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2020年9月26日 (土)

『永遠のソールライター展』を観に行ってきた。

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今日は滅多にないことプールを休んで雨のなか渋谷Bunkamura に出かけた。
来週の月曜で会期が終了する『永遠のソールライター展』をどうしても見たくて、安いチケットを手に入れて。
Bunkamura に行くときは、よっぽど急いでないかぎり、京王井の頭線に乗って神泉から行く。行きは電車もそんなに混んでないし、何よりわたしは京王井の頭線から見える景色が好きなのだ。都心に近いのになんとなく長閑な感じがして、晴れた日は線路沿いが明るく見え、いつかこの沿線に住めないかなとか思っている。神泉から Bunkamura までの道も静かで、こじんまりしたいい感じの食べ物屋が増えて、以前よりずっと浄化された感じだ。どこの街を歩いていても滅多に好きな建物を見ないけど、松濤通りにはシックでクラシカルな雰囲気のマンションもある。もうずいぶん前からわたしはいま自分が住んでいる町に飽き飽きしていて、どこかに引っ越したいけど、でもいざどこに行きたいか考えると住みたい町のイメージが湧かなくて、あるとき、雨が似合う町ならいいんじゃないかとひらめいた。つまり、雨の日に美しい町なら、晴れた日はもっと素敵なんじゃないかって。渋谷に住みたいと思ったことは一度もないし、また住めるわけもないけど、ここ松濤あたりは雨も似合う街だと思う。

そして『雨』といったら、ソール・ライターだ。
ソール・ライターのことは3年前、やっぱりここBunkamuraミュージアムで行われた大回顧展の案内を見て初めて知った。そのときいくつか目にした写真にとても惹かれ、「これは絶対に行こう!」と思っていたのに、忙しさにまぎれてうっかり行きそびれてしまったのだ。今回どうしても行かねばならないと思ったのは、『1950年代からニューヨークで第一線のファッション・カメラマンとして活躍しながら、58歳になった年、自らのスタジオを閉鎖し、世間から姿を消したソール・ライター。写真界でソール・ライターが再び脚光を浴びるきっかけとなったのが、2006年にドイツのシュタイデル社によって出版された作品集でした。時に、ソール・ライター83歳。』と、こんな文章を読んだからでもある。58歳のとき、いったい彼に何があったのだろうか。でもそれはいまの自分にもすごくフィットする感覚だし、『これからは自分の書きたいことだけ書く』といって60くらいのとき新宿の小さな編集室をたたんでとっとと八丈島に隠遁してしまったボス(わたしの昔の職場のボス)にも通じる。60を前にして、ソール・ライターもはっきり自分の人生のタイムラインを変えようとしたのではあるまいか。

いうまでもないことだけど、今年は何が面倒かって、どこに行ってもコロナでいろいろ手順が必要なことだ。
絵を観るのもあらかじめネットで観覧予約が必要だし、ミュージアムの前にいったら予約した画面をスマートフォンに提示してチェックしてもらわなきゃならない。それからコンピュータの画面の前に立って検温、チケットを切ってもらって手をアルコール消毒して列に並ぶ・・・・・・。行くほうも手間だけれど迎えるほうの手間もたくさんあって人件費はかかるし、それに入場制限があるのだから通常通りの興行収入は見込めないだろう。やれやれ、大変なこった。
そうやって入場してみると、中は思いのほか混んでいた。
例によって「展示はどこから見てもかまわないので順番にこだわらずに空いているところからご覧ください」といわれる。それで最初のご挨拶から写真の横にあるテキストをじっくり読むのなんかはあきらめて、人だかりの少ないところから飛び飛びに見ていくことにしたけれど、やっぱりできれば主催者の意図通りに見てきたいものだ。こういう日本の展覧会事情ってどうにかならないものだろうかと毎回思う。そんなだから、ここに引用するテキストの言葉もざっと見た曖昧な記憶によるものであまり正確じゃない、ということをあらかじめ書いておく。

