« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019年5月21日 (火)

Heavy rain Tuesday

190521heavy-rain

昨日の夜から激しく降り始めた雨は朝になってもやむどころか激しさを増すばかり。
おまけに今日は風もつよくて暴風雨だ。
時折り、まるでホースの口をつまんで放水してるみたいに鋭く雨が窓ガラスを洗ってゆく。
毎日通勤してた頃はこんな朝は心底ゆううつだったなあ!
それでもいつもどおりの速足で駅に急ぎながら、階段やホームでは細心の注意を払ってたもんだ、、、
と、そんなことを思い出してたら後ろで「いい天気だな」と雨男がいった。
玄関で靴を履きながら、「(会社に)行くのもめんどくせー」とつぶやく。
「その気持ちわかるよ」とわたしは雨男の肩に手をおいた。
「ひどい雨だし、今日も気をつけてね」
毎朝、母親が玄関でいうことなんていつも同じだ。
でもね、それがあるのとないのとではやっぱり全然ちがうと思うんだよ。
ちかいうち雨男はそれがない生活をはじめる。
朝起きても朝ごはんもでてこないし、珈琲の匂いもしない。
シャワーを浴びて出てきても、洗いたてのきれいなタオルがいつもかかってるとはかぎらない。仕事からくたくたに疲れて帰ってきても温かいごはんは待ってないし、それどころか部屋の中は真っ暗だ。(そしてたぶん散らかってる。)
君はいまよりもっとできることを増やさないとならないし、何よりタフにならないといけない。
でもどんなに狭くてもそこは自分だけの城で、君はその城の王だ。
心底落ち着ける自分だけの nest をつくらないとね。

こんな暴風雨になるなら昨日のうちにばらを避難させておくんだった。
今日の風でだいぶ枝が折られたみたいだ。
ああ、それから、
ハハのわたしももっとタフになろうと思います。

| | コメント (0)

2019年5月20日 (月)

ライラックローズ

19lilac-rose

きっと彼女は繊細なんだ。
土の微妙な成分とか日の当たり具合とか気温なんかで、色あいがまるでちがってしまう。あんな生き生きとしたばらいろのつぼみをしていたのに、青ざめてしまったライラックローズ。
繊細過ぎると生きづらいのは人間と一緒。
でも、だいじょうぶ。
六月の雨の中でヴィヴィッドに咲いていた君のことをちゃんと憶えているから。
それに君は神経質な春より、大らかな秋の光の中で軽やかに舞うばらだから。
ねえ、ちょっと歌の歌詞でも書けそうじゃないか。

| | コメント (0)

Monday Morning

19greenice01

いつもの、珈琲のいい匂い。
空は曇っていて風もあって、大気はちょっとつめたい。
白とグリーンが繊細な『グリーンアイス』は、ちいさくてもノアゼットローズの趣き。
この花いっぱいにフレッシュなハーブを束ねてマリアージュのブーケ、なんていうのもいいんじゃないかな。
初々しい若い花嫁に似合う。

また風が鳴りはじめた。
ここってまるで嵐が丘みたいだ。
わたしはこの風の音がほんとうに嫌いだ。
邪悪な風の悪意。

| | コメント (0)

2019年5月19日 (日)

Shining Hour

19shining-hour_1

午後、西側のキッチンの窓から陽射しが射しこんで部屋の一辺が輝きだした。
映画『バグダットカフェ』のあるシーンを思い出す。
誰にでも輝く瞬間があるとして、それって人生に何度もあるものかな?

