木曜の猫

2016年5月12日 (木)

今日のダ・ヴィンチ

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それは5月のひかりの中をやってきた。

ぼくらの境界線を越えて。

いってみればそれはミとソの間みたいなもの?

みゃあー と甘い声で鳴いて。

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2015年4月25日 (土)

猫の伝言板

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猫好きさん、

今日は猫好きさんの誕生日だね。

おめでとう!

いきなりなんだけど、いったいぜんたい私たちも年をとったものです。

あのころは、自分がこんな歳になるなんて想像もしなかった。

いまだって、ちゃんとわかっていない気がする。

わかっているのは、時間はあまりにも早く過ぎ去った、ってことだけです。

猫好きさんは私よりいくつか年上だから、思うところもいろいろあるでしょう。

いまは何かと猫も人間も生きにくい世の中です。

でも、この先生き延びていくために必要なのは、圧倒的な自己肯定力と根拠

のない自信と持ち前の勘、自分をどこまでも引っぱっていってくれそうな美しい

幻想と、ここ一番に力を発揮する楽天性と行動力じゃないかと思うのです。

実際そうやってこれまでやってきた。

私も、そしてたぶんきっと、猫好きさんも。

だから(根拠はないけど)これからもきっとだいじょうぶです。

また1年、元気で!

今日からはじまる1年がどうかしあわせな年になりますように。

このあいだ猫好きさんが使ったら似合いそうなものをみつけてそれを誕生日

に贈る予定でいたけど、おととい見たら売り切れてしまって次に入荷するまで

送れないけど、とりあえず今日、手製のお菓子と珈琲豆を送りました。

見てるかどうかわからないけど。


From:木曜の猫 cat

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2014年10月 9日 (木)

手遅れといわれても

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手遅れってなんて嫌な言葉なんだろう。

経験したことがあるだけに、なおさら。

こどものとき、そんな言葉は知らなかったけれど、その感覚をリアルに感じた

のはサンテグジュペリの『星の王子さま』のなかでだ。


 「ぼくも、きょう、うちに帰るよ・・・・・・」

それから、かなしそうに ── 

  「でも、きみんとこより、もっともっと遠いところなんだ ・・・・・ もっともっと

 ほねがおれるんだ ・・・・・・」

王子さまがこういうのでは、その身の上に、なにか、なみたいていでない

ことが、もちあがっているにちがいないありません。でぼくは、赤んぼう

もだくように、しっかとだきしめていましたが、王子さまのからだは、どこか

の深い淵にまっさかさまにおちていって、ひきとめるにもひきとめられない

ような気がしました ・・・・・・

(岩波書店 『星の王子さま』 サン=テグジュペリ作 内藤 濯 訳 より )


そして、まさしくあのときがそれだった。

すごくこわかったな。

でも、もう、いいかげん、古いかなしみをトレースするのはやめよう。

人の気持ちには往々にしてそういうことがあるとして、でも少なくとも医者が

患者に向かって言うべき言葉ではないと思う。

たとえ、それ相当な状況であったとしても、最大限に想像力を働かせて、

医療における愛ってものを総動員して、ほかの言葉に置き換えて、そして

共に努力することを提示してほしい。

患者は患者で、この三次元空間における目に見えることだけで物事を決

めつけないでほしい。バイタルデータの数字なんて日々変わるし、たとえ

それが『骨』の問題だったとしても「何も変えられない」とどうしていえる?

この三次元空間では人の身体は物体のように思われているけど、この世

に存在する全てのものと同じように流動的なビット(素粒子)でできている

としたら、そこに可能性を見出そうとするのはただの幻想じゃないだろう。

むしろ簡単に「手遅れ」といってしまう側と、そういわれて納得していまの

状況をフィックスしたものと諦め、それ以上じぶんのポテンシャルに想像

力をはたらかせられなくなることのほうがよほど問題だと思う。

「手遅れ」といわれて、いったいどんな力が湧いてくるというの?