まず最初にインパクトを感じたのは、非常に敬虔で厳格なユダヤ教の聖職者の家庭に生まれたというソール・ライターが、『自身の育った家庭には優しさという概念がなかった』といっていることだ。『優しさがなかった』といっているのではない。『優しさの概念がなかった』といっているのだ。それってどういうことだろう? 
優しさの概念すらない家庭って、ある意味すごくないですか?
そして次に目に入ってきた写真、ソール・ライターの妹と母が映っているモノクロの写真の、母親の顔を見たとき、「ああ、どこの家もまったく問題を抱えてない家ってないなあ」と瞬時に思った。
ユダヤ教の高名なラビであった父親の敷いたレールのまま神学校に通っていたソールは学校では優秀な成績を収めていたものの、厳しい戒律や倫理観に縛られた生活が窮屈に感じられるようになって、しだいに絵を描くことに喜びを見出してゆく。家族ではひとりだけ変わり者だったソールを、唯一理解してくれたのは二歳下の妹でデビー(デボラ)だった。優しさの概念すらない厳しいだけで温かみのない家庭にあって、デビーの存在はどれだけソールにとって救いだったろう。ソールの初期の写真のモデルとなったデビーは、その写真の中で内向的でありながらユーモアも感じられる、繊細で美しい面影を見せている。その写真を見ると明らかに彼女の中にも純粋な創造性と自由への希求が感じられ、家庭の中で変わり者だったのはけしてソールばかりではなかったことが伺える。彼女にとってもクリエイティブな兄ソールの存在は面白かっただろうし救いだったにちがいない。かなしいのは、愛のない家庭がたどり着く末路といえばあまりにもぴったりだけど、そんなデビーが20代で精神障害を患い、82で生涯を閉じるときまで(つまり人生の大半を)ずっと施設で暮らしたということだ。そこには兄がいなくなったことも深く関係しているだろう。

友達に絵が2枚売れたことを機に、ついにソールは父親の大反対を押し切って家出同然に家を出る。23歳のとき。
ニューヨークに行ったのは画家を目指してのことだった。
着いたばかりのころは寝るところもなく、セントラルパークのベンチで夜をすごすようなこともあったそうだ。
12歳のとき母親にねだって『デトローラ』というトイカメラを買ってもらったくらいのソールだから、そのころも写真は好きでずっと撮りつづけていたんだろう。あるとき美術学校に通う友達から「絵だけで食ってくのは難しいけど、写真ならなんとかなるかもしれないよ」と写真を撮ることを勧められ、その友人のひとり(ウイリアム・ユージン・スミス)から古いライカ(!)を譲り受けて、本格的に写真を撮りはじめることになる。芸は身を助く、というけれど、ほんとに何が仕事になるかわからない。何より、好き、ってことがいちばんなんだと思う。
それから独自の表現をつかむまでにはもちろん、数々の人との出会いや技術の研鑽があったにせよ、ラッキーだったと思うのは、もともとソール・ライターの写真に関心を持っていたヘンリー・ウルフが『ハーパース・バザー』の編集長に就任してからはほぼ毎号ソールの写真を起用してくれたことだ。それにより彼は一流のファッション・フォトグラファーとして活躍することになっただけではなく、仕事を通じてその後40年もの生涯を共にすることになる、若き美しきモデルのソームズ・バントリーと出逢った。彼女もまたニューヨークでモデルをしながら画家を目指している女性だった。共に『絵』という、大きな共通項を持つふたりの関係は友達、恋人、同志、家族、といろんな呼び名で呼ぶことができると思うけれど、端的にいってふたりはほんとうの意味でのソウルメイトだったんだと思う。

さて、タイムラインの話。
58歳にして突然、写真家としての第一線から退き、スタジオをたたんでみんなの前から姿を消したソール・ライターはいったいどこに行ったのか。『ハーパース・バザー』や『ヴォーグ』や『エウクァイア』など一流のファッション誌のグラビアを飾った美しいモデルと、それらの写真を撮ったニューヨーク5番街に豪華なスタジオを持つ気鋭の写真家。成功したふたりのことだからきっと都心から離れた風光明媚な瀟洒な家で優雅にすごしたのかと思いきや、まったくそうではなかった。ソールはピッツバーグの実家から初めてニューヨークに出てきて移り住んだのとおなじ街、イースト・ビレッジの長年住み慣れたアパートでその生涯をすごしたそうだ。後からおなじアパートに引っ越してきたソームズとともに。そして驚いたことにリタイアした後のふたりの所持金はほとんどゼロに近かったという。ほんとうにお金に困るとソールは大事にしていた絵画のコレクションを売っていたらしく、それは「ソームズは納得いかなかったと思う」と、どこかに書いてあるのをみつけた。それがどんなことかはこの一年、断捨離と称して不要な物も大事にしてきた物もことごとく売っぱらってきたわたしにはよくわかる。おかげですっかり物欲がなくなってよかった。