19shining-hour01

西側のキッチンの窓から陽射しが入るようになると夏だ。
最近ずいぶん日が伸びた。
午後遅く、家にいるのが苦しくなって外に出た。
娘と国分寺の急な坂を降りたり上がったり、しばらく散歩してローズカフェへ。
ひさしぶりに行ったら5時で閉店だって、マスターがドアに『crose』の看板をかけてて中には入れなかったけれど・・・

19rose-cafe

19rose-cafe01

19rose-cafe02

19rose-cafe03

| | コメント (0)

日曜のブランチ*

19bagna-cuda-salad

このあいだ友達に「野菜とあえるとおいしいから」ってもらったバーニャカウダソース。なんにもラベルが貼ってなかったからわからなかったんだけど、松原のお惣菜IZUMI のものらしい。バーニャカウダソースだけど、薄味だからあえたほうがおいしいって。
それで今朝は、ゆでたじゃがいもとアスパラガスとハーブチキンとパプリカとミニトマトで、バーニャカウダサラダ。ちょっとオリーブオイルと塩コショウを足して。
友達がわざわざ買ってきてくれただけあってとってもおいしかった。
何よりいつもの自分のつくるものとは目先が変わっていい。
彼女んちは夫婦そろって食通で、特に旦那さんのつくる料理はプロはだしで、もっぱら夕飯の支度は旦那さんの領域らしい。それってサイコーじゃないかとわたしは思うんだけど、でもそこにもうまくやるヒケツがあるらしい。男脳と女脳。いろいろむずかしい。わたしは最近そういうの、みーんな面倒になっちゃって、いずれ1人になるならなるでそれでいいやとか思う今日このごろ。若いときにはわからなかった『空気みたいな人がいい』というのが妙に納得できたりして。
それから、おとといつくったいちごジャム。

19strawberry-jam

金曜の午後、今週ずっとかかりっきりだったパワーポイントのマテリアルがやっとできあがって、バカみたいに集中してたせいで肩こり眼精疲労著しく、「やっと終わったあ~!!!」とばかりにコンピュータの前から離れて外に散歩にでも行こうかと思ったところに新生そら屋さんから「加工用の無農薬の苺が入りました!」というメールが届き。疲れてるからもういまからつくりたくない、と思ったけど、娘に「家でつくったいちごジャムおいしいよね~」といわれて、しかたなく自転車でひとっ走り。加工用の無農薬いちご2キロと洗双糖1キロと無農薬レモンふたつ買ってきた。急だったからあたらしい瓶を用意する間もなく、家にある大小さまざまなミュージアムグッズの瓶をかき集めて煮沸消毒して。収穫したままで洗ってないといういちごを50度洗いしてせっせとヘタを取り。夕食後、大鍋いっぱいのジャムを「あー、疲れたあー」といいながらへらで掻きまわしつづけるどこまでもハハなわたし。つくってるあいだはなんとなくいつもとちがって、これでおいしくなかったらやだなあと思ったけれど、一晩たったらこの通り。おいしいいちごジャムができました。
いつもより酸味の強いいちごだったから砂糖多めにしたつもりだけど、糖度35度。
あんまり甘くないさっぱりした味です。
これも路地もののいちごが出回る5月ならではの味わい。
いちごの季節もあとわずか。

| | コメント (0)

2019年5月14日 (火)

雨が降りそう

19jubilee-celebration

毎朝玄関で「じゃあね」と出てゆく息子を、「気をつけてね」といって送る。
そのとき、ドアの向こうに消えてゆこうとする息子の瞳から一瞬、
なんらかの感情を感じるのだけれど、
それはわかりそうでいて、正確にはつかめない。
それにくらべたら今日の天気のほうがずっとわかりやすい。

今日起きたとき、空の低いところに黒雲がたちこめていた。
ベランダの戸をあけると風もあって、大気はちょっとつめたい。
今日は雨が降りそうだ。

わたしの住むこの町は『風の町』という名前にしたいくらい強い風が吹き抜ける町で、ここは4階だからなおさら風が強い。
それは風の日に電話をしていて、受話器の向こうにいる友人から「なんの音?」と訊かれるくらいだ。
「風の音」というと、たいていみんなびっくりする。
まるで風の精霊が口笛を吹いてるみたいな。

それでこのあいだからひどい風が吹くたび、元気に出てきたばらのシュートが根元からぼっきり折られるショックな事案がつづいているので、今日はそうなる前に折れそうな枝を切った。

