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2018年12月29日 (土)

穴八幡宮へ

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実家が一陽来復のお札を貼るようになったのはいつからだろう。
母がいるときからだったからもうずいぶん前からだ。
そして、わたしが世帯主になったころかな。
我が家の経済事情を案じてか、暮れになるといつも父がうちの分まで買って来てくれるようになった。一陽来復のお札をお祭りする機会は3回あって、冬至、大晦日、節分の午前O時ぴったりに恵方に向けて、反対の柱か壁のできるだけ高いところに剥がれないようにしっかり貼りつける。お正月2日に実家に行くと、ちゃんと貼ったか父によく訊かれたものだ。
晩年の父とは何度も穴八幡宮に行ったけれど、わたしはとりたててお札がほしいわけではなかった。暮れの寒い時期に年寄りをひとりで出かけさせるのがしのびなかったというののもあるし、お札にかこつけて散歩がてら父とでかけて、しばらく時間を共有したり、帰りに何か温かいものでも食べて帰ろうというくらいのことだった。
たいてい行きはバスで行って、帰りはゆっくり歩いて帰ってくる。
駅から穴八幡まで、歩くとけっこうあるから、いま思えば父もずいぶん歩けた時期があったんだなと思う。一昨年は帰りに父が途中でバテて、帰りもバスに乗ったような気がする。去年はもう行けなかった。そして今年、ここに来れば父に会えるような気がした。変な言いかただけど。

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今年は仕事が休みの娘を誘って出かけた。
風はすごくつめたかったけど晴れていたから行きも帰りも歩いて行った。
わたしたちは歩くのがとても早くて、これくらいの往復歩くのはなんてことなかった。
これまではずっといっこうに進まない父と一緒だったから、今日はいつもの半分くらいの時間に感じた。前に父と行って寒い北風のなか長蛇の列を延々並んだことがあったから今日もそうなるかと思ったけれど、境内に入ると意外にもぜんぜん混んでなくて、並ばずにあっさりお札を買うことができた。今年は妹の分と、ふたつ。
それから八幡宮さまをお参りして、さらに金運がよくなるように境内の布袋さまもお参りして、布袋さんのまるまるしたほっぺたやおでこやおなかやふっくらした手を撫でて、これで来年の金運はばっちしだ! といって神社を出た。

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思えば数年ぶりに一陽来復をお祭りしなかったせいだからかなんだか、今年はひたすらお金がでていくいっぽうのプアな年だった。けして欲張るつもりはないけど、来年はもうすこし余裕のある年になることを金銀融通の神さまにお願いしたい。
でも何はともあれ、今年もこうしてここに来られただけで感謝・感謝なのです。
ここに来るまでのあいだにとってもおいしい鯛焼き屋さんがあって、行きはそこに寄って鯛焼きを食べた。いままで知らなかったけど店には2階にゆっくりできるイート・イン・スペースがあって、娘が「暑い」といって思わずコートを脱いだほど暖かなのだった。いいとこ見つけた。また行こう。
鳴門鯛焼本舗の鯛焼きは薄めの皮がパリッと芳ばしく焼けてて、たっぷり入った自然な甘みの小豆がなんともおいしい。これ、焼き立てを父にも食べさせたかったなと思う。もっともここの急な階段は父には無理だろうけど。
ここではコーヒーほか飲みものをオーダーして食べることもできるらしい。
鯛焼きとコーヒー、どら焼きとコーヒーって意外とあうから。
鯛焼きを食べさせるためだけにしつらえたとは思えない、古民家風の空間がなんとも贅沢でした。

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そして今日はお昼を食べる時間がなかったから帰りはベトナムの女の子に教えてもらったベトバルに行こうと思ったけれど、ちょうどランチタイム後のやってない時間だったからこのあいだみつけたお洒落なカフェで早めの夕飯を食べて帰ることにした。ちょうど今日は息子が夕飯いらないのをいいことに。
このカフェ、omotenashamoji (おもてなしゃもじ)というのだそうです。
自分の選んだ店に入ったとたん、一緒に行った友達に「そうきちが好きそうな店」といわれることがあるのだけれど、ここもそんな感じ。
まず店の雰囲気がいい、そして店員さんの感じがいい、でもってちゃんとしたごはんが食べられる店。それだけのことなんだけど意外となかなかない。
ここの店主なのかな、いらっしゃいませ! と第一声を発した男の人の笑顔がすごく感じよかった。お料理を運んできた女性も。
その omotenashamoji さんの、『しゃもじプレート』。
このハンドメイドの木のプレートにのってでてくる時点でもうわたし好みです。

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大根の葉ののったごはんに豚肉の生姜焼きにキャベツ、ほうれんそうのおひたしに三つ葉ののった餡かけ豆腐、大根おろしを添えただし巻き玉子、大根としめじのお味噌汁にひじきの煮物と、お出汁のジュレに入れたプチトマト。
味は昔の自分のようにふつうにお砂糖もお醤油も使ってる気持ち濃いめの味の和食。いまのわたしにはあと1割か2割薄味のほうがよかったけれど、よくいうとごはんが進む味でした。店内は明るくて広めの空間で、店の中にいるとここが高田馬場とは思えないほど。眠たくなるような退屈な、いかにも『ザ・女性JAZZヴォーカル』というような音楽がかかってるほかはよかった。
お腹いっぱいになって店をでると外はもう真っ暗で、通りの向こうに父が好きだった早稲田松竹が見えた。横断歩道を渡って入り口のドアの窓ガラスから中を覗いてみると、そこには思いがけなくレトロで上品な空間がひろがっていて、一度もここへ父と一緒に映画を観に来なかったことが悔やまれた。いつもそうだけれど、身近な大切な人が亡くなって思うのは自分の至らなさと身勝手さと狭量さばかりだ。なんでもっとあの人に時間と気持ちとお金を割けなかったのか、という。そう思って自分を責めてばかりでもしょうがないから、去年、奇跡的に京都に行けただけでもよかったかと思ってみるけど、あれだって実は遅かった。遅すぎた。ほんとうは父がもっと若くて元気で、自分の足で歩けて難なくなんでも食べることができて、あれが見たい、あそこに行きたいという気持ちがあるときに連れて行くべきだったのだ。なんとしても。だからもし、いまこれを見てくれている人にいま書いた条件を満たす親御さんがいて行きたいと望んでいるところがあるとしたら、そう遠からぬときにぜひ実現してほしいなと思う。それはきっと後々まで楽しかった記憶として親御さんのなかに残るだろうし、人のためにつかう気持ちや時間やお金は人のためじゃない、自分自身のためだから。
今日も早稲田松竹のショーウィンドーには父におあつらえ向きの古い邦画の2本立てのポスターが貼ってあって、父だったらぜったい観るだろうなと思った。
2本立てで一般1300円、学生1100円、シニア900円、安い!
ほんとに来りゃよかったよ。
娘に、いいのやってたらこんど観に来よう、といってその場を離れた。
父には会えたか。
会えたような気がする。
少なくともあちこちで父の面影が浮かんだ。
今年の一陽来復にはとくべつにご利益がありそうな気がする。
帰りに妹の部屋まで行って、ドアノブにお菓子とお札の入った袋をさげて帰った。

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