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2016年2月12日 (金)

梅、満開

16hakubai

今日は父のエコーの検査の日だった。

このあいだのことがあるから家まで迎えに行く。

3時の予約で、家を出たのは1時前。

かなり余裕をみてのことだったけど、それくらいでちょうどよかった。

つまり、いまの父はそれくらい時間がかかるということ。

なんだかしらないけど家を一歩出た途端から常に何かにびくびくしている。

バスに乗る前は、まだ歩いている坂の途中で歩きながら鞄に手を突っこんで

シルバーパスを探しはじめる。駅の踏切ではじゅうぶん時間があったはずな

のに渡りきれなくてはらはらする。電車のICカードを渡せば改札のかなり手

前から何度もわたしにやり方を確認する。電車の中では鞄のいくつかある仕

切りをガサガサやっては保険証と診察券を探し出し、しげしげと眺める。と思

えば身をよじってズボンのポケットからICカードを出したりしまったりしていて、

降りるころにはついにどこにやったのかわからなくなってしまう。

ずっとそんな風。

一緒にいてほんとに落ち着かないし、疲れる。

認知症になると自分の外の世界は脅威でしかないのか、と思う。

かなりの部分でそうなんだろうな、と思う。

いつか自分が風邪をひいてちょっと調子が悪くなったくらいでも、健康な人

に合わせて作られたこの社会の暴力性を感じたから。

でも、かなり早く出たおかげで今日は受付時間より前に病院に着いた。

受付時間ちょうどに名前が呼ばれて父がエコー室に消えたあと、椅子に座

って目をつぶると周囲で聞こえる様々な音 ・・・・・・ 患者を呼ぶアナウンス

や目の前の血圧計から流れてくるサティのジムノペディや機械のデジタル

音や人の話し声や咳ばらいなどが、頭の中に広がった陽の当たる白い壁

にまるで文字や奇妙な絵のように浮かんで、突如わたしはコラージュの意

味がわかった! と思った。それが変な言い方なのはわかっているけれど、

たしかにわたしの頭の白い壁には数字や文字で埋め尽くされた父のシル

エットや、一見なんの脈絡もないようでいて遠いところで関係している土地

の風景や断片的なものなどが絵のようにコラージュされていたのだった。

これを実際に紙の上に再現できたらいいのにな、とわたしは思った。

それからエコー室の中にいた看護師さんから呼ばれて暗い部屋の中に入

り、いま撮ったばかりの父の肝臓の画像を見た。

ひととおり担当医師と必要なやりとりをして、父はどうしたいか尋ねた。

父の口から出てきたのは、行きの電車の中でわたしが、父がわかっても

わからなくても一応ちゃんと説明しておこうと今日のことを話したときに返

ってきた言葉と一緒だった。

「わたしはあんまり先のことは考えないんだ。難しいことはわからないし、

江戸っ子だからグズグズ考えたりしない。もう84だし、なるようにまかせれ

ばいいと思ってる」

父がそういうと医師が、「でも、痛いのは嫌でしょう?」と訊く。

すると父は笑いながら、「いまはなんにも自覚症状もないし、どっこも痛くな

いから」と答える。

いつもとおなじ。

でも、いま自分の肝臓の画像を見たでしょう、たしかにまるくて白い欠損部

分があるのを確認したよね、がんが画像に映るまでに10年かかるんだか

ら、ふつうの健康な人の肝臓にはないものなんだよ、といってみるけれど、

父にはもう近い未来の痛みを想像することすらできないらしい。

父の頭の中では、84なんて男としては長生きなほうだ → みんなもうとっ

くにあの世に行ってしまっている → おとうさんの友達はみんな死んじゃっ

た → もう仕事仲間もいないし話し相手もいない → 仕事もしてないから

お金もないしつまらない → 食べたいものもとくにない → 昔はよかった

→ 車がないからどこにも行けない → 足が痛くて歩けない → 何もする

ことがないから家でテレビを見てるだけだ → でも、もしかしたら100まで

生きちゃうかもよ? → 東京オリンピックのときは仕事でそれどころじゃな

かったから今度のオリンピックは見たい → 次のオリンピックまで生きられ

たら生きたい、というのが常に同一線上になんの破綻なく並んでいて、ただ

それがループしているだけなのだ。

医師にはわたしが懸念していることを伝えて、家族やかかりつけ医とも相談

したいので結論は少し待ってほしいといって帰ってきた。

次の予約は26日。

いまはとにかく父が足が痛くてまったく歩けないので病院を出た後どこかで

休憩するということもできなくて、病院を出るなりタクシーに乗ってとんぼ返り

するだけ。

去年、肩のリハビリで病院に通っているとき、リハビリルームでたくさんの老人

を見た。なかには作業療法士さんが何をいっても無気力で表情ひとつ変えな

い人もいたし、父よりもっと深刻な病気を抱えた人もたくさんいた。こんな言い

方はよくないけれど、そういう人にくらべたら父はまだ表情もあるし何より笑え

るからずっとましだ。・・・・・・ と、そう思おうしたけれど今日は何をどう考えた

ところでそういうことを超えてなんだか悲しくなってしまって、すっかり気持ち

が落ちてしまった。そうなるともう父にも優しくできないし何を話す気もなくなり

気づいたら実家で自分のいれたお茶を飲みながら、食べ終わったチョコの小

さな包み紙を正方形に切ってひたすら鶴を折ることに集中していた。鶴なん

てほんとに久しぶりに折ったのに、折り方を覚えていてちゃんと鶴ができあが

ったのは自分でも不思議だった。

今日よかったのはぜんぜん寒くなかったことだ。

コートが暑いくらいだった。

行きに実家に行く途中に寄った福蔵院の梅は見事だった。

見事に満開。

満開って、つまりすごく円満な図で、それを見ているときには次に花びらが散

って行く姿なんて思い浮かべもしないんだ。

16fukuzouin

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