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2014年6月13日 (金)

不思議な夢

Baltusz_2

おとといライヴに行った帰りの電車の中で完璧な双子を見た。

私の正面にいた彼らはまさしく見事な相似形で、小さな頭に異常なほど整った

神経質そうな顔立ち、ワックスをつけてきれいに撫でつけられた髪、小さな肩

と細い身体にはタイトな三つ揃いのスーツを着ていて、ダークネイビーにごく

目立たない大きめの格子柄が入ったスーツに細いネクタイ、濃紺のソックスに

磨かれた黒い革靴、手に持った鞄に至るまで何から何まで同じだった。

違うのは髪の撫でつけ方と、片手に嵌めた指輪の位置、持った傘が片や透明

ビニール傘なのと、いっぽう黒い折り畳みの傘だというくらい。

最初、彼らの顔立ちがとても若く見えるせいで、一瞬制服かと思ったそのスー

ツの襟には共に同じ社章のピンバッジが付いていたから、どうやら彼らは同じ

会社に勤めているらしい。これだけに似た顔の、同じファッションの人間が2人

いる会社ってどんなだろう、なんて漠然と思った。

私は例によって本を読んでいたし、それほどじろじろ見ていたわけではなかっ

たのだけれど、彼らの態度には『人に見られることにはじゅうぶん慣れている』

といった雰囲気がありありとうかがえた。たまたま慌てて家を出るときに適当に

本棚から抜き取った文庫本が村上春樹の古い小説だったりしたせいで、私は

本に目を落としても前を見ても奇妙な世界のなかにいた。

ほんとうに、バルテュスか金子国義に描かせたらいいようなモチーフだった。

その晩は(もう帰りの電車の中からそうだったのだけれど)、行きの電車でひど

く窮屈な思いをしたせいか、それとも今の季節特有の『湿邪』というもののせい

なのか、肩関節がひどく痛んでなかなか眠れず、眠ってからも脈絡なく細かく

分割された映画のシーンのような奇妙な夢を次から次へと見続けた。

その最後の夢が凄かった。

どこか天井の高い教会のような、美術館のようなところにいて、高い台のような

ものの上に一見して裸のキリストとわかる人がいる。あの筋肉質からいってミケ

ランジェロのキリストだ。と、次の瞬間、何が起こったのかキリストが宙を舞って

下に落ちてくるのだけれど、落ちてくる途中でその姿はなぜか胞衣をまとった生

まれたばかりの赤子に変身してしまう。(そのとき夢のなかで自分がはっきり胞

衣『えな』と発音するのに自分で驚く。)それを見た私は「受けとめなければ!」

と激しく思って両手を上に差し伸べるのだけれど、はたしてすっぽりと私の腕の

なかに落ちてきた赤子はひどく弱々しくて寒そうなのだった。それで「早く胞衣

から出してきれいにして温めなければ」と思ったところで目が覚めた。

目が覚めて誰にいうともなく「いまキリストの夢みた!」と声に出していった。

目覚め間際の最後の夢のインパクトがあまりに凄かったせいで、それ以外の夢

はみーんな忘れてしまった。

して、この夢をなんと解く? 

というとこだけれど、少し考えてから考えるのをやめた。

ひとついえるのは、この夢が嫌な夢ではなかったことだ。

光にあふれていたし、私は自分の抱いている赤ん坊がとても大事に思えた。

それで私はこの夢を吉兆と思うことにした。

夢はいつだって不思議だ。

でもときどき、自分の生きているこの現実こそが夢なのじゃないかと思える。

そして我々にとっていかにこの世界が終わったかに見えようとも、いま生まれた

ばかりの赤子にとっては世界はまだ始まったばかりなんだよね。

いま生まれたばかりの赤子のような目で世界が見られたらどんなにいいだろう。

上の絵は、このあいだ行ったバルテュス展で買ってきたポストカードから。

バルテュスが自分の小さな娘のために描いたといわれるデッサン。

ポストカードの裏には《春美のための九つのデッサン(『不思議の国のアリス』)

による)》と書いてある。使っているのは鉛筆とフェルトペンと色鉛筆。

バルテュスのこんなラフなデッサン、というかイラストをもっと見たかったな。

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