« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017年10月28日 (土)

Roses in the Rain

17lilac_rose_03

みんなすこし疲れが溜まってたみたいだ。
今朝、目が覚めたらもう10時半だった。
それであわてて起きて洗濯機を回しながらお湯を沸かし、珈琲豆を挽いた。
古い電動ミルが壊れて以来ずっと、毎朝プジョーの手動の珈琲ミルで豆を挽いている。あたらしい電動ミルもとっくに届いてるのだけど、プジョーの挽き目の調節もちょうどよくなったし、何より電動ミルより珈琲がまろやかでおいしいので。
時間がないから今日は珈琲とはちみつバタートーストだけの朝食。
シャワーを浴びて支度して、プールバッグを前かごに、もう何年越しでかぶっているカシミヤのニット帽をかぶって自転車で小雨の中をプールに行く。
そして今日行ったら2週間前のストレスが突然、解消した。
Hさんの一言で。
ホッとしたし、ああ、やっぱりこのひとはこういう人だったかと思って安心した。
ロバさんは「わたしは何も悪いことしてない」といっていたけど、まあ、それはそれとして近々おいしいものでもお取り寄せしたら、それ持ってHさんちに行こうと思っていたのだ。おなじ持って行くにしてもこれでずっと気が楽になった。
それから今日はコーチから、誕生日が一緒のあやこさんからの言伝。
クラブから電話したら、わたしにお茶杓をあげるって約束してたからこの数週間ずっとクラブに持って行ってたけど、あなた来ないしって。たしかに茶杓がほしいとはいったけど、あれって約束だったっけ、とか思う。お茶杓をいただくかわりに来週、近所にできたカフェでお茶とケーキをごちそうすることにした。もう長いつきあいなのに、そんなことも一度もしたことなかったから。
遥かに年の離れた女のひとたちとのつきあい。
そんなんでわたしの駄目駄目スイミングライフもまだもうすこしつづきそう。

写真は、雨の朝の凛としたライラックローズ。
大人のピンクというにふさわしいローズカラー。

| | コメント (0)

2017年10月24日 (火)

ヒヤシンス

17hyacinthus

月曜は実家に夕飯ヘルパーに行く日で、きのう父の夕飯時刻の6時前に着くと、父はホットカーペットをつけたうえに電気ストーブまでつけて部屋の中は暑いくらいだった。夕飯ヘルパーといっても、昨日も出がけまで仕事でバタバタしていて作る時間もなく、けっきょくまた駅前でお寿司を買って自分はお味噌汁を作っただけなのだけど。なかなかうまくいかない。

それでもとにかく生ものが好きなひとだから、こういうものさえ買って行けば前は喜んで食べてくれたのだけど、今日は最初のひとつを「うまい」といって食べたほかは、ちっとも箸が進まない。もう86にもなると前みたいに食べれなくなるんだ、とか、お父さんなんて一日二食、いや一食でもいいくらいだ、とか、まわりはもうみんな死んじゃってる歳だ、とか、食べるかわりに言いわけばかり延々と喋る。そのあいだにも作ったばかりの味噌汁は冷め、TVからはうるさいばかりに音が鳴りつづけ、食事中に聞きたくないような陰惨なニュースが垂れ流され、それでも父はTVに釘付けのまま、とんちんかんな相槌を打っている。それを見ているわたしは心底げんなりしてきて、わざわざ自分が時間を作ってあたふたとここに来る必要なんてないんじゃないかと思えてくる。

父と話していてももう自分の娘のことも孫のことも一緒くたで、何を言っているのかわからないくらいだけれど、それ以上に父はもうずいぶんふつうのことができなくなってきた。
食事をしていても咀嚼力もなければ飲み込む力もないから口の中のものがいつまでたってもなくならない。そのくせ口いっぱいに頬張るもんだから、なおさら牛が反芻するみたいにいつまでも噛みつづけている。もうそうなると、おいしいとかまずいとかじゃない。そういう食事はたぶん、父にとっては疲れるだけで、身体に必要なだけ食べられないからどんどん痩せて、とっくに体重は40キロを割っている。常にエネルギーが足りないから自力で体温を上げることもできず、夏でも冷たい手をしている。骨と皮ばかりになって、とうぜん筋肉も筋力もないから歩くことはもちろん、家の中で立ったり座ったり、食事中にちょっと姿勢を変えるのだって一苦労だ。困ったことに最近はトイレまで間にあわなくって、粗相をすることも増えたらしい。
そういう父の先にあるもののことを考えたらいずれは間違いなく寝たきりになるということで、そうなった父にいったいなんの愉しみがあるだろうかと思う以上に心配なのは、一緒に暮らす妹の大変さ。もちろん、そうなったらわたしだって他人事ではいられないけど、所詮わたしは一緒に暮らしていない人間だ。そんなわたしにいったい何ができるだろう?
毎日、父と顔つき合わせて面倒みなきゃならないのは妹なのだ。
こういうことはあまり悲観的になってもしかたがないと思うけど、かといっていまのうちにできる準備はさっさとしておいたほうがいいのではないか。
妹は医療従事者だから仕事場でも嫌というほど老人を見ていて、わたし以上になんでも知っているだろうし、それ以上に父との生活で日々いろんな問題に直面して痛感しているだろうと思うのだけれど、姉と妹の性格の違いというものなのだろうか。いつだって姉の思考のほうが早く、妹はスローときてるのだ。いくら姉妹といってもわたしは家を出た身であってそうそう何がいえるわけでもなく、いったところでうるさがれるだけで、いつも内心やきもきしている。
そんなだから、最近わたしが母の仏壇の前で祈ることも変わってきている。
父はもうじゅうぶん長生きしたし、何より当人がいつもそういっている。
もうやりたいこともなければ行きたいところもなく、食べたいものすらないのだ。
いずれいまよりもっと何も判別できなくなり、身体は動かなくなる。
でも妹にはまだ自分の人生がある!

