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2018年8月10日 (金)

ついに寝たきり。

18sarusuberi01

今日は右手が使えなくなってからずっと行けなかった父のところへ行った。
ますます食べなくなったという父に何を持って行こうかさんざん考えた末、このあいだひさしぶりにウニを食べたらすごくおいしかったことを思いだして、やわらかく炊いたおかゆにウニを持って。
最近はデイサービスに行かない日もあって、家にいるときは寝てばかりいるという父。それ以上に気になるのは、もともと食が細くて一日一食か二食しか食べなかったのに、最近は一日一食さえ食べなくなってきたということ。すでにすっかり痩せ細って骨と皮ばかりなのに、それじゃもう身体がもたないだろうと思う。しばらく見ないあいだにいったい父がどんなことになっているのか、ひさしぶりなこともあって少々こわごわでかけた。
実家に着いて部屋に入ると、父の部屋は相変わらずカーテンが閉められ、クーラーが音もなく作動していて薄暗く、静かだった。外は今日も35度もあって灼熱だったけれど、ここにいるぶんにはそんなことは全然わからない。コンピュータ制御のエアマット付きのベッドはさぞかし快適なんだろう。介護ベッドの上で父はいつものように口をぽかんとあけて眠っていて、近づいても気がつかないほど熟睡していた。そうしていると落ち着くのか、胸の上で手を組んでいて、その骨ばった両腕はまるでビーチに打ち上げられた流木のようだった。
ベッドの脇にはあらたにポータブル・レコードプレイヤーが設置されていて、ターンテーブルには父が40年以上も前に買った映画音楽のLPが載っていた。このあいだ妹が天袋を片づけたときに出てきた、赤いヴェルベット調の豪華なボックスに入った12枚組の『魅惑の映画音集。』それを買った頃が父がいちばん元気で、豊かに暮らしていた頃だったんじゃないかと思う。どんな曲が入ってたんだっけな、と思いながらそのレコードを手に取って眺めていたら、父がうっすら目をあけてこちらを見た。ようやく起きるのかなあ・・・・・・、と思ったその瞬間、父がいきなり不機嫌な顔をして、「なに人の顔じーっと見てるんだよ!」と怒鳴った。そして子供が癇癪を起したときみたいに両手を宙に振り回して、「もう、おとうさんは90にもなろうとしてるんだよ! 寝てるしかないんだよ!」といって、そっぽを向いてしまった。
いきなりだったからちょっと面食らったけど、特にショックでもびっくりでもなかった。
ただ静かに、ついに父は認知症の人格崩壊がはじまったか、と思った。
その父に、「懐かしいね、昔おとうさんが買った映画音楽のレコード。たまには聴くの?」と聞くと、父は向こうを向いたまま、「そんなもの聴かない。なんならあんた持って帰れ!」と吐き捨てるようにいった。
やれやれ、またこれか、とわたしは思った。
これまでにも父の誕生日とか敬老の日に良かれと思って少々無理してプレゼントしたものを、こんなものいらないから持って帰れといわれたことが何度もある。いくら認知症とはいえ、父のこのものの言いかたたるや、なんなんだろう。
「せっかく I ちゃんが少しでもおとうさんが楽しめるようにと思ってレコード聴けるようにしてくれたんでしょ。わたしは持って帰らないよ。でもまだ眠いんだったら、どうぞごゆっくり。わたしは邪魔しないから」といって襖を半分閉め、隣の部屋で携帯で妹にメールを打ちはじめた。おかゆとウニを持って来たけど、父は機嫌が悪くて食べさせるのは無理そう、と。
すると、眠るのかと思った父が何やらガサガサやっている。
近寄って「どうしたの?」と聞くと、「トイレだ」といって、明らかに狼狽した表情をしている。まずい! と思って「間に合わないの?!」と聞くと、さらに切迫した顔になる。起きれない、という父の両手をとって、うー、と唸っている父の身体をなんとか起き上がらせて足をベッドの横にだしてあげて、やっとの思いで父はベッドから降りてトイレに行った。ほんとに自分でトイレに行けてることのほうが、もはや不思議なくらいだった。
