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2018年10月31日 (水)

ハッピー・ハロウィン♪

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今日の朝ごはんは昨日、店の前を通りかかってなんだか思わず買ってしまったマネケンのワッフル。6つ入りの箱の中身は、栗とパンプキンプリンとさつまいもバターの期間限定すハロウィン・スペシャル。
ハロウィンなんていままでぜんぜん興味なかったけど、もとはケルト民族の収穫祭で、秋田のなまはげ祭りともよく似てることなんかを思うと、民族や文化や宗教の違いはあっても人間のルーツはひとつなんだなあと、ちょっと親近感が湧いたりして。
それでワッフルっていうとすぐに、昔Sと映画を観た帰りに新宿のDUGで食べたワッフルを思いだす。いつもフレンチコーヒー2つにワッフルひとつ頼んで、2人でシェアして食べた。
DUGのワッフルは四角いのが2つつながったような形をしてて、外側がカリっと芳ばしく焼けて、中がふわっとしてる。その上にバターがひとかけのって、ミルクピッチャーに黒蜜がたっぷり入って出てくる。ワッフルにバターをまんべんなく塗って、ピッチャーの黒蜜ぜんぶかけてもまだ足りなくて、お店の人にピッチャーを差しだして「すみません。もうひとつください」というと、いつも嫌な顔せずに、すぐに持って来てくれた。いつ行ってもいまどの時代にいるんだか時間がわからなくなるようなJAZZが流れてて、煙草と珈琲と輸入盤レコードの匂いが混ざりあったちょっと煙たいような薄暗いDUGの2階で、バターとシロップがたっぷりかかった焼き立てワッフルを食べながらいま観たばかりの映画について話す時間。
あれって、ほんとにしあわせだったなあ・・・・・・!
10月の終わりは晴れて暖かくなった。
この時期、カシミアの半袖Tシャツ1枚でいられるってなんてありがたいんだろう。

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2018年10月29日 (月)

セージグリーンの室外機カバー

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忌明けの今朝は気持ちよく晴れて暖かくなった。
それで朝から室外機カバーを組み立てた。
1週間くらい前、箱が届いたら思ったより大きくて重たかったから、これはひとりで組み立てるのはけっこう大変かもと思ったけど、娘が手伝ってくれてあっという間に終わった。すごく助かった。持つべきものは子供!
娘もわたしも、作業をするときは最初に取説を読んでからはじめるタイプです。
このアルミの室外機カバー、ガーデン用品では見たこともないきれいなセージグリーンをしてると思ったら、あの素敵なガーディナー、吉谷桂子さん監修だそうです。ここは風のつよい4階で、台風ともなるとその脅威たるや凄まじいから、この夏買ったばかりのあたらしいエアコンをちょっとでも風雨から守りたいのと、室外機の上に植木鉢を乗せたくて買ったのだけど、おかげでベランダが片づいていい感じになりました。
この夏の異常な猛暑と、次々やってきた大型台風のせいでばらが何鉢も枯れてしまい、すっかりさみしくなってしまったベランダ。
わたしはどうもこの『さみしい』ってのが苦手みたい。
来年の春から夏に向けて、懲りずにまたこのベランダを花と緑でいっぱいのジャングル状態にしようと思います。

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2018年10月28日 (日)