最近話題になったけれど、欧米には日本のような寝たきり老人はいないそうだ。
何故かというとそれは単純な話、寝たきりになる前に亡くなってしまうからだという。
一生分の医療費のほとんどを終末医療で使ってしまうといわれるこの日本と違って、欧米では高齢者に対して不自然ともいえるような手厚い医療は施さない。
自力で食べることができなくなった高齢者を胃ろうにしたり、点滴で栄養を与えるようなことをしないばかりか、肺炎になっても抗生物質さえ打たないというのにはちょっとびっくりしてしまうけど、それは高齢者をないがしろにしているわけではなく、むしろ本人の命の尊厳をおもんぱかってのことだという。
自力で生きていくことができなくなった人間は自然と死に向かう。
それを無理やり現代医学の力で延命したりはしない、ということだと思う。
一概にどちらがいいとはいえないけれど、大学病院でがんの標準治療を受けている限り、80過ぎても90過ぎても再発すれば可能な限りオペをする、という、日本の医療のあり方にいつも疑問を感じているわたしには欧米のやりかたのほうがより自然な医療、自然な死に方に思える。
人間、ただ生きていればいいってもんじゃない。
日本の医療も、いつか欧米のようになるだろうかと考えるとき、それは社会や個人の死生観や思想が成熟するとかじゃなくて、もっと危機的な問題、いまもいわれている医療の崩壊によって物理的にそうならざるを得ないんじゃないかという気がする。そしてこの日本において精神の成熟なしにそうなったらなったで、それは新たな悲惨を生むんだろうなと思う。
この世に生を受けたかぎり、生きている間は何があっても生きなきゃならないし、死ぬタイミングは自分では選べない。全ては宇宙タイミングなのだとして、でも頭も身体もしっかりしているうちに、自分はどう死にたいのかをしっかり考えておかないといけない。

最近実家に行って気になるのは、いつでも仏壇の花が枯れていることだ。
仏壇の手入れは信心深い父の役目で、お父さんは花屋に行くのを楽しみにしてるからわたしは行かないんだ、と前に妹がいってたのに。
気力がないのか、お金がないのか。
そのどっちもなのかな。
昨日なんか仏壇の花はカラッカラに枯れて、花瓶に水も入ってなかった。
そういうの、母はいちばん嫌いだったのに。
だから最近は、食べものだけじゃなくて花も買っていく。
実家の最寄りの駅前の花屋は、なんてことのないふつうの花屋だけれど、よく切り花の蘭が安く売られていて、昨日は緑のシンビジュームがとてもきれいで、母はこんなシンビジュームが好きだったっけな、と思って買って行った。
「ほら、きれいでしょう」と父に見せると、父も「きれいだなあ!」と感嘆し、そう、この父は最近お墓参りに行っても花がきれいだきれいだというんだった。
蘭は買うときちょっと高くてもほかの花よりもつからいい。
わたしは仏花は嫌いだし。
シンビジュームを買って店を出てしまってから、外の鉢花の近くにヒヤシンスの球根をみつけて白いのをひとつ買った。家に帰って、ごはんの支度をするより先にヒヤシンスポットにセットした。何故だかしらないけどすごく急いた気持ちで。
ふだんは花瓶として使っている透明度が素晴らしく高くて美しいヒヤシンスポットは、さこうゆうこさんのです。

| | コメント (0)

シリアルブレックファースト

17breakfast11

ひさしぶりに光が射して明るい食卓。
ときどきパンを食べるのに飽きちゃって、今朝はヨーグルトにシリアル、キウイにフローズンブルーベリーをのせて。
それに青切りミカンにレバーデトックスティー。
緑と紫がきれいな朝。

| | コメント (0)

2017年10月22日 (日)

大雨、台風、投票日。

17sazanka

今日は土砂降りのなか投票に行って、一瞬でずぶ濡れになって帰ってきた。
結果は、、、、、、内閣支持不調でも自民勝利。
やれやれ!

| | コメント (0)

2017年10月21日 (土)

Seasonal Remains

17kinmokusei01

外はひどい雨だったけど、また雨に降りこめられて一日中ずっと家にいるのが嫌で、午後になって家を出た。でも出がけにちょっと慌てたせいかな。中身がいくらも入ってないお財布を持って来てしまったのに駅近くまで行ってから気づいて、suicaの中も空に近くて、目的地まで行けずに、近くのデパートで息子の好きなシュークリームを買って帰る、そんな日。
家を出てすこし行くなり目に入ったのは、駐車場のコンクリートの上をオレンジ色に染めていた金木犀の花びら。
暗いし傘は持ってるし、横殴りの雨がカメラにかかるし、しゃがむとリネンのパンツが濡れるしでうまく撮れなかったけど、季節の落としもの。

| | コメント (0)

雨の朝のかぼちゃスープ

17pumpkin_soup

雨の音を聞きながら眠り、雨の音で目覚めた。
もうずっと雨・雨・雨・雨・雨だ・・・・・・
うんざりする。
乾かない洗濯物、ペタペタするフィローリングの床、頭はしけった麩みたい。
昨日、夕方みんなでコーヒー・ブレイクしてたらチャイムが鳴って、郵便配達人から渡されたのは、平べったい大きな四角いダンボールの包み。
しばらく連絡のなかった友達からで、「LP?」と言いながらあけたら自分を描いた絵が1枚でてきた。添えられた手紙には「あんまりうまく描けなかったけど捨ててしまうのは悲しいのでヘタだけど送る」とあって、「親友の証です」と書いてあった。
その友達が描いてくれたわたしの絵はちっとも美化されてなくてそのまんまで、そこがいかにも生真面目な彼らしかった。美化されてないところが等身大で、つまりそれはわたしがありのまま受け入れてもらえてるってことで、友達の愛を感じた。
お金を払って描いてもらった誰の絵より。
そんなことがあったからかな。
昨日の夢に友達が出てきて、目が覚めるまでずっと一緒だった。
ごはんを食べたり買いものをしたり。他愛ない夢。
夢の中でも彼はわたしにせっせと何かくれようとしていて、わたしはべつに無理して何もくれなくてもいいんだけどなー、と思っていた。わたしはほしいものはなんでも自分で買ってしまうし、ひとから何かもらいたいとかあんまり思ってないから。
でもとにかく、彼が何か返したがっているのがとてもわかった。
夢は、どんなに他愛ない夢でもどこか何かが擦れ違っていてもどかしく、さみしい。
現実で一気にそれを埋めたくなる。

朝ごはんは、昨日夜な夜な作ったかぼちゃのスープ。
昔、母がはじめてこれを作ったときは新鮮だった。
粗挽きウィンナーがまるのままたくさん入ってて。
大きめに切ったかぼちゃが煮崩れてしまわないように、焼いてから入れたらいい感じにできた。粗挽きウィンナと、ホクホクかぼちゃがごろごろ入ったスープ。
土曜の朝は、泳ぐ2時間前までに朝ごはんをすましておきたいから夜な夜なこれを作ったのだけど、窓の外のひどい雨を見てたら、このなかを長靴履いて20分も歩いてプールに行く気が全然しなくなって、今日はスイミングを休んだ。
ぜんぶ行っても月にたったの4回しかないのに。
なんというていたらく。

| | コメント (0)

2017年10月19日 (木)

秋を通り越して冬

17green_ice04

昨日、東京は4日ぶりに晴れて、お日さま暖かいと思っていたら昨夜からまた雨。
今朝は起きた瞬間あまりに寒くて、すぐさま押し入れの引き出しからニットポンチョを引っぱりだして頭からかぶった。
まだガスファンヒーターを出すどころか、衣替えもしてないから寒くてたまらない。
でもつい先日まで29度の日があったのだ。
なんという急転直下。
今日の予想最高気温は12度。
今朝、都心では最低気温9.9度を観測して31年ぶりの冷え込みだという。
だとするとここはもっと気温が低いだろう。
こうなると気がかりなのは病を患っている人や高齢者、ホームレスや屋外労働者やのら猫のこと。折しも連絡のつかない友達のこと。
一日中雨でも洗濯物が出ない日はないから、晴れた日以外ずっと部屋干しで除湿機をかけている。一日暗い部屋で除湿機の音を聞いているとどうしたって気分は上がりようもないから、いっそもう街にでもでかけていきたい気分だ。
路面に面した暖かい喫茶店で、珈琲を飲みながらガラス越しに雨を見ているならこんな日も難なくすごせるだろう。若いときみたいに。
わたしは厳寒生まれの夏好きだから寒さにも暑さにも弱くはないけど、わたしが冬が苦手になったのは家族が3人になったあの年の冬からだ。それから何度も転職して、一軒家のあまり暖かくない二階の編集室で自分に不向きな校正をしたり、おなじく陽の当たらない一軒家の信じられないほど寒い事務所で営業事務をしたりして苦労した。とくに陽の当たらない一軒家の事務所ときたら屋内で仕事をしてるのに歯がガチガチ鳴って手がしもやけになるほどで、もう二度とあんな思いしたくないと思う。そんなやこんなで冬がすっかり苦手になった。とくに冬になってしまえばいいのだけれど、いまくらいの秋と冬の間がほんとにだめ。
思うに、冬が好きだというひとは、若くてしあわせで身も心もあったかいひとなんだと思う。昔、わたしもそうだったように。
ベランダのばらも、今日は秋を通り越して冬のいろ。

17_duchesse_de_brabant_04

| | コメント (0)

2017年10月17日 (火)

さよなら、コーヒーミル。

17coffeemill

あたりまえのことだけど、なんにでも終わりがくるね。
このところ電動コーヒーミルの調子が悪くて、なかなか電源が入らなかったり、入ってもモーターが変な音を立ててプロペラが回らなかったりして、とくに1杯分の少量の豆だとかかりが悪く、昨日はやっと挽けたものの持ってる部分が熱くなってモーターが焦げつくような匂いがして、ちょっとこわかった。今朝も最初に家を出る息子の珈琲をいれようとして1杯分の豆を入れたらかからない。多ければ挽くかと思ってさらにメジャースプーン山盛り2杯入れて電源を押したけど、モーターが空回りしてるみたいな唸り音がするだけで、ぜんぜん回らなかった。あきらめてコンセントを抜いたら、コードの穴からうっすら煙が出てきて、ついに終了。こんな電動ミルなんて安いもんだし、たかが機械といったらそうなんだけど、もう25年以上も毎日使ってきたことを思うとそうドライにもなれなくて、朝からなんだかさみしい気持ちになった。
「コーヒーミルがついに壊れた!」
みんなより遅く起きてきた娘にいったら、「えー、ついに~」という。
「埋葬したいね」と娘がいうから、「たしかにそんな気持ちだね」とこたえた。
だってこのコーヒーミルくんはこれまでほんとうによく働いてくれた。
1日2回から3回。あの働き者の洗濯機より働き者だ。
本体に不釣り合いなデカくて不格好なコンセントが付いているのは、最初に電源が入らなくなったときに元家族だったひとに直してもらったから。
あのひとは電気工事が得意な器用な人だった。
そんなこともあってなおさら愛着を持って使ってきたのかもしれない。
男でも女でも、電気仕事ができたり大工仕事ができたりクルマの運転がうまかったりする人に憧れる。自分ができるようになったらいいのかもしれないけれど、なんでもできて他人を必要としない人になりたくないから、いつまでもできないままにしておく。そのほうがきっとやってくれる人がでてくる気がするし(絵のときみたいに)、大体においてそんなことはじめから自分にできるような気がしないしね。

それで今朝ついに電動ミルが壊れたので、今日は滅多に出てこない手動のミルをだした。何年か前の母の日に、息子に買ってもらった燦然と輝く我が家の家宝のプジョーのミル!
でもまだ2回くらいしか使ったことなくて、挽き目の調整がちゃんとできていないのだった・・・・・・。食卓でわたしが「あれ? おっかしいな」といいながらガリガリやってるのを横目に、「ぼく今日、珈琲いらないから。お湯のむ」と、息子はさっさと食卓を立って行った。
・・・・・・ですよね。

で、次にわたしがすべきことは洗濯機や炊飯窯と同じくらい必需品である電動ミルを新しく買うことなんだけど、それは前に超オタクともいうべき人たちの研究サイトをつぶさに読んで比較してあるから、たとえサルがやっても常に同じ挽き目で挽けてノン・ストレスな電動ミルがどれなのかはよくわかっている。でもそれはいまのわたしには高価で贅沢すぎるから、とうぶん買うのは無理だろうなあー!
となると、あとは勢い安いののどんぐりの背比べで大差はないのです。
どれだけくらべたところで帯に短し、襷に長し。
そんな廉価な電動ミルの中でも、このフィリップスの電動ミルはよくできたヤツだった。機能はいたってシンプル。
珈琲豆を入れたらスイッチを押しながら本体を振って挽き目を自分の勘で調節するだけ。挽けたら蓋を押さえてひっくり返して本体をトントン!とたたいて本体中央を回しながらコードを仕舞い、蓋をはずしてペーパーをセットしたドリッパーにバサッと入れる。蓋に残った粉を木の小さいヘラでこそぎ落とし、ティッシュペーパーできれいにふき取って終わり。もう何十年もやってるから一連の動作は流れるがごとし。
フィリップスはもう十数年も前に電動ミルを作るのをやめちゃったらしいし、この単純な機能がいま現行のほかの一流メーカーの電動ミルにはないって、どういうことでしょうね? いろいろ余計な機能は付いているのに、この、するするっとコードが巻ける機能がないというのは?
いったいメーカーは何を考えて製品を作っているのか。
テクノロジーは日進月歩で進化しているというけど、こんなアナログなところで後退してるとはね。よくわかりません。
でも、しかたがないからAmazonで○リタのあれを買うしかないんだろうなあ・・・・・・

フィリップスのコーヒーミルくん、ありがとう。
いままで君はほんとうによく働いてくれました。
おつかれさま!
そして、今度こそ、さよなら!

| | コメント (0)

2017年10月16日 (月)

こころのブロックをはずすには

Lise_bourbeau

このあいだある女性と話してたとき、彼女が「わたしは子供を産んでないことに罪悪感を持っているんです」といったので、風邪であんまり声を出したくなかったにもかかわらず、「人には今生で持って生まれたミッションというのがあって、それは人それぞれみんな違う。子供を産んで育てるのがミッションの人もいれば、子供を持たずにGoing my way な人生を生きるのがミッションの人もいる、ただそれだけのことなんだから、他人に対しても自分に対しても、それに神さまに対しても罪悪感を持つ必要なんか全然ない。そんなものは早々に捨ててしまいなさい。ただ子供はとてもいいものだから、いまからでももし授かることがあったら間違いなくそれは宇宙タイングたから怖れずに臨めばいいし、逆に授からなくてもあなたにはあなたにしかできない素敵な人生があるんだからそれでいいのよ」と熱く力説してしまった。だって、こころに罪悪感なんか抱えてると間違いなく病気の素になるから。

子供を産む・産まないという問題だけにかかわらず、人は誰でも潜在意識の中に様々なブロックを抱えている。何かをして他人様からお金をもらうことに抵抗を感じるお金のブロックや、逆に自分のためにお金を遣うことに罪悪感を感じてしまうブロック。人の愛情を素直にうけとれないブロックや、愛情を素直に表現できないブロック。お金持ちに対するブロックや、貧乏人に対するブロック。容姿に関するブロックや、自分がこれまでしてきたことへの罪悪感によるブロック。人に理解されないことに孤独を感じつつも潜在的には自分の気持ちを明かしたくないブロックや、表現したいのと同時に人に見られたくないという自意識の二律背反のブロック、もう様々なブロック・・・・・・。

でも、くさい言い方かもしれないけれど、その様々なブロックを解かすのはいつだって愛なんだと思う。
このことろ小さな気づきがたくさんあって、たとえばわたしが負けず嫌いで気の強い女の人が苦手なのは妹がいるせいだったんだ、とか、わたしが初対面で女の人より男の人のほうがざっくばらんにリラックスして話せるのは母が6人兄弟の長女で、たくさんのいい叔父たちに囲まれて育ったからだった、とか、まあいろいろあるのだけれど、そのなかで最も大きかったのは、わたしはこれまでずっと自分が子供たちを守ってきたと思っていたけど、実は自分もまた子供たちに守られていたんだ、と気づいたことだった。まるで自分にとっての守り神みたいな存在。それはわたしにとってはちょっとした驚きだった。

昨日もそれをつよく感じることがあって、実は昨日わたしは出かけた先でとんだ失敗をしてしまって、それはいまのわたしにとってはけっこう手痛いミスだったから家に帰ってから人知れず落ち込んでいたら、素早く人の表情を読みとる息子が何かあったのかと聞いてきた。誰かにいうつもりもなかったし、息子にいえば「いったい何をやってるの」と責められそうなことだったから渋々話しだしたのだけれど、息子の反応は信じられないくらい寛容だった。そして、その寛容さに心底救われた。
頭の中で過去に似たようなことをしたときパートナーからどれだけ責められかということを思いだしたりしていたところだったからなおさらだった。
こういう失敗をしてこんなふうにいってもらえることもあるんだ、という驚き。
わたしは実際びっくり眼をしていたと思う。
息子は「そんなこと全然たいしたことじゃない。以上。この話はこれで終わり」といって、さっさと自分の部屋に戻って行った。
それでわたしも、もういいや、という気になった。
それは誰しもやりそうな間違いで、そういう行き違いが起こったとき、誰しもが自分とおなじような対応をするわけじゃない。それはまるで、ラッキーセブンの7777が逆に運悪くたまたま並んじゃったようなものにすぎないんだって。
そうして救われて自分のこころの中にあったブロックがひとつかふたつ取れた気がした。つまりは息子の愛ある言葉によって。
そういうのって、思いがけなくもらった花束みたいだ。

そこでもうひとつ思いだしたのは、「今朝うちの娘がガレージから車をだすとき壁にぶつけちゃってね。それをカミさんがしつこくガミガミガミガミ叱ってるんだ。娘はもう自分のしたことに驚いて反省して、すっかりしゅんとしちゃってるのにさ」という男友達の言葉。
そう、自分のしたことを反省してすっかり落ち込んでる人にそのうえガミガミいったりするのはまったくもって逆効果なのだった。わたしも母親からさんざんされたし、自分の子供にしたこともあるけど、それは人のこころにブロックをつくることにほかならない。そうやって、こころにできたブロックの中には人から植えつけられたものあるし自分でつくってしまったものもあるんだと思うけど、それを解除するのもまた誰かの言葉だったり、自分自身の気づきだったりするんだろう。
最終的には人を許し、自分を許すということ。

昨日はつめたい雨の中でかけて行ってたからものを手に入れたり、かと思ったらとんだ失敗をしたりという変な日だったけど、それを超えるいいことがあったから昨日はやっぱりいい日だ

写真は何かあるごとにひらいてみるリズ・ブルボーの『わたしを愛して』。
職場の上司が病気になったからといって心配するあまり、わたしの本棚から勝手にこの本をあげてしまった娘がAmazonで再度買い直してくれた。
たとえば、この本の『事故』の項を読むと、ふつう事故は偶発的なことだと思われているけどそれは単なる偶然の産物ではなくて、『偶然』というものは、神がわたしたちに語りかけるために使う手段のひとつに他ならない、と書いてあって「なるほど」と考えさせられる。

| | コメント (0)

東京は46年ぶりの寒さ

171016halogen_heater

昨日あれだけ降ったのに、今日もまた雨だ。
朝カーテンをあけたら向かいの棟の階段を見覚えのある猫が駆け下りてきて、濡れたくないの、とでもいうように、つま先立ちでタタタっと走って駐車している車の下に潜りこんだ。
思わず「みずたまちゃーん!」と大声をだして呼んだけれど、自分のことだと思ったのかどうだか。
一日、雨で寒くて暗い。
と思ったら、今日東京は最高気温が15℃下回って46年ぶりの寒さだとか。
どうりで寒いわけだ。
たまりかねて足もとにハロゲンヒーターとラプアンカンクリのショールをだした。
まだ10月なのに。

| | コメント (0)

2017年10月15日 (日)

雨のもみじ市

2017momiji_ichi

お金の遣いかたでいちばん贅沢なのは旅だと思います。
旅って無形の財産だから。
だから何を置いても、少々無理をしてでも直感にまかせて行くときには行く年下の友人の行動力が時々とても羨ましくなってしまう。もちろん、自由の利く仕事だからということもあるだろうし、若さもある。ダブル・インカム・ノー・チルドレンということも大きいかもしれないけれど、それ以上に彼女が自分の人生のハンドリングができてるからなんだろうと思う。
わたしも行きたいところがあって500円玉貯金をしているのだけれど、なかなか溜まらない。途中でほしいものができて貯金箱を開けちゃうから。
でも時間が経ってもどうしても頭から離れないもの、惹かれてやまないものってきっと自分の深いところと関係してて、もうどうしようもないんだと思う。
わたしってほんとにダメだなあ・・・・・・。
またしてもブタの貯金箱を開けてしまった。
去年はわたしの相棒で生活の必需品(の、カメラ)。
今年は・・・・・・
べつにそれがなくても生きていけるけど、あったらやっぱりこの先ずっと末永くつきあっていける相棒。そして娘にだって引き継いでいけるもの。

西武線を使うものにとって京王線って、ぜんぜん縁がない路線なんです。
何度も乗り換えなくちゃならなくて不便だし。
滅多に乗らない。
しかも今日も朝から雨。

でも、どうしても会いたい人、手にとって見たいものがあって京王線に乗って出かけた。
先週みたいなお天気だったらどんなによかったでしょう!
あいにくの雨のもみじ市。
傘をさしてレインブーツで出かける。
でも雨の割にはけっこうな人だった。

目指すブースにその方は立っていらして、彼女にお会いするのは4月の『みどりのクラフト』以来、これで2回め。
はじめてのときは彼女を前にして妙に緊張してあわあわしてしまった。
今日もやっぱり内心あわあわしてたのかもしれない。
買う予定だったものはすでに誰かの手に渡っていて、でもそれよりかわいいサイズのものを手に入れることができた。
わたしのあたらしいたからもの。

たくさんの個性的な出店者たちによる魅力的な作品をゆっくり見て歩きたかったけど、何せ雨がひどくて店先をゆっくり歩いて一巡しただけ。
でもそんななかでもフード系のショップは行列ができていて、雨の中わずかに設けられた屋根の下で立ったままひしめきあって物を食べる人々・・・・・・
ここは天気さえよければ草っぱらにレジャーシートを広げてピクニック気分でごはんが食べられてサイコーなんだけど、立ったまま物を食べるのはわたしとしてはNGなのでドリンクを買うのもあきらめて、唯一『かいじゅう屋』さんの行列に並んだ。
やっとあと数人、というところでパンが売り切れて買えなかったけど。

雨がひどかったから相棒と行ったけど撮った写真は2枚だけ。
いつか、道を訊くためだけに入った西荻窪のお花屋さんがとても感じよく教えてくれたのでいつか花束をつくってもらおうと思っていたのだけれど、そのお花屋さんが出店してた。
看板が素敵だったのでパチリ。

2017momiji_ichi01

もみじ市は前に2回ほど行って、わたしはもういいかな、と思っていたのだけれど、今日あの方の来年の夢を聞いてしまったから、また来年も来るかもしれません。
そのときは友達と来たい。
天気のよい秋の河原ですごすスローでピース・オブ・マインドな一日。
そのころ、今日買ったわたしの相棒も1年分の年季が入っていることでしょう。

今日、かいじゅう屋さんで買ったチョコレートチャンクマフィンと大麦チョコクッキーとかぼちゃのクッキー。ご夫婦のあいだで小学生くらいの女の子が黙々と販売を手伝ってて、思わず「お手伝いえらいね」といったら、そのときはじめて硬かった表情が崩れて笑顔になってかわいかった。子どもって健気なもんです。
4月の『みどりのクラフト』で買ったユーリさんの白樺のまるかごに入れて。

2017momiji_ichi03

| | コメント (0)

2017年10月14日 (土)

秋のセントセシリア

17_stcecilia

うまくいかないな。
体調が悪かった先週は秋晴れの三連休だったのに、今週はつめたい雨がふる土曜日。病み上がりで2週間ぶりにプールに行ったら、同じレーンで泳ぐ誰かさんの様子がおかしくなっていた。あれほど仲良くしていたのに、話しかけるとそっぽを向かれる。
思い当たることがあるとしたら3週間前、Rさんが彼女のバタフライを見ながら「形はきれいにできてるのに何故あまり進まないんだろう」といったことだ。わたしも、ちょっと上手いコーチがアドバイスすればすぐに良くなりそうなのに、という意味で、「前はあれだけいい第二キックが打ててたんだから、また進むようになるよ」というようなことをいった。誰も彼女を揶揄したり、からかったりしたわけじゃない。泳ぎに関するまじめな話。それでそんな話はプールではいつも誰かがしていることだ。まして彼女の泳ぎが遅いせいで迷惑だなんて誰もいってない。でも何かが彼女のプライドを傷つけてしまったらしい。
人ってほんとに難しい。特に女の人は難しい。
いつでもどこでもヒソヒソ内緒話をする女たちを見かける。
直接かかわったこともない相手から目が合うなりあからさまにフン!と嫌な顔して顔をそむけられたことがある。自分のいやな顔を相手の記憶にインプットして何が面白いのと思うわたしは、そういうことをする人の気持ちがぜんぜん理解できない。言いたいことがあるならはっきり言えばいいのにと思う。でも、こちらも外出した先でいやな思いはしたくないから、そういうことをする人にはできる限り近づかないようにしている。大体、相手によって態度えを変える人って大嫌いだ。子供のころはいじめられっ子だったから同級生の女の子から仲間はずれや無視やら様々な意地悪をされたけど、いい歳の大人になってまでまだ小学生の女の子みたいなことしてるかと思うとほんとにバカバカしくなる。
でも、これまでうちのスイミングクラブはそういうことがあまりないのがいいと思っていた。年が違っても貧富の差があってもみんなあっけらかんと好きなこと言えるのがいいと思っていたし、それだから15年もつづけてこられた。その最たる人が彼女だと思っていたのに。世話好きの姉御肌で気前のいい、さっぱりした男前の性格。
だから今日はなんだかとってもがっかりしてしまった。
がっかりしたついでに毎回今日みたいだとたまんないから、もうやめちゃおうかな、と考えた。どっちみちたいして進歩のないスイミングだ、理論だけなら15年分、もう人に教えられるくらい頭に入ってる、スイミングの本もあるしDVDもある、この先はひとりで市民プールにでも行って独学でやるかな、と。だがしかーし、もともとアスリート気質でもないわたしにそんなことがつづけられるはずもないのだった。

いつでもどこでもいちばんめんどうくさいのは人間関係だ。
息子はもういろいろ変え時だっていう。
そうかもしれない。

そしてこんなとき、人間の顔色伺ってるより、ばらや鉱物眺めてるほうがずっといいと思ってしまうわたしなのです。

写真は寒い雨の朝に咲いたセント・セシリア。
秋のセント・セシリアはピンクがつよく乗った。
ひさしぶりに見る、完璧なかたち。

| | コメント (0)

2017年10月10日 (火)

ささやかな主婦の日常

17fukin

晴れたら晴れたで朝からやることが多くて思わずため息がでてしまう。
つまり、まだ体力が完全に戻ってないっていうこと。
昔、食の好みが違う旦那とふたりの娘のために毎朝それぞれ和洋別の朝食をつくっては自分は珈琲1杯しか飲んでなかった親友が、「トイレ掃除をして、きれいになったトイレに一番最初に入るがささやかな主婦のたのしみ」といっていて、「それじゃあまりにもささやかすぎるぜ!」といったことがあったけど、同時にそういう彼女だったらどんなことがあっても絶対に離婚なんかしないだろうと思っていた。
その彼女がいろいろあった末についに離婚して、わたしはそれまでの価値観が崩壊するのと同時に、そうか、相手のあることにおいてこの世に絶対なんてものは存在しないんだ、と悟るに至った。そして『花様年華』のヒロインが映画の中で言った言葉を思いだして、ちょっとだけ溜飲が下がる思いがした。ずいぶんと長いこと自分を責めていたから。

トイレ掃除をしながらふとそんなことを思い出す朝。
主婦が数日掃除をしてないだけでたちまち家の中はきたなくなる。
晴れた朝、ふきんをまとめて洗って鍋で消毒して干した。
すっきり。
ささやかな主婦の満足。

| | コメント (0)

2017年10月 5日 (木)

来たものをうけとる

17nodoame

思うに、いつもふつうにやっていることができないときっていうのは、すでに疲労が蓄積しているときなんだと思う。そして、ひとたび病気になると、それがたかが風邪くらいのことであっても、それまでふつうにできたことが全然できなくなってしまう。もうだるくておっくうでつらくて。

昨日の朝起きると、喉が焼けるように痛かった。
今週は月曜に父のところに行けなかったから、おととい野菜カレーをたくさん作って半分持って行こうと思っていたのだけれど、作ってる途中でなんだか異常に疲れてきて、おまけに思っていたより手間も時間もかかって、「もう今日は行けないや」とあきらめてしまった。行ったり行かなかったりじゃ向こうとしてもちっともアテにならないよなあ、と思いながら。
それでやっとカレーができあがって外も暗くなったころ、ここ数日ずっとガスレンジの電池がチカチカしていたことを思いだしてスーパーに単1電池を買いに行き、ついでに重いのにボルヴィックの1.5リットルを2本買って帰った。なんだか妙に口の中が渇いて。
そして夕飯を食べるころになって喉の痛みに気がついたのだった。
喉の奥を見ようと、鏡の前で口をあけたら舌の裏には口内炎。
喉の奥は真っ赤。
おとといの夜、お風呂の順番を待つ間についうっかりうたた寝しちゃったのがよくなかったらしい。意識の端で「寒いなあ」と思いながらうとうとしていのだ。
今週は金・土と仕事で人と会う約束が入っていたから、これはまずいと思って、そこからはできるだけのことをした。薬箱から去年のちょうどいまごろ処方された抗生物質を探し出して、寝る前には整形で出された消炎湿布剤を首に貼ってシルクの巻きもの、竹布のおやすみソックスを履いて、竹布のマスクの裏にはユーカリとペパーミントを垂らして、それをして寝た。
それでなんとか一晩寝たら何もなかったことにならないかと期待したのだけれど、翌日の起きたら焼けるような喉の痛みだ。
こうなるともうとても起きていられるような感じじゃないし、医者に行く気力もない。おまけに外はいきなり寒い。
こうなったらもう寝てるしかない。
それで丸一日、寝たり起きたりしていた。
風邪で寝こむのなんていつぶりだろう?
そして夕方、誰もいなかったから自分でバスルームの掃除をしてあたらしいお湯を溜め、溶かしたヒマラヤソルトを入れて、さあ、お風呂に入ってすっきりしよう、と思って一応熱を測ってみたら、37.8分まで上がっていた。どうりでなんだか寒気がするわけだ。
そこでハタと、これでお風呂に入っていいものかと思いあぐねてしまって、インターネットで検索したら、最初にヒットしたサイトでなんとおなじみの顔が出てきたのには笑ってしまった。


 風邪で熱があるときの入浴はOK?

こんなところで自分たちがやっていることが使われてるとは。
でも、これを見た時点ですでに食欲は全然ないし、関節痛もあったし、ひどくだるかったのでお風呂に入るのはあきらめて、夕飯食べたら早々に寝ることにした。
そして不思議なのは、病気になるといくら寝ても寝ても寝られること。
昼間あれだけ眠ったのに、枕に頭をつけると吸いこまれるように眠ってしまう。
ふだんはまわりの音とか光に敏感でなかなか寝つけないほうなのに、もうそんなのもおかまいなしでひたすら眠る。
きっともう眠ることでしか復活できないことを身体が知ってるんだと思うし、そこまで疲れていた、ってことなんだろう。
そしてこれまた不思議なことに、身体がちょっと復活してくるといきおい眠りつづけてはいられなくなる。眠ることにもいいかげん飽きてきて、変な時間にパッと目が覚めたりして。そのとき頭がハッキリしていればかなり復活してきたってことだと思う。
今朝は早朝にパッと目が覚めて、ああ、もうだいじょうぶだ、と思った。
昨日はほんとうに死ぬほどつらかったから、心底「たすかった」と思った。
鏡に映る自分はまだひどい顔をしていたけれど、起きてきた息子に「よく1日でそこまで持ち直したね!」といわれた。昨日は、「そのぶんじゃ金曜出かけるのはとても無理だね」といわれていたのだ。
でもたった一日半寝ていただけで背中といい、お尻といい、脚といい、どこもかしこも痛くて、そこで気づくのは『寝たきり老人もラクじゃない!』ってこと。
ほんとうに『一生寝たきりにならずに寿命をまっとうする』っていうのは現代人の課題だと思うし、高齢者ってほんとに毎日生きてるだけでも難義なことだと思うから、お年寄りにはもっと配慮してあげないといけないと思ったのでした。わたしの年でふつうの風邪くらいでこれだけつらいんだから、年寄りが風邪ひいたりしたらヘタしたら命とりだと。
あれだけ好きな珈琲もまったく飲まなかったし、飲みたいとも思わなかった。
実際、飲んでも口の中がおかしいから全然おいしいと思えない。
甘いものもしかり。
つまり、究極にいうと身体の具合が悪いときでも食べたり飲んだりできるものがほんとうに身体にいいものといえるんじゃないかな。
梅干しの入ったおにぎりと味噌汁とか、塩かけたおかゆと梅干しとか。

思えば、宇宙マッサージに行ったあの日、すでに自分はずいぶん疲れていたように思う。雨ばかりの冷夏で意気上がらなかった8月に次いで、9月はいろいろヘヴィなことがつづいた月だったから。そして誰でも宇宙マッサージみたいなものをうけた後には、例えば『劇的に身体が軽くなった』とか、『奇跡的に状況が改善した』みたいな『いいもの』しか期待・想像しないのだろうと思うけど(わたしもまたしかり)、実際のところは『その人にとっていまいちばん必要なもの』が来る、ということにすぎなくて、わたしにいま必要だったのがこの『風邪をひいて寝こむ』ということだったのだろうと思う。
風邪は身体の大掃除、だから。
そう思って、甘んじてしっかとうけとめました。

写真は昨日、仕事帰りに息子が買って来てくれたのど飴。
「おいしいのじゃなくて効きそうなヤツをと思ってさ」とのこと。
でもこれおいしかったです。

| | コメント (0)

2017年10月 1日 (日)

温室へ

17herb_botanical_garden

このあいだ神保町の『温室』に行ったら本物の温室に行きたくなって、午後は近所の東京都薬草植物園へ。

17herb_botanical_garden_01

前にも書いたかもしれない。
わたしは生まれた場所こそ東京23区だけど、わたしが生まれた年に宅地建物取引主任者の資格を取って不動産屋に転職した父の勤め先の関係で、ちょうどいま住んでるあたりに引っ越してきて、小学校に上がる1年前まで過ごした。
いまでもわたしの住むここは東京の郊外であることには違いないけれど、当時はほんとうに田舎で、辺りは畑ばかり。高い建物なんかぜんぜんないし空気もきれいだから山の稜線がそう遠くないところにきれいに見えて、近くを通る電車も30分に1本くらいしか走ってなかったんじゃないかと思う。ときどき数駅先の町まで買いものに行くのに、母と隣りのおばちゃんと3人で手をつないでよく線路の上を歩いて行ったのを憶えているから。
遊び場は井戸のある大家さんちの庭や近所の土埃のする畑の横の道。よくてユネスコ村。物心ついてからは、やれ椎茸狩りだ筍狩りだという大人に連れられてよく山にも登ったし、川でも遊んだ。いまの自分が健脚なのもそういう子どものころあってのことだと思う。
そして小学校に上がる前に中野区に引っ越してきたのだけれど、中野区だって当時はけっこう田舎だった。近所には夏になると糖キビやとうもろこしを作っている畑があったくらいだし、空き地や原っぱや裏山、子どもの遊び場には事欠かない環境だった。そこでわたしは日の暮れまで近所の子と遊び、おかげでそのころのわたしは一年じゅう日に焼けて真っ黒だった。そんな子どものころはともかくもっと後年になって、友人が武蔵野音大に入学するときに江古田近辺のアパートをお母さんと一緒に探しに来たとき、お母さんが「なんや、東京ゆうてもここらへんは高松とちっとも変らへんなあ」と言ったというから、東京ってそのくらいのもんとちゃうのん、というのが、そのころからずーっといまに至るまでのわたしの感覚だった。
一応、東京生まれ、東京育ちのわたしの。

17herb_botanical_garden_02

だから地方から来た人たちにことさら東京に緑がないとか東京砂漠だとかいわれてしまうのにはいつもちょっと違和感を覚える。もちろん、わたしの感覚は地方の本物の自然豊かなところで育った人とはかなりズレた感覚かもしれないし、わたしが生まれ育ったころといまとではぜんぜん時代が違うといえばそうなのだけど。
でも東京は世界でも例を見ないくらい緑の多い都市だといわれ、それは神社仏閣が多いことにも由来しているだろうし、かつて貴族といわれた人々のものだった邸宅や庭がいまは都立公園となってあちこちに点在していることにもあると思う。日本一の花見好きであった江戸っ子たちのおかげで春ともなれば東京じゅう、どこに行っても桜だらけだ。遊歩道も多いし、庭がなくても軒先に鉢植えをところ狭しと並べてる家も多い。大きな植物園や動物園もある。だから東京の街なかにいて、ほんとうに緑の多いところに行きたいと思えば比較的すぐに行けるんじゃないかと思う。

17herb_botanical_garden_03

むしろ、わたしには地方から来た人たちが東京で展開する緑の仕事のほうがずっと人工的な感じがする。スタイリッシュで都会的。
もちろん、それもカッコよくて好きだけれど。

17herb_botanical_garden_04

自分の植物好きを思うとき、それは育った環境にもよるだろうし母親の影響もあるのだろうと思っていたけど、いまこの文章を書きながら東京下町の小さな家の庭の棚いっぱい、それだけじゃおさまりきれなくて外まではみだすくらいたくさんの盆栽を育てていた父方の祖父のことをふいに思いだしてしまった。
いまでもツツジの時期によく思いだすのだけれど、子どもの頃ほっぺたに何かできてかゆいと言ったとき、おじいちゃんが「それはハタケだ。外に咲いてる白ツツジの花をよく揉んで花の汁をつけてごらん。すぐ治るから」といわれたことがあった。そのとおりやってみるとすぐに治って、以来ずいぶん大きくなるまでやったものだった。
ほとんどどういう人かわからないまま亡くなった祖父が、いったいどういう思いであれだけの盆栽を育てていたのか。
人っていつもたくさんの謎を残していなくなってしまう。

17herb_botanical_garden_05

この東京都薬草植物園には温室の外にも様々な薬草が栽培された広い敷地が広がっていて、中には滅多に見ることのできない有毒植物なんかもあって興味深かった。上の写真はわたしの好きなチョコレートの原料となるカカオ、下はバナナ。
こういうのを見るとアフリカの教会の庭にあったバナナを思いだす。
鉄分の多い赤土でできるからなのか、アフリカのバナナは濃厚な味と香りだった。
パワーフードといってもいいような。

17herb_botanical_garden_06

広い敷地の中には『ふれあいガーデン』といって植物や書籍やグッズを売っているログハウスのお店もあって、喉が渇いたのでそこで文旦のジュースを買って手作りの木の椅子に座って飲んだ。
そのとき見た今日の空。

171001sky

今日は閉演まで1時間切っての入園だったのだけれど、こんどはもうすこし早く来てゆっくりしよう。寒くならない秋のうちに。

17herb_botanical_garden_07

| | コメント (0)

UFOPIA ☆

17ufopia

ほんとうにごめんなさい。
わたし先入観や偏見はそれほど強くないほうだと思うんだけど、でもでも音楽だけは好き嫌いがはっきりしてて、ピンポイントでしか好きなものが存在しないから、正直言ってこのCDを聴くのがこわかったんです。
でもそれでもこのCDを買ってしまったのは、YouTubeでプリミ恥部さんの歌いかたを見てすごく驚いたから。それはそのまま、音声の専門家である医者の友人がいつも言うところの、喉の奥(声帯)が大きくひらいた発声で、それはプリミ恥部さんが自ら歌を歌っているというよりは、何か背後からもっと大きな力に突き動かされているような、歌というより、喉から圧倒的なエネルギーが放出されいているような感じに見えて、「これは本物だ」と思った。それで歌を、音楽を聴くというよりは、そのパワー全開の圧倒的なエネルギーを、まるでシャワーを浴びるみたいに浴びたら気持いいだろうなあ、と思ったからでした。
このCD、届いたのは実は宇宙マッサージをうけた翌日なのだけど、自分ひとりになって聴ける時間を待っていた。なぜならうちの人たちはわたし以上に好き嫌いのはっきりした、容赦ない人たちだから。

でも今朝、娘が「(プリミ恥部さんの)CDまだ届いてないの?」とわたしに訊くので、「昨日届いたよ」といったら、じゃあ聴いてみよう、ということになって、いまわたしのBOSEくんがまたヘソ曲げているのでPCのトレイに入れてまずYouTubeで聴いたとき一番好きだった『ウィリートゥミー!A1tz Crybaby Mix』を聴いたら、これがびっくりするくらいいんだ。
UFOPIA
まず音質が素晴らしい!
単にクリアーな音質というだけじゃなくて、空気感のある録音。
アコースティックとエレクトリックがいい感じに調和した洗練されたサウンドと、プリミ恥部さんの透明な声が今日の晴れた秋空高く、どこまでも広がってゆくようで、とても気持ちがいい。
もしかして秋の空って最も宇宙と繋がってるんじゃないかと思ったほど。
1曲聴き終わって息子が「すごくクォリティが高いね」といい、娘には「なんだ、全然ふつうに聴けるじゃん。もっと気持ち悪いのかと思った」なんて言われてしまった。すみません!すみません! まわりに妙な気を遣っていたのはわたしでした。

それでアルバム1枚まるまる通して聴いたのだけど、とてもよかった。
まずPCのおまけみたいなスピーカーで聴いたのにすごくきれいな音で聴けたのにびっくり。つまりサウンドクリエイターとかエンジニアがいいんですね。
プリミ恥部さんの歌、声には欲とか我、エゴみたいなものがぜんぜん感じられなくて、すごく透明でピュアで、かといって神さまの啓示みたいに強いというわけでもなく、ふつうの人間としてよわくはかなく、一過性の若さも見せていて、聴いててめずらしく嫌じゃなかった。
息子いわく、いまのJポップみたいに商業主義的なところがないのはもちろん、宗教だったりスピリチュアル的な偏りがなくてポップスになってるところがいい、と。
で、一緒にやってるひとたちのセンスがすごくいいんだと思う。
プリミ恥部さんの曲も歌詞もとてもいいんだけど、おなじことをセンスのない人たちとやったらこうはならなかっただろうと思うから。
それはサウンドだけじゃなくてアートワークもそうで、すごく凝ってるんだよね。
デザイン全部に意味がある。
UFOPIAというタイトルは誰でも一見してわかるように、UFO×UTOPIAの造語なんでしょうね。プリミ恥部さん目指すところの、調和のとれた光しかないノン・バーバルな愛の世界。
でも愛憎ふくめて幸不幸、喜怒哀楽ぜーんぶあるこの三次元空間だからこうゆう歌がつくれるんじゃないかとわたしは思うんだけど、どうなんでしょうね?

UFOといえば子どものころに、親が家にいないので母親のかわりに夕方洗濯物をとりこんでたら、あけた窓から小さな円盤が部屋の中にシュルシュルシュルっと入ってきて、部屋の隅の服の下に潜りこみ、こっそりあけて見たら小指ほどの墨みたいな宇宙人が乗っているのでものすごくびっくりして飛び上がり、ドキドキしながらもう一度めくってみたらいなくなってた、という経験を持つわたしなのだけれど(初めて他人に話した)、いまとなっては単にそれが空想癖のひどかった子どもの幻想なのか、妄想なのか、はたまた白昼夢(夕方だけど)だったのか、まーったくわからないわたしです。

今日は息子と娘が出かけてから、もう1枚買ったプリミ恥部さんのジャケ無しファーストアルバム、『supervielle』(シュペルヴィエル)も聴いてみたんだけど、プリミ恥部さんのコアというかエッセンスというか原点というか、そんな初期のナイーブな輝きが詰まった音源ではあるけどUFOPIAよりインディーズっぽい感じで、わたしはサウンドデザインされたUFOPIAのほうが好きだった。
聴けば聴くほど洗われていくような音楽。
いろんな先入観とっぱずして聴いてみる価値あり! です。

17supervielle

purimichiv / supervielle

| | コメント (0)

アイルランドパンで朝ごはん

17_ireland_pansoup

昨日、ヴィエイユさんで買ってきたパン。
左が酵母で発酵させずに重曹(SODA)で膨らませて焼いたというアイリッシュ・ソーダブレッドで、右がアイルランドのライ麦を使って酸味を出したというアイルランドぱん。

17_ireland_pan02

昨日すごくいい匂いがしてたのはこのアイリッシュ・ソーダブレッドなんだけど、こんなラフな成形でゴツゴツしたパンです。

17irish_soda_bread_2

それにくらべると、きれいにクープの入ったパンらしいパンのアイルランドぱん。

17_ireland_pan03

せっかくおいしいパンを買ったのだからおいしく食べたいと、昨日夜な夜な作ったのは豆の入った濃厚トマトスープ。
両方切ってみたのだけれど、アイリッシュ・ソーダブレッドのほうはずっしり密度の詰まったボソボソしたちょっと甘くないケーキみたいなパンで、アイルランドぱんは思ったより癖のない食べやすいパン。どちらもバターをつけるのがあうけど、アイルランドぱんにはレタスやハムをはさんでもおいしそう。
スープを作るとき、豆の入ったとろっと濃厚なスープをイメージして作ったのだけど、そのとおりにできあがってパンによく合っておいしかった。
大山さんのパンは粉をたくさん使ったずっしりしたパンだから、もうこれだけでおなかいっぱい♪

17_ireland_pansoup_2

| | コメント (0)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »