう。

今にもふたたび泣き出しそうな曇り空の下、桜だけ見ていると、そん

なことさえ忘れそうな明るさ。

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そしてもうひとつ、名前のわからない桜。

桜の季節が終りそうないま、このままだとお蔵入りしそうなのでアッ

プします。小振りで細い花びら、直立型で背の高い木、風に震える

純白のこの桜は、なんていう桜でしょう?

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2006年4月12日 (水)

桜と砂まんだら

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2日前から降り始めた雨が昨夜から激しくなり、朝になっても激しく

降っていた今朝、今日もこのまま3日降り続けるのかと思ったら、

やっと昼前にはやんで、さっきから空が少し明るくなってきた。

ここ数日の雨で、桜はいっそう葉桜に近づいたことだろう。

濡れた歩道にはたくさんの花びらが落ちているだろう。

この春、たくさんの桜を見た。天候によって時間帯によって、また自

分の心の有り様によってもその印象は驚くほど違うのだが、穏やか

に晴れた日の午後に満開の桜の木の下にいて感じるのは、いつも

桜の優しさと情愛の深さだったように思う。優しさと深い情愛と潔さ。

それは日本人が古来から持つ特質じゃないだろうか。

激しい花吹雪の下にいたら砂まんだらを思い出した。

まんだらとは仏さまの世界を描いたもので、宇宙の理法の全てが含

まれている絵図であり、仏の悟りの世界(宇宙)を表現したものだと

言われている。砂まんだらは土壇の上に5色の砂で様々な幾何学文

様や神像を描き、天上の神々を招き、供養して祈願する聖なる儀式

で、チベット仏教では現在でも様々な修法や儀礼として行われてい

る。私は実物の砂まんだらを目黒の寺の中にある美術館の中でガラ

ス越しに見たことがあるが、本来はそのように常設するものではなく

儀式が終れば壊されて川に流されるものである。

いつかその儀式の一切を養老猛の脳の話の特集番組の中で見た。

その儀式に参加できるのは僧のなかでも何年も瞑想の修行を積み

習得した高僧だけで、そのときは世界平和を祈願して行われたが、

僧たちは祈りながら細い筒の中に入れた色砂をものすごい集中力

でわずかずつ落としながら細密な絵を描いてゆく。そうして7日間に

渡って描かれた完璧な砂まんだらは、それはもう美しく圧巻である。

完成後は僧全員で祈りの儀式が行われ、問題はその後だ。

7日間、丹精こめて描かれた砂まんだらは1人の高僧によっていきな

り、まるでピザにカッターを入れるように放射状に線が切られてゆく。

このとき取材に行っていたタレントは、突然の出来事にカメラが回って

いることも忘れて口を開けてあっけにとられていた。そして、すっかり

崩されたまんだらは、最後はまたただの色の入り混じった砂になって

掻き集められ、僧たちによって全て川に流される。TVの画面を見て

いた私も、思わず一緒に見ていた下の子に、「なんて美しいんだ。こ

れって人間が創造し得る最も美しい造形物じゃないか?」と言った。

そのとき私の頭にひらめいたのは『執着』という言葉だ。

執着というのは仏教においては業のひとつである。

『もののあはれ』、は朝に咲いていた花が夕には散っていることなど

に表現され、無常観は日本人のメンタリティーの根幹をなしているも

のだと思うけれど、この世の全てのものは移ろい、ひとときたりとも

ここに止まってはいないのに、人は執着を持つために苦しむことにな

る。長い時間を費やして作った美しいものを一瞬にして無に帰してし

まう砂まんだらは、執着を捨て、執着から開放されることで、人が楽

になれるということを教えてくれているようだ。そして更に言うと人は

何にでも慣れてしまう生きもので、慣れ親しんだものには安楽を覚え

変化に対しては苦痛を感じる。けれど人が成長するためには変化と

いうのは不可欠で、変化と苦痛を受け入れてそれを乗り越えてこそ、

精神的な成長があるということらしい。

毎年どんな受難に見舞われても、ひとたび明るい陽が射し始めれば

恨みがましいところなど微塵もなく、何事もなかったように美しく咲く

桜には理由なく人は癒されるし、いっせいに咲いたかと思ったら散り

際も鮮やかな桜に、日本人はそのメンタリティーを投影して魅せられ

る。そしていかに人が執着心を捨てられようとも、生きている限り永

遠に記憶に刻まれる美しい思い出というものがあって、それこそが

人にとっては見えない宝物じゃないだろうか。

桜の下でそんなことを考えた。

 * 砂まんだらについて知りたい人は → ここを。

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2006年4月 9日 (日)

