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2020年8月28日 (金)

向日葵のある食卓

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このあいだ石田ゆり子さんのインスタグラムから雅姫のに飛んだら、キッチンにたくさん向日葵がいけてあって、それがとても絵画的ないけかたで、素敵だなと思った。
美しい日常を生きる、美しいひとたちの自然な記録。
それってまさしくパトリス・ジュリアンのいう『生活はアート』だなって思う。
彼が東京で活躍してた時代。それに憧れてた時代。
その頃といまではもうあまりに何もかもが違って見えるけど、ほんとうにそうなんだろうか。この世界にタイムラインは無数にあるっていうよ?
8月も今日入れてあと4日。
向日葵のある食卓。
魔法の水にいけてあるからきっと長持ちしてくれると思う。

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2020年8月27日 (木)

8月最後の向日葵

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昨夜は夜遅くなってからものすごい音で雷が轟きはじめ、窓に稲光がピカピカしてこわかった。
夜のあいだにずいぶん降ったみたいだ。
朝起きるころには台風一過みたいな青空に雲がもくもくしていて、典型的な夏空。
そしてモーレツな蒸し暑さ!
今日は一日、雲の様子がすごかったけど、それを撮る間もなく午後遅くなって郵便局に郵便物を出しにいって、支払いをすませて通帳記入をして数字を見たら思いのほかたくさん引き落とされていて、うわっと思った。25日のペイデイにお給料が振り込まれなくなって今月でもう1年たつのに、たいていの支払いはその直後に行われるということをときどき忘れちゃっていて、はっとする。それできっと、ちょっと落ちちゃったんだろうね。フーガ珈琲でコロンビア・スプレモを200買って、家に帰って珈琲を入れて娘と飲んで、ふつうにしてたつもりだったんだけれど、うちの家族は大なり小なりHSPなひとたちで人の感情に敏感だ。
夕方、コンピュータの前で黙々と求人検索しているわたしに、マスクをしてトートバッグを肩からさげた娘が「ちょっと散歩してくる」といって出て行った。
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すぐ横の窓から見える空には半月よりすこし太った月が浮かんでいて、それからしばらくしたときだ。
雲行きがあやしくなってきたな、と思ってベランダに出たら、雨がぱたぱた降ってきた。
まずい、またゲリラ豪雨になるかもしれないぞ。
もうそこらへんにいるかもしれない娘に傘でも持っていくか、と思ったけれど、そういうときって、およそちゃんと出会えたことがないのだ。
あきらめて家にいたら間もなく玄関のドアがあく音が聞こえて、娘が帰ってきた。
なんと手にひまわりの花束を持って。
たいして雨には降られなかったみたいだけど、頭からシャワーを浴びたみたいに汗をかいて。
国分寺まで、花を買いに行ったらしい。
そういえばこのあいだから向日葵がほしいっていってたもんな。
さすが娘、よくわかってる。
いまの時期いちばん大切なのは、自分自身や、自分のまわりの人を気持ちよくさせることなんだ。
いやあ、8月最後の向日葵。すごくきれい。
花をいけるたび、「ほんのわずかでもいいから部屋に花を飾ってください」と家が懇願したという、ホ・オポノポノの話を思いだしてしまう。
向日葵を置いたら食卓がひときわ明るくなった。
部屋も喜んでるね。
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2020年8月25日 (火)

