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2019年2月23日 (土)

Towards the end of the world

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今日のプール。
いつもはほとんどビリで更衣室を出るわたしだけど、今日はジャグジーにも入らずに急いでロビーに降りて行った。 今年もあやこさんと待ち合わせしていたから。
今年でもう何年になるか、贈りあう品物の中身なんかには関係なく、ただ誕生日がおなじだという、それだけの縁でこの日を大切にしてきた。お互いの誕生日を祝うために会うからって、おいしいランチを食べにどこかに行くというわけでもない。今年は下のロビーは改装されて以来、会員がゆっくりできる場所がなくなったからって、近くのイオンの中にできたイート・イン・スペースに行こう、とあやこさんがいう。
それでスイミングクラブの前から2人分の重たいプールバッグを前かごにのせた自転車を押し押し、「ゆっくりしか歩けない」というあやこさんの歩調にあわせて府中街道沿いのストレートロードを歩く。今日は風がとても強くて、風が吹くたび舞い上げられた花粉まじりの黄色っぽい埃が顔に直撃してくるからたまったものじゃない。そんなだからなおさらわたしの自転車の荷台につかまって歩くあやこさんの足取りは重たく、話しながら歩いていることもあって息があがってしまう。強い向かい風のなか歩くのはわたしにとってさえしんどかった。それにだいぶ暖かくなってきたとはいえまだ2月のこんな風の強い日に、84歳の人が家からバスと歩きでわざわざスポーツクラブにヨガをやりに来るのはすごいと思うけど、さすがに彼女もだいぶ衰えた。まっすぐの細い道がやっとひらけるあたりに来ると、あやこさんが立ち止まって「ちょっと休む」といった。いいよ、とわたしは言った。いいですよ、でも、そうしましょう、でもなく、いいよ。
いつからだろう?
あやこさんとは最初からそういう会話だった気がする。
きっぷのいい、サバサバした山形女と東京っ子。
親子ほども年のちがう女友達。

ようやくイオンに着いて、駐輪してから窓際のカウンターの隅っこにふたり並んでプレゼントを交換した。今年はお互いにお菓子だった。あやこさんはわたしがムッシュMで買ったきれいな化粧箱に入った焼き菓子のコフレを喜んでくれて、「うれしい。ほんとうにありがとう」と何度もいった。それからあやこさんが持ってきたお菓子と、それぞれが持ってたお茶とミネラルウォーターで茶飲み話をした。そう長い時間ではない。
あやこさんはわたしの父が死んだことをとても残念がった。
だって、自分たちの歳と近いから、と。
そして、最近はどこに行くにも一緒に行く相手がいなくなった、とこぼした。
ちょっと前までは一緒にでかけて面白い友達がいたのだけれど、その人も最近はめっきりボケておかしくなってしまって、何度待ち合わせしても約束した時間に来ないから嫌になってしまったのだという。わたしはあやこさんと一緒に樹木希林がお茶の先生を演じた映画を観に行きたいと思っていながら誘う間もなく過ぎてしまったけれど、それには1人で行ったというからさすがとしかいいようがない。あの映画を観てあやこさんは「おんなじだなあ」と思ったそうだ。不文律のなかでのみ理解して、深くは追及しなかったけれど・・・・・・
いくつか年上の旦那さんも去年の暮れから体調を崩していまも調子が良くないらしく、食べると気持ち悪いっていうからかわいそうだ、という。
帰り際に今日の夕飯に何を作るかの話になって、あやこさんが今夜は里芋をふかして、皮をむいたところに庭から取ってきて作ったゆず味噌をかけて食べる、といったので、それはおいしそうだなあ、といったら、その自家製のゆず味噌がほんとにおいしくて、何にかけてもいいんだそうで、作って今日あなたに持ってくるんだったね、と心底言うので、それを聞きながらわたしは、もらわなくてもそう言ってくれるだけでありがたいなあ、と思った。
それからまた、風の強いなか帽子を飛ばされそうになりながらバス停まで歩いて、バスが来るまでのあいだ話した。わたしが「もうすこし暖かくなったらまたランチにでもいこうよ」といったら、「そういうことは早くしたほうがいいよ。明日死ぬかもしれないから」とあやこさんがいった。あやこさんはいつもそういう言い方をするのが好きだ。明日の約束をするのに、「生きてたら行くから」という言い方をする。わたしは、オーライ、という感じ。それでいて、そういう人に限って100歳まで生きるんじゃないの、と内心思っている。
でもわからない。
変な鳥のように両手をバタバタさせながら、まるでわたしを励ますみたいに「おとうさん、もう死なないかもしれないよ」と笑いながら言ってた父も死んじゃったから。

バスが来て、乗り込んだあやこさんはこちらを向いて座席に座ると、バスが動きだしてからもわたしに向かっていつまでも手を振った。
やわらかい西日の逆光のなかで、微笑しながらいつまでも手を振るあやこさんの顔はやさしく、とてもきれいで、若いころはいったいどれだけきれいなひとだったんだか、と思った。そして、こうしているあいだも全ては終わりに向かっているんだ、と思った。最近、仕事をしていても誰かと会っていても音楽を聴いていても、いつも頭の端にそれがあるような気がする。そして、その世界の終わりを起点として、そこから生きている間に自分に何ができるか、大切なひとたちに何をしてあげられるかをじっと観じている。
そんなことがずっと頭にあるせいもあって、誕生月の二月はあたらしいことをふたつはじめた。ひとつは語学学習。もうひとつは自分の人生をハンドルするためのビジネスの勉強。もともとやること多かったのに、さらにやることが増えて忙しくなった。
だから面倒な人間関係のもつれなんかに巻き込まれている暇はないし、ほんとに行きたいと思うところにしか行けない。いつまでも変わらない人にかかわっているような時間もない。

深夜、バスタブのお湯に浸かってぼおっとしてたら、写真ですら見たことのない若かりし20代のころとおぼしきナース姿のあやこさんが目の前に現れて、そのあかるく、生き生き闊達とした美しさに、しばし見惚れた。

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