ある日のこと

2016年11月27日 (日)

りんごのガレット**

16galette_de_pomme

朝のパンを買い忘れちゃって、朝ごはん(といってもブランチだけど)にりんごのガレットを焼きました。
りんごのフィリングを作って市販のパイシートに包んで焼いただけの型いらずの簡単なガレット。
でも、やってみて思いだしたけど、わたしはりんごをパイ生地にきれいに並べるのがどうも苦手なんでした。
レシピを見ると大体りんごの量が多すぎるんじゃないかと毎回、思う。
それに今回は前作ったのとちがうレシピで作ったのだけれど、やっぱりガレットの場合はりんごをもっと薄切りにしたほうがよろしい。
これはいちどちゃんとお教室に行って習った友達にでも教えてもらうしかないかな。
でも見た目はともあれ、焼きたてはおいしかったです。
りんごのガレットには珈琲より紅茶のほうがあうから、今朝はめずらしくカフェインレスのアールグレーで。
滅多に出てこないティーカップ&ソーサーなど出して。

| | コメント (0)

2016年10月24日 (月)

幻の鳥取

16soraya

昔から鳥取砂丘は一度行ってみたいところだったけど、今年の夏、そのひとがインスタグラムにアップする写真で、鳥取が自分が思っていた以上によいところだと知った。
どこか昔懐かしいようなビーチと、海の家。
温かいひとたちがたくさん住んでそうなイメージ。

そんなふうだから、どうしたって思いださずにはいられなかった。
そこはかつてわたしが結婚していたひとの両親の故郷でもあって、彼らふたりは若いとき駆け落ち同然で家を出て、北海道で暮らすようになったのだと、むかし義理の母に聞いた。そのときわたしは若かったし、自分の親が見合い結婚なものだから、駆け落ち結婚なんてロマンチックだなあ、と思ったけれど、実際のところはどうだったかわからない。
それほどたくさんのことを聞いたわけではない。
ただ言葉の端に出てくる『倉吉のおばちゃん』とか、そんな言葉が頭に残っていて、だから倉吉の写真がアップされれば、ああ、ここがあの倉吉ってところなんだ、と思って眺めた。
鳥取を出てからずっと北海道で暮らしていた両親が再び故郷に帰ったのは、いくつくらいのときだったろうか。
北海道といっても東京とあんまり変わらない札幌市内で暮らしにくらべたら、そこはずいぶんとさみしいところだったに違いない。
家の裏は山で、冬は山から風が吹いてくるの、と母はいった。
わたしはついに鳥取に行くことはなかったけれど、小さかった息子は父に連れられて一度だけ鳥取に行ったことがある。夜行列車で。
あのときわたしが行かなかったのは妊婦だったからだろうか。
あとから向こうの家や近所の公園や、砂丘で撮った息子の写真を見せてもらった。
砂丘の先は海なのだという。
海の写真はなかった。
わたしもいつか、家族みんなで行きたいです、とわたしは母にいった。
鳥取砂丘で家族みんなで写真を撮るのが夢だった。
いつものごとく、その絵はすでに頭にあった。
いつも現実より美化されてしまう、お馬鹿なわたしの頭の中に。
そしてけっきょく、かなわなかった。

離婚してからもときどき鳥取の母とは手紙や物を送りあったり電話で話したりした。
まだまだ慣れないさみしい3人暮らしのなかで、母の送ってくる荷物はいつもちょっと泣けるようなものだった。
詳しくは書かないけれど、とても日常的なもの。
ありがたく思うのと同時に、ちょっと切なくなるような。
そして、わたしがお礼の電話をすると、きまって最後に母に謝られるのがしんどかった。
わたしはいつも最後に「いつか子どもたちと一緒に鳥取に遊びに行きます」といった。
それはわたしのなかではいつか果たさなければならない約束みたいなものだった。
そういう、どこかぎこちないやりとりの何年かが過ぎて、向こうから何もいってこなくなった後もわたしは何かの折りをみつけては贈りものをした。
でもいつも最後は謝られるばかり。
それにそんな言葉とは裏腹に、どれだけ時間が経っても心を割ってつきあってくれない頑なさに、だんだん疲れてしまった。自分の息子をバカ息子といいつつ、たった数回しか会ったことのない孫よりは、やっぱり自分の息子のほうがかわいいんだなあ、と思った。
そりゃそうだ。
それは、わたしも一人息子を持つ母親の身だからわかる。
しだいに自分がするわずかなことで返って相手に気詰まりな思いをさせているんじゃないかという気がしてきて、「もういいかげんやめたら」という親友の言葉を期に、こちらから連絡するのをやめた。
たぶん、もう十年以上前のこと。
ただ自分の中に果たせなかった約束だけがいつまでも残った。

