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2018年8月21日 (火)

微かな希望

18aomomiji

昨日夜遅くに携帯が鳴って、妹からで驚いた。
そんな時間にかけてくること自体、何かあったんだろうと身構えてしまうのに、妹の話がなかなか核心にたどりつかないので聞いているほうは忍耐が必要だった。その妹によれば、今朝5時半に父の声で起されて部屋に行ってみると、父はベッドから落ちて頭を打ったらしく、頭が痛いといってうずくまっていた。でも見たところケガもなく、とくに問題もなさそうだったのでそのまま寝かせて、出がけに「今日もデイサービスに行ってね」といっていつものように出勤して昼休みに帰ってみると、父はけっきょくデイには行かずに家で寝ていたらしい。相変わらず喉の奥がゼロゼロいっていてしきりに痰を出そうとしていて、熱を測ると8度7分もある。すぐに先生に来て診てもらったところ、すでに誤嚥性肺炎を起していて、脱水症状もある。このまま何も手を施さなかったら数日もたないよ。でも点滴をするにしても、もうあまりいい血管が残ってないから難しいかもしれない。それにあなたのお父さんは、おとなしくじっといられる人じゃないから、途中でまた自分で点滴を外してしまうようなことがあったら困ったことになるし、なんにもならない、どうしますか? 聞かれる局面があった。
でも先生にそういわれたからって自分は「じゃあ、もう何もしなくていいです」とはいえなかったから、とりあえずだめかもしれないけれど点滴をお願いして、少し前に終わって先生が帰ったところ。もっと早くに電話しようと思ったけれど、まさか今日こういうことになるとは思ってなかったから、という。
ついに父もこういうところまできてしまったか、と妹と話した。
父はもともとかなり食の細い人ではあったけれど、6月にごっそり歯が抜けてしまったのがはじまりだった。それが何かの合図であったかのように父は食べなくなり、まるで「歯がなくなったらもう食べられない」と自分の脳にインプットしてしまったかのようだった。歯が抜けた後の父の顔が一気におじいさんぽくなってしまったのにはわたしもびっくりしたくらいだから、さぞかし本人鏡で自分の顔を見てショックだったんだろう。足腰のことに次いで「こんなになっちゃって・・・」が父の口癖になった。そして食べられなくなって口を動かさないでいたら瞬く間に咀嚼に必要な筋肉が衰え、固形物ばかりではなく流動食さえ入らなくなり、さらに脳と末梢神経や筋肉とが連動する認知機能も衰えてしまったのか、しまいには水さえ、自分の唾液さえ飲みこむことができなくなってしまった。完全な嚥下障害。
何をもって人の寿命とするかは人それぞれ考えの分かれるところとしても、人も動物である以上、飲めない食べられないとなったら、それは自力ではもう生きていけないということだ。
母が肺がん末期になったときもほんとうにキツかったけれど、最期は病院だった。
それとくらべても違うキツさがあるね、と妹にいうと、でも最後に病院に入院するまでのあいだは、家で苦しむ母を看るのはやっぱりとても大変だった、と妹がいった。たしかに。そのときだって一緒に暮らしていた妹にはわたしには計り知れない苦労があっただろうと思う。
妹は昨夜は父の部屋で寝る、といっていた。朝になったら点滴のコックを変えないといけないからと。先生に教えられたとおりやるだけだけど、やったことないからこわいー、ともいっていた。家で看取ることを覚悟の上で妹が決断した在宅介護だけれど、ほんとうに大変。この先もどうなることか。

朝になってうちの子供ふたりに昨日の状況を話し、実家に向かった。
娘は何もいわなくてもついてきてくれた。
部屋の前まで来てドアノブを回すと鍵がしまっていてポストにもなかったから妹に電話すると、すぐに自転車で飛んできてくれた。
部屋に上がるなり強いビタミン剤の匂いがして、それはやっぱり点滴が外れてしまったからだという。朝気づいたら点滴が外れて布団がびしゃびしゃになっていて、でも抗生剤はほとんど全部、ビタミン剤も4分の3方入ったところだったからまだよかった、と妹はほっとしている。妹がすぐにクリニックにとんぼ返りしてしまった後は娘とふたりで留守番をした。
父はわたしが低い音で映画音楽のレコードをかけても、口の中にレスキューレメディーをたらしても静かに眠りつづけていた。
昼過ぎに近くのスーパー・マーケットにお昼の買いものに行った。
今日も外は灼熱で、薄暗い部屋の中とちがって外は夏のひかりであふれていて、蝉はみんみん鳴き、わたしはどんなに暑くてもやっぱり夏が好きだと思った。
それは父親譲りらしい。
昼休みに帰って来た妹と3人であわただしく簡単なお昼をすませたあと、先生と看護師さんがやってきた。点滴のおかげで父の血中酸素は想像以上に回復したらしい。あまりの回復ぶりに先生はびっくりし、妹は「これでちょっと希望が見えてきましたよ」と喜んだ。
先生が来たのに次いで、ケアマネージャーさんとオムツを持って来てくれたヘルパーさん二人、別のヘルパーさんが二人続々とやってきて、みなさんの居場所がないので娘とわたしはお先に失礼することにした。家を出てから、よく有名人が重病になったりすると医療チームが組まれて治療やケアにあたったりするけれど、87歳の認知症患者ひとりにあれだけたくさんの人が来てくれるなんて、やっぱり人はみんなに生かされてるのであって、自分ひとりで生きてるわけじゃないってことだよね、と娘と話した。それどころか、人の心臓が動いているのだって宇宙のサポートあってのもので、人は1人っぽっちに思えるようなときですらほんとうは1人ぽっちじゃない、常に何ものかによって生かされている。それはほんとうにありがたいこと。そして、いまの父の在宅医療のネットワークは妹がクリニック勤めでなかったらとうてい実現できなかったことじゃないかと思うから、妹にも感謝。

ともあれ父は生き延びた。
生き延びたということはきっとまだやれていないテーマがあるってことだろう。
体験して学ぶこと。
でも体験して学ぶといったって、もう五感が鈍って体験もしっかり体感できなければ、学びどころじゃない父にとって、そのテーマとはもしかしたら、むしろ父のまわりの人間、妹やわたしや、わたしの子供に向けられた学びなのかもしれない。
たぶんきっとそうだね、といいながら帰った。
帰りの電車の中から息子に「ありがたいことにおじいちゃんは順調に回復してるそうです!」とメールしたら、息子からは「とりあえず爺さんの件よかったです! いくつになってももう生きなくていいよという年齢は存在しないと思うので!」と返ってきて、そうか、そうだよなあと、しみじみ思う。
とりあえずハハとしてはそういうふうに思える息子を持ってよかったデス。

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