今日のばらはジュビリー・セレブレーション。
フランボワーズと淡いクリームいろがグラデーションになるこのきれいなばらは、細いステムの上にまんまるの大きなつぼみをつけるから、枝は耐えかねて下方にしなだれてしまうのだ。

19fair-bianca-01

それから純白のフェアビアンカ。
どちらのばらもいい匂い・・・・・・
香りのあるばらを育てていると、香りのないばらがなんと味気なく感じられることか。
それって人間にもいえることなんじゃないかな。
きつい香水の香りなんかは別として、花屋の服に染みついた精油の匂いとか、男のひとの冬のコートからたちのぼるウールフランネルの匂いとか、ああ、あなたはいまのいままであの分厚い書物が積み重なる書斎にいたんですね、、、みたいな匂いとか。

19fair-bianca

そして3年めに入って見事としかいいようのないサルビア・ディスコロール。
銀白色の茎とタフタみたいな黒い花がソワレのドレスみたいでシック!
風に揺れる姿もどこか優雅で、葉っぱはまるでレザーみたいなテクスチャだし。

19salvia-discolor-02

成長したこの花はふんわりした6つの袋からできていて、
自然の造形って、ほんとによくできてるなと思う。

19salvia-discolor

まだまだこれからがばらの最盛期の五月のベランダが
今日の雨と風でめちゃくちゃになりませんように。

19queen-of-sweden

| | コメント (0)

2019年5月10日 (金)

いちごサンドとコーヒー

19ichigo-sand

わーい! やったー!
今日のお昼は、いちごサンドとコーヒーです ♪
こないだ夕飯に『ふわとろデミオムライス』をつくったときの生クリームが余ってたからなんだけど、今日はじめて生クリームを泡立てた娘。
うちにはハンドミキサーなんてものはないから、泡だて器を使って泡立てるコツを最初にレクチャーした。
わたしはそれをたしか小学校か中学のときの家庭科の調理実習で覚えた記憶があるのだけれど、娘に「やらなかったの?」と訊いたら、「やったけど、そのときはハンドミキサーを使った」って。へえ~、時代がちがうとそうなのか、と思ったけれど、なんでも最初は自分の手でできるほうがよくないですか? とわたしは思ふ。
しかして、できあがってどーん! と出てきた、いちごサンド。
「もしかして、いちごまるごと入れた?」と訊いたら、「セブンでいちごサンド買うとまるごと入ってるから」って。
ひゃあ~、すごい迫力です。
でも食べたらおいしい! 
リッチテイスト!
家でつくるののいいのはホイップじゃなくて生クリームを使ってることです。
しかも生クリームをあんまり甘くしてないから思いのほかあっさり食べられました。
わたしはこれを2年前、京都に行ったとき、老舗のフルーツパーラー『ホソカワ』でぜひとも食べたかった。でもあのときは85の父が一緒でそれどころじゃなかった。
いちご好き、生クリーム好きにはたまらないフルーツサンドイッチ。
ふぅー、すっごく満足しましたー ♪

| | コメント (0)

今日のばら

19la-reine-victoria-02  
今日のばらは、ラ・レーヌ・ビクトリア。
ブルボンローズのいい香り。
そして、このばらは、まるっこいつぼみのときがいちばんかわいい。
このばら6本くらいにハーブでブーケをつくったらすごく素敵だろうな。
そんなブーケがほしい。
今年は5月になっても気温が上がったり下がったりで一気に暑くならないから、ばらの開花もいつもよりゆっくりです。
でも、今日は暑くなりそう。家のばらがお花屋さんで買ってきたのとちがうのは、葉っぱが大きいこと。
枝が思い思いのほうを向いてしまうこと。
5月の食卓。

19la-reine-victoria-03

| | コメント (0)

2019年5月 6日 (月)

ひつじのミミがいっぱい!