夏の終わりの、、、、、、人生はコント。

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いったい、ここに来るのはいつぶりだろう?
1年以上、たってるのはたしか。
去年は6月に降ってわいた退職騒ぎですっかりハート が壊れちゃって、そのうえ残務整理に追われて追われてライブどころか季節を味わう余裕も暇もなかったから。
今年は今年で、いうまでもなくライブになんか来れるはずもなく。
もともと在宅ワーカーでひきこもり傾向だったのが1年以上も本気で引きこもってるとすっかりどこかに出かけようって気がなくなって、しかもいまはどこに行くのも必須マスク着用だからよけい気持ちも萎えてしまって、あやうく今日もやめるところだった。とってもひさしぶりに2時間近く電車に乗って遠出した。
ひさしぶりの馬車道。
ひさしぶりの上町63。
なぜか撮ったはずの馬車道の景色も上町63の看板の写真もないからいきなりライブの写真だけど、ヴォーカリスト清水翠とギタリスト馬場孝喜さんのデュオを聴きに。いまはどこもそうだと思うけど、ここもいまは100%予約のみ、入場者限定のライブ。マスターはじめ、おなじみのひとと顔を合わせた。
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いつもこの時期にはかならずライブをやる翠ちゃん。
夏の終わりっていうと、夏好きブラジル音楽好きのわたしにとってはいつもサウダーヂな気分で、翠ちゃんは翠ちゃんで今年の春になんと21年以上も連れ添った相棒の猫を亡くしたばかりで、さぞかしサウダーヂなライブになると思いきや、、、、、、そんなことはなかった。
ここんとこ何度かオンラインライブで聴いたときもそうだったけど、前より声でかくなったんじゃないの? って感じでよく声は出るわパンチは効いてるわ楽しそうだわで、歌を聴いてる限りは元気そのものなんでした。もっとも、いまだに夜ひとりになるとめそめそしてるってことだからもちろん、ひとのこころのほんとうのありようなんてそうそうわかるわけものじゃないのだけれど・・・。
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夏の、焼けるような季節にかならず歌う『エスターテ』。
それから、聴きながらいつもあのなんとも苦しい、残酷なロシアンルーレットのシーンが浮かんでしまう映画『ディア ハンター』のテーマ、『She Was Beautiful』。
翠ちゃんの18番ともいうべきおなじみの曲にくわえてはじめて聴いた曲もいくつかあったけれど、今日はあんまり何も考えずに聴いていたし、聴きながら曲名が出てこなかったのも多くて書けない。
ただ、よく世にいわれている『更年期以降、声帯はどんどん老化して声が出にくくなる』というのは翠ちゃんにはぜんぜん当てはまってないように思うし、あたりまえのことかもしれないけれど、おなじ歌を歌っても表現の仕方はどんどん変わってるなということ。
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たとえば今日セカンドのラストにアンコールで歌ったのは4月生まれの彼女にぴったりな『I’ll Remember April』で、かつてはそういう大気をふわふわ上昇していくような曲をエアリーな声で歌うのが翠ちゃんぽかったように(自分では勝手に)思っているのだけれど今日もっとも印象的だったのは『Sweet Home Chicago』で、もとはロック歌手だからもともと持っていた資質だとは思うけれど、最近は後者の方がぴったりハマってきたように思う。あくまでも個人的な感覚だけど。
何より前よりずっとタフになったし、明るくなった。

さて。
突然だけど、上町63でミュージシャンの写真をうまく撮るのは難しい。
暗いからわたしの相棒のスペック(あと、わたしの腕)が足りないというのもあるけど、座って歌ってても翠ちゃん年じゅう頭振りまくるし、自分の席からよけいなもの写さずにとれる範囲も決まってるしで、今日撮ったのでブレてないのはこれくらい。馬場さんにいたっては障害物があって撮れなかった。
してタイトルがなぜ『人生はコント』なのかというと、翠さんがまるでコントをしているみたいだからってわけでは、にゃーい!(=^・^=)
先月からわたしが受けていた45日間にわたる潜在意識トレーニングの今日が最後の45日めで、最後となったワークのタイトルが『人生はコント』だったのです。
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そのこころは、というと、人生、山あり谷ありで泣いたり笑ったり、右肩上がりでお山の頂点目指して登ってるときも谷底に落ちてることもあって、そんな最悪なとき、辛かったり悲しかったり苦しかったりの渦中にあるときはもう心底ダメかも、、、と思っても、すべては必要必然ベストなタイミングで起こってることで、その状態の自分をちょっと俯瞰して見ることができたら、人生はまるでコントみたいなものだ、って、そんなことだと思うんだけど、今日あんまり何も考えずに翠ちゃんが歌うのを見ていたらその『コント』って言葉が浮かんできちゃったのでした。
今夜ここにいた9人のオーディエンスだって、それぞれ人からは見えないそんな様々なものを抱えてここにいたんじゃないのかな。
大人の隠れ家みたいなちいさなJAZZバーの片隅で。
最後はブレちゃったけど、アンコールを歌い終わった後の翠ちゃんの笑顔!
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2020年8月16日 (日)

