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2016年9月30日 (金)

秋のライラックローズ**

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今日は久しぶりに怖い夢を見た。
夢の中で、水道料金が口座振替できなかったうえに郵送された請求書を見落としていて、支払期日ぎりぎりになってそれに気づいて水道局まで支払いに行こうとするのだけど、自転車に乗って走りだしたらどうやっても水道局の場所が思い出せない。それどころかいくら走っても目の前に広がるのは見知らぬ景色ばかりなのだ。
だんだん日は暮れてくるし、気持ちは焦るけれど、夢の中ではいつかわかるだろうと思いながら走っている。すると町を見下ろすような高台からの急な坂道に出て、ふと見た右手の視界の半分に、山と鬱蒼とした森、そのふもとの集落の建物までがまるで丸ごとぜんぶ炭化したみたいな真っ黒な景色が見えた瞬間、ものすごく嫌な気持ちになって、ここはヤバイ、ここはいけない、早く通り過ぎなければ、と思った。それでもう何も見ないようにしてただ前だけを見て夢中でペダルを漕ぎはじめた途端、後ろからわあーっと何か重力というか引力のようなものが覆いかぶさってきて、それに自転車ごと飲みこまれる瞬間、「ああ、もうだめだ!」と思った。次に意識が戻ったときにはわたしは使われなくなった駅ビルの廃墟のようながらんとした無機質な部屋にいて、床で横向きに寝ていた。目が覚めてゆっくり起き上がると何か黒いものが付いてきて、おそるおそる引っぱってみたら、それはただの大きな黒いポリ袋だった。夢っていうのは変なもので、夢の中ではわたしはそれが何か役に立つような気がして、それを引きずったまま歩きはじめる。しばらく行くと、まるで地下道から駅の改札につづくような明るい場所が見えて、「助かった。これでもう外に出られる!」と思うも、そこもただ灯りのついたビルの廊下のようなものがつづくばかりで、どこにも行けない。窓の外を見ると外はもうすっかり暗くて、一刻も早くここを出たい、と思う。そして、そんな時間にもかかわらず前から小さな子ども(少年)が一人で歩いてくる。思わず声をかけて、どこから来たのか、出口はどこなのか聞くけれど、少年は何も知らない、という。そしてほんとうにおかしいことに、この期に及んでもまだわたしは水道局の道を一生懸命思いだそうとしているのだ。ときどき現実に目が覚めることがあって、布団の外に伸ばした自分の手を見たりしているのだけれど、とにかく必死で道順を思いだすことばかり考えていて、廃墟ビルに取り残されたその状況がこわいんだか、どうやっても思いだせない自分の頭(脳の記憶システム)のほうががこわいんだか、もうわからなくなってしまっている、という夢。
炭化したような黒く覆いかぶさってくる風景がとにかくリアルで、目が覚めてからもしばらく怖かった。

そのあと、朝1に仕事仲間から電話がきて、うっかり取りそびれたのでかけ直すと、わたしの声を聞くなり「どうしたの、その声!」というから、「これでもよくなったほうだよ。月曜の朝はぜんぜん声が出なかったんだから」といったのだけれど、つまり他人からするとわたしはまだまだ病人らしい。

ひどく夢見が悪かったせいか今日はめっきり体調が悪く、うっかり最もいいタイミングを見逃してしまったけれど、午後ベランダに出たらライラックローズが咲いていた。
今日は久しぶりに秋らしく爽やかに晴れて、一日じゅう除湿機をかけてもペタペタしていたフローリングの床がサラサラになった。
しばらくこんな天気がつづくといいと思う。
ライラックローズはすっかりひらいてしまったけれど、ばらのつぼみはもうひとつ。

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ムスカリもいつのまにかまた芽を出しはじめた。
そして今日はうれしいニュースがひとつ。
藤本さんの詩集がついにできあがったって。

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2016年9月29日 (木)

9月は全滅。

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朝から土砂降り。
それに今日は一気に気温が下がった。
さすが雨女、これじゃ今日は無理だな、と思ってあきらめて仕事をしてたら、午後から徐々に晴れて気温が上がってきた。
それでどうするか一瞬迷ったけれど、昨日から頭ははっきりしてるから一生懸命仕事はしてるものの、相変わらず鼻声で年じゅう鼻かんでるわ声は出ずらいわ咳すると変な音するわ、おまけに仕事は詰まってるわで、とっても夜から出かけられるような状態じゃないから残念ながら今夜のライブもあきらめた。
行き帰りの電車の中とJAZZバーの冷房も恐怖だし。
これで9月は全滅。

今週は毎晩ヒマラヤブラックソルトのお風呂に入って12時までには就寝し、寝るときには喉に効く精油を焚いて、ゆたぽんで喉を温め、朝起きるとヒマラヤ岩塩の水でうがいをし、珈琲や甘いものは避けて1日3回ちゃんと薬を飲んでいるのに、なんでこんなにしつこく治らないんだろう、と思う。ほんとに嫌になる。
でも家を一歩出ると、どこに行っても自分とおなじような咳をしている人に出会うから、どうやらいまはこの風邪が流行っているらしい。
9月は気持ちよく晴れたのなんかわずか数日のことで、ほとんど毎日雨ばかり。
何より湿度がよくなかった。
冬の風邪は乾燥してるときに流行るけど、夏の風邪は湿度を好むから。
それに今年は来るべきときに来なかったせいで夏の終わりに台風ラッシュになって、ずっと低気圧がつづいたせいで耳鼻咽喉科には突発性難聴や眩暈で来る患者が多いそうだ。低気圧による自律神経の乱れが原因らしい。

自分の具合が悪くて植物の面倒をあんまりみれずにいるうちにベランダの植物の調子も悪くなってきた。枯れそうになっているいくつかの植物。
植え替えようにもちょっと遠くのホームセンターまで自転車で走って鉢を買いにいかなきゃならないから、まだ数日はできそうもないなと思う。

写真は雨の朝にポツポツと小さな花を咲かせているジュビリー・セレブレーション。

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2016年9月27日 (火)

病は気から

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人間、たかが風邪をひいたくらいでも、具合が最高潮に悪くなって薬を飲んでもうただ寝てるしかなくなると、ずいぶん自分を非力に頼りなく感じるものだと思う。
病は気からっていうけど、今月は病の気と副交感神経優位の気と踏んだり蹴ったりの気がいっぺんに押しよせちゃったみたいだ。

昨日の朝、起きたら声が出なくなっていた。
日曜日にもうだいじょうぶだと思って動きまわったのがまずかったらしい。
でも昨日は仕事の相手と話さなきゃならないことがあったので電話でちょっと長く話したら、そのあと咳が止まらなくなって、夕方また電車に乗って診察終了時間ぎりぎりセーフで耳鼻科に駆け込んだ。
このあいだとは違う抗生物質と胃薬と咳の頓服を出してもらって、駅前の薬局で薬を待っていたら名前が呼ばれて、処方された3つの薬のうちひとつの在庫がないからこれから問屋に発注して数日かかるという。びっくりして、もしかしてそれは咳止めですか、と訊くと、そうです、というので、それは困る、咳がひどいので無理してここまで来たのに、その薬がないんじゃ話にならない、と伝えると、若い薬剤師は困った顔をして、ほかの薬局に問い合わせてみます、という。薬剤師が近所の薬局に電話してすぐに薬はあったものの、それからその薬局の地図をプリントアウトするまでにずいぶんと時間がかかり。コンピュータの画面をじっとにらんで固まっていた薬剤師がやっと地図を印刷して渡してくれながら「それでだいじょうぶですか?」と訊くので、だいじょうぶも何も、取りに行かなきゃならないならしかたがないじゃないですか、といつになくきつい調子でいってしまう。そして薬局を出るとパタパタと雨だ。ほんとにツイてない。このあいだ渋谷のタリーズコーヒーで待ち合わせたとき、うっかり白いシャツにアイスコーヒーをこぼしてしまって「やれやれ! 踏んだり蹴ったりだ!」と嘆いたTちゃんの声が聞こえてくるようだった。目指す薬局はバス停にして2つ先くらいにあって、ふだんなら歩いて行くところをバスに乗って行った。そこは妹の働くクリニック近くの見るからに年季の入った院外調剤薬局で、老練な薬剤師(まるで童話に出てくる世話焼きのアヒルのお母さんみたいな)のおばさんがにこやかに対応してくれた。
わたしの好きな耳鼻科の先生はとてもいいお医者さんなのだけれど、処方する薬の中には現在ではあまり一般的ではない古い薬も含まれているようで、常時在庫してない薬局もあるかもしれない、とのこと。でもこの咳止めの頓服はすごく効くそうです、というので、ほっとして薬局を出た。帰りは降ってなかったから駅まで歩いたけれど、この間雨に降られなかっただけでも神さまのおはからいと思う。電車に乗って最寄りの駅に着いたら見事に土砂降りだった。駅前で安いビニール傘を買って夕飯の買いものに行き、文字通り着ているものからバッグから靴までずぶ濡れになって帰った。なんとも素敵な日*

そして今朝起きてわたしの顔を見るなり子供たちふたりは「今日はもう寝てるしかないね」といった。息子は今日は外で食べて来るから夕飯はいらないよ、といって出かけた。
そうして、こんこんと眠ってるときはいいけれど半覚醒のとき思いだすのは古いことばかりで、咳止めの頓服を見ていたら小さいときのかかりつけ医を思いだした。
東京下町で生まれて小学校にあがる1年前までをいま住んでいる辺りですごし、中野区に引っ越したばかりのときにパインのひとかけが原因で死に損なったときにM先生とは出会った。それ以来、虚弱体質だったわたしは何度、母におぶわれてM医院に連れて行かれたことか。見るからに重病でもない限り、先生はいつも目尻を下げてにこにこと迎えてくれた。ふつうの家みたいな引き戸をガラガラと開けて玄関で靴を脱ぎ、一段高くなった診察室に入るとそこは静かな板間の部屋で、診察が終わると先生はかならず薬は錠剤がいいか粉薬がいいかとわたしに訊いた。うんと小さいころは苦くてまずい粉薬を飲むのに苦労して、母がいつもオブラートに、まるできな粉と砂糖を混ぜるみたいに粉薬と砂糖(白砂糖だ!)を混ぜたのを包んでくれたのを飲んでいたけれど、一人で医者に行けるようになったころにはもう薬を飲むのにもすっかり慣れていて、わたしは「どっちでもいいです」といった。
すると毎度、身長と体重を計られて、何やら計算していたかと思うと乳鉢に薬を入れてごりごりやったのを薬包紙に置いて、器用に折りたたんだのを渡してくれた。青い紙のは頓服。
いまとなるとそんなことも懐かしい。
子供ながらに先生の一連のその作業を見ているのはなかなか面白かった。
もちろん、面白いと思えるのは熱に浮かされてないときだけだけれども。
先生は小児科医だったけれど、大人になってからも具合が悪くなると時々行った。小さいときから診てもらっているからなんでもよくわかってくれていて、行くと診察しないでもすぐに薬を出してくれるのがありがたかった。
二十歳も過ぎて行ったとき、わたしがお酒も煙草もやらないというと、それじゃ人生の楽しみの半分もないねえ、と笑いながらいうので、いったいあなたはどういう医者なんだ! と思ったり、さらにその後になると、新宿副都心の職場近くで先生が着物姿の女性と一緒のところにばったり遭遇し、「今日のことは内密に」なんて耳打ちされたことももう遠い昔のことだ。
そして自分が子供を産んで杉並区からここに引っ越したばかりのときに近所の医者のことを何も知らなくて、M先生に電話してこの辺で往診してくれるお医者さんをご存知じゃないですか、と訊いたら、医師会がちがうからそちらのことは自分にはわからないし、それに早苗ちゃん、いまはもう往診してくれる医者なんていないよ、と笑われて、小さいときに散々往診してもらったわたしとしてはハタと目が覚める思いだった。
もう時代がちがうのだ。
M医院とM先生のことを思いだすとき、診察室も先生そのものも限りなく昭和的だったな、と思う。病気になって痛い思い、苦しい思いをいっぱいしたのに、M先生のいる診察室はあたたかで、いつも先生の顔を見るともうだいじょうぶだって安心した。
もう数年前のことになるけれど、父とちょっと遠くのスーパーマーケットに行くのに着いて行って、ものすごく久しぶりにM医院の前を通りかかったら、もう医院の看板は降ろされていた。当然だ。M先生は父より年上だろうから。
でも、もしいまでもご健在でいらっしゃるなら、当時はほんとうにお世話になりましたとご挨拶にでも行きたいところだ。
いま、わたしがわざわざ具合の悪いときに電車に乗ってでもN医院に行くのは、そんな古き佳き昭和の匂いが残っているからかもしれない。

小さい子供がいる家庭というのは良くも悪くもいつも賑やかで、親はとても苦労して子供を育てるのだけれど、そんな時代もあっという間に過ぎてしまう。
いまは子供のいない夫婦が多い時代で、いくつになっても夢を追いかけてるような、いつも自分をファーストプライオリティーに置いてるような、そんな自由さには羨ましくなるときもあるけど。
「でもやっぱり子供はいたほうがいいよね」
といったら、Tちゃんは、「金はかかるけどね」と笑った。
彼には素敵な大学生の娘さんが二人いる。
たとえ、いくらお金や手間や時間がかかったとしても、彼らの未来の可能性ははかりしれないほど素敵だ。
それにつけても親はいつでも元気じゃないといけない。
病の気とはさっさとオサラバしないとね。

今日は友達から「1週間もブログ更新されてないしで、ちょっと心配してます」とメールがきた。もはやこのブログも安否確認用か? とも思うけど、気にしてくれる人がいるだけありがたいってこと。
明日の夜はほんとは『大人のデッサン教室』というのに行くのをすごく楽しみにしていたのだけれど、けっきょくキャンセルするしかなかった。
紫織さんの個展も見に行けなかったし。
あさっての夜は上町63だけど、下手するとそれも駄目かもなあ・・・。

ともすると気持ちまで不安定になりそうななか、今日の夕方の空には癒された。
じきに散々だった9月も終わり。

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2016年9月25日 (日)

Son's birthday

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やっと晴れた。
そして昨日はどうなることかと思ったけれど、なんとか体調を立て直した。
まだ喉のイガイガと咳は残ってるけれど、なんとかなるだろう。
朝から大量の洗濯物と掃除。
家から病の気を一掃するために。

今日、息子の誕生日。
プレゼントは、このあいだみつけたネイビーブルーのピンストライプのジャケットと、アムレテロンさんで買った音楽の本。

【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史
憂鬱と官能を教えた学校

著者は息子の好きな菊池成孔と大谷能生。

気に入ってくれるかな?
夜は早めの夕飯を外に食べに行って、今夜も早く寝る!

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2016年9月19日 (月)

今日も雨 **

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昨日夕飯を食べたのが遅かったせいで、朝5時前に目が覚めてしまった。
そこからはどうしても眠れないので、またしてもパジャマを着たまま夏剪定のつづきをする。あっちこっちばらの棘で引っかけられながら・・・・・・
剪定をすると樹形が小さくなるから、できるだけいままで日の当たらなかったばらにも日が当たるように配置を変えるんだけど、まるで難解なパズルのピースを動かすように悩ましい。

あまりに強健で、ぶっとい枝に恐ろしい棘がいっぱい付いているせいでふだん手の届かない奥に置いてあるばらを久しぶりに見たら、信じられないくらい見事にカイガラムシがびっしり付いていて、ばらに謝りながらブラシでゴシゴシやる。前に、この作業が好きだとかいってる人がいましたが、そんな生易しいもんじゃないですから、カイガラムシって。一度付いたらすごくしつこい。棘だらけの枝は剣山にブラシかけてるみたいで、思わずナーサリーはきれいな花のアップばかりじゃなくて、こういう棘だらけのぶっとい枝の写真もサイトに載せてほしい、と思ってしまう。ぜったい買わないから。

枝を剪定して傷んだ葉を落として土を中耕して、鉢を回して虫が付いてないかチェックして、場所を考えて鉢を移動する。・・・・・・ と、ゴミや埃が出てくるから箒で掃いて掃除する。またしても、あっという間に3時間半経過。
だからこんなことは時間のある休日の早朝くらいしか落ち着いてできない。
最後の最後になってミセス棘(シュノンソー城の貴婦人)にふくらはぎをリネンのナイティごと思いきりギャッとやられ出血大サービス。それで気分は終了。ミセス棘にはついにご退場願った。下の共同庭にでも植えてくるか。

今日も雨だ。
よく降るなあ。
「これだけ雨がつづくと思いだすのは村上春樹の『土の中の彼女の小さな犬』だ、とくに昨日みたいな日の翌日だとね」と娘に話してたら、「今年は母の17回忌をするんだった。去年まで覚えてたのにすっかり忘れてた!」と妹からメール。
わたしはお彼岸でお墓参りのことばかり考えてたけど、この雨で父も何も言いださないらしい。
17年か。早いな。
昨日初めて会った三彩さんの彼氏にも驚かれたけど、ありえないほどわたしも年をとりました。もういいかげん、リゾートホテルで連泊しながらぼんやり雨を眺めるくらいの余裕がほしいってもんです。