そんなわけで鳥取の景色を見ることが多かったこの夏、思いだしたのは母の子どものころのこと。
わたしの母は樺太から着の身着のまま本土に引き揚げてくるときに写真の一枚すら持ってくることができずに何もかも失ったけれど、鳥取の母は母で、子どものときに遭った鳥取地震で家ごと何もかも失った経験を持つ人だった。
いま計算すると12歳のときだった。
それはどんなにいたましい経験だったろう。
そんなことを思いだしていた矢先に先週、鳥取で地震が起きた。
ちょうど娘がアルバイトに行く前に一緒に遅いお昼を食べていたときで、わたしの携帯が鳴って、地震発生のメールを見て思わず上げたわたしの声のほうに娘はびっくりしてた。そのままアルバイトに出かけた娘も気になったようで、帰って来るころにはわたしの知らなかった情報を教えてくれた。
それでいろいろ考えたけどやっぱり何もせずにはいられなくなって、今日ときどき行く自然食品屋さんに行って、細々みつくろったものを箱詰めして送ってもらった。
もうわたしには母があれほど好きだった珈琲をいまも飲んでいるのかいないのか、豆でよかったのかダメだったのかもわからないし、うちの単純な親と違ってちょっと難しいところのあるひとだから素直に喜んでもらえるかどうかわからないけれど、あとは天にまかすだけ。
地震で壊れた地域の復興と、余震が治まって住民に穏やかに暮らせる日々が早く戻ってくることを祈るだけだ。

|

2016年2月17日 (水)

あの日の青空

160217sky

いまってすごい時代だな。

インターネットのSocial Networking Servicを使って、刻々と変遷してゆく他人

のいまの心情や感情や思考の断片や病状などをリアルに知ることができる。

いまやスマートフォンは人間にとってのライフラインで表現手段で、死ぬ寸前

まで大事に手に握られているようだから、枕元に紙と鉛筆を用意しなくたって

最期の言葉を世界中に発信できる。

去年の夏の終わり、以前会って話したこともある、自分とそう年の変わらない

知人が刻々と死に向かってゆくあいだに呟いた言葉があまりにリアルで、彼

女がこの世からいなくなってしまったあともしばらく胸に残ってキツかったけど

今朝、ずっと心配で陰ながら見守りつづけずにはいられなかったある方のお

母様がついに亡くなってしまい、ふいに16年前のある朝のことを思いだした。

’2000.02.21

よく晴れた典型的な冬の朝で、病院帰りの車窓にはどこまでも青い空がひろ

がり、それを脱力感と放心のなかで眺めた。夢の中にいるようで、さっきまで

息をしていた人がほどなく棺に納められて家に帰って来るということがよく理

解できなかった。

昨夜、家族で病室に詰めていたとき、深夜遅く帰ろうとするわたしを母は言葉

にならない、あらんかぎりの力で引きとめた。いったい何をいおうとしたのか、

しばらくそばにいつづけたけど、けっきょく母がいいたかった言葉は聞けなか

った。何故あのときあのまま帰らずに病室に泊まらなかったんだろうと後にな

って思ったけれど、何故もなく、わたしにはまだ小さな子供が二人いたのだ。

思えばあのとき、家で子供と一緒に留守番してくれた人がいたのも不思議と

いえば不思議だし、もう伝える術もないけどありがたいことだったと思う。

それから、母の死から半年過ぎたころだったか、目覚め間際の夢にふつうに

生きてる人のように母が出てきて、キッチンで何やらやりとりしているときに、

ふっと耳元で「ありがとう」と聞こえて、それと同時に目が覚め、ああ、あのと

き母がいいたかったことってこれだったのかと、思わず泣いた。それまで自

分になんども繰り返したたくさんの問いと後悔から最初に解放された瞬間。

Sさん、あなたはほんとうにここまでよく頑張りました。

自分にできる精一杯のことを、よくたったひとりでやってきたと思います。

ちょっと時間はかかると思うけど、いつか、いまこころのなかにある悲しみや

様々な苦しい思いから解放されて、全てを肯定できる日が来ると思います。

ほんとうに、こころからお母様のご冥福をお祈りいたします。

|

2015年11月20日 (金)

