
彼女はいつも眠そうな顔をしてプールサイドにやってくる。
余分な脂肪なんかどこにもつけてないガリガリの身体に、腿まである背中が
Yバックになった競泳用の水着をつけて。彼女の前歯はビーバーみたいに大
きくて、2本の前歯のあいだには少しだけ隙間があいている。ジェーン・バー
キンみたいなスキッパ、といったら想像できると思うけど、もちろん、そんなに
いいものじゃない。そして、なぜか彼女はプールに入るときまっていつも欠伸
をする。前歯の大きい彼女がプールの中で大口あけてのんびり欠伸をしてい
る姿は、まるで草原で長閑に草を食んでいるロバみたいだ。それで私は彼女
のことをロバさんと呼ぶことにした。(もちろん、自分のこころのなかだけで。)
つまり、ロバさんにとってプールは、私とおなじように数少ないリラックスでき
る場なのだと思う。
ロバさんがすごいと思うのは、筋肉も脂肪もついてないそんな細い身体であ
りながら、70を超えてどこにも痛いところがないということだ。私なんていまの
仕事をはじめて以来、眼精疲労著しく、常に首こり、肩こり、肩関節の痛みに
悩まされているというのに。そして、そんなふうにいつものんきそうにプールで
欠伸をしているロバさんが、実はピアノを習い、自宅の一室を絵本の図書室
として子どもたちに開放しているばかりか、ときどき公民館などで絵本の読み
聞かせをしていると聞いたときには、ちょっと驚いた。いい意味で、人は見か
けによらない。まだ子どもとの生活を成り立てるだけに必死だったころから、
もし私がボランティアをやるとして、自分にできることがあるとしたら、それは
目の不自由な人たちのために本の朗読テープをつくることくらいじゃないかと
思っていたから、ロバさんのやっていることには興味が湧いたし、いつかその
絵本の図書室にもいちど行ってみたいと思った。私がロバさんにそういうと、
彼女は「ぜひ、どうぞ」といって、彼女の名前と住所と電話番号を書いた一筆
箋を渡してくれた。それが昔、美術展に行ったことのあるエドワード・バーン・
ジョーンズの『いばら姫』の絵が描かれた一筆箋で、私が「バーン・ジョーンズ
好きなの!」というと、「あら、あなたとは縁があったのね」と彼女はいった。
ロバさんは読み聞かせの仕事が入らない限り土曜日のプールを休む人では
なかったけれど、そんな彼女がプールに来たり来なかったりが続いたある日
プールサイドにやってきた彼女に「身体の具合でも悪かったの?」と聞くと、
「主人がね、よくないの」というので、「まあ。それは大変だね」と話した。
その後も顔をあわせるたびに「旦那さん、よくなった?」と聞いたりして、そのた
びに倒れたとか入院したとか退院していま家で寝てる、とか、様子を聞いてい
た。スイミングクラブに長く通っていると、この人は健康でいる限り絶対スイミ
ングクラブをやめないだろうなあ、と思っていた元気な人が、パタッと見なくな
ったと思ったらいつのまにかやめていた、なんてことがよくある。
稀に自分の健康上のこともあるけれど、たいがいは家族のこと。退職した旦那
さんや孫の面倒、親の介護で忙しくなって来られなくなった、というのがとても
多い。それを聞くたびに、家庭の女はたとえ自分が健康でも、いつまでたっても
人の世話ばかりで自由な時間が持てないんだなあ、と思う。
最後にロバさんと話したのは、夏のはじめのころだったろうか。
それから数ヶ月、まったく姿を見なかったロバさんが、秋になってようやく姿を
現した。いつものように体操がはじまる前のプールサイドで、「どうしてたの?
