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2016年3月20日 (日)

Tちゃん。

16syunbun

ときどき、ほんとにときどき思い出して無性に会いたくなる年上の古い友達がいて、いつかは、近所に住む若い女の子(といっても二児の母)のきらきらした笑顔に昔の彼女の笑顔が重なって、思わず電話したら彼女は昔と変わらないどこか甘さのある声で「そうきちは元気だった?」といった。
わたしは「うん、相変わらずいろいろあるけど、でも元気だよ」といって、ひとしきり話して、「近々、会おう」といいながら、会わないまま、また数年が過ぎた。
頭のどこかにあって、こちらから連絡さえすれば以前と変わりなく話せるそんな友達とは、会ってなくても関係が切れたわけではないのだろうと思うけど、でも必要があって、どうしても会いたいと思う人とは会ってるだろうことを思うと、そういう古い友達は時の形見みたいなものなのかもしれない、とも思う。
現実には、もう彼女の生活の中にわたしはいないし、わたしの日常の中にも彼女はいない。現実的に見たら、互いにもう必要のない人なのだと思う。

でも時折り、何かの拍子にふいに彼女が笑いながら話してるみたいなあの独特の甘い声で「そうきち、元気だった?」と話しかけてくるから、わたしはやっぱり彼女のことを思いださずにはいられない。
わたしは記憶力がよすぎるのがいけないんだと思う。
思い出の中では、彼女はまだ若く、わたしはもっと若い。
まだ何も失ってなくて、ハッピーエンドにはまだまだ先のストーリーがありそうな気がして。
素敵な音楽も演出もないけど、ありのままでじゅうぶんな記憶をつぎはぎしてショートムヴィーのように頭に流してる。
彼女もわたしもしあわせになれるはずだった。
いや、この言い方はちがうな。

ただもう彼女が愛した人はもうとうに空の上に行ってしまったし、彼女もわたしも互いに欠けた器の中で、でもそれを無理に埋めようとするんじゃなくて欠けもまた一興と思えるようになるまで、時に自分を笑い飛ばし、挫けず生き生きと元気に生きてきた。
彼女が昔と変わらないのは、しっかり者の癖に茶目っ気のあるとぼけた性格かな。
明るい声と笑顔。
どれだけ苦労してきたんだろうと思うのに。

そうやってわたしが勝手に重ねる互いの時間において、時の形見にならない見えない細い糸はたしかに繋がっているんだろう。
(時間はずっとつづいてるから。)

今日あたり彼女に電話してみよう。
そして十数年ぶりに会おう。
こんどこそきっと。

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