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2018年9月 8日 (土)

父、永眠。

180908sky

朝、駅に向かう途中、喪服を着た女4人組と出くわした。
スーツケースをガラガラと重たそうに引きずりながら、どこか地方のお葬式に向かうようだった。大きな台風が行ったばかりだというのにまた台風の前のようなつよい風が吹き、時折り太陽がギラギラ光る、蒸し暑い晩夏の朝だった。
今日、母の誕生日。
父よりひとつ下の母は、生きていれば87歳。
今日、父が死んだ。
正確には8日の午前3時、ということになるらしい。
わたしに電話をくれたあと、時間が時間だったから妹はちょっと迷ってから先生に連絡し、夜中にもかかわらずすぐに駆けつけてくれた先生にそういわれたそうだ。先生が帰られたあと葬儀屋さんに電話をすると、葬儀屋は朝5時にドライアイスを持ってやってきた。わたしが今朝駆けつけたときには、あはれ、父は大量のドライアイスを身体の上に載せられ、室温17℃に保たれた寒い部屋の中でつめたくなっていた。火葬場の空き状況や週明け火曜日が友引のこともあって、荼毘に付される12日までは葬儀屋さんが毎日ドライアイスを取り替えに来るという。あんなに寒いのが嫌いな人だったのに、なんてかわいそうなんだろう! 夏に死ぬのもまったく楽じゃない。
昨日あれだけ苦しい息をしていたせいか、父は目も口もあけたまま亡くなっていた。
でもまだ顔色も悪くなっておらず、まだ生きてるみたいで、目も口もあいているせいでいまにも喋りだしそうだった。
わたしが帰ったあともしばらくのあいだ父と妹のあいだでは鼻のチューブを取る付けるの攻防がつづいたそうだけれど、次第に父は落ち着いたのだそうだ。意識も最後までちゃんとあって、やりとりすることもできた。最期に父は、「もう寝る!」といったそうだ。それで妹が「おとうさん、ここに寝ていい?」というと、「いいよー」といったのだって。
あんな狭い介護ベッドの隅っちょで寝た妹もえらいと思うけど、父も最期まで一緒に暮らした娘にそばにいてもらって、きっと心強かっただろう。疲れていた妹はすぐに眠りこんでしまい、「12時半くらいまでは息があったと思うんだけど、2時半くらいかな。気づいたら静かになっていて、でも目の前の父は目をあけているから起きているように見えて、でも起き上がって父を見たら呼吸器が外れてて呼吸の音がしないから、おとうさん、逝ってしまったみたいだなと思って・・・・・・」というのが妹から聞いた夜の状況だった。そこからはぜんぜん眠れなかったらしい。わたしも朝まで一睡もできなかった。娘もほとんど眠れなかったといっていた。
7日の日付けが変わって、奇しくも母の誕生日。
まさかほんとうにこの日に逝ってしまうなんて。
でも、それだって少し前から自分の中にぼんやりあったことだった。
父は母の仏壇のある部屋で寝ていたし、きっとここまでの父とみんなのやりとりを見るに見かねた母が、「ねえ、もういいんじゃないの」って、父を連れて行っちゃったんだろう。これ以上、延命治療が長引くのは誰にとっても負担で、何より父本人にとって苦痛でしかないことを知っていて・・・・・・
「おじいちゃんとおばあちゃんって、意外と仲よかったんだね」とは今朝、娘が言った言葉。たしかに。夫婦って不思議。人の死って不思議。まさしく宇宙タイミング、という感じ。
泣けることに、亡くなったときの父の体重、たったの28キロ!
それではいくら高カロリー輸液を入れたところで元気になるのは無理だったと思う。
妹の願いはあまりに非現実的だった。

けれども、シャバに遺された者たちはそんな悲しみにひたる間もなく現実が襲ってきて、妹と看護師さんがやっとの思いで遺体をきれいにして安置させたと思ったら、まだろくすっぽ涙もでないうちから次々いろんな人がやってきていろんなことをいい、朝10時には葬儀屋さんがやってきて、次から次へとノンストップでいろんなことを決めて行かなきゃならないのだった。葬儀のやり方や、それにまつわるお金の計算や事務手続きや、親戚への報連相 ・・・・・・
喪主は一度家を出て行ったわたしではなく、妹だ。
葬儀屋さんと妹のやりとりを聞いてたら、遥か昔、某結婚式場で披露宴の見積もりを立ててもらったときのことを思いだした。あのとき式場の担当者が提案することに我々はいちいち「それはいらない。これもいりません」といいつづけた。結果、超ミニマルな結婚式にはなったのだけれど、それでも有名な結婚式場だったからそれなりにかかった。だから今日も、落ち着いたソフトな話しかたの担当者に問われるまま「ではこれをひとつ、それをひとつ」とやっている妹を見て、だいじょうぶかなあ、と思っていたら、身近な親族だけでごく慎ましく行うはずの葬儀の費用が、けっこうな見積額になってしまった。葬儀屋さんが帰ってしまうと、妹は「けっきょく、こういう金額になっちゃうんだねえ!」といった。しかも葬儀屋さんに払うだけで全部じゃないのだ。お坊さんに戒名をつけてもらう費用だってある。この世はまさしく地獄の沙汰も金次第・・・・・・。
朝5時にドライアイスを持って来てくれ、とても真摯に誠実に対応してくれた葬儀屋さんには申し訳ない気持ちだったけれど、わたしは「こういうんじゃない、別のやりかたもあると思うよ。これはちょっとお金かかりすぎだから、もっとほかのやりかたも考えてみようよ」といった。

それから遅いお昼を外に食べに行った時間をはさんで、ふたりで別の葬儀屋さんの情報を見たり、いろいろ検討しまくって、けっきょく朝来てくれた葬儀屋さんにもういちど夜来てもらって再度見積もりを立て直してもらい、丸一日かかってようやく葬儀の内容が決まった。
まだそう遠くには行ってないはずの父はこんな我々をどう見ていたことやら。
ビンボーなこの姉とちがって妹は最初の見積もりでも十分に支払う用意があったようだけれど、彼女にはこれからまだ終末期医療にかかった費用の清算だってあるし、それにこの先の生活だってあるのだ。父は他人にはケチではなかったけど自分にはいたって貧乏性で質素な人だったし、まして娘に負担をかけるようなことは望まないだろうから不満に思うこともないだろう。何よりお金をかけるだけがいい式じゃない。

やっと葬儀の日程が決まって二人でホッとしてドッと疲れているところに電話が鳴って、母方の伯父が近くまで来て道がわからなくなったという。妹が迎えに出て、家で待っていたら、叔父が枕花を持って現れた。疲労ハイってのがあるとしたら妹もわたしもそれだったんだろう。それから叔父を相手に妹とわたしは1時間あまりも話しつづけた。
夜9時を過ぎて、わたしはそれから家に帰って夕飯を作らなきゃならなかったから先においとまして実家を出たけれど、9月は亡くなった人が多いのかもしれない。行きに三組、帰りの駅のホームでも喪服を着た寂しそうな男性と出会った。
静かに涙を流すことも、自分の感情と向き合うこともできずに空っぽなまま、ただただ夏の最後のような青空と雲が眩しかった日。
長い長い、一日の終わり。

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