寒緋桜と河津桜 *
このあいだ日の暮れに娘と散歩していたら、春の蒼い夜に遠目にもぼおっと灯るように紅く見えて、いつの間にか桜が咲きはじめていたのに気づいた。
早咲きの寒緋桜と河津桜。
今年は年明け早々2ヶ月つづきでストレスつづきだったから、桜のことなんてすっかり頭から抜けてしまっていた。
誰が見ていなくたって季節が廻れば咲く時を知る花のたしかさ。
それは不安定で不確かな人間とはまるでちがう。
遊歩道に植えられた何本もの桜のなかで、毎年この2本だけがまだ寒いうちに先頭を切って咲く。遠目にはもうほとんど赤みたいに見える濃い色の寒緋桜。
この樹が満開になるといつも様々な鳥が飛んできて蜜を吸う。
それから、寒緋桜ほど濃くはないけど、ソメイヨシノにくらべたらやっぱりずっとピンクの色が濃い河津桜。
花色が濃いせいでこんな曇天でも背景に沈まずになんとか撮れる。
毎年訪れる、プール帰りのわずかな花見時間。
今日は近所の花屋に寄って桃の花を買って帰った。
このあたりでは昔からあるこの花屋の年配の店主が素晴らしくて、彼女はいつもとくべつに穏やかな空気をまとっていて、人と話すとき、お金をうけとるとき、かならず人の目を見てやさしく微笑しながらうけこたえをする。そのものやわらかな雰囲気はほかの人には滅多に感じないもので、それは「こんなふうに年をとれるなら年をとるのも悪くない」とわたしに思わせるようなものだ。
電車の中でよく見かける若くてきれいだけれど仏頂面をしたぞんざいな態度の女と、年はとっても品があって笑顔がやさしい素敵な女となら、わたしなら間違いなく後者のほうがいい。それがグッドエイジングってこと。ヨーロッパではもうとっくにエイジド、といって、年を重ねた女の美しさに注目が高まっているのに、この国はいつまで『若いことが全て』でいくのかしらねえ、まったく幼稚だよ、と息子と話す。
花屋の店主は花を買うといつも一言添えてくれるのだけど、今日は「もし、これからとても乾いたお部屋に入られるのなら、枝についた硬いつぼみに霧吹きをかけてからいけられると、硬いつぼみもふっくらしてきますよ」だった。
そのとおりにしてみたら、紫色に青ざめて縮こまったみたいだった硬いつぼみがふわっとしてきてピンクがのってきた。
素晴らしい。
まだ20代のはじめのころ、「いつか、髪が真っ白になったらピンクを着るの。そのときまでピンクは着ないでとっておく」といったYちゃんは今頃どうしてるかな。
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