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2016年8月31日 (水)

九十九餅

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昨日、志むらでかき氷を食べたあと1階で昔懐かしいようなお菓子を見ながら母のことを思いだしてぼーっとしてたらいつの間にか友達がレジで何か買ってて、きっと娘にお土産でも買ってるんだろうと思ってたら、「ハイ。お土産」って、わたしに差し出した。
相変わらず気の利くマリちゃん。
見ると志むらの名物だという、九十九(つくも)餅。

日持ちが3日とあったので今日になって包みをあけてみたら、けっこう分厚い三角の求肥に甘くないきな粉がたっぷりかかったのが10個も入ってる。
どうりでずっしり重かったわけ。

さっそく今日のおやつにいただいくと、ほのかにあまい求肥の中にふっくら煮た大きなとら豆が入ってて、なんとも上品なお味。
それでいて、ふたつも食べたらけっこうおなかいっぱいになりました。
これ、きな粉好きにはたまりません。
子どもと3人で明日も楽しむことにしました。

これまで東京土産っていうといつも何にしようか迷うのだけれど、地方発送もしてくれるみたいだから次回はこれに決定かな。

温かい有機熟成三年番茶と。
サノアイさんのウォールナットのお盆にのった小林修二さんの備前のお皿の上の九十九餅。わざわざさんで買った境道一さんの出土品みたいに渋い急須と、萩原末次郎さんの作った竹の菓子切り。高台のない淡い色の備前の湯呑みは若手女性作家のもの。
好きなものだらけのおやつの時間。

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2016年8月29日 (月)

8月の神さま

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8月はヘンな月だったな。
イレギュラーに次ぐイレギュラー。
初めて行く場所にいろいろ行った。
それだけ直感で動けたということだけど、いっぽうでグズグズしてるうちに出遅れてしまって、わざわざ行ったのにタッチの差で見られなかったものもあった。
つまり、迷ったら行かないに限る、ということかもしれない。
そしてわかったのは、自分は何を見るにしてもじっくり見てじっくり味わってじっくり考えたいタイプだから、駆け足で次々見て回る、みたいなのはぜんぜん向いてないってこと。
今月、縁あって手に入れた本や詩集や画集は、これからの違う季節の時間軸のなかでじっくりひも解こう。わたしにとって大切なのは量より質。じっくり考える時間はいつだって大切だ。

そしてヘンといえば昨日から今日にかけての天気もまったくヘンだった。
朝からいまにも降りそうにどんより曇ってたかと思ったらカッと晴れていきなり暑くなったり、かと思えば一気に暗くなってゲリラ豪雨が来たり。一日その繰り返し。
だからってわけじゃないけど今日は思いがけなくずっと会いたいと思っていた女友達に会えた。ここ数年、彼女に会えるのは年に一度きり。その一度は何故かいつも8月みたいな気がする。ふたりのあいだにはきっと8月の神さまがいて、今日もその神さまが会わせてくれたのかもしれないな。会えるどころか、去年わざわざ娘と行列に並んでも食べられなかった志むらのかき氷まで食べられたんだから。
わたしが頼んだのは『生いちごミルク』で、友達が頼んだのはこれまで見たこともない『青ゆず本葛』という日本画みたいな色をしたの。
志むらのかき氷。
見た目は雪崩のおきた絶壁みたい。
わたしのは文字通り、まるごといちごの入ったシロップがこれでもか、というほどかかってて、いちご大好きなわたしにはほんとにおいしかったけれど、ただ天然氷ってとても溶けやすいのか、どんなに急いで食べても、食べるそばからどんどんどんどん溶けて水になってしまうのでした。

そして人って、自分の家庭がうまくいっていればいっていたでまた違う問題を抱えてしまうみたいで、常に悩みが尽きない。たとえ血がつながった親子関係、姉妹であってもそれだけ人の心は難しいってこと。
でも、なんの話題にせよ、最初から通じるってこと前提の全幅の信頼でもって安心して対等に話せて、直截になんでも言い合える相手ってそうそういないから、自分にとってそれほどありがたいものはないな、と思う。8月の神さまに感謝だね。

山盛りのかき氷を食べてお腹いっぱいになって店を出るとき、「自分だけこんなの食べちゃって娘に怒られちゃうな」といったら、友達が「またいつでも来ればいいわよ」といった。
はたしてどうでしょう。

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今日の朝ごはんと昼ごはん

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夏のあいだに何度か作るラタトゥイユ。
このあいだ作ったのは、フレッシュトマトを使って小さめに切った野菜をオリーブオイルで炒め、赤ワインとハーブで煮込むいつもので、野菜とオイルとワインだけでこんなにもコクがあって濃厚な味になるのか、っていうほどおいしいラタトゥイユではあるのだけれど、いかんせん、できあがりの色が悪い。赤ワインを注いだ瞬間に鍋の中がぜんぶ褐色に染まっちゃうから、しっかり煮こんだあとには何がなんだかわからないくらいの色になってしまう。いくらおいしくても見た目にもっとカラフルにおいしそうに仕上げたい、ってことで、今回は野菜は大きめに切って、フレッシュトマトのほかにトマトのカット缶、白ワインを使って作ることに。昨日、夕飯のあとに鍋に蓋をして煮こむところまで作って、今朝になってから水分を飛ばしながら炒め煮して仕上げた。
出来立て熱々を皿に盛って、ちぎったバジルをかけて。
ラタトゥイユといったら、とにかくなんといってもバゲットバゲット。
薄く切ったバゲットにラタトゥイユをのせてひと口食べれば、う~ん、おいしいー!
赤ワインにくらべると白ワインのほうがあっさりしてるけど、野菜の味がより際立ってやさしい味。
ラタトュイユは出来立て熱々もおいしいけれど、冷蔵庫で一晩寝かせてこっくりした味の冷たいのもおいしい。これがあるとバゲットがいくらでも食べられる。そして、あっという間にお腹いっぱい!
そして、この手のオリーブオイル系の料理を食べたあとはもうコーヒーコーヒーですね。
食後の珈琲のなんておいしいこと!

今回のラタトゥイユは見た目も鮮やかにおいしくできたので、今度からはこれにしよう、ってことで、覚え書きレシピ。

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 ●夏野菜のラタトゥイユ

 < 材料 > (約6人分)

  ズッキーニ      2本

  ナス          3本

  パプリカ        1個

  完熟トマト       1個

  たまねぎ        1個

  トマトのカット缶    1缶

  にんにく        大きめ1かけ

  オリーブオイル    たっぷり

  白ワイン        1カップ(200cc)

  塩・胡椒         適宜

  煮込み用ハーブ   タイム、ローズマリー、ローリエetc;

  飾り用ハーブ     バジルかイタリアンパセリ

 < 作りかた >

 準備:にんにく、たまねぎはみじん切り。
     トマトは皮を剝いてざく切りに。
     ほかの野菜はひと口サイズの乱切りにしておく。

  1.フライパンに大さじ3くらいのオーリーブオイルを入れニンニクを
    炒める。いい香りがしてきたらタマネギを入れて甘い匂いがする
    まで10分くらい炒めたところでナスを入れて10分くらい炒める。
    同時に別のフライパンでズッキーニをオリーブオイルで軽く焼き
    色がつくまで焼く。ズッキーニが色よく炒まったらオイルごと最初
    のフライパンとあわせる。

  2.1のフライパンにパプリカを入れて5分ほど炒め、さらにトマトを
    入れて5分ほど炒めたところで鍋に移し、トマトの缶詰、塩・胡椒
    ハーブを入れて軽くかきまぜる。
    白ワインを注いだら鍋に蓋をして火をつけ、沸騰してきたら弱火
    にして途中でかきまぜながら30分ほどの煮こむ。

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ブルーノートにもずいぶん行ってないからスケジュールマガジンが郵送されてくることもなくなって、いまはメールマガジンがくるだけ。それも最近はろくろくチェックしてなかったら、土曜日の朝になってイヴァン・リンスが来日していることを知ってすごくあわててしまった。
来日公演のスケジュールは、日本のトップスターとの一夜限りの共演という26日金曜夜と、ジョイスと共演の土・日・月。土曜日は雨がひどかったし、週末は終電が早いから月曜に行こうかどうしようかと迷っていたら、それを聞いた息子がブルーノートに行くんなら半分だしてあげるよ、という。「えー! 誕生日でもないのになんでー?」と訊くと、「滅多にないことだから」って。
それで今朝、息子がわたしのところに樋口一葉女史を1枚進呈しにきてくれたのだけれど、気持ちだけいただいてお返しすることにした。息子の気持ちはありがたかったけど、なんとなく気が乗らなくて。
あれほど好きだったイヴァン・リンスが数年ぶりで来日しているのに気が乗らないなんて自分でもショックだったけど、つまり好きな音楽っていうのも年々変わるものだな、と思う。それに今年はどうだかわからないけど、わたしが最後に聴いたときイヴァンはかなり声が出なくなってしまっていたのだった。なんだか来日するたびに太ってるし。

