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2018年4月24日 (火)

ばらのつぼみがひらくように

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今朝ほんのちょっと手入れするつもりが、ふと見たらまたしてもことごとくばらの新芽やつぼみにアブラムシがたっくさんついてて、しばらくハマってしまった。
今年こんなにアブラムシがつくのは、忙しさに紛れて冬の間にするべき消毒をしなかったからだと思う。次回はなんとしても2回はやらねば。
このあいだ生活の木薬香草園に行ったとき、ハーブショップで働いている女の子に「ここではどんなアブラムシ対策をしてますか?」と訊いたら、近くにあったエルダーフラワーの小さな苗を手に取って、「このエルダーフラワーの葉を摘んで鍋で煮て成分を抽出したものを水で希釈したものと木酢液とを1週おきに交互に散布しています」と教えてくれた。でも彼女が持っているエルダーフラワーの苗はとても小さくて、いまアブラムシで困っているのにそれはとっても気の長い話に思えて彼女にそう言うと、「でもエルダーフラワーの木はあっという間に大きくなるので、葉がいまの倍の量になったら収穫して作ればできます」という。でも、てっとり早くなんとかしたかったわたしは彼女にお礼だけ言って、翌週の日曜日の午後にはドイトの園芸用品売り場にいた。そこでは害虫予防しながら、なおかつ植物の栄養補給もできるという最新の薬剤のCMを見たのだけれど、ボトルの裏を見ると例によって使用上の注意のところに『体調が悪いときは使用しないように』だの『散布するときはマスクにゴム手袋を着用のこと』という文言が書いてあって、それを見ただけで買う気がしなくなり、けっきょく化学薬品より高価なニームオイルを買ってきた。いまはそれを水で希釈したのを噴霧器に入れて週に2、3度、夕方暗くなるころに葉裏から滴が垂れるくらい散布している。ニームオイルはカメムシみたいに臭いし、化学薬品とちがって数回撒いたくらいじゃ劇的に効くということもないのだけれど・・・・・・
でも、いずれは植物の免疫力が上がって病虫害に強くなるときがくるだろうと思って自分まで臭くなりながらせっせと撒いている。
今朝はただの水が入った噴霧器でアブラムシのついた新芽やつぼみや葉裏を丁寧に洗い流して、傷んだ葉や無駄に茂った下葉をむしりとって風通しをよくし、悩みつつ鉢の配置換えをした。ばらにつぼみが上がってくるとまめに鉢の配置換えをして、できるだけまんべんなくばらに日が当たるようにする。一年でもっとも花の咲く春ばらのシーズンに、すこしでもばらが美しく咲けるように、そしてそれを美しく見られるように。

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咲いているばらを見てきれいだという人はいくらでもいるだろう。
でも花の咲いていない多くの季節に面倒な手入れをしつづけられる人は、そんなにはいないかもしれない。虫が嫌、なんていう人にはばらはとっても育てられないし、ばらには棘があるから、なんていう人はもう論外。「ばらを美しく咲かせられる人をわたしは尊敬する」なんて言葉にそれほどの尊敬の念がこもってるとは思わないし、「ばらは難しいから」なんていわれるのにはもう飽きてしまった。
とっても月並みかもしれないけれど、「ばらのつぼみがひらくように」という比喩が好きだ。それは、ばらを育てたことのある人ならきっとわかる。その夢見るような、マジカルでしあわせな感じが。
「It is the time you spend for your rose that has made her so important.」は、サンテグジュペリの『星の王子さま』に出てくるキツネの言葉。まさにそう。そして、いうまでもなく、「ばら」というのは普遍的なるものの象徴でもあるんだよね。
いま、ばらのつぼみの季節。
そして今年もばらの鉢から出てきた母のすみれ!

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2018年4月22日 (日)

キラッキラの愛の歌 ♡

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ベランダで洗濯物を干していた娘が「今日は本物の半袖日和だよ!」といった。
もう夏だ。
石井ゆかり風にいうと、キラッキラの愛の日。
それでわたしがものすっごくひさしぶりに聴きたくなったのはイヴァン・リンス!!!
わたしが1年でいちばん好きなのは夏に向かう新緑の美しい、ちょうどいまのころで、この時期聴くのにぴったりなのがこのイヴァン・リンスのアルバム、『ジョビニアンド』。
文字通りイヴァン・リンスがアントニオ・カルロス・ジョビンに捧げたアルバムで、かけた瞬間、1曲めからアーリー・サマー・ブリーズが部屋の中を駆け抜けていくよう。
このアルバム、イヴァン自身によるライナーノーツもとてもいい。
彼の人柄が文章から滲んでくるようなライナーノーツ。
(以下、ライナーより一部抜粋。)

 たぶん(いや、確かにと言った方がいいだろう)、ロサンゼルスに住んでいた僕は、ブラジルが、僕のリオが懐かしかったのだろう。そんな時、一番素敵な微笑みをくれるのはメストリ(トム)だった。そしてその後、彼が逝ってしまうと、後にはぽっかりと大きな穴が残された。まるで誰かが、僕の居間から家具を全部運び出してしまったかのような、そんな感じだった。彼については、多くの素晴らしい作品が作られた(ガル、ジョイス、ホーザ、ジョビン=モレレンバウン、シェジアッキ他多数)。さもありなん、なぜなら、彼は世界のブラジルそのものなんだから。もっとも美しいものの一つだから。そして、永遠であるものの一つだから。
 よって、僕も、今ひとりのメストリ、メネスカルの手に導かれ、トムにインスパイアサレタプロジェクトを立ち上げることにした。僕の自作と、僕の曲とも言える彼の曲(そして、彼がいつかレコーディングするだろうシナトラの曲)を収めて。自惚れたものに見えるかもしれない。けど、それは違う。これは、ただの愛の告白だ。彼への。リオへの。ブラジルへの。世界を止める。それは決して革命なんかじゃない。革命は、もっと若い世代に譲りたい。ここには美しいブラジル音楽しかない。それを僕は絶やさずにいたいのだ。心地よく。