Bad news

15henchikurin

人生って、ほんとに悲喜こもごもだな。

ちょっと油断してるとすぐ次がやってくる。

今日、朝1で妹から「先日の定期検診で父のがんの再発が見つかった」

ってメールを読んで、それこそガーン! とした直後に友達と話していて、

何か様子が変だと思ったら、昨夜お母さんが亡くなった、って ・・・・・・。

今日は降らなければいいなと思っていたけど、夜になって冷たいミストの

ような雨が降りだした。

|

2015年9月 3日 (木)

May her soul rest in peace.

Bird_of_the_fantasy_2

今年の夏はとにかく湿度がひどくて身体に堪える猛暑だったけれど、

そんな夏が終わりに近づいたころ、一羽の小鳥が旅立ってしまった。

命って、ほんとに儚くてあっけない。

ほんの数日前はまだ彼女の囀りが聞こえていたのに。

わずか数年前までふつうに元気だった人がいったいどうしてそこまで

健康を損なうことになったのか、それは人体とこころの謎としか私には

いいようがないけど、想像を絶する闘病生活のなかで、彼女は信じられ

ないほどたくさんの絵を描いた。人魚が王子に恋して人間の身体を得た

代わりに美しい声を失ったように、それは大切なものの代償なくしては

開花し得なかった才能かもしれない。常に孤独と背中合わせの悩み多い

人生だったのじゃないかと思う。けれど、そのなかで彼女はじゅうぶんに

自分に忠実に我が儘に自分らしく精一杯生きた。好き嫌いをはっきり口

にする言動から誤解されることも多かったのではないだろうかと思うけど

その人となりと作品は多くの人に愛された。彼女はもうこの世にはいない

けど、彼女が遺した光はいまも、そしてこれからもずっと多くの人のこころ

のなかで輝きを放ちつづけると思う。

こころからご冥福を祈ります。

|

2015年5月28日 (木)

物事の意味

15bizen

ついこのあいだは父のことを考えながらぼんやりしていて、銀行のATMで

うっかりキャッシュカードを抜き忘れて出てくる、という失態をしたばかりな

のに、今朝は今朝で、またしても父のことを考えていて、娘の珈琲カップの

底を自分の珈琲カップの縁にぶつけて割ってしまった。

カン! という乾いた音がしたと思ったら、堅いはずの備前が簡単にチップ

してしまった。一瞬のことだった。

忘れもしない奇しくも3.11の起きる日に届いて、なんとか難を逃れて以来

ずっと毎日愛用してきたカップだったのに。4年使ってガサガサだった肌も

なめらかになって、ちょうどいい景色になってきたところだったのに・・・・・・。

すごくショックだったけど、なんとか自分の気持ちを落ちつかせながら食卓に

ついた。土ものだからチップしたところは瀬戸物のように鋭利でも危なくもな

いけれど、黒い表面の土肌にできたグレーの傷痕は無残に目立って、思わ

ずため息をついた。

 形あるものはいつか壊れる。命あるものは必ずいつか死ぬときがくる

子どものとき、飼っていた小鳥が死ぬたびに父にいわれた言葉。

そんなこといわれても悲しくて泣いてる子どもには何の役にも立たなかった。

そういうときの子どもに必要なのは、子どもの心に寄り添うような温かい言葉

なのだと、子どもを二人育てたいまの私は思う。

けれども、そうやって何度となく呪文のようにいわれた言葉はいつしか私の心

に刻みこまれ、有形であれ無形であれ、何かを失ったときには必ず蘇る。

欠けた備前のグレーの傷痕には私の欠点と弱さがそのまま映し出されている

ようで、自分の身に起こる物事の意味を考える。

| | コメント (2)

2015年5月 7日 (木)