昨日、桜の下で

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いつの間にか降り出した雨が、いつの間にか上がったと思ったら、

外は陽光が降り注いでいた。昨日。

前日の息子とのバトルで7時間眠って起きた後もあちこち痛く、鏡で

見たら息子に力まかせに掴まれた腕には青あざができているし(男

の子ってなんであんなに力が強いんだ?)、頭痛がして気分もブル

ーなのでプールに行くのはやめようかと思ったけれど、そうやって

自分を甘やかし始めるとキリがないので、行く。

何があってもコンスタントに続けること。いま、それが唯一できている

のがプールなら、やっぱり行かないと。ね。

雨上がりのフレッシュな大気のなか、背が伸びた菜の花がいっせい

に太陽の方を向き、花の香りでいっぱいの道を自転車で走れば、も

う心は青い水の中だ。そんな状態でもそこそこ泳げるのは、これでも

前よりは上達したってことなんだろうか。

帰る途中にある枝垂桜も、先週は2分咲きだったのが今や満開。

少し気分が良くなったら、誰かさんの声が聞きたくなった。

あいにく電話はつながらなかったけど、一日が終る前に声が聞けて

よかった。少しは何か通じたのかな。 Thanks ! K.

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2006年4月 6日 (木)

花風

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今日はやっぱり晴れて青空。

友人のマンションの前の桜もこんな風。

「ママ、雪が降ってる!」

今朝、彼女のうちの3歳の娘はそう言って騒いだらしい。

雪と見まごうばかりの花吹雪。

この位置ならきっと部屋まで花びらが舞い込んでくるだろう。

3歳の君は明日、幼稚園の入園式。ぴかぴかの年少さん。

桜の舞い散る園庭を、セーラー服で走り回る君の姿が見えて

きそうだ。

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SAKURA ドロップス

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昨日、冷たい雨のなか咲いていた桜。

こんなのを見ると思わず宇多田ヒカルの歌を思い出してしまう。


 恋をして 終わりを告げ

 思うことは:これが最後の heartbreak

  (宇多田ヒカル 作詞作曲『SAKURA ドロップス』)


人はどうして出逢ってしまうんだろう、なんて考えていた昨日。

いま6日に日付が変わって少し経ったばかりのところ。雨はとっくに

やんで、朝が来れば太陽はまた輝いてるのかも知れないけど。

そう、今日は父の75歳の誕生日。

夜にはバースデー・ケーキを持って実家にゆく。

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2006年4月 5日 (水)

テニスコートの桜

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去年の秋で閉鎖された、テニスコートに咲く桜です。

かつて満開の桜の下、散り始めた桜の花吹雪の下で聞こえたテニス

プレーヤー達の歓声もしないし、笑顔もないし、球を打つ、あの単調

で緩慢な乾いた音ももうしない。ちょっと、さびしい。

あの時計の針が指してるのはたぶん永遠の夏の日の午後。

なんてね。

ここは地下に電車の線路があるから高い建物は建てられないらしく、

一戸建ての分譲住宅が建つらしいと言われている。

片側は水道道路に面していて緑が多く、建物は建たないから日当た

りは良いし、隣りの敷地は御茶ノ水女子大の持つ畑で、駅からは徒

歩5、6分の近さときてる。さぞかし瀟洒な住宅が建つことでしょう。

(壊すならいつまでも放置しとかないで、さっさと壊しちまえ!)

せめて願わくは、巨木となった桜とケヤキの樹を切らずにおいてくれ

ることを。儚い望みかも知れないけど。

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2006年4月 4日 (火)

’2006 お花見!

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今年もやってきました。毎年恒例、我が家のお花見。

我が家のお花見とは井の頭公園でボートに乗って、水上から見る桜

のこと。ついでに手に豆を作って帰って来るのもご愛嬌。

ところが日曜は一家で家を出た途端にポツポツとあいにくの雨。あき

らめて家で借りてきたビデオ『たそがれ清兵衛』を見てたそがれる頃

には外は土砂降りの雨に雷。桜も今宵限りかと思いきや、思いのほ

か強いのがまた桜。

昨日は朝から気持ちよく晴れて絶好のお花見日和!