四十九日

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母はわたしが玉の輿に乗るとでも思ったんだろうか。
わたしが10代の頃そんなことをいった占い師がいたから。
彼がいったことはわたしを傷つけただけで、何ひとつ当たらなかったのに。
母はわたしが成人式を迎えるあたりから嫁入り道具としてわたしの着物を作りはじめた。高校から帰ると、すでにわたしも顔なじみになっていた呉服屋の男の人が、居間で反物を広げて母と話している場面にでくわすことがよくあって、子供ながらにわたしは、呉服屋とつきあうってこういうことか、と思った。呉服屋は、たとえ帯締め一本でも客との縁が切れないようにすると聞いたことがある。あたりまえだけれど着物は、着物だけあればいいってわけじゃない。実に細々といろいろなものが必要だから、延々、縁が切れないというわけだ。でもそれはシャビイな部屋に住んで、わたしが小さかった頃から「うちは貧乏なんですからね!」が口癖だった母にはいささか不釣り合いな気がして、いま思ってもいったいどこにそんなお金があったんだろうと思う。
母は安物買いじゃないし、目利きで基本、贅沢な感覚をしているから、呉服屋も変なものは持ってこなかった。わたしの成人式の着物は朱赤の総絞り。それに附下に訪問着に、なんと喪服まで作った。わたしが母の作ってくれた着物を着たのは成人式のときと息子の七五三のとき、たった数回だから、なんてもったいないことをしたんだろう、と思う。
母の死後、その着物が誰も着ないまま、誰にも手入れされることなく和箪笥の中で変色したり、シミができてしまったと妹から聞いたときは、心底がっかりして母に申し訳ないことをしたと思った。でも、そう思ったところでどうなるわけでもないし、時が経つうちに、母の気持ちはその着物を娘のために用意していた楽しい時間にすべて昇華されたのだと思うから、もうそれはそれでいい、と思えるようになった。
そして18年経ったいまは逆に、母は将来どうなるかわからない娘への幻想にお金を遣うよりも、そのときまだ若かった自分にお金を遣うべきだったとつくづく思う。それが親心だということも十分わかるし、人は誰でも自分の大事な人に大なり小なり幻想があって、それが自分の中にもあるということがわかっていて、なお。

父の四十九日の前々日に、妹から「母が作った喪服の着物をわたしが着てもいいですか」とメールがきたので、わたしはもちろん、いいよといった。わたしはもう着物は着ないから、今回に限らず自分のにしていいよ、と。妹はまだちゃんとひろげて見てないから着られるかどうかわからない、ということだったけど、今朝行きの電車の中でばったり会ったら喪服を着て黒いバッグをさげていた。わたしと妹は背丈がけっこう違うから、自分にはかなり大きくて着るのにちょっと苦労した、という。それでもきれいに着ていて、髪こそひとつに結んだだけだったけど、着付けを習ったといってもわずか数回行っただけというのに、器用なもんだな、と思った。そう思ったら、母は自分では滅多に自分の娘を褒めることはなかったけれど、わたしたちが誰かから褒められると、いつも冗談交じりに「そりゃあ、わたしの娘ですから」と言ってたことを思いだした。自分の嫁ぎ先の家紋より自分の家の下がり藤の家紋が好きで、わたしの着物にも入れたという、母こだわりの喪服は見るからにいい着物で、今日着る時を得てきっと母も喜んでいるんじゃないかと思う。

1週間7日。それが7回過ぎて、今日、四十九日。
四十九日で死者の魂はあの世に旅立つといわれているけれど、別の宇宙観で生きているわたしにはなんだかピンとこない。ただ、ここまであっという間だったかというと全然そんなことはなくて、むしろ長いくらいだった。いつも頭の中は思考でぎゅうぎゅうなのに、わたし自身は空っぽみたいな。妙な感覚がずっとあった。それで、疲れていた。どうやってもとれない疲れ。それは今年がすごくヘヴィな年だったから、というのもあるけれど、もっというと人生の疲れ、この歳になるまで堆積した疲れが一気にやってきたような感じかもしれない。
でもとにかく今日、またひとつ終わった。
今日は法要の時間に遅れてくる人があったり、お坊さんがお経をあげている最中に携帯を鳴らす人がいたり、部屋から出て行く人があったりとまぁ、いろいろあったけど、いずれ忘れてしまうようなつまらないことはいますぐにでも忘れてしまおう。
今日、お経をあげてくれた真言宗のお坊さんはとても透明感のある、きれいなお顔立ちをしたお坊様だった。彼の澄んだ目には慈愛とともにこの俗世に対する諦観と、微かなシニックな視線があった。
部屋での法要が終わって墓地に行って納骨の際、墓守にひとりずつ確認してください、といわれてお墓の前を通り過ぎながら墓の中を覗くと、父と母の白い骨壺が記名されたほうをこちらに向けてふたつ並べられていて、このあいだ父の骨壺を持ったとき、あまりに大きくて重かったから母のときより大きいんじゃないかと思ったのだけれど、ふたつはまったくおなじ大きさだった。つまり18年前、喪主だった父はあの小柄な身体で母の大きくて重たい骨壺を抱えていたのだった。
父方の菩提寺は由緒ある古い寺で、墓地もとても古いぶん墓石もみんな古くて、暗くてじめじめしていて子供ながらにいかにもお化けがでそうで嫌だったけれど、ここはまだあたらしい墓地で、まわりの墓石もあたらしいものばかりでピカピカしていて、そのぶん何の情趣もなく、無機質でよかった。お天気がよくて暖かかったせいで日よけのために立てられたパラソルがなんだかピクニックみたいで、ここでもお経の途中に叔父と叔母がお喋りしていて気になったけれど、もうそんなこと父は気にしてもいまい。

