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2014年11月22日 (土)

林檎

14ringo

林檎


喉が渇き目を覚ますと、気配がする。軽く流れるのではなく、内へ内へ重

い蜜を溜める、厚みのある香り。旅の人は、気づく。昨夜部屋に戻るとす

ぐに、ベッド脇のテーブルに林檎を置いて寝てしまったのだと。枕元の明

かりで引き寄せると、したたかな重みをかけて、手のひらの丸みにすっと

収まる。重みをこのままくちに移すこともできるが、夏の朝日に丹念に研

磨された木肌を思わせる安らかな硬さと艶は、食べものである前にうつく

しさとして響く。

 この単調だが澄み切った時間の球体を、ひとりで綺麗に食べきれるぶ

んだけ籠に入れ、朝市から朝市を旅するように生きられたら。もぎたての

曲線の呼吸を包むためだけに手のひらは使われ、真ん中の窪みに一日

の糧となる新しい水や木漏れ日があふれるのなら。いちどは彼も、そう

願っていた。

 しかし、鏡面の若さとはうらはらに、林檎の内側は、つねにひどく疲れ

やすい。ひとたび空気に触れれば、白肌はすばやく変色し、取り返しの

つかない傷痕まで一気に駆け下りてゆく。ときには、完熟の時までに果

糖になり切れなかった不用な蜜が全身に漏れだし、そうした生の過剰さ

が激しい腐敗を招くこともある。

 移動を重ね、ようやく帰路につこうとしている旅人は、空気をはじく光沢

より、そんな内面のもろさがほしい、と思う。車窓を横切っていった人や

町の残像は、移ろう果肉の弱さでしか包めないのだから。

 こうして手で支えている間にも、果肉の奥で飽和した香りは夜に滴り、

熟れきった芯の周りは密にまみれながらほろびようとしている。いっそ、

皮にまだ輝きがあるうちに、さく、と目覚めの音を立て、すべてをかじり

つくすのはたやすいだろう。けれど、彼は、かすかな渇きを感じながらも、

手のひらで包み続ける。夜明けへ向かう、完璧な老いのうつくしさを。


( 峰澤 典子 詩集『ひかりの途上で』 七月堂 )

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昨日、りんごのことを書いたら、今日スイミングクラブでHさんにりんごを

もらった。毎年買うところが決ってるらしくて「いつもはこんなじゃないん

だけど、今年はなんだかすごく小さくて、人にさしあげるには恥ずかしい

ようなんだけど」というから、「とんでもない。りんごは大好き。ありがとう

ございます」といってもらってきた。

家に帰って袋から出してみると、たしかに小さくていびつだけれど、濃厚

な香り。皮を剥いてふたつに割ったら蜜が入っていて、おいしいりんごだ

った。これはますますりんごを注文しなくちゃならない。

詩は先日『七月堂』でいただいてきた峰澤典子さんの詩集の中の一編。

一緒に行った詩人のY氏から、今年のH氏賞を受賞した作品だと聞かさ

れていた。まったく無名の詩人がこんな小さな出版社から出した詩集が

H氏賞をとるというのは、きわめて異例なことだと思いますよ、とY氏はい

った。思潮社から詩集を出されているY氏の言葉だけに、詩人の力量だ

けでとられた賞ならそれは価値がある、見たい、と思った。(けれどもい

日本現代詩人会のホームーページでプロフィールを見ると「ユリイカ

の新人に選ばれる」とあるから、知る人ぞ知る詩人さんなのではないか

と思われますが。)

本をいただいた帰り、井の頭線の電車のシートに座って適当に本をひ

らくと、そのページには『労働として』という詩のタイトルがあって、それ

を数行読んだら、いま子を産んだばかりの若い女の姿が現れ、それが

いま会ってきたばかりの女性の姿と重なり、自分と重なって、息が苦し

くなって思わず本を閉じた。つまりそこにはまごうかたなき詩の言葉が

あったわけで、その数行で私はこの詩集が良い詩集だとわかった。

とりたてて難しい言葉はどこにも書いてない、きわめて平易でわかりや

すい言葉で書かれていながら、強いイメージ喚起力がある。その文体

からは生きることの鮮やかな一瞬の滴りを丁寧に受けとめようとする

真摯なまなざしと、女流にありがちなあけすけさとは無縁な品のよさを

感じた。

いつも思うのだけれど、詩でしか書けない、伝わらない、言葉がある。

詩でしか届かない、満たされない内面がある。

久しぶりに詩の言葉とちゃんと向き合ってみようと思った。

そう思わせてくれた作品。

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ひかりの途上で 峰澤 典子 


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