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2014年7月28日 (月)

死の死 ****

140728sky

こどものころ高熱を出して呼吸が荒くなり

死ぬのではないかと恐れたことが何回もあった

おとなになり歯が痛くて頬がはれ

敗血症かと思ったことが何十回もあった

しかし熱や痛みが峠を越したなと直感する時がきて

まもなく多量の盗汗をかきあるいは

ふくれた顎が固まり(石のようになると痛くないのだ)

希望が取替えたシーツのように新鮮になるのだった

これからはこうはいくまい

はしゃぎすぎて人生を過ごしてきた罰だから

熱や痛みの

いっそうの苦しみを覚悟する

そこへの道に峠はなく

見上げるような断崖を下から上へ

一瞬に落ちゆく恐怖が続くのだ

外なる人は日々くずれてゆくという

内なる人は日々新たという

それも慰めにならぬ時がやがて来るのだ

葬いに列席する友の誄だってしらじらしいのだ

だれにもさよならをいわず

手を上げたり目で合図することもなく

たぶんグロテスクな物体がしばし遺るのだ


( 北村太郎 詩集『おわりの雪』から、『死の死 **** 』 )

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週末は夏風邪に苦しんだ。

ほんとうにあんなに苦しんだのは久しぶりだった。

土曜の朝目覚めると、まるで頭が有刺鉄線が絡みあってできてでもいるように

激しい頭痛がして、立ち上がるとこんどは左のみぞおちが痛んでまっすぐに立

てない。全身じっとり汗をかいていて、着ているものがどうしようもないほど湿っ

ていて気持ちが悪い。とりあえずキッチンにいって水を飲もうとするのだけれど

飲めない。これだけ暑くて汗をかいているのだから下手したら脱水症になると思

うのに水が喉を通っていかないのだ。風邪をひいてもいつも食べられないなん

てことはなかったし、まして水が飲めないなんてことは経験したことがなかった

からびっくりした。昨日のうちにメールで知らせてはいたけれど、夜のミーティン

グのことで電話してきた仕事仲間は私の声を聞くなり「ひどい声してるな。やっぱ

り今日は無理そうだね」といってすぐに切った。私も謝るのが精いっぱいだった。

声もでなかった。声ってつくづく健康のバロメーターだと思う。

ここまでひどいことになると困るのはふだん何もしない人たちと暮らしているとい

うことで、とにかくこの頭痛をなんとかするには少しでも食べて早く鎮痛剤を飲ま

なければと、小さな鍋に少量の洗った米を入れ多めの水を入れおかゆを作ろう

とするのだけれど、つらくてそれを立って見ていることができない。娘に鍋を見て

くれるようにいい、自分の部屋のじゅうたんの上で倒れていたら、なんだかしらな

いけれどニルヴァーナがやってきた。まだ鎮痛剤も飲んでないのに頭痛がほわっ

と消え、開け放した窓のカーテンを揺らして入ってくる風が爽やかで、まるでそれ

は小学生のころ、夏休みに学校のプールに行って泳いで帰って来た後に、畳の

上で大の字になって昼寝をする心地よさだった。まだクーラーなんてものがなか

ったころの、暑い夏の記憶 ・・・・・・ 。あまりの心地よさにうとうとしながら、このま

ましばらく眠ってしまいたいな思っていたら、息子に「寝るんだったらちゃんと布団

の上で寝たほうがいいよ」といって起こされた。もっともだ。でも立ち上がるとすぐ

に頭がガンガンして、鍋はとうに噴きこぼれていた。それを見るなり、ああ、後片

付けが大変だ、と力なく思う。具合が悪いときって何もかも面倒だ。それどころか

ふだん自分が毎日ふつうにやっている家事のことを思うだけでも果てしない砂漠

のまんなかにいるみたいにクラクラする ・・・・・・・・

そして、どうやらうちの子供たちは小さいころの質を持ったまま大きくなったようで

娘はひどく困惑すると顔がこわばって怒ったような顔になってしまい、私の心配性

を受け継いだ息子は猜疑心でいっぱいの(つまり、この人はすごく悪い病気にで

もかかっているんじゃないかというような)目でこちらを見ている。これがまたしん

どい。

それでも小さな茶碗に半分くらいのおかゆと梅干しをやっとの思いで食べはじめ

ると、彼らは彼らで猫エサみたいなシリアルにミルクをかけて食べていた。おかゆ

を食べながら「水も飲めないってどういうことか初めてわかった」といったら、息子

