« サン・ジョルディの日。 | トップページ | 春の天気はめまぐるしい。 »

2017年4月25日 (火)

100歳のおじいさんが作ったちり紙人形

17harada_hideo

詩人のウチダゴウさんの展示を見にギャラリーポポタムに行って、ウチダさんの詩集とともにこの本『祖父の人形 ー 原田英夫人形作品集』を買ったのはもうずいぶん前のこと。
その原田栄夫さんの人形を飾ったミニフェアを荻窪の書店『タイトル』でやっているというのを聞いて、今日までなので仕事を終えた後に行ってきた。夜遅くまでやってる本屋さんって、こういうとき便利だと思う。

わたしがこの本を買ったのは、多分に表紙から醸し出されている不思議な雰囲気にひっかかったからだと思う。
100歳のおじいさんがある日突然、家にあるテッィシュペーパーで人形を作りはじめたというのも不思議だけれど、その人形が若い女の子だというのはわたしにはもっと不思議な感じがした。とくにこの女の子が着ている服のライン。Aラインのワンピースで、裾がふわふわっとしているこんな絶妙なテクスチャーの服が100歳のおじいさんの手から作りだされたなんて。86歳の(ぼけた)父を持つわたしにはちょっと信じられないくらいだった。
表紙の女の子はレトロなようでもあり、今風でもあり、ユーモラスでありながら、どこかさみしい感じもして、そこから作り手の心情を読まずにはいられなかった。

いったいなぜ100歳のおじいさんはちり紙で人形なんか作りはじめたんだろう?
それまでとくに絵を描いたり、造形をやったりしていたわけではないみたいなのに。
さみしかったから、暇をもてあましていたから、単に手慰みで作りはじめたのか、あるいは突如、表現欲求に駆られたのか。

実際にタイトルに行ってみると人形が飾られているコーナーは想像したよりずっと小さなスペースで、値段を付けて売られている人形はほとんど売り切れ、あと数点が残っているだけだった。売り物の左手に栄夫さんがこれまでに作った、きっと家族の私物なのだろう、非売品のお人形が並んでて、この本の巻末で(本の)作者であるお孫さんのオニール原田さんが書いているように、どれもみんな『絶妙な』かたちをしていた。若い女の子も4姉妹もキリンも亀に乗った男の子も犬も猫も ・・・・・・
それは栄夫さんが対象を実にしっかり観察して、ちり紙という、日常どこにでもある手頃な素材ではあるけれど造形物を作り出すには頼りない素材を使って、創意工夫した証拠だった。
わたしはこっそり女の子のスカートに触ってみたのだけれど、しっかり固めたボディと違ってそれは人形の身体に着かず離れずの絶妙な感じにふわふわとやわらかく風にそよぐ感じにできていて、まさにフェミニンな女の子のスカートで ・・・・・・ 感心してしまった。
そして実際に栄夫さんの人形を見てわかったことは、英夫さんが純粋に楽しんで作っているということだ。
それはすべての表現の原型でもあると思う。
ふつう、いい歳になった大人の頭の中には常に『こんなことして何になる』という思いが潜んでいる。
『いまからこんなことしたってなんになる、プロになれるわけでもないのに』とか、『こんなものいくら作ったって売れる(お金になる)わけじゃないのに』とか、生真面目で常識的な人にあればあるほどそんなふうに考える。
でも、詩や文章を書くにしても絵を描くにしても造形物を作るにしても音楽をやるにしても、誰にも見せない、評価されないところで自分ひとりでやっているのであったら、それは他人から見たらただの趣味であり道楽であり暇つぶしみたいなものであり、生み出されたものは究極、ゴミとなんらかわらないものなのかもしれない。
でも、たとえ他人から見てそうであったとしてもそれに没頭している本人からしたらそれをやらずにいられないからただやっているだけであって、そこには損も得も、他人が付ける評価や金銭的価値もまったく関係なく、時間の流れすら忘れてしまうような時空間があって、それこそが表現の原型だなって思うのです。

そして栄夫さんがラッキーなことは、そんな英夫さんの作った人形を面白がって、掛け値なしにいいと思ってくれるお孫さんがいて、こうして作品集となって残せたことだと思う。そうでもなければ、できあがってしまったものにはなんの執着もなく、ほしいという人があればホイホイあげてしまうか、どこかにうっちゃらかしてしまうという栄夫さんの作品はあっという間に、四散してしまっただろう。そして本にして残せたということ以上に、それが世に出て、たくさんの人の目に触れ、共感を得られたということ。それはどれだけ100歳の老人の励みになったことだろう。何も100歳の老人じゃなくたって、たとえ若い人であったとしても、ひとり山奥で制作に明け暮れて誰にも作品を見てもらえることなく死んでゆくのをよしとする人間なんて、滅多にいないと思うから。
作る喜びと苦悩の次にあるのは人が見て(聴いて)何か言ってくれる喜びと苦悩だと思うけれど、栄夫さんの場合はたぶん、もうそんな人生の苦悩みたいなものからはとうに解き放たれて、気持ちのおもむくまま、毎日自由に制作されているんだと思う。
さっきも書いた、この本の巻末のオニール原田さんの後書きの最後に『いつまでも長生きしてほしい。そしてこれからも、好きなものを自由に、じゃんじゃん作ってもらいたいです。』
という言葉にオニールさんの祖父へのありったけの愛が感じられるし、100歳を越えてこんなふうに言ってもらえるおじいちゃんがこの超高齢化社会の日本にどれだけいるかな、と考えると、栄夫さんはほんとうに幸せだな、と思う。
今日わたしは栄夫さんの人形は買ってこなかったけれど、ほんとうはね、非売品の猫が買いたかったです。
栄夫さんはいま102歳。
ほんとうに長生きして人形を作りつづけてほしい。

タイトルでは人形を買わなかったかわりに茨木のり子の本を買ってきた。
『茨木のり子の家』
ずっとAmazonのカートに入れたまま、買いそびれてたやつ。
やっぱり本は、本屋で手にとって、見て買うのがいいですね。

17ibaraki_noriko

このマニッシュな茨木のり子の写真、かっこよすぎる!

17ibaraki_noriko_01

|

« サン・ジョルディの日。 | トップページ | 春の天気はめまぐるしい。 »

本の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« サン・ジョルディの日。 | トップページ | 春の天気はめまぐるしい。 »