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2018年9月 8日 (土)

最期の夜

1809sangojyu

昨日午後、妹からの電話で父の急変を知りお昼も食べずにあわてて実家に駆けつけると、父はベッドの上で酸素マスクをしてハアハアと苦しそうに荒い息をしているところだった。いっときはよくなりかけたいた誤嚥性肺炎がまたぶり返して、熱が上がり、痰がでるようになって、血液の酸素濃度が80に落ちてしまったため、少しでも楽になれと先生が酸素マスクをつけていってくれたという。でも、それさえ嫌がって父は取ってしまうから、見てないとならないということだった。
わたしは生まれてこの方たった一度だけ酸素マスクをしたことがあって、はじめての出産のとき突如、医師が「まずい! 赤ちゃんの心音が急に弱くなった! 酸素マスク!」と叫ぶと、一気に分娩室に緊張が走った。それでいきなり看護婦さんに酸素マスクをあてがわれて、「思いきり息を吸ってください!」といわれ、必死で思いきり息を吸ったときの、あのなんともいえない一気に呼吸が楽になる感じは、いまでも忘れられない。それだというのに、父の脳はそれさえ感知できなくなってしまったのか、呼吸のことより顔に何かを固定される煩わしさのほうが勝っているようだった。

そのとき、父のベッドのまわりには妹と看護師さんひとりだったのが、わたしの後から続々とヘルパーさんやらケアマネージャーさんが部屋に入ってきて、最後にかかりつけ医も到着して、このあいだとまったくおなじ状況になった。昨日も夏日でとても暑かったけれど、父は熱が38度以上もあるせいで「寒い、寒い」といいつづけていて、そのためクーラーもつけられず、暑い部屋の中で先生は汗をかきながら検査のために採血をしたり、あたらしい点滴バッグをつけたり、その扱い方を妹に説明したりと、大変だった。そして最後に父の顔を見ながら、「まだこれのほうがいいかな。それともこれも取っちゃうかな」といいながら、酸素マスクの代わりに鼻のチューブに付け替えた。すると父はそれさえ「鼻が痛い!」といってむしり取ってしまうところだったけれど、もし鼻から外れてしまうようなことがあっても、顔の近くにあればだいじょうぶだから、先生は穏やかにいった。
そしてようやくちょっと落ち着いたところで父の部屋の襖を閉めて、隣の部屋で先生からわたしと妹にお話があった。それはこれまで妹から聞いてきたことがほとんどだったけれど、父のこれまでの病状の経緯と、行ってきた治療の詳細をとても丁寧に説明してくれた。それから今日は妹からのたってのお願いで、これまで使ったことのないお薬を使ったこと。なぜこれまで使わなかったかというと、それが保険のきかない高価なお薬で、でも今日それを使ったからといって父の症状が劇的によくなるという可能性は低く、いまの状況からいって父は今週末から週明けくらいのあいだに亡くなってしまう可能性が高いから、覚悟をしておいたほうがいいということ。最後に先生が「これ以上、延命治療をすることがご本人にとってほんとうにいいこととはいえないと思うんですね。むしろそれはこっち側の気持ちの問題だけかもしれない」と先生がおっしゃったとき、わたしは「そうですね、むしろこれ以上はこちら側のエゴかもしれないと思ってました」といった。誰だって意識がはっきりしているあいだはそうだろうと思うけれど、父は寝たきりなんかになりたくなかったし、ましてオムツをされるのは嫌だったろう。それが証拠に点滴を付けられて動けなくなってしまってからも父は何度か「トイレに行く」といって起き上がろうとしたから。まだ寝たきりではない、というのが父の最期の砦だったと思う。それでわたしは「先生にはここまでほんとうによくやっていただいて、こころから感謝しています。もう十分です。覚悟という意味では、実はもうずいぶん前から覚悟はしているし、それは父が肝臓がんになったときからずっと学んできたことでもあるので、だいじょうぶです、と伝えた。
そして忙しい先生が帰ってしまい、後を追うように今日中にやらなきゃならない仕事を抱えた妹がクリニックに戻ってしまうと、先生のお話のあいだ席をはずしてくれていたヘルパーさんがふたり戻ってきて、父の介護をはじめた。父もすっかり顔なじみのベテランのヘルパーさんで、今日は父の具合が悪いからできるだけ何もしないで帰ろうと思っていたようだったけれど、実際蓋をあけたら父の着ているものからシーツまで濡れていたので、けっきょく何から何まで総とっかえしなくてはならない羽目になってしまった。そこからはもう大変だった。父は息が苦しいうえに、やせ細ってどこもかしこも骨が尖っているから、ちょっとどこかが当たっても痛い。おまけに膝から下の足がパンパンに浮腫んでちょっと触られただけでも痛がる。そういう人を二人がかりであっちに向けこっちに向けして汗だくで着替えさせたり、シーツを替えたり。そのたびに父は「あーイタイ」「イタタタタタ・・・!」「寒い寒い」といいつづけ、時にヘルパーさんの手を噛みそうなほど抵抗する。そういう場に慣れていないわたしにとっては見ているだけでも聞いているだけでも耐え難くて、身体が末端までずっと緊張しつづけた。ほんとうにヘルパーさんって大変なお仕事だと頭が下がるのと同時に、もし自分が死に向かってるというほどじゃなくて、インフルエンザにかかって熱が高くて息が苦しいくらいでもやっぱり父とおなじように、もう何もしないで黙って寝かせておいてくれと思うだろう、と思った。
でも、そうはいっても寝たきりの病人の濡れた服やシーツを放って帰ることはできないのだ。まさしく死にかけている人とヘルパーさんとの格闘の時間だった。
そして汗だくになってすべてをやり終え、ようやっとヘルパーさんたちが帰ってしまうと、父と二人だけの時間がやってきた。
妹からはちょっと目を離すと父は鼻のチューブをはずしてしまうから気をつけて、といわれていた。そして自分の帰りは8時を過ぎてしまうかもしれないと・・・・・・。

