« 風の季節 | トップページ | カナリアイエロー »

2015年10月 7日 (水)

秋猫記

15panda_01

 秋猫記


頭を下げ肩をゆすってゆっくり這い

立ち止まって繊細に尻をふる


ねらったとかげに跳びつき

ピンクの歯茎にくわえ髭をぴんと張って


得意げに座敷に上がり口から放して

片方の前肢でしつこくいたぶる


昼はひとみが細いから

なにしろこの世はめまぐるしい?


ミルクを手まえ巻きの舌で飲み

ゆっくり戻って死体をたしかめる


夏の庭に動くものすべてが

おまえの敵だった花ござ下のミイラ


不安な夕ぐれから隠れたつもりだろうが

ふようの葉のしたに耳が見えてるぞ


じきに虫たちがおまえの犠牲になろうが

冷えたこまかい雨だって降ってくる


用心しろよ濡れたおまえはみじめだ

遠出から帰って明るい電灯の下で


ていねいにからだを舐めまわしたって

なかなか暖かくならないんだミャオと低く鳴いたって・・・


マフラーみたいに丸くなって目をだるそうにひらくと

大きな黒いひとみになっていて


また閉じて咽喉であるじに慄えるごあいさつか

猫満つどき一度起きて大あくび


からだを伸ばし足を突っぱり

畳で爪をといで少し考えこみ


雨戸をあけてやると顎を闇へ・・・

thy fearful symmetry  は不定で一定だな


(思潮社 現代詩文庫61 北村太郎詩集 未刊詩篇より『秋猫記』

***********************************************************

私が毎日その道を通らなくなってしまったということもあるかもしれないけれど

最近パンダに会うことが少なくなった。前はいついかなるときでも(たとえ夜遅

くであっても)どこからか私をみつけてはニャーといいながら勢いよく飛んでき

たのに。あんまり長いこと見かけないから、このあいだなんかはついにパンダ

も人の飼い猫になったか、とも思ったけれど、どうやらそういうわけでもないら

しい。それにパンダに限らず、かつては路上にも近くの公園にもあれほどたく

さんいた猫をぱったり見なくなったということは、人の手が入ったということだろ

うか。私の住んでいる市はとってもプアで猫どころか人間にさえ手厚くないから

『地域猫』なんてしゃれたものがあるわけもなく、手が入ったはイコール追い払

われたか保健所に連れて行かれたかを意味する。あるいはこのあいだあたり

長いことかけて夏のあいだに生い茂った草の刈りこみと樹木の伐採をしていた

から、もしかすると猫が嫌がるものを地面に撒いた可能性もある。いずれにし

ても猫がいなくなったのにはなんらかの理由があるだろう。すっかり草が刈られ

て、もう猫が隠れるところもなくなって、猫のほうからどこかに行ったのだろうか。

それに直近でパンダに会ったのは2回とも昼間だった。

昼より夜のほうが人目につかず安全にエサにありつけることをよく知っているの

は猫のほうで、エサをねだって出てくるのはたいてい夜で、昼間はどちらかとい

うと余裕で遊び半分で声をかけてくることが多かったのに、そのパンダを涼しく

なりはじめたころから夜に見かけなくなった。

もしかしたら昼間は自由に出入りさせてもらって、気温が下がる夜は暖かい家

の中にいるのだろうか、なんて、こちらの希望的観測で考えてみたるするけど

実際のところはパンダも年をとってきて、吹きっさらしのところにいるのがツラク

なったからどこか風の当たらないところにでも隠れているのかもしれない。

ここ数日で一気に気温が下がり大気が冷えてきたので気になって、買いものに

出たついでに植え込みの中を覗きながら歩いていたら、白いものが見えニャ、

と小さな声が聞こえた。前だったらすぐ出てくるところがなかなか出てこない。

やっと出てきたと思ったら以前のように愛嬌をふりまくわけでも、くるっと回って

みせるでもなく、なんだかうらめしそうな顔をしている。

春の頃はまだふっくらしていて元気で、好奇心旺盛なところを見せていたけど

前より毛艶も悪くなって、痩せて、妙にさめた表情をしていて、なんだか急激

に年をとったように見える。年老いた人間がひと夏ひと冬越すのが年々大変

なように、のら猫にとっても夏を越すのは大変だったのだろう。特に今年は異

常気象で雨ばかり降って湿度が高かったから。

昼間はカリカリをポケットに入れてないので話をしながらカメラを向けていたら

なんだまたそんなことか、といわんばかりにそっぽを向かれてしまった。

夜出てきてもまた会えないのだろうしと家まで戻ってカリカリをやると、のその

そやってきて食べていたけど、あとで見たら残していた。最近、食も細くなった

ようだし、いったいどうしたものかなあ ・・・・・・

詩人の北村太郎は大の猫好きで、飼い猫のほかに準飼い猫もいろいろいた

らしく、猫のことを書いた詩も多い。それらを読むとじっつによく猫を観察して

いて、よっぽど猫が好きだったんだなあ、と思うのと同時に季節の情趣もよく

でていて、いつもぼんやりしてしまう。つまり北村太郎がのら猫に自分の行く

末を投影していたのは間違いなく、でもそれって自分もおなじか、と思う。

15panda_2

|

« 風の季節 | トップページ | カナリアイエロー »

日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

外猫の寿命は4年ほど。
ご飯をもらっている子でも
10年生きれば長生きなほう。
人の手を借りると20年も生きる
って不思議なものです。

猫の生活しやすい気温は28度
というから、やはり外は過酷です。

投稿: ノブタ | 2015年10月10日 (土) 17:15

ノブタさん、こんにちは!

>外猫の寿命は4年ほど。

そうですか。
パンダは私が見つけてからでももう4、5年は経つし、
そのときすでに子猫じゃなかったから、
もうそれなりの年なんでしょうね。
もっと人懐こくて平気で触れるような猫だったら人に飼われることも
あったでしょうけど、パンダは指一本触らせないしなあ・・・・・

昨日は夜買いものに出たら落ち葉がカラカラ舞っていたし、
日に日に秋が深まりますね

投稿: soukichi | 2015年10月14日 (水) 12:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 風の季節 | トップページ | カナリアイエロー »