今日、記念すべくは法要の食事会の後に、墓地から近いからと誘ったら、わたしの結婚以来はじめて80と67の叔父ふたりがわたしの住んでいる部屋に来たことだろうか。
わたしはお腹いっぱいでただ珈琲が飲みたかっただけなのだけれど、まだ飲み足りないという叔父ひとりと帰りにスーパーマーケットに寄って、お酒やら酒のつまみやらフルーツやら買って帰り、家族3人+妹+叔父ふたりでワイワイやって楽しかった。楽しかったけど母方の兄弟である叔父たちは頭がよいぶん、鋭くって歯に衣着せない人たちだから会話の内容はヘヴィでもあった。楽しくてヘヴィな時間。うちではこんなの親子でしょっちゅうだけれど、叔父たちの家ではもう家族でこんな核心に迫るような会話はしないのかもしれない。
そして、いくら血のつながった親族であってもそこには敷居も壁も無数にあって、どれだけ『プライドより愛』と思っても超えられないものは超えられないらしい。人間とはどこまで面倒なものだろう。
でも父はもうとうにボディを置いて、そんな面倒な現世から離れてしまった。
儚い笑顔だけを空中に残して。
父がその戒名にあるように自由に空を飛んで、FANTできたらいいなと思う。
写真は今朝6時の空。

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2018年10月23日 (火)

柿と蕪のサラダ

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またこの季節がやってきた。
朝の食卓に柿のオレンジ色がやさしい、柿と蕪のサラダ。
皮をむいて薄切りにして塩で揉んだ蕪と、薄切りにした柿をドレッシングであえただけのシンプル・サラダ。
わたしが子供だった頃はおっきな種の入ったまるっこい柿がふつうだったけど、いまは四角くて平たくてお座布団みたいなかたちをした種無しの柿が主流みたい。
それで子供の頃から大人になるまでそれほど柿が好きだったわけじゃないけど、最近たべるようになった。外で食べる玄米菜食ランチなんかでも、ちょこっと季節の果物がついてるとうれしい。
外はまたしてもいまにも雨が降りそうな曇天。
今年の秋はさっぱりお天気がつづかない。

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2018年10月22日 (月)

ばら一輪。

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昨日、自分で企画した今年ラストの大きなイベントが無事に終わってほっとしたのと疲れたのとで帰りの電車の中でうとうとして、着いた乗換駅で、そこだけ光を集めて華やだった花屋の前で立ち止まってしばらく眺めたあと、いったんは通り過ぎてホームに降りたけど、電車が来るまでしばらく待ち時間がありそうだったからまた花屋まで戻って、自分のためだけにばらを一輪買った。
クォーターロゼットの花びらがぎゅうっと詰まった、たっぷり深いカップ型のこのばらは、カーマイン・クラシック。
今朝、花瓶にいけたら、、、、、、
きれい!
・・・・・・ しあわせ。
一輪で完璧なうつくしさ。
こんな完璧に自分好みのばらがベランダにもあったらと思うけど、地植えならまだしも、これだけ巻きのある深いカップ型のばらを鉢植えで咲かせるのはとても難しい。
食卓に花があると、いつ席に座ってもじっと眺めつづけてしまう。
その時間は自分だけのもの。
このところ、自分の抱える現実に打ち負かされそうになって落ちることが多いけど、昨日わざわざ戻ってこのばらを買ってよかった。

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2018年10月17日 (水)

朝陽が射してきた

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朝陽が射してきた。
今日こそ気持ちよく晴れるかな。
茎と葉の裏がホワイトシルバーでうつくしいのは、サルビア・ディスコロール。
シックな黒い花は咲かないけどにょきにょき伸びた。

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2018年10月16日 (火)

曇天つづき

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やっと朝から晴れた。
冴えない天気はもううんざり!
ミニチュアローズほどの花を咲かせた秋のセント・セシリア。
小さくても香りは濃厚。