最初わたしは午後の明るい時間から暗くなるまでのこの数時間、ずっとたくさんの人に囲まれ体調の悪いなかいろんなことをされて父も声をあげたり手を振り回したりしていたから、みんながいなくなって静かになればてっきり疲れ果てて眠るだろうと思っていたのだ。
ところが父は眠るどころか目を見開いたまま、荒い呼吸をしつづけている。
何か怒っているというか、完全に神経が立ってしまっている感じで、いつもの穏やかな父ではなくなっていた。
そこからは父とわたしの果てしない攻防がはじまった。
ベッドの脇に立って見ていても、父はさっと鼻のチューブをとってしまうのだ。
取っちゃだめだよと、いくらいってもきかない。
何も痛いことはしてないし、痛いはずはないのに、痛い!痛い!という。
では先生のいうように顔の近くにあればいいかと顎の上に置いても、それでもやっぱり振り払ってしまう。なんのためにこれをつけているのか、ここから何が出てるのか、小さな子供にいうようにいってきかせてもきかないし、ねえ、これがはずれると息ができなくなって死んじゃうんだよ、お願いだから静かにしたままにしててよ、と懇願しても、妹から頼まれて看てるんだから、そのあいだに何かあったりしたらわたしが困るんだって、という泣き落としもぜんぜん通用しない。延々、付ける外すを繰り返しているうちに疲れてきて、「ね、ちょっと落ち着いて。すこし眠ろう、と部屋の電気を消して小さなテーブルランプだけにしてみたけれど、父は目をつぶることもなく、わたしが部屋の電気を消してまわっているあいだにチューブを取ってどこかにやってしまっていた。布団の上を探して右手の下にあるのをみつけて取ろうとすると、父は「痛い!何するんだ!」とものすごい顔で怒ってチューブを両手で引っぱって引きちぎろうとしたのでついにわたしもキレてしまって、「やめて! 何してるの! これがないとおとうさん死んじゃうんだよ! それでもいいの!?」とチューブを取りかえすと、死にかけの老人のどこにこんな力が残ってたんだというような力で父はわたしの手を振り払い、「もういいんだよ!」と怒鳴った。それでわたしもはじめて、ああ、そう、それなら勝手にすれば、とベッドを離れたけれど、かといってそのまま放っとけるわけもない。ふたたび戻って鼻チューブをあてがうと、ついに父もキレたのか、瞬間カッと目を見開き、わたしの顔を睨みつけると、まるでマントヒヒみたいに下顎を突きだして獣のような声で吠えだした。暗闇の中で目だけがランランと光ってすごく怖かった。父はたしかに何かがとても不快で苦しかったのだと思う。もう人からどんな不自由さを押しつけられるのもまっぴらで、自分のいいようにしたかったのだと思う。どうしていいかわからなくなったわたしはベッドの柵にもたれて、もう無理だ。これって地獄だよ・・・・・、と呟いた。そしてこれがほんとうに最期なのだということもわかった。父のこの高ぶり方は、これまでにも見たことがあるから知ってる。肺がんだった母は病院のベッドの上で、痛みからくる神経反射で本人の意志とは関係なく勝手に手や足が踊るように飛び上がっていた。そんな状態でも幼馴染の親友が見舞いに訪れて「ふみちゃん」と名前を呼ぶと、起き上がらんばかりになって言葉にならない声で返事をして「ありがとう」とお礼をいおうとした。身体がそんな状態になってまで意識がはっきりしているがんって、なんて残酷な病気なんだろうと思った。それはまごうかたなき断末魔の力だった。
