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2020年9月25日 (金)

息子が生まれた日

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いま思いだしてもラッキーだったと思うのは、その日は土曜日でSちゃん(元夫)が家にいたことだ。
常日頃からもし自分ひとりのときに陣痛がきたらどうしよう、と思っていたから。
外は一日雨の暗い日で、テレビのニュースでは昭和天皇が重体になったことをしきりに報じていた。
夕飯をすませたあとなんだかお腹が痛くなってきたのでトイレに行ったらお腹が下って、でもこれはただのお腹下しではないような気がして、もしや、と思い、トイレを出たあとSに「もしかしたらいよいよかもしれない」と伝えた。
でも、そのころ通っていた病院の母親学級では、おかあさん予備軍である女性たちはナースさんからさんざん「陣痛がきたからって慌てて救急車を呼んだりしてはいけません(恥ずかしいから)」とか「まだまだ先なのにフェイントして病院に早く来たりしないように」とか、まぁ、さんざんうるさく教え込まれていたから、それからお風呂に入って出かけるばっかりに身支度してから、椅子に座って時計を見ながら陣痛の間隔をみなきゃならなかった。
そして、やっぱりこれはいよいよだとなったとき、Sちゃんにタクシーを呼んでもらった。
もうずいぶん遅い時間だったと思う。
夜のタクシーの中では「ときどき間に合わなくてクルマの中で産気づいちゃうひとがいるんだって。そうなったらどうしよう?」とか、「逆に病院に行ったら(陣痛が)おさまっちゃったりして」なんてことを冗談交じりに話した記憶があるのだけれど、実際のところは不安だったことを憶えている。
無事病院に着いて受付で手続きをすませると、夫の立会出産を申し込んでいなかった我々は暗い廊下でいったん別れた。そのとき彼がわたしになんといったか全然おぼえてないのだけれど、わたしはたしか「気をつけて帰ってね」とかいったと思う。もう夜遅かったし、雨も降っていたから。入院するための荷物をうけとって、ひとりになったときのなんとも心細い気持ち。
それから寝間着に着替えて必要な処置をうけて、カーテンで仕切られたベッドが6つだったか8つだったかある『待機室』というところでベッドに横になって陣痛の波を感じながらその痛みに耐えながら自分の順番(そのとき)がくるのをひたすら待つのだけれど、それが長くてつらくて孤独だったなあ・・・・・・
立会出産を希望しなかったことをちょっと後悔したくらいだ。
わたしのベッドは窓際にあって、窓のほうを向いて横向きに寝ていると、下の道路を走るクルマの音が外はまだ雨だと教えてくれた。
それから妊婦たちの息遣い。うめき声。ナースを呼ぶブザーの音。腰をさすってもらう衣擦れの音・・・・・・。
妊婦たちのひっ迫した様子を聞いているだけで、次にどのベッドが分娩室に運ばれるのかわかるようだった。
何よりこわかったのは分娩室から聞こえてくる妊婦の大きな喚き声!

まいったのは一晩じゅう苦しんで白々と夜が明けるころ、いよいよついに自分の番がまわってきてストレッチャーで待機室の外まで運ばれたにもかかわらず、その日は満月間近で出産する人がいっぱいいたせいでなかなか分娩室が空かずに、そのまましばらく廊下に放置されたことだ。そしていざ分娩台にあがって助産婦さんに促されるままラマーズ法の呼吸をはじめたら、途中でなんだか陣痛が遠のいてきちゃって意識も朦朧としてきちゃって、すると医師がこっちがびっくりするような大声で「まずい! 赤ちゃんの心音が小さくなってきた!!」と叫ぶや、助産婦さんにいきなり酸素マスクを付けられた。「思いっきり息を吸ってください!」といわれて思いきり息を吸ったり吐いたりすることどれくらいだっただろう・・・。酸素マスクってこんなにラクなんだと思った瞬間。けっきょく陣痛促進剤を使ったらロケットみたいに赤ちゃんが出てきちゃって、会陰切開したにもかかわらずもっと切れてしまって大量出血。輸血にまでは至らなかったものの、重度の貧血に陥ってそのあと点滴付けて24時間歩行禁止、とあいなったのでした。
赤ちゃんが生まれた直後、「無事に生まれましたよ!」と助産婦さんが一瞬わたしの胸の上に赤ちゃんを置いてくれて、その言葉に心底ほっとしたものの出産のショックで朦朧としていて、そのとき見た赤ちゃんの顔のすら記憶に残ってないほど。分娩室から運び出されるときに、上から見下ろしているSちゃんや自分の両親の顔も見た気がするけど、いまとなっては2度めの出産のときとごっちゃになっていてよく憶えてない。無事生まれてよかった。元気な男の子だったよ。お疲れさま。ありがとう。とか、口々にいわれたような気がする。
あとから家族に聞いた話によれば、分娩室から出てきたわたしの顔があまりに真っ青で心配になったそうだ。そりゃそうだよ。まじで死ぬかと思ったもん。
ただ、あとで思えば自分でも意外と冷静だったと思うのは、そこはキリスト教系の病院で、なんと分娩台に横になった自分の目線の先にイエス様の肖像画が飾られていて、陣痛に苦しんでるあいだも「キリスト教の人はこういうときでもイエス様の顔を見るとその苦しみがやわらぐのかな?」なんて思っていたことだ。どこまでいってもわたしにはそういう(アホな)ところがあって、でもそれゆえにこれまでずいぶん救われてきたような気がする。
息子が生まれたのはもう翌朝の8時58分。

産後はまるで産卵を終えたホッチャレのようにぼろぼろになってストレッチャーで病室に運ばれ、ナースさんにきれいな寝間着に着替えさせてもらって腕に点滴の針を刺され、尿の管を付けられ気絶するように眠っていると、おばあちゃんシスターがわたしのサイドテーブルに朝食を運んできた。なんたってこちらはいま出産を終えたばかりで食事ができるような状態じゃないから「いまは無理です。食べられません」というと、彼女は紅茶の入ったカップにスプーンで2杯も砂糖を入れてかき混ぜると、「じゃあ、これだけでもお飲みなさい。疲れてるときは甘いものとると元気がでるよ」といって短いストローまでさして差し出すのだった。
その紅茶のなんてあまくておいしかったこと!
そのころのわたしは(髪が赤ちゃんにかからないようにと)長い髪を三つ編みにしてしていてガーリーなKID BLUE のナイティなんか着ていたものだから、ひどく子供っぽく見えたんだろう。後から採血にやってきたおっかないベテラン婦長はわたしの腕をとるや、「なんて細い腕! こんなんで子どもが育てられるの!」とぴしゃりといって、ただでさえ24時間歩行禁をいい渡されて落ち込んでいるわたしを大いにへこませたのだった。実際、出産の前日から退院する前日まで毎日毎日暗い雨の日がつづいて、軽い産後うつになりそうだった。それで、あんな大変な目にあったのだから自分はてっきり難産だったのかと思いきや、助産婦さんにいわせると初産で11、2時間くらいかかるのはごくふつうのことで、あれでも安産だったっていう。満月のときに赤ちゃんが生まれるのは自然の摂理にかなっているから、たいてい安産なのだって。当時その病院は日本でいちばん赤ちゃんが生まれることで有名な病院だったのだけれど、驚いたことに昨夜だけで20人も生まれたらしい。どうりでなかなか分娩室に入れてもらえなかったわけだ。
ふつう、何事もなく出産を終えた母親は翌朝きまった時間にワイワイといっせいに初乳を与えに新生児室まで歩いていくのだけれど、24時間歩行禁のわたしはみんなとちがう時間にひとり車椅子に乗せられ新生児室まで連れていってもらって、産後はじめて自分の子どもと対面することになった。生まれたばかりの赤んぼがずらっと並んで寝かされているガラス張りの新生児室で、ナースさんから白い産着を着た赤ちゃんをそっとうけとり、ぎこちなく抱いたら、その子はきょろっと視線を上げてわたしを見た。その感じ・・・・・・。まるでそのとき息子は「I know」といってるようだった。すかさず若いナースさんがわたしに「あなたがおかあさんだって、ちゃんとわかってるんですよ」といい、思わず緊張の糸が解けて涙をぽろぽろこぼしてしまったこと。いま思いだしても泣けてしまう。
静かで、賢そうで、ほんとうにきれいな赤ちゃんだった。
それまでわたしはとくべつ自分が子ども好きだと思ったことはなかったけれど、谷川俊太郎のおかあさん同様、すっかり自分の息子に夢中になってしまったのだった。

