父の認知症

2016年3月26日 (土)

困ったもんだなぁ・・・。

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昨日めずらしく夜に家の電話が鳴って、出ると妹だった。
「あの、先日はお世話になりました」とあらたまって他人行儀にいうから何かと思えば、「実は今日、父が転んでケガをしてしまったんだ」というので、「ええっ?!!」とびっくりしてしまった。
担当医はもうお風呂に入ってもかまわないといってたから、てっきり昨日はいつもどおりデイサービスに行ってるものと思っていたけど、どうやらそうじゃなかったらしい。
退院した後に熱が出る場合もあるから、という医師の言葉を受けて、大事をとってデイサービスは来週からにしたのだそうだ。退院してからのここ数日も寒の戻りで寒かったから、まさか父が外に出かけるとは妹も思ってなかったんだろう。

ところが、昨日みたいな寒い日に、よりにもよって父は家から父の足だとゆうに片道20分はかかりそうなスーパーマーケットに買いものに行き、いっぱいに買いものをして両手荷物で家の近くまで戻ってきたところで、疲れて足がもつれたんだか何かに躓いたんだかわからないけど、転んでしまったのだという。下はコンクリートで、両手がふさがっていたから顔から転んであちこち切って血まみれになって倒れているところに若い男女が通りかかって、「だいじょうぶですか」と声をかけているところに近所に住む昔からの母の友達が自転車で通りかかって、こりゃ大変だ!とばかりにすぐに妹の職場を調べて妹に電話をくれたのだという。

妹の話を聞いてるだけでも事の顛末が頭に浮かんで、もうまったく。退院したばかりだっていうのに何やってるんだか・・・・・・ (>_<) という気持ちになったけど、いまの様子を聞くと、父は顔のあちこちをぶつけて腫れたり擦り傷ができたりしていて、見るも無残なことになっているらしい。舌も切ってしまったから、しばらくはまともにものも食べられない状態だという。
いったいそんなことになるほどスーパーで何を買ったのかというと、お味噌とかジャガイモとか、重いものばかり。しかもみんな家にあるものばかり。という妹の言葉を聞くと、父はもうほんとうにまともな判断力が全然なくなってしまったんだなあ、と思う。

入院するまでだっていろいろあって大変だったのだ。
それがやっと緊張するオペも終わって、無事に退院してまだたった2日でこれなのだから、一緒に暮らす妹のげんなり感たるやハンパないけど、今日は妹より近所のおばさんが烈火のごとく怒って、「どうせ娘のいうことなんか聞かないんでしょうから、わたしが言ってやる!」とばかりに痛い思いをしてへばっている父にこんこんと説教したらしい。
父としては泣きっ面にハチだけど、自業自得だからしかたない。

職場から現場に駆けつけた妹と家に帰り、忙しいなか往診に来てくれた近所の医師の処置を受けた後は父はしばらくしゅんとしてたけど、心配する妹を気遣ってか、いまは「おとうさんはだいじょぶだ。たいしたことない!」とカラ元気でいるとのこと。
唯一、不幸中の幸いだったのは見た目の酷さの割には骨折とかはしていなかったこと。
それで妹は、父の顔の腫れは今日より明日のほうが酷くなるだろうし、しばらくは流動食しか食べられないから何を作ってあげるとかいうのもないし、家で寝てるしかないからとうぶん1週間くらいはお姉さんは家に来ないほうがいいよ、という。
父の惨状を見たら姉はまたショックを受けるだろう、という妹の配慮なのだと思うけど、妹と話すなかで何度も「お姉さんは来ないほうがいいと思うよ」と繰り返すので、「わかった。それじゃあ、ほんとにしばらく行かないよ」といって電話を切った。

そうして今日、プール帰りに水道道路を通ればここ数日よりずっと暖かく、昨日はショックと怒りと落胆のほうが大きかったけど、ひとあし早く満開の桜の下にいたら、父もほんとに馬鹿だなあ。退院してすぐの昨日みたいな寒い日にあわてて出て行かなくても、今日まで待ったら暖かくてのんびり休み休み歩けてイタイ思いしなくてすんだのに、という不憫な気持ちになった。
前にも書いたけれど、父の脳のCT画像を見た医師が頭を抱えてしまったほど、父にはできることとできないことのギャップがあって、行動が予測できないのだからいけない。
たとえば医師が信じられなかったことのひとつに夕飯の買いものがあるけれど、父は問題なく買いものができるどころか、買ったものをいちいち帳面に付け、味噌汁と野菜炒め程度の簡単な料理だったら自分でできるし、洗いものもする。電話番号を見ながらだったら電話もかけられる。そして、これはわたしたちでさえ驚くことだけど、シルバーパスで都バスと都電を使って最も安い交通費で自分の好きな浅草に片道3時間近くかけて行って帰ってきたりする。それも近所の人や娘へのお土産を買って。
そんなふうだから、一緒に暮らしていると父がどの程度キケンな認知症患者なのかわからなくなってつい自由にさせていると、今回みたいなことになる。
といって、犬や猫みたいに紐でつないだり家に閉じ込めとくわけにもいかないし。
ほんとうに困ったもんだなぁ・・・・・・