今日早朝のマイ・シャビー・ガーデン。

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2016年9月16日 (金)

ココナツ・ソイミルク小豆白玉

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このあいだムケッカをつくったときに余ったココナツミルクを冷蔵庫にしまうとき、ふいに思いついた flair 煮小豆に白玉、そこに温めたココナツミルクと豆乳を入れたらおいしそうだな、って。
最近、料理に砂糖を使うことがほんとに少なくなって、滅多に砂糖を買わないでいたら小豆を煮るのに足りなくなって、甘さ控えめの仕上がりになったのでそのぶんココナツミルクと豆乳の中に練乳を入れたら、がぜんベトナム風。
できあがったのを食べたら、これってこの夏、巷で流行ってたチェーの温かいバージョンじゃないかなって思った。
ほのかに練乳味のココナツミルクとソイミルクで薄まった小豆はいつものぜんざいよりライトな食べ心地で、ふわふわの白玉とよくあっておいしい!
ともするといつもの白玉ぜんざいよりおいしいかもしれない。
冷たくしてバニラアイスをのせるのもいいと思うけど、早や季節はこんな温かいのも食べられるくらいに進んでいるのでした。
ベトナムのチェーみたいってことで、娘がベトナムの女の子からもらったロータス・ティーと。

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蓮の花といってわたしが思いだすのはマイケル・フランクスの『ロータス・ブラッサム』で、このお茶をいれるあいだ口笛で吹いてた。今日も外は雨で、『So empty like sky / Without any sun / Lotus Blossom don't cry / You and I were meant to be one』という歌詞ではじまるアンニュイな歌は今日みたいな日にぴったりです。
このお茶、てっきりティーバックかと思って封を切ったら中にリーフティーが入ってて、その女の子がいってたようにこれでポット2回分飲めました。
蓮のお茶独特の風味。味は苦め。
この苦さは完全デトックス系で、満月浄化にぴったりなお茶。
昨日、中秋の名月。
この月はまたの名を栗名月といって、昨日からここ数日間は栗、かぼちゃみたいな黄金色の食べもの、白玉、丸餅、里芋みたいなまるっこい食べものを食べるのが風水的に金運食といって縁起がいいそうです。

ちなみに1番上の写真、チェーが入っている器は昔、『陶の森』さんで買った『クリーム小鉢』。生クリームみたいな釉薬が刷毛でシュッと入ってるところからのネーミング。木のお皿はサノアイさん。カトラリーは先月『無垢里』の2人展で買った町田(旧姓:遠藤)翔さんのスープ・スプーン。これが驚くほどすくいやすくて食べやすい!

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2016年9月14日 (水)

夏剪定はお済ですか?

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激しい雨の音で目が覚めてしまって、朝5時。
それからどうやっても眠れないのでしかたなくベランダに出て、そういえば昨日ばらのナーサリーから『夏剪定はお済ですか?』というメールマガジンがきてたな、と思いだして剪定をはじめた。
昔から「ばらをやっている」というときまって相手から「ばらは難しいから」といわれるのにはもう飽き飽きしているけれど、ばらには季節ごとにやるべきことのルーティンがあって、それをきっちりやれなくても、ポイントさえ押さえていればなんとかなるものだと思う。
ただ、そうはいっても狭いベランダではおなじように世話していても枯れていくばらもあって、持って生まれた個体差もあり、それもしかたのないことだと思う。
いつか、表紙の美しさに思わず手に取ったばらの特集の園芸誌の中に、有名な方なのか、見るからに口やかましそうな園芸女史の写真の横に、「いくら好きだからといって狭いベランダでたくさんの品種のばらを育てるのは、ばらの健康を考えるうえでいささかも感心しないからやめたほうがいい」というようなことが書いてあって、至極ごもっともだけど、しょせん狭い自分のベランダをどんなふうにばらでいっぱいにしようがわたしの勝手だわ、と思ってパタリと閉じてしまった。
世の中にはそう広くないマンションのベランダで一千本のばらを育てて育種家になってしまった人だっているんだしね。
夢はどこからはじまるかわからない。
いつものことだけど、ベランダでばらの世話をしていたらあっという間に3時間が過ぎてしまった。

上のばらがぜんぶひらくとこうなる。
My eys wide open.

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2016年9月13日 (火)

雨の朝、デュセス・ドゥ・ブラバン。

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このところ天気予報がはずれて降らなかったけど、ついに雨。
ベランダでザーッという雨の音に包まれてると、むしろ心地よいくらいだ。
蒸し暑かった昨日にくらべると気温がだいぶ下がった。
そして日に日に日の暮れが早くなって驚くほどだ。
夏好きはみんな、夏が終わったらもう冬みたいな気分でいるらしい。
Jさんは昨日、寒くなったらもっと身体が痛みだすんじゃないかって気にしてた。
この先はね、自分の目の前に小石をぽとんぽとんと落とすみたいに、目先の楽しみを用意しておくのがいいと思うよ。
そうやって、やっとの思いで小石から小石の間を歩いてるみたいな日々がわたしにもあったなあ、と思う。
わたしにとってはばらもそのひとつだった。

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2016年9月12日 (月)