『メストリ』とは、ポルトガル語でマスター、マエストロの意。
つづく、イヴァンに『今ひとりのメストリ』といわれたホベルト・メネスカルのライナーでは、メネスカルはイヴァンのことを『音楽の井戸』のような人物、と評している。
まさしく音楽の井戸、そしてそれは愛の井戸でもある。
『キラッキラの愛の歌』といってわたしがすぐに思い浮かべるのは、イヴァン・リンス、マイケル・ジャクソン、スティヴィー・ワンダー、ポール・マッカートニー、フレディー・マーキュリー、かな。
ちょっと古い?
古くたっていいんだ。
彼らの歌は時の流れに色褪せない輝きで、あっという間にわたしをしあわせにしてくれるから。

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JOBINIANDO / IVAN LINS(ジョビニアンド/イヴァン・リンス)

1.ヴィヴォ・ソニャンド(夢を見ながら)~ トリスチ(悲しみ)
  VIVO SONHANDO~TRISTE (Antonio Carlos Jobim)

2.アカゾ(偶然の出来事)
  ACASO(Ivan Lins ・ Abel Silvia)

3.イヌーチル・パイサジェン(無意味な風景)
  INUTIL PAISAGEM(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

4.ソベラーナ・ホーザ
  SOBERANA ROSA(Ivan Lins ・ Chico Cesar - Vitor Martins)

5.サンバ・ド・アヴィアオン(ジェット機のサンバ)
  SAMBA DO AVIAO(Antonio Carlos Jobim)

6.ボニータ
  BONITA.(Antonio Carlos Jobim - Ray Gilbert)

7.ヒオ・ヂ・マイオ
  RIO DE MAIO (Antonio Carlos Jobim)

8.エスチ・セウ・オリャール(まなざし)~ プロメッサス
  ESTE SEU OLHAR ~ PROMESSAS (Antonio Carlos Jobim)

9.タイム・アフター・タイム
  TIME AFTER TIME(Jule Styne - Sammy Cahn)

10.カミーニョス・クルサードス(十字架)
    CAMINHOS CRUZADOS (Antonio Carlos Jobim)

11.エウ・セイ・キ・ヴォヴ・チ・アマール(あなたを愛してしまう)
     EU SEI QUE VOU TE AMAR(Vinicius de Moraes - Tom Jobin)

12.ヂンヂ
   DINDI(Antonio Carlos Jobim ・ Aloysio de Oliveira)

13.ジョビニアンド
   JOBINIANDO(Ivan Lins - Martinho da Vila)

14.シー・ウォークス・ディス・アース
   (ソベラーナ・ホーザ英語バージョン・リミックス)
   SHE WALKS THIS EARTH

15.ヂンヂ(英語バージョン)

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2018年4月21日 (土)

日々のかけら

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昨日、ジヤーマンカモミールを摘もうとして、ぎゃ!っとなった。
茎に気持ち悪いくらいたくさんアブラムシがたかってて。
ハーブも虫がまったくつかないのとつくのとあるけど、カモミールは虫がいっぱいつくタイプらしい。とりあえずハサミで切って、水道の蛇口でジャージャ洗って花瓶にいけた。
ジャーマンカモミールとローズマリー。
花屋で買ってくる花とはちがうけど、こういうのもいいなと思うこの頃。
それから昨日、鏡の前で髪を整えながら自分の顔を見てて、なんの脈絡もなく、わたしの本質は茶目っ気だな、とふいに思った。そんなこと、他人にとってはどうでもいいようなことにちがいないけど、しばらく忘れてたなって。なんだかとても重要なことに思えて。
いつからわたしはそんなことも忘れてたんだろう。
昔、人生最悪だったときに「いまの君を救ってるのはエスプリだね」と男友達にいわれて、「わたしのはそんな高尚なものじゃなくて、それをいうなら諧謔よ。こんなときですら馬鹿な自分を笑える諧謔」といったことがあるけど、それにも通ずる。
それとは別に、「若い頃のそうきちはやんちゃだったから」といわれて、そのときは「やんちゃ? この真面目なわたしが?」ってぜんぜん意味がわからなかったけど、いまならわかるな。ティーンエイジャーの頃、人生享楽家になれるんだったらほかの何者にもなりたくない、と思った、その頃からきっと本質的には何も変わってないんだと思う。
およそ求道者になんかなれないタイプ。
わたしはやっぱり踊る阿呆に見る阿呆がいい。
サンビスタみたいに。
学びとか勉強なんていわれてばかりだと肩が凝ってしまう。
真面目すぎるのって苦手。
なんだか窒息しそう。
そして、そういうわたしを「ふざけたヤツだ」とか思わないでわかってくれる人も必要だ。女はいくつになったって、君はきれいだとか面白いとかすごくユニーク!とかいってくれる相手さえいたら輝けるんだから。