に「でも、わかったからって飲まなきゃ駄目でしょう」といわれた。もっともだった。

それから水のかわりに有機三年番茶を飲んで鎮痛剤を飲んだ。汗で湿った服を

洗濯機に放り込み、シャワーを浴びたら少しはましになった。そしてふたたび布

団にもぐりこんだのだけれど面倒なのは人の頭で、そんなときすら勝手にいろん

なことを考える。ぐるぐる巻きの有刺鉄線の頭の中で『ねむることによって毎日

死を経験しているのに』という北村太郎の詩の一節や、少し前に友人が夏風邪

をひいたというのを知って「この蒸し暑いときにかわいそうに」と思ったことや、

数年前の夏、夏風邪でしばらく「桃しか食べられなかった」といった友人の声や

家にいてさえこんなに大変なのだから病気になったホームレスはどんなにつら

いだろう、ということの連想からいつか近所で見た地面に腹這いになって道路

の側溝の汚泥からコインを選り分けているリア王みたいな風体のホームレスの

映像やらがごちゃごちゃに錯綜して浮かんだ。

そして子供に買いものに行ってもらおうと思えばそれは文字通りガキの使いに

しかならないのだけれど、それでもこんなとき買いものに行ってくれる人がいる

だけでもありがたい。いったい独り暮らしの男や女はこんなときどうしているん

だろうと思う。私がふだん独り暮らしの人に優しいのは間違いなくこのあたりに

由来している。ときに重たい荷物を背負ってるように感じられることはあるにし

ても、私には家族がいる。夕方、やっとお腹が空いてきて、娘が買ってきた桃を

食べたらすごくおいしかった。まさに生き返るとはこのことだった。娘にそういっ

たら(私にいわれたように)「ちゃんとよく見て買ってきたもん」といわれた。

外は死ぬほど暑かったから部屋の中は終日クーラーをつけていて、私は身体

を冷やさないように(この暑いのに)寝ているときも起きているときも星の王子さ

まみたいに首にストールを巻き、ソックスを履いて、汗をかきながら日に何度も

黒砂糖入りの生姜紅茶を飲んだ。そうやって起きているとき以外はおかしな時

間に眠りながら、意識のどこかで家族が立てるやさしい生活音を聞いていた。

それもまた子どもだったとき、病気のときに聞いたものだ。

人間というのは朝起きた直後がたぶん一日のうちでもっとも不調で、そして日中

いったん下がった熱は夕方になるとまた上がってくる。とにかく寝ていても起きて

いても暑かったけれど、熱が出ているのは免疫力がはたらいて免疫力アップして

いるのだと思って歓迎することにした。ずっと風邪をひかなかったあいだは身体

は楽だったけれどいっぽうで、「風邪は心身の大掃除。にんげん、風邪もひけな

くなるとガンのような大病をするようになる」という医者の友人の言葉も気になっ

ていたのだ。夏風邪で熱が出てデトックスできたのはよかったのかもしれない。

そうやってつらい2日間が過ぎて今朝、目覚まし時計が鳴る前に(う~ん・・・)と

伸びをしている自分がいて、「あ、もうだいじょうぶだ」と思った。目覚まし時計が

鳴った後もまだ少し眠ってしまったけれど、起き上がってみるともう頭も痛くなか

ったし喉の痛みもなかった。驚いたのはベランダに出たら涼しかったことだ。爽や

かな夏のあさ。子どものころの夏の朝みたいだった。それから病気のシーツと枕

カバーとパジャマを洗濯機に放りこんで洗った。娘が「また痩せちゃったね」とい

うから、「痩せた。でも取り返す!」といった。午後には無理しない程度に家じゅう

の掃除をして病気の気を一掃した。朝、灰色の雲だらけだった空もいつのまにか

青空に変わった。夕方、自転車に乗って市役所まで税金を納めに行くと、半袖T

シャツの腕に夏の光と風がやさしかった。帰りにそら屋さんの夏のセールに行っ

て、養蜂家がクルマに蜂の巣箱を乗せて、日本全国の花畑を移動しながら採密

したという夢のような純粋国産菩提樹のはちみつと、有機熟成三年番茶とヨギの

レモン・ジンジャーティー、お醤油に梅干しの黒焼きを買った。水も飲めなかった

とき、有機三年番茶があってほんとに助かった。おかゆと梅干しと番茶でどれだけ

人心地ついたことだろう。

昔の日本人の知恵はえらい。

夏風邪は暑いというだけで冬の風邪以上に体力を消耗する。

身体に堪える日本の夏の暑さはまだまだこれから。皆さまもどうかご自愛ください。

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