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2018年7月31日 (火)

さよなら、7月。

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ソルフェジュオチューナー528、スコレサイト、官足法ウォークマット、JOYA、レスキューレメディー、テラヘルツシール、マリエン薬局のメディカルハーブティーとアーニカクリーム、竹布、ひまし油湿布、友達が送ってくれた漢方薬とロキソニンと胃薬、指ヨガに半身浴・・・・・・
ゴッドハンズの整体に行ったあと、やれるだけのことはぜんぶやって、ようやくなんとかなってきたかな、と思えた今朝。昨日はほんのすこしだけど横になって眠れて、今朝は自然と6時前に目覚めた。ほっとした。ひさしぶりに暑くなる前の爽やかな朝のベランダで植物の手入れをした。
劇的に効いたのはひまし油湿布!
それから数日つづけた半身浴。
ここ数日ちょっと気温が下がって涼しかったのもありがたかった。
今日、数日ぶりに真夏の強い陽射し。
8月もまだまだスーパー猛暑がつづくらしい。
痛みに塗りこめられたわたしの7月よ、さよなら!

18cool_mint

写真は今朝のベランダで。花の咲いたクールミント。
ハーブは花が咲いているとき、最大のエネルギーを持っているという。

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2018年7月28日 (土)

キリストの御手

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疲れて横になりたいとき、心底眠いとき、ごろんと横になれないって、なんてつらいんだろう。
木曜の朝、起きたら右手の手首から上がパンパンに腫れて痛くなっていた。
腱鞘炎を通りこして、バネ指みたいな。
熱感もあって、あまりに痛いから昨日の昼間、湿布を貼ってみたけど、ケミカルな薬剤のせいかよけいにズキズキ傷んですぐに剥がしてしまった。それで夜、そうだ、ひまし油湿布してみようと、娘に手伝ってもらってネル布にたっぷりひまし油を浸したのを手首から手全体に巻いて、その上からラップを巻いて寝た。
するとどうだろう。
翌朝にはだいぶ腫れが引いていた。
まだ指は曲がったままだし腫れてはいるけど、昨日みたいにズキズキ傷まない。
それで昨夜も2回めのひまし油湿布をして寝た。
寝たといっても、ちゃんと眠れたわけじゃない。
横になって肩甲骨が押されて数分もしないうちに、まるでスイッチが入ったみたいに首から鎖骨、肩の内側と外側から肩甲骨、肘から指先までがズキズキ脈動するように痛んで全然ねむれない。数分おきに起きたり横になったりを繰り返し、キッチンに立って鎮痛剤を飲んだり、レスキューレメディーを飲んだり、大きな枕をCDラックに立てかけてよりかかってみたり枕の上にうつ伏せになったり、座ってホ・オポノポノをしたり、果ては椅子に座って寝てみたり・・・・・・。ありとあらゆることをしてみるんだけどけっきょく眠れないままあたりが白みはじめ、ほとんど一睡もできずに朝を迎える。それも今日で4日めだ。さすがに疲れた。
それでも今朝はネル布を剥がす前から良くなっている感触がある。
ネル布の中で指が動くから。
おそるべし、ひまし油の効果。
まさしくキリストの御手。
今年、ひまし油に助けられるのはこれで2回めだ。
ひまし油のすごいのは、湿布するとすぐに痛みがやわらぐこと。
そして何より気持ちが落ち着くこと。
それで昨夜も眠れないあいだ、自己との対話をした。
神の手の整体師さんにいわれたように。
この痛みがどこからやってくるのか。
自分の性格のウィークポイントとか。
痛みでつらかったけどいろいろ感じた。
感じたことに気づきもあった。
そして、こんな拷問みたいな日々にもいいことはあって、ワンオペ(ひとり親)歴23年にしてこの2日間、はじめて娘が家事をぜんぶやってくれた。今日は今日で息子がはじめてインスタントラーメンを作ってくれた。これってある意味、快挙。
今夜、雨では見えないけど水瓶座の満月。
昨日の石井ゆかりの星占いには、『水瓶座は特別な時間のなかにある』と書いてあったけど、たしかにいま、特別な時間のなかにいるかもしれない。で、それってそのまま、神さまからのメッセージかもしれない、と思う。

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2018年7月26日 (木)

ぼーんやり、お月さま。

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火曜の晩、寝る前にお風呂に入ろうとして服を脱ぐのに苦労した。
なんとか服を脱いでバスルームに入ったら、こんどはそこからどうしていいかわからなくなった。何をしようとしても身体がうまく動かないのと、ちょっと動くだけでも右肩が激痛で・・・・・・。
そして昨日の朝起きたら、枕の横で肘を折って上に向けて寝ていた右手がまた下におりなくなっていた。それで布団から起き上がった後は、すっかり物体と化した右腕を肘のあたりで支えてなくちゃならない状態。しかも右手の手首から先は腫れてズキンズキンする。

そんなことになって困ったのはもちろん自分だけど、ひとつところに立ったまま身動きできずに、カメレオンみたい固まっているわたしを見て恐れおののいたのは子供たちだった。
ふだん何もしない息子はさっさと自分でパンと豆乳をだして朝ごはんを食べ、夕飯の買いものは自分がするからメールして、といって出勤していった。朝食は娘が用意してくれた。
それからわたしはすぐに無理を承知で整体にその日の予約の打診をした。使える左手でメールを打って。

ありがたいことに返事はすぐにきて、夕方6時半に予約が取れた。
でもその時点では右手がまったく使えないのに、いったいどうやってあそこまで行くか、ほんとうにたどり着けるかもわたしには皆目見当がつかなかった。それに誰かにちょっとぶつかられただけでも声をあげてしまいそうなほど痛む肩で、混んだ電車に乗るのも恐怖だった。
娘は今日は夕方から雨になるっていうからSに一緒に行ってもらったほうがいいんじゃないの、と言う。わざわざ息子に仕事を早退してもらって? うーん、どうしよう・・・・・・。
心配する娘に玄関であとでメールをするといって、娘はアルバイトにでかけた。 
なんとかひとりで行くしかなかった。
とにかく、なんとしても今日みてもらわないことには。