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2018年10月14日 (日)

オリーブの木

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朝は雨が降ってて今日もずっと曇っていたけど、午後遅く、ようやく晴れ間が見えてきた。いつも思うけど光の射しかたひとつで世界はまるっきりちがって見える。それはきっと人のこころもおなじなんだろう。
陽射しを浴びてきらきら光るオリーブの葉っぱ。
昨日、高松からやってきた。
高松っていうと、高松出身の親友が「高松はニッポンの地中海だ!」って言った言葉をいつも思いだす。
届くまで知らなかったけど、箱をあけたら憧れの創樹さんのオリーブだった。
幹がどっしり太くて、きれいな樹形をしているのは、剪定のお手本のようなもの。
今年の春だったか思わず、というか、うっかり、というか、ドイトでみつけて買ってきてしまったエル・グレコも、いつかこんな形にできるだろうか。
オリーブは違う品種で2本以上ないと実がならないという。
調べたらこのネバディロ・ブランコと相性のいいのはシプレッシーノだって。
ギリシャ産の希少品種だという、エル・グレコはまだ未知数の木。
でもいつか、わたしのオリーブに実がなることを夢見ている。

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2018年10月13日 (土)

リハビリプール

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スイミングクラブを出たら秋の匂いがした。
湿った土の上に落ちた、落ち葉の匂い。
大気がしんと冷えていて、いつも泳いだ後は薄着でちょうどいいくらいなのに、自転車で走ってたらTシャツから出た腕がすぐにつめたくなってきた。何より半袖Tシャツを着てるのは自分くらいで、町ゆく人たちがすっかり着こんでいるのを見て逆にちょっと驚いた。
ちょっとヤワすぎやしないか?
今日もリハビリのつもりでプールに行ったけど、先週よりはまだマシになった。
身体がやっと、泳ぐってこういう感じだったか、と思いだしたような感じ。
で、こうなればきっとあとはだいじょうぶ。
とにかくこれからは正しい姿勢を身につけて、身体の軸をいつも意識し、肩甲骨と股関節の可動域を上げてゆくこと。それしかない。
今日は更衣室で下のクラスで泳ぐ書道の先生に声をかけた。
このクラブでわたしがいちばんお世話になったコーチが来年の3月についに退職してしまうっていうから、有志でコーチを囲んでお食事会でもしないかって。
わたしがそんなこといいだすのは滅多にないことだけど、そのコーチにはほんとうにお世話になったから、ある日、気づいたらかいなくなっちゃってた、みたいなのは嫌だなと思って。最後にちゃんとお礼を言いたいと思った。
そのコーチのおかげで、入ったときクロール25すら完泳できなかったわたしがなんとか(3泳法のテストをパスして)ここまでつづけてこられた。わたしがそう言ったら、彼女なんて、ぜんぜん水に浮けないところからはじめたんだから、っていう。「水に浮けないってどういうこと?」って訊いたら、そのまんま「沈むんだよ」って(笑)
きっと全身ガチガチに緊張してたんだろうなあ。
人ひとりの力、人ひとりが醸しだすムードみたいなものってほんとにとても大きくて、いなくなった瞬間にその場の空気は変わってしまう。
これまでにもたくさんコーチは辞めていったけど、来年の3月以降、プールはどんな感じになるんだろうなあ・・・・・・
それでそれは、スイミングクラブに限った話じゃない。
職場だってそうだ。
いまはいろんなものが終わっていくとき。(らしい。)
終わりは始まりでもあるけど、いまはきっとその端境期。
今日も水道道路を走ったら、このあいだも見たけど台風で倒れた木がさらにたくさん伐採されてて、切り倒された太い桜の木があちこちにゴロゴロ転がっててかなしかった。
空は曇天。
深まる秋。

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2018年10月 7日 (日)

