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2017年7月 4日 (火)

ファッションを殺したい。

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いつか、あるひとのツイートを読んだら、ファッションを殺したい、と書いてあった。
ある意味、すごくラディカルな発言だと思った。
そして、ブログでそれより長いそのひとの文章を読んだら、言っていることがすごく理解できた。・・・・・・というより、自分がいい歳になってから感じていたことと近くて共感できた。
わたしが若かった頃の時代は、いわゆるDCブランドといわれる、日本人デザイナーによるハイエンドなファッションの全盛期でした。日本人デザイナーによる、国内縫製の、丁寧な、いまでいうならとても贅沢な服。それぞれのデザイナーはみんなそれぞれ独自のスタイルを持っていたし、ショップもまた同様に、一目見てどこのブランドかわかる独自のオリジナルなスタイルで、スタイリッシュな店を展開していた。若いし、お金もないから、そうそうそんな高い服をプロパーで買えるわけはないのだけれど、見ているだけでも楽しかったし、いざセールの季節となったら、みんなわずかな仕事の休憩時間を縫ってまで血眼になって買いに行った。わたしなんかはカジュアル派だったからまだ自分の手の届く範囲で好きなお洒落を楽しんでいたていどだったけど、モード系のひとたちは、それこそ食うや食わずで青白い顔して最先端のファッションを身に纏っていた。当時『ハウスマヌカン』と呼ばれたDCブランドのショップ店員なんかはまさにその代表格で、常に季節を先取りした(つまり実際の季節に合わない)服を無理して着ていた。涼しい顔で、最高にかっこよく。
いくら一般顧客とちがって社員割引で自社ブランドの服が買えるからといっても、常に前倒しで2シーズンくらい先の服を買いまくっているから、会社を辞めるときに退職金が出ても、それまでに買った服の代金を差し引いたらいくらも残らないか、逆に赤字、なんて話もよく聞いた。
そんな時代。
あの頃は、1年のうちで何時がいちばん楽しいかといったら、2月だった。
2月は各ブランドが今期のテーマを打ち出す月だから。
その時期ショップを見に行けば、今年の春夏シーズンのテーマと傾向がチェックできるというわけだった。
いまでも憶えてる。
「そうきちさんは服ばっかり買ってる、って、Mちゃんがいってたよ」と当時つきあってたひとにいわれたこと。わたしとしてはまわりもみんなそんなふうだったし、自分なんかよりもっとファッションにどっぷり浸かっている友達も多かったから、そうかな、と思ったくらいだったけど。
いまでも友達と話して笑うのは、まるで戦争のような、狂想曲のようなセールの時期、当時全盛期だったラフォーレ原宿でまだ20代前半の若いハウスマヌカンの女の子が、「イタリア最高級の生地、丁寧な国内縫製、一生モノの○○のジャケットが50%オフですよ~!」なんて、声を枯らして叫んでたことだ。
『一生もの』という言葉に弱かったわたしたち。
ファストファッション主流のいまの若い子たちには到底うけいれられないと思うけど、当時はいいものは高い、という感覚がふつうにあって、そこにはちゃんと理由があって高いということがあるていど理解され浸透していたし、いいものを長く大切に着る、ということがほんとうのお洒落なんだと、ことさら強調されていわれた時期があったのでした。
でも一生ものの服なんてなかったね。
と、いま、いい歳になったわたしたちは笑う。
どんなにいい生地を使って国内縫製してるからって、パターンが古くなった服はもう(古くて)着られないもの。

もうほとんど断捨離してしまって残ってないけど、古い服を見るとその時代時代の流行によってオーバーサイズで肩幅がやけに大きかったり、いまじゃ考えられないような分厚い肩パッドが入っていたり、逆に超ミニマムでキツくて短かったり、素材は高級ではあるけどひどく重たいウールだったり、逆に最先端のテクノロジーが生んだぺらぺらの化学繊維だったりして、いまの気分とは全然ちがう。

そしてさっき『パターンが古くなったら』と書いた、その『古い』『新しい』がファッションの本質なのだと思うけれど、ひとついえるのは、かつての時代の服は『確たる時代の流行』というものがあって、その流行の服になんとか自分を合わせている感じだった。
流行の服の中から、自分の『好き』という感覚を頼りに、なんとか自分に似合うもの、自分にフィットするものを探して着ていた感じ。
だからそこにはいつも多少無理があったし、気に入って買ってはみたものの、あんまり着心地がよくなくてすぐに着なくなるものもあったし、それ以上に流行が終ったら着られなくなるものが多かった。
20代をすごした80年代はわたしにとっては輝ける時代だったけれど、その80年、90年を経て2017年になったいま、いささか歳をとったわたしはもう昔みたいにファッションを追いかけたいとは思わない。いまでも服は好きだけど、もう無理して流行の服を着たいとはまったく思わなくなった。考えただけでも疲れちゃうし、第一、流行そのものがなんだかわからなくなってしまった時代。(街に出ても昔みたいにハッとするひとのいないこと!)
そんないま、目に留まったのが『ファッションを殺したい』だった。
Twitterでそう言ったのは、Ka na ta さんという、男のデザイナーだ。
あたりまえだけどわたしより全然若い。
あくまでわたしの理解したところでごく簡単にKa na ta さんの服を説明するなら、それは身体、ボディーのための服。
かつての流行服が、自分の身体のほうを服に合わせる服だとしたら、Ka na ta さんの服は、限りなく自分の身体になじむ服。
そう聞いただけでもわたしなんかうっとりしてしまうけど、でもネット上で(画像で)見るKa na ta さんの服はあまりにもシンプルで、身長158センチのわたしに果たして着こなせるだろうか、と思ってしまうし、それ以上に、二人の子供の出産・育児を経て歳をとった自分のいまの身体を美しい、なんてはとても思えないわたしには、すべての(つまり老若男女すべての)ボディーは美しい、というKa na ta さんのメンタルは遠すぎて、わたしにはとっても敷居の高い服ではある。
だから自分ひとりでka na ta さんのショップやアトリエに行く、なんてことはシャイなわたしにはとってもできないと思うけど、10代の頃からある種まったくブレずにファッションを愛し、ファッションを追いかけてきた友達とだったら行けるかな、とか。いま思ってます。

今日なんでふいにこんなことをごちゃごちゃ書いてるかというと、今朝、『すべてのからだは美しい』をさらに超える発信をka na ta さんが7月1日にしていたことに気づいて、わたしには敷居が高いと思いつつ彼の言葉にはいつも響くものがあって、ちょこっとでも多くその文章が人目に触れるようにしたかったからなのでした。

いつかわたしもKa na ta さんの服を着てみたい。
似合うとか美しいを超えて、好きな音楽を聴いて自分に合った周波数で自分を透明にできるように、安らげたらいいな、って思います。

ちなみに上の写真はKa na ta さんとはなんの関係もない。
ファッション一筋に生きてきた親友のお店のSALEの葉書です。
世田谷線、松原駅すぐ近くにあるCOCOCE(ココシェ)の夏のセールが明日5日からはじまります!

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コメント

昨年、あれもこれもと洋服を捨てて
いざ、洋服を買おうと思うと、なんだかどれも
似合わないような気がして、買えなくなりました。

来週木曜日に出張で東京に行くかもしれません。
金曜日は夏季休暇で、1泊しようと思うのですが
お時間はないかしら?

投稿: ノブタ | 2017年7月 7日 (金) 17:00

ノブタさん、

うん、それってよくわかります!smile
わたしも衣替えするたびに、あれ、わたし去年って何着てたんだったっけ?!
って思う。
わざわざ洋服屋に行って服を買わなくなって早や何年だろう。
最近はなんでもネットで買ってしまう。
とってもイージー。
イージーでラクだけれど、昔みたいなトキメキはない。
というより、服を着る側の自分にときめかなくなったってことなのかな。

ノブタさん、メールアドレスとか携帯の番号とか前と変わってる?
変わってないようだったら一両日中に連絡するねーpaper

投稿: soukichi | 2017年7月10日 (月) 00:00

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