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2017年4月30日 (日)

ふたりは仲良し♡

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日なたのラナンキュラスの首が折れそうな夏日。
いいかげん遅い昼ごはんの材料を買いに出かけて、パンダに遭遇。
面倒になって、もう今日はいいやって相棒を連れてないときにかぎっていつもこれなんだ。
いつもの家の入り口近くの地面の上で、置物みたいにぼぉっと佇んでたパンダ。

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わたしが「パンダ!」と呼ぶと、人の顔をじぃっと見て「にゃあ」という。
なんかこの猫にじぃっと見られると何か物言いたげに思えるのはわたしの深読みなのか、ただの勘違いなのか。人間の言葉が喋れるなら喋ってくれ、いやいや、こちらが猫語を喋れるようになって君の気持ちを聴いてみたいもんだ、と思う。
帰りにも前を通ったらこんどは庭側のステップのところでクロちゃんとじゃれあっていて、ほんとにパンダとクロちゃんは仲良しだ。2匹のその形ったらシャッターチャンス以外の何物でもなくて、こっちは「あーあ」だ。

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それで自転車飛ばして家に帰り、買いもの袋さげて家に入るや相棒を連れてとってかえすと、さっきの流動的な形はどこへやら、2匹はまったりお昼寝中だった。
それでもわたしがカメラを向けて写真を撮っていると、家の中から知らない男の人が出てきて、親しげに「あ、写真撮ってていいですよ。猫、逃げないね。いつも誰か来ると逃げるんだけど」という。

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駐車場から車を出して、それからいつもの猫おばさんも家から出てきて、2匹にそれぞれカリカリをあげて、ちょっとひるんで後じさりしたパンダに「何もしないよ」って。でも、ときどきは手にすりすりしてくることもあるんだって。へえ、あのパンダがねえ・・・、さすが毎日ごはんもらってる相手だけあるな、と思っていると猫おばさん、猫のキャリーバッグを持って車に乗ったから、もしかすると保護猫の譲渡が決まったのかもしれない。
こんどはどんな猫が来るのかな。

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相変わらずパンダは物言いたげな目じぃっとわたしを見てる。
昼間、陽の下で見るパンダは毛も汚れて目もしょぼしょぼしていて寄る年波もいいとこで、わたしはちょっとかなしい。

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2017年4月29日 (土)

春の天気はめまぐるしい。

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数日前、こんもり茂ったパルマすみれの植え替えをするのに仕事のあとホームセンターに行って鉢と培養土を買ってきた。そのときハーブ・コーナーにいろんな種類のミントがたくさん並んでて、ミントってこんなにいろいろあるんだと思って、ひとつひとつ葉っぱに触って匂いを嗅いでるうちになんだか楽しくなってきて、花が終った球根の後にこんどはミントをいろいろ植えよう、と思って、その日はもう暗いので何も買わずに帰ってきた。

今日は朝早く起きれたら市民プールに泳ぎに行こう、と娘にいわれてたのだけど結局ふたりとも起きれなかったから、天気もいいし、ミントでも買いに行こうと思ってたら午後になってバタバタと突然の雨。あわてて物干しハンガーごと家の中に入れた。
それで十数分もしないうちにまた晴れてきたからハンガーを外に干して、ホームセンターに出かけたら、苗を見ているうちにまたたポツポツと雨。あわてて息子に電話して洗濯物をとりこんでもらった。
その後は雨に風。
おかげで買いものはできなかったし、すっかり濡れて帰ってきた。
でも家に帰ってしばらくするとまた空がかあっと明るくなってきて、窓の外を見ると晴れているのに降っている。空は青空、天気雨。
これっていったい何?
これじゃまるで狐の嫁入りだ。
今日は晴れと曇天と突風と雨と晴れ、そんなことを何度も繰り返して狐が何度も嫁入りした。
これって春の天気だね、と息子がいった。
そう、春の天気は変わりやすい。
春ってどうしてこうも気まぐれで、散漫で、不安定なんだろう。
それで、もうじき初夏になろうというのに、まだ大気には春の粒子がたくさん飛び散っていて、なんだかぜんぜん落ち着かない。
でも気持ちが落ち着かないときって、身体の調子を崩したり散財したりする前兆だから要注意だよ!

母のスミレ、またばら鉢から顔を出した。
いくら取っても根絶やしにはならないみたい。
こんなふうに、蕾がひとつかふたつ付いてるだけのときは楚々として可憐だけど、でもうっかりするとあっという間にばらだかスミレだかわかんないくらい繁殖しちゃうから、これも要注意。

今年の春は水やりのたびにHB-101を散布していたらそれがよかったのか、いつの間にかわたしのベランダはまたジャングル状態。
ばらの蕾もどんどん上がってきて、もうすぐ1年でたった2週間しかない、ばらの黄金週間がやってくる。
今週から散布するのをアルゴフラッシュに変えた。
さて、今年のばらはいかに?

