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2019年2月24日 (日)

something on the table

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3月1日からだからそろそろ来るかな、と思っていたら、昨日ポストに届いてました。
WATANABE TOMOKI 2019 EXHIBITION。
渡邉知樹さんの今年最初の個展は国立の『黄色い鳥器店』でです。
知樹さんの個展はいつもDMと、そこに書かれた言葉からして素敵なのだけれど、今回は

  なにかを
  なにかのままにしておく

  そういうやさしさが

  花のようなものを描かせる

  色彩は文脈を拒み

  手の届く言葉が見つからなくても

  あなたは“なにか”を秩序付けることなく

  ただそれを見つめるだろう

とあって、これはふだんの知樹さんを知っているとよくわかる感覚だし、自分が最近やってることもこれにちかい感じだな、と思う。
できるだけ頭で考えるのをやめたら身体も楽になったし、頭の中がビジーじゃなくなった。それでいて、いざというときにはちゃんと言葉が降りてくるから、これがいいんだと思う。
音楽にしても絵にしても何にしてもわたしが継続的に足を運んで行こうと思う相手はそんなにはいなくて、それこそ知樹さんは頭で何も考えなくても個展のDMが来たら行こうと思う、数少ない絵描きの1人です。
楽しみだ ---!

  
   渡邉知樹 個展

   2019年3月1日(金) ~ 10日(日) (4日月はお休み)

   黄色い鳥器店

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気温が上がって、一気に茎が伸びて花がひらきはじめたヒヤシンス!

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2019年2月23日 (土)

Towards the end of the world

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今日のプール。
いつもはほとんどビリで更衣室を出るわたしだけど、今日はジャグジーにも入らずに急いでロビーに降りて行った。 今年もあやこさんと待ち合わせしていたから。
今年でもう何年になるか、贈りあう品物の中身なんかには関係なく、ただ誕生日がおなじだという、それだけの縁でこの日を大切にしてきた。お互いの誕生日を祝うために会うからって、おいしいランチを食べにどこかに行くというわけでもない。今年は下のロビーは改装されて以来、会員がゆっくりできる場所がなくなったからって、近くのイオンの中にできたイート・イン・スペースに行こう、とあやこさんがいう。
それでスイミングクラブの前から2人分の重たいプールバッグを前かごにのせた自転車を押し押し、「ゆっくりしか歩けない」というあやこさんの歩調にあわせて府中街道沿いのストレートロードを歩く。今日は風がとても強くて、風が吹くたび舞い上げられた花粉まじりの黄色っぽい埃が顔に直撃してくるからたまったものじゃない。そんなだからなおさらわたしの自転車の荷台につかまって歩くあやこさんの足取りは重たく、話しながら歩いていることもあって息があがってしまう。強い向かい風のなか歩くのはわたしにとってさえしんどかった。それにだいぶ暖かくなってきたとはいえまだ2月のこんな風の強い日に、84歳の人が家からバスと歩きでわざわざスポーツクラブにヨガをやりに来るのはすごいと思うけど、さすがに彼女もだいぶ衰えた。まっすぐの細い道がやっとひらけるあたりに来ると、あやこさんが立ち止まって「ちょっと休む」といった。いいよ、とわたしは言った。いいですよ、でも、そうしましょう、でもなく、いいよ。
いつからだろう?
あやこさんとは最初からそういう会話だった気がする。
きっぷのいい、サバサバした山形女と東京っ子。
親子ほども年のちがう女友達。