そんなわけで今夜はライブに行く予定はなくなって、今日のおうちランチはこのあいだマガジンラックを整理してたときに開いた古い雑誌で見つけた『レバーカレー』。
『夏を乗り切るパワフル料理』というページに載っていて、『疲労回復に効果は絶大』とあったたのでこの時期ちょうどいいかなと思って、近所のいいお肉屋さんで新鮮な鶏のレバーを買って作ってみました。
インドカレー店『アッチャ』のカレーだそうです。

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あいにく、うちにあったスパイスでは雑誌に載ってたような濃い色とテクスチャーにならなかったけれど、味は思いのほかあっさりしていながらレバーの濃厚なうまみ、たしかにおいしいし疲労回復や貧血に効きそうです。
こんど使うカレー粉を変えてまた作ってみよう。
というわけで、以下レシピ。

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 < 材料 > (4人分)

 ●鶏レバー         300g
 ●たまねぎ         2個
 ●にんにく          4片
 ●しょうが          4㎝大
 ●オリーブオイル     大さじ2

 A:ターメリックパウダー小さじ3分の2、クミンパウダー小さじ1
   レッドペパーパウダー小さじ1、カレーパウダー小さじ1)

 ●完熟トマト        1個
 ●プレーンヨーグルト   カップ2分の1
 ●水             カップ3
 ●塩             適宜
 ●ガラムマサラパウダー 小さじ1

 < 作りかた >

 1.鶏レバーはひと口大に切る。たまねぎ、にんにく、しょうがは
   すりおろしておく。

 2.鍋にオリーブオイルを入れ、1の野菜を入れて水分が飛ぶまで
   炒める。レバーを加えて中火で5分ほど炒める。

 3.Aを加えて、ざく切りしたトマトと、よく混ぜたプレーンヨーグルトを
   入れ、7分ほど炒める。

 4.水、塩を入れて弱火で10分ほど蓋をして煮込む。

 5.仕上げにガラムマサラパウダーを加えたら、すぐに火を止める。
   器にライスと盛ってできあがり!

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2016年8月27日 (土)

夏の終わりの線香花火 **

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雨がやんだ夕方、ベランダで娘と線香花火をした。
懐かしい火薬の匂い、いい匂い。
引き出される様々な夏の記憶。
夏の思い出。

なおこさん、ありがとう。

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雨の土曜日 ***

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ひさしぶりに咲いたフローレンス・ディラットレ。
ひさしぶりにばらの香り。
雨の朝。
外はだいぶ涼しくなったけど、家の中はむしあつい。
それでけっきょくクーラーと除湿機をかける。
息子は数日前から変な咳をしていて、娘もわたしも昨日は暑さで体調を崩しかけた。そろそろ夏の疲れが出てくる今時期は気をつけないといけない。
そんな土曜日の雨はまったくもってうれしくない。
プールに歩いて行かなくちゃならないから。

何年おきかにやってくることではあるけれど、先週は本気でプールをやめたくなった。泳いでてもまったく楽しくなくて。
週1とはいえ、体育会系でもなんでもないわたしが15年も水泳をつづけてこられたというのは自分でもすごいことだとは思うけど、でも週1では現状維持にもならないってこと。
しみじみ『鉄は熱いうちに打て』だと思う。
そしてあと4年半以内に問題がクリアできなければ、わたしの水泳が向上することはもうないだろうってこと。
素人でも長年やってればそんなことはわかる。
それで夜はTIスイミングのDVDを見て研究したりして。

直前まで迷ったけど、けっきょく今日はプールに行くのはやめにした。
雨もひどいし、雨もひどいのに洗濯物はたくさんあるし、今日は静かに過ごすことにする。料理をしたり、本を読んだり、できればベランダで木を削ったりして。

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2016年8月26日 (金)

かき氷日和

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何か『夏らしいこと』がしたいと思って、夏のあいだにやっぱり1度は食べておきたいのが『かき氷』。
でも、もう8月も終わり近くになって、娘となかなかスケジュールが合わないので今日は滅多にないことランチタイムを外で過ごすことにして、今年もやってきましたクルミドコーヒー。
窓際の席から見えるのは夏の緑と赤いほおづき。

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クルミドコーヒーの今年のかき氷はこれ!
なんたって今日はかき氷がメインだから食事より先に頼んじゃう。

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娘は去年よっぽど気に入ったのか、今年も水出し珈琲かき氷を。

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わたしは食べたことのない『プラムともも』にしました。
じゃーーーん!!

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うひゃあ。おいしそうです。
ふわふわのかき氷の上に自家製の甘ずっぱいプラムソースがたっぷりかかって、中には大きめの桃の入ったゼリーが!
すごく手の込んだかき氷。
桃好きにはたまりません。
堪能しました。
それで二人ともこれだけでお腹いっぱいになっちゃって、でもこのあと娘はアルバイトに行かなきゃならないし、氷なんていまはお腹いっぱいでもすぐにお腹すいちゃうからと小さい人用のメニューを食べて帰ることに。

娘はクルミド・トマトマフィンに特製ラタトゥイユがサンドされたので、わたしはトマトマフィンと自家製コンビーフのセット。この自家製コンビーフが缶詰の脂肪だらけの油っぽいコンビーフとはまったくの別物で、おいしかったですねえ・・・・・・。小さなサラダ付き。
クルミドコーヒーでは何を食べてもクルミやナッツがかかっているのがいい。
そしてこの時間はおなじ価格でマグカップの珈琲がサービスの時間でした。

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ラッキー♪ と思ったものの、、、だがしかし。
クルミドコーヒーは何を食べてもおいしいんだけど、クルミドコーヒーという店名なのに肝心の珈琲がおいしくない。どこに行っても出てくるものにあまり文句をいうことのない、で、毎日土居珈琲の珈琲を飲んで舌の肥えた娘が「まずい」「まずい」っていうんだから間違いない。酸味が強くて雑味があって、ただ苦いだけの珈琲。こういうのを飲んで珈琲が嫌いになる人が多いんじゃないかな。娘にいたっては『クルマの味がする』という。
好みというのはあるにしても、この珈琲をおいしいという人の気持ちがわからない。
というわけで、せっかくマグカップにたっぷりもらったけど残してしまいました。
「ここはスウィーツを食べるとこだね」と娘。
次回からは紅茶にするかハーブティーにします。

ともあれ、今年の夏もおいしいかき氷が食べられてよかった

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2016年8月25日 (木)

夏の終わりの線香花火

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ここのところずっと、身体にこたえるような暑さがつづく。
八月も終わりともなると夏も蝉も必死です。
断末魔の夏。
わたしには「馬鹿め、晩夏め」と唸る北村太郎の声が聞こえるようです。
そして八月も終わりころになると急に夏らしいことひとつもしてなかったということに気づいて、それじゃあ、かき氷でも食べに行こうか、となるのです。
だいたい毎年いつもおなじです。
今日も朝からよく晴れて暑くて絶好のかき氷日和だったけれど、仕事を終えて家を出たのが夕方だったから、かき氷は食べられなかった。
かわりに(というわけでもないけれど)夏らしい絵を観てきました。
たまたま誰かのTweetで見かけてふと画像が目に留まった、いしい なおこ(画家)×平岡淳子(詩人)による画家の初個展『線香花火』。
会場は初めて行く明大前の『ブックカフェ槐多』。

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行ってみるとそこは全体がアートスペースになっているようなビルの地下で、ドアを開けるとそこは思いのほか小さな空間だった。
でも天井がとても高いせいで窮屈な感じは全然しない。
カウンター席がいくつかと、小さなテーブル席が4つくらいのインティメートな空間。
カウンターにはサイフォンがずらっと並び、わたしたちが行ったときにはママが珈琲をいれている横で、絵描きのいしいなおこさんとおぼしき人が数人のお友達らしきお客さんと話しているところでした。
打ちっぱなしのコンクリートの壁には、数点の水彩画と短い詩。
DMポストカードとなった、都会のビル群が建ち並ぶ真っ暗な夜空に浮かぶ鮮やかな花火の絵『線香花火』以外は、夏の終わりのうなだれた向日葵、虹のような、幻影のような大型客船に乗りこもうとしている少女たち、頬杖をついて向こうを向いた少女、観覧者の上の危うく見える若い男女、夕暮れ、走り去る電車の上にぼおっと浮かぶ月などなど、淡く、消え入りそうなタッチの絵が多く、絵につけられた絶妙な短い言葉、詩との相乗効果でもって淡くてリアルな夏の終わりの時間を体現しているようでした。