それから今日で32年。
32年がたった。
けして短かいとはいえない月日。
ここまでほんとうにいろいろあったし苦労もしたから、とてもじゃないけど短かかったとか早かったなんていえない。
むしろ、ようやくここまで来たか、という感じ。
わたしもほんとに年を取った。
正直、こんなに長く自分がひとり親をすることになるとは思わなかったけれど、今日、あの日のことを思いだして、もし32年前に戻ってやり直すことができるなら、わたしはもっとうまくやれるだろうかと考えて、いまの、この自分でやり直せるならいざ知らず、やっぱり起きたことすべては必要、必然だったんだろうと思った。
それに、ひとり親といったって、ほんとうに困ったときは物心共に助けてくれた親きょうだいや、わずかだけど友達がいてくれたこと。こころから感謝したい。そして彼がいなかったら子供の存在すらなかったのだから、やっぱりSちゃんにも感謝しよう。
むかぁ~し、何かの本で読んだのだけど、子どもは三歳までに親に一生分のプレゼントをしてくれるのだから親はそれ以上は期待しちゃいけない、って。たしかにそうだと思う。ただただかわいがりさえすればよかった一歳までの赤ちゃんとの時間は母親にとっては一生の宝物で、三歳くらいまでの息子とわたしは、まるでウッドストックとスヌーピーみたいだったのだから。もう十分にもらったし、それ以上にもらった。
非力で、いろいろ足りない母親のもと迷惑もかけたし不自由な思いもいっぱいさせたと思うけど、でもこの25年、わたしが何よりも大事にしてきたのは二人の子供以外の何物でもない。
ここまでの、曲がりくねった長い道。
ここからつづく遥かな道。
とにかく元気で生きてさえいてくれたらそれでいい。
でも願わくはしあわせに!
今日は息子の誕生日だ。
誕生日おめでとう!!!

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コメント

そうきちさん、こんにちは!

メグさんの命日の頃はあんなに暑かったのに、すっかり秋が深まって寒くなりましたね。
お元気でしたか?

息子さんの出産の際は大変だったのですね。すごいですね、30年前は毎日たくさんの子供が生まれていたのですね!
私は40代で独身で出産歴もないので、出産ってこんなに大変なのだと改めて感じました。
私のお産の時は、注射を打って5分で生まれたそうなので、楽だったと母から聞いています。
それもあってか、私は本当に親不孝だと思うのですが、産んでくれてありがとうとは思えないんですよ〜。本当に酷いですね。今の自分が幸せだと思っていないからでしょうか。

いろんなことがあって、今までおつきあいした人達とはご縁もなく結婚することもなかったような私。
生きてる意味あるのかな〜って時々思います。
外国でのことですが、「生まれたくなかったのに産んだ親を裁判で訴えた子供」がいるそうで、ちょっと笑ってしまいました。

私も結婚して子供がいたらどんな人生だったかと想像しても、全く想像できないですが、今のようなこんな私にはまともに子育てできなかったかもしれません。
そうきちさんの息子さんや娘さんに対する気持ちを読むと、素敵だな思います!

ごめんなさい、こんなコメントを書いてしまって。
いつも楽しみに読ませていただていいます!
そうきちさんの丁寧な暮らし。読んでいると心が落ち着きます。

投稿: ミツキ | 2020年10月29日 (木) 16:32

ミツキさん、やっほう!

今回もメッセージ残してくれてどうもありがとう。
ほんとにだいぶ寒くなってきたけど元気ですか?

生きるってほんとうに大変だよね。
特に今年はそう感じてるひと多いんじゃないかな。

わたしはもともと雑なことするのは嫌いなんだけど、でもわたしがいま丁寧に暮らしてるみたいに見えるのは失業してるからじゃないかな?
退職してからもう1年以上たつのに、いったい何やってるんだかですよ。
でもこういうふうにしかできなかったんです。
ミツキさんがいまどんなふうにお暮しなのかわからないけど、毎日フルタイムで働きに行ってたらそうそう丁寧な暮らしなんてできないでしょう、と思います。
わたしだってきっと毎日バタバタで、朝ごはんだってちゃんと食べれないかもしれません。
早起き苦手だしね。