それで思わず私の口から出てきたのはサムデイだ。


 「手遅れ」と言われても

 口笛で答えていた あの頃

 誰にも従わず 

 傷の手当てもせず ただ

 時の流れに身をゆだねて


 いつかは誰でも 愛の謎が解けて

 ひとりきりじゃいられなくなる

 オー・ダーリン こんな気持ちに揺れてしまうのは

 君のせいかもしれないんだぜ

    ( 「SOMEDAY」より 作詞作曲 佐野元治 )


佐野元春はいまでもJ-POPで数少ない好きなミュージシャンの1人。

詩が書けて曲がつくれて歌えるって素敵だ。

そうだよ、信じる心をいつまでも、だよ。Mちゃん。


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2014年8月21日 (木)

相棒 *

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時間と場の関係って不思議だな、と木曜の猫は思う。

ちょっと前まで、あれだけ好きだった場所にしばらく行かずにいたら、こんどは

行こうと思ってもなかなか行くことができない。

まるで小さな部屋から大きな部屋に引っ越して、最初は殺風景だった部屋が

いつのまにかモノで埋め尽くされて、そうなったらもう小さな部屋へは戻れな

いように、時間も、何かに割いていたことがひとつなくなると、またたく間にそ

こを違う何かが埋める。人間はそれを『プライオリティー』といったりするみた

いだけど、あながちそれだけではないようだと猫は思う。

それが証拠に、いちばん会いたい猫にはなかなか会えなかったりする。

会いたいのに会えない。なぜだろう?

そうじゃなくても猫と違って、ほんとうにやりたいこととは違うところで日常を

忙しくしている馬鹿な人間たちときたら、しちめんどうくさい理屈や持論やモ

ットーに美学、それにもっと面倒な世間とのおつきあいとかいうものに振り

回されて、いつも『ほんとうの自分』は後回しだ。

そのくせ猫に向かって「お前はいつも気ままでのんきにしてられていいね」

なんていうのなんざ、まったく話にならない。猫にだって礼儀もあれば掟も

ある、といってやりたくなる。(いわずにただゴロゴロしてるだけだけど・・・)

ただ木曜の猫が感じるところでは、人も、猫も、毎日たいして変わり映えし

ないように見えて、日々何かが微細に、精妙に、変化しているようだ。

木曜の猫の相棒である人間のそうきちは、今年に入ってからの数ヶ月で

ますますどうでもいいことが増えた、といっている。このままいくとどうでも

いいことばかりになっちゃうんじゃないかとそうきちはいうけれど、たくさん

の物事からどうでもいいことが抜け落ちたぶん、ほんとうに大切なものが

より鮮明にはっきりとわかるようになるんじゃないかと猫は思っている。

それが愛、なのか、なんなのかはわからないとしても。

愛、といえば、ちょっと前のことになるけどびっくりしたな。

これまで、ごはん欲しさに人間に愛嬌よくすることはあっても指一本触れ

させることなく、かといって子猫が擦り寄ってきても鬱陶しそうにし、食事

中に誰かが近寄ってこようものならサッと譲っていなくなってしまう一匹狼

ならぬ一匹猫のパンダにいつのまにか相棒ができていて。

彼奴らは休日でぼけぼけ夕方買いものに出たそうきちが道にしゃがんで

眺めているのに臆面もなくランデブーを繰り広げた。まるでツインネックギ

ターみたいな、という古い喩えがあるけど、まさにそのツインネックギター

みたいだった。して件のお相手はといえばたいして容貌の冴えない雄猫

である。鼻の頭の毛が抜けているからそうきちはそいつのことを『鼻ムケ』

と名づけた。人は見かけによらない、というのと、人は見かけだ、というの

はどちらも真なりだけど、多分にルックスに弱いそうきちは「いったいパン

ダはあの鼻ムケのどこがいいのかしらねえ? もっとかわいい猫なんてい

くらでもいるのに」と勝手なことをいっている。

すかさず横から娘のRが「きっと性格がいいんじゃない?」という。

う~ん・・・・・・、どうなんだか。

でも、これまでずっと一匹猫だったパンダに仲良しの相棒ができたことで

どうやらそうきちは安心したようだ。これで今年の寒い冬も、いつもの年

よりきっと暖かく過ごせるね、といって喜んでいる。

そしていつも「私の場合はAll you need is love じゃなくてfreedomだ」とい

っているそうきちが、家に帰って息子に「やっぱり人間も猫も1人でいちゃ

いけないね!」といっているのを木曜の猫は聞いたのだった cat

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2014年2月 6日 (木)

猫化する

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猫セーターのことはもう書いたっけかな。

なにしろこうも長くブログをやってると、何を書いて何をまだ書いてないか、時々

忘れてしまう。

私にとって『猫セーター』とは、かぎりなくふわふわであったかくてチクチクしない

ノンストレスでくつろげて、ひとたびそれを着たら脱ぎたくなくなるようなセーター

のことだ。それはたいてい、カシミアである場合が多い。とはいってもブルジョア

が着るような高級なカシミアじゃなくって、庶民にも手が届くようなヤツ。それを

もう、穴のあくほど着る。いや、穴があいたら繕ってまで着る。そうやって飽きる

ほど着てくたくたになってさえ、まだ捨てるのがもったいなほどだ。

そして、いまの時期みたいに寒さも底になるともうやっぱり私は猫セーターしか

着たくなくなる。猫セーターに付いている表示タグには『いくら気に入っているか

らといって、毎日同じものを着続けるとかならずピリングができやすくなりますか

ら、1日着用したら2日休ませるなど、ローテーションを考えて着てください』なん

て書いてあるけど、そんなことは知ったことか、だ。

でもって、やっぱり今年の冬も私はとくべつなお出かけのとき以外は毎日おなじ

猫セーターばかり着ている。

「猫だってもっとちゃんと着替えるよ!」と、鎌倉のハンタ猫はいう。

でも、なんといわれたって私はチョコレート色した2月の猫だ。



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2012年10月11日 (木)

ベン・シャーンの画集

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木曜日の猫は思う。というか、小さいころから不思議に思っていた。

人間はどうして毎日ふつうに昨日と同じような今日を生きられるのだろう?

まるでなんでもないといった平気な顔をして。

木曜の猫にはとても無理そうである。

人間の毎日は単調だ。だいいち人間にはやることが多すぎる。そのうえ、つまらぬこと

を考えすぎる。

事情があって人間のふりをして暮らしている木曜の猫だが、たまに猫にでもならないと

やってられない。あの正月以外年じゅう無休の働きもののトムネコだって、客がいない

ときには頬ヒゲをぴんとのばして、長いシッポを床に垂らして、もうすっかり猫の姿での

んびりくつろいで珈琲を飲んでいるに違いない。目に浮かぶようだ。

おととい、木曜の猫のところにベン・シャーンの画集が届いた。

これはトムネコゴでみつけて大いに気に入った画集だ。

1962年発行の古い本だから、古本屋を探し回らねばならないかと思っていたけれど

思いのほか早く、きれいなのがみつかってよかった。

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ベン・シャーンのプロフィルについてはインターネットをちょっと検索すればいっぱい出

てくるからあえて書かない。木曜の猫はNHKの日曜美術館でベン・シャーンが紹介さ

れているのを見て好きになった。サッコとヴァンゼッティとか、番組中でも印象的な絵

はいくつもあったけれど、とくにこころを捉えたのが『解放』という絵。

第二次世界大戦中の、ナチスからのパリ解放をテーマにした絵で、瓦礫のなかに残

った回転遊具で遊ぶ女の子3人が描かれた絵なのだけれど、いまにも空に飛んでい

きそうなスピード感でからだを宙に浮かせて回る子どもたちからは、たしかに解放の

気分は感じられるが、子どもの表情は廃墟と瓦礫の風景と同様、青ざめて不穏な空

気を醸しだしている。絵に張りつめた緊張感は、戦争がまだ終わってないことを暗示

しているようだ。回転遊具は木曜の猫にとっても馴染みのあるもので、子どものころ

夢中でやっていた時期がある。あまりに激しく、あまりに高くからだを舞い上がらせて

回っているので、大人が驚いて飛んで来たほどだ。木曜の猫自身、激しく回りながら

「いま手を放したら死なないまでも大怪我するだろうな」と思いながらもやめられなか

った。子どものころの遊びって、いつもそんな危険と恐怖の隣り合わせにあった気が

する。でも、どんなに危ないことをしていても自分はだいじょうぶ、というような感覚が

どこかにあって、それこそ無意識のうちに自分を宇宙の信頼(cosmic love)のなかに

ゆだねていたのかもしれない。もっともそれも戦争を知らない子どもゆえなのかもしれ

ないけれど。

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貧困、差別、社会の不正義、戦争や核の脅威など、社会派といわれるベン・シャーン

が描いた絵はけして明るいものではないけれど、かといって啓蒙的ではなく、カラフル

で現代的なデザイン性を感じる絵で、絵画というよりグラフィック・アートに近いような

感じがする。とてもポエティックでもある。それをもっとも強く感じ、木曜の猫が惹かれ

たのはベン・シャーン最晩年の仕事となる『マルテの手記』の版画集だ。とても素晴ら

しかった。最晩年、死ぬ直前にたどりついた境地があれだというのも感慨深かった。

あの絵を今年、葉山の神奈川県立近代美術館で見ることができなかったのが悔やま

れる。いつか、静謐でとっても広い空間であの絵に出合うことができますように。

下は画集の冒頭に載っていたベン・シャーンの写真。

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今日、この本が入った荷物が届いたときに「ベン・シャーンの画集が届いたよ!」とい

ったら、嬉しそうに飛んできたリサ猫が、本を見るなり「あ、その本、見たことある!」

といった。「どこで? 中身も見たの?」と聞くと「いや、何かでその本が紹介されてる

のを見たんだと思う。う~ん、なんだったかな」といって自分の部屋に戻ると、しばらく

して『イラストレーション』2010年1月号を持ってきて、「ほら、ここ!」と見せてくれた。

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指さされたところを見ると、『安西水丸が影響を受けた作家』としてベン・シャーンが紹

介されていて、その文章の最後に読者へ向けて「ベン・シャーンを知らずしてイラストレ

ーターを目指すのは間違いです。イラストレーターの神髄がこの人の絵でしょう」と書

かれていた。そして、1962年の12月に古書店で手にとって気に入って購入してから

1番好きな画集で、いまでも大切にしている画集としてこの『世界名画全集 続巻16

ベン・シャーン』(平凡社)が写真付きで載っていたから、水丸さんのことが昔から好き

な木曜の猫は(やっぱり私の目はたしかなんだ)とすっかり気を良くしてしまった。

そしてさらに安西水丸が「1番好きな作品かもしれません」といって紹介していたのが

『ハンドボール』という作品で、これはレコードのジャケットにもなっていて、いつかトム

ネコが見せてくれたものだ。

この絵は無機質で淋しいけれど妙に惹かれるものがある。

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というわけで、しばらくはこの画集に埋没しようと思う猫なのだった。

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2012年8月23日 (木)

三日月の夜、珈琲を買いに。

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水曜の朝、木曜の猫は、あ! と思った。

まずい。明日の朝で珈琲豆がなくなる!

なんたってこの猛烈な暑さのなかでさえ熱い珈琲を飲んでいる木曜の猫一家なのだ。

おまけに土居珈琲の豆を何年も愛用し続けているせいで、珈琲に関してはすっかり

違いのわかる猫であるからして、豆ならなんでもいいってわけじゃない。

それで今日、木曜の猫は仕事が終わるとそそくさと珈琲を買いに家を出た。

行くのはもちろん、顔の濃いトムネコのところだ。

あそこには猫の好きなビターコーヒーがあるのだ。

折しも空には安らかに猫が眠っているような三日月が。

そしてはじめて今日は日のあるうちに公園までたどりついた。

池では人間の大人の男が1人でスワンに乗っていた。(麗しくないので割愛。)

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暮れなずむ空と月を眺めるのによさそうな岸辺のベンチである。

大きな柳の木がちょっとお化けみたいだけど。

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木曜の猫は噴水を眺めるのも好きだ。

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木立のフレームのなかに見える三日月。

それにしてもいつも木や空や月ばかり見ている猫だ。

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このドアを明るいうちに撮るのも今日がはじめて。

よく見るとなにやらいろいろ書いてあって、なかなか几帳面で親切なトムネコである。

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静かにドアをあけると「いらっしゃいませ!」というトムネコの元気な声が聞こえて濃い

顔がチラッと見えた。今日は仕事帰りのサラリーマンらしい大人の男が2人、右の席

にいたので木曜の猫は左の奥の席に座った。

今日、店のなかに入ったときにかかっていたレコードはこれである。

  After Hours

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そして、その次にかかったのはなんだっただろう。

こんなジャズでこんなレコードがあるのかというくらい静かな、静かすぎるほど静かな

対話みたいな音楽で、思わず木曜の猫は追想に耽り、つまらないことを考えた。

つまらないこととは考えてもしょうがないこと。

もしあのときああせずにこうしていたらいまごろどうしていただろう、というような類のこ

とだ。いままでだって散々考えたことだし、いまさら考えたってほんとにしょうがない。

でも猫の頭も人間の頭と同様、合理的にばかりはできていないのだ。猫はサカナの

みにて生きるにあらず。どうもここに来ると木曜の猫はぼんやりし過ぎる。

たしかにここは誰かと来てお喋りするよりは1人で来てぼんやりするのにふさわしいと

ころだけど、大人の男2人は無言のまま、時折りアイスコーヒーらしきものをストロー

で吸うズズっという音だけが妙に大きく響く。いったい男2人で何が楽しいのかしらん。

古いJAZZマニア?