パフェを食べに*

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気温36.5度。
昔、松戸谷由美の歌に『エンジンフードで卵が焼けるほど』って歌詞があったけど、まさしくそんな感じ。
そんななか午後の暑いときにわざわざ出かけてゆくってどうかしてると思うけど、もう家にいるのも家で自炊ばかりしてるのにもすっかり飽き飽きしちゃって、娘とパフェを食べにでかけた。
国立のロージナ茶房に。
電車に乗ってでかけるのもいつぶりだろうか。

わたしたちが行ったとき、2階のフロアは美大生とおぼしき若い女の子の2人連れと、(会話の硬さからいってカップルではない)若い男女がいるだけで空いていた。
いうまでもなくいまはどこだってそうだろうけど、ここもマスク着用にソーシャルディスタンスだ。
奥の4人掛けのテーブル席につく。
わたしは去年食べて感動したメロンのパフェを、娘はパフェの王道、バナナとチョコレートのパフェを頼んだ。

で、出てきたのがコレ。
去年みたいに夕張メロンじゃないものの、今年もメロンがゆうに半分はのっている。
それにここのはクリームがちゃんと生クリームなんだ!
これはパフェ好きの息子にも食べさせたい。
娘のチョコバナナパフェもおいしそうだった。

でもね、今日ここに来て気づいたのは、平成の子供には喫茶店文化がない、ってことだ。我々昭和の人間にとって喫茶店っていうのはただ飲んだり食べたりするところじゃなくて、たとえ一人で行っても本を読んだり書きものをしたり、音楽を聞きながら窓の外を眺めてぼぉっと物思いにふけったり、つまり自分の部屋にいるのともまたちがう、くつろいだ時間を過ごすところだったのだけれど、娘はパフェを食べ終わったらさっさと帰ろうっていう。
そういわれて、いる意味もないから出てきた。
そのあと散歩した国立の街も、なんだかちっとも面白くなかったなあ!
なんだか何もかもがすっかり古びて色褪せてしまったような感じ。
この感じってコロナによってスローダウンしたエネルギーのせいなのかそれとも自分が変わったせいなのか、はたまたコロナの閉塞感にやられちゃってるだけなのか。
でも、少なくともこれは国立だけに限ったことじゃない。
広尾に行っても表参道に行ってもそうだった。
しかもそれはコロナ以前だ。
もう、わたしはちがう星にでも飛び立ちたい気分だ。
いったいこれがふたたび右肩上がりになるときってくるんだろうか。

・・・・・・ってことで、つまり今日はたいしたガス抜きにもならずにさらに飽き飽きした自分の町に帰ってきたんでした。

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2020年8月15日 (土)

朝のイマジネーション

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わたしは Honami さんのように毎日早起きはできないけれど、
朝起きると彼女の朝のルーティンのように家じゅうの窓という窓を開け放す。
8月になってやっと晴れた朝、玄関のドアをあけてふっと見たら、
目の前の書の額に南の青空が映っていてはっとした。
風に揺れて玄関のティンカーベルのチャイムが鳴る。
そんなことにも感謝の気持ちが湧いてくる。
今朝もこうして青空とともに在るということに。
そしてしばし、あの青空の下に海があることを想像をして、それにひたる。
昔から海の近くに住むのはわたしの夢だ。
つくづくあのとき父は房総に土地を買っておくべきだった。

今日の朝の桃は、黄金桃。
その名の通り黄金色の果実。
シャングリラ。
濃厚な甘さ。
Honami さんって誰だ、と思った方は YouTube で検索してください。
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2020年8月14日 (金)

夏のひかり

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気づけば今年も毎朝、汗だくになって起きる暑い夏がやってきた。
わたしだってそれが好きなわけじゃないけど、夏好きだから文句はいわない。
とくべつ夏好きじゃない娘ですら、雨つづきよりはいいという。
それくらい今年の梅雨は長すぎた。

わたしが夏の何が好きかっていうと、ひかりだ。
夏のひかり。
それに代えられるものなんて何もない。
わたしが最も「生きてるって感じ!」を味わえるもの。
それでいて限りなく幻想的なもの。

陽射しが強ければ強いほど影はくっきりしてる。
夏は死と隣り合わせの季節だ。
波音と、空を行く眠たいような飛行機の音、子どもの無邪気なはしゃぎ声の陰にも
それは潜んでいて、あれだけ何度も高波にのまれてもみくちゃにされたのに
よくここまで生き延びたもんだ。

