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2016年1月29日 (金)

節分間近

16mame_maki

今日は父の術後1ヶ月検診の結果を聴きに行く日。

天気予報では今日は雨か雪だというので、昨日のうちに娘にてるてる坊主を

作ってもらって、今朝は「よかった、まだ降ってない」といって出かけた。

そうして待ち合わせの実家の最寄駅の改札に早めに着いてみると、父はまだ

来ていない。でも火曜日に行ったときも昨夜もあれだけ念を押したんだから乗

る電車の時刻までには来るだろうと思っていたら、電車が来てもまだ来ない。

乗ろうと思っていた電車は行ってしまった。まさか、一人で先に行ってしまった

とか?! と不安に思いはじめたころにやっと姿を現した父は、例によって信

じられないほど歩みがのろい。病院には受付時間ってものがあるのにと、思

わずはらはらして改札のこっち側から「早くしないと病院に間に合わない!」

と叫ぶわたしに、父は「早くったって、足が痛くて歩けないんだよ!」と凄む。

それから小銭入れのチャックを開けて、ぽかんと口をあけたまま切符売り場

の前でぼーっと運賃表を見上げて固まる父 ・・・・・・

ああ、なんでこんなときに妹は父にSsuicaを渡しとかないんだ。妹はいつもわ

あわあいうくせに肝心なときにはいつもぜんぜん気が利かないんだ。父と一

緒に家を出るわけじゃない、待ちあわせて時間までに行かなきゃならない人

の緊張感など考えもしない。父はいまではもう全く健常者ではなくなってしま

ったのに。それに今日は父が失くした診察券の再発行だってあるのに ・・・、

と、行きの電車の中から胃がきりきりした。

そしてこんなときに限ってうまくいかないもので、あと一駅、というところで車両

点検があって電車が遅れ、さらに時間がなくなった。目的の駅に降りた途端に

私は走り出したいくらいなのに、父はゼンマイ仕掛けの人形ほども歩けない。

そして「がんばって、歩いて」というわたしをまるでこれからアウシュヴィッツの

強制収容所に連行される人みたいな猜疑心と悲しみいっぱいの目で凝視しな

がら歩くのだ。まいる ・・・・・・

やっと駅の外に出ると、雨がぱらぱら降りはじめていた。

ちょうど近くまで来ていた空車のタクシーを押さえて父を乗せるまでも大変で

でも上品なお年寄りの運転手で助かった。タクシーが病院の車寄せに着くと

守衛さんみたいな人が「車椅子をお使いになりますか?」と聞いてくる。つま

り父の様子は見るからに車椅子が必要ってことだ。それを断ってそこからは

私が父の保険証持ってダッシュして、ぎりぎりセーフで受付けに間に合ったの

だった。ふぅー、ほんとに疲れる。

そしてやっと順番がまわってきて、診察室に入った我々に医師がいった言葉

は、我々が願っていたこととは真反対の言葉だった。

つまり結果は×。

このあいだ塞栓術をした箇所にもまだ腫瘍が残っているし、新たにポツポツ

出てきたものもある。嫌なのは、その中のひとつが心臓へとつながる上大静

脈と、冠状静脈の近くにあることだ、と医師はいった。超音波でよく調べてみ

ないとどっちの方法がいいかまだわからないけれど、ラジオ波で焼くか、この

あいだとおなじ塞栓術をするかしたほうがいいでしょう、という。父もわたしも

えっ、また? という気持ちだった。思わず父は「もういいんじゃないかな・・・」

といいかけた。もしどちらかをやるとしたら、それはいつくらいのことですか? 