ぼーっとしながら苦い珈琲を飲み、須賀敦子のエッセイをひとつふたつ読んだらあっ

という間に1時間が過ぎた。いったいいつから来ていたものか、大人の男2人はさっき

やっと帰って行った。あれだけゆっくりまったりして酒代、もとい珈琲代が600円とは

安いものだ。木曜の猫も本をパタンと閉じて席を立った。

「トムネコビターを200ください。」

それからトムネコとは少し話した。今日はぼんやりし過ぎたせいで木曜の猫は左脳

がすっかりぶっ飛んじまって、何やらおぼつかない会話であった。おまけに少々、挙

動不審のところも見せてしまった。あーあ。そんなわけなのでどういう流れでそういう

話になったのかはわからないが、トムネコは「僕にだって個人的な悩みはあります」

といった。えっ! あるんですか? といったら「そりゃあ、もう悩みのない若い時代

は終わりましたから。もう30も過ぎたし」といった。木曜の猫には人の年も猫の年も

わからないが、意外と若いトムネコなのだった。

そのときかかっていたのはこれだ。


  Thelonious Monk In Action


セロニアス。

まるで昨日の続きみたい。

挙動不審を演じてからそそくさと外に出た木曜の猫は、暗い木立のあいだから見える

ピカピカの大きな三日月を左手にずっと見ながら、解決するには知力と精神力と体力

を要する悩みって、いったいどんな悩みなんだろう? と思った。

肩にさげた猫柄のエコバックからは歩くたびに珈琲豆のいい匂いがした。

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このあいだ座ったときには小さなカボチャが置いてあったところに、今日はビクターの

犬がちょこんと首をかしげて座っていた。

この犬、おばあちゃんの家に大きいのがあったな。

たぶんレコードマニアの叔父のだ。

懐かしい。

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2012年8月 3日 (金)

お茶を欲しがる猫

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これは木曜の猫が最近、 手紙舎さん で買ったエコバッグ。

高旗将雄さんの『お茶を欲しがる猫』のイラストがなんともとぼけた感じでいい。

木曜の猫が若かったころには『ヘタウマ画』なる言葉が流行ったんだけど、これはちょ

うどそんな感じ?

こんなお茶好きの猫がいたらぜひとも飼いたい、いやもとい一緒に暮らしたいものだ。

ちなみにこの猫、珈琲も好きなのかしらん。

エコバッグの大きさは袋の部分が縦36センチ×横30センチでマチが4.5.cm。

素材は張りのあるコットン。

日々の食材のお買いものに持って行くにはちょっと小さめだけど、大きすぎず小さす

ぎずといったサイズでちょこっとお出かけのときにはよさそうだ。

木曜の猫が1年じゅう愛用しているかごバッグはいっぱい入るし見た目はかわいい

んだけど、難は本を持って歩くと本の角が痛むこと。なので、これは本を別に入れて

持ってあるくのにちょうどいい。なんといったって昔から、自分は雨に濡れても本だけ

は濡らさない、という本好きの木曜の猫なのだからして。

いい歳をしてこんなおとぼけなバッグが似合う大人、っていうのもなかなかいいんじゃ

ないかと木曜の猫は個人的には思うのだけれど、さていかがなものだろう?

実はこのエコバッグは先月お誕生日を迎えた鎌倉在住の猫とお揃いで買った。

中には鎌倉猫の好物の浮き輪(これでわかる人がいたらすごい!)と北欧猫グッズを

入れて。たぶん、明日あたり届くはずなんだけど、喜んでもらえるかにゃあ~?