19lambsear

春は三寒四温っていうけど5月になっても晴れたり曇ったり暑かったり寒かったり。
今日も昨日あんなに天気よくて暑かったのがうそみたいに曇ってちょっと肌寒い。
そんなだからひとはこころもからだも揺れやすいけど、わたしの植物たちは元気いっぱいだ。生活の木ハーブガーデンで買ってきたときは、これ育つのかなってくらいちいさかったラムズイヤー。
今年は爆発した。
生活の木で買ったハーブの苗を育ててわかったことは、無農薬で育てられたいい苗は最初ちいさくてもちゃんと育ててれば翌年以降はすごくよくなるってことだ。それで昔、わたしにあれだけ宿根草のよさを語ってた庭師でライターの友達のことを思い出したりして。気づくともう何年も会ってない友達ばかりだけど、彼女もどうしてるかな。とか。
ラムズイヤーはこのふわふわもこのこの見た目と触りごこちがたまらなくかわいくて、ベランダに出るたび触っては癒される日々です。

| | コメント (0)

2019年5月 5日 (日)

『五月の虹』を見た。

19gogatsu-no-niji-03

わたしがトナカイさんを知ったのはいつだろう?
それは偶然だった。
たしか Twitter で誰かがリツイートしていた写真を見たのがきっかけで、それまで何度も目にしていた『アパートメント』というサイトで、トナカイさんの『地上の夜/この星/の/現在位置』というページを見た。そのトップに載っていた、どこかミステリアスな眼差しをした女性の横顔。それはツイッターで見たばかりの現在の彼女の印象とはずいぶんちがっていて、それで興味を持ったのだと思う。
『地上の夜』はトナカイさんの日常を切り取った写真日記のようなもので、古いものから順を追って見ていったら、わびしい独り住まいのアパートにある日突然ひとりの女の子が現れて、世界が一変したのを感じた。それはまるで以前見た『トニー滝谷』という映画の中で、目の前にひとりの女性が現れたとたん、モノクロだった画面がカラーに変わるのにも似ていた。
あくまで『地上の夜』という世界の中で見てのことだけれど、とつぜん現れたその女の子はトナカイさんの部屋で(まるでもとからいたみたいに)猫のごとき自然さで眠り、目覚め、歯を磨き、見慣れたアパートの部屋の景色を空気からしてやわらかく変えていた。
そして、その後でトナカイさんの『魂について』という文章を読んだ。
そこには『35年間。僕が今まで目にしたあらゆるもののなかでいちばんうつくしいと感じたのは、妻の魂だ。 』と書いてあった。
人が興味を持って何かを追っていくとき、そこには知りたいものの答えみたいなものがあるはずだと思うけれど、そこにはすべてが書いてあるわけじゃなかった。でも、すべてが書かれていないことをわたしはむしろ好ましく思った。なんでも書けばいいってもんじゃない。書かれてないことがあることで、トナカイさんがどれだけ妻の魂を大事にしているかわかったから。
そこにあったのは物語だった。
トナカイさんという人が内包している固有の物語。
いつだってきっかけは些細なことかもしれないけれど、人がほんとうに何かに惹かれてゆくのは物理的なものを超えた物語のほうではないかと思う。