秋のうつくしい日に

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秋のうつくしい日に上野の美術館に行った。
上野も父に縁の深いところだ。
父は絵を見るのが好きだった。
うちの子供たちが小さかった頃には彼らを連れて行ってもくれたし、80過ぎてごくごくゆっくりとしか歩けないようになってからも時々ひとりで行っていた。
父があの歩けない足で、たいした所持金も持たずひとりで上野や浅草をうろうろ歩きまわっている姿を思うと、いったいどんな思いで、と思わずにはいられないけど、でも父からしたら誰かと一緒に行くより、ひとり気ままに歩くほうが誰に気を遣うことなく、よっぽど気が楽だったのかもしれない。
そして子供の頃の父は絵がうまかった。
小学生のとき遠足で出かけた横浜で描いた船の絵は、区の公民館だかどこだかにずっと飾られていたそうだ。父から聞いたところによればかなりの趣味人だったという祖父に、もうちょっと先見の明でもあれば、父の人生はまったくちがうものになっていたかもしれない。少なくとも父は不動産屋なんかになるよりは、小学校の算数の先生になるほうがよっぽど似合っていたと思う。でももしそういう人生だったなら、いまこれを書いているわたしももちろん存在しないわけで、そう思えばわたしの結婚同様、すべてはプログラム通り、それでよかった、ってことなんだろうか。

映画館に行くにしても上野まで絵を見に行くにしても、父はあらかじめ何をやっているか調べて行くような人じゃないから、わざわざ美術館の前まで行っても何も見たいものがないと、辺りを散歩だけして帰って来るようなときもあった。そうしていつだったか、「美術館の中には入らなかったんだけど、ちょうど美術館の入り口の前あたりで、男女5人くらいでアコーディオンを弾いて歌ったり踊ったりしている人たちがいてね、しばらくそれをひとりで立ったまま見てたんだけど、けっこう面白かったよ」というようなことがあって、絵を見たり音楽を聴いたりして、面白い、楽しい、というのも、長い人生のなかでは大切な要素だと思う。平凡でささやかな人生を送る人にとって日常はあまりにも単調すぎるし、それは年老いたらなおさらだと思うから。まだわずかでも好奇心があって、絵を見に行きたい、映画に行きたい、植物園に行きたいといろいろ思って実際に動けるうちが人生花だと思う。