とわたしが訊くと、医師が「2ヶ月後とか」と答えたので、またしてもわたしは

このあいだやったばかりなのにそんなにすぐ! と思ってしまった。

あのう ・・・・・、とわたしはいった。

「84の人が一年に何度もそういうことをしてもだいじょうぶなんでしょうか?」

すると医師は、「問題ありません!」と笑顔で即答した。

あたりまえだけど、きわめて西洋医学的。

でも入院して環境が変わっただけで認知症は明らかに進んでしまうし、この

あいだのように勝手に出歩いて転ばれたら大変だからとベッドに繫がれて

しまったら、筋肉も運動能力もますます落ちてしまう。実際43キロあった体

重がいまは38キロしかないのだ。「でも84で、もう年齢的にもやりたくない

とかあるでしょうから、それはご本人とご家族が決めることですけれども・・・」

と先日の執刀医で担当医の才色兼備の女医はやんわりといった。

「でもとりあえず超音波で調べることだけはしたほうがいいんですね?」とわ

たしがいうと、「もういちど診させていただけますか?」というので、よろしくお

願いします、といって2週間後のエコーの予約をして診察室を出た。

今日はバタバタで水を買う暇もなかったから会計を済ませて病院を出るころ

には喉がカラカラで、疲れたからちょっと休みたかったし、このあと仕事があ

るからわたしはお昼をすませて帰りたかったけど、父は例によって「食事はし

ない。あんただけ食べて帰れば」とぶっきらぼうにいう。電車の乗り降りにも

介助が必要なのに、「送らずに帰せるわけないでしょう」とタクシーに乗った。

雨は朝よりひどくなっていて、駅ビルの暖かい場所で父に待ってもらって、

「わたしはこんなところで買いものはしない」と妹がいう地下のバーンロムサ

イで小さなお弁当を2つ買って電車に乗った。帰りは二人とも無言。

友人の医者がいう私の好きな言葉に「人は70になっても夜ぐっすり眠ること

で成長ホルモンが出るんです」というのがあるけど、父の身体はついに負け

が込んできちゃったんだな、と思う。もう熟睡するにも睡眠物質が必要なだけ

脳から出ないし、一晩眠ったくらいじゃ壊れた細胞の修復までには至らない。

今日、診察室で父が「このあいだ3階でいろいろやられた」といったら女医が

「いま、やられた、っていわれてショックです」と冗談ぽくいって、わたしが「父

はいつも『やられた』っていうんです。自分のために治療してもらってるのに。

病気だって自分がつくったのに、どこかから飛んできたみたいに思ってる」と

いうと、女医は「でもC型肝炎の場合はどこかから飛んできたっていうのに近

いですね」といった。つまり、衛生環境や技術がいまほど進んでなかった昔

の医療(もっと簡単にいうと血液製剤)に原因があるということのようだった。

以前にこの医師から「C型肝炎がベースにあるので塞栓術をしても次から次

へと出てきてしまうんだと思います」といわれたことがあったので、「C型肝炎

自体を治すことはできないんですか?」と今日聞いたら、「C型肝炎を治す治

療法はあります。でもAさんの場合はもう手遅れです。何十年も前から、たぶ

ん、子供のころからウイルスに侵された肝臓をしていたところにがんができて

しまったわけですから」といわれた。子供のころっていったいいつ ・・・・、と思

うが、父の記憶は定かじゃないからもうわからない。

煙草をまったく吸わないのに肺がんで亡くなった母、お酒を飲まないのに肝

臓がんになった父。いったいなんなんだろう ・・・・・・。

そして今後はいったいいつまで西洋医学の治療をつづけるかというのが問

題だ。もし本人の意思で何もしないことになったらなったで、いちばん嫌なの

は、がんが進行すればいずれかならずやってくるであろう痛みのことだ。

今日、父はわずかな距離を歩くのにもずっと足の指の痛みを訴えつづけた。

大げさに顔をしかめて見せたりして。

母は我慢強すぎるほど我慢強い人だったけど、女の人にくらべて圧倒的に

男の人のほうが痛みに弱い。極端な痛がりで、足の指にできたイボくらいで

これなんだから、がんの末期となったらどうなるんだろう。とても耐えられは