4月は、大切な人の誕生日がいくつも重なる月だったのに、行きたかったライブは全滅、父にもなんにもしてあげられなかった。新年度になって家賃がいきなり2万も上がって、それに年明けからずっとお金が出ていくことばかりで節約を余儀なくされて、「でも音楽は節約しないほうがいいよ」とは、息子の言葉。
ほんとにそのとおりだね。
いつだって音楽に救われてきた。
わたしには音楽があるからだいじょうぶ、と思えた。
ミュージシャンでもないのに、変な言いかたに聞えるかもしれないけれど。
ちなみにナディッフで『Don't Let Me Be Lonely Tonight』を聴いて以来、ふと気がつくといつも口笛で吹いてる。ジェームス・テイラーの歌もとても自然で儚い感じでいいけど、わたしはエリック・クラプトンが歌ってるのが好き。ジェームス・テイラーよりずっと悪そうで、ブルージーで、切羽詰った感じがリアルに切なくていい。それで、今日思いだしたけどその感じはまさしく出逢った頃のSみたいだ。
いまとなってはいい思い出。
ずいぶん酷いこともされたけど、いまはもう何も恨んでない。
出逢えたことに感謝。
捨てられずに持ってるレポート用紙に書かれた作曲のメモみたいな、詩みたいなものは、たぶんこの先も捨てずにずっと持ってると思うよ。そんなことはいいことじゃないと誰かがいっても。

プールのある土曜日はいつも時間がないのになんだか急にフライドポテトが食べたくなって、今日は朝からジャガイモを揚げた。
皮つきの新じゃがってなんておいしいんだろう!
いまは新じゃがのおいしい季節です。
いちごに、フライドポテトに、きのう妹からもらったシフォンケーキもあって、いつになくカラフルな朝。

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2018年4月19日 (木)

Starting over *

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晴れ女のわたしにしてはめずらしい、雨のミーティング。
雨の目黒。
今日も寒い。
昨日、夜遅くひどくカタイ表情で帰ってきた息子は今朝になって「熱が出た。いま測ったら37度五分」という。解熱鎮痛剤を飲む?と訊いたら「飲まない」というので、ハーブティーにレスキューレメディーを垂らして飲ませる。飲んでも飲まなくてもいいからいちおう解熱鎮痛剤とレスキューレメディーを携行することをすすめたけれど、それも断られた。いつもは体調が悪いと比較的すぐに出勤するのをやめて自宅作業にする人が熱があっても行くというのだから、出勤しなきゃならない理由があるんだろう。
わたしはといえば、ついこのあいだまで左手親指が痛くて不自由だったのが、こんどは肘が痛みだした。とくにぶつけたわけでもないのに肘から先を上げたり下げたりするたびに痛い。うちの家系にリウマチの人はいないはずだけど、これだけあちこち関節が痛くなるとリウマチの可能性も疑われてきてちょっと不安になる。
プロのお掃除屋さんのT氏によれば、いまのわたしはそうとう疲れているらしい。
それはいまハードワークをしているからというわけではない。
たぶん、これまで生きてきたことの、人生の疲れ。
見る人が見ればわかる。
スイミングクラブのおばさま方にはいつも「あなたは昔とちっとも変らない」といわれるけれど、そんなことあるわけないと思ってた。
水瓶座は人から褒められても舞い上がったりしないタイプ。
わたしは自分が変わったことをじゅうぶんに知っている。
だって、昔なら寿命だったくらいは生きたんだもの。
もう、とうに死んでしまった友達もいる。
そして、それはこれからどんどん増える。
「死」はこれまでよりもっと身近なものになる。
これからの時間を、生きていることの不思議を解き明かすことに使うのか、相変わらず少しでも収入を上げることに使うのかはわたし次第。アグレッシブな血を内包するわたしとしてはふたつ同時進行でいきたいところだけど・・・・・・。
目黒に着いたときはザーザー降りだったけど、ミーティングが終って外に出るころにはやんで晴れはじめた。おなかがすいて向かった先は、このあいだ偶然みつけた、アント・ミミ。
このあいだも気になった、「壁にかかった肖像画は誰ですか?」と訊いたら、ジョン・レノンを育てたミミおばさんだって。ビートルズの本は昔さんざん読んだからきっと忘れちゃっただけかもしれないけれど、はじめてミミおばさんの顔をちゃんと見た気がしたな。同時に即座に「Mama don't go!Daddy come home」と歌うジョンの絶叫が聞えてくるようだった。
いまごろ空の上でジョンはどうしてるだろう。
きっとピース・オブ・マインドにちがいないけど。
こことちがってそこは修行の場じゃないから。
それともふたたび地上に生まれ変わって?

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最初に小鉢とお漬けものの小さなお皿が出てきて、メインディッシュに玄米ごはんにお味噌汁、アフターにプチデザートと珈琲。それで1080円。
わたしが好きなカフェはどことなくみんな雰囲気が似てる。

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2018年4月18日 (水)