ようやくイオンに着いて、駐輪してから窓際のカウンターの隅っこにふたり並んでプレゼントを交換した。今年はお互いにお菓子だった。あやこさんはわたしがムッシュMで買ったきれいな化粧箱に入った焼き菓子のコフレを喜んでくれて、「うれしい。ほんとうにありがとう」と何度もいった。それからあやこさんが持ってきたお菓子と、それぞれが持ってたお茶とミネラルウォーターで茶飲み話をした。そう長い時間ではない。
あやこさんはわたしの父が死んだことをとても残念がった。
だって、自分たちの歳と近いから、と。
そして、最近はどこに行くにも一緒に行く相手がいなくなった、とこぼした。
ちょっと前までは一緒にでかけて面白い友達がいたのだけれど、その人も最近はめっきりボケておかしくなってしまって、何度待ち合わせしても約束した時間に来ないから嫌になってしまったのだという。わたしはあやこさんと一緒に樹木希林がお茶の先生を演じた映画を観に行きたいと思っていながら誘う間もなく過ぎてしまったけれど、それには1人で行ったというからさすがとしかいいようがない。あの映画を観てあやこさんは「おんなじだなあ」と思ったそうだ。不文律のなかでのみ理解して、深くは追及しなかったけれど・・・・・・
いくつか年上の旦那さんも去年の暮れから体調を崩していまも調子が良くないらしく、食べると気持ち悪いっていうからかわいそうだ、という。
帰り際に今日の夕飯に何を作るかの話になって、あやこさんが今夜は里芋をふかして、皮をむいたところに庭から取ってきて作ったゆず味噌をかけて食べる、といったので、それはおいしそうだなあ、といったら、その自家製のゆず味噌がほんとにおいしくて、何にかけてもいいんだそうで、作って今日あなたに持ってくるんだったね、と心底言うので、それを聞きながらわたしは、もらわなくてもそう言ってくれるだけでありがたいなあ、と思った。
それからまた、風の強いなか帽子を飛ばされそうになりながらバス停まで歩いて、バスが来るまでのあいだ話した。わたしが「もうすこし暖かくなったらまたランチにでもいこうよ」といったら、「そういうことは早くしたほうがいいよ。明日死ぬかもしれないから」とあやこさんがいった。あやこさんはいつもそういう言い方をするのが好きだ。明日の約束をするのに、「生きてたら行くから」という言い方をする。わたしは、オーライ、という感じ。それでいて、そういう人に限って100歳まで生きるんじゃないの、と内心思っている。
でもわからない。
変な鳥のように両手をバタバタさせながら、まるでわたしを励ますみたいに「おとうさん、もう死なないかもしれないよ」と笑いながら言ってた父も死んじゃったから。

バスが来て、乗り込んだあやこさんはこちらを向いて座席に座ると、バスが動きだしてからもわたしに向かっていつまでも手を振った。
やわらかい西日の逆光のなかで、微笑しながらいつまでも手を振るあやこさんの顔はやさしく、とてもきれいで、若いころはいったいどれだけきれいなひとだったんだか、と思った。そして、こうしているあいだも全ては終わりに向かっているんだ、と思った。最近、仕事をしていても誰かと会っていても音楽を聴いていても、いつも頭の端にそれがあるような気がする。そして、その世界の終わりを起点として、そこから生きている間に自分に何ができるか、大切なひとたちに何をしてあげられるかをじっと観じている。
そんなことがずっと頭にあるせいもあって、誕生月の二月はあたらしいことをふたつはじめた。ひとつは語学学習。もうひとつは自分の人生をハンドルするためのビジネスの勉強。もともとやること多かったのに、さらにやることが増えて忙しくなった。
だから面倒な人間関係のもつれなんかに巻き込まれている暇はないし、ほんとに行きたいと思うところにしか行けない。いつまでも変わらない人にかかわっているような時間もない。

深夜、バスタブのお湯に浸かってぼおっとしてたら、写真ですら見たことのない若かりし20代のころとおぼしきナース姿のあやこさんが目の前に現れて、そのあかるく、生き生き闊達とした美しさに、しばし見惚れた。

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2019年2月12日 (火)