失ったものは地面から空の彼方までいっぱいあるけど、
夏のひかりに代えられるものなんて何もない。

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2020年8月 8日 (土)

マトリックス

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今朝プールに行く前、遅い朝ごはんを食べながらさっき見たばかりの夢の話をしていたとき、「ちょっと前に見た夢なんだけど・・・」といって娘が話しだした夢の話が面白かった。

そこは植物の枝葉が絡みあった、まるで藤棚のようなものが無限につづいている下で、たくさんの人に混じって自分もサルのように雲梯をしている。そこは地面からはそう遠くないはずなのに、見下ろすとまるで雲の上から下を見ているようで、地面は遠すぎて霞んで見えない。つまり、うっかり手を離しでもしたら空中に放り出されて地面に叩きつけられるってわけだ。それでみんなあんな必死の形相で雲梯をしているんだ。でも枝はゴツゴツしていてつかみにくいし、あまりに人が多すぎて、ぶつからないようにするだけでも至難の業だ。それにみんなの激しい息遣いも必死の形相も恐すぎる。だんだんぶら下がってる手がきつくなってきて、いっそもう手を離したほうがラクなんじゃないかと思ったときついに、ぱっと手が離れた。
「あっ! 落ちる!」と思った瞬間に目が覚めたそうだ。

それを聞いたわたしは、「それってまるでマトリックスじゃん!」といった。
なんてわかりやすいメタファー。
けっきょくのところ、生活に追われて(お金のためだけに働く)人間なんて、みんなそんなもんなんじゃないかって気がする。
この場合、「いっそ手を離したほうがラクかもしれない」ってのがヒントかな。

今日も気温は30度越えで暑い!
写真はプール帰りに撮った近所の藤棚。
藤の実爆弾があちこちにぶらさがってる。

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2020年8月 6日 (木)

くるみとフルーツのぱん

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昨日、娘が焼いてくれた、くるみとフルーツのぱん。
娘はすっかりぱんを焼くのがうまくなった。
ときどき妙なものを食べさせられるけど、失敗は成功の母だからしかたない。
娘がぱんをつくっているのを見ていると、これまでわたしが知ってるやり方とは全然ちがってて、娘のはこねないぱん。
こねないぱんだったら手の弱い自分でもできるかなあ、と思うけど、わたしはぱん生地こねるのが好きなわけ。
こねないぱんは君にまかせよう。
はい、中はこんなふうです。
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ついに小さなレタスしか買えなくて、小さくなったサラダ。
ぱんとグレープフルーツジュースの朝食。
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東京は梅雨明けしてから6日連続の30度越えで今日も外は暑い。
昼は娘作カイワレとカニカマのぶっかけうどん。
夏のお昼はこんなのがさっぱりしてていいです。
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2020年8月 5日 (水)

朝の桃

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雨の多かった年の桃はあんまりおいしくない、って前に八百屋のおじさんから聞いたことがあったから、今年の桃はどうかな、と思いながらこのあいだおそるおそる買ってみたのだけれど、蓋を開けたらなんてことはない。ここ数年でいちばんくらいおいしい。いまのところ3回買ったけどハズレ無し。

梅雨明けとともに一気に暑くなったいま、わたしがいちばんおいしいと感じるのは桃だ。
このあいだ娘がひとくち食べて「若返るような味だね」といったけど、まさにそんな感じ。
しみるようなおいしさ。
それで、桃から生まれた桃太郎の話もあるくらいだし、ほんとに若返ったらいいのにねぇ、なんて願望がさく裂したのであった。
長雨でいま野菜がすごく高騰していて、びっくりすることに萎れたような小さなレタスがひとたま380円もする。この桃はスーパーの前に出店を開いてる八百屋さんの昨日のお買い得品で、ひとやま6個で780円の白鳳。きめ細やかな硬めの果肉がずっしり重たくて、追熟させると、とろけるような甘さ。いま高いレタスを買うくらいだったら、いっそ桃を買ったほうがいいんじゃないかとわたしは思う。
桃だっていいのは安くはないけど、でも朝たべる桃の、この目の覚めるような瑞々しさといったら!
失業してたってわたしは桃が食べたい。
できることなら出回っているあいだじゅう、毎日のように食べたい。
もっというなら桃源郷で暮らしたい。
こんなわたしを見て「桃くらい、おとうさんが買ってあげる」といってた父はいまごろ天国できっと笑ってるね。

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