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2017年10月16日 (月)

こころのブロックをはずすには

Lise_bourbeau

このあいだある女性と話してたとき、彼女が「わたしは子供を産んでないことに罪悪感を持っているんです」といったので、風邪であんまり声を出したくなかったにもかかわらず、「人には今生で持って生まれたミッションというのがあって、それは人それぞれみんな違う。子供を産んで育てるのがミッションの人もいれば、子供を持たずにGoing my way な人生を生きるのがミッションの人もいる、ただそれだけのことなんだから、他人に対しても自分に対しても、それに神さまに対しても罪悪感を持つ必要なんか全然ない。そんなものは早々に捨ててしまいなさい。ただ子供はとてもいいものだから、いまからでももし授かることがあったら間違いなくそれは宇宙タイングたから怖れずに臨めばいいし、逆に授からなくてもあなたにはあなたにしかできない素敵な人生があるんだからそれでいいのよ」と熱く力説してしまった。だって、こころに罪悪感なんか抱えてると間違いなく病気の素になるから。

子供を産む・産まないという問題だけにかかわらず、人は誰でも潜在意識の中に様々なブロックを抱えている。何かをして他人様からお金をもらうことに抵抗を感じるお金のブロックや、逆に自分のためにお金を遣うことに罪悪感を感じてしまうブロック。人の愛情を素直にうけとれないブロックや、愛情を素直に表現できないブロック。お金持ちに対するブロックや、貧乏人に対するブロック。容姿に関するブロックや、自分がこれまでしてきたことへの罪悪感によるブロック。人に理解されないことに孤独を感じつつも潜在的には自分の気持ちを明かしたくないブロックや、表現したいのと同時に人に見られたくないという自意識の二律背反のブロック、もう様々なブロック・・・・・・。

でも、くさい言い方かもしれないけれど、その様々なブロックを解かすのはいつだって愛なんだと思う。
このことろ小さな気づきがたくさんあって、たとえばわたしが負けず嫌いで気の強い女の人が苦手なのは妹がいるせいだったんだ、とか、わたしが初対面で女の人より男の人のほうがざっくばらんにリラックスして話せるのは母が6人兄弟の長女で、たくさんのいい叔父たちに囲まれて育ったからだった、とか、まあいろいろあるのだけれど、そのなかで最も大きかったのは、わたしはこれまでずっと自分が子供たちを守ってきたと思っていたけど、実は自分もまた子供たちに守られていたんだ、と気づいたことだった。まるで自分にとっての守り神みたいな存在。それはわたしにとってはちょっとした驚きだった。

昨日もそれをつよく感じることがあって、実は昨日わたしは出かけた先でとんだ失敗をしてしまって、それはいまのわたしにとってはけっこう手痛いミスだったから家に帰ってから人知れず落ち込んでいたら、素早く人の表情を読みとる息子が何かあったのかと聞いてきた。誰かにいうつもりもなかったし、息子にいえば「いったい何をやってるの」と責められそうなことだったから渋々話しだしたのだけれど、息子の反応は信じられないくらい寛容だった。そして、その寛容さに心底救われた。
頭の中で過去に似たようなことをしたときパートナーからどれだけ責められかということを思いだしたりしていたところだったからなおさらだった。
こういう失敗をしてこんなふうにいってもらえることもあるんだ、という驚き。
わたしは実際びっくり眼をしていたと思う。
息子は「そんなこと全然たいしたことじゃない。以上。この話はこれで終わり」といって、さっさと自分の部屋に戻って行った。
それでわたしも、もういいや、という気になった。
それは誰しもやりそうな間違いで、そういう行き違いが起こったとき、誰しもが自分とおなじような対応をするわけじゃない。それはまるで、ラッキーセブンの7777が逆に運悪くたまたま並んじゃったようなものにすぎないんだって。
そうして救われて自分のこころの中にあったブロックがひとつかふたつ取れた気がした。つまりは息子の愛ある言葉によって。
そういうのって、思いがけなくもらった花束みたいだ。

そこでもうひとつ思いだしたのは、「今朝うちの娘がガレージから車をだすとき壁にぶつけちゃってね。それをカミさんがしつこくガミガミガミガミ叱ってるんだ。娘はもう自分のしたことに驚いて反省して、すっかりしゅんとしちゃってるのにさ」という男友達の言葉。
そう、自分のしたことを反省してすっかり落ち込んでる人にそのうえガミガミいったりするのはまったくもって逆効果なのだった。わたしも母親からさんざんされたし、自分の子供にしたこともあるけど、それは人のこころにブロックをつくることにほかならない。そうやって、こころにできたブロックの中には人から植えつけられたものあるし自分でつくってしまったものもあるんだと思うけど、それを解除するのもまた誰かの言葉だったり、自分自身の気づきだったりするんだろう。
最終的には人を許し、自分を許すということ。

昨日はつめたい雨の中でかけて行ってたからものを手に入れたり、かと思ったらとんだ失敗をしたりという変な日だったけど、それを超えるいいことがあったから昨日はやっぱりいい日だ

写真は何かあるごとにひらいてみるリズ・ブルボーの『わたしを愛して』。
職場の上司が病気になったからといって心配するあまり、わたしの本棚から勝手にこの本をあげてしまった娘がAmazonで再度買い直してくれた。
たとえば、この本の『事故』の項を読むと、ふつう事故は偶発的なことだと思われているけどそれは単なる偶然の産物ではなくて、『偶然』というものは、神がわたしたちに語りかけるために使う手段のひとつに他ならない、と書いてあって「なるほど」と考えさせられる。

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