そうしてふたりはお金に困っても働くことはせずに、北向きのアパートのやわらかい陽の当たる窓辺で毎日絵を描き、写真を撮って暮らした。そこにはかつての華々しさはない代わりに、ほんとうの暮らしがあった。資本主義や物質主義の消費社会とは遠く離れ、地位や名声、富といったものに背を向けた、ただ創造のためだけの暮らし。その日々の中でソールは長年住み慣れた近所の街や、身近な愛するひとたちといった、誰のためでもない自分のためだけの写真、自分の撮りたい写真を撮りつづけた。それは、『成功のためにすべて犠牲にする人もいるけれど、私はそうはしなかった。私を愛してくれる人、私が愛する人がいるかということのほうが、私にとって大事だ』という彼の言葉にもよく表されていると思う。
また、もともと近くの教会の牧師がアーティストのために建てたという、いまでは築100年以上というイーストビレッジのアパートがもうほんとうに細部に至るまで、まるごと美術品みたいに雰囲気のある素敵な部屋で、そこで撮ったソールとソームズの写真を見ても、彼らがどれだけその部屋で濃密な時間を過ごしたかがよくわかる。
まごうかたなき愛の暮らし。
物理的にはずっと同じところにいながらにしてまさしくソール・ライターはタイムラインを変えたのだ。ほんとうに自分が望むタイムラインに。
それを彼はこんなふうにいっている。
『神秘的なことは馴染み深い場所で起こる。なにも世界の裏側まで行く必要はないのだ。』と。

モノクロの写真やカラー写真、ずっと描きつづけていた絵などの展示の中にひときわ心惹かれるものがあって、それは1977年1月1日にソームズがソールから贈られたという、25×20cmの和紙に描かれた水墨画のような20点の連作で、インクの濃淡で描かれた抽象画。なんとも愛らしい作品で、最後に『ソームズへ。愛をこめて』とサインがあって、それを見た瞬間、「ほんとに愛がいっぱいだなあ!」と思わずちいさく声にだしていってしまった。横のテキストには『それはまるで、水墨による20篇の散文詩でした。』とあったけれど、こんなのをもらったらどんな高価な贈り物をもらうよりうれしいだろう!

でも、そんな無駄をそぎ落とした、ある意味、禅僧のようなシンプルライフも困窮するまでになったらどうだろう?
いくら対等のアーティスト同士といったって、ある年齢から女性は否応なく自分の若さや美しさが日に日に失われてゆくのをシビアに感じているのだ。後半の展示のテキストの中にあった『ときどきソームズは恐ろしい狂気に見舞われ、そうなるとわたしとて、とても正気の沙汰ではいられなくなり、ふたりは支え合うように寄り添ってよたよたと歩いた。ときにそれは家族だけではなく、身近な友人たちの笑いをさそった』というような言葉。たしかにそれを絵として思い浮かべりゃユーモラスだけど、そこまでいったら周りとてもう笑えないだろう、とわたしは思う。
晩年になって運よく再び見出されて脚光を浴びたソールだけれど、残念ながらずっと人生を共にしたソームズがそれを見ることはなかった。
ふたりの間に何があったかはわからない。
でも、ソームズは2002年のあるときバケツを蹴って(絵を想像したらわかるよね?)帰らぬ人になってしまったというから、妹のデビーのことにしても人生っていうのはなんて過酷なんだろうと思う。もしソールが自分の撮った写真をすこしでも人に見せていたらそうはならなかったんじゃないかと思ったりするけれども、ソールには尊敬する偉大な父に認めてもらえなかった自分は取るに足りない人間だという、強いネガティブビリーフが一生を通じてあったようだ。親からの決めつけ、刷り込みっていうのも実に罪深いものだ。