突然の訪問者

15norakuro_2

昨日、夜遅くに妹からメールがきて、なんだろと思って見たら「なんと今日突

然、父の昔の知り合いが訪ねてきてくれました。その人は父と同い年とは思

えないとてもしっかりしたおじさんで、父の脚がもっとしっかりしていたなら旅

行とか、近場でも一緒に行きたいと思ってくれたようなのだけれど、父の頼り

ない感じに諦めた様子で、それでもこんど近くに食事でも行こうと誘ってくれ

ました。ありがたいことです」とあって私も驚いた。なんたって父はたまに顔さ

えあわせれば「お父さんの友達はみんな死んじゃった」というのが口癖だから

父にそんな知り合いがまだ残っていたというのが驚きだったし、またいつもそ

んな風にいっている父だからなおさら、突然の思いもかけない来訪者はどれ

だけうれしかったことだろう。そうと思うとなんだか泣ける話だった。それって

まさしく神さまからのギフトだと思う。

それで訪ねてくれた知人同様、父がまだ元気で矍鑠としていたら、それこそ

いやあ、あそこに行こう、ここに行こうと盛り上がったのかもしれないけれど

あいにくそうはならなかった。訪ねて来てくれた知人は、すっかり老いぼれて

しまった父を見てひどくがっかりしただろうか。

でも、と私は思う。

電話もせずに突然訪ねてきたその人の心情を思えば、家にたどり着くまで

様々な思いが頭を駆け巡っていたのではないだろうか。家に行っても、もう

そこには住んでないかもしれない、もし行って表札が変わっていたら、ある

いはチャイムを鳴らして出てきたのが妹で「父はもう・・・・・・」といわれたら。

そのほうがもっとずっと落胆したことだろう。もしかしたらいまの父みたいに

「私の知り合いはみんな死んでしまった」と嘆いたかもしれない。

そして、そこまで考えて父のことを思うと、父にとって友人の数のうちには入

ってなかったかもしれないその人を見て、父はすぐに誰だかわかったのだろ

うか。最近では叔父のお葬式のとき、私の従妹に会ってもわからなかった父

だから、ちょっとあやしい気がする。

突然の来訪者といえば、少し前に長らく会っていなかった腹違いの兄弟が

やはり突然、訪ねてきたことがあるらしかった。そのときは父がひとりでいた

ときだから、詳しいことは何もわからなかったけれど、彼(私の叔父)は病気

でもしているのか、いま知人を訪ね歩いているところだ、といったらしい。

人間、年をとったり病気をしたりしてもう自分の老い先長くないとわかると、

そうやってかつての古い、わずかなつてでも頼って誰かに会いたいと思う

ものなのだろうか。そうやって会ったところで相手の(あるいは自分の)心が

期待したとおりに動かなかったら、会う前以上にさみしくなったりはしないの

だろうか・・・・・・。

そんなことを寝る前にお風呂の中であれこれ考えていたら、今日は父の夢

を見た。それはあんまり、というか全然いい夢じゃなかった。かなりショッキ

ングな夢だった。でも、と私は思う。

でも、それさえ神さまが私に心構えをさせるために見せた夢だったのだろう

と思う。

人は誰でもいつかは死ぬ。それは避けられない。

父はそれまで精一杯生きて、私は自分にできるかぎりのことをする。

何をどれだけやったところで悔いが残らない、なんてことはない。

それさえもいまから心しておく。

*************************************************************

写真は最近、手に入れて父にプレゼントした古いのらくろの本。

父は小学生のころ、絵を描くのと算数が得意な子どもだった。

小学校の修学旅行で行った横浜で描いた船の絵が表彰されて、長いこと校

長室に飾られていという。算数は学年で1番だったそうだ。

私が小学校に上がる前、父に絵を描いてといって紙とエンピツを渡すと、父

はきまってのらくろの絵を描いてくれた。いつもそれなので母は呆れて笑って

いたけれど、私は父の描く自分の知らないのらくろが好きだった。

リハビリに行って作業療法士さんと話していたら、お年寄りには刺激が1番

だというし、PowerVoiceセミナーをやっている私の友人は、ボケた老人でも、

かつて自分が若いころに好きで聞いたり歌ったりした歌を聴くと記憶が蘇る

ことがある、というので、そうだ! 父にはのらくろだ! と思ってこの本を探

してプレゼントしたのだけれど、残念ながら私の予想に反して父はあまり喜

ばなかった。ときどき、どうかしたときにする、照れたような困ったような表情

を顔に浮かべて、妹に「あなたが読んだら」といっただけだった。

ほんとうに、人の気持ちを理解するのは難しい。

だからこそ、父がいつになく自分の要求をはっきり口に出していったりすると

どうにかしてそれをかなえてあげたいと思う。

まずは貯金をしないとな。

| | コメント (0)

