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2016年10月24日 (月)

幻の鳥取

16soraya

昔から鳥取砂丘は一度行ってみたいところだったけど、今年の夏、そのひとがインスタグラムにアップする写真で、鳥取が自分が思っていた以上によいところだと知った。
どこか昔懐かしいようなビーチと、海の家。
温かいひとたちがたくさん住んでそうなイメージ。

そんなふうだから、どうしたって思いださずにはいられなかった。
そこはかつてわたしが結婚していたひとの両親の故郷でもあって、彼らふたりは若いとき駆け落ち同然で家を出て、北海道で暮らすようになったのだと、むかし義理の母に聞いた。そのときわたしは若かったし、自分の親が見合い結婚なものだから、駆け落ち結婚なんてロマンチックだなあ、と思ったけれど、実際のところはどうだったかわからない。
それほどたくさんのことを聞いたわけではない。
ただ言葉の端に出てくる『倉吉のおばちゃん』とか、そんな言葉が頭に残っていて、だから倉吉の写真がアップされれば、ああ、ここがあの倉吉ってところなんだ、と思って眺めた。
鳥取を出てからずっと北海道で暮らしていた両親が再び故郷に帰ったのは、いくつくらいのときだったろうか。
北海道といっても東京とあんまり変わらない札幌市内で暮らしにくらべたら、そこはずいぶんとさみしいところだったに違いない。
家の裏は山で、冬は山から風が吹いてくるの、と母はいった。
わたしはついに鳥取に行くことはなかったけれど、小さかった息子は父に連れられて一度だけ鳥取に行ったことがある。夜行列車で。
あのときわたしが行かなかったのは妊婦だったからだろうか。
あとから向こうの家や近所の公園や、砂丘で撮った息子の写真を見せてもらった。
砂丘の先は海なのだという。
海の写真はなかった。
わたしもいつか、家族みんなで行きたいです、とわたしは母にいった。
鳥取砂丘で家族みんなで写真を撮るのが夢だった。
いつものごとく、その絵はすでに頭にあった。
いつも現実より美化されてしまう、お馬鹿なわたしの頭の中に。
そしてけっきょく、かなわなかった。

離婚してからもときどき鳥取の母とは手紙や物を送りあったり電話で話したりした。
まだまだ慣れないさみしい3人暮らしのなかで、母の送ってくる荷物はいつもちょっと泣けるようなものだった。
詳しくは書かないけれど、とても日常的なもの。
ありがたく思うのと同時に、ちょっと切なくなるような。
そして、わたしがお礼の電話をすると、きまって最後に母に謝られるのがしんどかった。
わたしはいつも最後に「いつか子どもたちと一緒に鳥取に遊びに行きます」といった。
それはわたしのなかではいつか果たさなければならない約束みたいなものだった。
そういう、どこかぎこちないやりとりの何年かが過ぎて、向こうから何もいってこなくなった後もわたしは何かの折りをみつけては贈りものをした。
でもいつも最後は謝られるばかり。
それにそんな言葉とは裏腹に、どれだけ時間が経っても心を割ってつきあってくれない頑なさに、だんだん疲れてしまった。自分の息子をバカ息子といいつつ、たった数回しか会ったことのない孫よりは、やっぱり自分の息子のほうがかわいいんだなあ、と思った。
そりゃそうだ。
それは、わたしも一人息子を持つ母親の身だからわかる。
しだいに自分がするわずかなことで返って相手に気詰まりな思いをさせているんじゃないかという気がしてきて、「もういいかげんやめたら」という親友の言葉を期に、こちらから連絡するのをやめた。
たぶん、もう十年以上前のこと。
ただ自分の中に果たせなかった約束だけがいつまでも残った。

そんなわけで鳥取の景色を見ることが多かったこの夏、思いだしたのは母の子どものころのこと。
わたしの母は樺太から着の身着のまま本土に引き揚げてくるときに写真の一枚すら持ってくることができずに何もかも失ったけれど、鳥取の母は母で、子どものときに遭った鳥取地震で家ごと何もかも失った経験を持つ人だった。
いま計算すると12歳のときだった。
それはどんなにいたましい経験だったろう。
そんなことを思いだしていた矢先に先週、鳥取で地震が起きた。
ちょうど娘がアルバイトに行く前に一緒に遅いお昼を食べていたときで、わたしの携帯が鳴って、地震発生のメールを見て思わず上げたわたしの声のほうに娘はびっくりしてた。そのままアルバイトに出かけた娘も気になったようで、帰って来るころにはわたしの知らなかった情報を教えてくれた。
それでいろいろ考えたけどやっぱり何もせずにはいられなくなって、今日ときどき行く自然食品屋さんに行って、細々みつくろったものを箱詰めして送ってもらった。
もうわたしには母があれほど好きだった珈琲をいまも飲んでいるのかいないのか、豆でよかったのかダメだったのかもわからないし、うちの単純な親と違ってちょっと難しいところのあるひとだから素直に喜んでもらえるかどうかわからないけれど、あとは天にまかすだけ。
地震で壊れた地域の復興と、余震が治まって住民に穏やかに暮らせる日々が早く戻ってくることを祈るだけだ。

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