19totan

そうしてトナカイさんの Twitter をときどき見るようになって、つくづく感心してしまったことがひとつある。
トナカイさんがツイートする日常的な何気ないつぶやき。
それはたいてい、愛する妻のことがほとんどなのだけれど、それをまるで自分のことのように喜び、祝福し、時に嘆いたり心配したり、心底うらやましがったりする人たちがたくさんいるということ。
一歩外に出ればうんざりするような現実しかないこんな時代にあって、人間というのは潜在的には清らかでうつくしいもの、やさしさや純粋さ、穏やかでピースフルなもの、もうどこかレトロな感じすらする平凡な家庭のしあわせや『純愛』と呼ばれるようなものにこんなにも惹かれ、求めているものなのかと知ったのは正直言って驚きだった。むしろこんな時代だからこそ、ともいえるのかもしれないけれど・・・。
Twitter での言動を見る限り、トナカイさんはとてもシャイそうな人なのに、妻への愛に関しては誰に憚ることなくストレートでオープンだ。何気ない日常を切り取られて公開されている被写体としての妻は妻で、いつも飾ることなく飄々と、淡々として端正でうつくしく、俗世間とは別の次元で生きているかのよう。ともするとそれは『ハレ』と『ケ』でいうなら『ハレ』が2%で、残りの98%が『ケ』であるような現実的な夫婦生活を送っている者からしたらあまりにきれいごとすぎて作りものみたいに見えたっておかしくないのに、それは作りものでもなんでもなく、ちゃんと存在しているということ。(ちゃんと存在している、と思えるのはそれがまぎれもなくトナカイさんにとって切実だからだ。)そういう宝ものみたいなものを何も持っていない人からしたら(それを見せられるのは)かえって自分の孤独を色濃くすることになりはしないかと思ったりもするのだけれど、そういうことではないらしい。もしかしたらそれは、『峠の灯り』みたいなものかもしれない。そこにいつもあるのを見るだけで落ち着く、というような。
そして、潜在的に清らかなもの、うつくしいものに惹かれる人が多ければ多いほど、それはこの時代の光になってゆくのかもしれないなと思うようにもなった。自分がそんなふうに思うくらいだからきっと、SNSでつぶやかれるトナカイさんの短い言葉や時折さしはさまれる写真以上に、もっと読みたい、もっと見たいという気持ちがみんなのなかで高まっていたんだろう。
3月のある日、トナカイさんがこれまで撮りためてきた写真と最近あらたに書きはじめた詩で展示をしようと思う、とつぶやいた。
その資金をクラウドファウンディングで募ることにしました、といったら、なんとスタート直後たった1日で目標額に達してしまい、当初の希望通り東京だけではなく地方を巡回する規模へと拡大され、みるみる最初の目標額の4倍近いお金が集まってしまった。これにもびっくり。時代には常に良い面と悪い面があるのは当然のこととして、これはまさしく良い面といえるだろう。昔はこんなこと考えられなかったもの!
かくいうわたしはプアだったのと、変なとこシャイだから迷っているうちにいいなと思っていたリターンの枠は完売してしまった。
めでたく開催が決まった展示のタイトルは、『五月の虹』。
トナカイさんがこれまで書いた詩の中で「これが一番いい」と奥さんがいった詩のタイトルをそのままつけたという。見た瞬間、すごくいいタイトルだと思ったし、DMのポストカードがこれまた素敵で、「これは行きたい!」と思った。
アパートメントの文章の中にあった「妻は、僕のことを、大きな樹みたいだといいます。その樹の下では、悪いことは起きない。いろんな動物が休みにきて、仲良く話をしている、そういう樹みたいだと言ってくれます。」といわれるトナカイさんがどんなひとなのか、会ってみたい気もしたし。 
そしてあっという間に展示の日はやってきて、10連休もあと2日を残すばかりとなった今日、行ってきました。東京下町の谷中、『トタン』というギャラリーで行われているトナカイさんの写真と詩の展示、『五月の虹』に。