ムケッカをつくった。

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サルサバンドをやっていて、ブラジル音楽が大好きで、わたしに『サラヴァ』を教えてくれた友達が大道具の仕事(通称なぐり)をやっているということから、ビスを立てられないうちのコンクリートの壁に絵を掛ける仕掛けを考えてもらっていて、今日その試作品を持って来たいというのでランチに何をつくろうかなと考えて、ムケッカをつくることにした。
ムケッカは一度だけ食べたことがある。
鎌倉のカフェ・ヴィヴィモン・ディモンシュで。
実をいうともうよくおぼえてないのだけれど、ちょっと辛くて甘くて酸っぱくて、カレーみたいなシチューみたいな、食べたことのない不思議な味だった。

インターネット時代の便利なところは、どんな味だったかよくおぼえていない料理でも検索すればすぐに作り方が出てくるところで、それをいくつか見て参考にしたあと、いますぐ手に入りそうな材料で多少アレンジを加えつつも適当につくってしまえるところ。
このムケッカの作り方で特徴的なのは、最初にメインとなる食材(この場合はタラの切り身とエビ)をマリネして置いてから野菜を炒めた鍋に投入するところ。途中まではトマトベースの味でありながら、最後にココナツミルクを入れて煮るところだ。
かくしてできあがったムケッカ。
昨晩、味見したときは「う~ん、よくわかんない」と思ったんだけど、こういう煮物系の料理ってなんでも一晩置いたほうが味がよくなじむでしょう?
今朝もう一回火を入れて最終的に味を調整したらIt's all right!でした。
自分でつくってみた味としてはココナツミルク仕立てのブイヤベースという感じ。
食べてみると魚介の旨みとともにライムの酸味が効いて意外とあっさりしてる。
ごめんなさい、これディモンシュのよりおいしいと思う。

ムケッカは、ブラジルはバイーアの名物料理。
それでムケッカをつくっている間中わたしの頭の中で流れていたのはジョアン・ジルベルトの『EU VIM DA BAHIA』(エウ・ヴィン・ダ・バイーア)なんだけど、でも、もっというと清水翠×馬場孝喜バージョンね。まったくもってあの曲をあんなふうに演れる二人はほんとにすごいと思うよ。・・・・・・ と、話は脱線したけれど、J氏がやって来てムケッカを食べながら聴いたのは、おなじバイーア生まれでももうひとりのバイーア人、カエターノ・ヴェローソのこのCDでした。
『Fina Estampa Ao Vivo by Caetano Veloso』 
邦題はなぜか、『粋な男』。
全編スペイン語によるラテン・ヒット・カバーのライブ盤。
カエタノがあまりにもやすやすと自然に歌うからうっかりすると聴き流してしまいそうだけど、カエタノの美しい、だけじゃない、信じられない間を駆使した軽やかで深い、ノン・ヴィブラートの素晴らしい歌声が聴ける。

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ムケッカをひと口食べるなり思わずカエタノの歌に聴き入るJ氏。
この曲、いいなあ・・・・・・。
固まったままなかなか食べださないから、てっきりお口に合わなかったのかと思いきや、、、「おしいしいねえ。これは自分ではつくれないや」って、、、ホッとしました。

・・・・・・ というわけで、今日は『ランチタイムにブラジル音楽を聴きながらムケッカを食べる日』だったのだけれど、実はそれ以上にすごい日でした!
わたしにとっては記念日的にすごい日!!!
それは、また後日。

以下、忘れないうちにムケッカのレシピをば。
と思ったけれど今日はもう疲れたから明日にしよう。

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 ●ムケッカ 
  (ブラジル、バイーア州のカレーのようなシチューのような料理)

 < 材料 > 4~5人分

  鱈の切り身     3~4枚

  エビ          今回はブラックタイガー 10尾

  タマネギ       1個

  トマト         1個

  パプリカ         1個

  ピーマン         2個

  ライムかレモン   大さじ2~3(果実半分)

  ニンニク        2かけ

  香菜もしくはイタリアンパセリ  1束

  トマトのカット缶   1個

  ココナツミルク    缶詰約半分くらい(200~250cc)

  白ワインか料理酒  大さじ3

  パプリカパウダー  適宜

  片栗粉         大さじ1(溶く水、大さじ1)

  チリパウダー     お好みで

  オリーブオイル    適宜

 < 作りかた >

  1.鱈は骨をとって食べやすいぶつ切り、エビは殻と尾と背わたを
    取る。

  2.ボウルかバットに鱈とエビ、刻んだイタリアンパセリ(飾り用に
    少々とっておく)、塩・コショウ、ライムのしぼり汁を入れて
    マリネして冷蔵庫で1時間くらい置く。

  3.鍋にオリーブオイル、みじん切りにしたニンニクを入れて熱し、
    香りがしてきたら粗みじん切りにしたタマネギを入れて炒める。
    つづいて角切りにしたピーマン、細切りのパプリカ、皮をむいて
    角切りにしたトマトの順に炒める。

  4.野菜をしんなりするまで炒めたらいったん火を止め、2でマリネ
    した具材ぜんぶとワイン、トマトのカット缶ぜんぶを入れて10分
    から15分煮る。

  5.4にココナツミルク、パプリカパウダーを加えて少々煮込み、
    塩・コショウで味を調えたら仕上げに水溶き片栗粉を加えて
    かきまぜ、お好みでチリパウダーも入れてさらに少々煮こむ。

  6.お皿にライスを盛り、ムケッカをかけ刻んだイタリアンパセリを
    ふりかけたらできあがり!