今年は木曜の猫がぼけぼけしていたせいですっかり遅くなっちまったけど、

     HAPPY BIRTHDAY TO HANTA!!! cd

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2012年8月 2日 (木)

今日の満月

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木曜の猫は仕事が終わると『お茶を欲しがる猫』のエコバッグに本を入れて家を出た。

今夜は満月だ。

吉祥寺の南口を出ると相変わらずの人混みに、ついうっかりいつもの人間の早足で

歩いてしまって、ハッとする木曜の猫なのだった。ほんに人の世はせわしない。

でも井の頭公園に行くといつもより人は少ないようだ。さてはヤワな人間め、この暑さ

にまいったか。そして暮れなずむ空を見まわしてみると、やや! どこにも月がいない

ではないか。もしかして今日って新月? いやいや、たしかに満月だ。

すると木曜の猫が見つめている方向、東の木立の上から静々と月が上り始めた。

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おお、満月だ! にゃんて神々しい ・・・・・・

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月も太陽と同じようにすごいパワーを発しているのだった。

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木曜の猫が2本脚で立ったままデジタルカメラで月を撮っていると、いつの間にか背後

にうるさい若者がたくさん寄ってきて、口々にアホなことをいいながらiPhone で写真を

撮り始めた。うっかりすると○カップルにツーショット写真など頼まれかねなかったので

木曜の猫は静かにそっとその場を離れた。

ちょっとまわりはうるさかったけど、いい月だった。

桟橋を渡ってボート乗り場の前を通りかかると、広場ではゆずみたいな声で若者が

聴衆を誘いながらギター弾き弾き賑やかに歌っていた。ほんに人間のうるさいことよ。

池の水面に月明かりが映るのを見ながら池に沿って左に左に歩いてゆくとトムネコゴ

だ。あった。今日も灯りがついてる。やっぱり幻じゃなかったんだ。

ドアを開けると控えめに開けたにもかかわらずガランガランと鳴るドアチャイムの音に

少なからずびっくりする木曜の猫なのであった。

今夜は先日と違いすでに先客ありだったので、このあいだとは反対側の席に座った。

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今日、店に入ったときにかかっていたのはビル・エヴァンスの『アンダー・カレント』だ。

そして、トムネコビターとチーズケーキ。

カップはやっぱり大倉陶園だった。ますますYちゃんっぽい。

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今日は1時間で帰ろうと思ってきたのに、すっかり遅くなってしまった。

今夜は木曜の猫が話し過ぎた。

話しすぎたと思うとその場から消えたくなるのはなぜだろう。

それで木曜の猫のうちの夕飯は映画を見た土曜日の夜なみにすっかり遅くなってし

まった。なぜかというと、家で待っていた子どもたちが木曜の猫が帰ってくるまで(夕

飯を)待ってるといったからなのだった。

人間の子どもというのも、もう少し自分でサヴァイヴしてくれないものかにゃあ~cat

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2012年7月19日 (木)

木曜の猫

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木曜の猫は傘を持って新月の夜に家を出た。

初めていく場所だからわかりやすいほうがいいと思って電車に乗ったのに、ホームに

いた電車にあわてて飛び乗ってホッとしてたら急行で降りる駅を通り過ぎちゃった。相

変わらずドジな木曜の猫だ。でも降りた駅ですぐにやってきた下り電車に乗って着い

てみたら、フェイント無しの新月の時間の始まり。それに初めて降りる駅なのにそこは

なんだか懐かしい。そりゃそうだよ、いつも電車の窓から見てたんだもの。ホームの向

こうに広がる鬱蒼たる緑。改札を出たら若いころあの子がさんざん通った宵待ち草を

左に見て、そしてあった。トムネコゴ。

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おそるおそるドアをそっとあけると、ドアチャイムがカランカランと鳴って、店主とおぼ

しき濃い顔をした猫が目の前に現れ、「イラッシャイマセ」とぎこちない笑顔でいったと

思ったら同時にガン! と後ろの鴨居に頭をぶつけたので、思わず目がまんまるにな

る木曜の猫なのだった。(こんな、マンガみたいな人ってほんとにいるんですね。)

