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2018年5月 6日 (日)

物思いの箱

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ゴールデンウィーク最後の今日は、等々力の『巣巣』さんに行った。
今日まで展示されている、やまぐちめぐみさんの絵を見るために。
ここへは前からいちど来たかったのだけれど、家からは遠くてなかなか来る機会がなかった。乗り継ぎだけで1時間半かかる。
目黒の駅前からバスに乗って20分。
そこは駅前の喧騒とは打って変わった静かな住宅街だった。
休日の郊外の眠たいような午後。
ドアの前まで行くと、「不在にしていてすみません。近くに出かけて、すぐに戻ってきます。よかったら中をご覧になっていてください」というような小さな張り紙がしてあって、うちの息子は最近できたコンビニエンス・ストアは性悪説でできている、といっているけど、ここは限りなく性善説でやってる店なんだな、と可笑しくなった。

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広くて明るい店内。
そこに家具と布物と雑貨と植物、書籍や作家の作品などが並べてあって、壁にはたくさんのやまぐちめぐみさんの絵。
雑然とはしていないけど片づきすぎてもなく、適度な生活感があって、その匙加減が絶妙。はじめて来たのにすぐ場になじんでしまうようなリラックス感がある。わたしが昔はたらいていたインテリアショップの社長は美的に散らかすことを真骨頂とするひとだったけど、ここの店主もそういった意味できっと上級者なんだと思う。

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絵の飾り方もとっても素敵で、それはめぐみさんの絵にあっていて、彼女の絵のことをよくわかっている方なんだということがわかった。どの場所で見ためぐみさんの絵より、今日ここで見たのがいちばんあってていいと思う。
帰って来た店主にそういったら、「まるで、めぐみさんの部屋で絵を見ているみたいです」といわれます、ってことだった。
わたしは行ったことないけど、好きで集めたかわいいものでいっぱいだった、そしてそれがそのまま作品制作の場だった、めぐみさんの部屋。

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中でもわたしが足を止めたのはこの絵。
めぐみさん、こんな絵も描いてたんだ、と思った。

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これから婚礼をあげようとしているような若いカップルの横にネズミのメイドと召使がいて、しあわせを祝福しているかのような花と蝶ちょと鳥。手前にはふたりの象徴みたいな白いスワン。左肩に、船の舳先についてるセイレーンみたいなミューズが描かれているのがこの絵のいちばんいいところで、これはきっと吉兆であり、ふたりの行く末を見守る守護天使でもあるんだろうな。この写真じゃよくわからないかもしれないけれど細かい部分までしっかり描いてあって、すごくイマジネーティブないい絵だと思った。それと、うまく撮れなかったけど、これなんかもめぐみさんらしい。

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めぐみさんの絵を見ると、いつもすごく魚座的な絵だなって思う。
めぐみさんの絵のよさを言葉で説明するのは難しいけど、ちょっとシャガールみたいでもあるし、アンリ・ルソーにもちょっと似てる。
めぐみさんの絵は、「ここにこれがあるのはおかしい」と大人が頭で考えて描くような絵とはちがって、子どもが「ここにこんなお城があったらいいな」「いつかこんな町に住みたい」と、想像にどっぷり浸って思いつくまま描いたような絵で、だから子どものころ絵が好きでそんなふうに描いたことがある人には心覚えがあるし、懐かしい感覚を呼び覚ます。こういう絵はすっかり大人になってしまったひとにはきっと描けない絵だと思う。だから、インナーチャイルドの絵ともいえる。そして、めぐみさんの絵を見ていると何故かいつもぼんやりしてしまう。それはめぐみさんがいなくなってしまったからではなくて、生きているころからそうだった。描きこみ過ぎない画面の余白の感情のようなものに、こちらの感情が吸いこまれてしまうせいかもしれない。めぐみさんはもういないけどその作品は見る者をぼんやりさせ、物思いに耽らせる。それこそが『作品を遺す』ということだろう。
いや、でももしかしたら彼女は今日も巣巣にいたかもしれないぞ。
そんな気もする。
(番外編:トイレに入ったらここにもめぐみさんがいた。)

