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2015年6月 4日 (木)

父の記憶

15gaillardia_02

今日が誕生日の妹のためにワインとチーズを持って昨日の夕方、実家に行く

と、父はお寿司を買って待ってくれていた。家を出る前に電話しておいたら、

私が来るからと、わざわざ駅前にある千代田寿司まで行って買ってきてくれた

らしい。そんなことは滅多にあることではなかったけれど、先月、父の1ヶ月遅

れの誕生祝いをみんなでしたときに、私がお寿司をご馳走したことへの父なり

のお返しのようだった。なんてことだろう。これが激しく脳が委縮した人のする

ことだろうか。

先日、病院の物忘れ外来の診察室で、医師の質問に答えて私が「父は家の

中を歩き回るだけじゃなくて、雨の日以外はひとりでほぼ毎日歩いて買い物

に行っています」というと、医師は「買い物のトラブルはないですか」と訊いた。

私はすぐその意味するところを解したけれど、妹は「同じものを何度も買って

きて困るようなことはあるけれど・・・」といいかけ、私が「そうじゃなくて、先生

はお店の人とのトラブルのことをいってるんだよ」というと、医師は「店での金

銭トラブルはないですか?」と訊き直した。

もちろん、そんなものあるわけなかった。

それどころか父は、ときどき都バスのシルバーパスを使って、どうやったら自

分の行きたいところに1番安い交通費で行けるかを考えて行くことができたし

そうやって都バスを乗り継いで片道2時間以上もかけて行った浅草で、妹に

お土産の菓子折りを買ってきたりもする。(買ってきたお土産は帰るとちゃん

と母の仏壇の横に載っている。)

父の介護レベルは現在2で、いまは週に2回、デイケア入浴サービスを受け

ていて、父いわく金曜日のお風呂屋さんはバーサンばっかりでつまんないけ

ど、火曜日には面白い男がいて、その人が将棋をやろうやろうというので毎

週その人と一緒に将棋をするのが楽しみなんだ、といったりする。(将棋?)

相手は自分より若くて強いから、たいてい3回に1回くらいしか勝てないけど

ね、というので、私は(ふ~ん、それでも父が勝つこともあるんだ)と思う。

どれもあの医師が聞いたらびっくりすることばかりだろう。

聞かせてやりたいくらいだ。

この先、徐々にできなることも増えてくるのかもしれないけれど、でも父の現

状はこんなふうなのだ。

昔だとこういうとき、つまり用があって仕事の後に実家に来て、用が済んだら

またすぐ帰らなきゃならないような夕飯前の時間に父が何か出してくれても

私は食べずに帰って来るようなことが多かったけれど、さすがにこの前あん

なことがあった後では、なんだかこれが非常にありがたいことのように思えて

腰を落ち着けて食べて帰ることにした。

お寿司は私と妹の分しかなかったから、理由をつけて父の皿にも分けて食

べながら、食べることよりひたすら喋りたい父の話を延々と聴きつづけた。

父は古いことはよく憶えていて、支那事変に次ぎ、大東亜戦争前後に自分

がしていたこと、働いていた職場や、職歴などについての話を聴いた。

まだ東京の町なかを牛車が通り、人がリヤカーを引いて走っていたころ。

たった5、60年前のことだとは思えない。それらはもう何度も聞いた話もあ

ったし、なかには初めて聞く話もあった。でも、そこに通底しているのは父が

いかに負けず嫌いの働き者だったかということだ。父は一見、温厚でおとな

しそうに見えて、実は人に指図されたり、こき使われるのが大っ嫌いな人だ

った。若いころは客商売で自分の中に生じた憤りを我慢するストレスから十

二指腸潰瘍になってしまったほどだった。実はプライドがとっても高いのだ。

だから、このあいだの診察室でのことは、父はあのときこそ何もい

わなかったけど内心はずいぶん自尊心が傷つけられていたのだった。

けっきょく最後はこのあいだの話になり、自分がやらされたことを「あんなく

だらないこと」というので、なぜ医師が父にああいうことをちゃらせたのかを

きちんと説明したうえで、でもあのいいかた、やり方はなかったね、というと

父はやっと納得したようだった。

まだ何もわからないような小さな子どもにだって考えてることはあるし小さな

プライドもある。少々ボケているとはいってもお年寄りにはお年寄りなりの自

分が生きてきた人生経験からくる自負や考えがある。

少なくとも父はちゃんと話せばまだわかるところにいるのだから、『アルツハ

イマー』という括りで何もわからない人のような扱いをされたくなかったという

ことだ。それはお年寄り相手の医療に従事している人たちにはわかってほし

いことだと思う。

私には母が亡くなったあと後悔していることがひとつあって、それは母が元

気だったころにもっと母の昔話を引き出してちゃんと聴いておくんだったとい

うこと。いったい樺太のどのあたりに住んでいて、どんな家で、どんな暮らし

だったのか。本土に還って来てからはどこの親類の家にいたのか、どういう

変遷をへて東京に暮らすことになったのか。いまとなっては叔父たちにでも

聴くしかないけど、そんな話をする機会がこの先あるかどうかもわからない

まま、叔父たちだってもう2人亡くなった。

父には忘れないうちに自分の年表でも作っておいたら、というのだけれど、

父にはもうそんな気力もないようだ。とにかく父は人と喋りたくて喋りたくてし

ょうがな人なのだから、せいぜい私は聴きだして、あとはこんなふうにつまら

ない文章にでもして残しておくしかないかな、と思う。

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