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2017年4月25日 (火)

100歳のおじいさんが作ったちり紙人形

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詩人のウチダゴウさんの展示を見にギャラリーポポタムに行って、ウチダさんの詩集とともにこの本『祖父の人形 ー 原田英夫人形作品集』を買ったのはもうずいぶん前のこと。
その原田栄夫さんの人形を飾ったミニフェアを荻窪の書店『タイトル』でやっているというのを聞いて、今日までなので仕事を終えた後に行ってきた。夜遅くまでやってる本屋さんって、こういうとき便利だと思う。

わたしがこの本を買ったのは、多分に表紙から醸し出されている不思議な雰囲気にひっかかったからだと思う。
100歳のおじいさんがある日突然、家にあるテッィシュペーパーで人形を作りはじめたというのも不思議だけれど、その人形が若い女の子だというのはわたしにはもっと不思議な感じがした。とくにこの女の子が着ている服のライン。Aラインのワンピースで、裾がふわふわっとしているこんな絶妙なテクスチャーの服が100歳のおじいさんの手から作りだされたなんて。86歳の(ぼけた)父を持つわたしにはちょっと信じられないくらいだった。
表紙の女の子はレトロなようでもあり、今風でもあり、ユーモラスでありながら、どこかさみしい感じもして、そこから作り手の心情を読まずにはいられなかった。

いったいなぜ100歳のおじいさんはちり紙で人形なんか作りはじめたんだろう?
それまでとくに絵を描いたり、造形をやったりしていたわけではないみたいなのに。
さみしかったから、暇をもてあましていたから、単に手慰みで作りはじめたのか、あるいは突如、表現欲求に駆られたのか。

実際にタイトルに行ってみると人形が飾られているコーナーは想像したよりずっと小さなスペースで、値段を付けて売られている人形はほとんど売り切れ、あと数点が残っているだけだった。売り物の左手に栄夫さんがこれまでに作った、きっと家族の私物なのだろう、非売品のお人形が並んでて、この本の巻末で(本の)作者であるお孫さんのオニール原田さんが書いているように、どれもみんな『絶妙な』かたちをしていた。若い女の子も4姉妹もキリンも亀に乗った男の子も犬も猫も ・・・・・・
それは栄夫さんが対象を実にしっかり観察して、ちり紙という、日常どこにでもある手頃な素材ではあるけれど造形物を作り出すには頼りない素材を使って、創意工夫した証拠だった。
わたしはこっそり女の子のスカートに触ってみたのだけれど、しっかり固めたボディと違ってそれは人形の身体に着かず離れずの絶妙な感じにふわふわとやわらかく風にそよぐ感じにできていて、まさにフェミニンな女の子のスカートで ・・・・・・ 感心してしまった。
そして実際に栄夫さんの人形を見てわかったことは、英夫さんが純粋に楽しんで作っているということだ。
それはすべての表現の原型でもあると思う。
ふつう、いい歳になった大人の頭の中には常に『こんなことして何になる』という思いが潜んでいる。
『いまからこんなことしたってなんになる、プロになれるわけでもないのに』とか、『こんなものいくら作ったって売れる(お金になる)わけじゃないのに』とか、生真面目で常識的な人にあればあるほどそんなふうに考える。
でも、詩や文章を書くにしても絵を描くにしても造形物を作るにしても音楽をやるにしても、誰にも見せない、評価されないところで自分ひとりでやっているのであったら、それは他人から見たらただの趣味であり道楽であり暇つぶしみたいなものであり、生み出されたものは究極、ゴミとなんらかわらないものなのかもしれない。
でも、たとえ他人から見てそうであったとしてもそれに没頭している本人からしたらそれをやらずにいられないからただやっているだけであって、そこには損も得も、他人が付ける評価や金銭的価値もまったく関係なく、時間の流れすら忘れてしまうような時空間があって、それこそが表現の原型だなって思うのです。

そして栄夫さんがラッキーなことは、そんな英夫さんの作った人形を面白がって、掛け値なしにいいと思ってくれるお孫さんがいて、こうして作品集となって残せたことだと思う。そうでもなければ、できあがってしまったものにはなんの執着もなく、ほしいという人があればホイホイあげてしまうか、どこかにうっちゃらかしてしまうという栄夫さんの作品はあっという間に、四散してしまっただろう。そして本にして残せたということ以上に、それが世に出て、たくさんの人の目に触れ、共感を得られたということ。それはどれだけ100歳の老人の励みになったことだろう。何も100歳の老人じゃなくたって、たとえ若い人であったとしても、ひとり山奥で制作に明け暮れて誰にも作品を見てもらえることなく死んでゆくのをよしとする人間なんて、滅多にいないと思うから。
作る喜びと苦悩の次にあるのは人が見て(聴いて)何か言ってくれる喜びと苦悩だと思うけれど、栄夫さんの場合はたぶん、もうそんな人生の苦悩みたいなものからはとうに解き放たれて、気持ちのおもむくまま、毎日自由に制作されているんだと思う。
さっきも書いた、この本の巻末のオニール原田さんの後書きの最後に『いつまでも長生きしてほしい。そしてこれからも、好きなものを自由に、じゃんじゃん作ってもらいたいです。』
という言葉にオニールさんの祖父へのありったけの愛が感じられるし、100歳を越えてこんなふうに言ってもらえるおじいちゃんがこの超高齢化社会の日本にどれだけいるかな、と考えると、栄夫さんはほんとうに幸せだな、と思う。
今日わたしは栄夫さんの人形は買ってこなかったけれど、ほんとうはね、非売品の猫が買いたかったです。
栄夫さんはいま102歳。
ほんとうに長生きして人形を作りつづけてほしい。

タイトルでは人形を買わなかったかわりに茨木のり子の本を買ってきた。
『茨木のり子の家』
ずっとAmazonのカートに入れたまま、買いそびれてたやつ。
やっぱり本は、本屋で手にとって、見て買うのがいいですね。

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このマニッシュな茨木のり子の写真、かっこよすぎる!