それでも、「お好きな席にどうぞ」といわれて噂どおり貸し切り状態の店内に通され隅

の席に座ったとたん、木曜の猫はふにゃけてしまった。

机の上に飾ってあった複葉機が目に入ったからだ。大好きな複葉機。

猫とJAZZと濃い珈琲は始めから知ってたこととして、これが最初のシンクロ。

まるで自分の家の机みたいな席に座りながら、「ここは最高だな!」と思った。

むくむくとしあわせな気持ちがわいてきた。

木曜の猫にとってここはレジュ以来の第2の部屋かもしれない。

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よく見れば店のあちこちに複葉機が飾ってある。

それでメニューと水を持ってきた店主に思わず「複葉機がお好きなんですか?」と聞け

ば、店主は「は?」という。「複葉機ってなんですか?」というので木曜の猫のほうが驚

いて、「これですよ、これ。翼がふたつあるから複葉機」。それでも店主はまだポカンと

した顔をして「複って複数の複ですか?」と聞くのだ。「そう、複数の複。ダブル」。木曜

の猫が念を押すようにいうと店主はやっと「なるほど。初めて知りました」といって近く

までくると、「これ、昔の宣伝用の飛行機らしいです。ここにタレ幕を巻いたロールがあ

るでしょう」といって、パイロットが腹這いに寝そべって乗った左横にある巻いたチュー

ブみたいなものを指差した。

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それで今度はなんでもすぐにヴィジュアルで想像してしまう木曜の猫のほうが感心し

て「へえ~、そりゃ素敵ですねぇー」といった。それから2匹の猫は子どものころ、街

なかで見たアドバルーンや飛行船の話で盛り上がった。店主猫はときどき楽しそうに

「ハッハッハッ」と声を立てて笑った。ちょっとトボけたところはあるけどいたって気のい

い猫であった。木曜の猫はもちろん、トムネコビターをオーダーした。

そうしているあいだも店内には古いジャズのレコードが心地よい音で流れ(最初にか

かっていたのはマイルス・デイヴィスとソニー・ロリンズの『DIG』だった)、珈琲が出て

くるまでのあいだ店内をうろうろしていたら古いベン・シャーンの画集が目に入った。

ベン・シャーン。なんと!

これがふたつめのシンクロ。

「ベン・シャーンの画集、見せてもらってもいいですか?」と厨房にいる店主猫に聞くと

「どうぞ」という声が返ってきたので見せてもらうことにした。

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そして店主が淹れて持ってきた珈琲はたしかに濃くてビターだけれど嫌な雑味も尖っ

たところもない、なんともおいしい珈琲だった。素晴らしい ・・・・・・!

それで木曜の猫はすっかりしあわせな気分になってしまった。好きなものだらけに囲

まれた部屋で聴くいい音楽と、おいしい珈琲。そして本。

木曜の猫がベン・シャーンの画集を熱心に見ていたら、店主は「アルバムのジャケット

になってるんですよ」といってベン・シャーンの『ベースボール』がジャケットになってい

るLPレコードを見せてくれた。それからまたひとしきりこの店のことやら音楽のことや

ら話していたら、何がきっかけだったろう。店主が「自分は人間嫌いというか、小さい

子どもと生きもの以外、およそ大人になってしまった人間は苦手なんです」といった。

「人間嫌いなのによく喫茶店なんかやってますね」というと、「よくいわれます」といって

店主は笑い、「なので友達もいないし、ここに1日いても誰とも話しません」というので

木曜の猫はちょっと不思議に思い、「でも、今日はそういう感じじゃなかったけどな。

とても自然に話してるように見えたけど」というと、「およそ大人の人間はあなたの様

じゃない。あなたみたいな人は滅多にいない」というので、今度は木曜の猫のほうが

「よくいわれる」と笑った。ほんとにそうなのだ、昔から。人嫌いで(あるいは極端にシ

ャイで)人と話すのは苦手という人に限って木曜の猫の前ではよく話す。そういうとま

た店主がトボけた顔で「よくいわれますか?」と聞き返すので「うん、昔からよくいわれ

ます」といったところでカランカランとドアチャイムが鳴る音がして、大人の人間の女の

客が入ってきた。店主猫は急に大人の人間のふりをして「どうも今日は話しすぎまし

た。では、ごゆっくりどうぞ」といって厨房に消えて行った。

店主の話のなかにもいくつかシンクロニシティがあった。店の雰囲気といい店内に置

かれた趣味のいい古道具といい、ここはYちゃんの部屋みたいでもあって、彼女も好

きそうだ。今度Yちゃんも連れてきたいと思うけど、でもYちゃんてJAZZは嫌いなんだ

ったかな。

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そんなことを考えながらまたベン・シャーンの画集に目を落としていると、レコードの針

