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2017年4月 6日 (木)

父、86歳

170406

昨日、詩人の大岡信が亡くなったと聞いた。享年86歳。
くらべようもないことだけど、今日わたしの父、86歳。
もともと小柄で細い人だけど年をとってますます細く小さくなり、もう食べることにもそれほど興味がないから何を持って行ってもはりあいがないのだけれど、夕方アルバイトが休みの娘とケーキを買って実家に行く。
娘のわたしがひとりで行くより孫が一緒のほうが喜ぶと思ったからだが、父は相変わらずテレビの音がわんわんする中にいて我々が行っても消すでもなく、流れてくるニュースは耐え難いほど下劣で、残酷で、そのなかで父のまたいつもの話がはじまったから、わたしも娘もすぐに嫌になってしまった。
ただ、父のいいのは具合が悪いときでもないかぎり、比較的いつもニコニコしていることだ。肩を壊して整形に通っているとき、リハビリルームで何を話しかけてもぴくりとも表情を動かさないこわばった顔の老人をたくさん見た。あの人たちよりはずっといい。それにそういう人たちにだって作業療法士たちは根気強く、やさしく話しかけていたのだから。

そしてもちろん、そんな父にだって当たり前のことだが若くて元気なときがあった。
算数と図画が得意だった子供時代の父は祖父の家がもともと商家だからという理由で商業高校に上がったが、学校に行っても勉強どころか毎日校庭で槍持って軍事教練ばっかりやらされて、いいかげんうんざりして辞めてしまったあとは戦後の父親との闇市からはじまって、ありとあらゆることをして働いた。
最も給料がよかったのは日本製鋼でアメリカ人の下で働いていたときで、ふつうのサラリーマンの数倍の給料をとっていたという。
「若かったころの兄はお洒落だった」と、その兄の部屋に勝手に上がりこんで洋服ダンスの服をみんな売り払ってしまった父とは真反対の遊び人の叔父が昔いってた。小さいときからお金で苦労した父がたぶん、最も自分にお金を遣えていたとき。
それから見合い結婚してわたしが生まれた年に、父は宅地建物取引士の資格を取って不動産屋に転職した。結婚して子供もできて、父としては「これからがんばって稼ぐぞ!」と思ったのかもしれない。
わずかにいいときもあったようだけれどもともと浮き沈みの激しい商売、毎月の収入は安定せず、母にいわせれば不動産屋なんて水商売とおなじだった。母はいつも「サラリーマンがよかった」と愚痴をこぼした。
今日、当時のことを思いだしながら父は「不動産屋の中にも悪党がたくさんいた」と言った。父の口から『悪党』なんて言葉を聞いたのは初めてで、いつになくそれは新鮮だった。
悪党。いまとなってはそんな言葉さえノスタルジー。
いまは度を超えてもっと狂った人間がいっぱいいる。
世間の『海千山千の不動産屋』というイメージに反して、父は『公正』ということにおいては不器用なほど実直で、頑固で、正直が服を着たような人だったけど、でもそんな父には妙な山っ気があって、いつだってどこかで一獲千金を狙ってるようなところがあった。
それがわたしには子供心にも面白かった。夢を見る人。
でも父が不動産屋で働いてて一番たのしかったのはお金儲けより何より、土地を見に行ったり、測量でいろんなところに行けたことだという。自分で車を運転して、どんな遠いところにも行った。楽しかったなあ・・・・・・

わたしが憶えている、わたしが子供だったころの父の趣味は、映画と、映画音楽。
いまじゃ信じられないことだが、昔はこの父がクロード・ルルーシュ監督の映画が、フランシス・レイの音楽が、と言っていたのだ。
それと、ドライブ。
毎年、夏休みには海に海水浴に行った。
わたしがいまでも助手席よりバックシートが好きなのはそのせいだと思う。
そしてたまに、囲碁や将棋。
突然やってきては人のうちで夕飯を食べ、酒を飲み、遅くまで帰らない悪友。
父のパチンコの腕はプロ級だった。
どこまでも山の手お嬢さん気質の母にわたしはどれだけ使いにやらされたことだろう。パチンコ屋の自動ドアの外に立っている母に、「ほら、あそこにおとうさんいるから呼んできて」って。いま思うとあんなにうるさくて煙草臭いところに子供やらせるってどうなの、と思うけど。突然、店に入ってきた小さな女の子にいま取ったばかりの玉をケースごとくれようとするおじさんもいて。屈託なく、明るい時代。わたしにとってはチョコレート・パラダイス。
給料を給料袋ごと奥さんに渡してしまう、自分に贅沢を許さない父にとってはささやかな息抜きだった。
それから煙草。
これは、がんになったいまでもやめないからきっと死ぬまでやめないだろう。
もうそれでいい。

父は早くに母親を亡くし、継母が来た直後から80になる直前まで家族のために働きづめに働いた。働くことだけが父のアイデンティティーだったとしても、それはしかたがない。いつか父と同年代の人に「ただ働くだけの人はだめだ」といわれたことがあるけれど、そういう父を誰が責められよう。
誰でもが自分の好きなことをやって生きていけるわけじゃないのだ。
人それぞれ、生まれ育った環境も違えば、そこからできあがった性格も違う。
とくに父の時代はそうだった。
根っからの貧乏性の父であれば、なおさら。

このあいだ、自分が買った本を息子に見せながら、帯に書いてあることを読んでいたとき、息子が『自分に許可を与える』って面白い言い方だね、といった。
「そうかな。それってすごく大事なことだよ。そして意外とできないことでもある」と、わたしはこたえた。
自分にほしいものを与える許可、好きなことをする許可、自分を認める許可、楽しみ事を許す許可、休みを与える許可、お金を遣う許可、人を愛する許可、冒険をする許可、我が儘を通す許可、etc;etc ・・・・・・
大なり小なり、人は様々に自分(ときに他人まで)を制限して生きているから。
父がボケたのも、わたしは父が長らく自分の欲求や能力を様々に制限したせいじゃないかと思っている。もっとも、認知症外来のエリート医師は頑としてわたしを馬鹿にしたような目で見ながら「そんなことは何も関係がない!」というだろうけど・・・・・・

いつも近所の『さくら湯』の前を通るとき、小さかったわたしの記憶では山の中にあったようなその銭湯に行くのに、あの小さい父が自分より大きな奥さんを自転車の後ろに乗せて、わたしをハンドルに付けた椅子に乗せて、坂を上ったり下ったりしながらよく行ったもんだと思う。その記憶はいまでも五感で憶えていて、その映像はまるでニュー・シネマパラダイスのようだ。

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