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2017年4月23日 (日)

サン・ジョルディの日。

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あんとす堂のえりさんが、今日23日を植物の本屋『草舟あんとす号』のオープンの日に決めたのは、今日が『サン・ジョルディの日』だったからだそうです。
スペインのカタルーニャ地方では今日23日は聖ゲオルギオス(サン・ジョルディ)の聖名祝日で、『本の日』とも呼ばれ、当地では親しい人に赤い薔薇と本を贈る習慣があるそう。
まさに本屋を開店するにふさわしい日!
そして、それがそのまま屋号にデザインされていたというわけでした。
わたしが例によって午後バタバタと家を出てお店に到着すると、ちょうど彼女のお友達ふたりが帰るところで、お店の前で記念写真を撮っていたので、ついでにわたしも撮らせていただきました。
お店の入り口で佇む、店主のえりさん。

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彼女は職業柄もあるのだろうけど人の話を聴くのがとっても上手な人で、なおかつぜったい人を悪く言わない人。とても努力家だけれど、ふだんはそんなこと少しも匂わせずにいつもにこにこ笑ってる。彼女の大らかで温かい人柄に助けられている人はいっぱいいると思うし、会うといつもわずかな時間でも面白い話をいっぱいしてくれて、その後いろいろ考えさせてもらえる人です。あたらしいこのお店の中もとっても素敵で、りえさんならではのセレクトだと思える美しい本がいっぱい!
わたしは今日は給料日前でプアだったので何も買ってこなかったけれど、しっかりほしいのをみつけてきましたよ。
そして、この草舟あんとす号とアトリエコナフェさんの焼き菓子屋さんは扉一枚隔てて繋がっていて、草舟あんとす号から見たビューがまた素敵でした。

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アトリエコナフェさんは、高校生になったお嬢さんに毎日、手のかかったお惣菜がたくさん詰まったお弁当を持たせる素敵なおかあさんで、そのうえオリジナルのお菓子も作れて本も出されている、いわば家事と仕事をしっかり両立している良妻賢母、デキる女のお手本みたいな方で、わたしなんかはちょっと近寄りがたい感じなのだけれど、かといってキツイ感じは全然なくて、静かでおっとりした知的な雰囲気の方です。
そして、そんな人柄はもちろん、コナフェさんの作るお菓子はとってもおいしい!
使う材料も見た目も食感も味も、それにラッピングにいたるまで、素朴だけれどセンスがあって、こだわりいっぱいのお菓子。いちどでも食べてその味を知っていたら、見たら買わずにいられません。いままではコトリ花店のイベントのときとか、コクテル堂さんでしか買えなかったけれど、これからは週に4日、営業日に行けばいつでも買えるなんて。しかも花屋の店頭や店内で売ってたときとちがってこれからはショーケースもあるから、クッキーだけじゃなくてケーキなんかも買えるかもしれません。たのしみ♪

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というわけで今日ははじめて食べるバニラシフォン、白みそのスプーンクッキー、いちごのアイシングクッキー、フラップジャック、りすのクッキーを買ってきました。

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もう、このシフォンケーキがね、しっとり、ふわんふわんでおいしかった。
しあわせな味

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2店ならんだ新しい店舗。
デッキはまだリニューアル途中みたいだし、何もないから気持ち殺風景にも見えるけど、だんだんにまわりになじんでいい雰囲気になってゆくことでしょう。
末永くつづいてほしいです。

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そして、さっき草舟あんとす号で買ったばかりの本を眺める花屋の店主。
開店から今年10年めを迎えるコトリ花店にとっても、お隣さんの開店はきっとあたらしいステージのはじまり。一緒にがんばれる仲間ができるって、すごく心強いことだと思います。

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それにしても今日は滅多にないような美しい日だったなあ!
昨夜の土砂降りが嘘みたいに気持ちよく晴れて、風もなく、移ろいゆく光のなかで何もかもが輝いていて ・・・・・・

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季節はじき初夏。
わたしが1年で最も好きな季節がはじまります。

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2017年4月22日 (土)

原種の蘭

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わたしが一生手を出すことはないと思っていた蘭を先日うっかり買ってしまったのは、前に花屋から原種の蘭の可憐な花の写真を見せてもらっていたからかも知れない。
母も生前、親友が勤める会社の社長が蘭が好きで蘭友会の理事を務めているとかいう関係で、ときどき蘭の博覧会の招待券をもらったりしては親友と出かけていた。
もともと花好き、植物好きの母だから、そんなものを見に行けば欲しくなるのはとうぜんのことで、「ほら、シンビジュームよ! きれいでしょう?」なんて言いながら嬉しそうに蘭の鉢植えを持って帰ったりしていたけれど、わたしはそのころ蘭にはなんの興味もなかった。正確に言えば、そのころどころかいまに至るまで蘭にはなんの興味もなかったのだ。だから、今回のこともなんでか自分でも全然わからない。
ただ、親子というものは年を追うごとに無意識にもだんだんすることが似てくるのかな、と思ったくらい。

その、このあいだうっかり買ってしまった蘭がさっき届いた。
植物用のちょっと大きな箱に丁寧に梱包された、厳重な包みを慎重に開けると、出てきたのは2号鉢に入ったほんとに小さな苗。
でも小さくても、これまで見たこともない苗。まったく未知の領域。
この『未知』って言葉にはいつだってわくわくする。

わたしが買ったのは『ホリドータ・シネンシス』という原種の蘭だ。
冬咲きで、すでにもう花が終った苗がほとんどだった中で、これはこれから咲くつぼみ付きの苗だった。(上の写真で、つくしみたいに見える部分が蘭のつぼみ。)
わたしがこれを選んだのは夏咲きで、つぼみ付きだったということもあるけれど、それ以上にこの蘭が蘭の中でも水が好きで、水やりが簡単そうだったこと。(わたしにとっては乾かし気味に管理する、ということのほうが難しいので。)
それから寒さにとても強い蘭だということ。(それなら冬越しも楽かもしれない。)
要は、わたしみたいな蘭の初心者にとっても育てやすそうな蘭だったということだ。
そして何よりゴージャスじゃないこと!