昨日はペイデーだったから銀行に行ったり郵便局に行ったりする用事もあって、炎天下のなか近所を往復するだけでも難義だった。
それでも夕方なんとかシャワーを浴びて服を着替えた。
右手がまったく使えないから髪にドライヤーをあてることも整えることも、メイクすらまともにできないのだ。アイブロウペンシルを左手で持って、かろうじて眉毛は左手で描いた。なんて器用なんだ、わたしは。

そうやってやっとの思いで整体にたどり着くと、わたしの話を聴きながらわたしの身体をみていた整体師さんは、「どうやら新たな火種を作ったみたいだね」といった。このあいだ整体に行った翌々日、泳いだのがまずかったらしい。「まさかすぐに泳ぐとは思わないから。ちゃんと言っておけばよかったね」って。
そうですか~、ふうぅぅぅ~ ・・・・・・(しおしおのぱーーーー)
整体師さんいわく、水にコップを入れるのとおなじで、入るうちはいくらでも入るんだけど、でもひとたび分水嶺を超えたら一気にあふれるのと一緒で、身体もどこかが歪んだら、歪んだところにあわせて日々変化して、なんとか使えるように調整しつづけていくんだけれど、ついにそれが無理! となったところで一気に崩れ始める。もう自分の意志ではどうにもできないくらい身体が暴走しはじめる。それこそオートマティックに。それが身体なんだ、ということだった。
そして身体が暴走した結果が、いまのわたしだった。

そこから1時間強。
昨日はさすがに痛かったけれど、それでも整体師さんがいろいろ手を尽くしてくれたおかげで帰りはなんとかまともに立つことができた。整合性のすっかりとれなくなった身体を手技ひとつで調整して、なんとか使えるようにしてしまうって、素晴らしい。すごい技術。まさに神の手。というか、ここに来さえすればなんとなると思ってしまえる時点で、わたしにとっては神なのだけど。
最後にもう一度、立った姿勢を確認されて、「どうでしょう? 身体はだいぶ合理性を取り戻したと思うんですけど」といわれて、「ありがとうございました」といって終わった。
でも、「この前はあと3回くらいみたらなんとかなるんじゃないかと思ったけど、ここまでにしてしまうと、ちょっと時間がかかるかもしれない。家に帰ってからもしばらくは大変かもしれないけれど、痛みにすぐ反応するんじゃなくて、痛みを受けいれて、その痛みがどこからやってきたのか自分で冷静に感じることができるようになれば、きっと痛みはなくなっていくだろうと思います」という言葉付きでだ。言ってることはよくわかる。でもこれだけ首から鎖骨から肩から肩甲骨から指先まで脈打つように痛くてそんな禅問答みたいなこといわれてもわたしには無理だ、と思った。痛いものは痛い。
いま一番やってはいけないのは重いものを持つこと。泳ぐのはとうぶんやめて。家事も、それから仕事もしないで。たくさん寝てください、とは整体師さんの言葉。
思わず「これまでプールで泳ぐのが一番いいと思ってたのに」といったら、「軸のブレた身体で泳いでもしょうがないでしょう」とぴしゃりといわれてしまった。
たしかに。そのとおりでございます。
けっきょく、雨は降らなかったけど、息子に迎えに来てもらっていたので駅ビルで落ち合って一緒に帰った。息子も昨日は頭痛が酷くて自分もつらかったみたいだけど、帰りは終始わたしの痛い右半身を気遣って混んだホームでも電車の中でも細心してくれたのはとてもありがたかった。まあ、年じゅう思ってることではあるけど、子供がいてよかった!

昨夜はそんなで、友人が送ってくれたロキソニン飲んでも一睡もできず、朝起きたら右の手首から先がパンパンに腫れて完全に使えなくなった。
それで今日は何から何まで娘にやってもらっている。
スイミングクラブには8月は休会しますと電話をいれた。
夜は初めて娘が作ってくれた夕飯を食べた。
夏野菜のキーマカレー。
すごく丁寧に野菜を刻むからすごく時間がかかったけれど、教えながらでも人に作ってもらったカレーの味はなんだかとても新鮮でおいしかった。
息子も感動。

そして、いま。
空には暑さで火照ったような月がぼんやり光ってて、これも左手で撮った。
あさっては満月で、水瓶座の満月だっていう。
仕事仲間が教えてくれた。
変容、変革の月だと。
「ピンチはチャンスだから、これからきっと良い方向に行きます」って、彼女らしい励まし。

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2018年7月17日 (火)

夏の色、夏の匂い。

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三連休は最悪だった。
肩が痛みだしてから仰向けでは寝られなくなっていて、金曜の夜、痛いほうの右肩を下にして寝ていたら(なぜかそのほうが楽だったので)、夜中に肩がパキッ!と鳴って驚いた。
土曜の昼、ムリムリ水着を着て姿見の前に立ったら右肩にポコンと何かできていて、あれ? と思いながら出かけたんだった。スイミングスクールでは無理しない程度に流して、気になったからプールから帰ってからインターネットで画像検索したら、肩の亜脱臼の写真にそっくりだった。ああ、それでか。と思った。それで昨日、起き上がるのにもあんなに大変だったんだ。起き上がってからしばらくは腕を下におろすこともできなくて、左手で肘を支えてなけりゃならなかった。できることなら骨折した人みたいに肩から腕を吊っておきたいようだったし、娘には、ダリの絵によく出てくる二股みたいな棒で腕を支えておきたいくらいだといって笑われた。ちょっとのあいだ、娘が差しだす手の上に腕をのせて朝食を食べた。それから日中は何度かネットでみつけた亜脱臼のときの整復方法を試みてみたりした。下を向いて腕の力を抜いて腕をぶらぶらさせてると、たしかに肩関節がピキッとかパチッとか鳴って、どうかしたらピタッと合いそうな感覚があった。
夜は夜で、朝起きたときどうなってるかわからないことを考えると寝るのがこわかった。手をまっすぐおろすことができないから毎晩、娘に貸してもらったシロクマの抱き枕の上に曲げた右腕をのせ、寝返りしないように気をつけて横になった。絶えず痛む首と鎖骨と肩と肩甲骨の痛み・・・・・・。折しも連日、熱帯夜だ。いつもは鎮痛剤を飲まずに我慢するわたしだけど、今回ばかりは夜だけ使った。そして寝ているあいだ寝返りできないから朝起きると固まっている肩と腕。そういう3日間。
そこまでのことにはこれまでなったことがなかったから、てっきりわたしは肩が亜脱臼したんだと思ったのだけれど、でもいくら軽く流したといっても亜脱臼していて泳げるか? というのもあって、自分じゃわからなかった。近所の病院の救急外来に行くことも考えたけれど、救急外来がどういうところかわかってるだけに行けなかった。いくつかの可能性と打開策が頭に点滅した長い長い3日間。
あの接骨院に行く前はエプロンのヒモが後ろ手で結べなかったし、珈琲のハンドドリップも左手で練習するようになっていたけど、朝起き上がるのに苦労するなんてことはなかったし、まして手が下に半日おろせない、なんてこともなかった。何より、クーラーの風に当たると肩と鎖骨がひどく痛んだけれど、こんなに朝から晩まで痛いわけじゃなかった。「行く前より悪くなったと思う」と娘にいわれるまでもなく、5日前より悪くなっていた。
そんなんでまたあの接骨院で痛い思いをするのは嫌だったけど、でも今日はこのちょっとズレてしまったらしい(で、とても不便な)腕を元通りにしてもらいたい一心でまた接骨院に行った。前回2回は患者が1人もいなかったけど今日はほかにも患者がいて先生はそっちにかかっているようだった。わたしを見るなり看護師さんが笑顔で出てきて、すぐにも電気をあてるベッドに案内しようとしたけれど、その前にわたしはこの三連休のあいだどれだけ肩がおかしなことになって辛かったかを聞いてもらいたかったからそれを話しだした。すると笑顔だった彼女の顔がみるみる曇り、わたしは不安な気持ちになった。わたしはクレームをいってるんじゃなくて主訴をいっただけなんだけど・・・・・・。

結果は亜脱臼ではなかった。
先生によればわたしは頸椎に1ヵ所だけじゃなくて何ヵ所も硬く詰まったところがあるからとても大変なんだそうだ。今日も最初はいつもの電気。手技は今日も死ぬほど痛かった。今日、先生ははじめて終わった後に「ああ、痛かったねー!」とわたしにいった。手技の後に右腕をひねくりまわしてなんとか動くようにしてしまったのはすごい。そのあと両肩を持ってぐるぐる回されて、「これくらい動けばだいじょぶ」といわれた。それから首の牽引に、今日は仰向けに寝て首に超音波をあてられた。いつも最後にうつ伏せで首の後ろに超音波をあてられるときだけはほっとする時間だったけど、今日は無理やりまっすぐ腕をおろされた仰向けで前から首に超音波をあてられるのはすごく苦痛だった。肩と鎖骨と肩甲骨が痛くて痛くて・・・・・・。そりゃそうだ。何もしないのにあれだけ痛かったんだから、無理やり押したり動かされたらもっと痛くなるに決まってる。これってもう炎症してるんじゃなかろうか。
けっきょくのところ、痛みって人それぞれ、すごくパーソナルな感覚で、接骨医にも患者の痛みはわからないんじゃないかと思う。
もう無理、と思った。
ここに来るのはこれで終わりにしよう、と思った。
お金を払ってサンダルを履いていたら先生が「明日は午前に来てね」と明るくいった。「明日は午前診だけってことですよね?」と訊いたら「そう」といい、先生は外に出てゆくわたしの背中に向かってさらに「痛いからって動かさないと駄目だよ~、肩固まっちゃうからねー」といった。わたしは振り向かずに前を向いたまま動作だけで頷きながら、「いまは無理」と思った。
でもその時点でもわたしは先生が悪いとは思っていなかった。
先生はけして悪い人ではなかった。
ほかに通って来てる患者さんもいるんだし。
わたしには合わなかっただけだ。
ただ気になることはいくつかあった。
単純にいって先生にはちょっと荒っぽいところがあった。
それと、声。
わたしの友人の医者はいつも人を雇用する際、面接に来た人の声と話し方に重点を置いて判断しているというけれど、人の声や話し方って視覚で得られる情報以上にいろんなことがわかるものだ。

けっきょく肩のフィット感は得られないまま、さらに酷くなった痛みを抱えてわたしは落胆して家に帰った。そんなだから今日はなんのアイディアもないまま、夕方電車に乗った。竹布(たけふ)のバスタオルだけ持って。この暑いのにわたしは夜、竹布のフェイスタオルを肩にかけて寝ていて、でも竹布ってもともと病人のために開発された布だから、身体の痛いところにかけるとただ温かいだけじゃなくて痛みがやわらいでいいのだ。
実家に行くと、窓の下にあたらしい室外機が置いてあって、7月頭の時点で古いのがだめになって新しいのを手配したけど15日になっちゃったと妹がいっていたから遅いなあと思っていたけど、やっと付いたんだ、と思う。
家に入ると薄いカーテンごしに西日が入ってくるだけで部屋の中は薄暗く、静かで、外とそれほど気温差もないような気がして、クーラーはついてないのかと思ったら28度設定で作動していた。あたらしいクーラーってこんなに静かなんだ。
介護ベッドの横にはあらたにテーブルが付いていてますます病室っぽく、でも快適そうになっていた。ベッドの上でうっすら口をあけて眠っている父は1週間前に見たときよりさらに痩せて骨と皮になり、歌丸さんじゃないけどまるで生きたミイラみたいだった。
しばらく薄暗い部屋の中で静かにしていたけど、父がトイレに行くのに起き上がったので、それを手伝った。痩せて筋肉がなくなり、どこもかしこも骨ばっているせいで起き上がるのもベッドから降りるのも、またもとのように寝るのもエライコッチャだった。父はいつものように「こんな身体になっちゃうなんてなあ。でもこんなになってもまだ生きてるんだもんなあ」といい、父のそんな姿を見てるとうっかり涙がでそうだった。父は最近、一日二食だったのが一食になったと妹がいっていた。その一食が『メイバランス』のような流動食だけだとしたら、これほど痩せてしまうのもとうぜんかもしれない。起きたついでに「桃、食べる?」と訊いてみたけど「いらない」といわれた。持って行ったジュースは「酸っぱい!」といってひとくち口をつけて終わりだった。父はとにかく甘くないとだめらしい。
やっとこさベッドに寝た父に、「今日は竹布のタオルを持ってきたよ。竹布はもともと病気の人のために開発された布だから、痛いところにかけると痛みがやわらぐからいいよ」といってタオルケットから出たところにかけてあげたら、「それはありがたい」といった。それから何を思ったのか「今日はわざわざすまないね。何かほかに予定があったんじゃないの」と訊くから、「ないよ。父の顔を見に来たんだよ」というと、「それはありがとう」といって笑顔を見せた。父は認知症が進んできたせいか時々カッして怒鳴ることが増えてきたけど、それでもこんなになっても父はまだ自分の良いところを失ってない、と思った。
今日も帰りに八幡神社をお参りして帰った。
時間は遠く過ぎ去ったけど、行く途中に見たおしろい花は夏の色、夏の匂い。
若かった日の父の姿、そのままに。

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2018年7月14日 (土)

錆びた自転車か公園のブランコ

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身体の軋みは朝おきたときがいちばんひどい。
起きようとすると右肩に痛みが走って右腕をどうしたらいいかわからない、自分の身体を持て余している自分がいて、どうやって起きようかと布団の上でしばらく考えてしまう。これじゃまるで動くたびにキーキー鳴る錆びた自転車か公園のブランコみたいだ。起きたら起きたで腕を棚にのせときたいくらいにしんどい。腕がこんなに重たいものだったなんて。ゴリラやオランウータンはあんなに長い腕を肩からぶらんぶらん垂らしてて、首や肩がおかしくならないんだろうか。そこは人間と骨格がちがうから?
そんなふうで、腕が回るんだろうかと不安に思いながら泳ぐ気満々だなんてまったくどうかしてると自分でも思う。競泳水着ってキツくできてるから、肩が痛いと水着を着るだけでも一苦労・・・・・。そんなにまでしてプールに行こうとするのは重力から解放されたいからなのか、いっときでも水中に痛みをリリースできると思うからなのか、自分でもわかんない。でもプールに行くことくらいしか思いつけないほど今日も朝からモーレツな暑さ。人死にがでそうな暑さだ、とはベランダで洗濯物を干していた娘の言。

さすがに今日は先週より泳げなかった。
肩も腕もぜんぜん思うように回らなくて。
ビリからちんたらちんたら自分のペースで無理しない程度に泳ぐのがやっと。
泳ぎ終わってクラブの外へ出るやみんな口々に「あっつい!」と叫んだ。
そしたらFさんが「でも豪雨の被害に遭って避難してる人たちのこと考えたら、暑い日にプールで泳いでるわたしたちは贅沢で申し訳ないようだよね。」といった。
うん、ほんとにそう。
ふだん何気なく享受していることも何かひとつ失ったら成り立たないのだということ、いつも忘れないようにしないとね。
それで、大事にしないと。
帰り、いつもの路地で曲がって目線で探したら、いたいた。
猫おじさんちの家のデッキで失神してるみたいに伸びてるパンダ。
君もそのご老体で今年のスーパー猛暑はさぞかしキッツイだろうけど、でもなんとしてでも生き延びてくれ!!

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2018年7月13日 (金)

痛い夏

18sun_flower

昨日、生れてはじめて接骨院に行った。
火曜日、実家の行き帰りに冷房の効いた電車に乗ったら5分と経たないうちに肩と鎖骨が耐え難いほど痛くなってきて、もはやこれまで、と思った。
最寄りの駅で降りて接骨院の前を通りかかったら、ちょうど閉めるところだったらしい白衣を着た(前にもちょっと話したことのある)男の先生が看板を持って中に入っていこうとしているところだったから、背後から「すみません」と声をかけたらびっくりしてふりむいた。そのひとに「ここは予約制ですか?」と訊くと、「いいえ」という。「保険は」といいかけたらにっこりして「使えます」といったので、「じゃあ、来ます」といったのだった。
実はおとといの午後にも行ったのだけど、水曜の午後は休診だったらしく、がっかりして帰ってきた。もう心底SOS状態だったから。いったいわたしはどうしてここまでにならないと動けないんだろう。医者嫌いもいいかげんにせい、と思う。
そして昨日。
もう死ぬかと思った。
死ぬほどの痛み。

最初にまず問診票を書いて先生に渡した。
そしたら、この症状はいつからですかと訊かれたから、この接骨院を開業してからどれくらいなりますかと聞き返すと、先生は、3.11の前の年だから、もう5年、といった。それでわたしは、だったらそのころからです、といった。
実はわたしはこの接骨院ができてすぐのころに看板に書いてある言葉が気になって、ここの電話番号をロルバーンにメモして帰ったのだった。でも接骨院ってどういう症状の人が行くのかよくわからなくて、家に帰ってインターネットで調べたら、事故でケガをして骨折したり脱臼した人が行くところとあったから、それじゃあ骨折も脱臼もしてない自分が行くところじゃないか、と思ってやめたのだった。わたしがそういうと先生は笑って、病院の整形と整体と鍼灸とマッサージの違いを延々説明してくれたあと、クーラーにあたって痛いとなるとそれはもう神経だね。首に問題がある。自分が触ってぜんぜん痛くないようだったら別の問題だから病院行きだけど、自分が触って痛いようだったら治ります、と、ここに来る人たちにはいつもいっています。でも、まずは触ってみないことには何もわからないけどね、といった。
それから施術台の上にうつ伏せに寝て、まず肩と腰に電気をあてられて、そのあと手技・・・・・・。「これはうちでは幼稚園のお子さんから103歳のお年寄りまでおなじように行っていいます」という前置きをされてはじまったのだけど、これがもう、これまで経験したことのない痛み!
「う~ん、こりゃけっこうひどいな。なんでこんなに硬いんだ。あっ、これだ! この骨がだめ!」と、首の骨の右横中心辺りをぎゅっと押されたとたん、わたしはたまりかねて「痛い! イタタタタ・・・!」と叫んだ。それから鎖骨、肩、肩甲骨の周辺、背骨、背骨の脇、腰・・・。もう、どこを押されても我慢できないほど痛い。押されるたびに汗がドバっと出て、ぎゅっと閉じた目から涙が滲む。
ひととおり骨の状態を確認するように、探るように押されて、最後に腕を持って肘をキコキコ回されたらまた「イタタッ!」となって、骨がポキッ!と鳴って、そしたら先生「あ、ハマった!」って。どうやらわたしの肘はずっとハズれていたらしい。びっくりした。亜脱臼。
「亜脱臼はレントゲンでも写らないんだって。」このあいだNさんから聞いたばかりだ。どうりで最近プールで泳いでても肘がまっすぐにならないと思った・・・・・・。
手技をうけている時間はそれほど長い時間じゃないと思うのに、先生が「ハイ、今日はここまで!」というころにはわたしはもうヘロヘロになっていた。先生はよろよろ起き上がるわたしにおかまいなく左の機械を指さして、「○○さん、だいじょうぶですかあ? 起きられますかあ?」と明るくいったかと思うと間髪入れずに「ハイ、じゃ今度はこっちに移って、ふくらはぎをここに乗せてね。」といい、わたしが定位置についたのを確認すると機械をスイッチ・オンして、カーテンをじゃっと閉めながら「こんどは台が揺れるからね~。力は抜いてリラックスしてね~」といってその場を離れて行った。わたしは脚と身体と頭が別々の方向に揺れはじめたのにまかせながらすっかり思考回路もストップして呆然自失。タイムを計るピンポン音だけが頭に鳴っていた。そして、それが終るとまた違う台に移って、こんどはうつ伏せに寝て首の後ろを温めてもらって、以上、終わり。
ここまでいったい何分くらいだったろう?
わたしの頭はもう時間もわからなくなっていた。

終わったあとで先生が開口いちばん明るくいったのは、「○○さん、悪いとこだらけ!」だ。げっ! と思ったけれど、そりゃそうだろう、あれだけ痛けりゃ、とわたしは思った。ほんとに賑やかによく喋る先生で、それからずっと先生が喋るのを聞いていたけど、どれだけ聞いても結論がわからないので、「それでいったい、わたしはどこが悪いんですか?」と訊くと、「まず頸椎に三ヵ所、骨と骨の感覚が狭まってカタクなってるところがある、それから背骨の左側に1ヵ所、すごく硬くて気になるところがある。それと腰にも1ヵ所」といった。頸椎は肩や腕に行く神経が走ってるから、そこの間隔が狭まって神経が圧迫されていて痛いんだということ。それと、背骨のまわりは臓器につながっていて、背中がカタくなると臓器もカタくなって機能が弱まってしまうから、それらの硬いところをゆるめていかないことにはいまある痛みは治らない、という説明だった。
施術の間じゅうわたしが痛い痛いといいつづけていたせいだろう。
心配になったのか、先生はわたしの顔を覗きこみながら「○○さん、通える?」といった。わたしは「いまの症状が治るんだったら通いますよ」といった。すると先生は最後に実に屈託なくわたしに「それから○○さん、もう少し太ってください」といった。人間はちょっと小太りくらいのほうが健康なんだとか、多少太ってる人は病気をしたとき食事制限できるからいいけど痩せてる人はそれができない、とか、云々・・・。
やれやれ。人からそんなに簡単にいわれて太れるくらいだったらもうとっくに太ってるよ、と思いながら、「わたしは生まれてこのかた一度も太ったことがないんです。このあいだカーブスに行ってわたしが希望したのも『増量』です。でも、一度も太ったことがないんだからどうやったら太れるのかわからない」というと、先生は「○○さんにたくさん食べてといってるんじゃないんですよ。食べたものをちゃんと吸収できる身体になってほしいんです。○○さんは臓器の働きが弱い。でもここで身体を刺激してあげることで臓器のはたらきがよくなっていくということもあるから、それで太れるようになるかもしれない。」といった。「なるほど。わかりました。ならそうなるように通います」といって、わたしはお礼をいってそこを出た。でも外に出ると外は息苦しいほど暑くて、わたしは喉が渇いて渇いて、持って行ったミネラルウォーターをごくごく飲んだ。暑さの中でさっき押された首や肩がズキズキ痛み、実際のところあれを何度も経験しなくちゃいけないと思うとそれだけでぐったりしそうだった。
家に帰って娘に話したらすごく驚いていた。
夜になって仕事から帰ったきた息子に「どうだった?」と訊かれて、「ものすごく痛くて地獄の苦しみだった。これも何かの罪かな?」といったら、いとも素っ気なく「しらないよ」といわれてしまった。わたしが最も信頼するTちゃん一押しの「痛い!高い!治る!」整体にはじめて行ったとき、そのあまりの痛みから「原罪を感じた」といった息子だからそういってみたんだけど・・・・・・。

そして今日。
今日は昨日のゆらゆらベッドの代わりに首の牽引をされた。
これもなかなかけっこうこわい。
首にタオルを巻かれた上にベルトをされて仰向けに手足を伸ばされ、右に左にゆらゆら揺れながらだんだん首が引っぱられてゆく。
終わったあと、先生にいわれたのは「首、伸びた~?」だった。
ええ、ええ、伸びましたとも。ろくろっ首みたいに。
でもとにかく痛すぎる。
手技のあいだは今日も痛みで汗どばっ! 涙じわっ!だ。
いったい今年はなんて年なんだろう。
1月の大雪だった翌日にひどい転びかたをしてからずっとしんどいことばっかりだ。
そのうえ父は木が枯れるように急速に衰えていて、おまけにこのスーパー猛暑ときてる。わたしが超楽天的(アホ)な性格でもなけりゃ、鬱にでもなりそうな痛い夏。

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2018年7月 9日 (月)

土居珈琲、サイコー♪

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珈琲が苦いだけじゃなく甘みもあると知ったのは土居珈琲さんの豆を買うようになってからだ。それまでは酸味のある珈琲が嫌いだったけど、その酸味の概念を覆されたのも、珈琲豆には実に複雑な香りと味があると知ったのも、それに、いい豆で淹れた珈琲は冷めてからもおいしいということに驚いたのも、土居珈琲さんの珈琲の味を知ってからだった。(別にわたしは土居珈琲の回し者じゃないけどね。)
いつもは珈琲を淹れるのは1日に2回。
でも昨日は休日で息子が飲みたいというから夕方に3回めをたっぷりと淹れたのだった。
で、さすがに余っちゃったから夜それでコーヒーゼリーを作った。
ほんとうはやわらかめでもゼラチンを1袋(5グラム)に300ミリリットルのところを400ミリリットルの珈琲でさらにゆるく作って、固まったところでフォークで引っ掻いてクラッシュゼリーにした。洗双糖で作ったシロップに、このあいだのはちみつワインをちょっと入れてワインシロップにして。それはわたしが子どもの頃から作ってるレシピ。
器にコーヒーゼリーを盛ったらシロップを注いで、バニラアイスにベランダから採ってきたクールミントをトッピングして。
娘にだしたら、「なんだか茶店みたい」って。
サテン?
なんとも昭和レトロな響き。
で、ひと口食べたら「これは絶品だー!」って。
たしかに土居珈琲の珈琲はゼリーにしてもおいしい!
土居珈琲さん、サイコー!
そんなわけで今年もいただいた夏のプレゼントのアイスコーヒー用の豆(今年は『OVER BLEND水浅黄』だって)は、うちではもっぱらコーヒーゼリーになりそう。(うちは珈琲は1年中ホットで、アイスは飲まないから)。
濃く渋めに淹れた珈琲で作ったゼリーに練乳がけバニラアイスのせ、なんていうのもいいかもしれない。
これぞ夏の珈琲スウィーツ

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2018年7月 8日 (日)

絶品Cocomoカレー

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定期的に友達に会う習慣がないわたしにとって、毎月東京に来るたびに連絡をくれるNさんはいままで自分のまわりにはいなかったタイプの人。今日は見事ホメオパスの試験に受かった彼女とランチをした。東高円寺にある、彼女お気に入りのベジタリアンレストラン、『野菜キッチンCocomo』で。
いつも外でカレーなんかぜったい食べない息子が前に「めちゃめちゃおいしくてびっくりした。癖になる味!」と絶賛してたCocomoカレー。たしかにとってもおいしかった。ココナツミルクが入ってるんだけどココナツミルクの味が前面にでてなくて、まろやかなんだけどスパイシーで、素材の調和がとれた深い味。ライスの上にのってる大きなパパドを割ってふりかけて・・・・・・。
サラダ付きで1000円とリーズナブル。

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彼女と会うのはこれで4回めだけど、まだ友達みたいな気がしないのは彼女が送ってくるメールがすごくかしこまったお堅い文体だからか。
昔、ティーンエイジャー最後の頃に(中学の頃はバカにしていた)サガンの小説を読んだら、『チュトワイエ』ってのがでてきて、それに憧れた。わたしは東京っ子だから、というわけでもないと思うけど、ちょっと乱暴な話しかた(わたしのいう『乱暴』は逐一ぜんぶいわなくてもわかる、って意味デス)で通じる相手がいちばん好き。年の差、男女関係なく。で、そんな相手がいちばんありがたかったりする。会った最初からそんなふうに話せる相手だと、瞬く間に友達になってしまう。でもそういう相手は滅多にいない。そういう友達がこれからもできるかといったら、この性格だからきっとできるんだろうと思うけど・・・・・・
さて、このCocomoキッチンについて書くと、近くにあったらちょくちょく行きたいと思えるくらい何食べてもおいしいレストランです。
食後に食べた紅茶のパンナコッタもおいしかった!

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夏の朝

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昨日の夕方見たときはきれいなかたちのつぼみだったのに、今朝見たらもうこんなにひらききってた。真夏のばらはよっぽど早朝でもないかぎり、きれいに咲くところは見られない。それに朝からなんという陽射し!
今日もすごく暑くなりそう。

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2018年7月 7日 (土)

「塗る」グルコサミン

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今日は泳ぎはじめる前にコーチに、「50肩のひどいのになっちゃったみたいで、いま右肩が痛くてたまらないので腕が回るかどうかわかりません」といってしまった。「無理のないように、ゆっくり泳いでください」とコーチ。
レッスンが終ってから「どうですか?」と聞かれて、「泳ぐ前よりはいい感じです。でも水の中って陸と違って痛くても動いちゃうんですよね、不思議と。でも泳いだ後はまたすごく痛くなっちゃうから、今夜はもう湿布して寝ます」とわたしがいうと、「湿布はやめたほうがいいです」と即答された。「なんでですか?」と聞くと、「冷えるから。やめたほうがいいです」という。「じゃ、温湿布は?」とさらに聞くと、うーん、、、と考えて、「それでもやめたほうがいいです」という。「ああ、つまり鎮痛剤が皮膚から入るからね?」といったら、「そうです」と。
チッ、やっぱりそうか。そうだよな。さすがコーチ。わかってる。
鎮痛剤は飲むのも肌に貼るのも一緒だからこれまで我慢してきたんだもんね。
でもいまみたいに暑いときに痛みで夜眠れないってすごくキツイのよ。だから今日はもう我慢しないで湿布貼っちゃおうと思ったんだけどなあ・・・・・・
「MSMクリームみたいなのはどうですか? 塗るとあったかくなるやつ」といったらコーチ、「それならまだいいです」っていうから、自分のは前に父にあげちゃったから今日帰りにドラッグストアでこれ買ってきた。
「塗る」グルコサミン。KIDA。
エミューのオイルが入ってるんだそう。
エミューじゃないけどアフリカではダチョウに遭った。
すっごく脚が長くて大きくて、かわいい顔の割には凶暴そうでビビった。
夜のバーベキューではダチョウのステーキを食べた。
硬くてあんまりおいしくなかったけど。
きっと広い草原を走り回ってるから筋肉質なんだと思う。
エミューオイル、効くかなあ?
どこも痛いところのない身体に早くなりたい。

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サルビア・ディスコロールが咲いた *

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モルダナについでサルビア・ディスコロールが咲いた。
これも去年、咲かなかったハーブ。
花がついたのはやっぱり一輪だけだ。
黒い花がブラックドレスみたいにシックなセージ。
セージってハーブのサイトで見るとほとんど虫がつかないって書いてあるけど全然そんなことはなくて、葉裏にベタベタした白い綿毛みたいなものを出す虫がいっぱいつく。セージの白い葉裏や白い茎に擬態するようについてて、ぱっと見ただけじゃわからないくらい小さな小判型青白いの変な虫。このサルビアだけじゃなくてホワイトセージにもいっぱいついて、みつけるたびに歯ブラシでこそげ落とすけど見るといつもついてる。今日はかわいいラムちゃんにまでついてて嫌になった。
今日、2週間ぶりのプール。
昨日みたいなひどい雨だったら今日は行かないつもりだった。
重たいプールバッグさげて傘を持って歩くにはあまりに肩が痛すぎて。
でも雨が降ってないとなったら行くしかない。
こんなんで動くんだろうか、肩と腕。
間違っても今日はプルのドリルばっかり、なんてことにならないことを祈るだけ。

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2018年7月 6日 (金)

時を経て立ち現れた二つの物語/Narratives

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今日は朝から雨で、仕事が終わる頃にはすっかり面倒になってしまったのだけれど、今日はそれを押して夕方から出かけた。藤本さんの発語のきっかけが知りたくて。
出かけた先は国立の room103。
ここは古道具 LET 'EM INが運営するギャラリー・イベントスペースだそうだ。
ここを使っていま行われているのは、詩人・藤本徹さんと映像作家・波田野修平さんの企画による二人展、『Narratives』。
わたしが narrative という言葉を知ったのは、詩人の谷川俊太郎と医師の徳永進の往復書簡集『詩と死をむすぶもの』の中でだった。nrrative-based medicine、物語に基づいた医療。あの本もすごくいい本だった。
わたしが room103 の前で写真を撮っていると、後からやって来た女性が店先に自転車を停めて中に入っていった。そのあとにつづいてわたしも中に入ると、部屋の中は暗く、ナレーションの声が響いていた。手前のガラスのショウケースの上に、被写体のオブジェクトごとに『建物』とか『動物』のように種類分けされたリバーサルフィルムの黄色い箱が並び、下の段には日記やスケッチの紙片、封書の手紙や葉書などが無造作に置かれている。どこの誰が撮ったとも知れぬ大量のポジフィルム、名も知らぬ誰かが一心に書いた日記やスケッチや手紙・・・・・・。これらはすべてLET 'EM INが仕入れた古道具の中からみつかったのだという。みつけたのがLET 'EM INじゃなければ、とっくに廃棄されてたかもしれないし、LET 'EM INのオーナーを通じて遺品を託されたのが詩人と映像作家じゃなければ、こんな展示はなかっただろう。だからこれはある意味、数奇なめぐりあわせともいえる。
すべてはここからはじまった。
物語のはじまり。

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『トンボの記』。
藤本さんの詩の書きだしはトンボだった。
空想の中のトンボ?
壁に貼られた紙片に印刷された活字を、1枚1枚右から端まで読んでいく。
部屋の中に響くナレーションの声が大きくて、最初なかなか集中できなかったけど、白い紙の中の活字が藤本さんの声になるまで集中した。
先に入って詩を読んでいた女性が読み終わってあっさり出て行ってしまって後も、ひとり時間をかけて読んだ。読んでいくうちに自分の感情がじわじわと高揚していくのがわかった。そして最後まで読んで、「すごい、これって大作だよ! しかもとても力のある熱い詩だ!」 と思った。
それで、行く前は今日はよけいなことは喋らずに、こそっと行ってこそっと帰ってこようと思っていたのに、急に誰かに話しかけたくなって、思わず近くにいた波田野さんに「これってすごい大作ですね」と言ってしまった。すると波田野さんも、「そう、藤本くん本人も手ごたえを感じたみたいですよ」というから、「これだけのもの書けたらきっと手ごたえなんてものじゃないと思うな。たしかなものを書き終えたという歓び。自分だったらきっと感動してハイになっちゃう。」
物書きだって詩人だって、ゆで卵を温めるように時間をかけて自分の中で温めていたものが、いざ筆をおろしたら最初の書き出しからは予想もできないほど、あるいは自分でも予期しない深いところまで降りていって書くことができてしまった、その歓びったらない。それはその瞬間のためだけに自分は生きてるんじゃないかと思えるほど。この詩を書き終わったときの藤本さんもそうだったんじゃないかと思う。
壁一面に貼られた詩はたった一度しか読んでないから、それが何連だったかのかも覚えてないけど、長い詩。最初、それはどこか遠巻きに飛んできたトンボに感情移入することからはじまり、だんだん、どこまでが藤本さんの言葉で、どれが古い紙片からの写しなのかわからないほど渾然一体となっていって、しだいに古き佳き時代の文人のような(たとえば夏目漱石のような。もっというと夏目漱石の草枕のような)絵描きの姿が、リアルな肉体と声をともなって鮮やかに浮かび上がり、同時にそれは、いまを生きる藤本さんの姿、息遣いとぴたりと重なって、ふたりの人物が一体となることで時空を超えて、この現代に血の通った物語、熱い詩として結実した。これはもうフィクションとかノンフィクションとか関係ない。
正直言ってわたしは最後まで読んで驚いた。
藤本さん、この詩で才能が開花したなって。
これはもう『青葱を切る』を超えたよ、って。
そこからは延々、波田野さんと話しこんでしまった。
いつもあまりよく知らない人と喋りすぎるときまって家に帰ってから後悔するわたしだけれど、「こんな天気のせいか誰も来なくて、今日は1人も来ないかと思っていたからいいんです」と波田野さんはいい、その言葉でわたしは気が楽になった。

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帰り際に、Amleteronでやったイベントのときのものだという藤本さんの詩の入ったポケットと波田野州平さんの『半分くらいは本当の話』という冊子を買い、波田野さんの作った映像作品を見た。古道具の中にあった大量のポジフィルムから、波田野さんの視点によって選ばれ、紡ぎだされた物語。これもとても面白かった。
見ていると、さもありなん、というか、話の流れがごく自然だから、ふつうにこういうことがあってもおかしくないと思いつつ、まるで本当にあったことのように観終わってしまうんだけど、でも実際のところは無機質な(あまり感情のこもっていない)ただの記録写真のようなフィルムからこれを作りだすのは最初とても苦労したそうだ。でも逆にいえば、そこにこそ波田野さん独自のの視点があるわけで、視覚映像ということでここではよりいっそう(虚構の)物語を創作する、あるいは事実とは違うことを捏造する、ということが意図的に試みられていて、同時にいかようにも事実を変幻させ歪めてしまえる『作る』ということへの疑問も投げかけられていて、そこがとても興味深かった。もっというと、『事実』といわれていること自体にも、実は現実にあった事と物と時間と人の記憶の間に激しくズレがあるんじゃないかというようなことが示唆されていて、見終わったあと不思議な感覚に捉われた。それは、『そもそも人が何かを思いだすということ自体がフィクションを作っているのとおんなじなんじゃないか』という、波田野さんの考えをそのまま反映していると思う。
他人の撮ったフィルムの間に挿入された、波田野さんの美しい映像。
音の入れ方もとても効果的で印象に残った。
はじめて出会ったのが夏だったからかもしれないけれど、藤本さんも波田野さんも、ともに夏を感じさせる人だ。

映像を見終わった後もまたまたたくさん話した。
なかなか本人を前にしては訊きずらい(ふつうはきっと訊かない)、「映画監督って映画を撮ってないときはどうしてるんですか?」「いったいそれで生活は成り立つんですか?」なんて素人の素朴な疑問から、映画『トレイル』を観たときのわたしの率直な感想や、今日の映像を見て感じた波田野さんの可能性、波田野さんからはあの映画の成り立ち、今回のイベントでの詩人と映像作家の視点や思考回路の違い、今後したいことの話、などなどいろいろ・・・・・・。
外は来たときより土砂降りになっていて、それだけ今日は誰も来なかったってことだ。場をおなじくしたのは2回めだけれど、はじめて話した波田野さんはとても人の話をよく聴く、よく聴いて感じて話す、とても真摯で誠実な人だった。
どんな質問にも率直に答えてくれた。
正直で嘘のない人は大好きです。

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誰が遺したともしれない過去の遺物を前に、まったく違う視点で紡がれた映像と、詩の物語。そのふたつの「違う視点」こそが人の想像、興味をかきたてるいい展示だった。
欲をいえば、ここで発表された書き下ろしの藤本さんの詩と、波田野さんが自分の映像につけたナレーションの文章が載った、この会場に来た人だけが手にできる冊子のようなものがあったらもっとよかったなと思う。まあ、それだけおふたりの作品がよかった(単純に自分が欲しい)ってことなんだけど。
それぞれの活動はもちろん、今後のコラボレーションもたのしみなおふたりです。
Narratives@room103はあさって日曜日まで。

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2018年7月 1日 (日)

夏の食卓

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7月だ。
外は熱風。
肩でも痛くなければわたしは屋外プールで泳ぎたい気分だ。
夏空を映して青く澄んだつめたい水の感触とか、
まだ日に焼けてない少女の鮮烈な白い肌とか、
昨日のことみたいに思いだしてる。
雨が降らないまま朽ちていく紫陽花。
陽に透けて輝く向日葵の黄色い花弁。
夏は滅びの前に命を燃焼する季節。
でも今年は真夏になるのがあまりに早すぎた。
まだ衣替えだって終わってないというのに。
息子とふたり、日曜の遅いお昼は棒棒鶏と冷麦。
子どもの頃、冷麦が盛られた自分のガラスの器の中に、ピンクや緑の麺をみつけるとうれしかったなあ・・・・・・
こんなところにも日本人の真夏に涼を求める美学が生きてる。

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