2015年3月28日 (土)

ビジーな土曜日

15akasaka

朝起きてバスルームの掃除をしてお湯をはり、プールの前、細胞のひとつひ

とつが目覚めるようなローズマリーとジュニパーベリーのお湯に浸かって深呼

吸した。

両肩とも『石灰沈着性腱炎』と診断されて約2ヵ月半。

右肩はかなりふつうに動くようになったけれど相変わらず夜間痛はあるし左は

相変わらず動かない。こんなふうだからプールに行ってもまともに泳げるわけ

もないのだけれど、とりあえずプールにだけは休むことなく行く。

先週はロバさんから「そんな肩でよく来たよ。来ただけエライ」といわれたけれ

ど、たしかに自分よりずっと年上の人たちと泳いでいてこれだけ泳げないのは

かなりみじめではある。もともと水泳は身体がやわらかくなきゃだめなスポーツ

で、身体がカタイってことはそれだけで致命的なことだから、そういう意味では

水泳は自分にはぜんぜん向いてないんだ、と息子に話したら、自分に向いて

ないことを向いてないと知りながらよくそんなに長く続けられるね、といわれた。

それで思い出すのは長年ダンスをやっている妹のことで、新年三が日に実家

に行ったとき、私が「お正月が明けたら整形外科に行くつもり」といったら、妹は

妹でずっと不調を抱えていたらしい。1月に何かの折りに電話して、私が両肩

が石灰化しているといわれてすごくびっくりした、と話したら、おなじころ整形外

科に行ったらしい妹は、自分は『頸椎症』だといわれて、それも骨がひとつ飛び

出ているのはもう治らない、といわれて、すごいショックだった、といった。

そのショックというのは病気のこと自体もそうだけど、「10年以上水泳をやって

て両肩が石灰化するなんて」という私の思いと、「10年以上ダンスやってるこの

私がなんで頸椎症なんかに?!」という妹の思いとあって、日ごろ堅実で努力

型の現実的な妹と、片や感覚のみを頼りに幻想を糧にして生きるアホな姉とい

う、似てないところばかりが目立つ姉妹にしては変なところが共通している。

なかなか動くようにならない私の肩だけど、このあいだ整形外科の先生に「ま

だ痛いですか」と訊かれて「痛いです」と答えると、「あなたみたいな症状だと数

ヶ月では治らないよ。月単位じゃなくて年単位だと思ったほうがいい。自分もや

ったけど3年はかかった。その3年間は毎日明け方になると痛かった。ステロイ

ド注射をするとパーッと炎症が治って早くよくなるというけど、そうやって早くよく

なるのがいいことなのかどうか・・・」というから、「最初から時間はかかるだろう

と覚悟していたし、注射は嫌いだからいいです」と断った。

この20年背負ってきた重みがぜんぶ肩に凝縮してしまったのだと思うからしか

たがない。時間をかけて治すしかない。

それでも4週間前はクロールでさえ手が回らなかったのが先週かろうじて少しは

回るようになり、今日は痛いけど工夫すればなんとか両腕を回して泳ぐことがで

きた。ちょっとずつだけどよくなっているのだ。

プールのあとは今週もゆっくりしてる間もなく飛ぶように家に帰り、夕方、仕事の

ミーティングで赤坂へ。

壮大なことを語る友人に対してのここ数年の私の口癖は「もう私たち、それほど

時間が残ってるわけじゃないのよ」だったけれど、やっと友人もそのことに気づ

いてくれたらしい。時間はあまりにも早く過ぎ去った。

2時間のはずのミーティングの予定は彼の次のアポイントの相手が早く来たた

め繰り上がり、1時間半のミーティングのあと私はひとりで食事をして帰った。

フォーと生春巻きのセットを食べたのだけど、生春巻きは作ったことがないから

ともかく、フォーは自分で作る方が何倍もおいしかった。お金を払う価値なし。

疲れて家に帰って、もう9時半だけど珈琲をいれてアイスでも食べながらみんな