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実をいうと、材料の買い出しに行ったらきれいなライムが売ってたのでうれしくなって買って、半分残しといてもしょうがないと思ってぜんぶ入れてマリネしちゃったからたぶん、出来上がりの味の酸味が強かったんですね。
それで最後に味見をしたらなんだか物足りなかったので、わたしはコンソメを入れてしまいました。ディモンシュで食べたときはライムが載ったお皿が添えられていて後からかけるようになっていたからライム一個入れてもとくに問題ないと思うけど、やっぱり半分くらいにしといたほうがいいかもしれない。
それと、もともとのムケッカはデンデ油(パーム油)という赤い色をしたオイルを使って仕上がりが赤くなるのが特徴らしいのだけど、なかったのでわたしはパプリカパウダーをけっこう入れました。それとチリも少々。
じゃないとココナツミルクを入れるとかなりクリーミーな色になってしまうので。
それで最初書いたように結果オーライでした。
子供たちにもうまい、うまい」と好評。
そうだな、欲をいうと魚介の煮込みって、肉と違ってできるだけ短時間で仕上げたほうが具材のフレッシュな味がしておいしいんだと思う。
なので前日から用意するとしたらマリネの部分だけにして、あとは一気に仕上げてテーブルに出したほうがおいしいと思います。
イタリアンパセリは癖がないから万人向けだけと、パクチーが嫌いじゃなかったらこれはやっぱりパクチーで作ったほうが味が決まりそうです。
以上、考察。
ブラジル料理といいつつ、いろんな国の料理がかぶった味がするムケッカ。
無国籍料理好きはお試しあれ!♪

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2016年9月11日 (日)

『いつかみた あのこ』に会ってきました。

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昨日、病み上がりのプール。
水の中でカラダが鉛みたいに重かった。
クロールで手を伸ばしてもカラダが滑るどころか、ぜんぜん進まなくて。
まるで水中でもがいてるみたいな。
それで思ったのは新鮮なお魚のパツッとハリのあるカラダのことで、あんなふうにハリがあってこそあのキレのある泳ぎができるわけで、とよん、としたカラダをしてたら絶対にそうはならないんだってこと。
これは体調が完全に戻ったら筋トレはじめなくちゃな、と思う。
毎日ちいさなことでもコツコツと ・・・・・・
そういうの、あんまり得意じゃないけれど。

そんなわけで昨日もだめだめスイマーだったけど、さいわい雨の天気予報が外れて一日お天気が持ちそうだったから、ゆうがた娘と連れ立って高円寺のAmleteron(アムレテロン)さんへ『いつかみた あのこ やまぐちめぐみ作品展』を見に。

アムレテロンさんのことは少し前から知っていて、前に神聖幾何学のことを検索しているときにここで扱っているサンキャッチャーがヒットして、いつか見に行きたいと思っていたのでした。そして今回即座に行こうと思ったのは、このDMになっためぐみさんの絵がとてもよかったから。わたしが好きな、めぐみさんの初期特有の絵。
『いつかみた あのこ』というタイトルもよかった。

はじめてお店の扉を開けて中に入って、目に飛び込んできた絵を見てびっくりしました。それはわたしがはじめてめぐみさんのブログで見て、とても惹かれた絵だったからです。
たしかそれはめぐみさんがセツ時代に描いた絵じゃなかったかと思う。
四六判半切の大きな絵で、荒涼たる冬の雪原を、頭にスカーフを巻いて分厚いコートを着た少女がふたり、いまにも歩きだそうとしているかのような絵。白い世界の中で少女たちの存在はとてもヴィヴィッドなのだけれどどこか薄氷を踏むような危うさがあって、それが魅力でもある。
素人のわたしが思うに、あまり絵を描き慣れてない人がいきなり四六判半切の大きな紙を渡されたら戸惑ってしまうんじゃないかと思うのだけれど、めぐみさんは臆することなく、大胆な構図で力強く描いてる。わたしが初期のめぐみさんの絵が好きなのは、カメラのファインダーを覗いて切り取ったような大胆な構図と、そこに共通してあるグレイッシュなトーン、どこかクラシカルな静謐さ、かな。少女たちの姿や顔かたちにしても、ただかわいいというんじゃない大人っぽい静けさがあって、その表情は読みとれそうで読みとれない、複雑に滲んでるような。
それで飽きずに眺めていられる。
まさか、ここであの絵を見られるとは思っていなかったので、まさに『いつかみた あのこ』に会えたような感じでした。ほかにも懐かしい絵がいっぱい。
一気に時間を引き戻されてしまったような感じ。
そして何より、店主さんのめぐみさんへの深い愛が感じられる空間になっているのが素晴らしかった。
ここへはまたきっと来るでしょう。
本棚で古書を見ていたら、今月誕生日の息子に贈るのにぴったりなのをみつけたのでその本と、わたしもいつか食べたことのあるめぐみさんのお菓子(ムジカ食堂のステさん再現)を買って帰って来ました。

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そして今日、本物そっくりに再現されたこの黒糖レーズンくるみケーキを見ていたら、このお菓子って、端的にめぐみさんの世界を表わしてるなあって思いました。
夢があって、どこかお伽噺に出てくるお菓子みたいで。

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上にちょこんとのったチェリーはなんだか懐かしいレトロな味がした。
アイシングがかかってて、一見すごく甘そうに見えて実際に食べるとちょうどいい。
黒糖のコクのある甘さとレーズンのほのかな酸味、くるみのナッツ感が調和してとってもおいしかったし、めぐみさんの作ったのとほんとにそっくりでびっくりしました。(再現した人、すごい!)
食べながら、きのうアムレテロンの店主さんから聴いためぐみさんの話と、わたしが直接めぐみさんから聴いた話が、まだ病み上がりで混沌とする冴えない頭の中でぐるぐるして、わずか数年前にタイムトリップするようでした。
わずか数年前のことが、当たり前だけどすべて過去で、すべて懐かしくて、呆然としました。
これは過去にタイムトリップするお菓子ですよ。
心して食べよ。
なあんて、だーれもいわないと思うけど。

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『 いつかみた あのこ ~ めぐみめぐる ~  やまぐちめぐみ作品展』は、
高円寺Ameletronで、9月17日(月・祝日)までです。
※9/13(火)定休日 14:00~20:000(土日、祝日12:30~)