娘と東京都美術館に行くのは『ポンピドゥー・センター傑作展』以来。
つまりもう2年ぶり。
自分でもびっくりしたけど、月日の経つのはほんとうに早い。
今回のレオナール・フジタは、とくべつ好きな画家というわけではなかった。
その絵と人となりについてはNHKの日曜美術館で見て知った程度だったし、そのとき何かすごく心を動かされたというわけでもない。ただ、フランス人にも愛されたという、ベビーパウダーを混ぜてつくったといわれる乳白色の裸婦の絵が見たかったのと、猫を抱いた自画像が好きだった、ということくらいだろうか。
超高齢社会のここ日本では、平日週末祝祭日関係なく常に美術館は混んでいるといってよいけど、会期が終わりに近づいているせいか、この日もとっても混んでいた。あの音声ガイダンスというやつ、利用してる人にとっては便利なものかもしれないけれど、説明が終わるまで絵の前から頑として動こうとしないのは、ほかの人にとっては迷惑でしかない。そうじゃなくたって数分おきに監視員が絵の前で立ち止まるなと言いつづけているなかにあってはなおさらのこと。まったくもって感興がそがれる。日本の絵を見る環境ときたら。
折しも親子そろって間抜けなわたしたちは、上野に着くなり眼鏡を忘れてきたことに気づき、もう今日は絵の横に付いてるテキストは読まずに、好きな絵だけすっ飛ばして見よう、ということになっていた。で、それで正解だったみたいだ。あの人だかりじゃ、順番にじっくり見てたら何時間かかるかわからない。
まず最初に東京美術学校(いまの芸大)時代に描いた1枚の絵が目に留まった。
着物を着た女が描かれた、ちょっと日本画風の油絵。
ふつうにとてもうまい、画力のある絵だった。
その後に飾られた、すでに乳白色の下地を使った細い顔、細長い身体をした女たちの絵はちっともいいと思わなかった。みんな泣いてるみたいな貧相な顔をして、全面のっぺりした地味な色遣いで平面的、ちょっとそれはマンガチックでもあって、ヨーロッパの女を描いたようには見えなかった。(でもちょっとモディリアーニの描く女っぽくもある。)そういう絵がしばらくつづいたせいで、フジタは女の顔に興味がないのかと思ってしまったくらいだ。乳白色の絵でよかったのはこれまでにも見たことのある有名な絵、猫と裸婦を描いた『タピスリーの裸婦』とか、『私の夢』とか『夢』とか。でもそれにしたって人物より猫のほうがよっぽど生き生きとリアルに存在感たっぷりに描けていて、全体として見たとき、フジタはもしかして人より動物のほうが好きだったんじゃないかと思ったりした。でもそれが覆されたのが南米ブラジルからメキシコを旅したときに描かれたという一群の絵で、そこには意志のある鋭い眼差しをした有色の人たちが顔の皺までくっきりと、その精神性まで透けて見えそうなほど力強く、リアルに描かれていて、それまでの絵とはまったく別の迫力があった。絵によってこの画力の差はいったいなんなのだろうと思ったけれど、たぶんそういうことではなくて、フジタという人は描きたいモチーフによっていくらでも好きに画風を変えて描くことができるほど画力があったということなんだろう。同様に、昔から憧れていたという沖縄で描いた女の絵、それから日本人を描いた絵も顔の表情から細部にいたるまでしっかり描けていてとてもよかった。でも人気のあるのはもっぱら乳白色の絵のほうで、 南米の絵の前はガラガラなの。おもしろいよね、こういうの。
そしてもうラスト近くだったろうか。
やっぱりよかったのは今回ポスターにもなっている『カフェにて』と、タッチが似てるからほぼ同時期に描かれたのかと思う、『フルール河岸 ノートルダム大聖堂』が、いかにもパリっぽいアンニュイな色遣いでとてもよかった。このあたりになると老成の境地か。
それと、最後の妻となった君代と日本で暮らした頃に描かれた、四谷左衛門町の日本家屋で和服でくつろぐ自画像がとてもいい絵で、ちゃぶ台の上に散らばった枝豆の殻まで細かく描かれたその絵の中のフジタはどう見たって生粋の日本人であり、そこには日本人としての藤田のアイデンティティーがつまびらかにされていて、最初に書いたようにわたしはレオナール・フジタについてそう詳しいわけではないのだけれど、ポスターのキャッチにもなっている『私は世界に日本人として生きたいと願う』といった藤田が、なぜ洗礼名のレオナール・フジタとしてフランスの土にならねばならなかったかをつよく思わせられた。
大規模な回顧展というだけあって作品点数も多く、駆け足の鑑賞だったけれど2時間はかかったろうか。会場があれだけ混んでいればミュージアムショップもまたしかりで、レジの前にできた長蛇の列を見てふたりともすっかり意欲をなくして、ほとんど何も見ずに出てきた。とくにほしいものもなさそうだったし。

母が亡くなったときは自分の生活がまだいろいろ大変だったこともあってかなり引きずった。親友には「3年くらいかかるよ」といわれて、実際そのくらいかかったように思う。
父の場合は母より20年も長く生きたから、母とくらべたらずいぶん一緒にいる時間を持てたし、また年齢からいったら『天寿まっとう』といって十分な歳だと思う。だから母のときとはちがうけれど、でもこんな秋のうつくしい日、かつて一緒に歩いた上野公園を歩いているとやっぱりいろいろ思いだされて、いっつも父のことを考えているわけじゃないのだけれど、日常のあちこちでふいにわたしは時々、かなしい。

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2018年10月 6日 (土)