19totan-01

家にいるときはわからなかったけど今日は暑いくらいの陽気だった。
外を歩きながらリネンのチュニック1枚で出てこなかったことを後悔したくらいだ。
そうして日暮里で降り、懐かしい『夕やけだんだん』を降りて谷中銀座に行くと、そこはもう原宿の竹下通りみたいな混み方だった。『谷根千』といって昔からこの界隈は人気だったけど、いつからここはこんなになったんだろう。
せっかくプリントした地図を忘れてきたせいで道に迷いながら汗をかきかきやっとのことでトタンにたどり着くと、そこはこんなレトロな一軒家だった。一目見れば店名を『トタン』にしたわけも合点がいく。
玄関の硝子戸は開け放しになっていて、玄関には靴がいっぱい。中にも人がいっぱい。出てくる人を待ってから中に入った。
座敷にあがると厨房にはトナカイさんとおぼしき男の人が珈琲をいれていて、脇には今日の店番のきれいな女の子。
6畳くらいの居間は人が5人もいればいる場所がないくらいで、壁際にいくつか写真と詩が展示されていて、主な展示は2階だといわれて階段を上がって2階に行った。2階も8畳あるかないかくらいのスペースで、壁という壁、襖を外した押し入れに写真が飾られ、南の硝子窓には活版印刷の詩がとめられていた。後でトナカイさんに伺ったところによると部屋に入って右側に飾ってあるのがカンボジアで撮った写真で、左側がインドで撮った写真だという。押し入れの奥まった壁にひときわ大きな奥さんの写真と、手前に詩がピン止めしてあって、なんていうかそれが神聖な祭壇みたいに見えた。写真はどれも光が印象的な作品で、淡く、儚さを感じるもの。その中に強く実存を感じさせる瞬間があって、すべてはもう過ぎたことなのに、過去からいまここへと平行時間のエネルギーを放っていた。雨の日だったりするとまた印象が変わるのだろうけど、晴れた日だったせいで窓硝子から入ってくる自然光がやわらかくてよかった。
そしてわたしにとってはひとつのトピックだった。
今年2月のある夜にふと「詩を書こう」と思って初めて詩を書きはじめたトナカイさんだから、それを5月に公開するっていうのはかなり大胆だなあ、と思っていたのだけれど、今日見たら個人的には写真よりよくてびっくりした。いや、びっくり、というのもちがうかな。あの審美眼の鋭そうな奥さんが「すごくいいからもっと書いたほうがいい」と言ったという時点でそれはもうすでにわかっていたようなものだから。
きっと書きはじめたタイミングが今年の2月だったというだけで、トナカイさんの中にはきっと潜在的な溜めがたくさんあったんだろうと思う。それは今日の写真を見てもわかる。それに『詩』という表現形態はトナカイさんに合っていたんだろう。詩は、謎は謎のままであってよいものだから。
2階の展示をひととおり見て、もと来た階段を降りようとくるりと踵を返したら、ぱっと奥さんの写真が目に入ってきて、それは今日見た彼女の写真の中でもっともよく撮れてるいい写真で、その仕掛けに、この展示はどうやったってトナカイさんの愛のかたちなんだな、と思った。
(家に「ただいま」と帰って、奥さんがあんな穏やかな微笑で「おかえり」と出迎えてくれたら、そんなしあわせってないでしょうね。)

1階2階を通して見てもそれほど広い空間じゃなかったし、そんなにたくさんの作品ではないからギャラリーにいた時間はそれほど長くはなかった。ひととおり一巡して、珈琲を1杯いただくくらいの時間。
2階の展示を見ているあいだもずっと珈琲のいい匂いがしていて、ちょうど今朝は滅多にないこと珈琲豆を切らして飲めなかったから、下に降りてゆくなり、写真集と珈琲をお願いした。珈琲をいれてくれたのはトナカイさん。
わたしも友達から「そうきちさんはギャルソンエプロンして珈琲いれてるのが一番似合う」といわれたりするけど、トナカイさんが珈琲をいれてる姿もまるで喫茶店の人みたいに似合ってて、ちょうど台所の窓硝子から差し込む光がいい感じだったので、「トナカイさんの写真を撮ってもいいですか?」と訊いたら、即「いいですよ」という答えが返ってきた。でも「その写真はできればSNSに載せたりしないで、ご自分だけのものとしてくださると助かります」とも言われた。ブログはSNSとはちがうし、家に帰ってコンピュータで見たらなかなよく撮れてるのがあって残念だけど、それはここにはアップしない。いつか何かの機会にプリントしたものを渡せたら、と思う。
トナカイさんのいれてくれた珈琲は濃いけど嫌な苦みも雑味もなく、とてもおいしかった。珈琲をいれるのがうまい人はきっと料理も上手だと思う。
トナカイさんはツイッターで見る言葉以上に気さくで穏やかで近くにいて心地よい人だった。うちではもっぱら娘に「トナカイさんみたいなひとをみつけたほうがいいよ」といってる。(あ、あと詩人の藤本さんみたいな人ね 。)
写真集にトナカイさんが書いてくれたサインを見たらなぜか「ヤッホー!」と書いてあって、それも「やっほう、といったらそうきちさんだよね」と友達にいわれているのでなんだか「HAAAA---」でした。
まだ次々お客さんが来そうだったから邪魔になったらいけないと思って早々に帰ってきたけど、ほんとはもすこしぼんやりしていたかった。
そして帰りの電車の中でもいろんなことを思った。
電車のドアの横に立って流れてゆく休日の夕方の景色を眺めていたら、これまでたくさんのものを失ってきたと思っていたけど、ほんとうはわたしは何も失っていないんじゃないかと思えたのはなんだか不思議でした。
谷中ではいったん通り過ぎてから戻って甘味屋でソフトクリームあんみつでも食べてやろうかと思ったけど、食べずに子供のお土産にパリジェンヌ(シュークリーム)を3つ買って帰った。子供の日だったから。
それがたぶん、いまのわたしのしあわせ。