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知ってる方も多いと思うけど、この展示はめぐみさんの作品集が出版されたことを記念してのものだった。ほんとはわたしは巣巣さんに行った帰りにアムレテロンさんに寄って予約していた作品集をうけとるつもりだったのだけれど、出がけにちょっとアクシデントがあって家を出るのが遅くなり、今日は行けなくなってしまった。おまけに夕方から大雨になるという予報だったから、雨が降ると髪がめちゃくちゃになってしまうくせっ毛のわたしはなんとなく意気上がらず、何を着て行こうか考えたあげく面倒になって家にいたまま出てきてしまったのだけど、巣巣に着くなり、そして店主と顔をあわすなりわたしはそのことを激しく後悔した。とくにやまぐちめぐみさんの展示にこれはなかったな、って。
めぐみさんは晩年、病気が悪化して思うように出歩けなかったこともあるけれど、外出の前は明日何を着て行こうって、そわそわ、わくわくするかわいいひとだった。で、そういうのって、いくつになっても大事だと思う。自分の気持ちのためにも。自分と接する誰かの気持ちのためにも。
そんなことを思いながら巣巣を出ると、天気予報通り、空はだんだん不穏な感じになってきて、最初の雨粒がポツっと頬に落ちてきた。帰りのバスに乗って駅に向かうあいだも、風にわさわさ揺れる街路樹と夕暮れの街並みを眺めながら、平凡なしあわせを捨ててなんのあてもなく東京に出てきて、それまでとはまったく人生を生き、アーティストになった彼女のことをずっと考えていた。

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コメント

そうきちさま、初めまして。
メグさんのことを思い出して、こちらにたどり着きました。
私はセツでメグさんと知り合いました。
最初はメグさんはモデルとして来ていたのですが、学校にも入学していつしか仲良くなったのでした。
でも私は東京から実家に引っ越したので、メグさんが病気にかかった頃が最後に会った時です。17年前ぐらいですね。
もう一度会いたかったなと心から思います。
たくさん、恋の話をしてメグさんはいつもキラキラしていました!とても素敵で憧れの女性でした。
絵も画風がどんどん変わっていって、素敵な作品をたくさん残されて、今もフフフと笑いながら天国からこちらを見ているように思います。
突然のコメント、失礼いたしました。

投稿: ミツキ | 2020年7月19日 (日) 19:34

ミツキさん、こんにちは!

ほとんど開店休業中のブログへようこそ。
メッセージ、すぐに読んでいたのにお返事が遅くなってごめんなさい。
で、わたし自身ひさしぶりにここにきたので、ちょっと長くなっちゃうかもです。

ミツキさんはセツでめぐみさんと知り合ったんですね。
それってとっても素敵な時期だったんじゃないかなあ、と思います。
めぐみさんの才能がどんどん開花して耀きを増していった時期だろうと思うから。
彼女いってました。
最初わたしはセツでヌードモデルをしていたのだけれど、みんなが描いているのを見ているうちにだんだん自分も描きたくなってきたんだって。

わたしがめぐみさんと初めて直接会ったのは彼女が入院していた病院の病室で、しかも横殴りの雨が降るひどく暗い日で、自分の気持ちよりめぐみさんの気持ちを優先したにしろ、あの日彼女に会うことにしたのはつくづくミスチョイスだったと思います。
そのとき彼女の病状は見るからにひどくて、別れた旦那さんのことや自分のご両親のこと、東京に来た経緯や病気がいつから始ったかなんかについて話すめぐみさんの話を聴きながら、めぐみさんが唐突に「わたし、昔はきれいだったのよ」といったとき、わたし一瞬、なんて返していいかわかりませんでした。

めぐみさんが亡くなった後、有志でクラウドファウンディングが立ち上げられて、そこに若かりし元気なころのめぐみさんの、どこか牧瀬里穂似のきらきらな笑顔の写真が貼られたとき、ああ、すべてはこれが物語ってる! と思いました。
1枚の写真の威力をそこまで感じたのはそれが初めてだったかもしれません。