それで、ミツキさんは自分のことを親不孝だっていうけど、きっとそんなことはないと思う。
産婦人科の先生や助産婦さんはたいていのお産を安産だというけど、でもラクなお産なんてひとつもないんです。
だって10ヵ月もお腹に赤ちゃんを抱えてるんですよ!
それがどんなに大変なことか・・・・・・。
ミツキさんが五体満足で元気に生まれてきてくれた時点でもう親にとってはすごい親孝行なんです。
赤ちゃんが無事に生まれたとわかった瞬間のあの安堵ったらありません。
で、親の立場からいわせてもらうと、別に親は子供に親孝行してほしいと思ってるわけじゃないんだよね。それよりも子供が元気で楽しそうに、しあわせそうにしてくれてたらそれがいちばんなんです。少なくともわたしはそうです。

だからもし、ミツキさんにいま問題があるとしたら、親不孝ということより、自分がいましあわせじゃないって思ってることのほうだと思う。
サンマさんじゃないけど、しあわせっていったいなんだろうね?
結婚してないことが、誰ともご縁のなかったことが不幸せ?
でもミツキさん、まだ40代なんだよ?
よくある慰めでもなんでもなく、これからまだまだいろんなひとと知りあえるし結婚もするかもしれない。でも結婚するしないも子供がいるいないもたいした問題じゃない。あなたがしあわせなら。

今日ようやくアップした記事に書いたプリミ恥部さんの本のなかにこういう言葉があったので書いとくけど、『宇宙愛による恋愛/というのがもっと地球に普及していけば/子どもが産まれる、産まれないなどの/悩み以上の愛の波動のすばらしさ、奥深さ、尊さを/地球人が感じられる日がくるでしょう』っていうの、わたしもほんとにそうだと思います。

さて、ここからさらに書く予定だったんだけど、もう0時をまわっちゃったからまた明日にします。
これからお風呂に入って瞑想なんだ。
・・・・・・というわけで、またこのコメント欄に戻ってくるのでミツキさん、よかったらおつきあいくださいまし*

投稿: soukichi | 2020年11月11日 (水) 00:13

ミツキさん、こんばんは!

また明日コメントのつづき書くといって、あっという間に4日も経ってしまいました。
ごめんね。
じつはまた長くなりそうなので昨日、途中までそうとう長くメモに書いたんだけど、いま見たら残念なことに見事にぜんぶ文字化けしていたので、たぶん昨日とまったくおなじには書けないと思うけど、今日は最初からここに書こうと思います。
これから話すことはかなりスピリチュアルな話になるので、もしかしたらミツキさんは素直に受け入れられないかもしれない。
それならそれでかまわないし、読んでていやだったらスルーしてください。

ひとはこの地球に生まれてくる前に、あらかじめ自分のやりたいこと、テーマ、ストーリー、ミッション、、、呼び方はなんでもいいけど、人生の青写真を描いてくるといいます。
でも、高次の世界から低次のこの地球に生まれてくるときにもともとひとつだった魂はハイヤーマインド(ハイヤーセルフ)と肉体意識(エゴ)の2つに分かれてしまうので、地球に生まれてくるときには青写真のことなんかたいていすっかり忘れてしまっている。
なぜ忘れてしまうのかというと、宇宙的観点からいってスピリットがこの地球に降りてくる最大の理由は、この地球でしか体験できないことを体験するため、そしてそれによって味わった感情をできるだけたくさん収集するためだからです。
あらかじめストーリーのわかっているゲームじゃつまらないから。

そしておなじように、宇宙意識におけるしあわせの定義とは、『やりたいことを、やりたいときに、やれること』。もっというと、『やるべきことを、やるべきとき(タイミング)に、やれること』、だそうです。
間違っちゃいけないのは、この『やるべきこと』とは『やらなくちゃいけないこと』ではなくて、あくまで自分が『やりたいこと』。
『Must』ではなく、『Want』です。

で、さっきいったように、わたしたちはあらかじめこの世界で『やりたいこと』(青写真)を前もって決めてきているのだから、それをやれること=しあわせ、ってことになる。

でもって、この三次元世界を生きるのに肉体意識(エゴ・顕在意識)とハイヤーセルフ(高次の意識・潜在意識)は(分離はしているけれど)いつでも2つセットで存在していて、ふだん優位になっている肉体意識は青写真のことをすっかり忘れていても、ハイヤーセルフ、つまり潜在意識のほうは青写真のことを覚えていて、わたしたちが間違った方向(つまり、ほんとうにやりたいことじゃない方向)に行ったりすると、肉体や感情にサインを送ってくれている。
それが例えば心身の不調だったり、病気だったり、ケガだったり事故だったりするわけです。