2ヶ月ぶりのプール

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8月はドクターストップでスイミングスクールを休会した。
9月からは泳げるだろうと思っていたらまたしてもドクターストップをかけられて休会を延長せざるを得なかった。それでいいかげん頭にきて、10月は誰になんといわれようとプールに行く! と決めていたのに、散々だった9月に右肩の痛みがまたぶり返してきて、もうひと月休会しようかどうしようか考えてるうちに延長できる時期を過ぎてしまって、けっきょく今日を迎えた。
今日、2ヶ月ぶりのプール。
今日も水着を着るのが大変だった。
水に入ったら身体が重たくてまいった。
クロールを泳いだら右腕が痛くてちゃんと回せなかった。
わたしは左ブレスなのに、右手をまっすぐ伸ばしてられないから呼吸ができなくて、ブレスのたびに立つというていたらく。みっともないったらありゃしないけど、整体の先生からは無理して回さないように言われてるのだ。それにあれだけ酷い腱鞘炎をやった後では無理して回す気になんて全然ならず。リハビリと思って、できる範囲でちんたら泳いだ。しばらく泳いでないせいで体幹もブレブレ。そういうわたしに遠くから手を振る人がいる。ゴーグルずらして見たらあやこさんだった。「〇〇さぁーん、がんばってねー!」って、もう名前を呼びなさんなってカッコ悪いから。
アフタープールのジャグジーでは1番前を泳ぐYさんから「それでどうよ、肩治ったの?」と訊かれて、「治んない。五十肩ってほんとにしつこい。それに泳いでないあいだにお腹に脂肪がついて身体が動かしずらかった」といえば、「脂肪? 俺にはまた痩せたみたいに見えるけど?」といわれる。そりゃそうだろう。2ヶ月も泳いでなきゃ筋肉だって落ちるし、そのぶん痩せたようにも見えるかもね。でもお腹には脂肪がついたんだって。もう最悪!
水泳をはじめたばかりの頃のように疲れて帰る帰り道、でもだからやっぱり泳いでないとダメなんだ、と思う。泳力とか、泳ぐ技術がどうでも、身体を動かしてさえいれば動かしてるなりの身体にはなる。もう何度も書いてるけれど、スポーツを何もしないで歳をとるなんて、いまとなっては考えられない。
で、まだまだあきらめない、って思うわけです。

風のつよい午後。
大きな樹の下にいると海にいるような気がする。
あの光のベンチで、わたしの息子はまだやっと立てるようになったばかりの赤ちゃんで、わたしはとても若かった。
Never die when love has gone.

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2018年10月 1日 (月)

台風の爪痕

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散々だった9月が終わろうとするころ、風と雨がつよくなった。
やがてそれは信じられないほど激しさを増して、家の中のどこにいても恐怖を感じるほどに凄まじくなった。まるで空に巨大な獣でもいて、荒々しく吠えてでもいるかのような恐ろしい風の唸り声、高圧洗浄みたいにバタバタと激しく窓を叩いていく雨。そのたびにガタガタと鳴る窓と揺れる建物・・・・・・。外では暴風雨で何かが飛ばされる音や何かが引き裂かれたり壊れる音がひっきりなしにしていて、うちの玄関でもうっかりしまい忘れた大きなテラコッタの鉢が転がって割れる音がした。昨日は停電で電話とネット回線が使えなくなったことに気をとられ、インターネットが使えないから台風の情報も入手できないまま、まったくの準備不足だった。風のやみ間にラムズイヤーとボトルパームを救出するのがやっとで、あとはそのまま。寝る前に気持ちを落ち着かせるためみんなでラヴェンダーティーを飲んだものの、そんなもので心穏やかに眠れるような状況ではなく。
ベランダの植物たちが思うさま風に嬲られているのは見るまでもなかったけれど、暴風雨が真正面から思いきり吹き荒れて様々なものをなぎ倒し、叩きつけ、ひっぺがし、物凄い音とともに窓にすごい圧力をかけるたびに心臓がドキドキした。まるで崖の上に立った細い塔のいちばん上で風雨に耐えているような風の音の中では人間はまったくの無力で、生きた心地もせず、ただただ台風が早く去ってくれるのを祈るしかなかった。
そして今朝。
台風一過の青空の下、おそるおそるカーテンをあけて見えたのは、転がった鉢や折れた枝や散乱した土で散らかったベランダの惨状。朝からベランダの片づけと掃除に追われた。なかでもびっくりしたのはベランダの天井の外壁の塗装が剥がれ落ちて下に散乱していたこと。こうなるともう台風のたびに落ちてくるんだろうな。そして今回何よりいちばんショックだったのは、イングリッシュローズのシャルロット・オースティンが根元からぼっきり折れていたこと。何年も育てた大きな木で、これから咲くはずの黄色いつぼみをいくつもつけていたのに・・・・・・。
簡単にはあきらめきれずにダメもとで娘に木を押さえててもらって、株元をテーピングして固定してみようと思ったけれど、巻き終って手を離したらわずかにくっついていたところから傾いで折れてしまった。こうなるともう打つ手なし。台風のせいが大きいけど、ばらの木もだいぶ老化していたらしい。ほかにも枝が折れたり痛んだりした木がたくさんあって意気消沈した。
そういう朝。
そういう10月のはじまり。

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