プールの日は帰ったら帰ったでやることがいろいろあって泳いだだけで疲れてるし、目の下にはゴーグルの痕もついてるから基本もう家から出たくないのだけれど、夕飯の準備をして子供たちだけ食べさせたあと父に一筆書いて、もう夜の8時をまわってから朝焼いたプリンと一緒に、まとめ買いしたレトルトおかゆだの野菜ジュースだの重いものばかり持って実家に行った。もう遅かったし疲れていたので家には上がらず、玄関で荷物だけ渡してとんぼ返りして来た。
このあと1週間は妹のいうとおり実家には行かないつもり。
来週はいろいろ予定も入ってるし。
それで1週間と少しもすると、父の85歳の誕生日がやってくる。

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2015年6月 4日 (木)

父の記憶

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今日が誕生日の妹のためにワインとチーズを持って昨日の夕方、実家に行く

と、父はお寿司を買って待ってくれていた。家を出る前に電話しておいたら、

私が来るからと、わざわざ駅前にある千代田寿司まで行って買ってきてくれた

らしい。そんなことは滅多にあることではなかったけれど、先月、父の1ヶ月遅

れの誕生祝いをみんなでしたときに、私がお寿司をご馳走したことへの父なり

のお返しのようだった。なんてことだろう。これが激しく脳が委縮した人のする

ことだろうか。

先日、病院の物忘れ外来の診察室で、医師の質問に答えて私が「父は家の

中を歩き回るだけじゃなくて、雨の日以外はひとりでほぼ毎日歩いて買い物

に行っています」というと、医師は「買い物のトラブルはないですか」と訊いた。

私はすぐその意味するところを解したけれど、妹は「同じものを何度も買って

きて困るようなことはあるけれど・・・」といいかけ、私が「そうじゃなくて、先生

はお店の人とのトラブルのことをいってるんだよ」というと、医師は「店での金

銭トラブルはないですか?」と訊き直した。

もちろん、そんなものあるわけなかった。

それどころか父は、ときどき都バスのシルバーパスを使って、どうやったら自

分の行きたいところに1番安い交通費で行けるかを考えて行くことができたし

そうやって都バスを乗り継いで片道2時間以上もかけて行った浅草で、妹に

お土産の菓子折りを買ってきたりもする。(買ってきたお土産は帰るとちゃん

と母の仏壇の横に載っている。)

父の介護レベルは現在2で、いまは週に2回、デイケア入浴サービスを受け

ていて、父いわく金曜日のお風呂屋さんはバーサンばっかりでつまんないけ

ど、火曜日には面白い男がいて、その人が将棋をやろうやろうというので毎

週その人と一緒に将棋をするのが楽しみなんだ、といったりする。(将棋?)