たとえば、わたしが好きだった下のふたつの絵につけられた詩はこんなふうです。

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 線香花火

 あなたはそーっと
 持っていてくれたのに

 夏を独り駆け抜け
 終わらせたのはわたし

 非常口

 日が短くなったね
 夏はこれからなのに

 綿菓子のような雲
 うつくしく染まって

 非常口の踊り場に
 ふたりで立っている

 ボンゴレでいいか
 俺が作るからいいよ

 月を窓に残して
 あなたは部屋に戻る

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カフェに入るなり気さくに話しかけてくださった絵描きのいしい なおこさんによれば、平岡淳子さんの詩を読んでインスパイアされて描いた絵が1枚、あとはぜんぶ、なおこさんが描いた絵を見て平岡さんが詩をつけたものだそうです。
詩と絵のコラボレーション的見せ方が好きかというと、実はわたしはあまり好きではなかったりする。絵は絵だけで、詩は詩だけでいいじゃないかと思ってしまう。絵に詩をつけるにしても、詩から絵を描くにしても、それがその絵、あるいは詩に出会う最初だとすると、他人のイメージに限定されてしまうようであまり好きではないのだけれど、今回の展示のように、これくらいさりげない、短い詩だと絵のイマジネーションを膨らませることはあっても邪魔することはなくていいように思いました。いずれにしても絵描きと詩人、おふたりの相思相愛の関係あっての息の合った作品展だと思います。

詩人の平岡淳子さんはいらっしゃらなかったけれど、絵描きのいしいなおこさんは若くてとても生き生きしたきれいなひとだった。Facebookのプロフィールにもあるように、セツ・モードセミナーを卒業してから十数年、病気で動けない時期などもあって、たったひとりで絵を描いてきたのだそうです。なおこさんがセツに入学したのは永沢節さんが亡くなった年のこと。そのときセツにいらしたのが星先生で、その星先生を探して自分の描き溜めた絵を初めて見せたのが1年前のことだそうです。まだとっても若いのに、今回の初めての個展までには紆余曲折、いろいろ苦労されたんだなあ、と思いました。
絵を描くきっかけ、絵を描く理由、描かずにいられない思い、いろいろあると思うけど、それらが初めて結実したしあわせな場がここだったというわけなのでした。
11月にはその星先生の個展もここであるそうです。

わたしも今日はここに来られてよかった。
一年のうちで最もさみしくて好きな夏の終わりの気分にぼんやり浸ることができて。
「でもまだ夏は終わったわけじゃない」と、夏好きはいつもキメの台詞を最後に心の中で吐くのです。夏苦手な人には悪いけど・・・・・・
おいしい珈琲をいただき、なおこさんからかわいらしくパッキングされた線香花火を記念にいただいて帰りました。

いしい なおこ個展 『線香花火』は、明大前ブックカフェ槐多にて
8月24~27日、9月2日、3日まで。

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2016年8月23日 (火)

台風一過 ***

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朝6時、蝉の声で目が覚めた。
みんみん蝉とオーシーツクツク。
台風が去って俄然、鳴くときを知ったような勢い。
昨日、久しぶりにすごい豪雨で目の前を走る多摩湖線が脱線して、それがYahoo!のトップニュースになっていたのにはほんとにびっくりしたけど、今日は台風一過の青空。一気に蒸し暑い。

そして今日は週1東京の病院に通院しているSさんが遊びに来て、遅いお昼を一緒に食べた。昨日は夕方まで買いものに行けなかったから予定が狂って、カレーとサラダくらいしか作れなかったけれど、Sさんはおいしいおいしいといって食べてくれた。
昔から人の家に行くのも人を家に招ぶのも好きです。
たまに誰かが来ていいのは、家の中が片づく!(笑)
昨日は豪雨に乗じて、ずっと気になりつつ放ったらかしていたマガジンラックとレターラックと本棚を片づけた。大量の紙ゴミ(ほとんど仕事の資料)を大きなゴミ袋2つ捨てたら、ウソみたいにきれいになった。息子なんか「床まできれいになった」というくらいに。部屋の波動が変わった。まさしく細部は全体を制す、といったところ。ここから先は断捨離、掃除あるのみ!

Sさんとはこれまでメールや手紙でやりとりしてきて、顔をあわせるのはこれで2回めだけれど、ちゃんと話すのは今日が初めて。やっぱり書き言葉と会って話すのとは全然ちがう。
Sさんはいたずっらっぽい笑顔の人で、これまでも言葉の端々からSさんはきっとお母さん子なのだろうなあ、とは思っていたけど、やっぱりそうらしかった。そしてそんなSさんを見ていたらSさんの泣くところが想像できた。もうSさんの母もわたしの母も死んでしまっていない。そしてSさんは、いい意味で日本がいまよりずっと自由で大らかだったころに、けっこう悪いことをいっぱいしているのだった。一歩間違ったら死ぬようなこと。多かれ少なかれ昭和の子供ってみんなそうだよね。それが音楽やる人間だったらなおらさね。
Sさんと話している最中も帰ってからも何かに似てる似てると思っていたのだけれど、うちの子供たちいわく、ラッコだってさ。なるほど!

今日Sさんに、関口教会で売っているという、ルルドの泉のメダイをいただいた。
関口教会と聞いても全然ピンとこなかったのだけれど、それが自分が結婚式を挙げた東京カテドラル教会だと知ってちょっと驚いた。なぜかこれで古い過去の記憶が浄化されるような気がした。
Sさんが帰った後、メダイをつけられそうなチェーンを探したけれどなかなかなくて、母にもらった一粒パールのネックレスに通してみたら、はじめて通った。
それでチャームをぜんぶはずしてチェーンを磨き直して、もういちどつけた。
母にもらったパールと、母とおなじ、9月生まれの息子の生誕記念のベビーリングと、メダイ。何かがひとつにつながったような思い。

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Sさんとは、わたしの友達と過去に音楽仲間だったことがもとで知り合った。
人の縁が持つ不思議。
わたしは音楽が好きだから、いつも音楽には恵まれる。
音楽をやる人とも。

今日の穏やかな、凪のようなうつくしい夕空。

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2016年8月19日 (金)

水瓶座の満月

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つい数日前、これまで誰にもいわずにずっと自分の中だけで抱えてきたことを、自分でも思いもよらぬ人に言ってしまう、ということがあって、いざ言ってしまったらなんだかとてもすっきりして、自分で思っていた以上にそれが自分にとって負担になっていたことに気づいた。やっぱり自分の中に溜めるのはよくない。

そんなことも含めて、いろいろなことがあったこの一週間は、どーん! とンタルデトックスの周期に見舞われたような感じでいたら、その極めつけが昨夜、家庭内で勃発した。
娘のぶっきらぼうな一言からはじまったトラブル。
それは、ここまで苦労して子供を育ててきて、親子ともどもほんとうにものすごく時間がかかったし、時間を費やしてきたけど、やっとなんとかなりつつあるかな、と思っていたわたしにとっては、心底がっかりしてしまうようなことで、久々に消えたくなった。わたしひとりじゃ足りなかったこともいろいろあったとは思うけど、でも子供ももう27と24だ。わたしはもうじゅうぶん、がんばった。それでまだこんなふうにいわれなきゃならないなんて、いいかげんにしてくれ。そんなに嫌なんだったら、もううちも解散しますか。君たちは君たちで勝手にやってください。という言葉が、ついに口から出たのだった。
それでも母親というのは因果なもので、そのあともいつものように買いものに行き、いつもどおりに夕飯の支度をするんである。そこに帰ってきた息子。この人はわたしとおなじで一瞬で物事を見ぬく超敏感体質で、そのうえ瞬間湯沸かし器ときてるから、事態はますますこじれることに。
・・・・・・ と、いつもならそうなるところなんだけど、昨日はそうならなかった。
途中まで息子の口のききようは喧嘩ごしだったものの、結果的に昨日は息子が岩窟王みたいにガンコな娘が長年ひとりで抱え込んでいたブロックをとっぱずす、という役割をしたのだった。びっくりした。(息子も、まさかこのタイミングでか、とびっくりしているようだった。)
息子の言いっぷりじゃ、また例によって過去にさかのぼって、いまとなっては到底わたしにはどうにもできないようなことをいわれるんだろうと思っていたら、それは思いもかけないことだった。
へ? それが長年、娘の心をブロックしていた漬物石? と思うようなものだった。
人が心中深く何を隠し持っているかなんて、血のつながった親子の間でだってそうそうわからないってことだ。聞いてしまったらなんだか気が抜けた。