蘭といって、ふつう人が思い浮かべるのは胡蝶蘭みたいな華やかな花じゃないかと思う。
京都に行って夜、妹と高瀬川沿いを散歩していて目についたのも胡蝶蘭だった。
開店したばかりのお店の前はどこもかしこも、まるでお約束事みたいに胡蝶蘭のオンパレード。見事にみんなおなじ花。京都では、開店祝いの花といったら胡蝶蘭と決まってるんだろうか、と思ってしまったほどだ。
たしかに華やかだったけれど、夜目には夜の蝶みたいにも見えて、なんだかあだっぽかった。それに、これだけ見事な蘭の花をもらって、花が終ったあとはどうするんだろう、と思った。翌年おなじように咲かせられる人がいったいどれだけいるだろう。
もっとも、義理とか見栄の世界に植物の管理のことを持ち出すなど、ナンセンスかもしれないけれど。わたしなら胡蝶蘭より大きなオリーブやユーカリの木をもらったほうがずっといいな、と思った。

そんなわけなので、この原種はそんな華やかな世界からはほど遠い。
これくらい小さな鉢だったら、部屋の中に置いても邪魔にはならないし、ばらの中にあっても浮くことはないだろう。
小さくて白い花が、鉢からしなだれるように咲くところも可憐でいいと思う。
付いてきた説明書によればこの蘭は、スリランカからインドネシアを経て、フィジー諸島に至る広い範囲に分布している、とある。
これを買う前から原種の蘭が自生している写真をたくさん見ているのだけれど、その姿はちょっとこわいくらいにワイルドだった。
北の寒い国の森とはまたちがう、湿った熱帯雨林の野生、その命の輝きと神秘。

でも、これを機にわたしが蘭にハマることはないと思う。
その生育環境からいったら、ばらを植木鉢で育てること以上に蘭を小さな鉢で育てるのは、人工的で難しいことだと思えるから。

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2017年4月21日 (金)

今季最後のラナンキュラス

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食卓にひさしぶりに花がある。
昨日、とってもひさしぶりに行ったコトリ花店で買ってきたラナンキュラス。
今季ラストだそうです。
それに緑のまんまるしたのと、いちごみたいなのと麦と。
かわいらしいのや美しい花に混じって、ちょっととぼけた愛嬌のあるのを仕入れてくるのがコトリさん風。
わたしが去年はじめて植えたラナンキュラスの球根は、ぜんぶ発芽したものの12球植えて蕾がついたのは5株だけ。つまりたった4割しかうまくいかなかったわけで、なんでかなあ~と思ってるところ。
最近知ったところによればラナンキュラスは温度管理が難しい植物らしい。
わたしに思い当たる節があるとすれば、暮れの忙しい時期だったから、吸水させてから植えるまでにちょっと時間があいちゃったこと。
めげずに今年もトライしてみたい。

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きれいなサブレをいただきました。
和歌山のパティスリー、ミニョンヌさんの『サブレ・ド・スワン』。
ちょうどこの春、娘のリクエストで(村上春樹が『海辺のカフカ』のあるシーンを書いているときちょうどこの映画を想起していた、という理由で)『ピクニック・アンド・ハンギングロック』を見たばかりだったから、それに今日Yahoo!のトピックで頭をくっつけあってハートを作っている白鳥の写真をみたばかりだったからちょっと不思議な気分。今年は些細なことだけどいろんなところでシンクロニシティが起きる。コトリさんのお隣のコナフェさんとあんとす草舟号さんは外が暗くなってもまだ作業に追われていた。
開店はついに明日!

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2017年4月20日 (木)

ママのチキンスープ

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いまよりもうちょっと子供が小さくて、いまよりもっと何もできなかったころ、わたしが家を留守にする日の夕飯にはきまって『ただ器によそえばいいもの』を作って出かけていた。
たいていカレーか、チキンのトマト煮。
それでいいかげん、そのふたつは食べ飽きちゃったらしく、ときどきノー・アイディアで何を作ったらよいか全然浮かばないときなんかにわたしが「チキンのトマト煮は?」といってもことごとく却下されてきたのだった。
とくに何故かチキンのトマト煮は。
でも昨日はほんとに疲れて何も思い浮かばなくて、誰にもなんにも聞かずに作ってしまった。ただ、昔作ってたチキンのトマト煮のままじゃなくて、それに野菜と豆をたくさん入れてスープにしたもの。
さて、どうかな、と思ったら、久しぶりだったせいか多少アレンジを加えたせいか、ふたりともおいしいといって食べてる。
そうだよ、わたしが作るものはおいしいんだよ。
いままでマズイものなんか作ったことないじゃない? と思う。

今朝、昨日の残りのスープとナッツとレーズン入りのパンを食べながら、そういえば高校生のころに夢中になって読んだサリンジャーの小説の中に、『ママのチキンスープ』が繰り返し出てきたっけな、と思った。あのころはとうぜんのことながら子供側の立場(感情)で読んだけど、いま読むとどうなんだろう。
すっかり母親側の感情にシフトしているとか?
そんなことありえる?
もう一度あれを読むと思うとちょっとめんどくさいけど、暇をみつけて読んでみるか。

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2017年4月18日 (火)

Birthday Live@sometime♪

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3月18日夜。サムタイム。
今日のことは2ヶ月以上も前からカレンダーにまる付けてたのに、ここのところいろいろ詰まってたもんだからうっかりしちゃって、今朝になってまだ予約もしてないことに気づいた。
ランチで混みあう時間を避けて午後サムタイムに電話をしたら、やっぱりもう席はほとんど埋まっちゃっててカウンター席はとれなかった。いつも前日電話しても取れないんだから、当日だったら当然か、と思う。さすが直さん。しかも今夜はバースデー・ライブときてるんだから。
「失敗した」とブチブチいいながら遅いランチをすませ。
物事をつつがなくやれるときと全然だめなときと、このムラのある自分ってなんなんだろうと自嘲しつつ、でもそれでも気持ちは今年初めて聴く直さんの音への期待感にあふれ、やっぱり今日もバタバタで家を出た。

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して、厨房前のカウンター・バーからの今日のビュー。
店に着いたときこそまだ人もまばらだったけど、はじめるころにはお客さんで満杯!
3ヶ月ぶりに見る直さんは、今日は白いシャツに黒のスーツとシックないでたちで渋かったです。
最初の曲は『ハロー・サンダース』。
オープニングからすごい疾走感。
それに反応してわっと湧く観客。
その最初の音を聴いた瞬間、ああ、またここに帰ってきた、帰って来られた、と思ってほっとするのと同時にふつふつと喜びが湧いてくるのは(そういう音は)直さんだけだなって思う。つづくミシェル・ルグランの『You Must Believe In Spring』もこの時期だけに沁みる。そしてわたしにとっての今夜のファーストセットの白眉は、ビル・エヴァンスのアレンジでやったという『You And The Night And The Music』でした。
このカルテットにおける真骨頂ともいうべきか。
めちゃめちゃかっこよかった!

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演奏してるあいだも次々お客さんが来るんです。
ぎゅうぎゅう詰めで、その熱気で中は汗かくくらい暑い。
ファーストセットは直さんのオリジナル『カリプソ24』まで全6曲、ピアノの片倉真由子さん、もう淀みなく弾きまくる、それあわせてドラムの大阪昌彦さんも叩きまくる、でも上手いドラムってどれだけハードに叩いても固く締まった音で全然うるさくないのがすごい。
ファーストセットから大盛り上がりで終りました。
そして思わず狭い厨房前のバー・カウンターで並んだ、お隣の今日が初直さんだという男の人に「いやあ~、めちゃめちゃよかったですねー!」というと、彼も「いや、ほんとにすごかったですね!」という。
でもさすがにバーカウンターの高いスツールに長いこといると腰が痛くなりそうだったので、ファーストセットで帰ったお客さんをいいことに席を変わらせてもらった。
して、ビューが変わってセカンド。

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直さんをこの背中越しに見るのも好きです。
そして、これだとかろうじてメンバー全員見えるかな?

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今夜のメンバー、左からピアノの片倉真由子さん、テナーサックスの竹内直さん、ウッドベースの須川 崇志さん、ドラムスの大阪昌彦さん。
セカンドの曲は知らない曲が2曲つづいて、1曲めも2曲めもすごくよかったんだけど相変わらずMCの直さんがボソボソいうので(すみません)よく聞き取れず。3曲めの『竹田の子守唄』はいつも書いてるけどこういう曲をかっこよくジャズでやれるのは直さんくらいじゃないかと思う。渋い。日本のノスタルジー。懐かしさとさみしさと、繭玉に包まれるような温かさと。そしてその後のバラードではこれも曲名がわからなかったのだけど、片倉さんがたっぷり長めの前奏を弾いて、それがすごく美しくてイマジネーティブで素晴らしかった。
セカンドのラストは『I Concentrate on You』。
もちろんセカンドも大盛り上がりで拍手喝采。
となったらアンコールは必至のことで、最後の最後といったら『Kokiriko』でしょ!
っちゅーわけで、今夜も全員手拍子のなか調子っぱずれの直さんの歌で終りました。
でも今夜はサプライズなつづきがあった!
厨房からスタッフの女の子がローソクの立ったバースデー・ケーキを静々と直さんのもとに運んできたの。(実はわたしはカウンターにいたとき、店の男の子が黄色い袋に入った四角い物を外から持って帰って冷蔵庫に入れるのを見逃さなかったんだけど!)

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さあ、こういうの苦手なシャイな直さん、困りましたねえ・・・・・・
「えー、じつは今夜は最初からバースデーライブをするというようなつもりは全然なくて・・・たまたまブッキングした日がそういう日だったものですから、あのお店の人が・・・思えばサムタイムに出させてもらうようになってもう30年くらいになりますでしょうか・・・」と、お店の人やら今日来てくれたお客さんやらメンバーへのお礼やら、喋る喋る、、、、、、

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全方向に向けてあっちを向いたりこっちを向いたり、、、、、、
こういう誰にでも平等なところが直さんのいいところなのだけれど、一体その間わたしは何枚シャッターを切ったことでしょう。

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最後はケーキをずっとかかげつづけてる女の子がかわいそうになってしまったわたしなのでした。そして最後は自分にハッピー・バースデーの歌を歌う直さん。

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ついにローソクの火をふっ!!!