トナカイさんの『五月の虹』は谷中トタンで12日、日曜まで。
その日トタンに行ったことが後々まで記憶に残る、きっとそんな日になると思います。ぜひ。

19gogatsu-no-niji-04

| | コメント (0)

2019年5月 3日 (金)

緑のパスタ*

19genovese-pasta

世の中にはバジルが嫌いな人もいるけど、うちはみんな大好きです。
今日、休日のお昼はわたしがつくった。
こないだカルディで買ってきたバジルのペストとカザレッチャで。
この『カザレッチャ』というパスタ、うちの子供が好きなんだけど、2分くらい長くゆでてもけっこうカタいのです。
昔うちにまだテレビがあったころ、『ビストロSMAP』を見ていたらその日のゲストがソフィア・ローレンで、キムタクがつくったパスタをひと口食べるや「パスタのゆで方がやわらかすぎる!」と言って、キムタクが(え、それで?!)と言わんばかりに目をまるくしたのが印象的だったけど、いったいイタリア人って、どれだけカタイのが好きなんですかねえ。
それで消化に悪くないのか(噛みすぎて)エラが張ったりしないのかと思うけど、うちの息子なんか今日のパスタを食べて「2分短くてもいい」といったりするのです。
わたしはあんまりカタすぎるのはヤダ。
食べてて疲れるから。
ジェノベーゼは瓶詰めのバジルのペストを使ってもそれなりにおいしいけど、無農薬のバジルをたくさん手に入れて自分でつくったらどれだけおいしだろうって、いつも思います。
ああ、そうそう、そういう意味で、こないだ国分寺のピアッドジョルノで食べた自家製ジェノベーゼのパスタは絶品でした。
材料が変わってて、サルシッチャと筍のジェノベーゼパスタ 。
サルシッチャというのは、チョリソーみたいなの。
たまに外でパスタを食べると素材の組み合わせのアイディアをもらえていい。外で食べてほんとうにおいしいと思えるパスタは意外と少ないから、あの店は貴重。
今日のは冷凍庫にあった枝豆を入れたんだけど、けっこうおいしかったです。

| | コメント (0)

2019年5月 1日 (水)

休日の遅いお昼**

19todays-lunch09

娘が作ってくれた今日のお昼。
サンドイッチに特製バジル・ドレッシングがかかったサラダ。
わたしはカフェオレをつくっただけ。
2つめのサンドイッチが2つに分割されてるのは、実は娘は2人分のランチを作ってたからです。
息子はでかけるって言ってたからいらないと思って。
でもたぶんいると思うよ、とわたしが言って、あわててもひとつ作ってました。
シャワーを浴びて、出かける準備万端にしてサンドイッチをひと口かじった息子が「うまい!」と言いました。
「これエビが入ってる」って。
そう、ひとつのサンドイッチに挟んであったのはシーフードオムレツ。
こういう凝ったことやってるから時間がかかるんだよね。
サンドイッチ作るのってけっこうめんどくさいです。
洗ってしゃっきりさせた野菜をしっかり水切りしないとならないから。
パンと中身がばらばらにならないように切るのも意外とコツがいります。
わたしはふだんのお昼にサンドイッチは作らない。
手っ取り早くパン屋で買ってきちゃうもんね。
家で作るサンドイッチのいいのは野菜たっぷりなのと中身がユニークなところかな。