・・・ と言いたいところなのだが、昨日の東京は強風注意報が出るほ

どの強風なのだった。で、ご覧のとおり井の頭公園の池も昨日はス

ワンの乗車は中止。水上は手漕ぎボートと足漕ぎボートだけなので

あった。

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我々も例年通り、手漕ぎボートに乗って、母がせっせと漕ぐのであ

る。でも、いくら力いっぱい漕いでも漕いでも向かい風に押されて前

に進まない。気づくとボートは回り始め、いつの間にか水面にまで枝

垂れたトラップのような桜の木の下に追いやられている始末。

せっせと漕いでいる母は暑いくらいなのだが、子供たち2人は涼しい

顔で、風で寒いとか言っている。いつものようにオールを置いてゆっ

くり水上で桜をバックに写真を撮ることもままならず。というか、強風

に煽られている桜はほとんどブレて白い塊になっているのでした。

かろうじて撮れたのが下の写真。すごい桜!

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でも、昨日はすごい強風のために操縦不能になる人が続出。

足漕ぎボートで桜の枝に突っ込んで出られなくなったり、岸に戻れな

くなったりで、そのたび通報を受けたボート乗り場のお兄さんがモー

ターボートに乗って救出に。手漕ぎボートの人をモーターボートに移

して、一度に手漕ぎボートと人が乗ったままの足漕ぎボートを牽引し

てゆく光景が何度も見られたのでした。こんなことは、ここでの我が

家のお花見始まって以来のこと。下の写真、風で水面が波立ってい

るのがわかりますか?

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それでも強風ものともせずに(?)陸に到着することリミットの3分前。

今年もしっかり手に豆3つもこさえて、60分に渡る水上ランデブーを

終えたのでした。降りるとき、お兄さんに「今日は救出、大変だね」

と言うと、お兄さん、うつむいて一言「ヤバイっす」。

それで強風の中お花見の後は、強風の中の砂混じりのランチ。園内

にいつのまにかできた無国籍カフェ、PEPACAFE FOREST へ。 

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下は4つのうちから選んだ、タイ風挽き肉入りオムライスのランチ。

生春巻きにコンソメスープに揚げ春巻きのサラダにTea or Coffee

で1050円也。お腹いっぱいになりました。砂も一緒に食べたと思う

けど。ちなみに海南鶏飯を食べた息子は「ぼくの食べたのが1番旨

かったと思うね。だってタイ料理でオムレツなんて邪道だよ」ですと。

いろいろウルサイ息子なのでした。

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裏から見たボート乗り場。

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そして、桜、ラクウショウに混じって、なんて新鮮で美しい柳の緑!

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こうして終った今年のお花見。

今度来るときは上の子が18歳で下の子が15歳。

果たして来年も一緒に来られるでしょうか ・・・

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2006年4月 3日 (月)

武蔵関公園の桜

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前述の石神井川の桜並木に沿ってまっすぐ行くと、そこにあるのが

練馬区立武蔵関公園。大きなひょうたん型の池に沿って様々な樹木

が植えられたこの公園は、近隣の住民にとっては憩いのオアシス。

ここは公園全体が桜というわけではないので、午後にはもう花見客も

去り、ボートに乗る人が数人、散歩途中にベンチに座って桜を眺める

人がわずかにいる程度の静けさ。それにしても水のある風景というの

はなぜこうも和むのか。近所にこんな公園があったら、夏の朝や夕暮

れなどはいいだろうなと思わせる。

公園を取り囲むように高台に建っている住宅は、どこかリゾートハウ

ス風で個性的な家が多い。日当たりの良いベランダと庭がついて、

緑の多い公園を見下ろすロケーション。

ここに来るたびにいつも、母はこんな家に住んでたらもっと幸せだった

かなあ、なんて思ってしまうのです。

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桜の花の下、水の上を季節が移ろってゆくね ・・・

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花のベンチで君と何を語ろうか ・・・

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ちょっと待って。オール漕ぐのをやめて、少しここにいようよ。

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