肝心な写真について。
まずいちばんに思ったのはソール・ライターのユニークさ。
ふつうの写真家ならボツにするか撮り直すんじゃないかと思うような、撮りたい対象が障害物にさえぎられた写真が多く見られたこと。ともすると目指す対象より手前のボケた障害物のほうが圧倒的に写真全体を占めてるようなものも多くて、鉄道の鉄柵越しに下を見下ろしたり、店の大きなオーニングの下から遠景を撮ったり、ドア越しや窓越しに撮った写真だったり。被写体にまっすぐに向き合うんじゃなくて、あくまで道端の傍観者として覗き見するような、隠し撮りしてるような写真たち。でも見ているうちにそれらが撮り手の存在感を消して、そこにある一見しては見えないストーリーを浮き上がらせているんだということがわかってくる。どこにでもありそうな光景がストーリーに変わる瞬間。個人的には、カメラを構えたソールが建物の窓に映ったり店の鏡に映ったり、自分の好きな人と多重露出して撮った複雑な写真をセルフポートレイトとしているのがいいと思った。鏡はわたしもたまに使うけど、これいただきって。
仕事であったファッション・フォトについてはきちんとモデルを正面から撮ったかっちりした構図のものが多かったけれど、でもそこにもただのファッション・グラビアを超えて写真を芸術にまで高めようというソールの強い気概みたいなものを感じた。こんな写真が雑誌のグラビアで見られた昔はなんて贅沢だったんだろうと思う。
そしてモノクロもいいけれど、カラーのソールといわれるだけあって、やっぱりカラー写真が圧倒的によかった。
瞬時に捉えたその色の配分、発色の美しさ。
それはソール・ライターが写真家である前に絵描きだったからだろうと思う。
窓ガラスについた雨粒や蒸気のつくるテクスチャ。
雨や雪が見慣れた風景を一瞬にして非日常の絵に変えるのを、彼が胸躍らせて撮っていたのが目に浮かぶようだ。
それはもしかしたら絵で描いたら凡庸に(あるいは冗長に)なってしまうかもしれない、写真ならではの表現。

それからスニペット。
ソールは小さく焼いた、あるいは手で四角くちぎった小さなモノクロ写真を『スニペット』と呼んで、ひそかな自分だけのたのしみとして愛着をもって集めていた。身近な愛するひとたちの写真。ときに読みかけの本に挟んで栞にしたり。
それを見ると彼がどういう瞬間にシャッターを切るのか、女性の何に(どこに)惹かれるのかが丸わかりでおもしろかった。
まるでハートの奥の秘密の部屋に入ったみたいで。
それで思い出したのはいまとちがって昔は紙焼きのサイズもいろいろあったこと。
自分の赤ちゃんのころのアルバムを見てもいろんなサイズの写真が貼られてる。
わたしも若いころ、小さなモノクロ写真が好きであえて小さく焼いてもらった男友達の写真をずっと定期入れの中に入れいたりしたから、その感覚はよくわかる。

いつも自分が好きになるものにはなぜか共通項があっておもしろいけど、ソールとソームズは画家ボナールが好きだったらしい。ふたりが描く絵はどことなくボナールを思わせて、それもよかった。絵描きを目指すくらいだから当然といえば当然なんだけどソールは絵もとてもうまくて、世間から忘れられた存在であることに心地よさを感じていたとはいえ、どうしてこんなひとがあえて極貧生活をしなけりゃならなかったんだろうと思う。人間っていうのはつくづく不思議だ。
ボナールとおなじようにソールとソームズもこよなく猫を愛した。
八割れのアリスと縞猫のピーチーズ、茶トラのパトナムと黒猫のジェス。
ソール亡き後に残ったのがレモン。みんなかわいい名前。
それで長年、猫を飼いたいと思っているわたしたちも次の仕事が決まったらついに猫を飼うことに決めたのだ。
つまり猫と一緒にタイムラインを乗り換えようってわけ(???)
名前はヴァレリーにする予定。
ピアニストのヴァレリー・アファナシエフからとった名前だよ。
きっとふだんは略して「ばーちゃん」って呼ぶことになりそう。
ここに書いとけばきっとかなうだろう。

エントランスを出たところで娘が「ソールは脚フェチだね」っていった。
そうそう! 適度にやわらかそうな筋肉がついたまっすぐの脚だったらマネキンの脚でも撮る、みたいなね。
ソームズも素晴らしい脚をしたカッコイイひとだった。
ほんとにもったいない。

いろいろな思いでミュージアムを後にすると外はまだ雨が降っていて、傘をさしたまま思わず撮ったのが下の写真。
雨の松濤。

ちなみにソール・ライターの部屋が見たい方はここで、
わたしが惹かれた抽象画が見たい方はここで見られます。
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