二晩降りつづいたひどい雨が、朝にはやんだと思ったらまた降ってきた。
午後3時にして部屋のなか真っ暗。
気持ちよく晴れていたのは即位の儀の「剣璽等承継の儀」と「朝見の儀」の間だけだったような。
こういうのって不思議。
雨なのは穀雨の季節だからしかたないけど。

| | コメント (0)

一番花

19la-reine-victoria

今年いちばん最初に咲きはじめたのは、ラ・レーヌ・ビクトリアでした。
大きなつぼみがいっぱい!
もうわたしのベランダはジャングルみたいです。
小さなトラでも飼いたいくらいです。
いえいえ、自分が小さくなってばらの木の下に住みたいようです。
つまり、わたしの好きな季節がまたやってきたってことです。
五月は薔薇の季節。
むかーし、子供が小さかったころに愛読していた『セサミ』という子供のファッション雑誌によく載っていた『ばらいろの帽子』という帽子のブランドがつくる帽子。大好きだったなあ!
実際にばらいろをした帽子もあったかもしれないけれど、いうまでもなく、比喩です。
『ばらいろ』とつくだけでなんて世界はHAPPYになるんでしょうか。
今日はあいにくのお天気だけど、さっきわたしの帽子が届きました。
黒いリボンのついた大きなブリムの夏の帽子です。
これ以上、シミ・ソバカスだらけになりたくないから、というのもあるけど、帽子をかぶるのは好きです。真冬以外3シーズンかぶっているから、娘には「セザンヌみたい」っていわれてます。
わたしはあんなにクレイジーじゃないけど。

19la-reine-victoria-01

| | コメント (0)

令和の朝、五月の食卓。

19may-table

このあいだ友達の誕生日に、緑のスノーボールと淡いピンクのライラックと『シェドゥブルー』というロゼット咲きの白いバラでつくってもらった四月の花束が、自分の家にもひとつ持って帰りたいくらい素敵だったのです。
その日はよく晴れた初夏の陽気で、花束を抱いてホームに立っているわたしのところにも陽射しは降り注ぎ、瞳の中で色彩が揺れ、さんざめく光がすべてはこの一瞬だといっているような日でした。
それで月曜日にコトリ花店に行ったとき、ライラックとビバーナムをみつけて我が家にも買ってきました。
花屋によると、ビバーナムとスノーボールはおなじものみたいです。
ライラックとビバーナムにあわせてくれたのはアルストロメリア。
最近、無農薬のアルストロメリアをつくっている栽培家を知って、すっかりアルストロメリアが好きになったのだという店主。
たしかに淡いレモンイエローにグリーンのストライプが入ったこのアルストロメリアはとっても繊細で、これまで見たこともないような花、とってもきれいです。

19alstroemeria

欧米にくらべて日本では贈りものに花を選ぶことは少ないように思うけれど、それは花がすぐに枯れてしまうからでしょうか。
それよりも記念に残るモノのほうがいいから?
たしかに、花はもってもせいぜい1週間です。
暑い時期はもっと短い。
でも、花は記憶に残る。
わたしもそんなに数は多くないけどいくつか記憶に残ってる花があります。
思い出すといまでも胸が痛くなるような記憶です。
そして、それこそがモノより大切なものです。
でも花ならなんでもいいかといったらやっぱりそうじゃない。
そういう意味で、コトリ花店さんはまちがいなく『記憶に残る花』をつくれる花屋です。
誰よりも花好きの花屋。
店主は花からエネルギーをもらって(ようやっと)生きているようなひとです。
おととい、とってもひさしぶりにコトリ花店に行ったのは、相棒の新生活を祝う花を贈りたかったからでした。
それは今朝、彼女のもとに届いて、さっきお礼のメールがきました。
・・・・・・喜んでもらえてよかった。

19retirement-celebrations

| | コメント (0)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »