« 自由なムード | トップページ | 雨上がり、フェアビアンカ »

2018年5月22日 (火)

詩とか、歌とか。

Richard_brautigan

日曜日の午後遅く、ふいにかかってきた電話は静かな湖面に手を入れて引っかきまわすようなものだった。その時間までお昼も食べずに仕事をしていたわたしは、ちょうどこれから遅いお昼の買いものにいこうとしているところだったから、タイミングも悪かった。わたしはただ彼女の要求に対してほんのちょっと時間をくれといいたかっただけなのだけれど、どこでカチっときたのか彼女はだんだん感情的になり、あろうことか2年前の暮れの嫌な出来事まで引っぱりだして蒸し返した。あれだって自分のなかでは無理やり封印して乗り越えたことだった。なぜなら、そのころ彼女は肉体的なハンデを負っていたし、その夜はひどく酔っぱらってもいたから。自分が寛容になって水に流すしかないと思ったのだった。
相手が感情的になるとわたしの頭は一気に合理的になり、自分はどうしたらいいかだけ聞いて電話を切った。その日のうちにいわれたことはやったけど、釈然としない思いだけが残った。何より彼女からいわれた言葉はわたしの鳩尾に重たく残った。ちょうど先日、彼女とわたしは生まれ育ちも性格もちがうけど、合う合わないにかかわらずもうソウルメイトなんだろうなあ、としみじみ思ったところだったからなおさらがっかりした。
いつも人は些細なことで大切な相手と擦れ違ってしまう。
でも精神世界においては人から裏切られるのも利用されるのも雑な扱いをされるのもぜんぶ自分のせいと決まっているのだ。やれやれ!
それで今日も冴えない気分で娘と遅いランチをしたあと苦し紛れに詩を書いた。
最初のフレーズがふいに空から降ってきて、きっとまた書きだしたら数行で書けなくなるんだろうなあ、と思っていたら一気に最後まで書けて、書きあがったら鬱屈していた気持ちは歓びに変わった。
物書きの性。
けっきょくわたしは書くことでしか解消されないんだなあ、と思った。
書き終ったらこんどはいま頭にあったイメージを絵に描きたくなって、いつものように、どんな絵を描きたいか、構図もタッチも頭にははっきりあるのだけれどわたしにはそれを描く力量もなければそんなことをしている時間もないから、方眼ノートに鉛筆でパーッと描き殴ったのを破いて娘に渡し、「こんな絵を描いてくれない?」といってバタバタと家を出た。今週も実家に夕飯ヘルパーに行くために。
娘がその絵を描いてくれるかどうかはわからない。
描いてくれたらわたしはここにアップするだろうか?
わたしの意趣がわかる相手が見たらきっとわたしを嫌いになるだろう。
でも嫌われたら嫌われたでかまわないという気持ちがどこかにあって、それがそのまま詩にでている。

日曜の電話のあと、襖をぴっちり閉めてやっぱり仕事をしていた息子が部屋から出てきて、「おかあさんもさ、ふだんピース・オブ・マインドがミッションとかいってるならもういいかげん、そうできない相手とつきあうのはやめたら?」といった。
息子のいうことは正しい。
いつもわたしにいちばん厳しいのは2人の子供だ。
それで、そういう厳しい人間が近くにいるのはいいことだと思う。
自分に対して歯に衣着せずに厳しいことをいってくれる人が近くにいないと、いくつになっても我儘で甘えた大人子供みたいな人間になってしまうから。
転んだ後に読み直した足立幸子さんの本にも書いてあった。
『愛』とは厳しいものだと。
そこに『情』がつくからだめなんだと。
日本って、情に棹さして流されてばっかの国だもんなあ!

日が長くなって明るいうちに実家に行くと、父はもう夕飯(といっても、お昼の残り)を食べ終わっていて、もう何もいらない、という。だったら天気もいいからバスに乗って阿佐ヶ谷にでも散歩に行こうか、それとも近所の喫茶店であんみつでも食べない? あるいは父がよく行くスーパーマーケットで好きなお菓子でも買うとか、といろいろいってみるのだけれど、けっきょくぜんぶ却下されるのだった。それで今日は夕飯の支度もなーんにもしないで、もう百万遍も聞いた父のいつもの山手線の話を延々聞いて、噛みあわない会話をし、7時半になってNHKの『歌謡コンサート』を見た。今夜は東京特集で、オープニングからわたしの好きな『東京ラプソディー』で、昭和30年代から80年代の東京の街の映像と、その時代時代に流行った歌を取り上げていてすごくよかった。歌謡曲が好きか嫌いかということは置いとくとして、日本の昔の歌謡曲ってほんとによくできていて、母音がしっかり音符に乗ってて情感がある。歌ってて気持ちいい。「昔っていい歌いっぱいあったし、昔の歌手のほうがうまかったよねえ」といいながら見た。父も懐かしい懐かしいといいながら、最近にしてはめずらしく楽しそうな顔をして、ときどき自分も一緒に歌ったりしながら見ていた。けっきょく番組が終わるまで見た。すごくひさしぶりに父の笑顔を見た気がする。よかった。これぞまさしく音楽セラピー!

帰りの電車でブローティガンの『東京日記』の青い表紙をひらいたら、このあいだアムレテロンさんで買ったときはなぜこれを選んだのかわからなかったけど今日にまさしくシンクロニシティで、それはブローティガンがはじめて日本に来た1976年の5月から1ヵ月半、東京に滞在して書いた日記形式の詩集だった。
子供のころ、大好きだったエドワード叔父さんを第二次世界大戦で失って、以来、家族が誇りにしていたその大切な叔父を殺した日本人を人間以下のサルだと思って憎みつづけていた少年ブローティガンがなぜ大人になって日本に来ることになったか。それが前書きを読むだけでわかるこの本を、日本がおかしな方向にいきはじめたいま読むのは意味があることだと思う。前書きの終わりのほうには『作品の質にはむらがあるが、あえて全部を活字にした。これは日本でのぼくの気分と感情をしるした日記であり、生活の質はむらのあることがよくあるからだ』なんて文章もあって、そのとおりだと思った。
どうやらわたしのスロートチャクラの詰まりも解消されたみたいだし、わたしもむらがあっても気にせず出しつづけるとしよう。鳥が運んだ種みたいなものが何になるかはわからなくても、飽きずに諦めずに水をやり、光にあてよう。

|

« 自由なムード | トップページ | 雨上がり、フェアビアンカ »

日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事