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ふたたび満場の拍手!!
ぶじに今夜のすべてのイベントが終わりました。

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それで今日もわたしは帰り際に直さんとちょこっとだけ話して、「いやあ~、今日も楽しかったー♪」としあわせな気持ちで帰ってきたのだけど、サムタイムでこれをずっと見ているあいだも、この記事をアップするために写真を見ているあいだも、直さんを囲む観客もメンバーもお店の人もみんな実にいい顔して笑ってて、ダブルでしあわせな気持ちになりました

直さん、お誕生日おめでとう!
人生は降る日も晴れる日も、ハレもケもシケもあるけど、降っても晴れてもいつも直さんの音楽があるように、そして直さんがいつも音楽と共にあるように願います!
いつも最高の演奏をありがとう!!

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早咲きばら

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今年の一等賞もやっぱりデュセス・ドゥ・ブラバンでした。

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2017年4月16日 (日)

野川の桜 ***

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ここに来るのは何年ぶりだろう?
野川の枝垂れ桜を見に、二年ぶりの友達と。
年々、桜の樹勢は弱まり、とくに去年はたくさん切られてしまったとかで、今年はあんまりよくないのよ、と友達。
もうかつての全盛期だったころのような華やかさはないけど、濃いピンクの枝垂れ桜と下草の緑のコントラストがうつくしい、この長閑な風景はいまも変わらず。
ここは野鳥もとても多くて、時折りウグイスが気持ちのよい声で鳴くのを目で追いかけながら、彼女の近況を聴く。
いつもなんとなくお互いの節目節目に会う彼女。
今日久しぶりに会ったら上の女の子の結婚が決まったって、それも結婚式は再来週だって。おまけに下の女の子の結婚も決まり、いちばん下の男の子は今年就職。彼女の父は去年の秋に亡くなっていた。
びっくりすることばかり・・・・・・。
人生の時計って、若いころ思ってた以上に早く進むみたいだよ。

満開のソメイヨシノを前に、橋の欄干にもたれて、今年はあなたとここに来られてよかった、って彼女がしみじみ言った。
桜を見る、とは、生きて元気にまた春を迎えられたということ、そのもの。

風が強かったけど二人でしばらく野川沿いを歩いて、今年もまた例の彼女のとっておきの場所でつくしんぼを見た。もう茶色くなってカラカラに乾いてたけど、このあいだまではまだ緑で瑞々しかったって。
つくしんぼはたくさん生えてて、ここに来ればまだつくしんぼが見られるんだね、覚えておこう、とわたしは言った。

幼いころ、場所は違っても都心より少し離れた緑の多いところで育ったわたしたち。
つくし、はこべ、ナズナにぺんぺん草、れんげにハルジョオにシロツメクサ。
春の野っ原で日の暮れまで遊んだ記憶も、いつかは古き佳き時代のただのノスタルジーになるのかな。

この先、何が起こるかなんてわからないし、半世紀生きたこれからもまだ人生はつづいてゆくし、まだまだ悲しいこともいっぱいあるんだろうことを思うといまからちょっとしんどいけど、束の間あたたかな陽に抱かれた春の日。

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あまなつあまなつ *

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昨日のは甘夏ロールで、今日のは甘夏クラウン。
甘夏の王冠です。
(こんなのがあったらかぶりたい? 絵が描けたらすぐに描くとこなんだけど!)
昨日は近所のパン屋さんの開店21周年記念感謝セールの日で、わたしは一日外出してたんだけど娘に買っといてもらいました。
柑橘のピールがたくさん入ったパンって大好きです。
それで今日のテンションの上がる朝ごはんは、昨日のポテトサラダ、ベーコンとほうれん草のバター炒め、トマトに甘夏クラウン。
わたしは今日もテンション上げて行ってきます!

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草舟あんとす号オープン!

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昨日、外出から帰ったら、あんとす堂さんからDMが届いてた!
ついに、彼女がこの春はじめる植物の本屋さんがオープンすることになったという知らせ。
もうずいぶん前に花屋から聞いてた、奇跡的な展開。
あの三角屋根が3つ並んだコトリ花店さんのお隣にコナフェさんの焼き菓子のお店、そしてそのお隣にあんとす堂さんの植物の本屋さんができるなんて。
なんだか夢のようじゃないですか?
つまり、これからは花屋に行って花を買った帰りにコナフェさんのおいしいお菓子を買って、それから草舟あんとす号に寄って本を眺めて ・・・ なんてこともできるし、花と一緒にかわいいお菓子や、花と一緒に本屋でみつけた素敵な植物の本をギフトにしたり・・・、なんてこともできるのです。そしてもっというと、何か知りたい特別な日にはあんとす堂さんのタロット・セッションを受けたり、こころがちょっと風邪ひいたときにはいまの自分にぴったりなフラワー・レメディーを選んでもらうこともできる!
いま、あんとす堂さんもコナフェさんもせっせと開店準備の真っ最中らしく、わたしもどんなお店ができるか、いまからとっても楽しみです。

植物の本屋『草舟あんとす号』と、コナフェさんのお店はともに今月23日、日曜日のオープン。
春の休日、とびきりの花とお菓子と本をめざして、お散歩がてらお出かけください♪

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チューリップが咲いた!

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昨日も暖かかったけど、今日は朝から気温が上がって、いきなりの夏日。
ついにチューリップが咲いた!
咲いたのはピンクと白のストライプ。
かわいい!

