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2018年3月 9日 (金)

EXA PIECO

18wasurenagusa03

昨日、買いものにいこうと階下まで下りていくと、ドアの外までYの怒鳴り声が聞えていて、ああ、またやってる、と思った。しばらくYの息子の姿を見なかったから、てっきりもう家を出たのかと思っていたけど、まだいたんだ、と思う。
聞えてくるのはいつもYの声だけ。
常軌を逸してすごい剣幕で怒鳴りまくるYの声だけだ。
うちもよくあったからよくわかるけど、思いきり親子喧嘩してお互いにエネルギーを発散しあってるならまだいい。でも、うちの息子とちがってYの息子はおとなしいのか、それともすっかりエネルギーを失くして鬱屈してるのか、息子が言い返している気配はない。
あれだけ大声でヒステリックに怒鳴りまくられて、血気盛んな若い男の子が黙っていられるなんて考えられない。逆に息子がYに恐れをなして静かに、ただひたすらじっと耐えているとしたら、あまりにもかわいそすぎる、と思った。
公営住宅に住んでいて最もシャビィに感じるのは、こういうとき。
昔、ジム・ローンのセミナーに行って、『貧乏は病気』と聞いたけど、まさしくそのとおり。貧乏は病気だ。延々と負の連鎖を生む病気。
そんなもの自分で断ち切らなきゃ。

空はまたすぐにでも降りだしそうな灰色で暗く、寒く、おかげですっかり頭の中を乗っ取られてしまった。それから自転車飛ばしてスーパー・マーケットでパスタの材料を買い、珈琲のデザートにエクレアを買い、ちょっと考えて迷ってからYの家の分も買った。
帰り道、頭の中で、「Y、もういつまでもそんなふうに息子を怒鳴るのはやめなよ。よくないよ。ときどき誰かを怒鳴りたくなる気持ちはわかるけど、息子はもうじゅうぶんに傷ついてるし、彼はあなたのたったひとりの息子じゃないの。彼のエクサピーコさんはこんなつらい人生をやるために、苦しみや悲しみを体験してそこからたくさんのことを学ぶために、覚悟してあなたを母親に選んであなたのもとに生まれてきたんだよ。もう、いいかげんそれに気づいて息子も自分もしあわせにすることを考えなよ」と話した。それからYのエクサピーコさんとYの 息子のエクサピーコさんにも話しつづけた。
楽しく大学に通っていたのに親の経済事情でやめざるをえなかった息子。
奇しくも、これもたまたま部屋の前を通りかかったときに電話で知らせをうけたNが激しく号泣するのを聞いて知ってしまったことだけど、Yの別れた夫は数年前に自死している。(ふだんからYの声は大きすぎるのだ。外まで筒抜け。)
もうじゅうぶんじゃないか・・・・・。

そうやっていろいろ考えながら家のすぐ近くまで来たとき、ある強い思いが湧いてそのことに自分でも打たれた。でもそれはいますぐじゃなくてもいい。Yや息子にいってあげたいことはいっぱいあるけど、今日はそんなことはぜんぶ奥にしまって、「スーパーで買ったお菓子だけどさ、甘いものでも食べて、お茶でものんで、すこしほっこりしなよ」とだけいって玄関でお菓子を渡して帰ってくるつもりだった。
でもYの部屋のチャイムを何度鳴らしても誰もでてこなかった。
うんともすんともいわなかった。
激しい親子喧嘩の後でYも息子も家を出て行ってしまったのだろうか。
それとも布団かぶってフテ寝してるとか。

家に帰って娘にいまあったことを話すと、「宗教やっててもなんの意味もないじゃない」というから、「そうなんだよ。あんな宗教に入るくらいだったらこの本(波動の法則/実践体験報告)読んでるほうがよっぽどほんとのことが学べるよ」とわたしはいった。そして「余計なお世話なのは重々承知してるけど、いつかYに話をしようと思う、もし息子と顔をあわす機会があったら息子とも話すかもしれない」といったら、娘は「かかわりあいにあらないほうがいいと思う」というから、わたしは「ちがうよ!」といった。「いままで自分もそう思ってたけど、それは全然ちがうってことがはっきりわかって、いま決心したんだよ。どんなに面倒でも人とかかわらなきゃならないときはかかわる。断固としてかかわる、ってね。有難迷惑だといわれるかもしれないし、嫌われるかもしれないけれど、嫌われるのなんてどうでもいい」。
わたしがそういうと娘は「でも刺されるかもしれない」というから、「あの子はそういうことをする子じゃない。それに刺されるのはYのほうだよ。あるいは自分をやってしまうか。ああいうおとなしくて静かな人がずっと我慢しつづけた上に切れるといちばんこわいんだよ。そんなことにでもなったらここは事故物件になってますます住めなくなる。三面記事に載るようなことになる前に気づけとYにはいうよ」。
今の世の中お節介否定論者は多いし、こういうことを書くと批判する人もいると思うけど、余計なお節介をしないでできるだけ他人と関わらないようにした結果がいまの無関心な世の中なんじゃないかと思う。
立派な邸宅に住んでいてもシャビィな公営住宅に住んでいてもそれぞれの家庭が抱える問題は様々で、同じ間取りの部屋でも住んでいても一歩部屋の中に入ればまるでちがう世界がひろがる。いまここを天国にするのも地獄にするのも自分なら、すこしでも調和のとれた世界で息をしていたいと思う。

ずいぶん花は落ちてしまったけど、毎日水を替えて、水の中にわずかに活性剤を入れていたのがよかったのか、まだもっている忘れな草。今日は水切りして活けなおした。
ワタシハアナタノコトヲワスレナイヨ。

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