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2016年9月 5日 (月)

夏風邪秋風

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夏風邪って、いったんかかるとなかなか治らないみたいだ。
息子が夏風邪をひいて早やもう2週間。
そのうち寝込んだのは3日間。
自分はうつらないと思っていたのに、あろうことかうつってしまった。
でも風邪の発端はAmazonマーケットプレイスで買った古本だった。
見た目はきれいな本だったのだけれど、アルコール消毒でもしたのか、ページをひらくとなんだか古い波動みたいなヘンな刺激臭がして、それでもひらいたページに書いてあることが面白かったのでしばらく読みつづけていたら、だんだん目がチカチカ鼻がツンツン喉がヒリヒリしてきて、これはやばい! と思った。
息子は朝うがいをしていて、失敗してむせたのがきっかけで喉がイガイガしだしたという。ほんとに風邪って、何がきっかけになるかわからない。

そして、わたしが風邪になったくらいでも家の中には違った潮流が生まれる。
ふだん安保先生の本を読んでいて、すべての病気の症状は意味があって生まれたこと、およそ『抗』と名のつく薬は対症療法に過ぎない、そもそも風邪に効く特効薬なんてないんだから医者に行っても無駄、というわたしと、自然治癒力にまかせると僕みたいに2週間も治らないから早く医者に行ったほうがいい、という息子と、(自分でやったこともないのに)煮小豆を食べれば? という、とぼけた娘。

ことによると週末プールに行って泳いだらすっきり治っちゃうんじゃないかと思っていたら、それですぐに悪化することはなかったものの、少々具合が悪くてもほとんどいつもとおなじように動いてるものだから昨日の夕方あたりからついにきた。
それで昨夜の夕飯は栄養つけて少しでも早く治そうと、超奮発してうなぎ(といってもスーパーのだけど)としじみ汁にしたのに、それでもよくならなかった。
今朝起きたら絶不調。
喉の痛みと咳とくしゃみ、涙ぽろぽろ鼻水ダーダー。
まったく風邪ってうつくしくない。
おまけに頭は重くて、ぼおっとする。
仕事をしててもまったく使いものにならない。
息子があんまりうるさいので夕方ついに決心して、竹布のマスクして帽子かぶって晩夏のひまわりにみたいにうなだれて電車に乗って耳鼻科に行った。
経験的に風邪のときには内科にかかってただ薬を出してもらうより、耳鼻科に行って処置をしてもらうほうがいいと知っているのだけれど残念なことに近所にはいい耳鼻科がない。下手な医者にかかると返って落ちこんだりして悪くなるから、少々面倒でも医者選びは大切です。
行くまではヘナヘナしそうなほど蒸し暑くて、具合が悪いときに医者に診てもらうのも一苦労、と思ったけれど、でもいつもの耳鼻科に着いたらホッとした。
この西山先生という方は天性の医者だと思うのです。
まず、いつ行ってもゆったり構えていらっしゃる。
診察室の椅子に座って、先生のやさしいお顔を見たら、なんだかそれだけで良くなってしまうような気がしました。
まず患者であるわたしの顔を見て問診し、脈をとって診察してから喉を見て、鼻の奥を内視鏡で見たあと薬を注入し、処方箋を書いてもらって、吸入をして終わり。
わたしが、息子の夏風邪がうつってしまって・・・、というと、夏風邪というか、秋風邪というか、まぁ、風邪だね。悪い病気ってわけじゃないし、ただの風邪だから3日、ないしは最低1日か2日抗生物質を飲めばきっとよくなりますよ。薬は症状が良くなったらもう飲まなくてもいい。余ったらとっておいてください、と。
実は家から遠いことを理由に薬をすこし多く出してもらったのです。
抗生物質と総合感冒薬と胃の薬を1週間分。
まだ完全に治りきっていない息子にも飲ませたら一気に解決するかと思って。
帰りの電車は混んでいて、つり革の前に立って車窓から見た空と雲がきれいだったなあ・・・・・・
もう夏の営業が終わって、ひとっこひとりいなくなった屋外プールの水に映る空。微熱があって頭がぼおっとしてると、目に映るこの現実世界もどこかファンタジーです。

最寄りの駅に着くと外は秋風どころか蒸し器の中にいるみたいで、文字通りへろへろになって、まったくのノー・アイディアでスーパーマーケットの中をうろうろして夕飯の買いものをして帰った。
わたしがふだん健康オタクなのは、働く主婦が病気をしても仕事はいつもどおりあって、ただ自分がツライだけだからです。
そしてこの場合、薬のいいところは、ふだんまったく薬を飲まない人が飲むと実によく効いて、本人の意思に関わらず『万事休す』になること。
つまり、人間ってよほどこういういことにでもならない限り、万事休すにはならないってことだよね。ふぅ。やれやれ。

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2016年9月 4日 (日)

猫はいいなぁ・・・。

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昨夜は家の中でまた偶発的な、というか突発的なできごとが起こってまいった。
何がこたえるって、家族のことがいちばんこたえる。
内心あまりにびっくりしたのと、すぐにでもどうにかしなきゃという思いで前に買ったことのあるフラワーレメディのサイトにあったフラワーカードをプリントして問題の人に渡し、直感で選んでもらったら、1番最初に選んだのから3番めあたりまでが見事に彼女が内に抱える問題を明らかにしていて、これまた驚いた。
フラワーレメディーってすごい!
と思ったのと同時に、いったいどれだけ人は身内にいらないもの ( かなしみや傷、過ぎ去った過去のネガティブなエネルギーやトラウマ)を抱えているんだろう、と思った。
その点、猫はいい。
野良猫の暮らしがラクだとはけして思わないけれど、猫はいいことも嫌なことも3日で忘れる、というから。
人間もそうなれたらどんなにラクだろうなあ!
それに人間以外の生きものが家の中にいたらどれだけいいだろう。
いろいろ大変なことはあっても。
・・・・・ と、もうほとんど猫を飼うことをあきらめてしまったいまでも思うのだ。
とくにうちの下の子のような人にとってはきっといいと思う。