で映画でも見ようとツタヤの封筒を開けたら思いもよらぬDVDが入ってて、どう

やらリストの順番を変えたつもりで変えてなかったらしい。いつも無意識に選ぶ

映画がまるでオラクルカードのように共時性を見せるから、これはこれで何か

意味があるのかもと思いながら見ると、主人公の恋人が首つり自殺するシーン

が出てきて「これか・・・。」と思った。

つまり起こることの全てに意味があるのだ。

ということは、これまでやってきたあらゆる芽が出ないことのなかにも意味がある

ってことか? なんて思いながら寝た。

今日は仕事だからしかたないけど、できることなら土曜日はどこにも出かけたく

ない。セルフメンテナンスの日として一日をまっとうしたい。

| | コメント (0)

2014年9月27日 (土)

BAD DAY

14shinagawa_station

東京のよくない一面。

雑踏における虚しさ。

人は、頭(脳)でわかるより先に身体(筋肉)でわかっているそうだ。

このときすでにわかってたんだろうな。

土曜日にプールをやめて、持ってるなかで一番いいシャツにアイロンをか

けて靴を磨き、道に不案内なタクシーの運転手がきてもいいように地図を

プリントアウトして、スーツをぱしっと着て早めに家を出てきたのに、門前

払いされるとは。あーあ・・・・・・

14bay_area

ウォーター・フロントの無駄にバブリーでキラキラした建物を背に、こんな

景色を前にして途方に暮れる私は、東京っ子の私でこれだから、見渡す

限りあたりいちめん田んぼ、なんてとこから出てきた人ならもっとだろうな、

と思う。やり場のない思いを胸に、ただただ休日に電話をとってくれた唯

一の同僚に感謝。

それから30分も待ってタクシーを拾うと、乗って落ち着くなり例によって

運転手が「お仕事ですか」と話しかけてくる。こんなときでさえ私はそんな

に話しかけやすいのか。

そうです、とこたえると運転手は「お疲れ様です!」と陽気にいった後に

「休日なのに。六本木や赤坂はいまごろ人で賑わってますよ~」と楽しそ

うにいう。「でも、そういう意味では運転手さんのほうが大変でしょ、週末

も祭日もなくて」というと、「お盆休みも暮れ正月もたしかにないですね」

といってから、「でもプラス思考で考えればこの仕事は2日働いたら休み

だから、けっこう休みは多いほうなんですよ」といい、「それに好きな仕事

だから、大変なんて思ったことないですねえ」という。

それは素晴らしい、と私がいうと運転手は、「8年企業に勤めた後、この

仕事がしたくて会社をやめて始めたんですよ。あんまり歳になってからだ

とキツイと思って、比較的若いうちに」といった。

これまでどちらかというとタクシーの運転手ってほかに仕事がなくてなる

人が多いのかと思っていたから、ふーん、そういう人もいるんだ、と思っ

て聞いていると、「やっぱり好きってことは強いですね。仕事だからいい

こと嫌なこといろいろあるけど、好きだからなんとか乗り越えられる。そう

いう意味では仕事を選ぶうえでそれって大事なポイントなんじゃないでし

ょうかねえー」というので、今日みたいな日にタクシー乗ってこういう話さ

れるとは、これって神の声か? と思いながら「私は今日がその嫌な日

でした」というと、彼はもういちど威勢よく「お疲れさまです!」といった。

駅のホームについてどうしようか迷った後、気分転換に新宿のタイ料理

屋でごはんを食べて帰ることにした。今日は夕飯を作ってこなかったから

家に帰っても何もないし。

いつも行くその店はいま耐震工事中とかで営業してないから初めて2号

店に行ったら、料理を運んできたのはいつも店にいるかわいい女の子だ

った。思わず「あら、こっちにいたの?」というと向こうは向こうで「あれ?