相手は自分より若くて強いから、たいてい3回に1回くらいしか勝てないけど

ね、というので、私は(ふ~ん、それでも父が勝つこともあるんだ)と思う。

どれもあの医師が聞いたらびっくりすることばかりだろう。

聞かせてやりたいくらいだ。

この先、徐々にできなることも増えてくるのかもしれないけれど、でも父の現

状はこんなふうなのだ。

昔だとこういうとき、つまり用があって仕事の後に実家に来て、用が済んだら

またすぐ帰らなきゃならないような夕飯前の時間に父が何か出してくれても

私は食べずに帰って来るようなことが多かったけれど、さすがにこの前あん

なことがあった後では、なんだかこれが非常にありがたいことのように思えて

腰を落ち着けて食べて帰ることにした。

お寿司は私と妹の分しかなかったから、理由をつけて父の皿にも分けて食

べながら、食べることよりひたすら喋りたい父の話を延々と聴きつづけた。

父は古いことはよく憶えていて、支那事変に次ぎ、大東亜戦争前後に自分

がしていたこと、働いていた職場や、職歴などについての話を聴いた。

まだ東京の町なかを牛車が通り、人がリヤカーを引いて走っていたころ。

たった5、60年前のことだとは思えない。それらはもう何度も聞いた話もあ

ったし、なかには初めて聞く話もあった。でも、そこに通底しているのは父が

いかに負けず嫌いの働き者だったかということだ。父は一見、温厚でおとな

しそうに見えて、実は人に指図されたり、こき使われるのが大っ嫌いな人だ

った。若いころは客商売で自分の中に生じた憤りを我慢するストレスから十

二指腸潰瘍になってしまったほどだった。実はプライドがとっても高いのだ。

だから、このあいだの診察室でのことは、父はあのときこそ何もい

わなかったけど内心はずいぶん自尊心が傷つけられていたのだった。

けっきょく最後はこのあいだの話になり、自分がやらされたことを「あんなく

だらないこと」というので、なぜ医師が父にああいうことをちゃらせたのかを

きちんと説明したうえで、でもあのいいかた、やり方はなかったね、というと

父はやっと納得したようだった。

まだ何もわからないような小さな子どもにだって考えてることはあるし小さな

プライドもある。少々ボケているとはいってもお年寄りにはお年寄りなりの自

分が生きてきた人生経験からくる自負や考えがある。

少なくとも父はちゃんと話せばまだわかるところにいるのだから、『アルツハ

イマー』という括りで何もわからない人のような扱いをされたくなかったという

ことだ。それはお年寄り相手の医療に従事している人たちにはわかってほし

いことだと思う。

私には母が亡くなったあと後悔していることがひとつあって、それは母が元

気だったころにもっと母の昔話を引き出してちゃんと聴いておくんだったとい

うこと。いったい樺太のどのあたりに住んでいて、どんな家で、どんな暮らし

だったのか。本土に還って来てからはどこの親類の家にいたのか、どういう

変遷をへて東京に暮らすことになったのか。いまとなっては叔父たちにでも

聴くしかないけど、そんな話をする機会がこの先あるかどうかもわからない

まま、叔父たちだってもう2人亡くなった。

父には忘れないうちに自分の年表でも作っておいたら、というのだけれど、

父にはもうそんな気力もないようだ。とにかく父は人と喋りたくて喋りたくてし

ょうがな人なのだから、せいぜい私は聴きだして、あとはこんなふうにつまら

ない文章にでもして残しておくしかないかな、と思う。

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2015年5月27日 (水)

脳のMRI画像

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妹に、父をいちど認知症外来みたいなところに連れて行ったほうがいいん