追憶のひかり

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ひさしぶりに笑ってる祖母の姿を見た。
瞼の中で。
それから懐かしい祖母の家と、父方の祖父の家と。
もうどちらもいまはない。あたらしく建て替えられた家があるだけで。
人間の記憶って、脳ってすごいよね。
もう何十年も行ってない家の細部までがフォログラフィックに見えるんだから。
そして結婚したころ住んでいたマンションの部屋。
それが見えた瞬間、浮かんできた自分のほんとの気持ち。
風が吹いてきて、なんだか気持ちいいなと思ったら明治神宮の原っぱの上に寝転んでて。脈絡ない映像についてきたのは「時は過ぎ去った」「もう何も戻らない」という言葉。そういう言葉、そういう思いさえきっとクリーニングされていくんだろうなと思いながら。
終わりのほうで耳の中で「プー」というブザーみたいな音が短く聞えて、やっとなんだか身体が楽になってきたと思ったところで玄関の鍵がガチャガチャ鳴って、早退してきたらしい息子が音を立てないように部屋にあがって自分の部屋に入り、ふすまの戸を閉める気配がした。とても静かな動作だったけど、そこで意識がぷっつり途切れてしまった。
その後もしばらく目をつぶって横になってて、それからゆっくり起きてベランダに出たら、夕陽が向かいのマンションの窓ガラスに当たって反射して振動派を出しながら強い光をこちらに跳ね返してきて、それはフェイク(疑似太陽)とも思えない強い光で、まるでわたしにメッセージを送ってきてるみたいだった。
爽やかに晴れ渡った雨上がりの空はとてもきれいで、でもそこにはすでに翳りもあって儚く、いま見たのってまさしくぜんぶ無常だな、と思った。
夜、やっと起きてきた息子は熱が8度以上に上がってて、まだまだ上がりそうだったから遅い夕飯のあと一緒に近所の病院の夜間外来まで行く羽目になった。
今年は間髪入れずに次々いろんなことが起きる。

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彼女の1番好きなバウムクーヘン

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つながってる人ってどうやってもつながってるみたいです。
今日、仕事仲間に「これ、わたしの1番好きなバウムクーヘンです」ってもらったペーパーバッグ。彼女と別れてからショップのロゴ見て驚いた。ついこないだ娘とちょっとパサパサした抹茶のバウムクーヘン食べながら、「やっぱり1番好きなのはユーハイムのバウムクーヘンだなあ」っていったばかりだったから。
ユーハイムのキンダー・バウムクーヘン。
娘に、ってくれたんだけど、朝いれた珈琲がまだ残ってたから、わたしもちょっといただいちゃった。小さなバウムクーヘンを3つにそっと切って。
ユーハイムっていうと昔、渋谷の駅の近くにあった。
ガラス越しに大きな大きなバウムクーヘンがゆっくり回ってるのを見るのはいつだって魅惑だった。わたしとMikiはドイツ語をやっていて。
いまでもあるんだろうか。
渋谷のユーハイム。

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2018年4月17日 (火)

Blue Landscape@NADiff modern

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ナディッフで18日までやってる知樹さんの個展を見た。
知樹さんの、いくつあってもほしくなる鳥。
ひとつとしておなじものがないから。

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絵はわたしは見たことあるのがほとんどだったけど、場所が変わるとまた見え方が変わって面白い。はじめて見たとき、これはまるでわたしが好きな鉱物みたいだなと思った、『わたしの海』

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ポップなプロフィール。

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ノートに変なメッセージを残した母に「あなたも何か書きなさい」といわれて何故か左手でメッセージを書く娘。いま気づいたけど頭の上にレインボー。

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ナディッフ・モダン、いい本屋。
店員さんも来るお客さんもセレクトされた本や雑貨も、かかってる音楽もセンスいい。今日は誰かはわからないけど、ノーブルな声でジェームス・テイラーの『Don't Let Me Be Lonely Tonight』をジャジーに歌う若い日本の女性ヴォーカリストのCDがかかってて、これ翠ちゃんが歌うとすっごくいいんだよ、と娘と話した。そうしたらめちゃくちゃ聴きたくなってしまった。
ほしい本を3冊みつけました。
40歳過ぎのオジサン、サンテグジュペリが20年下の女に入れあげて書いたというデッサン付きのラブレターと、没後20年にして新たに発見されたという詩稿からなる須賀敦子の詩集、それから酒井駒子の『森のノート』。
Amazonでもきっと買えるだろうけど、またここに来て買いたいな。

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2018年4月16日 (月)

あたらしいわたし

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今日、会社に半休もらって『わたし』を洗濯に出した。
ホームクリーニングじゃなくて、プロのクリーニング屋さんに。
わたしもいつか『純度100%のわたし』になれるのかな?
純度100%のわたしってどんなだろう、と、
想像している、日。

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2018年4月15日 (日)

どこにでも行ける!

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スレンダーな身体にショートヘア、白い肌に真っ赤な唇をしたその女の子が現れるまで、ギルバートは自分がどこにも行けないと思っていた。
昼間でも眠っているような、十年一日のごとく変わらない田舎町。
あるのは子どもの頃からの人間関係だけ。
飽き飽きするような日常・・・・・・
父は十年前に首つり自殺して、その父が建てた古い家には年頃の妹ふたりと片時も目が離せない手のかかる知恵遅れの弟、それに父の死後、ショックから過食症になって鯨のように太ってしまった母がいて、彼が唯一の稼ぎ手として近所の食料品店で働き、家族を養っていたからだ。
最初の数分見ただけで、ギルバートが置かれた行き場のない状況は手に取るようにわかる。若い青年にとってそれがどれだけ過酷な状況か。
仕事と家族の面倒に追われて疲れ果てた彼の現実的過ぎる現実には、どんな夢も希望も入りこむ隙間がないように思える。せいぜいあるのは、ときどき美貌の有閑マダムの誘惑に乗って茶番みたいな昼間の情事にいそしむくらいのことだ。
でも、そんな日常にあってギルバートは自暴自棄になることもなく毎日前向きに働き、根気強く家族の面倒を、とくに手のかかる弟の面倒を愛情もってみる。
それは考えたらみんな両親が放り出した仕事でもある。
この時点でギルバートはわたしにとっては神みたいなものだ。
どこまでも諦観に満ちた神。
彼は自分が何になりたかったのかさえ、もうすっかり忘れてしまった。
それを変えたのはあのショートカットの女の子だ。
そう、恋で!

彼らは視界に相手が入った瞬間に目がバチ!とあった。
それはまさしく互いの振動波がチューンして電気が弾けた瞬間だった。
生活に追われて空なんか見ることすらなかったギルバートにその女の子、ベッキーは「ねえ、見て。あの空。きれい!」と話しかける。
生まれてはじめて空を見るような目で空を見上げるギルバート。
いつだって世界はそうやってはじまるんだと思えるような美しいシーン。
一見、若く無邪気で自由気ままに生きているように見えるボーイッシュなベッキーもまた、実は自身の不幸から自力で立ち上がった、真の強さを持った大人の女性だった。知れば知るほど彼女の大らかなやさしさに毛布にくるまれるように包まれてゆくギルバート。
そこから彼の葛藤がはじまる。
ほしいものと捨てられないものとの狭間で。

終盤近く、意を決したギルバートが、家族の巣であり、因縁の根源であり、愛のかたちそのものでもある家を焼くシーンはとても象徴的だ。
彼はそこで家族が巣に戻るための橋をぜんぶ焼き払ったのだ。
自立。
そう、いつかは誰だって自立しなきゃならないんだ。
ここから出て行くこと。

今回十数年ぶりに公開されたというこの映画『ギルバート・グレイプ』は、文化村ル・シネマの企画で、『君の名前で僕を呼んで』公開記念特集上映企画、『すべて恋しき若者たち』のカテゴリで上映されたのだけれど、この映画には恋愛映画という以上に、人が前を向いて歩くのに必要なたくさんの重要な要素が含まれている。
いつも、誰がどう見ても絶望的な状況からなんの仕掛けもなくラストで一気に世界をパラダイスに変えるラッセ・ハルストレムの映画はマジックとしかいいようがなくて、わたしがこの監督を愛してやまない所以。
ラストでギルバートが歓喜に満ちた顔で「どこにでも行ける!」といった瞬間ドッと涙があふれた。わたしはこの映画におけるジョニー・デップの原点とも思える儚い美しさと、途方もない努力の堆積であったろうレオナルド・ディカプリオの驚異的な演技を忘れないだろう。
もう古い映画で画面には雨が降っていたけど、何度もDVDで観たこの映画を劇場で観られてほんとうによかった!

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2018年4月14日 (土)

ローズマリーとラヴェンダー

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休日だけどふつうに起きて、窓あけ放して掃除して、玄関掃いてドアを拭いてセージを焚いて花をいけた。さこうゆうこさんのコロンとしたヒヤシンスポットに、ベランダからとってきたローズマリーとラヴェンダー。
いい匂い。
ばらが咲くまであとすこし。

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2018年4月13日 (金)

ジャーマンカモミールの花が咲いた *

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ちょっと大きくなってきたラムちゃん。(ラムズイヤー)

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2018年4月 8日 (日)

どうにもならなかったこと

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うっかり忘れて見逃すところだった。
ちゃんとDMをもらっていたのに。
この間はグループ展だったけど、今回は個展だから見逃すわけにはいかない。
ぎりぎり最終日に滑りこんだタンバリンギャラリー。
渡邊知樹展『どうにもならなかったこと』
ドアをあけたら知樹さんとなっちゃんがいて、知樹さんに「なかなか来ないからいつ来るかってはらはらするじゃないですか~」といわれてしまった。半分冗談でもそんなふうにいってくれるのっていいよね?

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知樹さんの新作は、前回のにじ画廊『鳥の形を借りて線を引く』のときともまたちがう。線から面へ。そんな単純なことともちがうし、おなじブルーベースなんだけど何かがちがう。しばらく見ていたら、ああ春の色になったんだ、と思った。前回はもっとカタくて緊張感のある冬の色だった。それで、絵描きのこころとからだがちゃんと季節と連動して色にも表れるんだ、ってことを体感して、とても感慨深かった。
それと、絵でも音楽でもそうだし、いまさらこんなこというまでもないのだけれど、やっぱりウェブや印刷物で見る絵と実際に見る絵ってまったくちがうね。
たとえばこの絵、ウェブで見たときは(わたしは)ちっともいいと思わなかったんだ。
でも、ちょうどこの絵の前に置かれたテーブルについてしばらく眺めていたら、なんだかとても好きになってしまった。わたしの拙い写真じゃ、やっぱり見てる人には全然わからないかもしれないんだけれど・・・・・・
この絵のタイトルは『Letters』と名づけられたシリーズの中の『ずっと伝えたかったこと』。わたしには画面まんなか下の記号みたいのが漢字の『不』に見えて、今回の個展のタイトルにかけた暗喩なのかなとも思ったけれどどうなんだろう。

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この個展には今年のペペペ日めくりカレンダーにメッセージを書いてくれた吉本ばななさんも来てくださったそうで、「すっごくよかった」ってツイートしてるのをわたしも見た。そのばななさんが気に入ったという鳥の三部作。

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わたしが気に入ったのはさっき書いた『Letters』のシリーズ。
ギャラリーの絵の写真はわたしの相棒(カメラ)の最も不得意とするところみたいで、全然うまく撮れてないんですけれども・・・。
タイトル左、『子供たち』、右、『空の記憶』。

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もう1点の『Letters』は、『庭』。
これもよかったな。

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見るといつも思うけど、知樹さんの絵は清潔感があって、感覚的に汚れてない。
表層的でも薄っぺらでもない、でも清らかな光とともにそこにあって、その放たれたエネルギーを感じるから、家に連れ帰ってその空間の中にいたいと思うんだよね。
何が描かれてるかわからないから、ぼーっと眺めるのにとてもいいよ。
本来景色ってそういうものじゃない。
そこに秘められた意味や謎なんてわからなくても。
それでこころが解放される。
きっと、そんなふうに思う人はわたしだけじゃないはず。

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ギリシャにあるような海辺の真っ白い四角い家で、壁に好きな絵を飾って、壁にあいたまるい穴から海と空を眺めて暮らす。そんな生活を夢のように思う。
生きてるとどうにもならないことっていくらでもあるけど、それが白い紙の上でこんなふうに変幻するなら、それはもうそれで夢なんじゃないかって思いました。
上の絵は『空の展開図』。
下は、アラスカから来たという背の高い外国の男の人とブロークンで話す知樹さん。相変わらずコスチュームは豹。(あれ、トラだっけ?)
今年の今後の知樹さんの展示も楽しみです。

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四月の朝

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湿度がなくて気温低めの爽やかな朝。
わたしのベランダも日に日にばらがぐんぐん伸びてきて、だいぶいい感じになってきました。
去年は一年じゅう葉っぱしかなかったラヴェンダー。
2年めの今年はきれいに咲いた。
それから、ようやく大きくなってきたわたしのホワイトセージ。
セージって虫がつかないと聞いたのに、去年は白い葉の裏に同化するように白い綿毛みたいな虫がいっぱいついて、一時は枯れるかと思った。セージは湿度にも弱いから、そんな状態で夏越しできるか心配だった。それが徐々に調子を取り戻してきたのは秋になって気温が下がってきたころから。冬になっていくにしたがってほかの植物がだんだん休眠に向かうなか、セージは逆にどんどん元気になっていった。湿度さえなければ気温が低いのいっこうに平気らしい。植物も四季を通して一年つきあって、はじめてその性質がわかってくるなあ、と思う。ホワイトセージは生活の木ハーブ園でも滅多に入荷しないめずらしいハーブで、高温多湿の日本で育てるにはちょっと難易度の高い植物。
これを買ったのはシャレでクリスタルをスマッジングするためのホワイトセージを自家製できたらいいと思ってのことだったのだけれど、やっとそれが現実的になってきた。今日明日にも伸びたところを刈って天日干ししてみよう。

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それから春の陽射しの中で気持ちよさそうに咲いている綿毛みたいなセルリア。
プリティピンク。

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晴れてさえいればいつも日当たりのいいベランダがあって、洗いたての洗濯物を気持ちよく干せる。そんなささやかなこともたしかなしあわせだと思う。
日々に感謝。

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2018年4月 7日 (土)

柳は緑、花は紅

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わたしの部屋の窓から見える景色も変わりました。
つい先日まで視線の先をぐるりと桜のピンクが彩っていたのが、もうすっかりなくなって、いまは新緑の最初の、ごく淡い瑞々しい緑がうつくしい季節です。
でも、そう思って眺めていたら西の方角にまだ散らずに残っている桜をみつけて、今日はプール帰りにそこまで行ってみようと思った。
そうして、プールに行こうと家を出て、最初に目に入ったのは八重桜。
そう、いまは八重桜と花水木の季節でもある。

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そしてプール帰り、窓から見えた桜の下に行ったら、それは大きな山桜だった。

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上から見てると薄紅の雲みたいに見えたけど、近くに寄ると樹が大きすぎてこんなにまばらで、うしろの緑と渾然一体になって、それはそれで絵画的なうつくしさ。自然ってどこまでも偉大なペインターです。

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それから、咲き終わった枝垂れ梅の葉のなんという瑞々しさ!
わたしはむしろこの緑のカーテンのほうが好きなくらいだ。

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わたしが何度も角度を変えて写真を撮ってたら、自転車で通りかかった知らないおばさんが、「きれいに撮れた?」と話しかけてきた。「咲き終わったこの緑だけのもきれいよね」というから、「ええ、この緑がとってもきれいです」とわたしもいった。
東京の街からはだいぶ減ってしまったけれど、芽吹いたばかりの柳の木を見るのも好き。そして思わず頭のなかで呟くんだ。「柳は緑、花は紅」って。
自然はいつもあるがままでうつくしい。

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2018年4月 6日 (金)

春の嵐

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ひとつ年をとるごとに、それまでなったこともないようなものになるようになりました。
今年はドライノーズに、母指CM関節症。
このあいだから鼻が痛くて、鼻の中に何かできものでもできたんだろうと思っていたら、そのうち鼻がカサカサ・カピカピしてきて、ついに鼻の中が切れて鼻血まで出てきて・・・。もしや、と思って調べたらやっぱりそうだった。
ドライノーズなんてのも、なってみるとけっこうツライものですね。
ここのところ珈琲をすこし控えて、鼻の中をひまし油で保湿してる。
『母指CM関節症』のほうは、ちょうど足の外反母趾の手バージョンみたいな感じ。
左手親指の下の骨が変形して飛び出してきていて、何か持ったり、どうかした拍子にイタタタタタ・・・となる。小麦粉をこねたり大きな荷物を梱包したりカタイ瓶の蓋をひねったりしたときに手がおかしくなることはこれまでもあったから、もともと指の関節は強いほうじゃないと思ってたけれど、主に手の使い過ぎでなるらしい。痛みが酷かったときは毎晩湿布を貼って寝ていたけれど、いまは小康状態で、いつ整形に行こうかタイミングをはかりながら日々騙し騙し使っている状態。わたしの歳でこれだから、父の歳ともなればそりゃあ毎年不具合も出てくるだろうと思う。
今日、父の87歳の誕生日。
母が亡くなって18年。
もう父の口癖でもあるけれど、父はほんとうに長生きした。
いっぽうで友達もみんな亡くなっていなくなり、もう話し相手もいない、食べたいものもない、好きなクルマもないから行きたいところにも行けない、お金もないで、生きる楽しみが何もなくなった、という。そういう父に、「楽しみは自分でつくるものだよ」といってみたところで、幼少のころから不遇な家庭環境で育ち、でも戦中戦後を逞しく生き抜き、ひたすら働くだけで自分にささやかな贅沢をすることさえ許さなかった人には無理な話だろうな、と思う。
誕生日の今日も父はデイサービスに行っているし、わたしは今日は趣味の講座と仕事のミーティングがあるから実家には行けない。
こんなとき困るのは、誕生日のお祝いをいいたくても電話もできないこと。
耳が遠い父は電話が鳴ってもわからないから。
おまけに朝は晴れてたのに、なんだか急に雲行きが怪しくなって風もでてきた。
今日は夜から出かけなきゃならないというのに。
おととい夕飯ヘルパーに行ったとき、TVの天気予報でいってたけれど、そのとおりの天気になるのかな。
春の嵐。

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2018年4月 5日 (木)

THANNのハンドクリーム

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ハンドクリームがなくなったから買わなきゃ、と思っていたら友達からもらった。
つくづく同い年の女友達って考えてることがおなじで可笑しい。
去年のお花見のときもよく晴れて紫外線が強くて、彼女は手に白い手袋をしていた。
それを見てわたしも、うちの箪笥の引きだしにもあれがあったっけ! と大昔(オリーブ少女時代)文化屋雑貨店で買った白いコットンのレースの手袋を引っぱりだしてすることにしたんでした。もう長年、無防備で自転車に乗ったりガーデニングをしたりして手の甲にはシミができてしまっていたからわたしはすっかりあきらめていたのだけれど、でもそれから紫外線の強い外に出るときにはなるたけ手袋をして、ときどきお風呂でピーリングして、ハンドクリームを塗ってケアしていたら、だんだんシミが薄くなってきれいになってきました。
なんでも簡単にあきらめて放置するにあらず、みたいです。
それで先日、ホワイトニング系のハンドクリームをみつけたからこんど彼女に会うときにはそれを2つ買ってひとつプレゼントしようと思っていたら先を越された。
見るからにハイエンドな雰囲気のタン(THANN)のハンドクリーム。
去年、母と妹の3人で金沢に行ったとき泊まったホテルのアメニティで置かれていたのがこのタンのシリーズで、使ったらすごくよかったから、って。
あけてみたらすごくいい匂いがして、使ってみたらふつうのハンドクリームとちがって肌にすぐ馴染んでさらっとする。全然ベタベタしないから、これなら塗ってすぐカメラに触ったりコンピュータのキーボード叩いてもだいじょぶそう。
何より『Aromatic Wood』というこの香りがとてもよくて、これは息子が好きそうと思ったから、Amazonで石鹸をみつけて買ってみた。ちょうどバスルームの石鹸がなくなるところだったから。
パッケージも、石鹸の色もかたちもカッコイイです。
これひとつ置いただけでバスルームがいい匂いになりました♪

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2018年4月 4日 (水)

紅白咲き分け梅

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昔、まりちゃんが住んでた部屋の近くの紅白咲き分け梅。
野川の原っぱにもこんもり大きな木で咲いてた。
遠くから見ると、まるでピンクと白の綿あめみたいで、近くに寄るとポンポン咲きのかわいい花で、昔は桃なのかと思ってたけど、『源平咲き分け梅』っていうらしい。
昔、この花の前で写真を撮ってもらった。
あたらしい中学の制服を着た娘と。
撮ったのは息子。
フジのインスタントカメラで。
もうずっと昔のこと。

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春の焼き菓子

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わたし、わざわざ買ってまで焼き菓子は滅多に食べません。
もっぱらお土産で買うくらいかな。
どこかに行くとき、それからうちにはあまいもの好きの女の子がいるから。
MONO STYLEで『春の香りを運ぶ焼菓子』っていうのを見たとき、ああ、これはあのひとに送りたいな、と思った。わたしが転んで怪我したときに、真っ先にお見舞いを送って励ましてくれた同僚に。
お菓子の国の人だから、きっとおいしいものはいっぱい知ってるだろうけど、でもこの作り手、アンティさんのお菓子を買った人たちの感想がとてもよかったから。
ラッピングもかわいかったし。
で、同僚に送るついでに自宅にも送りました。
なんだかもうすっかり今年は春の香りを運ぶどころか、春飛び越して初夏みたいですけど、昨日届いて娘とさっそく食べた桜葉あんパウンドは、すごくしっとりした上品な桜の風味のケーキだった。

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それで今日は抹茶マドレーヌと、いちごのショートブレッド。
抹茶の渋い緑と苺のピンクの組み合わせがなんとも春っぽい。
アンティエさんの端正なお菓子は細部まで気が配られ、丁寧に作られたお菓子っていう感じで、このしっとりした食感と豊かな風味は、またぜひ食べたい味。
まさしく春の香りを運ぶ焼き菓子でした。
今日もお抹茶を点てたかったけど、切らしているのでフーガ珈琲さんのコロンビア・スプレモと。これがまた絶品なんだ。
水曜午後のひとり時間、今日のおやつ。

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2018年4月 1日 (日)

桜とつくしんぼ

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彼女とはいつも桜の季節に会う。
会うのはいつも1年に1度か2度だから、近況だけでもお互い話すことはいっぱいあって、午前中に待ち合わせたのに瞬く間に夕方になる。あっという間の半日。
だから会った後はすぐにでもまた会おうと言いあうのだけれど、気づくといつの間にかまた桜の季節になっている。
我々の世代は下の世代とちがって個で行動することを快とする人が多いし、それに自分の親がこの年だったときにくらべると我々はそれよりずっと忙しい生活をしていような気がする。貧乏暇なし。
今年も日に日に過ぎていくカレンダーを頭の隅で気にしながら彼女に連絡するタイミングをはかっていた。気になるのは野川の桜もだけど、つくし!
今年は一気に初夏みたいな陽気になっちゃったから、もう見られないかもしれないなあ。
そんなことを思っていたら、ふいに彼女からメールがきた。ソメイヨシノはあっという間に終わっちゃったけど、野川の枝垂れ桜はずっとチェックしていたの、って。
それで今年もここに来られた。
野川の桜もだいぶ傷んで、かつては両側から覆いかぶさるようにして咲いていた、いちめんピンクの春霞、とはいかなくなって、ずいぶんさびしい感じにはなってしまったけど、それでもこのピンクと緑のコントラストの景色は変わらず。
暖かな陽射しの下で、水の中にせっせと嘴を突っこんではエサを漁っていたカモ。
こんなのを見てると日常の雑事を忘れて、なんだかの~んびりします。

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それから今年もあった。つくし!
相変わらず春ともなると彼女は犬もいないのにこの辺を歩いたり走ったりしながら、毎朝チェックしていたらしい。
なぜ春になるとつくしが見たくなるのか、つくしを見るとこんなにうれしくなるのかわからないけど、同い年で小さいときさんざん原っぱで遊んだ昭和の子供の我ら。
いつか、『つくし』なんてものも日本人の頭からすっかり忘れ去られて、ただ教科書に載ってるだけの過去の遺物になるかもしれないな。そんな日もそう遠くはない気がするよ。

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こんなふうに、春の小川で遊ぶ子どもたちの光景も。

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年が同じだから自分たちの子供の年も親の年も、そしてその時々抱えている問題もほぼ一緒で、今日会った瞬間から我々が話していたのは、80越えたお互いの親のこと。つくづくいまの日本って超高齢社会で、いまやどこの家でも大なり小なり年老いた親のことが問題になってるらしい。。
長生きし過ぎるようになったことの弊害。
自分たちのいまこの時点のちゃんとした頭では、生きてる限り、自分の足で立って歩けて、自力で食べて排泄でき、最低限身の回りのことくらいできなければ生きている価値もなければ、楽しみもない、と思うけれども、自分たちだって先のことはかわからない。せいぜい、いまのうちにできる努力をするしかない。

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人間、ずーっとあったものがなくなったり、変わったりしてはじめてわかることってあるけど、これまで30年近くずっと二世帯住宅の上と下で暮らしてきたお姑さんが先日、狭窄脊椎症の手術と術後のリハビリで3ヶ月くらい下の部屋にいないときがあって、その間、彼女は実に伸び伸びとした自由な気持ちになったそうだ。それで、自分としてはこれまでだって我慢してやってきたつもりは全然なかったのに、やっぱり下を気にしながらストレス感じながら生きてきたんだということに気づいたらしい。
産科の母親学級で彼女と知り合ったのはお互い27のときだった。
いまでも思いだすのは、子どもが生まれて当初の予定より早く義理のご両親との同居がはじまったころ、建ったばかりの素敵な二世帯住宅に子どもを連れて遊びに行くと、彼女が夫の親と一緒に暮らしてて一番嫌なのは、赤ちゃんが泣くと「あらあら、また泣かして!」と姑がどかどか2階まで上がってくることだ、と言ったこと。
わたしが泣かせてるわけじゃないのに、と。
それから30年近く、姑はたまに1泊か2泊で出かけることはあったけど3ヶ月もいなかったのはそれがはじめてだという。
30年でたった1回!
主婦というもの、ほんとにひとりで自由にできる時間がない。
これまで経済的にも精神的にも苦労してきた自分とちがって、やさしくて穏やかな旦那さまのもと、専業主婦として何不自由なく豊かに平穏に暮らしてきたと思っていた彼女だけれど、この30年のあいだ彼女はわたしがしてこなかった苦労をしたんだな、と思った。
人生、いろいろ。
先日仕事仲間に会ったら、このあいだ友達のJAZZミュージシャンの結婚披露宴に招ばれて行った会場で、新婦の師匠であるサックスプレイヤーがスピーチで「結婚は、我慢です」と言った瞬間、まわりにいた数人の女性たちが思わずハンカチで涙を拭ったのをわたしは見逃さなかった、と言っていたけど、ほんとにそうね。我慢と忍耐。今生は学びと修行の場でしかないというからそれもしかたがないかと思うけど。
同い年の友人の目下の心配はお姑さんがまったく歩けなくなることだという。
お互い根が明るいし常に興味のあることもあるから楽しい話題も尽きないけれど、確実に昔とはちがう重たいものを抱えてるなあ・・・・・・。
ふだん家で日がな一日ほとんど誰とも喋らずに仕事してるから、彼女と別れるころにはすっかり声がハスキーヴォイスになってしまった。
上着なしでも暑いくらいだった日。
春の野川で。

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