が止まり、店主猫が長いしっぽを引きずりながら静かにやってきてターンテーブルの

レコードを替えていった。今日3枚めのレコード。

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それが素晴らしくよかったので思わず立ち上がってジャケットのタイトルを確かめると

ジェリー・マリガンの『Night Lights』だった。さっき音楽の話をしているときに「JAZZ

も好きだけれど1番好きなのはブラジル音楽だ」といったからきっとこれを選んでくれ

たに違いない。、木曜の猫は思わずノートをとり出してタイトルをメモした。

最初、店のなかに入ってきたときは外と同じように蒸し暑くてクーラーが入ってないの

かと思ったけれど弱冷房がしてあるようで、しばらくいたらそのほうが自然で心地よい

ことに気がついた。大人の女の客はアイスコーヒーを飲みながら黙々と自分が持って

きた本を読んでいる。厨房の窓が少し開いているのか、ときどきチリンチリンとガラス

の風鈴の澄んだ音が音楽に混じって聴こえるのも心地よく、木曜の猫はますますしあ

わせな気分に浸ってしまった。そして、ひととおり画集も見終わったことだし、いささか

長居をしたからそろそろ帰ろうかと思っているときにレコードのA面が終わり、店主猫

がレコードを裏返しにきたので、大人の客の邪魔にならないように小さな声で「このジ

ェリー・マリガンのレコード、すっごくいいですね!」といったら店主が「裏もいいですよ」

というので帰れなくなってしまった。その「裏もいいですよ」という響きもよかった。

ビバ! アナログ! って感じだ。私もターンテーブルがほしい。

そしてB面の1曲めが流れ出したとたんに頭に!(コーテーション)マークが落っこちて

きた。この曲だ! 

こないだ4ヵ月ぶりに髪を切った帰りに寄った『郷』でふいに流れてきて、一瞬、直さん

かと思った。ライブで直さんがよくやる曲で、これってなんて曲だったっけかなあ、と思

いながら聴いた曲。いったい今日、何度めのシンクロ。

しっかりB面も最後まで聴いて、しあわせを満喫して立ちあがった木曜の猫は、すっか

り満足した気分だったのでなんだか珈琲1杯分のお金だけでは申し訳なくなって、家

にはまだ珈琲豆はいっぱいあったけれどトムネコビターを200頼んだ。そしてさっき頭

に落ちてきたシンクロの話をしたら、「ちょっと曲名を見てきます」といってアルバムを

見てきてくれた。厨房に戻ってきた店主は、『ショパンのプレリュード』です、といった。

ああ、それだ! 

「その曲、私の大好きなサックスプレイヤーがライブでよくやるんです」といったら店主

が「ちなみにそのサックスプレイヤーはなんて名前ですか?」と聞くので「竹内直です」

と木曜の猫は答えた。

実はここでもちょっと面白いシンクロがあったのだけれど、それは木曜の猫だけの内

緒にしておこう。なんでも明かしてしまうのはつまらないからね。

ちょうど閉店までにはあと20分、という時刻。

木曜の猫は「また来ます」といって、そこをあとにした。

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このつぎ来たときには無いかもしれないよ、と思わせるような、井の頭公園の緑の影

が幻想的に揺らめくドア。

来るときは豪雨警報が出ていて湿度が高くて蒸し暑かったのに、外に出るとすっかり

涼しくなっていて、夜の公園を渡る風が気持ちよかった。トムネコビターのいい香り。

12inokashira

このあと木曜の猫は最初に店主に教えてもらった行き方で井の頭公園の池の脇を通

ってRoom1022に行ったのだけれど、あいにく今日はお休みで、適当に見つけて入っ

た駅前のタイ料理屋で食べたパクチーとレモングラスがいっぱい入った『エビとレモン

の辛味フォー』がすごくおいしかった。こころがやたらオープンになってるときって何も

いわなくてもそれが人に伝わるみたいで、ここでは厨房の料理人が素晴らしい笑顔を

投げ続けてくるので、ここでも木曜の猫は「フォー、すごくおいしかった。また来ます」

といって店を出た。

さて、今日の木曜の猫の気づきは何か?

  直感に従って行動すると、真のわくわくがやって来る!

ってことだ。

それはいつでも誰にでも自分で創造(想像)できる。

次の誕生日まで、あと6回の新月を楽しもう。

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