じゃないかといったのは、父のいまの状態が単なる老化によるものなのか

それとも病的なものなのかをはっきりさせたほうがいいと思ったのと、もし

ある日突然、父にとんでもないことが起こったときに、一緒に暮らす妹が困

ってしまわないようにしたかったからだった。私のなかに『たとえ病気だとわ

かったからって何になる』という気持ちが全然なかったわけではないけれど

おなじ何か大変なことが起こってしまったときでも、事前にそれに対する知

識と心構えがあるのとないのじゃ、ぜんぜん話が違うだろうと思ったのだ。

それに今年に入ってからのことだけを見ても、父の歩行機能の著しい悪化

と、声が出にくくなって以前にもまして滑舌が悪くなったのはとても気になる

ところだった。

去年、転職していまは近所の個人クリニックで働く妹は、クリニックに来るた

くさんのお年寄りたちとくらべても、父はまだだいじょうぶなんじゃないかとい

ったけれど、私にはもうそういうレベルはとっくに超えているんじゃないかとい

う気がしていた。結果的には妹のほうで一連のやりとりがあったあとに4月

に父を連れて物忘れ外来の初診に行き、簡単な質疑応答のテストのあと

いくつか検査をして、それから2ヶ月に渡って脳波の検査と脳のMRI、脳の

血流の検査が行われた。

そして、それらの検査を踏まえて医師の診断を聞きに行くのが今日だった。

それはもう何年も定期的に父と通っている病院ではあるけれど、私は一度

も行ったことのない階にあり、名前を呼ばれて3人で入って行った診察室は

私の想像とはまるで違うものだった。まず部屋に入ると、正面を向いてずら

っと並んだインターンらしき白衣を着た若い10個の目と医師と看護婦の目

がいっせいにこちらを見た。今日が初診じゃないからか若い医師は自分の

名も名乗らず、彼はいきなり父に「ちょっと歩いてみて」といった。たくさんの

目が向けられているなか、父がたどたどしく窓に向かって歩いて行って方向

を変えて立ち止まると、医師は面倒くさそうに「戻ってきて」といった。父が戻

ってくると、医師は「もういちど」といった。それが無機質に2回繰り返された。

それでやっと父が椅子に着席したあと私の目に入ってきたのは、ちょうど父

の顔のすぐ前に貼ってあった脳のMRI画像の大きな写真だった。それを見て

驚愕した。それはまるでロールシャッハテストの蝶みたいな形をしていた。

もう何年も前のことになるけど眩暈がひどいので耳鼻科に行ったらメニエー

ル病を疑われて、私もMRIを受けたことがあるから正常な人の脳の画像が

どういうものかは知っていた。父のは素人が見てもあきらかに異常な脳の画

像だった。

その後のことは逐一思いだすのも嫌だから詳細には書かないけれど、それ

から医師は父にいろいろ質問をし、早口言葉を繰り返しいわせ、自分の指

の形を真似するようにいい、いくつかの動作をやってみさせた。父にはでき

ることもあったし、できないこともあったけれど、概ねできたほうだと思う。

でも医師にはできたことのほうが問題だった。

つまり、これまでの検査結果と異常な脳のMRI画像からしたら父は重度の

アルツハイマーということになり、自分ひとりでは何もできない人ということ

になるのに、実際の父は医師が質問すること(トイレとか食事とか)以上に

いろいろできたからだ。もちろん、それは健常者の数倍も時間をかけての

ことだし、いろいろミスもあったけれど、それでもじゅうぶんに医師を驚かせ

るくらいのことではあった。

医師は、昨日この画像を見て私が判断したことと実際の状態があまりに食

い違っているので困惑している、といった。この画像と検査結果からいって

アルツハイマーで間違いないと思うけれど、でもほんとうにそれだけなのか。

正直いって、全然わからない。判断しかねる状況です、と医師はいった。

若い医師は老人にはちっとも優しくなかったけれど、いっていることは明晰で

ストレートだった。

ただいえることは、と医師はいった。これだけの脳の変形があるということは

これはここ数年で起きたことではない。たぶん10年とか15年という長いスパ

ンで起きた委縮だと思う。

医師がそういうので、「15年だとしたら、母が亡くなって今年でちょうど15年

になるので、父が日中、話し相手もなく独りで家にいるようになったころと合

致しますね」と私がいったら、「話し相手がいなくなったということと委縮は何

の関係もありません」と医師にぴしゃりとやられた。

そうなのか、と私は思っただけだ。(でも、ほんとうにそうなのか?)

医師の話を聴きながら私が勝手に頭で考えていたのは、高度先進医療だ数

値だデータだエビデンスだといってもけっきょくいまの父の状態がわからない

としたら、人はそんなものだけでは限定できない精神性や霊性や、もっと複

雑にして精妙なたくさんのファクターによって成り立っているということだろう。

父の脳細胞の多くは損傷してしまっているかもしれないけれど、その失われ

たもの以上に別の何かによって補われていまの父があるのではないか。

もっというとそれは神さまとか宇宙の愛に通じるもので、だとしたら現代医学

より別のところに心の平安を見いだせるのではないだろうか ・・・・・・・・。

けっきょく、今日はアルツハイマーの薬が処方され、ほかの病気との混合が

疑われるから、その可能性を調べたいのであとひとつだけ検査を受けてくだ

さい、ということで、また来月も検査を受けに来なきゃならなくなった。

診察室に入ってからずっと衆目のなか知能テストをされ、体幹の状態を診

るのに医師にどつかれ、医師と私たちの病気に関するやりとりを延々聞か

されて、けっきょく薬とまた検査じゃ父はさぞかしがっかりしているだろうなあ

と父のほうを見れば、父はすっかり疲れてしまったらしく、うとうと居眠りをは

じめていたから、私はかえって「よかった」と思った。仮に私たちのやりとりが

全部わかってしまったとしたらそっちのほうがやりきれない。

診察室を出て、妹が次の検査の予約をするあいだ近くの椅子に座って待っ

ていたら、父が下を向いてしきりに何かやっているので見てみると、さっき医

師にいわれてできなかった指の形をやっているのだった。そして見ているう

ちにできたから、「な~んだ。できるじゃない」といったら、父は「あんなことが

テストだとは思わないもんなあ」とポツリといった。

そうだよ。モンスター・ペイシェントと違って父はなんにもいわないけれど、お

となしい父にだって自尊心はあるんだから。少しは尊重してもらいたい。

そこへ妹が戻ってきたので、「ほら、できるんだよ」と私が笑いながらいったら

「それ両手でやるんだよ。ほら、両手でやってみて!」とすかさずいう妹。

ふぅ。やれやれ。

いったいこれだけ高齢化社会が進んでいるなかで、お年寄りに優しい医療

なんてものが存在するんだろうか? と思う。

私は今日あったことを相当な部分端折って書いたにすぎないけれど、病院

を出てから怒る私に、妹はそれほど気にならなかった、といった。

例によって私がセンシティブすぎるのかもしれないけれど、おなじ姉妹でも

ここまで感覚がちがうとわかりあうのは難しいような気がする。

様々なことで頭がいっぱいになって、当人以上によれよれになって帰ってき

た今日。あたらしい問題のはじまり。

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