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2020年11月 3日 (火)

雲は雲で。

201104sky

世の中のひとがちょうどお昼ごはんを食べる時間よりちょっと遅いくらいに、タッパに温かい栗ごはんと豚汁とほうれん草のごまあえを詰めて、いますぐ食べられるばっかりにして持って行ったのに、戸をたたいても隣人は出てこない。でも、人嫌いのちょっと変わったひとだし、年寄りのおっさんだから横になってたりしたら起き上がるにも時間がかかるだろうしと思って、何度かチャイムを鳴らしたりドアをたたいたりしてしばらく待っていたけれど、いっこうにドアが開かないので、しかたなく家に戻った。
そしたら夕方、どこかに散歩にでも行っていたのか、階段をえっちらおっちら上がってきた隣人がドアを開けながらゴホゴホ咳するのがきこえて、すぐ後からふたたびドアをノックするとこんどはすぐにドアがひらいて、でもこのひとは見慣れてるはずのわたしをいつも、まるで「あんた、いったいどこの誰?」とでもいいたげに、首をかしげてひどくいぶかしげに見るから、こっちは思わずひるみそうになる。それにドアをあけるなり煙草の匂いがものすごくて息が詰まりそうだ。それでもドアをあけてしまった手前、「えーと、あのう、栗ごはんと豚汁つくったので食べますか?」というと、おっさんは妙に勢いよく「なんでもたべますよ! そりゃあ、すみませんねえ」と意外とまっとうな返事をする。それを聞いてちょっとほっとして「さっきすぐ食べられるように温めてもってきたんですけどお留守だったから。もしいま食べるんでしたら温めなおしてきますけど、どうしますか?」と訊くと、「わざわざ温めなおさなくても自分であっためなおすからいいですよ」というので「ほんとに? 電子レンジはありますか? お鍋は?」と矢継ぎ早に疑問だったことを訊くとおっさんは、いやだなあ、、、という顔をして「電子レンジくらいありますよ!」というのだった。へーえ、そうなんだ、と思いながら「じゃあ、いま持ってきます」といって、さっきテーブルに置いたままのカルディの袋をさしだすと、おっさんは「これはこれはありがとうございます」とうけとった。たったそれだけのあいだに自分も全身煙草臭くなってしまったような気がした。

それで部屋にもどってきて娘に「隣のうち、電子レンジあるんだってさ。なんでもたべますよ! って、怪獣だね。このあいだ、ちくわぶ残してたべなかったくせにね」なんていって笑った。
この話には前があるから知らないひとはこれだけ読んでも文脈がわからないと思うけれど、わたしがこんなことをしてるのは単におせっかいって話もあるけど『情けは人のためならず』でもあるし、『汝の隣人を愛せよ』でもあるし、高齢化社会における深刻な問題でもある。つまり、知らない間に隣人が故老死してた、なんてことがふつうによくある世の中だからだ。自分の近くでそれだけは避けたいと思う。ひとはいつか死ぬし、死ぬときはあっけなく死ぬ。老人で病気だったらなおさら。身近なひとの生死に無関心でいるのだけはやめようって、ただそれだけのことだ。自分に何かを課そうとなんか思わないし、他人に干渉する気もない。食べ終わったタッパをそのままにされると臭くなるから「水でゆすいで返してください」とメモには書いて入れたけど、何も期待してなければ、同情も同調もしてない。みんな自分のやりかたがあるしタイミングがあるし気分ってものがあるから。
「それにしても買ったばかりの自転車を盗られちゃったのはかわいそうだね」と娘にいったら、「でも、別のかたちで返ってくるかもしれない」というから、「隣人がごはんを持って来たり?」といってから、「隣のおばさんからなんどか夕飯のおかずもらったことあったもんね」といったら、娘は娘で「そういえば小学生のとき、カギを持ってでるのを忘れちゃって玄関の前で待ってたとき、隣のおじさんに飴もらったことがあった」という。
へーえ、あのおじさんにもそんなときがあったんだあ、と話した。
そうだ、いまは全身ニコチンまみれで皮膚病で人間嫌いの偏屈なあのおじさんだって、まだこどもがちいさくて奥さんが若くて楽しくてしあわせな時代があったのだ。隣の家に入れないカギッコに飴をあげるくらい余裕があってやさしい時代が。
おじさんがいまみたいになっちゃったのはぜんぶ自業自得とはいえ、たまにごはんの差し入れくらいあったっていいよね?
写真はでてこない隣人を待つあいだに階段の踊り場で見た空。
今日も青空に白い雲ぷかぷか。

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