だからその、めぐみさんが最も楽しくて輝いてた時期に知り合ったミツキさんがちょっとうらやましいです。
その頃きっとめぐみさんは、遅くやってきた青春を精いっぱい謳歌してたのだと思うから。

めぐみさんさんの絵は大胆な構図と色彩感覚の素晴らしさ、それと絶妙にきちっと描きすぎないところに見る側の余白が生まれていいなと思います。
それと、めぐみさんはよく人魚姫の絵を描いていたけれど、あれって自分自身の投影だったのじゃないかと・・・。
ある種、逆説的な意味で。

もうすでにこの世にいない人のことを思い出して会いたいと思うのって、
すごく切ないですよね。

唯一の救いは、いまわたしたちが生きるこの激動の次元とちがって
彼らのいるところが限りなく平穏なことかな。
それこそHeaven、ですね。

わたしもひさしぶりにいろんなことを思い出しました。
メッセージ残してくださってありがとうございます*


投稿: soukichi | 2020年8月 5日 (水) 17:29

そうきち様、お返事をどうもありがとうございます!
何度も読み返して、メグさんの事を思い出し、そうきちさんにも、私が知っている頃のメグさんに会ってもらいたかったと思いました。

そうです、私がメグさんと知り合った頃は、メグさんは本当に綺麗で雰囲気があって、とてもチャーミングな女性でした。
メグさんにとって私はセツでの友人の一人に過ぎなかったかもしれませんが、私はセツで出会ったメグさんの事は大切な思い出です。
最初は丸山さんと一緒にヌードモデルに来ていて、色が白くて目が茶色がかっていて、私は外国の血が混ざっている方なのかなと思いました。
その頃メグさんを描いたデッサンは下手すぎて捨ててしまったのですが、多分メグさんだと思われる、ファッション画のデッサンは残っていて、久しぶりに見てみました。
オシャレが大好きだったメグさん、メグさんの美味しいバナナケーキ。メグさんの素敵な部屋。
思い出ってせつないです。そうきちさんがおっしゃるように、この世にいない人のことを思い出して、会いたいと思うのはせつないですね。

メグさんが亡くなる前の年ぐらいに、すごく久しぶりにメールしたのが最後になってしまいました。
かなり具合が良くない感じだったので、会いたいとは言えませんでした。

メグさんの周りの方々はそれぞれに、メグさんとの思い出がおありでしょうね。
私達に素敵な思い出をくれたメグさんに心からありがとうと言いたいです!
そうきちさんのブログにもたどり着いて、こうやってお話ができて嬉しかったです。
またブログの更新も楽しみにしています!


投稿: ミツキ | 2020年8月11日 (火) 21:29

わあ、ミツキさん。
こちらこそ、さらなるお話をありがとうございます。

きっとめぐみさんに出逢ったのがセツ、っていうのもよかったんでしょうね。
セツって場所自体、ほんとに素敵なところだし、セツに行ったからこそめぐみさんの才能が花開いたのだから。
人の人生を思うとき、運命ってすごいですよね。
めぐみさんの場合、人生の前半と後半で住むところから何までまったくちがう。
一人の人の人生で、なかなかそこまで両極端なことを経験できるってないと思うんです。
どちらもその時を知っている人から見たらめぐみさんには違いないんだと思うけど、後半のめぐみさんのほうがより自由でめぐみさんらしいと思ってしまうのは、昔のめぐみさんを知らないからなのかな。

いずれにしても非凡な人生をヴィヴィッドに生きた人だと思います。
何よりその印象をたーくさんの人のこころに刻んだんですから。
そして、めぐみさんがいなくなっても絵は残ってるから、それを見たらまたいろいろなことを思えるでしょう?
それこそが彼女を好きだった人にとっては宝物だし、光だと思います。
ミツキさんが具合が悪くなってからのめぐみさんに会えなかったのはかえってよかったかもしれません。
思い出すときはいつでもきらきらな笑顔のめぐみさんだと思うから。

わたしもミツキさんと話せてたのしかったです。
どうもありがとう。

投稿: soukichi | 2020年8月11日 (火) 23:38

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