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前ほどじゃないけどパンダのことは心配だからいまでもときどき見に行っていて、このあいだの夕方見たときは、カリカリの入った器と、きれいな器に入った水を前にちょうど夕ごはんの最中だった。
野良猫できれいな器に入ったきれいな水を飲める子なんて滅多にいないと思うから、パンダはすごくラッキーな猫だと思う。
わたしにエサをくれくれといわなくなったいまでもパンダは起きてるときにはわたしの顔を見ると「にゃあにゃあ」と何やら話しかけてくる。ここに来る前のパンダはあきらかにときどき愚痴をこぼしてるみたいなときがあったけど、わたしの愚痴も聞いてくれまいか。
猫くらいに聞いてもらうのがちょうどいいんだけどなあ。
害がなくて。

今日も暑かったけど雨が降らなくてよかった。
平和でうつくしい夏の夕暮れ。
わたしは息子にうつされた夏風邪を治さないと。

ここにも1匹。

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2016年9月 3日 (土)

9月のばら **

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プールから帰ってきたら娘に「ばらに水をやっておいたよ。ばらが暑いよー!って、いってたから」といわれました。めずらしい。で、たすかった!
今日はばらに水やりする暇もなくバタバタ出かけてしまったから。

・・・・・・ というわけで、陽に焼かれてちりちりにならずにすんだソニア・リキエル。
暑い夏を乗り越え、わたしのベランダのばらは徐々に復調傾向です。
いつかテルちゃんにもらったホタテパウダーを撒いたのがよかったのかな。
秋ばらシーズンにはまた父と神代植物園に行く。
また去年のようにクリアーな父の瞳を見られるだろうか。
今日もすごく暑かった。
日が落ちて暗くなってから、バイオゴールドのバイタルを散布する。

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2016年9月 1日 (木)

Son fils

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昨日、夜になって買いものに行こうとしてポストを覗いたらきてた。
一時帰国しているらしい、パリ在住の画家で造形作家の山下美千代さんから、いつかグループ展に行ったお礼のポストカード。
葉書にはフルネームとアドレスも書かれていて、これだけで彼女がどういう人かわかるな、と思った。
もう長いつきあいになるのに住所さえ知らない友達がいて、それをなんとなくさみしく思うわたしは、やっぱり言葉の人だからなんだろうか。自分の住んでるところもあかせないほど自分は信用されてないのかと思うし、何か思い立っても手紙も送れないし、荷物も送れない。

ポストカードの青い目のうつくしい赤ちゃんを見ていたら、自分がはじめて赤ちゃんを産んだときのことを思いだした。
あの日は満月の夜で、待機室に入れないほど出産の迫った妊婦さんがいて、わたしはストレッチャーに乗せられたまましばらく暗い廊下で待たされた。待機室のベッドに移されてからはおなじ病室にいる5人の妊婦がうんうん唸る声をさんざん聞かされて、いざ自分の番がきて分娩室に運ばれると陣痛が弱くなってしまい、「赤ちゃんの心音が弱くなってきた!」と叫ぶ医師の指示で酸素マスクを付けられるすごく緊迫したシーンがあってこわかった。
けっきょく、陣痛誘発剤を打ったら一気にお産は進んで赤ちゃんは無事に生まれたからよかったものの、一気に出てきたことでわたしは大量出血をして重度の貧血に陥った。それからはもう何がなんだかわからないまま縫合され点滴の管を付けられ取りあげられたばかりの赤ちゃんを横に置かれて家族と対面した一瞬があり、そのまま病室に運ばれて24時間歩行禁を言い渡されたのだった。

赤ちゃんに髪が触れると不潔だから、という理由で長いおさげ髪にキッド・ブルーの乙女チックなナイティを着て、点滴を付けられたわたしはよっぽど頼りなく、幼く見えたんだろう。まだ動けないでいるわたしのところに翌日、脈と血圧をはかりに来た年配の強そうな婦長さんに「まあ、なんて細い腕してるの! こんなんで子ども育てられるの?!」といわれた言葉はそのときのわたしにはすごくキツかったなあ・・・・・・
6人部屋の病室はなんだか女子高時代の修学旅行みたいでいつも賑やかで楽しかったけど、みんなより一日遅れて変な時間に車椅子で新生児室に連れて行かれ、出産後はじめて自分の子どもと対面したときのことはいまでも忘れられない。
ナースから渡された赤んぼは泣いてもなくて、一日たっているとはいえ、とてもきれいな顔をしてた。わたしが抱くと黒目がちな瞳をこちらにきょろっと動かして、まるで「みんなわかってる」とでもいいたそうな顔で静かにまっすぐわたしを見たのだった。
このときからわたしがこの子に感じていたのは、不思議な静けさ。
静けさと、賢さ。
それから若いナースが、おかあさんこと見てますね、ちゃんとわかってるんですね、といって、わたしはその言葉に思わず泣いた。
そんな、自分にとっては大変だったお産が、あとで医者からもナースからも「安産だった」といわれて驚いた。ふつうに満月の潮力によって起こる出産はみんな安産なのだそうだ。
健康な女性だったら誰でもできる出産だけど、実はほんとうに大変なこと。
ほんとうに大変で奇跡的なこと、と思う。

今日から9月。
9月は母と息子と親友の月。
夕方6時過ぎからは乙女座の新月。
9月は現実的な月だ。
でも足が地にしっかりついてなければ夢はただの絵空事でしかない。
しっかりグラウンディングして夢に備えよう。

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