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2014年6月24日 (火)

あの日のラタトゥイユ

14ratatouille

土曜日のスイミングクラブで泳ぎ終わったあと着替えて鏡の前に座ると、いつも

のように女たちが賑やかにお喋りしていた。そのなかのひとりが「オリーブオイ

ルで炒めて塩・コショウして食べるのがいちばんおいしい」というから「何を?」

と聞くと「ズッキーニ」という。Kさんがいつも買いものをしているマーケットでズッ

キーニが3本100円で売ってたとかで、たくさん買ってきたのをみんなにあげた

らしい。Kさんみたいなリッチな奥様でもそういうのに飛びつくのね、と微笑ましく

思っていたら、話の途中できたFさんもズッキーニを渡されて、「いいの? 私に

まで」「いいのよ。だって3本100円よ。そのかわりここにいる人みんなの今夜の

お夕飯はズッキーニよ」なんて会話をしている。もらったFさんはFさんで「なんだ

かそういうのって嬉しいな。みんなと同じお夕飯だなんて」と子供みたいなことを

いっている。Kさんは端っこで笑っていた私にもくれて、反対側の鏡の隅でひとり

黙々と化粧していたお婆さんにも「よかったらどうぞ」とズッキーニをさしだした。

化粧の手をとめて「あら。私にまで。いいんですか?」というお婆さんにKさんは

「いいんですよ。3本100円だったんですから。そのかわり今夜のお夕飯はズッ

キーニですからね」なんて茶目っ気たっぷりに念を押している。

そんなやりとりを見ながら、女って面白いな。

で、いいな。と思った。

いま置かれた家庭環境や立場や経済状態の違いや年齢差とかいろいろあって

も、生活者としての女はズッキーニ1本で楽しく人と会話し、繋がれる。どこに行

っても話し相手くらいなら簡単につくれる。それにくらべて長いこと社会のなかで

仕事しかしてこなかった男たちは、たとえリタイアした年齢になってもいまだに権

力志向や肩書意識や競争心を捨てられずに、プールの中にいてさえ他人と自分

の能力の違いばかり気にしていて、毎日のようにプールに来ていても友達の1人

もつくらない。もちろん、そんな男の人ばかりじゃないとは思うけれど、女性にくら

べてオープンじゃなくて、コミュニケーション能力が低い男の人が多いのは確か。

Kさんに「今夜のお夕飯はズッキーニ」といわれた日の夜は私は仕事で午前様だ

ったから、昨日の夜になってラタトゥイユを作った。そして人間の感情というのは

どうしたものだろう。ラタトゥイユを作りはじめたら突然、長らく会っていない友達

のことを思い出してしまった。最後に会ったのはもう何年前になるだろう?