けっきょく、何を食べたんだかわからないような食事の後で、やっと少し平常心に戻った息子に「言ってくれてありがとうね」といったら、息子は息子で「このタイミングでいうのがよかったかどうか、わからなかったけどね」という。
「どのタイミングも何も、今日のいまがそのタイミングだったんだよ。わかってよかったよ」とわたしはいった。
外に出ていること、目に見える問題なら片づけようもあるけど、内に秘めたこと、隠れた問題はいつまでたっても他人には片づけようがないから。
自分の暴言がきっかけで秘密をすっぱぬかれた娘も、なんだかすっきりした顔をしている。自分でさっさと言ってしまえばもっと早くにすっきりできたのに。なんてバカなんだ、君は。
なんてバカなんだろう、人間って。
いうおう一件落着したものの、なんだかすっかり疲れ果ててコンピュータの前に座ってメーラーを開いたら、石井ゆかりの占いに『今日は水瓶座の満月』で、しかも水瓶座は『ターニングポイント』とあって、思わず「それでかあ!」と思った。
うちは家族3人が3人、風の星座だから常に家の中には風が吹いているけれど、この一週間の重たいデトックスの合点がいった瞬間だった。

それで今日会った彼女も水瓶座だから、喫茶店に入って席に着くなり開口一番「ねえ、変なこと聞くようだけど、Tさんもこの一週間、すごく大変じゃなかった?」と訊くと、やっぱり「ものすごく大変だった!」という返事が返ってきた。
そうじゃなくても毎年8月はだめな月なんだそうだ。
それというのも8月は母からずっと戦争体験を聞かされてきて、終戦記念日からこっちはいつもそれを思いだして、毎年メンタルがどーん! と落ちるのだって。
彼女が「わたしの母は満州からの引揚者で」と言いかけたので、「うちの母は樺太からの引揚者だよ、それで日本に還る引揚船の中で6人きょうだいのいちばん下の子がはしかにかかって死んで、しかたなく海に葬られたんだ」といったら、彼女はびっくりして「おんなじだ! ・・・ うわあ~、いま鳥肌立った~」なんて言っている。
戦争によって何もかも奪われ、家族の写真一枚持ち帰ることもできずに、命からがら日本に還ってきたわたしたちの親たち ・・・・・・
そういう戦争体験を自分の親から聞くのも、せいぜいわたしより一世代下くらいまでなんじゃなかろうか。いずれ何も知らない人たちしかいなくなる。
彼女とは直接知り合ったわけじゃなく、一緒に仕事をしている友人を介してのつきあいだけれど、こういう縁もあるんだなあ、と思った。人の縁って、ほんとに不思議。

そんな、彼女にとってはただでさえ落ちる8月だというのに、昨日は極めつけにショックなことがあったという。
それを聞いてわたしが思うには、やっぱりそれは起こるべくして起こったことで、それは彼女に重大な何かを教えているのだった。
つまり、自分をスポイルする相手にまで自分の身を粉にして何かを与えつづける必要はない、ってこと。もっと言えば、そんな相手にまで好かれる必要もなければ、『いい人』と思われる必要もないのだということ。大体において、自分と関わる万人に好かれようと思ったり、いい人だと思われたいと思うこと自体、無理な話だし、馬鹿げたことだと思う。
今日、娘の話をしたら思わず泣いてしまった彼女はじゅうぶん優しくて、いい人で、それを知っている人はたくさんいるのだから、なんてことを彼女に言った。
彼女にも『水瓶座の満月』、『ターニングポイント』という言葉は大いに合点がいったみたいだ。「わたし、昨日は塩まきました!」というので、わたしもこれから帰ったら掃除して香焚くと思うよ、といって店を出た。

いまは、これまで隠れていたものや目に見えなかったものがどんどん出てきてしまう時代。
嘘や詭弁、欺瞞やごまかしが通らなくなった時代だと思う。
なんでもボーダレス、なんでもシースルー。
いいことでも悪いことでもなんでもあからさまになってしまう時代。
自分の本音を隠せなくなった時代。
だから社会の闇に潜む陰の意識や悪、汚いものや醜いものや見たくないものもどんどん出てきてしまうのだけれど、そんな時代だからこそいまは何が出てきても、外で何が起ころうともブレない場所、平安な場所、イハレアカラ・ヒューレン博士いうところのポイ(POI:Peace of  I )みたいなものを自分の中につくる必要があるのだと思う。
それには常に自分自身と、自分のいる場を浄化しつづける必要がある。
そして本音を隠しておけない時代、ということは、いいかげん自分に正直に生きよ、ということでもあって、早く『ほんとうの世界』にならないかな、と思う。
言いだしたらキリがないけど、医師や病院は患者がほんとうに良くなるためだの医療を行い、薬剤メーカーは患者がほんとうに良くなる薬をつくり、食品会社は自分の家族に食べさせたいと思うおいしくて身体にいいものをつくり、環境に配慮した農業や企業がスタンダードになり、世の中から女性を搾取する商売がなくなり、うるさいだけのくだらない音楽がなくなり ・・・・・・
自分がほんとうにいいと思う、自分がほんとうにほしいと思うものだけを世の中に提供する人たちが増えないかなって。

わたしがそう言った即座に「そんな世界になるわけない!」と思った人は、そういう意識の集大成によっていまの世の中が形作られているんだからね、と言いたい。
そしてそれを絵空事にしないためには、まずは自分が澄んだ水の一滴にならねば、とか思うのです。

夕方、家に帰って熱い大気でむっとする部屋の窓という窓を開け放して、汗だくになって掃除して、いまやっと琥珀のお香を焚いた。
琥珀のお香は場の浄化、瞑想や精神の安定にはとてもよいそうです。

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懐かしのプアハウスで

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今日は懐かしの江古田プアハウスで仕事のランチ・ミーティングをした。
20代のころによく行ってた店がいまでもあるなんてびっくりだけど、店の前まで行って当時とぜんぜん変わらぬ店の佇まいを見てまたびっくり!
見るからに昔ながらの喫茶店、という感じのここは喫茶店が二軒ならんでて、お隣の『林檎』はいまはどうかわからないけど、当時はクラシックの流れる武蔵野音大生御用達のお店だった。どちらも懐かしい。

カランカラン、と音がしたかどうかは忘れたけれど、ドアを開けて中に入ると手前に大きなカンバセーションテーブルがあって、奥がカウンター席。「わあ、プアハウスだ。ぜんぜん変わってない!」と思わず声に出していってしまった。まるで昔にタイムトリップしてしまいそう。

このときちょうどお昼どき。
でも気の合う人ってどこまでも感覚が一緒らしくて、「先に食事しますか? それより先に話しちゃいませんか? 食べながら話すってのもなんだし・・・」とTさんがいうので、「そうしようそうしよう」とお互いノートを広げた。いつも彼女と会うといくら時間があっても足りないほど話が尽きなくて、あっという間に数時間が過ぎ・・・。店の人にも呆れられそうだし、そろそろごはん食べようか、と頼んだのは、プアハウス名物極辛カレー。もうよく憶えてないけど、当時もきっとこれ食べてたんだろうなあ。
これ、辛さは選べないんです。極辛のみ!
なんたって相手の彼女がヴォーカリストだから喉に悪いんじゃないかと気になったけど、「医師曰く、咳き込まなきゃいいんです」ってと。

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シャバシャバした感じの、見るからに辛そうな濃い色をしたチキンカレー。
それにトッピングのチーズ、スライスしたキュウリとレーズン。ライスにはゴマがかかってて。
最初のひと口めこそ、あれ? そうでもないかな、と思ったものの、いーえ、ぜんぜん辛かったです。ゆえに途中でライスにチーズかけたりキュウリとレーズンのせて食べました。でも辛いけどおいしい! 
ちゃんと丁寧につくられた、熟練した味。
辛さでいうと、これも辛いけど国分寺ほんやら洞のラビさんのつくるチキンカレーのほうがもっと辛い。いつか娘と「こんなに辛くしなくっても・・・」といいながら泣き泣き食べたもんね。今日はTさんと鼻をすすりながら食べた。テーブルの上にティッシュの箱が2箱置いてあるのは素晴らしい。
また、店内でかかるジャズのCDがいいのばかりなんだよね。
いちいち何か確認したかったくらい。
ライブラリにはきっといいのしかないんだと思うけど。
こういうところで聴くジャズのスタンダードはあらためていい。しみじみ。

セットのお茶は先にいただいちゃったから、わたしは食後はマンデリンを。
食後も話していると厨房で珈琲をいれるいい香りがふわっとしてきて、運ばれてきたコーヒーカップのソーサーの上にはカシューナッツがひとつ。
Tさんが「何ゆえにカシューナッツがひとつ」というから、「ナッツって珈琲にあうのよ。チーズもあうけど。食べてから珈琲飲むとカフェオレみたいな味になるよ」と話してたら、マスターがカシューナッツが入ったマカロンだという、お菓子がのったお皿をサービスで持ってきてくださった。そういえば昔は夜来くるとワインにチーズなんかも出していて、お酒が飲めないわたしは珈琲頼んでもチーズつけてもらったりしてたなあ、名前はプアハウスだけどちっともプアじゃなかった、と話すと、いまはチーズは出してない、とマスター。珈琲もおいしかった。
当時はどうだったのかわからないけど、いまはマスターと奥さん、アルバイトの方と3人でやってらっしゃるのかな。すっかり白髪になったマスターは、あたりまえだけど当時はまだずいぶんと若かった。また何かの縁あってここに来られるとは思ってもなかったけれど、こんなにも長く、おなじ場所で昔と変わらず店をつづけていられるってほんとうにすごいことです。

けっきょく昼ごろ入って、4時間近くも長居してしまいました。
ごはんに珈琲で、こんなに居心地よく長居できる喫茶店っていまは滅多にないからすごく貴重。Tさんもとても気に入ってまた来るといってたし、わたしはこんどは当時の音大生で親友のMちゃんと来たい。

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2016年8月15日 (月)

ブルーベリー・フローズンヨーグルト

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今日の遅いお昼は家にあるものでフレッシュトマトのペペロンチーノを作り、デザートはこのあいだのブルーベリージャムを入れて作ったブルーベリー・フローズンヨーグルト。
家でアイスクリームメーカーを使わずにアイスを作るときには、完全に凍ってしまう前に何度もかき混ぜるのがなめらかにおいしく作るコツなんだけど、このフローズンアイス、作りはじめたのがもう夕方でなかなか固まらずにそのまま寝てしまい、翌朝見たらもうカチカチだった。それをちょっとずつ崩してフードプロセッサーで苦労して撹拌してバットにもどし、固め直したのがこれ。

それで白と紫のきれいなマーブル模様もなくなり、ブルーベリーの粒々もなくなってしまったけど、器に盛ろうとスプーンですくってみてびっくり。ふわっとやわらかくて、なめらか。
食べてみると、ふわっとなめらかなく口どけ。買ったみたいな味!
うーーーん、、、、大成功です。
こんなにふわっとなめらかにできたのは初めて。
これからはちょっと面倒でもフードプロセッサーを使うことにしよう。

アイスクリームより低カロリーでヘルシーで、こんなにおいしいフローズンヨーグルトが家でできたらいいよね?
ということで、あらためてレシピ

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 ●ブルーベリー・フロズンヨーグルト
  (24×17 厚さ4センチのバットひとつ分)

 < 材料 >

  ブルーベリージャム   約250グラム

  生クリーム         1パック(200cc)

  砂糖             40グラム

  カスピ海ヨーグルト    1パック(400cc)

  ミントの葉         数枚

 < 作り方 >

  1.バットを冷凍庫に入れて冷やしておく。
    生クリームをボウルに入れ、ひと回り大きなボウルに入れた
    氷水でボウルの底を冷やしながら泡立て器で泡立てる。
    途中、砂糖を数回に分けて入れ、しっかりツノが立つまで
    泡立てる。

  2.1にヨーグルト、ブルーベリージャムを入れてヘラでかき混ぜ、
    バットに平らに流す。

  3.冷凍庫に入れて完全に凍って固まる前に何度かフォークで
    かき混ぜるか、フードプロセッサーで一度撹拌してから再び
    バットで凍らせる。

  4.器に盛るときはバットを少しのあいだ冷凍庫から出しておくと
    やわらかくなって盛りやすい。
    スプーンで削るようにして冷やしておいた器に盛ってミントを
    飾る。

ミントは飾りつけとしてだけじゃなく、一緒に食べるとおいしいのであったほうがいいと思います。ブルーベリーは生でも。その場合はこのレシピだと甘さが足りないので、生クリームに入れる砂糖を倍量くらいにしたほうがいいと思う。固まる途中で撹拌するのは、フードプロセッサーのある方はぜひフードプロセッサーで!
ほんとに買ったみたいにおいしいので、はじめて作った人はきっとびっくりすると思います。もう外で食べなくてもいいかも。
ジャムで作るならブルーベリーじゃなくてもなんでもいいと思う。
うちにはまだ初夏に作ったいちごジャムがあるから、こんどはそれで作ってみようと思います。

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フランスあんぱん

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リュスティックがなくて今朝はフランスあんぱん。
あんぱんを見るといつもあんぱんの好きな谷川俊太郎を思いだします。
あんぱん食ってるわたしも詩人だろうか、というやつね。
あんぱん食ってても詩人は詩人だと思います。
あんぱん食べつつ頭の中は形而上学的なことでいっぱいかもしれない。
そうじゃなくても紙とえんぴつさえあればどこにいたって詩人は詩人です。
なんたってお金かかんないのがいいね。
あんぱんでもおにぎりでもいい。
頭はイマジネーションでいっぱい。

今朝は涼しくてなんだかもう9月みたいです。
風がウィンドチャイムを揺らしてアリアを奏でてる。
まだまだ蝉はがんばらないといけない。
まだ8月半ばだし、
少なくとも愛をみつけるまではね。

今日の曇り空みたいなセレスタイト。
わたしの石、天上の青。

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2016年8月14日 (日)

夏の夕暮れ、鉱物Barへ

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きれいなサックスブルーのリネンの服に丁寧にアイロンをかけたり、午後のまだ明るい変な時間にゆっくりお風呂に入っていたら家を出るのが遅くなって、日の暮れるころギャラリーに着きました。
西荻窪の閑静な住宅街の中にある、ギャラリー みずのそら
いつも素敵な展示をやっていて、いちど行ってみたいと思っていたのです。
建物の前まで来ると四角く開いた塀の間から中庭のプールが見えて、なるほどこれが水の空か、と思いました。
昔、実家近くにあって、トレンディドラマの舞台にもなったコンクリート打ちっぱなしの超ハイテックなかっこいいマンションの中庭にも水溜り程度のプールがあって、彫刻家が作ったオブジェがあって、その奥の部屋が地元の有名な彫刻家のオフィスで、そんな水溜り程度の小さなプールでも、水のある空間ってなんだか豊かな気分がするものです。

いまはちょうど鉱物アソビさんが『鉱物Bar vol.9 produced by 鉱物アソビ Alchemy ~結晶が化学反応をおこす夜~』という展示を行っているところでした。
エントランスにはペンタグラムの立体と鈍い金色を放つ天秤、それに古い洋書やアンティークの瓶、動物のボーンなどが飾られて。

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鉱物アソビさんの展示を見るのは、六本木のギャラリーGallery SU で行われた『涙ガラス制作所』さんとのコラボ展示以来だけれど、いつも隙のない完璧な展示をされる方です。今回は博物館にあるようなアンティークと、鉱物に近い幾何学的なアクセサリーとのコラボレーションで、スタティックな空間の中で石の結晶だけが星屑みたいに瞬いていました。
娘に『石オタク』といわれているわたしとしては、パイライトの結晶を間近に見られたのがよかった。鉱物すべて、色にしても形にしてもそうだけれど、いったいどうして自然にああいう人工的なまでに完璧な金色ぴかぴかの立方体ができるのか。不思議です。あとは母岩石に付いたいろいろな色のフローライトとかアポフィライトとか。ほとんど知らない石はなかったけれど、それでもひとつふたつは聞いたことのない石もあったかな。
でも手に取って見ることはできない。
石によってはモース硬度が低くて簡単に欠けてしまうものもあるから触れないのはわかるけど、ちょっと残念。

奥のカフェでは鉱物を模した『鉱石菓子』なるきれいなお菓子や、添えられた液体を注ぐと色が変幻するカクテルなども供されているそうで、展示にちなんだアートなデザートというのは原美術館なんかでもやっているからとりたてて新しくはないけど、なんだか贅沢ですね。
奥からは賑やかに話し声が聞こえてきて、ちょっと覗くと若い子ばっかり。
次のカフェタイムまでにはまだずいぶん時間があったし、わたしはひとりだと実は飲食にはあまり興味がないので、石だけ眺めて帰って来ました。
夏の夕暮れにきれいな色をした鉱物を愛でるというのは素敵な企画だけど、この気持ちのいい空間自体はやっぱり昼間来たいな、と思った。

ギャラリーに来るまでの緩く坂になった通り沿いにはほかにも素敵な店がいろいろあって、自転車でスカートの裾ひるがえしながら坂道を降りてゆく女の子の後ろ姿を眺めつつ、こんな町に住めたらいいかもな、なんて思ったのでした。
(でも、いろいろと誘惑が多いかもね。)

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緑のポテトサラダ*

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ボタンを掛け間違えるというか、意識の微妙なズレといか間が悪いというか、何をどうがんばってもうまく行かない日ってあって、昨日がそれだった。昨日は今週2回めの上町63だったのだけど、あろうことか終電を逃した。というか、ライブが終った10時50分時点にすでにわたしが家に帰りつける電車は行ってしまっていたのだった。昨日が土曜日なことも終電が早いことも最初から頭にあったはずなのに、どこかでわたしの意識は散ってしまっていたらしい。
都内ならまだしも、遠く離れた横浜で終電を逃したショックってハンパなくて、一気に目が覚めた。前に目白に引っ越した友達が「終電を逃したらうちに泊めてあげるよって君んちの息子にいっときな」といってくれたことがあって、よっぽど連絡してみようかと思ったけれど独り者じゃなし、こんな夜中に電話するのは非常識すぎるだろうと思ってやめた。実家の妹にメールしてみたけど返事なし。今朝になってメールがきたけど、iPhoneのメールって自動着信じゃないから気づかなかったって。意外と不便なものですね。
けっきょく、西武線の正真正銘の終電で行けるところまで行って、そこからはタクシーに乗って帰ってきた。高いものについたし疲れたけど、結果的に誰にも迷惑かけなくてすんだからよかった。ハイ、勉強になりました。たった10分の差で家に帰れなくなる週末の横浜行きはやっぱりリスクが大きすぎる。時間を気にしてると音楽を聴いてても心底くつろげないから考えものだな。
「あと2年で介護保険がどっとやってくるから憂鬱」というタクシーの運転手さんいわく、今年のお盆は11日が山の日なんかになって休みになってなんだかいつもと様子がちがう、なんだか調子が狂う、って。そうか、そういうのもあったのかって。
イレギュラーは新鮮でもあって楽しくもあるけど調子は狂う。
わたしなんてこのあいだからそればっかりかも。
昨日(いやもう今日か)、家に帰りついたのは2時前。
それで今日はすっかり疲れて音楽を聴く気もしなくなって、昼のライブに行くのはやめた。これからシャワーでも浴びて午後はリラックスするためのアート鑑賞でもしに行きますか。
今年はいつまでもはっきりしない天気がつづいて、梅雨明けが遅くて夏になるのが遅かったのに、立秋過ぎたあたりからあきらかに風が変わって日に日に日の暮れる時間が早くなり、ゆうべなんか涼しいくらいだった。
今年はなんだかさみしい夏だなあ・・・・・・
夏のいいのは光と、どこに行っても蝉の声がすること。
そういう空間、そういう映像。
わたしなんて永遠にそこにいたいくらいだ。
だからやっぱり今日も家を出て外にでかけよう。

朝ごはんは夏になると作りたくなる緑のポテトサラダ。
と、くるみパンのバタートースト。
ポテトサラダはジャガイモを皮のまま(大きかったら半分に切って)ゆでて、火が通ったら串に刺して皮を剝き、大きなボウルに入れて熱いうちにポテトマッシャーでつぶす。塩、胡椒、粒マスタード少々、それにマヨネースにバジルペースト適宜で味をつける。今回はそこにあらかじめ薄切りにして塩でもんで絞っておいたキュウリと小さく切った生ハム、松の実を入れた。生ハムのせいでちょっと塩気が効いてる。これはリュスティックにレタスとはさんでサンドイッチにしたらおいしいかも!
これを食べるとあのきらきらした夏の日のことを思いだす。
昨日出かける前に作っておいてよかった。

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2016年8月11日 (木)

父の孤独、野良猫の孤独

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今年ショックだったのは一つ年上のRが「オレには友達はいない」といったことだ。
昔、あんなに陽気でいつもたくさんの友達に囲まれて豪放磊落にしていたRちゃんがそんなことをいうとは、思ってもみなかった。
同時にそれじゃあ、わたしはなんなの、と思わないでもなかったけれど、Rのいう友達とはたぶん、日常的に常に近しい距離にいて、日々のつまんない思いや時には真面目な考えを屈託なく話したり、共有できる相手のことなのだと思う。
そういう相手がいまのRにはいないということなのだ。
もっともそれより何年か前には親友のMが「仕事をするようになってからほんとの友達はできなくなった」というのを聞いた。それもかなり意外だった。いつも仕事で華やかに日本と海外を行き来しながら日本と海外、どちらにも友達がいて、常に複数の男友達と親密な関係を結んでいる多忙な彼女からはとうてい似つかわしくない言葉だったから。
くだらないことをいうのはやめよう。一見どんなに華やにしていたって、そんなことは本人の内面とはぜんぜん関係ないってことだ。
ああ、そうだ。それにもっといえば、しきりに自分の移住計画にわたしを乗せようとしているIさんにもこのあいだ、「そうきちだって近くにすぐ会える友達なんかいないんでしょ」といわれたっけ。わたしもずいぶん落ちたもんだと思う。
これまでわたしは友達なんか、どこにいてもいくらでもできると思っていたけど、実際のところは年をとるごとに人はだんだん孤独になっていくんだろうか。

ボケたわたしの父は人と顔さえあわせれば、「おとうさんの友達はみんな死んじゃった。電話もかかってこない」というけれど、そのたびにわたしはいう。
「あのね、おとうさん。おとうさんは85で誰からも電話がかかってこないっていうけど、わたしなんかまだこの年で、友達はみんな生きてるけど、電話なんて誰からもかかってこないわよ。いまはもう、そういう時代なのよ」
そうだ。いまはそういう時代なんだと思う。
別のMちゃんなんか、メールしてもしても返事がこないから電話でそういったら、「ラインしか見てないよ!」とぶっきらぼうにいわれて、それで終わりだ。まったく嫌な時代だ。それでもほかに連絡のしようがないからたまにこちらから電話をすると、まだろくろく話してもないうちに「子機の充電が切れる」といわれて突然ブツッと電話が切れ、そのままかかってもこない。でも考えてみたら(考えてみなくてもか)「ラインしか見てない」といわれた時点でもうすでに終わってる関係なのかもしれない。
友達だと思ってこちらがいくら大事にしたところで、自分もおなじように大事にされるとは限らないのが人間関係。いいかげん、あきらめたほうがいいのかもね。

今日は父とお昼をするのに、ここ数日にしては気温が下がって過ごしやすいから、たまには気分転換に外で食事でもするのはどうかと思った。
とはいえ日中は暑いから、また父に「行かない」といわれるかなと思いながら電話すると、思いがけなく父は「いいよ」という。
実家近くの中杉通りのバス停で待ち合わせて阿佐ヶ谷に行った。
何せ父は足が痛くて歩けない人だから、こちらはのんびり商店街を歩きながら、雰囲気のいい店でもみつけたらそこに入ろうと思っていたら、父は「行くところは決まってるんだ」という。たまに一人で池袋の新文芸坐に映画を見に行った帰りに寄るチェーン店が阿佐ヶ谷にもあって、そこに行く、というのだ。
どこかと思えばなんてことはない、日高屋だった。
人がせっかく何かおいしいものでもごちそうしようと思ってるのになあ、といいながら店に入った。父は前に食べておいしかったというゴマだれ冷やしつけ麺を頼み、わたしは冷やし中華を頼んだ。そこでわたしが麺の多さ以上にまいったのが、店内にかかっているBGM。
それらはすべてブザーみたいな音のコンピュータ・ミュージックで、キーボードはもちろん、ギターの音もすべて少しズレたような無機質な電子音でできていて、わずか数曲のおなじ曲がずっとループしてかかっている。それを聞きながら、やたらと麺ばかり多い冷やし中華を食べていたらだんだん気分が悪くなってきて、わたしだったらこんな職場ではとうてい働けないな、と思った。こんなおかしな音を聞きつづけていたら間違いなく脳みそも自律神経もおかしくなる。人間の耳って、他の臓器にくらべても死の最後まで機能しているとても深遠で精妙な器官なのに、こういうのはほんとうにいけない。
昨日の夜、上町63でいい音を聴いた直後だからよけいそう思うのかもしれないけれど。と思って、あたりを見渡しても誰ひとりBGMを気にしている風な人はいなかった。たいてい男1人でお腹をすかせてやってきて、あまり言葉の通じない中国人に無機質にオーダーし、無機質な音楽の中で無機質な器に盛られたたいしておいしくもない中華そばを無機質に食べている無機質な顔の人たちがいるだけだった。
どこを切っても金太郎飴みたいにおなじ顔をした駅ビルやチェーン店、どこに行っても老人だらけの超高齢化社会と貧困か。やれやれ! 落ちる。

父はといえば、咀嚼力が無いのに必要以上にたくさん口に食べものを詰めこんで、まだ口にたくさん物が入ってるうちからひっきりなしに喋るから、そのたびに注意をしないとならない。食べ方がきれいじゃない父との食事はいつもストレスだけど、いつか妹が「いくらいっても直らないのはどうしてかしらね?」といったことがある。
どうしてかわからない? とわたしはいった。
想像してみてよ。
父は子どものときに実の母親が亡くなって、父親と弟と妹の4人暮らしになり、間もなく意地悪な子連れの継母がやってきて、おなじ食卓を囲みながら自分の血のつながった子どもには食べさることはしても、自分と血のつながらない子どもにはろくろくまともに食べさせなかったから、父は自分の目の前に食べものがあるうちに急いで口に詰め込まなきゃならなくて、それがいつの間にか習慣になっちゃったのよ。つまり、野良猫みたいなもんよ。悲しいかな、それが父の育ちというやつで、それが骨の髄まで浸みこんじゃってるんだから、大人になってから人からいくらいわれたところで、もう自分でも直せないのよ、と。
それって考えたら痛ましいことじゃない。
おまけにいまの父はアルツハイマーなのだ。

そして、そうは思ったところで父と食事をして不快な気持ちになるのはいたしかたのないことで、だからそれにつきあえるのはもう妹とわたし、せいぜいたまにうちの子どもくらいだろうと思っている。それでも父がまだいいのは、食事が終れば誰にいわれなくても積極的に自分から歯を磨きに行くことだ。
お盆だからというわけではないけれど、帰りは父と一緒に帰って母の仏壇にお線香をあげた。冷たいお茶を出して座る間もなく、例によって父の波乱万丈のヒストリー語りがはじまる。小学校6年のとき母が亡くなり、母が亡くなる前からすでに大東亜戦争がはじまっていて、数学が得意だった父は「これからは商業の時代だ」という父の言い分に従って商業高校に進んだものの、学校に行っても勉強どころじゃなく毎日軍事訓練で、槍持って「エイ! ヤア!」なんてことばかりやらされて嫌になったので自分から学校をやめた話。それから今日に至るまでの延々つづきがあって話はまた元に戻り、自分はこの歳までほんとうによく生きた。おとうさんの友達はみんな死んでしまった、だ。
ただ、今日はいつもとは少し違った。
「でも、友達がみんな死んじゃったからって、おとうさんはさみしいと思ってるわけじゃない。おとうさんはひとりでも平気だ。ひとりでどこにでも行ける。というのは、母親が死んでから、父親は母親とはまったく性格の違う人だったから、おとうさんは子どものころからどこへ行くのもひとりで行っていたからだ。それでいまも浅草でも池袋でもひとりで行けるんだ」
という続きがあった。
それもなんだかかなしい話だ。
父が池袋や浅草の人混みの中をひとりでたどたどしく歩いている姿を想像して、父の眼の中に何がどう映っているかを考えただけでも呆然とする。
そしていつか、行った先でついに帰れなくなる日が来るんじゃないかと心配になる。

そして、もうひとつ。
父は以前、暇つぶしによく近所の老人が集まる碁会所のようなところに行っていたのだけれど、いつからかまったく話を聞かなくなってしまったと思っていたら、それはなんと3.11をきっかけに行くのをきっぱりやめたのだという。
3.11と碁会所と、いったいなんのつながりがあるのかわたしには全然ピンとこなくて、父にいろいろと聞いた結果、父のいう、わけのわからないことから推測するに、あのときテレビでたくさんの人が津波で流されて死んだり、家ごと流されたりするのを見て、いつしか自分の戦争体験とも重なり、こんな年寄りになって働けなくなって収入もなくなった自分が、のんきにお金遣って碁会所なんかに行ってる場合じゃない、と思ったらしい。
娘ふたりからしたら、ひとりも友達がいなくなった父が退屈を持て余して家でただボケていくよりは、碁会所にでも行って多少なりとも人と関わって楽しく頭を使ってくれたほうがいいようなものなのなんだけど。
どこまでも貧乏性な人だ。
そしてその父の貧乏性に拍車をかけたのが3.11だったとは。
なんだかやりきれなくなるなあ ・・・・・・

気持ちが落ちるのと同時に父のいつ終わるともしれない話を聞いていたら抗いがたく睡魔が襲ってきたので、「それじゃあ、また来るから」といって帰ってきた。
電車の中では眠っていたけど、駅を降りるなり過去の記憶もいまの思いもまた一気に頭に押しよせてきて、自分がどこの次元にいるのかわからなくなりそうだった。
そして家の近くまできて、塀の上を向こうに歩いてゆく野良猫の姿をみつけて思わず立ち止まった。傾きはじめた夏の光の中で、その後ろ姿があまりに孤独で。老いぼれで。

 わたしはひとりですがべつにさみしくなんかありません。
 母親と別れてからずっとひとりで生きてきましたから。
 ただすこしおなかがすいているだけです。

野良猫っていうのも実にたいした生きものだと思う。
年老いた野良猫の気持ちがほんとうにわかるのは、年老いたひとりぽっちの老人とホームレスくらいなんじゃないだろうか。
一年じゅう毛皮を着て着の身着のまま、なんとか外見を保っていられるのは猫のほうが上として、病気をしたりケガをしたら命とりなのは野良猫もひとりぼっちの老人も一緒か。

 汚れた野良猫にも いつしか優しくなるユニバース

最近聴いて、ふっと解けるような気持ちになった草野マサムネの歌詞のフレーズ。
そうだといいよねえ、というのと、そういう瞬間ってほんとにあるよねえ、というのと。

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山の日

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至極あたりまえのことだけど、早くに日が高くなって暑くなる夏は自然に早く目が覚めるよね。
昨夜はライブに出かけて午前様で、寝たのは遅かったのに今朝は7時には目が覚めてベランダに。久しぶりにみっちりばらの手入れをした。
昨日、陽で灼かれてちりちりになった花を切ったり病葉を取ったり、芽が動かなくなった枝を切っていらなくなった支柱を外したり、毎日の水やりで固くなった土を細いシャベルでほぐしたり。奥にあっていつもは目も手も行き届かない鉢を引きずり出してみたら陰になった枝の裏にびっしりカイガラムシが付いていて、それをブラシでガシガシこそげ落としたり。
花が終わって軽く剪定して樹形が変わるたびにする配置換えは狭いベランダではちょっとしたパズルのようで、いつも頭を悩ませる。すべてのばらを平等に扱うことは狭いベランダではとうてい無理な話だから。
気づいたら、あっという間に2時間半が過ぎていた。
それだけベランダにいて作業していても軽く汗ばむくらいなのは、昨夜激しく雨が降って少し気温が下がったせいかもしれない。
今日、山の日。
今日から短い夏休み。
そして、わたしはライブウィーク。
先月はちょんぼして1回も行けなかったら、そのぶん楽しもう。
今日の遅いお昼は、昨日から妹が一泊旅行で出かけてしまって1人でいる父のところにお昼を持って行く。

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2016年8月 9日 (火)

気温が体温より高くなる日

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クーラーのタイマーが切れたあと目が覚めてしまって、朝のベランダ。
今日は日中の最高気温が37度にもなるというから昨日から85の父のことを心配してるけど、いまは曇ってるせいか、まだそれほど暑くない。
それでまだきれいな姿をしているジュビリー・セレブレーション。
このあいだ植え替えて、しばらく半日陰に置いておいたメディカル・ティーツリーの枝の先っぽから新芽が出てきた。
もうだいじょうぶかな。

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涼しげな緑の葉。

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2016年8月 8日 (月)

峠の茶屋

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今日のお昼はめずらしく玄米おにぎりです。
こうやって出したら娘に「峠の茶屋みたいだね」といわれました。
だから今日は峠の茶屋の昼飯。
サノアイさんの木のお皿は、パンだけじゃなくておにぎりにも似合います。
玄米おにぎりの中身は梅干しとごま昆布。
それにオクラとナスの自家製ぬか漬け、お豆腐とネギのお味噌汁。
冷蔵庫で管理するぬか漬け、なんどダメにしそうになったかわかりません。
でも、しばらく掻き混ぜるの忘れてぬかの上にできる白い膜は、どうやらカビじゃなくて産膜酵母みたいです。だから変な匂いがしたりはしない。産膜酵母の部分をはがしてキッチンペーパーで余分な水分を取り、ぬかをかき混ぜたらまたふつうに使えます。

いま気になってるのはあのウエダ家の『ウエダ家のにおわないnukadoko』です。
こちらは冷蔵庫に入れて、ほんとに1週間くらい掻き混ぜなくてもいいらしい。
なんとぬか床から出した野菜を洗わずに、米ぬかが付いたまま食べると腸にすごくいいらしいです。
つまり、わたしは横着な癖に健康オタクというわけなんです。

ちなみに、おにぎりは海苔がパリっとしてるのと、しっとりしてるのとどっちが好きですか?
わたしはどっちも好きなんだけど、白米にはパリっとした海苔、玄米にはしっとりした海苔が合うような気がします。
あっという間に過ぎ去る毎日は日々些末なことで満ち満ちているのだけれど、その些末で平凡な日常のなかにふと詩が生まれる瞬間を捉えたいわたしなのです。
あの日のあなたの澄んだ瞳の中にあった疑問符みたいな。

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2016年8月 6日 (土)

夏日

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プールに行こうと自転車に乗るとサドルが熱い。
夏空に入道雲もくもく。
足もとで揺れる猫じゃらしの群れ。
夏草ボーボー。
今年もまた外の気温が体温とおなじくらいになる暑い夏がやってきた。

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それでも、リネンのワンピースにラフィアの帽子、サンダルで自転車をこぎ出すと夏の陽射しがノースリーブの腕にここちよい。
アッパッパーといわれようが夏はリネンのワンピに勝るものなし!
そして、そんなわたしのこの夏の味方はこれ!

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エスケアウォーター

水とハーブを主成分とするこのエスケアウォーター。
UVウォーター、つまり日焼け止め水です。
水だけで紫外線予防? 
と最初は半信半疑でしたが、使ってみるとこれすごくいいです。
水だからクリームやリキッドみたいに毛穴に詰まることはないし、何より肌に負担がない。肌の表面に何かをつけて紫外線を予防するのではなくて、肌の内側から潤してバリア層を作ることで紫外線を予防する、という考えなので、肌自体が潤ってキレイになる。そして水なので少々服にかかっても気にせず、顔から首、デコルテから腕、そして脚と、出ているところにはどこでも気軽にシュシュッとかけて出かけられるところが便利!
超微粒子のミストは使い心地も爽やかで、全然ペタペタしたりしないから夏場も気持ちよく使える。
これだけでまったく日焼けしない、というわけではないかもしれないけれど、これをかけたところとかけなかったところではその差は歴然。
ふだんまったくノーメーク、という人も、アトピーや敏感肌でメイクはおろか日焼け止めが使えない、という人にもおすすめです。
・・・・・・ というわけで、わたしは今日もたっぷりかけて出かけました。
いくら歳とはいえ、これ以上、シミ・ソバカスできるの嫌ですから。
エスケアウォーターはエル・シャンさんで売ってます。

今日、2週間ぶりのプールは、ピチピチのオサカナみたいにイキのいい、若い女の子のコーに最新のバッタを泳がされてまいりました。肩が・・・・・・ (>_<)
そして今日が終ると来週はスイミングクラブの夏休みで、また2週間あいてしまう。
ここもう何年も、水泳が上達するより自分の劣化スピードのほうが早すぎて、できることなら時間を止めたいくらいです。
そして時間、といえば、もう日が短くなってきて、わたしはいまから夏の終わりがさみしいこのごろ・・・・・
風車みたいな涼しげなムクゲもだいぶ終わりに近づいてきました。

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2016年8月 3日 (水)

新月にPEPEPEさんから絵が届いた!

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新月の今日、PEPEPEさんこと渡邉知樹さんから絵が届いた。
知樹さんには5ヶ月も待ってもらって、やっと手に入れた絵。
わたしがはじめて買った絵。
全紙サイズだからかなり大きい。

わたしがまだ家族以外誰にも絵を買うことを話してなかったとき、いつも行く美容院で壁に飾られた絵を見ながらJ君にそのことを話したら、「それはいいですね! 絵でもなんでも、ほんとに気に入ったのを見つけたらぜったい買うべきです。ぼくは昔からそういう考えです」とJ君が断言したのでちょっと驚いちゃった。
昔からよく育ちがいいとか悪いとかいうけれど、ふつうの人には想像もできないような貧しくて過酷な環境で育ったJ君のどこからその考えが生まれたのだろうって。
まぎれもなく彼は、子どもだった自分を取り巻く親や周囲の人すべてを反面教師として、その環境から出るべく努力していまの美意識、美学を築き、お金の遣い方をチョイスしてきたのだけれど、それって素晴らしいことだな、と思った。
世の中にはお金がたくさんあっても自分の家に花など買わないって人もいる。
生活に必要なもの以外、それこそ絵なんか買ったら連れ合いに怒られるっていう人もいる。
それがわたしなんかよりずっと豊かな暮らしをしている人たちだったりするから、ちょっとびっくりする。
幸い、わたしの家の家計はわたしがマネッジしているのでわたしが何を買おうが誰に文句をいわれることもないし、二人の子供はともにクリエイティブ系の人間だから、むしろわたしが生活のこと、現実的なこと以外にお金を遣うことを喜んだりする。息子もJ君とおなじ。
「絵を買うなんてそれはいいね! そういうことにお金を遣うのはいいことだと思う」というし、娘は娘でわたしに絵の値段を聞いて「そりゃ、安いくらいだね」っていう。
おもしろいね。子供のころ、わたしはよく母に「あなたはビンボー人の子のようじゃない」っていわれたものだけど、うちの子二人もおよそビンボー人の子のようじゃありません。

いま思うと、わたしが滅多にないこと自分のためだけに大きな買いものをするときって、きまって何かの転機のときだった。
ということは、これもまた何かの転機なのかな。
と、行動したあとにいまさら考える。
これまでアートを所有することに全然興味がなかった(というか諦めていた)わたしに何か変化があったとしたら、それは花や鉱物なんかとおなじように、絵もまた生きたエネルギー体だということを真に感じたからだと思う。

昔から素敵な靴というのは持ち主を素敵な場所に連れて行ってくれるというけれど、この素敵な絵がわたしたちを素敵な場所に連れて行ってくれたらいいなと思う。
どこか、この絵の似合う場所に。
そしたらわたしはバイバイ・ブラックバードを歌いながらこの町を出るんだ。
たくさんの大事なものを失ったこの町から。

絵には花の木が描かれた封筒が付いていて、中にはいつものPEPEPEさんのヘンな鳥の絵(いつもヘンなヘンな、っていってますけど、これって褒め言葉ですからっ!)とメッセージが。
でもこのヘンな鳥はいつも以上に素晴らしい。
逆立ったトサカも、ふっとい身体も、木の根っこみたいな立派な脚も、でっかい翼もなんだか堂々と威厳があって鳥の王みたいです。

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そうだ、突然だけどカメラの三脚を買おう!
友達がピクチャーレールを付けに来てくれて、めでたくダイニングルームの壁にこの絵が飾られたら、絵と一緒にみんなで記念写真を撮ろう!
とってもHAPPYな顔の写真になりそうです(^-^)

カードの裏。
ZZZ ・・・・・

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2016年8月 1日 (月)

8月の朝ごはん

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ついに8月。
今朝も空はどんより。
これだけ蒸し暑いと何か塩気のあるものが食べたくなる。
それで今朝はベビーリーフとトマトとパプリカと生ハムのサラダ。
パンはいつか教会帰りの友達にお土産でもらったことのある荻窪の天然酵母パン、『えだおね』さんのパン。
左から黒胡椒のリュスティック、くるみぱん、レモンピールの入ったシトロン。
見るからにわたし好みのパン。
こういうパンのいいところは、なんにもつけなくてもおいしいところ。
ハードパンだからゆっくり噛まなきゃならなくて、ゆっくり噛んでるうちに自律神経が落ち着いてくる気がする。

出勤する日の朝は息子は珈琲は飲まないから、今日はわたしもつきあって番茶。
夏は起き立てに冷たい水をコップに1杯、ガッと飲みたくなるけど、朝いちばんのお腹には白湯か番茶くらいが落ち着く。
ノンカフェインの番茶なら食事と一緒に飲んでも鉄分やミネラルを吸収する妨げにならないし、食後すぐにサプリメントが飲める。
たくさん汗をかく夏はそのぶんビタミン・ミネラルも外に出てしまって不足しがちだから、いつもよりよけいに摂るくらいじゃないといけない。
夏のあいだだけでも珈琲は食後、時間をあけてからにしますか。
うちはほぼ一年通して温かい珈琲しか飲まないけれど、そのうち珈琲飲むのも修行みたいな暑い日がやってくる。

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