手を洗って戻ってきた父にいまがチャンスだとばかりに、「ウニがあるんだけどおかゆちょっと食べない? ウニ、おとうさん好きでしょ?」といってみると、「ウニ?」と眠そうな細い目がちょっとひらいて反応して、一瞬食べるかと期待したけどまたすぐ細い目になって、「食べない。もう90にもなるとそんなに食べられないんだ。無理なんだよ。それにいまトイレに行ったばかりで寒くて寒くて・・・・・・」といってまたベッドに倒れこんでしまった。「ああ、寒い寒い」という父に布団を掛けてあげると、父は「もう12月といったら1年で最も寒い季節だ。年寄りには寝てるしかない季節だよ。」ともっともらしい顔でいった。
「12月?! いまは8月だよ。真夏!」
わたしがそういうと父は「8月?」といって、まるで奇妙なものでも見るようにわたしの顔を見つめた。「そう8月。ここを見て。8月10日って書いてあるでしょ?」とさっき、父にこれでも見てろといわんばかりに渡された今日の新聞の日付を見せると、父は驚いたような顔をしたまま、「8月か。それなら真夏だ。」とつぶやいた。そして「ここにいるとそんなこと全然わからない。それにもうそういう身体になっちゃったんだよ。もう寝る。ほっといてくれ。」といった。
それでわたしは妹にメールを送信し、妹が帰ってきたらウニを食べてね、といって、電気を消して家を出た。
けっきょく父は今日も飲まず食わずだった。
それに数週間見てないあいだに父はすっかり別物になってしまったな、と思った。
夜道を歩きながら、このあいだ駅前の花屋にいわれたことを思いだした。
母を早くに亡くし、父は90近くまで生きたという、地元に古くからあって自分は三代目だという花屋のおじさんがいうことには、80も90も生きる人は業がとても強いんだよ、と。
業?
業といったら、これまで母のほうが業が強いと思っていた。
父が業が強いなんて一度も思ったことなかったけれど、でも考えたら母は生まれつきそんなに身体が強かったわけでもなく、繊細な感受性の持ち主で、どこか儚げなところのあるひとだった。毎日自分を怒ってばかりいる母がいつか突然死んでしまうんじゃないかというのが幼いわたしが抱える怖れだった。
それにくらべて父は一見、身体が小さくて弱そうでいて、人一倍負けん気が強くて自分のやり方にこだわりがあり、人に指示されるのも命令されるのも大嫌いだった。これまでだっていまだって、誰かのいうことを素直に聞いたためしがない。認知症の影響が大きいにしろ、在宅医療でわざわざ家に訪問してくれる医師の診察の手を痛いだの冷たいだのいって振り払うほどだ。
わたしが小さな子供だったころから大人になるまで、父はずっと穏やかでやさしい人だったけれど、その裏にはきっと多大な忍耐と我慢があったのではないか。あの始終小言ばっかりいっている母親の影で、人知れず傷つき、悩んだこともあったのかもしれない。
父は肝臓がんで、肝臓といったら怒りの臓器だ。
煙草吸いの父が肺がんではなく肝臓がんになったのは長年、肝臓に怒りや我慢を溜めこみずぎた結果なのではなかったろうか。
3人の子供を遺して早くに逝った妻の代わりに祖父が子連れの女性と再婚したことで、長男なのに家を出るしかなく、15歳から80近くまで働きつづけた父は、娘のわたしたちがいくらもう十分働いたからもういいんだよといっても仕事がないことを悔やみ、車を失ったことを悔やみつづけた。いまだって1銭も収入が無く、娘に頼るしかない生活に忸怩たる思いを抱きつづけ、事あるごとにいつまでもそれをしつこく口にする。そして87になり、すっかり身体の機能が落ちたいまですら父は人の助けの手を拒み、眠いときただ眠ること、疲れた時に休むことを自分に許すことができずにいる。それが逆に今日みたいな乱暴な態度、言葉になって表れているんだろう。
老いてまで自分を苛みつづける父の葛藤。
この期に及んでもまだ父は安らかならざる境地にいるようだった。
それが父の業で、カルマだった。
父は『寝たきり』のことを『寝っきり』といい、先月までは自分がそうなることをとても怖れているようだった。それに対して激しく抗っているようにも見えた。
でも、その父もついに寝たきりか。
それどころか、食べない飲まないではもう刻々と死に向かっているとしかいいようがない。こうなってはたして自分に何ができるだろう?
最近は父のところに来た帰りは、かならず八幡様にお参りして帰る。
今日もお参りをして、ふと気づくとこのあいだも、今日も、後ろで待つ人の姿があって、いまって、神さまに祈りたい人が多いんだな、と思う。

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