わたしはそっぽを向いている父に、鼻も痛いよね、喉も苦しいよね、といった。
父はそっぽを向いたまま、うんうんと頷いた。
ごめんね、でもわたしがいるあいだはこれ、しててくれないかな。もうすぐ I ちゃんが帰ってくるから、そうしたら I ちゃんにどうしても我慢できないからはずしたいと伝えて。父は返事をしなかった。それから父の気をそらそうとして昔、車でいろんなところに行った話をはじめた。そのあいだは父は静かにうんうんと聞いているのだけれど、はずれた鼻のチューブをしようとすると頑として手で払いのけた。
そういう苦しい2時間近くが過ぎて、ふと窓を見るとカーテン越しにナース服を着た妹が自転車で帰ってくる姿が街灯の灯りに映し出されて、わたしはやっと息をついた。遅くなってごめんねー、といいながら入ってきた妹にこれまでの状況を伝えると、妹は、そうか、といって父のほうを向いて、おとうさん、帰って来たよー、ただいま、といった。すると父は妹に向かって口をあけて何かを訴え、妹は、痰とる? ちょっと待ってて、といって自分の部屋にバタバタと着替えに行った。
今夜はこれからだってまだまだ大変だろうし、妹ひとりで看られるとは思えなかったから、家に帰って着替えてからまた来ようか、と訊くと妹は、いや、だいじょうぶ、帰っていいよ、といった。瞬間的に、ここで帰るとまた母のときとおなじになる、と思ったけれど、わたしはもう汗だくだったし、どこかで身体の力を抜きたかった。わたしは昼に食べるつもりで買ってきたおにぎりとお惣菜を妹の夕飯用にテーブルに置き、へとへとになって実家を後にした。整体に行ったばかりだというのに身体が緊張してどこもかしこもガチガチだった。部屋を出ようとしたとき見えたのは、父のベッドの脇で父の痰をとってやっている妹の姿。父も妹の腕にだらりと手をかけていて、さんざん喧嘩しながら暮らしてきた二人だったけど、26で家を出た自分とちがってずっと一緒に暮らしてきた二人だから、やっぱりいちばん気を許しあった仲なんだろう、と思った。
駅前のスーパー・マーケットで買ったお惣菜を買って帰り、自分ひとりでいいかげんな夕飯をとって、お風呂に入って寝たのは1時過ぎ。布団に入ってもなかなか寝つけないまま、やっとうとうとしかけたとき、自分の携帯が鳴りつづけているのにはっと気づいた。ついに来たか、と思いながら起き上がってとると、わずかな沈黙の後に、ふだんとはちがう、とても静かな、くぐもった声があった。「おとうさん、呼吸が止まってるみたいなの」と、妹はいった。受話器の向こうから重たい空気が流れ込んだ。
それが午前2時半だった。

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