女子高で同じクラスだった彼女はそのころから異常なまでに心配性の母親と超

我儘な姉の面倒ばかりみていて、やっと結婚して親きょうだいと離れて暮らし始

めた思ったら今度は少しばかり年上のバツイチの夫と身体の弱いひとり息子の

心配ばかりしていてその世話に追われ、そればかりか離れたところに住んでい

る認知症の母親と年老いた夫の両親、ときどきは姉が飼っている犬の面倒まで

みさせられている有様で、それを経済的にあまり豊かではない状況で身を削っ

てやっているものだから、もともと小柄で華奢だった彼女はますます小さく疲弊

してしまっているのだった。それは私からするとどう見てもキャパシティ・オーバ

ーで、いずれ彼女が病気になるのは目に見えていた。

そんな彼女を見るに見かねて昔からいろいろいわずにいられないのが私で、

それを聞きながら「そうだよねえ」とやんわりいいつつも「でも、しょうがないのよ」

と彼女が右から左に受け流してしまうのも昔からのことだった。

要するに私が何をいっても無駄なのだった。暖簾に腕押し。

最後に電話したときも、私が本気で心配しているのに彼女がいっこうに我が身

の健康を顧みる気持ちがないのについに私のほうが切れてしまい、「もういい。

好きにしなさい。私はもうあなたの心配はしない!」といって終わりにしてしまっ

たのだった。

最後に彼女に会ったとき、あのときすでに彼女に会うのは十数年ぶりのことで

結婚した彼女の住まいを訪ねるのも彼女の一人息子に会うのもそれが初めて

だった。それは私にとってはあまり良い印象のない、ここからはかなり遠い街で

私は行くだけで疲れてしまった。あのとき彼女はシャビィなアパートのキッチン

で、ラタトゥイユを作ってくれていたのだった。なのに私はそれを食べなかった。

なぜ食べなかったのだろう? せっかく友達が作ってくれたのに・・・・・・。

そのときは単純にラタトゥイユを食べる気がしなかった、というだけのことなのだ

けれど、昨日はおとといからの体調不良のせいもあったのだろう、ラタトゥイユ

を作りながらそんなことが今更ながら無性に気になり、いま現在の彼女のことが

とても気になってきて、いてもたってもいられなくなってしまった。それにもしかし

たらもう前に教えてもらったメールアドレスも使えなくなってるかもしれない。

それで、ひととおりの調理が終わってあとは煮込むだけ、というときになって私

はついにキッチンから彼女にメールした。案の定メールはすぐにエラーになっ

て戻ってきてしまった。ああ、やっぱり。という思いでこんどは携帯に電話した。

それも通じないかと思ったら、何回かコールしたあとカチッとつながる音がした。

きっと時間帯からいって旦那だと思って何も考えずにとったのだろう。

「もしもし、あきこちゃん、わたし!」というと、一瞬誰だかわからないような感じだ

ったのが、私が名前をいうと「ああ、そうちゃん。どうしたの?」と驚いたような声

でいった。懐かしい、あきこちゃんの声だった。例によって心底ほっとした。

「いまキッチンでラタトゥイユを作ってたら突然あなたのこと思い出しちゃって」と

私がいってからは、これまた例によって彼女がご無沙汰を詫びる「ごめんね」か

らはじまって、今日に至るまでの長いあれこれを一気に喋りはじめた。

彼女はあれからまた引っ越して、いまは江の島の近くにいるらしい。しかも家か

ら駅まではアップダウンの激しい道を15分も自転車で走らないとならないらし

い。そんな状況でまだ義父の面倒をみるために週に数回、義父の家まで行って

いるらしい。やれやれ。聞くだけで疲れる。

でも彼女が昨日最初にいったのは、「あれえ。今日、耳の調子が悪かったせい

かなんだか母のことばっかり思い出してたんだけど、母があなたに繋げてくれ

たのかなあ?」だった。それは前にも別の友達にいわれたセリフだったけれど

私は私で「それか」と思った。今日はお互いに耳の調子が悪かったせいでそこ

にチューンしてしまったんだ。

彼女は去年の秋に突然、片耳がちゃんと聞こえなくなってしまったのだという。

私も過去に2回やったことがあるけれど、突発性難聴らしい。

それから夫の母が亡くなり、今年の3月に長いこと認知症を患っていた自分の

母が93歳でついに亡くなった。自宅で布団に寝たまま全く苦しむことなく眠る

ように亡くなったから、世間的に見たら長生きの大往生だと思うけれど、母親

って父親が亡くなったときとはやっぱり違うね、それに頼れるのは姉妹よりも

やっぱり親なんだね、両親がいなくなるってことがこんなにキツイことだとは思

わなかった、というようなことを話した。

彼女のお母さんの認知症は思い出しても遥か昔からのことだったから、彼女

がそんな親でもどこかで頼っていたんだというのは少し意外な気もしたけれど

その『頼る』はもちろん物理的な『頼る』ではなく、『今日も同じ空の下、母も私

も生きている』というような、こころのよりどころというか、支えだったんだろうな

と思った。

昨日はそれだけ聞くだけでいささか夕飯の時間が遅くなってしまったから、また

こちらから数日中にかけ直す、といって電話を切った。切り際、「そんな駅まで

15分も自転車で走るなんて、もう暑いんだからちゃんと帽子かぶりなさいよ!」

といったら、「まるでお母さんにいわれてるみたい」といわれた。そして電話を切

った後で私が思ったのは、「あたしってなんて馬鹿なんだろう」ってことだ。

その友人の存在が時に私を心底滅入らせ、時にひどく苛立たせることがあった

としても、自分の母性的な感覚でどうしても気になる人っていうのはもう半分家

族みたいなもので、めんどくさかろうとなんだろうとつきあうしかないってことだ。

長い年月生きていると、否応なくいろんなものを失う。

友達も、時に家族さえ。

そんななかでどうやっても繋がっている人たちとは血より濃い何かがあるんでし

ょう、たぶん。

そんな変な精神状態で作ったラタトゥイユは何故だかいままで作った中で一番

おいしくできた。作る直前に『ラタトュイユを美味しく作る3つのコツ』っていうの

を見たせいかな? 性質の違う素材ごとに別々にフライパンで炒めて塩・コショ

ウする、っていうのがカギ。それぞれ炒めるたびに塩かけてしょっぱくならない

かと思ったけれどそんなことはなく、出来上がりは濃厚な味でした。オリーブオ

イルを多めに使うのもカギ。私のはコンソメとハーブソルトを使ってるし、厚切り

ベーコン(の細切り)も入ってるから記事とまったく同じじゃないけれど。

昨日はゆでてオリーブオイルをまぶしたペンネと一緒に熱々のを食べた。

今朝は鍋ごと冷蔵庫で一晩冷やしておいたのをスライスしたバゲットとともに。

熱々のも冷やしたのも、どちらもおいしい。

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コメント

そうちきさん、こんばんは。
そうちきさんの文章を読んでいたら何だか胸がきゅんとしました。
昔の友達・・どうしてるかな、とかね。
そんな風に私のことを思い出してくれる友達がいたら嬉しいですね。
コミニケーション力・・昔子供のころ、母が知らない人とどこでもまるで友達のように会話するのが不思議でした。恥ずかしくないのかなとか。
それが今の私、結構どこでもおばちゃんと化して会話してる・・不思議なものです。

投稿: ふたば | 2014年6月27日 (金) 00:02

ふたばさん、やっほう!
今日も雨だね。
ほんとによく降るね~ catface

ふたばさんのことをこんな風に思い出してくれる人もいるよ!
そしてきっと突然電話がかかってくる telephone

学生時代の友達のよいところは、話してるとすぐにぽん!
と昔に戻っちゃうことですね。
けっきょく人の精神年齢ってなんなのかなって思う。
でもいつだって人はインナーチャイルドとともに生きてるから。

『知らない人とどこでもまるで友達のように会話する』っていうのが
おばちゃんぽいとは思わなかったな。
わたし、子供のころからそうだから。

投稿: soukichi | 2014年6月28日 (土) 18:29

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