また旦那さんの調子でも悪かったの?」と聞くと彼女は「亡くなったのよ」とだ
け簡潔にいった。驚いて「いつ?!」と聞くと、「先々週」という。
「それはほんとに大変だったわねえ。じゃあ、もしかしてロバさん、ひとりぼっち
になってしまったの?」と聞くと、「それがね、病んでる息子が一人いてね、ずっ
と家にいるのよ。それで、夫が亡くなって片親になっちゃったもんだから私まで
どうかなったら困るんでしょう。母さんプールに行ったほうがいいんじゃないの
ってしきりにいうから今日、久しぶりに出て来たのよ」と、ロバさんは笑いながら
あっけらかんといった。一人息子はもう40過ぎで、ずっと家から出たことのない
ひきこもりらしい。なんだロバさん、その年でめちゃくちゃ大変じゃないか、と思
いながら、でもそこで私が変に暗くなってもしかたないから「じゃあ自分が食べ
たくなくても三食のごはんの支度とかあるわけだ」というと彼女は「そう!」とい
った。「じゃあ、ロバさんは息子のためにこの先もずっと死ねないね。200歳ま
でだってずっと元気で生きていなくちゃ!」というと、ロバさんは「ほんとだ!」
といって、いつものように大口あけてアハハと明るく高笑いした。
そして、これはそれからまた数週間後のことだ。
またプールサイドでロバさんに「もう落ち着いた?」と聞くと、彼女が微妙な顔
をしたので、あわてて「まだ落ち着かないわよね」というと、「それがね、毎晩
出てくるんだもの。落ち着かないわよ」とロバさんはしゃらっといった。
「え・・・。出てくるって。まさか。旦那さんのお化けが?」とおそるおそるいうと
「そうよ!」というから「えー!まじ? あ、でもよく四十九日までは・・・」といい
かけて私が考えたら、「とっくに四十九日なんか過ぎてるわよ」とロバさんは
いった。「でもなんで毎晩出てくるんだろうね。よっぽど死にたくなかったんだ
ね」と私がいったら彼女が「主人の絶対の遺言で、誰にも知らせずお通夜も
せずお坊さんも呼ばずお葬式もしなかったんだけどそれが」といいかけたの
で、こんどは私が「それってやっぱり駄目なの? 私もそれでいいと思ってた
んだけど」といったら、「駄目かもよ」と彼女はいった。
それから私たちはいつものようにプールの同じレーンで50分間、コーチの
指導のもとに泳ぎ、そして泳ぎ終わった後のシャワールームで並んでシャワ
ーを浴びながら、私が「でもさ、亡くなった旦那さんが毎晩出てくるなんて、
それってある意味、愛だよね」というと、ロバさんは「ちがうのよ!」といった。
「そんなんじゃないの。あの人、この世にやり残したことがあるのよ」というか
ら何かと思ったら、いったいどれくらいの間そうだったのかは知らないけれど
旦那さんは同じひとつ屋根の下に住んでいながら家族とまったく口をきかな
かったのだそうだ。まったく、なんで、って話だけれど、それが亡くなる前の晩
ロバさんがいつものように病院の旦那さんのベッドの脇に座って『はらぺこあ
おむし』を読んであげると(いままで50年間の夫婦生活で一度だって手なん
か握ったこともなかったのに!)、ロバさんの手を痛いくらい握って、まるで子
供みたいに「もういっかい読んでくれ、もういっかい読んでくれ」とせがんだの
だそうだ。それでロバさんは何度も何度も『はらぺこあおむし』を読み続けた。
その翌朝、まるで眠るように旦那さんは息をひきとったのだという。
それを聞いて私は思わず横にいたロバさんの手を握り「なんだかね! 男っ
てほんとに馬鹿だね! 最期の最期になってそんな・・・。それにだったらもう
それでいいじゃないのね。満足して向こうに行けば」といったらロバさんも「ほ
んとにそうよ! でも、最近はね、もうすっかりあきらめて、毎晩出てくるのに
出てこない日があると、あら、今日はどうしたの?」って、出てくるのがあたり
まえだというように思うことにしたの」といった。そういう彼女には暗さも、シリ
アスなところも微塵もなくて、「ロバさんはほんとうにエライね。ふつう、そんな
ふうには思えないよ。ロバさんがそんなふうに思えるのは、ロバさんが絵本
が好きな人で、自分のなかにいつも美しい物語の蓄えがあって、日常的に
ありえないことでもふつうに受け入れられる土壌がある人だからだよ」と私は
いった。そのとき、シャワーを浴びながら私もちょっと目をうるませていたかも
しれないけれど、私がそういうとロバさんはまるで冬の夜空の星ように、きら
きらと瞳を瞬かせた。
家に帰って、そうだ、と息子に、彼の部屋の本棚を探してもらうと、やっぱりあ
った。小さいとき子どもたちが大好きだった『はらぺこあおむし』。
私がその絵本を懐かしく眺めていると、娘がきて「それビデオもあるよ!」とい
った。子どもが大きくなってしまってからはそういうビデオはみんな友達の子ど
もにあげてしまったと思っていたけど『はらぺこあおむし』は残っていたらしい。
「はらぺこあおむしがりんごを食べる音が好きだったんだ」と娘はいった。
相変わらずこの人はマニアックな人だ。
そんなことから近々、家族でこのビデオを見ようということになった。
ロバさんが朗読する「はらぺこあおむし」はどんなだろう?
なぜ彼女はあの夜、旦那さんの病院のベッドの脇でこのお話を読んであげた
のだろう?
そして数日前のプールでまたロバさんに会うと、「あなた、いつか絵本が見た
いっていっていたでしょう。来週、プールの後そのまま家に来ない?」といって
くださった。絵本の図書室に行く日。ついにその機会がやってきたんだ。
私はお化けには会いたくないけど、昼間だからきっとお化けには会わずにす
むと思う。
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