しないだろう。私だって父が苦しむのなんか見たくない。内にそれがあってこ

れまで3回も塞栓術を受けてきたのではないか・・・・・。

実家で買って行ったお弁当でお昼をすませて父と別れた後は、今日もひたす

らどうしたら病気にならないかについて考えた。人間には身体にもこころにも

生活習慣の中にも無数の病気の芽があって、それを大きく育てないためには

その芽に気づいたらできるだけ早く摘み取ってしまうことだ。自分を矯正する

こと。矯正という言葉が良くないなら、よりよく改善すること。

たとえば食べものを食べるんでも、それはただの物じゃなくて生きたエネルギ

ーをいただくということなのだから、食べられれば、お腹がいっぱいになれば

何でもいいってわけじゃないのだ。

目には見えなくても悪い気を持ったものを食べつづければ人は病気になる。

真冬でもわたしが朝起きたらすぐに家じゅうの窓を全開にするのは、濁った

気を新しく入れ替えるため。

今日面白かったのは、マクロビオティック弁当って大体そうだけど自然食品

屋のバーンロムサイで買ったお弁当も見た目は色味が無くてすごく地味で

これってどうだろ、と思いながら買ったんだけど、食べたらおいしい。胚芽米

に黒米を混ぜて炊いた巻き寿司3つに小さな焼き鮭、大根と人参とカボチャ

とさつま芋とこんにゃくの煮ものに紅ショウガ、っていう、なんてことないお弁

当なんだけど、どれを食べてもおいしのです。

で、そう思いながら食べてたら、きっとこういうのは好きじゃないんだろうなと

思ってた父が、「これ、けっこういろいろ入ってるね」といった。

「うん、おいしいね」「おいしい」。

いくらだった? と訊くから、600円、と答えたら、へー、ラーメン食べてもそ

れくらいはするもんね、というので、こんどはこっちが、父って(あんなにボケ

ボケなのに)味覚は達者なんだね、といってしまった。

味覚は達者、つまり、ちゃんとしたものを食べたらちゃんとおいしいってわか

る繊細な感覚が父にはまだあるわけで、それって大事なことだなと思ったの

でした。

だからわたしはやっぱり宇宙の愛を信じる。

わたしの願いは父の健康寿命(父はすでに病気だからこのいいかたは違う

か、天寿、といったほうがいいのかもしれない)ががんのスピードを追い越し

て、まっとうされることです。

それを神に祈るしかない。

今年は父と行きたかった実家近くの福蔵院の招福豆まき。

明日も雨か雪だというし、父の足がああだから行けそうもないけど、節分は

盛大に『鬼は外、福は内!』といこう!

1601fukuzouin

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コメント

そうきちさん
お父上のご様子を読み、何とも言えない気持ちです。
本当に大変な状況ですね。私の夫は83才。体が弱ってくると新しい意見は何も聞きませんし、実際出来ないのですね。親切も役に立たない場合もあるし。
そうきちさんは娘さんでお若いから、やはりお父上のことをかばいながら、苛つくこともあるでしょうね。どうぞお大事に。

投稿: aya | 2016年1月31日 (日) 22:11

ayaさん、こんにちは!

メッセージありがとうございます。
ayaさんはお元気そうで何よりです。

家にはそれぞれその家が抱えた固有の問題というのがあって、そこから深い学びを得ないとだめなんだろうなと思っています。
病気については幸い今は妹も私も医者と仕事をしているので、セカンドオピニオン、サードオピニオンあたりまで得られるのがありがたいですね。

最近は身終いブームですけど、老いも死もいつかは誰にでも訪れることなので、
いまのうちに学習しとけということなんでしょう。

ayaさんみたいにいくつになっても矍鑠と、好きなことを楽しんで夢中になれるのは
素晴らしいことだと思います。
銅版画制作、がんばってくださいね!

投稿: soukichi | 2016年2月 2日 (火) 21:24

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