いつもスーツでしたっけ? 感じが違うから全然わかりませんでした」と

いう。ほんとにいつ会っても感じよくてかわいい女の子。

彼女の顔を見たらなんだか気持ちがほっとなごんだ。

今日よかったのは彼女にここの本店の2割引券をもらったことだけ。

私が男だったら彼女を好きになってたかもしれない。

| | コメント (0)

2014年6月13日 (金)

不思議な夢

Baltusz_2

おとといライヴに行った帰りの電車の中で完璧な双子を見た。

私の正面にいた彼らはまさしく見事な相似形で、小さな頭に異常なほど整った

神経質そうな顔立ち、ワックスをつけてきれいに撫でつけられた髪、小さな肩

と細い身体にはタイトな三つ揃いのスーツを着ていて、ダークネイビーにごく

目立たない大きめの格子柄が入ったスーツに細いネクタイ、濃紺のソックスに

磨かれた黒い革靴、手に持った鞄に至るまで何から何まで同じだった。

違うのは髪の撫でつけ方と、片手に嵌めた指輪の位置、持った傘が片や透明

ビニール傘なのと、いっぽう黒い折り畳みの傘だというくらい。

最初、彼らの顔立ちがとても若く見えるせいで、一瞬制服かと思ったそのスー

ツの襟には共に同じ社章のピンバッジが付いていたから、どうやら彼らは同じ

会社に勤めているらしい。これだけに似た顔の、同じファッションの人間が2人

いる会社ってどんなだろう、なんて漠然と思った。

私は例によって本を読んでいたし、それほどじろじろ見ていたわけではなかっ

たのだけれど、彼らの態度には『人に見られることにはじゅうぶん慣れている』

といった雰囲気がありありとうかがえた。たまたま慌てて家を出るときに適当に

本棚から抜き取った文庫本が村上春樹の古い小説だったりしたせいで、私は

本に目を落としても前を見ても奇妙な世界のなかにいた。

ほんとうに、バルテュスか金子国義に描かせたらいいようなモチーフだった。

その晩は(もう帰りの電車の中からそうだったのだけれど)、行きの電車でひど

く窮屈な思いをしたせいか、それとも今の季節特有の『湿邪』というもののせい

なのか、肩関節がひどく痛んでなかなか眠れず、眠ってからも脈絡なく細かく

分割された映画のシーンのような奇妙な夢を次から次へと見続けた。

その最後の夢が凄かった。

どこか天井の高い教会のような、美術館のようなところにいて、高い台のような

ものの上に一見して裸のキリストとわかる人がいる。あの筋肉質からいってミケ

ランジェロのキリストだ。と、次の瞬間、何が起こったのかキリストが宙を舞って

下に落ちてくるのだけれど、落ちてくる途中でその姿はなぜか胞衣をまとった生

まれたばかりの赤子に変身してしまう。(そのとき夢のなかで自分がはっきり胞

衣『えな』と発音するのに自分で驚く。)それを見た私は「受けとめなければ!」

と激しく思って両手を上に差し伸べるのだけれど、はたしてすっぽりと私の腕の

なかに落ちてきた赤子はひどく弱々しくて寒そうなのだった。それで「早く胞衣

から出してきれいにして温めなければ」と思ったところで目が覚めた。

目が覚めて誰にいうともなく「いまキリストの夢みた!」と声に出していった。

目覚め間際の最後の夢のインパクトがあまりに凄かったせいで、それ以外の夢

はみーんな忘れてしまった。

して、この夢をなんと解く? 

というとこだけれど、少し考えてから考えるのをやめた。

ひとついえるのは、この夢が嫌な夢ではなかったことだ。

光にあふれていたし、私は自分の抱いている赤ん坊がとても大事に思えた。

それで私はこの夢を吉兆と思うことにした。

夢はいつだって不思議だ。

でもときどき、自分の生きているこの現実こそが夢なのじゃないかと思える。

そして我々にとっていかにこの世界が終わったかに見えようとも、いま生まれた

ばかりの赤子にとっては世界はまだ始まったばかりなんだよね。

いま生まれたばかりの赤子のような目で世界が見られたらどんなにいいだろう。

上の絵は、このあいだ行ったバルテュス展で買ってきたポストカードから。

バルテュスが自分の小さな娘のために描いたといわれるデッサン。

ポストカードの裏には《春美のための九つのデッサン(『不思議の国のアリス』)

による)》と書いてある。使っているのは鉛筆とフェルトペンと色鉛筆。

バルテュスのこんなラフなデッサン、というかイラストをもっと見たかったな。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