春の粒子 ***

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わたしはヒヤシンスのことなんてすっかり頭になかったのです。
去年はもうそれどころじゃなかったから。
でも去年、まだ父が生きていたころ、引っ越しのための片づけをしていた妹から、家にある花瓶をいるものといらないものに分けてくれないかなあ、といわれて出かけて行って、テーブルいっぱいに載った大小さまざまな花瓶を見たら、そのなかにヒヤシンスの水栽培用のポットがふたつあった。それを見ながら妹いわく、これまでヒヤシンスの水栽培をやりたいやりたいと思いながらなかなかポットを買えないでいたら、家にあったんだよねえ、と。
わたしは、へえ、そんなことがしたかったのか、と妹がそんなこと言うのがすごく意外だった。でも、いまはそう思っていてもその時期になったらきっと忘れちゃうんだろうなあ、と思って、自分ち用の球根を買うときについでに買っておこうと思ったのでした。ところが父が秋を迎える前にああいうことになって、バタバタ時が過ぎ、一陽来復のお札をもらって届けるついでに駅前の花屋で球根を買おうと思ったら、もうどこにもないのです。店員の女の子に訊いたら笑顔で、もう終わりました、今年は入りません、という。
そうか、しまった。水栽培は12月からはじめるんだもんなあ。
それでもまだどこかに残ってるかもしれないと、小さな花屋をみつけるたびに見るんだけれどやっぱりない。それからネットで探し回った。
やっとみつけて、高い送料払って白、ピンク、ブルーと3色のヒヤシンスを2個づつ買って、いざ届いたのを見たら、水栽培もできるとはいいつつ水栽培用にはかなり小さい球根でがっかり。でも気を取り直してそれを1球づつ小さな紙袋に入れて球根に真冬を疑似体験させるため冷蔵庫で保管すること2週間。
やっと先月ポットにセットしたのでした。
3球買ったうち、そのままポットに置けたのはひとつだけ。
あとは穴が大きすぎて落ちちゃうので、苦肉の策でワイヤーで台座を作って載せた。そしてさらに家の中でいちばん暗くて寒い玄関に置いておくこと18日間。
だいぶ根っこが伸びてきたので今朝、日の当たるところに出した。
緑の芽が、鳥のくちばしみたいにつやっつや!
ちょっと暖かな日に当たっていただけですぐに葉がひらいてきて、生きてるんだなあ、と思う。何せはじめたのが遅いからちゃんと咲いてくれるかどうかわからないけど、こうやって机の上に緑があるだけでもいい。
ちなみにこのあいだ妹に「ヒヤシンスの根っこ、出てきたね!」とメールしたら、「それがヒヤシンスはいっこうに根が出ず、根元にカビが・・・。どうやら失敗したみたい」というので、ガーン!
あたしゃ、あなたが思い出させてくれなかったらきっと今年はやらなかったよ、と思って、「せっかくだからうちの芽が出たの、ひとつあげるよ、さこうゆうこさんのポットごと」と言ってみるも、「せっかく根が出てきたのをいただかなくてもけっこうですよ。うちに来て花が咲かなかったり、元気がなくなったりすると困るので」と返事が返ってきて、うはー、どこまでネガティブなんだあ、しかも「けっこう」ゆわなくても、と思った次第。姉としては「やった! さんきゅ!」と言われたほうがずっとハッピーだったんですけど。こういう、小さなことから大きなことまで、姉妹のあいだにある感情の溝って一生埋まらんものなのかな、と思ったりして。妹のヒヤシンスも3球のうちひとつくらいはちゃんと根が出て咲いてくれないかなあ、と願うばかり。
2月、もうじき半ばのいま、気温は底で真冬なんだけど、陽射しの中にはすでに小さな春の粒子が含まれていて、まさに早春だなって思うのです。

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2019年2月10日 (日)