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夕方にはふたつ咲いてました。

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2017年4月15日 (土)

気持ちの上がる朝ごはん

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このあいだ、夕飯の買いもの帰りにめったにないこと本屋に寄って雑誌をひろげたら、朝食の写真に目がいって、朝からこんな美しいサラダがでてきたらテンション上がるだろうなあー、と思った。まるいボウルにたっぷり盛られたポテトサラダ、その脇にアーティスティックに添えられた長いままのインゲン、それにとろけるような半熟卵がパカっとのっかって。
それで今朝は朝から半熟卵をゆでる。
沸騰した片手鍋の湯の中に、冷蔵庫から出したばかりの玉子が割れないようにお玉にのせてそっと入れ、菜箸でころころ転がしながらゆでること3分。そのあとさらに6分ゆでたら、お湯をざっとあけて、鍋ごと水冷やすことしばし。玉子がしっかり冷えたころ殻をむきはじめたら、おお、素晴らしい、このレシピ!
殻は難なくつるんとむけて、ふたつ割にしたらちょうどいい湯で具合ではないか。
やったね! これで半熟ゆで卵をマスターしました。
主婦の日常のささやかな喜び。
それで今朝の朝ごはんは昨日のうちに作っておいたポテトサラダ、マリネしたインゲンとプチトマト、半熟ゆで卵。
それに、毎年この季節になるとかならず食べる大好きな甘夏ロール。
今日は日曜だけど早起きしてテンション上げてお出かけです♪

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2017年4月12日 (水)

やさしい葉影

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朝、水やりを終えてふっとふりかえったら、ベランダにやさしい葉影。
ラナンキュラス、

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ローズマリーとポポラス、

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ばら、

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ばらとセルリア。

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ようやく球根の花芽が上がってきました。
これは去年、ばらの培養土を4袋まとめて買ったらプレゼントで付いてきた国産のチューリップ。

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そして、ラナンキュラス。

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わたしのベランダのピース・オブ・マインドな朝の風景。

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2017年4月 8日 (土)

今日のさくら

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プール帰りの水道道路。

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2017年4月 7日 (金)

大島桜 ***

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昨日、父のところで見たテレビの天気予報ではここ数日は雨のはずだったのに、予報が外れて今日は晴れた。
つまり貴重な、絶好のお花見日和。
でも仕事だからお花見に行けるわけもなく、今日も一日中コンピュータの前にいて、仕事が終った夕方またしても家を出た。
昨日、実家に忘れ物をしてしまって。

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それで今日、出がけになって気づいたのは、いつのまにか夕方鳴るチャイムが夏時間に変わっていたことだ。夏時間。
サマータイムっていいな。
5時過ぎてもまだ明るい。
それで部屋の窓から見える夕陽に輝く桜の樹めざして、いつもと違う駅から電車に乗ることにした。どれだけ上を見て歩いても窓から見える桜がどれだかわからなかったけど、駅近くの大きな大島桜と目が合った。
夕方の風に吹かれて明るい瞳。
純白で緑の葉が鮮やかな大島桜は清潔感があって、若くて健康な娘みたいだ。
その波動はどこまでも穏やかでやさしい・・・・・・

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二日つづきで実家に行くと、父は昨日よりましな音でNHKのニュースをかけっぱなしにしてうとうとしているところだった。わたしが声をかけると目を開けて「今日、何曜日?」って聞いた。金曜日だよ、まだ7時前だからIちゃんは仕事からまだ帰ってない、とわたしがいうと、やっといま自分がどこにいるかわかったらしく、「そうか」といった。
外はすっかり春の陽気で暖かいし、ラーメン好きな父だから、夕飯まだならラーメンでも食べにいこうか、といったら、「お金ないから行かない」という。お金ならわたしが払うからいいよ、といえば、「そういうわけにはいかない」という。やれやれ。
押し問答しててもしょうがないから、さっさと帰ることにした。

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2017年4月 6日 (木)

父、86歳

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昨日、詩人の大岡信が亡くなったと聞いた。享年86歳。
くらべようもないことだけど、今日わたしの父、86歳。
もともと小柄で細い人だけど年をとってますます細く小さくなり、もう食べることにもそれほど興味がないから何を持って行ってもはりあいがないのだけれど、夕方アルバイトが休みの娘とケーキを買って実家に行く。
娘のわたしがひとりで行くより孫が一緒のほうが喜ぶと思ったからだが、父は相変わらずテレビの音がわんわんする中にいて我々が行っても消すでもなく、流れてくるニュースは耐え難いほど下劣で、残酷で、そのなかで父のまたいつもの話がはじまったから、わたしも娘もすぐに嫌になってしまった。
ただ、父のいいのは具合が悪いときでもないかぎり、比較的いつもニコニコしていることだ。肩を壊して整形に通っているとき、リハビリルームで何を話しかけてもぴくりとも表情を動かさないこわばった顔の老人をたくさん見た。あの人たちよりはずっといい。それにそういう人たちにだって作業療法士たちは根気強く、やさしく話しかけていたのだから。

そしてもちろん、そんな父にだって当たり前のことだが若くて元気なときがあった。
算数と図画が得意だった子供時代の父は祖父の家がもともと商家だからという理由で商業高校に上がったが、学校に行っても勉強どころか毎日校庭で槍持って軍事教練ばっかりやらされて、いいかげんうんざりして辞めてしまったあとは戦後の父親との闇市からはじまって、ありとあらゆることをして働いた。
最も給料がよかったのは日本製鋼でアメリカ人の下で働いていたときで、ふつうのサラリーマンの数倍の給料をとっていたという。
「若かったころの兄はお洒落だった」と、その兄の部屋に勝手に上がりこんで洋服ダンスの服をみんな売り払ってしまった父とは真反対の遊び人の叔父が昔いってた。小さいときからお金で苦労した父がたぶん、最も自分にお金を遣えていたとき。
それから見合い結婚してわたしが生まれた年に、父は宅地建物取引士の資格を取って不動産屋に転職した。結婚して子供もできて、父としては「これからがんばって稼ぐぞ!」と思ったのかもしれない。
わずかにいいときもあったようだけれどもともと浮き沈みの激しい商売、毎月の収入は安定せず、母にいわせれば不動産屋なんて水商売とおなじだった。母はいつも「サラリーマンがよかった」と愚痴をこぼした。
今日、当時のことを思いだしながら父は「不動産屋の中にも悪党がたくさんいた」と言った。父の口から『悪党』なんて言葉を聞いたのは初めてで、いつになくそれは新鮮だった。
悪党。いまとなってはそんな言葉さえノスタルジー。
いまは度を超えてもっと狂った人間がいっぱいいる。
世間の『海千山千の不動産屋』というイメージに反して、父は『公正』ということにおいては不器用なほど実直で、頑固で、正直が服を着たような人だったけど、でもそんな父には妙な山っ気があって、いつだってどこかで一獲千金を狙ってるようなところがあった。
それがわたしには子供心にも面白かった。夢を見る人。
でも父が不動産屋で働いてて一番たのしかったのはお金儲けより何より、土地を見に行ったり、測量でいろんなところに行けたことだという。自分で車を運転して、どんな遠いところにも行った。楽しかったなあ・・・・・・

わたしが憶えている、わたしが子供だったころの父の趣味は、映画と、映画音楽。
いまじゃ信じられないことだが、昔はこの父がクロード・ルルーシュ監督の映画が、フランシス・レイの音楽が、と言っていたのだ。
それと、ドライブ。
毎年、夏休みには海に海水浴に行った。
わたしがいまでも助手席よりバックシートが好きなのはそのせいだと思う。
そしてたまに、囲碁や将棋。
突然やってきては人のうちで夕飯を食べ、酒を飲み、遅くまで帰らない悪友。
父のパチンコの腕はプロ級だった。
どこまでも山の手お嬢さん気質の母にわたしはどれだけ使いにやらされたことだろう。パチンコ屋の自動ドアの外に立っている母に、「ほら、あそこにおとうさんいるから呼んできて」って。いま思うとあんなにうるさくて煙草臭いところに子供やらせるってどうなの、と思うけど。突然、店に入ってきた小さな女の子にいま取ったばかりの玉をケースごとくれようとするおじさんもいて。屈託なく、明るい時代。わたしにとってはチョコレート・パラダイス。
給料を給料袋ごと奥さんに渡してしまう、自分に贅沢を許さない父にとってはささやかな息抜きだった。
それから煙草。
これは、がんになったいまでもやめないからきっと死ぬまでやめないだろう。
もうそれでいい。

父は早くに母親を亡くし、継母が来た直後から80になる直前まで家族のために働きづめに働いた。働くことだけが父のアイデンティティーだったとしても、それはしかたがない。いつか父と同年代の人に「ただ働くだけの人はだめだ」といわれたことがあるけれど、そういう父を誰が責められよう。
誰でもが自分の好きなことをやって生きていけるわけじゃないのだ。
人それぞれ、生まれ育った環境も違えば、そこからできあがった性格も違う。
とくに父の時代はそうだった。
根っからの貧乏性の父であれば、なおさら。

このあいだ、自分が買った本を息子に見せながら、帯に書いてあることを読んでいたとき、息子が『自分に許可を与える』って面白い言い方だね、といった。
「そうかな。それってすごく大事なことだよ。そして意外とできないことでもある」と、わたしはこたえた。
自分にほしいものを与える許可、好きなことをする許可、自分を認める許可、楽しみ事を許す許可、休みを与える許可、お金を遣う許可、人を愛する許可、冒険をする許可、我が儘を通す許可、etc;etc ・・・・・・
大なり小なり、人は様々に自分(ときに他人まで)を制限して生きているから。
父がボケたのも、わたしは父が長らく自分の欲求や能力を様々に制限したせいじゃないかと思っている。もっとも、認知症外来のエリート医師は頑としてわたしを馬鹿にしたような目で見ながら「そんなことは何も関係がない!」というだろうけど・・・・・・

いつも近所の『さくら湯』の前を通るとき、小さかったわたしの記憶では山の中にあったようなその銭湯に行くのに、あの小さい父が自分より大きな奥さんを自転車の後ろに乗せて、わたしをハンドルに付けた椅子に乗せて、坂を上ったり下ったりしながらよく行ったもんだと思う。その記憶はいまでも五感で憶えていて、その映像はまるでニュー・シネマパラダイスのようだ。

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2017年4月 4日 (火)

春の香

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うちの近所には安全でおいしいお肉を売るお肉屋さんがあって、ときどき息子のリクエストで、そこで買ってきたカルビで焼き肉をする。
ふだん、そんなにお肉は食べないから、たまに食べるとすごくおいしくて元気が出る。
昨夜がそれだったので今日の朝ごはんは玄米がゆ。
とにかく肉が食べたい息子に反して娘は菜食。
彼女の好みはとっても渋くて坊さんのようです。
その娘が好きな、菜の花のからし酢味噌あえ。
昨日デパートの地下の野菜売り場で京都産の菜の花をみつけて買ってきた。
こういうのを娘はどんぶり1杯でも食べる。
京都のちりめん山椒もお漬けものもこれで最後。
ふきのとうと菜の花。
どちらも春の香。

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