« おしろい花の匂い | トップページ | 台風一過 * * »

2015年7月16日 (木)

小さなあまりにも小さな

15typhoon_no_11

小さなあまりにも小さな


小さなあまりにも小さな

ことにかまけて

昆虫針でとめられた一羽の蝶のように

僕は身動きひとつできない

僕のまわりを

すべては無声映画のように流れてゆく


両国の川開き

徳球北京に死す

砂川の強制測量開始

台風二二号北進

すべては

無言で流れ去るばかりだ


自己嫌悪と無力感を

さりげなく微笑でつつみ

けさも小さなユリの手を引いて

僕は家を出る

冬も間近い木漏れ日の道

その道のうえを


初夏には紋白蝶がとんでいたっけ

「オトーチャマ イヌよ」

「あの犬可愛いね」

歩いているうちに

歩いていることだけが僕のすべてになる

小さなユリと手をつないで


(黒田三郎 詩集『小さなユリと』より、『小さなあまりにも小さな』 )

*************************************************************

昨日も夕方までコンピュータの前で汗をかきながら仕事して、夕方シャワーを

浴びて夕飯の買いものに行った。途中、ネットのニュースで安保法案の強行

採決を知ったけれど息子も私もどちらも口をひらかずにいた。夜半過ぎから

降りだした雨はどんどんひどくなり、窓をたたく激しい雨音を聞きながら今夜

Yも国会前のデモに行っただろうか、夜遅く雨に降りこめられてなければいい

けれど、と思った。Yにももう長く会ってないから彼女がいま何をしてるかもわ

からない。思いだすのはもう何年も前のこと。まだ小泉政権だったころだ。

久しぶりに会った彼女は難民問題を扱うマイナーだけどけっこうラディカルな

雑誌に署名原稿を書いていて、小泉政権下でこの国がいかに右傾化してい

るかを説き、自分もこんなことしてたらいつか捕まるかもしれない、というので

私は「まさか。戦時中でもあるまいし」といったのだけれど、それがまさかとば

かりもいえない時代になってきたぞ、と思ったのだった。

なかなか眠れず悩ましくも激しい雨は一晩中つづき、大雨・洪水の警戒警報

を知らせる携帯のアラートは朝まで何度も鳴りつづけた。雨は朝になっても

やむことなく、視界がけぶって見えるほどだった。3.11以降、よほどじゃない

くらい昼間は電気をつけないダイニングルームは真っ暗。太陽が出てないぶ

ん、気温は下がったのだろうが湿度がものすごくて蒸し暑い。昨日の今日で

当然のことながらどこもかしこも賑わしく、情報があぶくのように出つづけてい

る。昔は人の頭の中は世に出て発言しているわずかの人についてしかわから

なかった。いまだってインターネットに出てこない人の頭の中はわからない。

インターネットによって新たな表現のチャンネルができ、誰でも自分の考えを

いえるようになったのはいいことだけれど、でも一方で嫌なのは、3.11以降

常にどこかで誰かがつまらない小競り合いをしていること。つながる人・つな

がらない人、何かをいう人・いわない人、デモに行く人・行かない人、etc,etc。

そこでいつも誰かの動向を見ながら他人を攻撃している人や、自分に劣等感

やうしろめたさを感じている人がいること。今回も右とか左とかいいあってる

けど、安倍首相のやっていることはほんとうの意味での右じゃないんだから

それに反対したところで左ってことにもならないじゃん、と私は思う。領海を侵

犯してサンゴを盗み、海の生態系にダメージ負わせる他国船はなんとかした

い、敗戦国として耐え難きを耐えてきたところもいっぱいある、でもだからとい

って今回の自衛隊の海外派兵を伏線とした安保法案には賛成できない。

安倍さんが何をどういおうといま世界では、日本が戦後70年たって『戦争し

ない(できない)国』から『戦争をする国』になったと報じられているのだから。

パワー・ポリティクスというのだそうだけれど、それを最大限に使って国益を

上げることだけが果たしてほんとうに国や国民のためになることなのか、と

思うし、現実には右を向いても左を見ても、この国をまっとうな方向に牽引で

きる強いリーダーはいないしで、現実には右にも左にもなれない、というのが

ほんとうのところなんじゃないだろうか。

そんななか、たとえアメリカとの最初の安全保障条約からの流れをまったく

知らない若い人であっても、ごくシンプルに「戦争はぜったい嫌だ!」「表現

の自由を奪われたくない!」という気持ちだけで国会前に駆けつけた人が

多くいたのは価値あることだと思う。たとえそれで何かがどうなるけでなくて

も、また次回の選挙の投票率向上につながるのなら、なおさら。

ここ数日来いろんな人の考えを読んでいろんなことを考えれば考えるほど

いま何をするのが最も有効なことなのかわからなくなって頭がぐるぐるした。

今日も夕方、買いものに出ようとしたら息子が突然「なんだか今日も苦しい

一日だったね」というから、それが今日の湿度90%の天候をさすのかメンタ

ルをさすのかわからなかったけど、まあ、どっちもなんだろうなと思った。

それでつい「ネトウヨというのはいつごろからいるんだろう?」と聞いてしま

い、それがもとでまたしても喧々諤々の議論になった。最終的にはちゃん

と話し合えてわかりあうことができ、お互い同じようなところにいたんだとい

うのがわかったからよかったけれど、こと政治の話はたいへん疲れる。

面と向かって家族とでさえこれだから、顔の見えないインターネット上で他

人とキーボードを連打しあって議論、なんてものをする気はまったくない。

ぐるぐるする頭を開放しに外に出ると、上がったかと思った雨はまだ時折り

ぱらぱら降ってきて、相変わらず風が凄かった。

風の強い日、木陰のベンチに座って目をつぶっているとまるで海にいるみ

たいな気がするそこは昔、息子がまだ赤ちゃんだったころによく行った場

所で、風で荒れ狂う樹木を見ていたら、このまえ読んだばかりのこの詩の

ことを思いだした。

この詩と昨日にはいくつか共通するキーワードがある。

とりあえず昨日、2015年7月15日のことは記憶に刻んでおこうと思った。

夜、この詩についてのいい文章をみつけた。

自分がこの詩を読んで思うこととはすこし違うところもあるけれど、奇しくも

今日、蟹座の新月にはふさわしい詩ではないかと思う。


 黒田三郎詩集 現代詩文庫を読む


|

« おしろい花の匂い | トップページ | 台風一過 * * »

日常のなかの詩/詩のある日常」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« おしろい花の匂い | トップページ | 台風一過 * * »