ククルクク・パロマ

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Posada del Solのランチタイムのラストオーダーは2時半で、いつもわたしが行くのがたいてい2時過ぎだからかな。お客が来なければもうそろそろ閉めようかという時間だからか、店に入ると音楽がかかってないことが多い。昨日も無音で、食事をはじめてしばらくしたらシェフが思い出したようにオーディオのスイッチを入れて、一瞬にぎやかな音楽が流れたと思ったら、何を思ったのかいったん止めて、でも次に流れてきたのもやっぱり大勢の男女が広場で踊っているようなにぎやかな音楽だった。それを聞いてたら聞き覚えのあるメロディーで、思わず「ククルクク・パロマだ!」といったら、シェフがキッチンの窓からこちらを覗いて、「知ってる?」と訊くから、「カエターノ・ヴェローゾが歌ってるので知ってる」と答えた。それがあまりにカエタノの歌うククルクク・パロマと違って明るくにぎやかなのに可笑しくなった。息子がここで『べサメ・ムーチョ』のフュージョン・アレンジみたいな変なのを聞いて、それが頭から離れなくなったと言っていたけど、これか。でも、ククルクル・パロマはもともとメキシコの民族舞踏曲だというから、昨日聞いたのが本家本元らしい。それは明るくにぎやかなサンバが意外にもシリアスで悲しい歌詞を明るく歌ってるのと似た感じかもしれない。
それで今朝の遅い朝ごはんの時間はこれが聴きたくなってかけた。
カエターノ・ヴェローゾの、『シネマ・カエターノ』。
息子はわたしが持ってるカエタノのCDの中でもこれが1番好きだという。
だからこのCDも死ぬほど聴いた。
そして13曲めの『ククルクク・パロマ』になって、「泣ける・・・」といったらそのとたん、ほんとに涙があふれてきて泣いてしまったのには自分でもびっくりした。(涙を拭き拭きホットサンドを食べた。)
悲恋の果てに死んで一羽の鳩になってしまった哀れな男の物語。
カエタノが「ククルクク」と歌うと、それはほんとに死んだ男の鳩の鳴き声みたいで、悲しく、切ない。わたしはこれをウォン・カーウァイの映画『ブエノスアイレス』の中で初めて聴いた。
ウォン・カーウァイの映画っていうのも、まるで自分の個人的な体験みたいにいつまでも自分の中のほの暗い場所に残っていて、ときどきまたそこに行ってみたいような、もう2度と行きたくないような複雑な気持ちにさせられるのがすごいけど、このアルバムはタイトルが示す通り、カエターノ・ヴェローゾの作った曲、またいつもライブで歌っているレパートリーの曲の中から、とくにシネマ、映画に通ずるものや映画に縁の深い曲にスポットを当てて選曲されている。日本人のセレクトによるオリジナル・アルバムで、ミルトン・ナシメントのベスト・アルバムもそうだけれどこれもほんとうにセンスが良くて、日本人の感覚ってやっぱりすごくいいんだと思うし、それに日本人はブラジル音楽がほんとうに好きなんだと思う。何より歌詞カードと訳詞のついたライナーが入っているのも曲を理解するうえでありがたい。
このアルバムにおけるカエタノは、闘うレジスタンスであり、両性具有の天使(あるいは悪魔)みたいでもあるし、真冬の夜空に浮かぶ鋭いナイフのような三日月みたいでもあるし、包容力を持った美しい女神のようでも、また頼りない思春期の少年のようでもあって、光のあたる角度によって色を変えるプリズムのように、すべての要素を持っている。そしてそれはいまではほかの誰にも感じられなくなったデモーニッシュな魅力でもある。
わたしが知る限り、ブラジルで最も美しい声をしていて、なおかつ最も歌がうまいのはカエターノ・ヴェローゾだと思う。
アルバム16曲中、11曲までがカエタノのオリジナルで、12曲めからアンリ・サルヴァドール、トマス・メンデス、シモン・ディアス、アストル・ピアソラとカバー曲がつづき、ラスト『イタプアン』でカエタノの曲に戻ってくるだのけれど、この最後のイタプアンがまた春を思わせる長閑で素敵な曲なのだ。高校生のとき古典の時間に杜甫の『絶句』を読んで、老後は漢詩の研究をしようと決めたわたし。そのなかにあった『今春みすみすまた過ぐ』という言葉はいまくらいの時期になるとかならず頭にのぼってくるほど、春はわたしが一年で最もむなしさを感じる季節で、暖かいんだか寒いんだかわからない、晴れてるんだか曇ってるんだかわからないどっちつかずのところも最も苦手な季節ではあるのだけれど、この歌にはそんな春のもっともきれいなところが集約されているように思う。
カエタノの歌声はまるで春のお花畑の上をふわふわと飛ぶ蝶のよう。
『そしてふたりは結婚してしあわせに暮らしました。でもそのしあわせは長くはつづきませんでした』みたいな、淡く儚い空気も含んで。
カエタノの歌うどの曲も限りなく映像的で、聴いているうちに様々な映像が浮かんでくるけど、それこそがこの『シネマ・カエターノ』のもくろむところ。
突き放した男前の訳詞がめちゃめちゃかっこよく、深くてロマンティックで、やっぱり国安真奈さんです。わたしはこのひとに惚れてしまいそう。

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2019年2月 9日 (土)

エンフリコラーダス!

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目が覚めたときもう9時半で、起きてカーテンをあけると思いのほか雪は積もっていなかった。家々の屋根がうっすら白くなっているくらいで。それで今日のプールはどうするかな、と思った。昨日の天気予報でさんざん大雪だというから、すっかり万事休すって気持ちになっていたんだ。寝たのも遅かったし。
それで遅い朝ごはんを作って食べ終えたらもう11時過ぎで、先週も先々週も食べてそれほど間もない時間にプールに行ったら、アップを泳ぎはじめたとたんにお腹が痛くなったことを思い出して、今日はもうやめた、と思った。それから娘が仕事に行ったあと、北側の壁のカビ取りとバスルームの掃除をはじめた。
この住宅の建物にはあきらかな構造上の欠陥があって、冬のあいだはどの部屋の窓も結露がひどく、とくにバスルームと洗濯機置き場のある北側の壁は冷えすぎるため何度カビ取りをしても真っ黒になってしまう。そのたびにシャワーキャップにゴーグルにマスクにゴム手袋、というすごい格好でカビ取りをするのだけれど、ほんとに冬のあいだ何度するかわからない。ほんとうにいやになる。いまはもう引っ越してしまった下のおばさんは「カビ取りの有機溶剤は身体に悪いから、わたしは壁が黒くなっても放っておく」と言っていたけど、有機溶剤とカビのびっしり生えた壁とどちらが身体に悪いのやら。わたしはとくべつな2月を黒い壁とともにすごしたくないから、やっぱりきれいにするしかない。
黒い壁とバスルームの掃除を平行でやって、やり終わったら、すっかり全身ハイター臭くなった。目もちょっと痛い。そのときもう1時過ぎ。それでそこから自分に巻きを入れて髪をゆすぎ、身支度をしてバタバタと家を出た。こんな日はやっぱりポサダ・デル・ソルだ。
店の前まで行くと、中から出てきた店主とでくわした。
自分はもう帰るところだって。
中に入ると今日も客はわたしひとりで、何かも聞かずに日替わりを頼んだ。
最初に出てきたのはサルサドレッシングのかかったサラダとじゃがいものスープ。
ビーフのスープにしてもこの皮付きのじゃがいものスープにしても、火であぶったような芳ばしさがあるのはどうやって作ってるんだろうなあ、と思う。
そしてサラダを食べ終えるころ出てきた今日の一皿。

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「これは何ですか?」と訊くと、シェフすぐに答えてくれるんだけどいつも1回で聞き取れない。訊き返すと、最初よりもゆっくり「エンフリコラーダス」、と。次いでわたしがおなじように言うと、 シェフ「もう一度」という。それで大きな声で「エンフリコラーダス!」と言うと、まるで「OK!」とでもいうように奥に引っ込んでいった。
笑える。いっそわたしにスペイン語を教えてくれないだろうか。
で、食べはじめたエンフリコラーダス。
ドライミートみたいなのがのったトルティーヤにソースがかかって、メキシカンライスが添えられているのだけれど、例によっておいしいおいしいと食べてるうちにトルティーヤに何がはさまっていたかも覚えてない、という有様なのです。
でもいいんだ、おいしいんだから。
それでいつものように食後のメキシカンコーヒーを飲むころにはすっかり身も心も温まってました。息子は平日に仕事場近くで食べるランチを節約しても週末ここに来たい、ってくらいめずらしくここが気に入ってる。わたしはここに来るたび、どうにかしてここが流行るようにできないかなって考える。そして月曜からまたがんばって働こう、と思う。つまりそういう味です、Posada del Sol。
この連休は大雪だっていうから昨日おでんの材料をたくさん買ったのに、雪が降るどころか雨もやんで、わたしは来たときとおなじように白い息を吐きながら駅前に向かった。1年中ドンスカドンスカ陽気にサンバを流してるお茶屋の前を通って。
この町、なんにもないつまんない町だとずっと思っていたけど、意外とおもしろい、変な町なのかもしれない。
夜、ベランダから見下ろしたら、雪がまたうっすら積もりはじめていました。

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2019年2月 4日 (月)

春が舞い降りた日

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立春の今日は一気に気温が上がって、日中の最高気温なんと19度!
朝ベランダに出たときはほんとに暖かくて、まるで春が舞い降りたようだと思ったのも束の間、午後には風がでてきて、夕方出かけるころには北風が吹き荒れ、すっかり寒くなっていた。これだからいまの陽気は油断ならない。
毎年立春の日は明治神宮にお参りに行くことになっているのだけれど、父が亡くなってまだ半年経ってないということで今年はやめて、家からそう遠くない梅照寺へ。ちょうど自分の誕生日に目のオペを受ける友達がいて、お守りをもらいに行った。
ここは眼病治癒、目の神さまとして有名なお寺。

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ここには前にもおなじ目的で来たことがある。
あのときは父が一緒だった。
いまよりもうちょっと春が進んだころで、お寺の境内には梅が咲きはじめていた。
人間も動物も植物も冬を越すのが大変なのだと思うけど、冬のあいだ寒さに縮こまってあまり身体を動かすことなく暮らしていた父は驚くほど歩けなくなっていて、ここまで歩いて来るのも一苦労だった。そして日中は陽射しが暖かかったからまだよかったものの、帰るころにはやっぱり風が強くなってすっかり寒くなり、おまけに帰りにジェラートを食べたりしたのがよくなかったのか、駅に着くなり父はおなかの調子が悪いと言い出して、しばらく駅のトイレの前で待たされることになったのだった。自分が寒いのと早く帰りたいのと父が心配なのとで複雑な気持ちで夕暮れの駅のホームに立っていたことを、ここまで来るあいだに思い出した。人間、何気なく歩いてても自然とこういう記憶が再生されてしまうんだから、やっぱり次々クリーニングしなきゃならないんだと思う。
今日は超近眼の娘と来た。

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ここのお寺はお参りのときに真言を唱えなきゃいけないらしくて、お賽銭箱の横の柱に真言を書いた紙が張り付けてあるのだけれど、いつも一発で覚えられなくて困る。でも友達のオペの成功と眼病平癒と、娘の近眼がよくなるように祈った。
そしていつもお参りはあっという間に終わってしまって、ほんのわずかの間ぼうっと立ってあたりを見回していたら、そのわずかな間にも近所の人たち(子供から大人まで)が次々とやってきてはお参りをしていくあたり、ここは地元のひとたちに愛されているお寺みたいです。
来た道とは違う、この鳥居を出て中野方面に向かう商店街がいろんなお店があってなかなか楽しいのだけれど、今日は時間がないので回れ右して帰った。
今度こそオペが無事に終わったら、またお礼参りに来よう。
そしてあのジェラート屋にも行って記憶をあたらしく上書きするんだ。
夜は娘の3日遅れのバースデー・パーティ。

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青文字の花

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朝、青文字がひらいてきました。
くちゃくちゃにたたまれた和紙をひろげたような、どこか苺の花にも似た花。
立春の今日、朝から暖かな陽射し。

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2019年2月 3日 (日)

青文字とネコヤナギ、角りわこさんの花入れ

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ときどき、ほんとに滅多にないことだけど、何かを見た瞬間、わっとこころが踊って、目が釘付けになって、離れなくなってしまうことがある。そのころ毎朝のように見ていたわざわざさんのブログに角りわこさんの『白釉銀彩花入れ』がアップされたときがそれだった。
そのころとくに花入れがほしかったわけでもないのに。
それは、なんていうんだろう・・・・・・。
『花入れ』なんていう日常の器を超えた凛とした存在感があって、花が何も入ってなくても絵になって、絵画に描かれるような・・・・・・。まさしくアートだと思った。
どっしりしていながら銀彩に施された線描が軽やかに繊細で、黒土の透けるマットな白釉に、銀いろが鈍く光っているところがなんとも素敵で、一発で「これほしい!」と思った。
でも、この花入れにはいくつか形違いって、大きさ違いのバリエーションがあり、おまけにそれはわたしには少々高価でもあって、どれにしようか迷っているあいだに、例によってひとつ、またひとつと売れていった。そしてついにわたしがこれにしよう、と決めてカートに入れたとき、それはたしかにまだあったのだけれど、マイページにログインしようとしたら何故か何回やってもパスワードが入らなくて、やっと入ったと思ったときにはもうすでに売り切れていた。いつもだったらそんなとき、もともとわたしには高価だったんだし、とあきらめるところを、なぜかそのときはあきらめきれなくて、ダメもとでわざわざさんにメールを送ったら、しばらくしてわざわざさんの旦那さんと思われる方から、とても丁寧な返事が返ってきた。なんと作家さんに問い合わせてくださったら、形状は違うけれど手元に残っている白釉銀彩花入れの最後の数点をサイトに入荷してくれることになったというのだ。そして翌日には画像付きのメールが送られてきて、その中から選んだひとつを無事に送っていただけたというわけ。その間のメールのやりとりが実に実直かつ誠実で、これは朝倉摂さんにも感じたことだけど、わざわざさんがあんなに自由に(やんちゃに)羽ばたけるのもこの実直な旦那さんあってのことなんだなあ、と妙に感心してしまったのでした。
そして、この花入れを手に入れた後だったか、どこかで読んだ水上勉(この作家は母が好きだった)の文章の中にあった、『形も色も独自で一見して洋風な線描画も陶のもつ東洋の地風を滲みでていて、まことの味が深い』という一文にも共感した。そう、わたしはまったくの和風より、洋風なのが好きなんだ、と。
それからすぐにこのとくべつな花入れに最初に何をいけようかと考えて、バンクシャとスモークツリーを買ってみたけど、なんだかピンとこなかった。渋くてかっこよくはあるけどこれじゃない。もっとさりげなく日本の景色になじむもので、もっと瑞々しいもの。
この花入れを買ったのはおととしの6月だから、もちろんこれまでに何度も出番はあったのだけれど、これまででいちばんピンときたのがこれだった。
おととい娘の誕生日に花を買ってラッピングしてもらうあいだに目についたこれ。
「これもください」といってカウンターに持って行って、「これはなんの枝ですか?」と訊いたら、店員さん、「青文字です」って。
黒文字は知ってるけど、青文字ってのがあるんだ。
・・・・・・・ というわけで、青文字とネコヤナギ。

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どうでしょう? 
わたしはとても気に入りました。
ネコヤナギの銀いろのふわふわが花入れの銀彩とよくあって、青文字の瑞々しさもイメージ通りです。この緑の粒粒したのはみんなつぼみだったらしくて、暖かい部屋に生けたらすぐにほころびはじめました。

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そして、こんな枝ものをいけただけで部屋の空気ががらりと変わったのに驚きました。つまり生きたエネルギーが部屋に放たれたということ。
角りわこさんの花入れに使われているのは本物の銀だから、ほっておくと黒くなってくるのです。その経年したいぶし銀もいい、とわざわざさんはいうんだけれど、わたしは銀いろに光ってるのが好きだから、今回もよく磨いてから使いました。
その花入れに花をいけたらとくべつな時間に流れができた。

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わたしたちみんな、旅の途中。

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2019年2月 2日 (土)

2月の食卓 ***

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食卓に花がある。
それだけでいつもとちがう朝。
「人間は花だけじゃ生きられないんですから」って、昔よく母にいわれた。若かったころ、小さな花の一束がほしくて男の人についてっちゃった女の子を知ってる。すごくバカだけど、それってある意味、詩だなと思う。結婚したてのころ、これからは食卓に花を絶やさないようにしようと思ったわたしは実に浅はかでした。友達のマリコは、まだ小さかった娘に「ママ、花買って」といわれるたびに「そんなにお花ばっかり買ってられません。うちは女優さんのおうちじゃないんだから」といってた。はい、ごもっともです。でも、1年でいちばんおひさまの光が少ない2月は食卓に花を絶やさないようにしたいって、毎年思う。
といって、なぜか自分の誕生月はきまっていつもプアなんですけど。

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2019年2月 1日 (金)

2月、とくべつな時間のはじまり

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今年もとくべつな時間がはじまった。
今日、娘の誕生日。
でも今日は息子の帰りが遅いから、バースデ・パーティは数日後の夜にやることになった。それでバースデー・ケーキくらい今日買いに行こうと思ったら、息子が「えーっ?!」っていうので、それもおあずけ。当日になんにもしないのはかわいそうだから、ランチにでかけた。ポサーダ・デル・ソルへ。近所にお気に入りのレストランがあるっていい。
でも店に行くといつになくシェフの元気がなくて、なんでかと思ったらこの東京の2月の寒さのせいらしい。メキシコは寒いときってないの? と訊いたら、ある、って。最近は雪の降るところもあるらしい。でも、こんな寒さじゃないって。東京っ子のわたしからしたら、今年は寒いって言ってもかなり暖冬だと思うけどなあ、雪もまだたいして降らないし。と思うけど、そりゃメキシコ人にとってツライのは当たり前だ。生粋の東京っ子の友達なんか言ってる。東京に住めればどこにでも住める、って。夏は死ぬほど蒸し暑いし、冬だってむちゃくちゃ寒い。でも東京、桜が咲くころまでまだまだ寒いよ、といったら、でも、この寒さとは違うって。
秋山さんは、そうきちには悪いけど俺のカレンダーから2月を無くしてほしいっていってたし、っこのマスターはまだ風邪が治らないっていうし、よっぽどこの2月の寒さがこたえるだなあ、と思った。わたしはどうかといったら、2月生まれだから寒さには強いし冬が苦手なわけでもない。わたしが冬が嫌いだなんてどうして言えたんだろう。むしろわたしが1番苦手なのは春で、ただわたしは冬より夏のほうが好きなだけ。すこしでも長く夏のひかりの中にいたいだけだ。だからこの太陽の住処も好き。
さて、サラダとビーフのスープにつづいて出てきた今日の日替わりランチは、トルティーヤのサンドにメキシカンライスでした。

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サルサソースのかかったトルティーヤの中身はチキン。わたしの好きな豆のペーストも入ってる。娘曰く、これって、中華でいうと餃子とチャーハンみたいな感じじゃない? 炭水化物ばっかりで、って、なるほど。たしかにそうかもしれない。でもいいんじゃなかろうか、おいしければ。そしてラストの黒砂糖とシナモンの入ったメキシカンコーヒーに娘はトルティージャ(メキシコ風クリームブリュレ)、わたしはチーズケーキをいただいた。
いつもこのメキシカンコーヒーを飲むとホッとするのです。
珈琲としてはかなり薄いんだけどあったまる。
(で、もっと大きなカップでいっぱい飲みたいと思う。)

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それから花を買いに行った。
小さなバースデ・ブーケ。
今日、娘が、わたしが初めて子供を産んだ歳になりました。
時のたつのって、あっという間です。
でもまだまだいろいろあるし、人生は長い。
幻の蝶を追いかけて、それで人生終われるならそれでいいと思うわたしです。

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