そして、わたしも最近になってこの『青写真』の重要さがようやく腑に落ちたんですけど、わたしたちがあらかじめ決めてきたことに実は人生のすべてがあって、それをすることでわたしたちは『ほんとうの自分』になれるんですね。

と、ここで『ほんとうの自分』について説明しなきゃならないけど、この世界はすべて波動(周波数)でできていて、ミツキさんも、ミツキさんがいま向かっているPCも机もぜんぶ周波数でできています。
そして、我々はひとりひとりまったく独自の周波数(シグネチャー・バイブレーション)を持っていて、宇宙の意識をジグソーパズルでできた巨大な絵にたとえるなら、我々はそのパズルの小さなピースのひとつなんだ。
でも、小さな1つだからってバカにできなくて、その1つなくしてその巨大な絵は完成しない。
つまり、我々がいまここに存在しているという時点で、すでに我々は無条件で宇宙に必要とされた存在だということ。
そして自分が『ほんとうのかたち』(true shape)になって見事にこのジグソーパズルの絵にピタッとはまると、自分のまわりのピースもパタパタパタっとはまって、シンクロニシティが起きるという。その現象こそがシンクロニシティだという。
これってすごくないですか?
わたしはこれを聞いたとき、久々にわくわくしたし、そのシンクロニシティを見たい! と思いました。

さて、こんなに長く書いて、つまりわたしが何をいいたいか。
人の人生とは、自分が描いてきた青写真をみつけて、それをやる旅なんです。
ほんとうの自分になるための旅。

だから結婚しているとかしてないとか、子供がいるとかいないとか、彼氏がいるとかいないとかはあまり関係がない。というか、もともと自分の人生のテーマにそれを入れてなかったのかもしれないし。
人はそれぞれ自分のテーマを生きてるだけなので、どう生きようがいいんです。

逆にいうと、ミツキさんがいまもし結婚してないことや男の人とご縁がなかったことで自分をしあわせじゃないと感じたり、生きている意味を感じられないでいるとしたら、いまのミツキさんが自分の描いてきた青写真と違うってことをハイヤーセルフが教えてくれてるのかもしれない。
だとしたら、ほんとうに自分がほんとうに望んでることを素直に正直に表現したらいいんです。自分が結婚したところなんかまったく想像できない、といってたら、どうやってもそういう未来しか来ないから。

そして、自分の青写真をみつけるのにはヒントがあって、それは『わくわくすること』をやること。
その『わくわくすること』も、長らく世の中の常識を優先して自分を無視して生きてると心がすっかり鈍感になって心が死んでて、いったい自分が何にわくわくするんだったかさえ忘れてしまうんだけど、何かを、誰かを見たとき、なんだか知らないけどすごく惹かれる、わくわくする、楽しい、と思ったら、その惹かれる対象のなかに自分がやりたいことと共通するものがあるそうです。

・・・・・・と、ここまで書いて、昨日とはまったくちがう文章になってしまったけど、なんとなくわたしのいいたいことはわかっていただけたでしょうか。
わたしはこういうことをこの1年あまり、精神世界の本やらYouTubeの動画で詳しく知って面白くて面白くてたまらなかったんだけど、もしよかったらYouTubeで岩瀬アキラさんの『バシャールの9つの意識レベル』とその効果を解説しました、という動画を見てください。すごくわかりやすいので。
そして、もし面白いと思ったら岩瀬さんの他の動画も見て。
それを見てほんとに意味がわかったら、生きてて意味あるのか、なんてきっと思わなくなるから。

ミツキさんとくらべたらわたしなんてもうおばーさんみたいなもんですが、でもいまからだってほんとうの自分のかたちになってパタパタパタ・・・っと世界が変わっていくのを見たいと思っています。そして自分がほんとうのかたちになる過程で出逢うひと、出逢えるひともまだまだたくさんいるんじゃないかと思っています。
まだ40代のミツキさんならなおさらです。
歳は大幅にちがうけど、ふたりともまだ旅の途中。
お互い、いい旅をしよう!!!

投稿: soukichi | 2020年11月16日 (月) 23:26

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